先週から、日経新聞の夕刊に「こども=未来(守れるか子ども達)」という連載が始まりました。一回目の記事に驚きました。公園にあった数多くの木が根から切り倒され、しかも残された木々の枝葉はそがれ、裸同然。そんな中で、子どもたちが元気に遊んでいる写真とともに、「公園から木陰が消える!」という見出しがついていました。
記事によると、頻発する子どもを狙った犯罪に対応するため、写真のように公園の木々を切り倒し、見晴らしのよいものにする。とういうことが条例決定され、実際にそのように動き出している自治体がいくつかある。と紹介されていました。
また、街路灯に監視カメラを設置し、何かあったらすぐに通報できるようにしている町と学校の連携の例も紹介されていました。
この記事を見て“おかさん”は、驚きました。そして、わが町、わが県ではこんな愚行をして欲しくない、とおもいました。子どもという、弱いものを狙いうちにする犯罪者こそ憎まなければいけないけれど、先祖代々からその土地を眺め守り続けてきた森の木々を伐採するなど、もってのほかだと思います。
確かに、木々のうっそうとしていて見晴らしの悪いところは、犯罪の起こる場所の一つになっています。ただ、そういう場所での犯罪が特に多いかというと、最近のニュースなどでの報道をみるかぎり、全くそうではないように思われます。人の出入りの多い近代的なマンションでさえ、高い階から子どもを突き落とすなどの事件が起きています。ですから、どこが安全で、何処が危ないかは、そう簡単には答えの出せる問題ではないと思います。
木々がたくさんあって見通しが悪い。→ 犯罪がおきやすい場所。
という考えもあると思います。あっても良いと思います。しかし、逆に
木々の緑があって見通しは悪い。→ しかし、緑に接すると気持ちが癒される。人類の先祖が大昔住んでいた森には、人間を癒す力がある。ギスギスとした現代生活の中では、ぜひとも必要なものである。逆にこの癒しの効果のおかげで、犯罪が減っているかも・・・?
という考えもあります。私は、こちらを支持します。
とにかく、いろいろな考えの方がいるはずなのに、あまり議論もせず、短絡的に、そしてヒステリックに、森の木々を切り倒すなどということはして欲しくありません。
新聞記事にもありましたが、公園での“かくれんぼ”が、遠い昔の話にならないようにして欲しいと思います。いや、人任せではなく、主体的にしていかなければならないと思いました。
記事によると、頻発する子どもを狙った犯罪に対応するため、写真のように公園の木々を切り倒し、見晴らしのよいものにする。とういうことが条例決定され、実際にそのように動き出している自治体がいくつかある。と紹介されていました。
また、街路灯に監視カメラを設置し、何かあったらすぐに通報できるようにしている町と学校の連携の例も紹介されていました。
この記事を見て“おかさん”は、驚きました。そして、わが町、わが県ではこんな愚行をして欲しくない、とおもいました。子どもという、弱いものを狙いうちにする犯罪者こそ憎まなければいけないけれど、先祖代々からその土地を眺め守り続けてきた森の木々を伐採するなど、もってのほかだと思います。
確かに、木々のうっそうとしていて見晴らしの悪いところは、犯罪の起こる場所の一つになっています。ただ、そういう場所での犯罪が特に多いかというと、最近のニュースなどでの報道をみるかぎり、全くそうではないように思われます。人の出入りの多い近代的なマンションでさえ、高い階から子どもを突き落とすなどの事件が起きています。ですから、どこが安全で、何処が危ないかは、そう簡単には答えの出せる問題ではないと思います。
木々がたくさんあって見通しが悪い。→ 犯罪がおきやすい場所。
という考えもあると思います。あっても良いと思います。しかし、逆に
木々の緑があって見通しは悪い。→ しかし、緑に接すると気持ちが癒される。人類の先祖が大昔住んでいた森には、人間を癒す力がある。ギスギスとした現代生活の中では、ぜひとも必要なものである。逆にこの癒しの効果のおかげで、犯罪が減っているかも・・・?
という考えもあります。私は、こちらを支持します。
とにかく、いろいろな考えの方がいるはずなのに、あまり議論もせず、短絡的に、そしてヒステリックに、森の木々を切り倒すなどということはして欲しくありません。
新聞記事にもありましたが、公園での“かくれんぼ”が、遠い昔の話にならないようにして欲しいと思います。いや、人任せではなく、主体的にしていかなければならないと思いました。