市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

甘楽町など他自治体の放射能ゴミを積極的に受入れるサイボウ環境とその現状を地元住民に説明しない安中市

2012-08-29 12:34:00 | 全国のサンパイ業者が注目!
■先日、安中市に情報公開請求をして始めて判った、他自治体からのゴミ焼却灰の搬入の実態について、当会のブログで詳細に報告しましたが、その中でとりわけ気になる下水汚泥の焼却灰が甘楽町から持ち込まれていることに関して、当該焼却灰の発生元の甘楽町長に対して、次のような質問状を出していたところ、昨日、郵送で回答が届きました。


 当会では平成24年8月20日に次の内容の公開質問状を、甘楽町長宛に発出していました。

**********
                         2012年8月20日
〒370-2292群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡161-1
甘楽町長 茂原 荘一 様
                  〒379-0114群馬県安中市野殿980番地
                       小川 賢
                       E-mail ogawakenpg@aol.com
     公 開 質 問 状
 貴職におかれましては、町政に日々真摯に取り組まれ、そのご努力に対して、群馬県の西毛地区に住む住民として敬意を表します。
 さて、貴殿は、平成23年12月22日付で、安中市、サイボウ環境㈱との間の三者間公害防止協定を結び、その直後に焼却灰6トンを、私の住む安中市岩野谷地区にあるサイボウ環境の一般廃棄物最終処分場に持ち込まれました。その後も、平成24年4月11日から平成25年3月31日にかけて、焼却灰6トンを搬入される予定である旨、平成24年4月2日付で安中市長に通知しています。
 また、貴殿が協定書に基づき安中市長あてに提出した一般廃棄物処理委託理由書には「農業集落排水処理施設で発生する汚泥を焼却し、甘楽焼成肥料として肥料登録を行い農地及び緑地に還元にしておりましたが、通常の施用が不可能であるため貴市区域内の処理施設(サイボウ環境株式会社)へ処分を委託したいとするものです」旨の記載があります。
 これらのことに関連して、次の質問があります。

質問1 御町が製造する甘楽焼成肥料は、農水省から2008年1月15日付で検査の結果問題がない登録肥料である旨通達が出されていますが、昨年まで農地及び緑地に還元していたところ、なぜ通常の施用が不可能になったのでしょうか。その理由を具体的にご教示ください。

質問2 通常の施用が不可能になったことが判明してから、この活性汚泥?焼却由来の登録肥料の処分方法について、どのような対策を検討され、最終的に、他の市町村にあるサイボウ環境の処分場に持ち込むことになったのでしょうか。その経緯が判る資料があれば、ご教示ください。なお、御町の情報公開条例に基く開示申請で、閲覧・写しの交付が可能であれば、その旨ご指示ください。

質問3 サイボウ環境に対しては、安中市を経由して処理を打診したのでしょうか。それとも直接サイボウ環境に対して、処理を打診したのでしょうか。また、打診をされたのはいつでしたか。

質問4 サイボウ環境と合意した処理費用を教えてください。

質問5 下水汚泥等の焼却灰は、現在各地で、高放射線量が話題になっていて、多くの自治体がその処分に頭を悩ませていることはご存知のことと思います。サイボウ処分場に持ち込んだ、あるいは持ち込もうとする甘楽焼成肥料については、昨年の3.11の大震災による福島原発事故の影響による放射線量について、計測されていますか。計測されているのであれば、事故発生以降、現在に至るまでの記録をご教示ください。情報公開条例による開示が可能であれば、その旨ご指示下さい。

質問6 昨年12月下旬にサイボウ処分場に搬入した焼却灰6トンの放射線量について、搬出時の放射線量を測定しておられますか。測定記録があれば、ご教示ください。条例による開示が可能であれば、その旨ご指示ください。

質問7 今後、いつまでに、どの程度の量の焼却灰を、サイボウ処分場に搬入する見通しなのか、ご教示ください。

 なお、本質問状は貴職のご回答を得た上で、あるいは得られなかったときに、回答の有無及び内容をネット上で地元住民の皆様等に明らかにしてまいりたいと考えます。つきましては、平成24(2012)年8月27日限り、弊員あてに郵送又はFAXにてご回答いただきますよう、お願い申し上げます。           以上
**********

■甘楽町長からは、8月24日付で、次の回答書が出され、8月27日に郵送で当会事務局に届きました。


**********
                       平成24年8月24日
群馬県安中市野殿980番地
小川賢 様
                    甘楽町長 茂 原 荘 一
 残暑の候、貴殿におかれましては益々ご健勝のことと拝察申し上げます。
 さて、2012年8月20日付けで質問をいただきましたことについて、下記のとおり回答申し上げます。
          記
【質問1の回答】
 東京電力抹式会社福島原子力発電所の事故に伴う汚泥肥料の取扱いについては、「肥料に利用する放射性物質を含む汚泥の取扱いについて(H23.6.24農林水産省消費・安全局)」で利用の判断基準がはじめて示されました。
本通知では
 「原料汚泥中の放射性セシウム(Cs134及びCs137の合評伝をいう。以下同じ。)濃度で200Bq/kg以下である汚泥肥料は、流通させて差支えないものとする。」また、平成24年度末までの特例措置として「汚泥の排出者が自ら汚泥肥料の生産・販売を行っており、かつ、し尿の収集や排水区域内に肥料を施用する場合に、原料汚泥の放射性セシウム濃度が施用する農地土壌以下であり、かつ、1000Bq/kg以下であれば、汚泥肥料の原料と使用できる。」
となっています。
 なお、「放射性セシウムを含む肥料・土壌改良資材・培土及び飼料の暫定許容値の設定について(H23.8.1農林水産省消費・安全局長ほか)」の通知で新たに、暫定許容値として、400Bq/kg(製品重量)示されました。
 当町の甘楽焼成肥料(肥料登録名)は焼成汚泥肥料であり、その原料汚泥は「焼成した汚泥(焼却灰)」となります。
 甘楽焼成肥料の放射性物質の測定結果は別紙1のとおりですが、いずれも暫定許容値を超えており、肥料としての施用ができない数値となっています。
【質問2の回答】
 平成23年5月26日、「福島県内の下水道処理等副産物の当面の取扱いに関する考え方」(H23.5.12原子力災害対策本部)」の通知により、当町の農業集落排水処理施設内に浸透及び飛散防止のためシートで被覆し保管を行う。
 平成23年7月28日及び8月25日の測定結果を踏まえ肥料として施用できないことが判明、8000Bq/kg以下であるため「放射性物質が検出された上下水道処理等副産物の当面の取扱いに関する考え方(H23.6.16原子力災害対策本部)」の通知により埋立処分を検討する。
 県内の管理型最終処分場を調査し、サイボウ環境(株)の最終処分場が安中市大谷地区に所在することが分かり施設を道路上から視察、甘楽町役場職員であることを告げ女性事務員に会う。
 女性より、この処分場が安中市及び県内の他の地方公共団体から排出される焼却灰を受け入れていることを知る。併せて当町の現状について雑談を交え話す。
 なお、この間の閲覧が可能な資料はございません。
【質問3の回答】
 安中市役所に他の地方公共団体から排出される焼却灰もサイボウ環境(株)の最終処分場が受入れているかを確認、併せて行政間の手続きについて指導をいただく。
 当町と安中市における行政手続については、三者間公害防止協定の締結、安中市の一般廃棄処理委託理由書及び「廃棄物の処理及び清掃に関する法律施行令」の規定に基づく通知の受理が条件となるとの説明を受ける。
 11月8日にサイボウ環境(株)の高山代表取締役が来庁し焼却灰の保管状況、形状等を確認、委託費用の見積のためサンプルを持ち帰る。なお、仮に貴社に委託する場合は委託金額及び安中市より説明を受けたことが条件となることを伝える。高山代表取締役の認識も一致していた。
【質問4の回答】
 運搬及び埋立処分費として 55,000円/トン(消費税別)
 なお、現在までの搬出状況には
 平成23年12月27日 サイボウ環境(株)の最終処分場に焼却灰を搬出(3.50t)
 平成24年 6月27日   同 上                 (2.25t)
 となっています
【質問5の回答】
 測定しています。結果については別紙1のとおりです。
【質問6の回答】
 測定結果については、別紙1のとおりです。
 いずれも8000Bq/kg以下であるため埋立処分を委託しました。
【質問7の回答】
 年間で6トン程度と見込んでいます
 焼却灰(焼成汚泥肥料)については資源循環の観点からも、基本的には肥料として利用したいと考えています。しかし、利用にあたっては暫定許容値以下となることが条件となりますので、これが「いつ」になるのかは見通しが立たないのが現状です。
 なお、現行のサイボウ環境(株)との委託契約書においては契約期間が平成25年3月29日までとなっています。その後の契約については、現在のところ未定です。
                    【 担 当 】
                     水道課下水道係
                     TEL 0274-74-3131
                     FAX 0274-74-5813
                     E-mail gesui@town.kanra.gunma.jp
<別紙1>
    甘楽焼成肥料(農集排焼成汚泥肥料:焼却灰)放射能測定結果
                           I:ヨウ素
                           Cs:セシウム
回数/試料採取/検査日/検査機関/検査方法/検査結果(Bq/kg):I-131・Cs-134・Cs-137・Cs計/暫定許容値(Cs計:Bq/kg):原料・製品・製品化/処分方法
1/2011/7/27/2011/7/28/㈱化研/ゲルマニウム半導体スペクトロメトリ/検出されず・1400・1600・3000/200・400・NG/8000Bq/kg以下の為、最終処分場に埋立(2011/12/27)
2/2011/8/24/2011/8/25/㈱化研/同上/検出されず/1200・1500・2700/200・400・NG/同上
3/2011/11/24/2011/11/25/㈱食環境衛生研究所/同上/検出されず・1037・1295・2332/200・400・NG/同上
4/2012/6/6/2012/6/12/㈱食環境衛生研究所/同上/検出されず・783・1158・1941/200・400・NG/8000Bq/kg以下の為、最終処分場に埋立(2012/6/27)
※埋立処分
2011/12/27  3.50t
2012/6/27   2.25t

**********

■既報のとおり、甘楽町長から、安中市長あてに提出されている「一般廃棄物の処理の委託について(通知)」によると、次の変遷を辿っています。

◆平成23年12月21日付/処分期間:平成23年12月22日~平成24年3月31日、焼却灰6.0t
◆平成24年4月2日付/処分期間:平成24年4月11日~平成25年3月35日、焼却灰6.0t

 当会の調査では、平成23年12月27日(火)午前8時11分に、車両ナンバー「1808」のトラックで、甘楽町からサイボウ処分場に「焼却灰 3,500kg」が搬入されています。平成23年度は結局、これ1回限りで、その後、平成24年度になり、6月27日に「焼却灰 2,250kg」が持ち込まれています。

 当会が予想したとおり、やはり、下水汚泥由来の焼却灰は高放射能レベルのため、サイボウ環境は、運搬費込みの処分費用としてトン当たり5万5000円を請求し、甘楽町もこれを了承しています。これは安中市のゴミ焼却灰のトン当たり1万7500円(運搬費込み)に比べると、3倍以上高い単価となっています。案の定、危ないゴミほど高い値段で取引されて、サンパイ業者が儲かる仕組みとなっています。今後も、この情報を聞きつけて、高濃度に放射能汚染されたゴミが、安中市の大谷地区にあるサイボウ処分場に持ち込まれる可能性はますます増大することでしょう。地元住民にとって、大変重大な問題です。

■しかも、こうした実態について、地元住民が情報公開や公開質問を行政にしない限り、行政は何も教えてくれません。サイボウ環境の話では、処分場施設内の空間放射線量率の測定は、しょっちゅう実施し、群馬県と安中市に報告しているということですが、群馬県も安中市もそうした情報データは、まったく開示しようとしません。おそらく「業者からの任意提出データなので、開示することにより、業者の事業の競争力や公平性に支障を来す」などという屁理屈で、開示請求しても非開示とするに違いありません。あるいは、「そのような情報は存在しない(不存在)」として通知してくるかもしれません。

 当会では、東電福島原発事故の直後から、放射能ゴミの捨て場所に困った自治体や事業者らが、こうした民営の最終処分場に殺到するのではないか、と危惧しておりました。昨年夏には、サイボウ処分場の周辺で、当会のロシア製線量計を用いて測定したところ、フェンス脇で0.25μSv/hという高濃度の放射線量を確認し、当会の危惧は現実のものとなったのでした。そして、その後も、群馬県でもホットスポットと言われる沼田市、川場村、昭和村からの焼却灰や、渋川市など榛名山の東側に展開する広域圏ゴミ施設組合からの焼却灰が、ぞくぞくとサイボウ処分場に搬入されているのです。そして、今回、甘楽町から最高3000ベクレル/kgの放射能ゴミも少量ながら持ち込まれていることが確認できました。

 たとえ、持ち込まれるゴミの放射線レベルがさほど高くなくても、1か所に大量の放射能ゴミが集積されると、そのエリアにおける放射線量は高くなります。前橋市の六供町にたまった放射能ゴミによる周辺の放射線量が高くなっている問題と、現象的には同じです。

■当会の公開質問状に対して、甘楽町が迅速に、かつ、丁寧に回答してきたことは評価したいと思います。しかし、本来は、自分の自治体で出したゴミは、自分のところで処理すべきであることを忘れては困ります。

 当会が気になっていた、現在、サイボウ処分場で青いシートが掛けられている箇所は、やはり、6月末に持ち込まれた甘楽町の焼却灰であることが、これでハッキリしました。今後、サイボウ環境が、さらに危ない高放射線量の汚染ゴミを高値で受け入れる可能性が高まっています。本来であれば、群馬県や安中市が、そうした実態を、迅速に地元住民に知らせるとともに、サイボウ環境に、行政指導を行ない、放射能汚染ゴミの搬入を抑止すべきですが、行政の職員OBをサンパイ業者に送り込み、業者の廃棄物ビジネスを積極的に支援してきた群馬県や、違法行為を黙認して、処分場建設を後押ししてきた安中市に、それを期待することは困難でしょう。

やはり高い放射線量の焼却灰がブルーシートの下にあることが確実になった。

 ひとつでもゴミ捨て場=最終処分場が作られてしまうと、あとはツルベ式に処分場が作られてゆくという、非情な原理が存在します。これに対して手をこまねいていては、後世に対して申し訳が立ちません。何とかして食い止めることが、今を生きる我々の世代の責務です。

■それにしても、こうした放射能ゴミの発生原因は、なんといっても原子力ムラの利権の巣窟である東京電力のせいです。甘楽町がトンあたり5万5000円を支出せざるをえないのは、すべて東電が肩代わりすべきものです。そうした対応を、同町が東電に対して行っていくのかどうかについても、注意深く見ていきたいと思います。

【ひらく会情報部】

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簗瀬二子塚古墳と周辺用地に約3億400万円の血税投入を決めた岡田市長の気持ちを占う

2012-08-28 22:42:00 | 土地開発公社51億円横領事件
■今日の東京新聞朝刊に、「簗瀬二子塚古墳 安中市が用地取得」と題する記事が報じられました。この古墳は、原市小学校の南400mほどの碓氷川中流域の氷川右岸の中位段丘上にある安中市簗瀬八幡平に立地しています。全国には同じように「二子塚」と名付けられた2個の丘状の地形を持つ古墳がいくつもあり、方墳を2基つなぎ合わせた双方墳或いは長方墳という形式を「二子塚」と呼ぶところもありますが、安中市簗瀬の「二子塚」古墳の場合は、前方後円墳の形式となっています。この古墳に、ケチな安中市が3億円もの血税を投入するということで、いろいろ背景を占ってみました。


 今日の朝刊の記事は、次の内容でした。

**********2012年8月28日付東京新聞
簗瀬二子塚古墳 安中市が用地取得
 安中市簗瀬の六世紀前半の前方後円墳で、関東で最古とされる横穴式石室を持ち、当時の有力豪族が埋葬されたとみられる「簗瀬二子塚古墳」について同市は、古墳を含めた用地を取得することを9月3日開会の市議会九月定例会に提案する。一帯の古墳公園としての保存整備に本格的に取り組む。(樋口聡)
 同古墳は、東西が約80メートル、南北は最大約60メートルで、周りを幅約20メートルの周堀が囲む。
 市は当初、国指定史跡を目指し、個人が所有していた古墳や周辺を含む用地を取得し都市公園とする構想を計画。2000年までに、古墳南側の約3千6百平方メートルを市土地開発公社が先行取得したが、古墳の東側で市道の工事により周堀の一部が破壊されていたことや、古墳周辺での宅地開発、厳しい財政状況などにより構想は頓挫していた。
 市は今回、古墳や残る周堀を含めた約7千平方メートルと、公社が購入した分を約3億4百万で購入する意向。本年度当初予算に取得費を計上していた。
 市教委は、専門家による保存整備委員会に基本設計の策定を委託しており、当面は県指定史跡を目指していくという。岡田義弘市長は「長年の懸案にようやくめどがついた。新しい視点で町づくりが進められる」と話した。
**********

 この簗瀬二子塚古墳については、今年の3月4日にも東京新聞が、古墳の保存に向けて、安中市が古墳を含めた用地を取得し、「古墳公園」として整備に乗り出す方針であることを報じました。東京新聞の販売店主でもある記者は、岡田市長と懇意ですので、この記事は岡田市長の意向を反映したものだと市民に捉えられていたところでした。

 そうした予告を経て、本日また新聞報道に至ったわけですが、この記事の内容を見ると約1ヘクタールの公園用地取得のために3億円を投じることに、何かひっかかるものを感じます。

■といいますのは、この土地取得手続が全て安中市土地開発公社を介して行なわれるからです。

 最近、当会では安中市土地開発公社の財務内容に関する情報を入手する機会を得ていませんが、3年前の2009年2月11日の当会ブログで当時の土地開発公社の塩漬け土地の現況について報告したことがあります。
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/189.html

 それによると、今回の簗瀬二子塚古墳公園用地関係で、2000年までに土地開発公社が先行取得していたとされる約3千6百平方メートルの土地は次の用地と思われます。

<公有用地>
番号.資産区分/面積(今期増減)/期末残高/うち支払利息累計/当期増加支払利息
3.簗瀬二子塚古墳史跡公園用地/1,387.00㎡(±0)/63,177,592円/9,789,588円/989,700円
4.簗瀬街区公園用地/2,295.92㎡(±0)/111,786,434円/13,642,560円/2,334,696円

■当時の情報では、上記2つの合計3600㎡の土地の合計簿価は、1億7496万5026円になり、1平方メートル当たり単価は4万8601円となります。これに、今回、約7000㎡の土地を買い増して、総額約3億400万円を安中市土地開発公社に支払うことになるわけですから、約7000㎡の土地に約1億6500万円(1㎡当たり2万3576円)の血税を投じるわけです。

 綾瀬二子塚古墳あたりの住宅地の地価は、2万円程度と見られますが、2000年までに公社が取得した土地の単価は現在の倍近いレベルとなっています。今回、めでたく、これらの塩漬け土地を、安中市が血税を払って買い取ってくれるというのですから、土地開発公社の理事長でもある岡田義弘市長としては万々歳といったところでしょう。長年にわたり多額の政治献金を岡田市長にしていた東京新聞の地元販売店主記者のインタビューで「長年の懸案にようやくめどがついた。新しい視点で町づくりが進められる」と、顔をほころばせて語った岡田市長の様子が目に浮かぶようです。

 岡田市長の喜びの背景には、タゴ事件の尻拭いのため安中市・公社から毎年群馬銀行に支払われる原資として、土地開発公社に土地の先行取得事業をさせたりするための事務費(=手数料)として、事業費の5%程度を、市民の血税を使って、公社につぎ込んでいることから、今回の3億円の事業に伴う事務費として、1500万円程度を確保できることになり、4ヵ月後の年末12月25日に群馬銀行にしはらうタゴ横領金の和解金返済資金として、一息つけることになるからです。

 この件については、当会としてもこの機会に、我らが安中市の土地開発公社の塩漬け土地の実態の現況を確認してみたいと思っています。

【ひらく会情報部】

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地方自治法の政務調査費条項の改悪に反対する宣言を参院総務委員会と群馬県議会に提出

2012-08-28 12:33:00 | オンブズマン活動
■市民オンブズマン群馬では、8月27日午後6時までに、「地方自治法の政務調査費条項の改悪に反対する宣言」を、参議院総務委員会メンバー25人全員にFAXするとともに、群馬県県議会議員50名に対して、群馬県議会事務局を通じて配布を依頼しました。また、県庁の刀水クラブに、これらの行動についての情報を提供しました。

 市民オンブズマン群馬が、8月27日に宣言文をFAXした参議院総務委員会のメンバーは次のとおりです。

<参議院総務委員会メンバーリスト>
役職/氏名(所属)/選挙区/議員会館TEL/議員会館FAX
委員長/草川昭三 (公明)/比例/03-6550-0709/03-5512-4303
理事/江崎孝 (民主)/比例/03-6550-0511/03-6551-0511
理事/吉川沙織 (民主)/比例03-6550-0617/03-6551-0617
理事/片山さつき (自民)/比例03-6550-0420/03-6551-0420
理事/金子原二郎 (自民)/長崎/03-6550-1202/03-6551-1202
理事/木庭健太郎 (公明)/比例/03-6550-0911/03-6551-0911
委員/相原久美子 (民主)/比例/03-6550-0611/03-6551-0611
委員/加賀谷健 (民主)/千葉/03-6550-1021/03-3581-6922
委員/武内則男 (民主)/高知/03-6550-0302/03-6551-0302
委員/難波奨二 (民主)/比例/03-6550-0821/03-6551-0821
委員/林久美子 (民主)/滋賀/03-6550-1020/03-6551-1020
委員/藤末健三 (民主)/比例/03-6550-1009/03-6551-1009
委員/礒崎陽輔 (自民)/大分/03-6550-1004/03-6551-1004
委員/片山虎之助 (自民)/比例/03-6550-0418/03-6551-0418
委員/岸宏一 (自民)/山形/03-6550-0315/03-6551-0315
委員/世耕弘成 (自民)/和歌山/03-6550-1017/03-6551-1017
委員/中西祐介 (自民)/徳島/03-6550-0622/03-6551-0622
委員/藤川政人 (自民)/愛知/03-6550-0717/03-6550-0057
委員/山崎力 (自民)/青森/03-6550-0504/03-6551-0504
委員/主濱了 (生活)/岩手/03-6550-0817/03-6551-0817
委員/寺田典城 (みん)/比例/03-6550-0920/03-6551-0920
委員/山下芳生 (共産)/比例/03-6550-1123/03-6551-1123
委員/又市征治 (社民)/比例/03-6550-0906/03-6551-0906
委員/行田邦子 (み風)/埼玉/03-6550-0614/03-6551-0614
委員/森田高 (国民)/富山/03-6550-1214/03-6551-1214

 また、市民オンブズマン群馬の宣言文50通のそれぞれに、次の50名の県議の氏名を宛先として記載し、群馬県議会事務局を通じて配布を要請しました。

高田勝浩、原和隆、安孫子哲、伊藤祐司、井下泰伸、星野寛、金子渡、田所三千男、桂川孝子、藥丸潔、清水真人、吉山勇、岸善一郎、大手治之、金井康夫、酒井宏明、臂泰雄、小川晶、後藤克己、水野俊雄、あべともよ、須藤和臣、笹川博義、井田泉、角倉邦良、茂木英子、大林俊一、星名建市、萩原渉、舘野英一、岩上憲司、橋爪洋介、福重隆浩、新井雅博、狩野浩志、織田沢俊幸、村岡隆村、塚原仁、大沢幸一、岩井均、松本耕司、黒沢孝行、南波和憲、塚越紀一、腰塚誠、中沢丈一、関根圀男、中村紀雄

県内の市町村議員に対しては、それぞれの地区のオンブズマンのメンバーから、宣言文を配布することにしています。

【市民オンブズマン群馬事務局からの連絡】

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消費税法案のウラ取引として今週半ばにも可決されそうな政務調査費野放し法案を注視

2012-08-27 12:24:00 | オンブズマン活動
■原発再稼動や消費税引き上げが世間の注目を浴びている隙に、政治家たちは、情報公開法を骨抜きにする「秘密保全法」や地方自治法で定めた政務調査費の定義を骨抜きにする「改正地方自治法」の成立に向けて突き進んでいます。

 このうち、後者については、地方議会の会派や議員に支給される政務調査費の使い道を野放しにする地方自治法「改正」案が、来週半ばには参議院本会議で成立しようとしています。このため、8月25~26日に青森県弘前市で行なわれた市民オンブズマン全国大会で、「地方自治法の政務調査費条項の改悪に反対する決議」が満場位置で採択されました。

■これを踏まえて、市民オンブズマン群馬でも、この悪法を食い止める為に、次の宣言を行なうことにしています。

**********
地方自治法の政務調査費条項の改悪に反対する宣言

1 平成24年8月10日、地方自治法100条14項・16項(地方議会の政務調査費についての根拠規定)を改悪する地方自治法「改正」法案が衆議院で可決された。同法案は「政務調査費」を「政務活動費」と改称し、交付の目的について同法100条14項に「その他の活動」の6文字を付加して「議員の調査研究その他の活動に資するため」としている。この改悪案は平成24年8月7日になって、民主党・自民党・公明党・「生活」に所属する6名の議員が、突如、地方自治法の改正案に対する修正案として協同提出したものであり、国民的な議論が全くなされないまま、即日、衆議院総務委員会において、共産党と社民党を除く賛成多数でこの修正案が可決され、衆議院本会議で可決されるに至った。

2 しかし、地方議会の会派、議員の第二の給与と化している政務調査費の乱脈ぶりに対し、私たちオンブズマンは全国各地で次々に住民訴訟を起こしてきた。提起された住民訴訟は全国で70件を超え、そのうち47件の判決で、支出の一部が違法と認定されている。そして、それらの訴訟の争点は、いずれも、当該支出が、地方自治法が定める「議員の調査研究に資する」支出にあたるか否かを厳しく問うものである。議員や会派の調査研究に資するものではないことを理由に、多くの政務調査費が自治体に返還されている。うち6件では、違法とされた支出金額が1000万円を超えてすらいる。

3 ところが修正条項は、「政務調査費」という名称を「政務活動費」と変更だけでなく、交付の目的に「その他の活動」を加えることで、これまでは違法とされてきた、およそ議員の調査研究と関係のない使い方をも合法化できる余地を、議員に広範に与えることになる。したがって、同法案は、政務調査費を再び野放しにし、議員の第二給与に逆戻りさせる驚くべき悪法に他ならない。

4 今日、わが国の財政は、国家においても自治体においても危機的な状況にあり、国民生活に不可欠な分野の財源すら削られている状況にある。そのような財政状況にもかかわらず、地方議員に対する公金支出の規律をゆるめることは、財政秩序のうえからも国民に対する信義のうえからも許されるべきではない。

5 このことについて、平成24年8月26日に第19回全国市民オンブズマン弘前大会で満場一致で決議されたことを踏まえて、私たち市民オンブズマン群馬は、衆議院において議論らしい議論もないまま、修正法案が可決されたことを強く批判するとともに、これを廃案とするためにあらゆる努力を払うことをここに宣言する。

平成24年8月27日
             市民オンブズマン群馬 代  表 小川 賢
                        事務局長 鈴木 庸
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■現在の政務調査費は、議員の調査研究活動費として無税扱いとされて、これは議員の調査研究活動に必要な経費に限定されていますが、これを「政務活動費」と読み替えて、さらに「その他の活動」にも使えるようにしようとするのが今回の「改正」法案です。現在の「政務調査」というくくりでも、およそ政務とは無関係な支出が行なわれているにもかかわらず、「政務活動」というふうに意味を曖昧にしたうえに、さらに「その他の活動」が加わることで、無税で支給される第二の議員給与といわれる「政務調査費」の使い道が、それこそ野放しになります。

 この「改正」法案が成立すると、その具体的な内容は、各自治体が条例で決めて実施されることになりますが、もはや、国の法律でタガが緩められたことから、その使い途は、地方議会の会派や議員のサジ加減で、どうにでもなるでしょう。

 夜な夜なバーに通っても政務、クラブに集まり盛り上がっても政務、選挙目当てのチラシの配布も政務、自分用のパソコンや、家族の教育費や入院費なども、はっきりと個人と識別できなければ全部議員活動としてつけ回し出来てしまう仕組みが、今回の地方自治法「改正」による新たな「政務活動費」です。

■これを提案したのが、民主・自民・公明と民主から分離したばかりの「国民の生活が第一」です。衆院で共産党と社民党以外は賛成しており、今後、この悪法を断固粉砕する見通しは、これまでの日本の政治家の振る舞いから見て、お手盛り法案を自ら抑制するという期待は残念ながら、持てそうにありません。議員みんなで「政務」と称して、国のカネ=国民の血税が野放図に無駄遣いされる温床が生み出されてしまうことになりかねません。議員諸氏には、ハッピーな法案ですので、参議院で今週半ばにも、可決されてしまうことになりそうです。

 納税者である皆さんも、この悪法の成立にむけた動きにぜひご注目ください。

【市民オンブズマン群馬事務局からの報告】

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あと2週間・・・2ヶ月の操業休止明けを契機に体質改善に取り組めるか東邦亜鉛の二枚舌的公害企業体質

2012-08-23 22:51:00 | 東邦亜鉛カドミウム公害問題
■東京電力管内でも有数の大口の電力需要家であるにもかかわらず、自家発電設備を持たない東邦亜鉛の亜鉛製錬拠点の安中製錬所が、平成24年7月12日から9月5日までの約2カ月間、操業停止中であることは既に当会のブログで報告しているとおりです。東邦亜鉛では、来年の電気料金が今年の消費量を基に設定されることもあり、夏場の操業停止によって、消費量を抑えるのが狙いのようです。

 ところで、東邦亜鉛は、かつて群馬県安中市から約1000キロも離れた対馬にある鉱山を保有しており、そこから掘り出した亜鉛鉱石を遠路はるばる安中製錬所まで運んでいました。いわゆる「鉱山会社+製錬会社」という事業形態でした。

 その後、対馬の鉱山資源が枯渇した為、海外で採鉱された鉱石を輸入し、それを製錬するという形で独立製錬所として操業してきました。ところが、法律上では、なぜか、鉱山保安法でいう山元製錬所の取り扱いのままとされ、そのため、製錬所から排出される廃水、鉱さい及び鉱煙の処理に伴う鉱害の防止が、いい加減になり、有名な安中公害を生み出したのでした。

■驚くべきことに、あれだけ社会に衝撃を与えたカドミウム鉱害=公害だったにもかかわらず、その後も、東邦亜鉛安中製錬所(なんと藤岡事業所も安中製錬所の一部として含まれていました)は、対馬の鉱山の付属施設として、「対州鉱山附属安中製錬場」と呼ばれ、鉱山保安法による “山元製錬所”の扱いとされてきました。

 この状態は誰が見ても尋常ではありません。そこで東邦亜鉛の状態にお墨付きを与えるため、通産省は、平成12年に「鉱山保安法第2条第2項ただし書きの附属施設の範囲を定める省令(平成12年通商産業省令第407号)」というものを交付し、東邦亜鉛を対州鉱山の附属施設として、対州鉱山の鉱石を受け入れた“遠隔地附属製錬場”と位置付けました。このような、特別な計らいは東邦亜鉛が自民党に長年にわたり献金をした成果のひとつと見られます。

 そして、平成16年6月9日になって鉱山保安法が改正され、翌17年4月1日に改正鉱山保安法が交付されましたが、この法律の公布を機会に、ようやく前述の不公平な省令が廃止された為、通産省を引き継いだ経産省は、対馬鉱山の事業休止認可に向けて検討を始め、平成24年になって、やっと休止のめどが立ったため、鉱山保安法が適用とならない“独立製錬所”に該当する要件が整うことになりました。

■ところが、公害企業として二枚舌を駆使して地域住民を騙してきた企業体質を持つ東邦亜鉛は、平成17年4月1日に改正鉱山法の交付後、安中製錬所が遠隔地の“山元製錬所”から、一般の“独立製錬所”に移行するには、対馬の鉱山が事業休止認可を受けるまでに時間が稼げることに目をつけ、この機会を繊細一隅と捉えたのでした。

 東邦亜鉛としては、「製錬会社+リサイクル会社」という分野を志向していただけに、この経過期間のうちに、自社で排出する有害な産業廃棄物や、あわよくば廃棄物ビジネスにも役立つ最終処分場を作ろうと画策し、経過期間中に駆け込みで平成22年4月までに処分場の造成工事を完了させたのでした。

 そして、平成24年3月末までに、一般法への移行を前提に、廃棄物処理法に基く形式だけの手続を、群馬県との間で行い、この間に、なんとアスベストも持ち込めるように認可をとろうとしたのでした。そして、目出度く、もうすぐ処分場の認可が下りようとしています。

■ここで、東邦亜鉛が今日、電気亜鉛製錬として日本有数のメーカーにのし上がれた基盤をつくった対馬の鉱山について検証してみましょう。

 東邦亜鉛は、1937年(昭和12年)2月に、日本亜鉛製錬株式会社として設立され、直ちに安中製錬所の建設に着手しました。その後、同年6月から電気亜鉛の製錬を開始したのです。

 1941年(昭和16年)9月、日本亜鉛製錬㈱は、社名を現在の東邦亜鉛㈱と改称しました。と、同時に1941年から日本最古の鉱山として知られる対馬の対州鉱山で、鉱石の採掘を開始しました。

 文献によると、674年(白鳳3年)に対馬ではじめて銀が採掘され朝廷に献上されたのが、日本最初の鉱山の誕生といわれています。この場所が、現在の対馬の厳原町樫根で、江戸時代には対馬藩宗家によって銀、鉛を含む鉱石が盛んに採掘されました。1903年、佐須鉱山が、また1908年ファーブル・ブランド社が、それまで利用されなかった亜鉛の鉱石を採掘しはじめました。

 1941年からは東邦亜鉛㈱対州鉱山によって採掘が行われ、1960年代には年間20万トン以上の鉱石を生産しましたが、1973年に閉山しました。

 この期間、30本以上の主要な鉱脈が採掘され、代表的な鉱石鉱物は、磁硫鉄鉱(Fe1-xS)、閃亜鉛鉱((Zn, Fe)S)、含銀方鉛鉱(PbS)でした。対州鉱山は1941年~1973年の30数年間で、鉱石を約500万トン採掘しましたが、その平均品位は鉛4%、亜鉛7%だったと言われています。

■この対州鉱山については、平成17年4月1日の改正鉱山保安法に基き、その後も毎年、事業廃止認可に向けた検査又は調査が、経産省九州産業保安監督部により実施されています。

●検査又は調査(平成20年度)http://www.nisa.meti.go.jp/safety-kyushu/kouzan/kensa/20tatiiri.pdf 
検査等年月日/鉱山名/鉱種/操業状態/検査等内容/結果/措置内容
H20.12.10-12/対州/鉛、亜鉛/稼行/鉱山保安法第47条第1項に基づき、「現況調査により判明した保安を害する要因を鉱業権者が適正に評価しその結果が保安規程に反映されるような体制となっているか」、「保安規程及び鉱業上使用する工作物等の技術基準等が遵守されているか」、「鉱山からの排出水が基準に適合しているか」、「集積場の保守管理状況」について立入検査を行った。/不適/特定施設(非常用予備発電装置)について、工事計画の届出を行うよう指導した。

●検査又は調査(平成22年度)http://www.nisa.meti.go.jp/safety-kyushu/kouzan/kensa/22tatiiri.pdf 
検査等年月日/鉱山名/鉱種/操業状態/検査等内容/結果/措置内容
平成22年9月29日~10月1日/対州/鉛・亜鉛/稼行/鉱山保安法第47条第1項に基づき、「鉱山からの排出水が基準に適合しているか」、「集積場及び鉱業廃棄物の埋立場の保守管理状況」について立入検査を行った。/不適/保安業務の実施(たい積場の水路の管理)について、指導した。

●検査又は調査(平成23年度)http://www.nisa.meti.go.jp/safety-kyushu/kouzan/kensa/23tatiiri.pdf 
検査等年月日/鉱山名/鉱種/操業状態/検査等内容/結果/措置内容
平成23年11月15~16日/対州しげくま/鉛・亜鉛/稼行/鉱山保安法第47条第1項に基づき、「現況調査により判明した保安を害する要因を鉱業権者が適正に評価しその結果が保安規程に反映されるような体制となっているか」、「保安規程及び鉱業上使用する工作物等の技術基準等が遵守されているか」について立入検査を行った。/不適/保安業務の実施(剥土の先行実施、現況調査の実施体制等)について、指導した。
注1) 操業状態の区分は、次のとおり。
   「稼行」:鉱業法に基づき鉱業が行われているもの
   「休止」:鉱業法に基づき事業休止認可を受けたもの
   「廃止」:鉱業法に基づき鉱業権が廃止されたもの
 注2) 結果の区分は、次のとおり。
   「不適」:鉱山保安法令に不適合等の事項が認められた検査等の結果
   「適」:「不適」以外の検査等の結果

 対州鉱山が、事業休止認可を得られたのかどうか、経産省のHPでは確認できていませんが、東邦亜鉛の関係者によれば、平成24年5月にようやく一般法に移行できたとして、サンパイ場も近いうちに使えるかもしれない、などとする発言があったことから、今年5月の連休明け頃、対州鉱山の事業休止が認可された可能性があります。しかし、「休止」であって、「廃止」ではないので、依然として東邦亜鉛は対州鉱山の鉱山権を維持していることになります。

■さて、東邦亜鉛は、2010年(平成22年)9月に豪州の鉱山会社であるCBH社の株式を100%買い上げて、「鉱山会社+製錬会社+リサイクル会社」の非鉄メジャー企業となりました。

 こうなると、1973年以前の鉱山保安法でいう遠隔地附属製錬所の状態にに戻ったことになります。東邦亜鉛を人一倍擁護してきた経産省ですので、近いうちに再度鉱山保安法を改正して、或いは、東邦亜鉛安中製錬所だけを対象にして、豪州の自社鉱山の“超”遠隔地附属の“山元製錬所”として復帰するかもしれません。

 地元住民としては、いっそのこと東邦亜鉛が、豪州の自社鉱山の近辺に安中製錬所を移設し、現地で豊富な石炭を利用して石炭焚き自家火力発電所を設けるか、現地の日本よりはるかに安いだろう電力を利用して事業を営むことを切望します。そうすれば、コスト的に、エネルギーをはじめ環境対策にしても、相当低減できる余地がうまれ、為替リスクも最小限となり、メリットは大きいと思われます。

 しかし一方では、東邦亜鉛の献金体質を熟知している自民党が、やすやすとそれを許すはずもありません。

■対州鉱山について、安中公害とほぼ同時期にイタイイタイ病問題が発生し、その当時、マスコミでいろいろ騒ぎ立てられました。その時の同社関係者による社内告発が大きな社会的反響を呼び、これが安中公害訴訟にも影響したのは確かでしょう。この記事のあとに、当時の内部告発文書をもとに1975年に発表された長崎大学の論文を引用します。これをみても、東邦亜鉛の二枚舌体質は現在まで脈々と息づいていることがわかります。

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出典:NAOSITE: Nagasaki University’s Academic output SITE
長崎大学学術研究成果リポジトリ
NAOSITE
 Title       東邦亜鉛対州鉱業所のカドミウム汚染―企業内部告発文書―
 Author(s)     岩根,繁俊
 Citation      経営と経済、54(4)、p.137-157;1975
 Issue Date    1975-03-31
 URL       http://hdl.handle.net/10069/27933 
 Right

東邦亜鉛対州鉱業所のカドミウム汚染―企業内部告発文言―
                 岩  松  繁  俊

<1>
 人類が,核戦争によってのみならず,文明の支柱とされる企業の地球汚染によってさえ,滅亡する危険性にさらされているとの認識は,いまや世界的に共通の認識となった。
 いうまでもなく,それらの危険性は,人類以外の外敵によってではなく,人類のなかの愚かな部分によって醸成されたのである。とりわけ,“高度経済成長”を至上としてGNP拡大に狂奔してきたわが国の巨大資本とそれに結びついた政府の責任は重大である。いまや,わが国では,銅,水銀,カドミウム,砥素,炭化水素,窒素酸化物,硫黄酸化物,鉛,一酸化炭素,化学農薬,放射能,PCBなどが,人体はいうにおよばず,全生物,水,空気,土埃にいたるまで,すべてを絶望的ともいえるほどに汚染し,日本はまさに“公害列島”として全世界にその名を知られるにいたった。
 “公害”先進国日本は,ポール・アーリック教授(スタンフォード大学)が指摘するように,良江における有吉ガス発生を最初に知らせるカナリアとおなじく,環境破壊による人知滅亡を最初に知らせる先導者の役割をはたしているというべきであろう。
 飲む水,食う食物,吸う空気――そのいずれにも全生物を滅ぼしてゆく毒がはいっている。 1972年6月,国連人間環境会議のあとスウェーデンを訪れた日本人にたいして,スウェーデンのひとびとか,「東京では日本人はガスマスクをつけて街を歩いているのですか」と責問した1)ということは,“公害”先進国日本の先導者的役割を世界中のひとびとが公認していることの結果といってもさしつかえないであろう。
 このように,世界中のきびしい目をもはやごまかすべくもない天下周知の“汚染列島”となりはてたわが国の多くの高度汚染地域のなかでとくに,西の果て,朝鮮に近い海に位置する長崎県対馬におけるカドミウム汚染について,拙稿はシリーズ的にとりあげることとしたい。
 わたしが拙稿の執筆をおもいたったのは,1974年5月10日,長崎県議会公害対策特別委員会の証人尋問を傍聴したときであった。そのときから若干の資料をあつめはじめ,それらをひとつの論稿にまとめる準備はできたのであるが,ほとんど同時に学内においてあかるみにでてきた医学部“不正入試事件”の調査のために,6か月もの長期間にわたり,精力をそがなければならなくなり,本橋への着手はまったくさまたげられてきた。
 拙稿の本来の目的は,東邦亜鉛対州鉱某所の周辺地域へのカドミウム汚染の実態を中心に,会社の汚染隠俵工作,監督官庁の会社にたいする姿勢など,汚染にかんする資本制大企業と官庁の基本的なありかたがいかなるものであるかを明らかにすることである。しかし,この目的を達するための第一段階として,わたしは,とりあえず,汚染をめぐってなされた各種の調査や報告の文書をできるだけ詳細・具体的に把握することに限定したい。これらの調査や文書の内容の要旨は,そのときそのときの時点で,新聞が事実関係の解説をつけて報道してきた。したがって,注意ぶかい新聞読者は,対馬・東邦亜鉛のカドミウム汚染とそのばくろ,イタイイタイ病患者の苦しみと発見という一巡の事件の流れについては,熟知しているところである。しかし,東邦亜鉛株式会社や官庁などの報告書の内容を原文のまま知る機会は,一般にはあたえられていない。本稿は,まず正確・具体的に事実を把握することが,科学的に思考し判断し批判し建設してゆくための第一の階梯であるとの立場にたって,入手しえた資料のうちからひとつだけを,紙面のゆるすかぎり,詳細に紹介してゆくこととしたい。
 空間的ならびに時間的制約のために,本稿では,できるかぎりわたし自身の解脱や見解を省略し,“原資料をして語らしめる”という方法をとらざるをえなかった。これらの原資料を“公害”反対の立脚点からどのようにかんがえ意義づけるべきか,ということについてまでふみこむべき余裕を本稿はもっていない。この資料の提示が,考察し熟慮し何らかの実践へふみだそうとするにあたってのささやかなひとつの契機となることを願うのみである。

注1)NHK社会部編『日本公害地図第二版』,1973,p.41

 なお,国連人間環境会議は,1972年6月5日より16日まで,ストックホルムで開催され,人間環境宣言のほか.百数十項目からなる環境保全勧告を採択した。
 この会議にたいする日本政府の消極的態度は,随所にあらわれていたが.政府首席代表大石環境庁長官の演説にたいする政府首脳の訓電は,政府の公害問題へのとりくみの真剣さの欠如を如実にしめすひとつの事例である。
 この訓電は,1972年6月5日外務大臣発の「極秘」「至急」電報であるか,その内容は日本政府の「公害」にたいする基本姿勢を正直にさらけだしている。
 “第2回人間環境会議の日本開催を,この段階で表明することは,わか国がいわゆる公害先進国であるという悪いイメージをさらに印象づけることにもつながるおそれがあること,わが国の環境問題に対する積極的な姿勢は10%という高率の拠出により十分国際的な評価がえられると考えられること,さらに第2回の開催についてはまだ確たる見通しのないことから,御如才なきことながら〔如才ないことでしょうが〕,発言を行なわないこととされたい。”(「毎日新聞」1972.6.11.)
 この訓電については,大石首席代表自身が“外務省は出先の情勢を十分掌握せずに訓令を出す。今のような現実の国際意識のない事務的な外交では,日本は立遅れるばかりだ。”(「毎日」同上),“事情を知らない若い役人が書類を作って,そのままハンコをついて訓令を出すようなことでは困る。もっと海外駐在の経験があり,国際的なことがわかる人が訓令を出すようになればいい。”(「朝日」1972.6.7.)と批判したほどであるが,この訓電のもつ意味は,「毎日」がその解説で批判しているように,自民党内にある“恥さらしだから第2回国際会議招致はやめろ”,“これ以上恥はさらさないでくれ”という声のあからさまな表現であり,“公害ダンピング日本”にたいする世界各国の非筑をさけ,環境行政の立遅れの実態や公害にむしばまれつつある経済大国の断面をきびしい“世界の目”からそらしたいとの卑劣な意図の表明といってよいであろう。
 なお,この国連主催の会議に対抗して,市民団体が自主的に運営する“人民広場”が同じ5日からスタートし,また各国専門家による“大同会議”は1日から,国連とスウェーデン政府の費用で設けられた“環境広場”も5日から,市民サイドで反戦とむすびつけたエコサイド反対を主要テーマにひらかれたことは,周知のとおりである。

<2>
 対馬の鉱山の歴史は1300年の昔にさかのぼる。しかも,それは銀山として活動を開始した。『日本書記』巻第二十九によれば,白鳳3年(紀元674年)3月7日,対馬国司守忍海造大国(つし、まのくにのみこともちのかみ しぬみのみやつこおほくに)が天武天皇にこの地で産した銀を献上した。そのとき,国司は「銀(しろがね)始めて当国(このくに)に出でたり。即ち貢上(たてまつ)る」といったという。日本書紀は,これに注釈をくわえて,「凡そ銀(しろかね)の倭国(やまとのくに)に有ることは,初めて此の時に出(み)えたり。故(かれ),悉(ことごとく)に諸(もろもろ)の神(あまつかみ)祇(くにつかみ)に奉る。亦周(あまね)く小錦(せうきむ)より以上(かみつかた)の大夫等(まへつきみたち)に賜ふ1)。」と記している。樫根・裏河内の銀(かね)の元坑が,銀採掘の中心地であったという。そのとき以来,堀川天皇の長洽元年(1104年)までの430年間に,毎年330キロの銀を産出した。その産出高は,徳川家光のころ(1650-1710年の60年間)最高となり,同時に鉛も産出することとなった。明治時代,古い廃石から亜鉛鉱を採取した数年をのぞけば,ほとんど休山状態にはいり,多数の権判者による分散所有の時代がつづくが2),1940年7月,東邦亜鉛の前身,日本亜鉛が樫根地区および近くの鉱区を買収した3)。この会社が,翌1941(昭和16)年9月,社名を東邦亜鉛株式会社と改めたのである。太平洋戦争激化による資材の入手難から,ふたたび休山となり,敗戦後1946年11月操業を再開し,1948年8月からは本格的な操業にはいった。 1937年群馬県安中に製錬所を建設していた東邦亜鉛は,敗戦後,大都市の銅,鉛などの焼けくずをほとんど全部買いしめ,また軍部・官庁(軍需省や鉱山局)や警察とむすびつき,さらに朝鮮戦争時における金ヘン景気に乗じて,急速に成長していった4)。この会社のなかで,対州鉱業所5)のしめる位置はきわめて大きかった。たとえば,社交『荒野を拓く東邦亜鉛』に,この鉱山が“会社の宝庫”であり,“神棚にでも祭って置きたい”ほどに貴重な存在であり,“東邦亜鉛の収益は,この鉱山に鉱石のある限り保証されている6)”とかかれるほどに重要な鉱山であったのである。
 東邦亜鉛株式会社にとって,まさに“宝庫”であり,高品質の鉱石をうみだす“良山”であって“神”さまあつかいされるほどに重要な対州鉱業所が,地元農民とのあいだには,30年間に数次にわたり,トラブルをおこしたのである。そのトラブルとは何であったか。
 1968年8~10月,対馬に取材し,カドミウム汚染を調査して,一書にまとめ,公害企業を糾弾した鎌田慧氏は,昨年3月中旬の「朝日」紙上に,つぎのようにかいている。
 “いまの“騒ぎ”は,この地区3度目で,それもこれまで2度のものとは,質を異にしている。これが最後の,それもほんとうのものになってほしい,と私は願う。
 1度目は,16年ほど前になる。増え続ける鉱害と減り続ける農作物の収穫に対して,この鉱山周辺の農民たちは起ち上がった。朝鮮半島の島々が見える海岸近くにある映画館では,対馬の歴史始まって以来ともいわれる住民大会まで聞かれた。ところが,その住民運動は間もなく,あっけないほど簡単に潰えた。鉱山によって議会の対策委員は買収され,反対運動の指導者もまた通じていたからである。
 そして〔2度目は〕それから10年後の〔昭和〕43年,鉱毒は人体被害として顕在化した。「イタイイタイ病騒ぎ」がそれである。そして,それもまたうっそりとした奇妙な沈黙の中にのみこまれて,間もなく姿を消した。それでも鉱毒だけは静かに川を伝って拡大し,人びとのあきらめと無力感の中で,カドミウム田の「買い上げ」の事実だけが容赦なく,苛烈に進行していた。これが要塞司令部と警察の権力にまかせて土地を買収して誕生した,鉱山の支配の歴史だった7)。”
 ここには,簡潔ながらも的確に,1957~58年および1968年のこの島での“騒ぎ”が要約されている。ところで,3度目の“騒ぎ”とは何だったのか。
 それは“朝日新聞紙上で明らかにされた対馬・東邦亜鉛対州鉱業所の企業内告発文書”によって“ひとつの真実”がばくろされ,“この地の人たちが沈黙を破り,公害告発の運動に踏出し8)”たことをさしている。この3度目の騒ぎが,これまで2度のものとは質を異にしていることの理由や原因を追及することは,本稿の課題をはるかにこえているが,質を異にしているという実態は,鎌田氏によってもすでに指摘されている。氏は,同紙でこうかいている。
 “鉱山は撤退を成功させた,かのように見えた。鉱毒は荒れはてた広大な田んぼと,「神経痛」に苦しむ幾多の住民と,無数の掘りつくした坑口と,まっ黒な巨大な沈殿池とを打ち捨てて,鉱山は無事東京に帰りついた,と思ったことだろう。しかし,いまやその鉱山は,企業の倫理と論理にだけ忠実だった鉱山は,鉱害調査の資料を偽造してまでも己れの罪を隠してきた鉱山は,ついにその罪過を白日のもとにさらし,世の指弾を受けることになった。企業の倫理がいかに住民の倫理と反していたか,企業の利益と住民の利益がいかに共存できなかったかが,いま明らかになった。住民蔑視の上にだけ成り立っていた支配者の倣岸さがその企業の中のギリギリの良心によって手痛いしっぺ返しを受けたのだった。それは私に対しても痛烈な一班だった。″
 “私は本当に企業の中からいつの日か,それこそ見るに見かねての告発者が現れると信じ切っていただろうか。また,この地で,それも鉱山の支配の中で生活する人たちの論理が,やがて企業の論理に打ちかつ局面が必ず現れると信じ切っていただろうか。”ところが,“住民とのその連帯をこの「内部告発者」が,身をもって示したのだった9)。”
 鎌田氏は,“被害者でありながらも被害者の立場にさえ自分の身を置くことができなかった,二重の意味での被害と重い支配の下にあった〔対馬の〕人たち”の“あまりにも重たいこの状況を見て,シッポを巻くようにして〔東京へ〕逃げ帰った”という。“正直いっていろんな思い10)”をしていた氏が,この3度目の“騒ぎ”に“痛烈な一撃”をうけたのである。それほどに,今回の“騒ぎ”は,衝撃的であった。今回は,まえと異なり,買収されたり,病気をかくしたりはしなかった。“こんどはみんな怒っている”,“わしらもこんどはやる”と対馬のIさんが鎌田氏に電話でかたったという11)
 ところで,この“騒ぎ”のきっかけとなった企業内告発文害にかんする「朝日」の記事というのは,どういうものなのだろうか。
 1974年3月8日付「朝日」の一面トップ記事は,“企業が公害隠ぺい工作”“対馬・東邦亜鉛のカドミウム汚染”“調査点で川ざらい採取水薄める”“元幹部が内部告発”などというタイトルで,前年末12月20日に閉山した東邦亜鉛対州鉱業所が,所長命令で,排水口近くの汚染された川底の土石を上流のきれいな土と取り替えて川を作りかえたり,国や県が採取した調査用の川の水をスキをみて薄めるなどして,公害を隠していた事実が,元鉱業所幹部の告発で明るみに出た,と報じたのである12)。日本分析化研の放射能データーねつ造事件は,分析値の操作が中心であったのに比し,今回のばあいは,企業が調査対象物そのものを工作してゆがめたというきわめて悪質な公害隠ぺい工作である。この隠ぺい工作によってゆがめられた調査資料にもとづいておこなわれた政府や県の調査が科学的な根拠をうしなうのは,いうまでもない。
 「朝日」のこの報道は,鉱業所の元幹部か公雪隠ぺい工作を内部告発したのだ,と報じているわけであるが,元幹部の某氏が内部告発した方法は,じつは,この記事から想像されるほどに単純なものではなかった。
 元幹部某氏の“氏名”は,いまでは秘密裡に一部のひとびとには知られているのであるが,まだ公表されてはいない。したがって,本稿でも某氏といっておこう。
 企業内部からの告発が,一般的にいっても,いかに困難で,それを実践するためにはいかに大きな勇気と決意と正義感が必要であるかは,容易に理解されうるところであるが13),とくに半封建的温情主義的な経営管理体質の濃厚な日本の企業で,会社幹部として,その会社のトップ経営に直接従事してきた人物が,多年自分の生活の糧と職場とをえていた公害企業に致命的打撃をあたえるであろう告発をおこなうということには,私企業の利害を超越しても社会や人間の倫理に忠実であろうとするきわめて旺盛な責任感と重大な決意とか必要であったであろう。鎌田氏は,某氏のことを“企業の中のギリギリの良心”“見るに見かねての告発者”,あるいは“ドタン場の良心”と表現して,その勇気ある行為を称揚している。
 しかし,その鎌田氏は,1973年半ばごろ,「佐須川流域農民有志一同」という差出人名儀で,その内部告発の資料をうけとったとき,その資料が会社幹部による良心的な内部告発文書だとは気づかなかったようである。佐須川流域農民有志一同という差出人の名張と筆跡とに不審をいだきなから,その文書の真実の執筆者をさがしだそうとの熱意をかきたてられることはなかった。むしろ,鎌田氏は,この文書を,えたいの知れない,やや挑発的ないやがらせに近い文書とさえうけとったようである。そのときの心情を鎌田氏は,真相をつかみあぐねている自分にたいして“「どうだ,参ったろう,教えてやろうか」と種明しされるのに似ていた14)”とのべている。同氏は,したがって,その資料をうけとってからも,早急にその資料を告発文言として活用しようとの気もおこらぬまま,数か月間それを放置していたようである。そして,東邦亜鉛対州鉱業所の閉山(1973.12.20)をとりあつかった原稿を『現代の眼』(1974. 2月号)のために執筆したとき,ようやくその文書について付随的にふれたのである。
 某氏が鎌田氏にその文書をおくったのは,東邦亜鉛を真剣に糾弾した書『隠された公害』の著者鎌田氏をおいて,信に自分のこの内部告発文書を有効適切かつまじめにあつかってくれるであろうと期待できるひとを知らなかったからであろう。某氏は,自分が告発文書の執筆者であることを明記することをさけ,「佐須川流域農民有志一同」という“架空”の差出人を考案し,“内部”告発ではないかのごとくに装おった。“執筆者(差出人)”を企業による被害に30年のつもるうらみをいだく農民の有志とすることは,鎌田氏はじめ多くのひとびとに,匿名について自然の感情をあたえるであろうし,ほとんどだれからもその内容の信ぴょう性について疑われることはないであろう。殿様のごとくに地元に君臨してはばからなかった東邦亜鉛対州鉱業所のばあい,“内部”告発がありえようとはまったくかんがえられないことであった。それは,鎌田氏の前述の引用文からも明らかである。
 しかし,“外部”告発にしては,その文書の内容があまりにも詳細であり,克明である。鎌田氏は,その文書の解釈にかなり戸惑ったことであろう。この形式と内容との非常に大きなちぐはぐさが,某氏の立場にたてばやむをえないこととはいいながら,うけとったものに複雑な反応をおこさせたのである。
 ともあれ,某氏は,怒った農民有志による“外部”告発を装おって,その告発文書を添田氏へおくり,それにつぎのような手紙をそえた。
 “鎌田慧様
此の資料は正確で聊かの誇張もない真実の記録です
貴殿の『隠された公害』を著書発行に到る迄の絶大な苦心と努力に敬意を哀しその空発に終る事を惜みての『隠した鉱害』の現実版証明の一部です
神岡・生野・土呂久・足尾等々,内地での鉱害補償に比べ,ここ国境の島,会社の村八分のもと,何んと淋しいことよ15)
 
 この手紙の最後の部分(第3パラグラフ)は,この文書の執筆者か,会社によって村八分の虐待をうけている地元農民であるかのごとくに表現しており,第2パラグラフは,鎌田氏の“絶大な苦心と努力”が“空発に終”らないように支援する農民的立場にたっているかのごとくにほのめかしている。
 元会社幹部の某氏は,このような擬装をこらしながら,“正確で聊かの誇張もない真実の記録”を提供した。
 「朝日」が,この文書を“元幹部”による“内部告発”として報道するまでには,相当長い時間と新聞社独自の取材活動とか必要であった。しかし,ともあれ,「朝日」は,この文書の款筆者が“元幹部”であり,その文書が“内部告発”であることをたしかめ,1974年3月8日付の紙面でこの告発にもとづく隠ぺい工作のばくろをおこなった。
 この報道が,当の公害企業・東邦亜鉛のみならず,地元農民,さらにはひろく“公害”問題に大きな関心をいだいて何らかの努力をつくしてきた庶民,調査機関,自治体,議会などにあたえた衝撃は,はかり知れないほどに甚大であった。そして,非常な決意をもって“告発”した某氏自身,この反響の大きさに,発病するほどであった。

注1)『日本書紀 下』坂本,家永,井上,大野校注,日本古典文学大系68,岩波,p.415
 2)長崎県重金属汚染原因調査班「長崎県厳原町・佐須川・椎根川流域におけるカドミウム等重金民による環境汚染の原因調査報告書」1973年3月,p.9
 3)農民からの土地買収のために,東邦亜鉛は軍隊と警察をつかった。鎌田慧『ドキュメント隠された公害―イタイイタイ病を追って―』1970,pp.65-67.
 4)鎌田,前掲書,p.70,pp.150-53.
 5)長崎県重全属汚染原因調査班,前掲報告書,15頁には,対州鉱業所の“昭和23年以降の出鉱量と精鉱量”が表示されている(48年2月20日,東邦亜鉛株式会社資料)。その表によれば,出鉱量も精鉱量も,亜鉛,鉛ともに,昭和25年度から急速に増大している。亜鉛の精鉱量だけを昭和23年度から46年度までについてしめすと,各年度の精鉱量はつぎのとおりである(単位はトン)。
(昭23年度)1017,(24)3688,(25)6124,(26)8042,(27)8777,(28)9576,(29)10765,(30)11748,(31)14611,(32)17944,(33)21119,(34)22222,(35)23700,(36)23505,(37)24786,(38)23175,(39)23339,(40)24818,(41)26065,(42)26028,(43)28968,(44)27759,(45)26993,(46)27204.
 6)わたしは直接,社史『荒野を拓く東邦亜鉛』を読む余裕がなかった。これは鎌田慧「対馬―東邦亜鉛ムラの終焉―」(『現代の限』1974.2月号,p.231)からの引用である。
 7),8),9),10),11)鎌田慧「沈黙を破った島―対馬の公害隠し告発に想う―」(「朝日」1974.3.16.文化欄)
 12)「朝日」1974.3.8.
 13)この点については,すでに拙稿「原水禁運動と“国民”」(『経営と経済』135号,p.87-88)においてふれておいた。しかし,某氏のごとき内部告発の重変性がますます大きくなっているにもかかわらず,その困難性はますます加重され,ほとんど禁止的重圧状態におかれているというべきであろう。それは,いうまでもなく,現在,政府が“改正”準備中の刑法に新設されるであろう「企業秘密漏示罪」「公務員の機密漏示罪」によって,内部告発か刑法上の犯罪とされる危険性の切迫にもとづく。今後,某氏のような“良心的な”内部告発者はあらわれえないのではなかろうか。反動的刑法に擁護されて,支配階級はますます堕落してゆくであろう。
 14)鎌田慧「対馬―東邦亜鉛ムラの終焉―」(前掲誌,p.232)。この論稿のなかで,鎌田氏は,はじめて,元会社幹部某氏の内部告発の“文書”についてふれた。しかし,同氏は,まだこの時点では,この文書が“元幹部某氏の内部告発文書”であることを知らなかった。
 15)鎌田,前掲論文,前掲誌,p.231.

<3>
 東邦亜鉛対州鉱業所の“公害隠ぺい工作”を内部から告発した“良心”の文書は,細心の注意をはらって“発表”された。すなわち,執筆者某氏の筆蹟から,某氏の氏名が会社側によってわれることを配恚したひとびとは,原文から直接,機械によるコピーをとることをせず,筆写したのである。
 この文書のタイトルは,
 対馬イタイイタイ病
   鉱害始末記
     (その隠したる
         鉱害実録)
と記載されている。
 内容は2編にわかれる。第1編はマスコミ編である。それは主として新聞記事の要約からなっている。重要なのは第2編である。第2編は“鉱害と対処編”と記されている。
 第2編は,さらに,(イ)(ロ)(ハ)の3つの部分から構成されている。もっとも,原文では,(ハ)とあるべきところを(ロ)としてある。すなわち,(ロ)が重複してかかれてあるのである。
 (イ)は“対州鉱山と佐須川”と題されている。ここでは,昭和43(1968)年3月までの対州鉱山から佐須川への放流の歴史的な事実が,各坑口毎にのべられている。
 小茂田港にそそいでいる佐須川は,全長12キロメートル。鉱山事務所は海岸より1.6キロメートル上流のところにあり,その横に選鉱場がある。
 主要な坑口は,上流から,日見坑(支流の日見川に而する),新富坑,第二ダム1),大奈坑,鶴恵坑,第一ダムなどである。
 ① 日見坑について。
 佐須川の上流2.5キロの地点で合流する支流・日見川を約970メートルさかのぼった川岸に面する日見坑の坑口は,1956年4月に開坑された。坑内水は無処理で放流された。その量は,この文書によれば,“1分間に平均4トン,月間約17万トン”に達するという。
 1959年6月,会社は坑口下の川岸に60M3の小さな沈澱池をつくったという。文書はその理由について何もかかず,記述もきわめて客観的で,自分の解釈や主観を即入せぬ冷静な描写でつらぬかれている。ともあれ,この沈澱池は小さすぎて,何の役にもたたなかった。そして,沈澱物の回収や掃除も1回もおこなわなかった。
 1960年6月,日見坑上流200メートルの川岸に2180M3の沈澱池を新設した。このとき以来,神出前所長の命令で,昼間は坑内水をこの沈澱池におくったが,夜間は日見川に放流した。これでみても,沈澱池が体裁をつくろうためのものにすぎなかったことが明白である。
 この間に,どれくらいの坑内水か日見川に無処理放出されたか,この「始末記」はその足を計上している。 1956年4月~60年6月(沈澱池新設まで)の4年間に,829万トン。60年6月から67年12月(パイプ放送完成)までの6年半に,夜間日見川に放流した足は449万トン。したがって,未処理放水量の合計は1278万トンに達する。
 ② 新富坑について。
 新富坑は佐須川の上流5.2キロにある鉱山殼上流の坑ロである。この坑口が開口されたのは1948年3月であった。坑内湧水量は1分間に1.9M3,月間約8万2000トン。 1968年8月,第一ダム沈殿池へ流送処理をするようになるまでの20年間に,放水された坑内水は1969万トン。
 ③ 第二ダム選鉱廃さい堆積場について。
 第二ダムは選鉱場の上流約1.6キロの地点,佐須川の水面より130メートル高い位置にある。構築されたのは1958年12月である。
 ここには,選鉱場から毎月5000~7000トンの鉱泥をおくっており,この「始末記」が執筆されたころまでの貯泥量は116万トンであるという。
 ところで,1961年7月27日の集中豪雨で,このダムが決潰して,619M3のスライム(選鉱滓)が佐須川に流出したという。このために,周辺や下流岸には,長期間にわたって,このスライムが残留した。とりわけ,900メートル下流の志多田の水田にはいったスライムは,いまなお水田中に残留しているという。
 第二ダムにためられた水は,浸透水として木樋をとおってダム暗渠前につくってあった小さな沈澱池(7.8M3)にはいり,そのオーバー水は260メートル下流の佐須川との合流点の川岸にもうけられた沈澱池(267M3)にはいった。その排出水量は,9年間で,188万トンであった。木樋の送水能力は1分間に1.0M3であったから,雨期や大雨時には,大量の滲出水がこの木樋をオーバーして佐須川に流出した。
 ④ 大奈坑について。
 この坑口は新富坑から1100メートル下流の佐須川岸にあり,1947年7月に開口された。坑内湧水は一分間に0.6M3,1か月に2万6000トンである。
 ところが,1947年7月~68年2月(第一ダム沈殿池にパイプで送水するようになった)までの18年5か月間,ここから佐須川に未処理で直接放水してきたが,その量は,572万8000トンであった。
 ⑤ 鶴恵坑について。
 坑口は鉱山事務所の対岸鶴恵沢の1.5キロ上流にある。 1956年4月に開口された。坑内湧水は毎分1.0M3,1か月4万3000トン。この湧水は,1967年12月,第一ダムヘパイプでおくるようになるまで(11年5か月間),無処理で佐須川に放流されていた。その量は約591万トンに述する。
 ⑥ 第一ダムについて。
 第一ダムは,1943年10月,選鉱場といっしょにつくられたが,本格操業にはいったのは1948年からである。ここには硫化鉱廃泥を貯泥した(1950年5月,堆積量30万トンの認可を申請)。
 1968年,佐須川流域にイタイイタイ病鉱害問題が発生したとき,ただちに坑内水,選鉱排水を集水し,処理し2)はじめた。
 しかし,1968年3月までは,未処理のまま,川に放水したのであって,20年間に無処理放水した量は1555万トンである。
 以上を綜合すれば,各坑口からの未処理坑内水放出総量は4400万トン,沈殿池排水量は1743万トンである。
 以上のように,「始末記」は,各坑口やダムの未処理放流について,数字をもって,客観的に指摘しており,その間,まったく自己の主張をさしはさんでいない。
 つぎに,「始末記」は,末処理坑内水排出水量のなかに,どれくらいのカドミウムかふくまれているかを計算する。その計算の基礎としては,1953年4月14日に九大農学部青峰重範数授が現地調査して,まとめた「佐須村鉱害土壌検査報告書3)」のなかの数値をもちいている。
 青峰報告によれば,坑内水中の亜鉛の含有量は平均6.5ppm,鉛のそれは0.1ppm,PH7.1である。そして対州鉱山の坑内水の水質は,亜鉛の1/80~1/120がカドミウムであるので,その平均をとって,亜鉛の1/100がカドミウムだとかんがえてよかろう。そうすれば,カドミウムの含有量は0.065ppmであるということができる。
 ところで,未処理坑内排出水総量は4400万トンである。したがって,放流されたカドミウム金属量は2860キログラムということになる。
 つぎに,「始末記」は,鉱泥についてのべている。
 各坑口からの放出水の懸濁物質ssは平均130ppmであるから,総排泥量は,排出水量から簡単に導出されうる。すなわち,570トンである。
 泥質は,1968年8月12日~23日の分析結果によれば,亜鉛が3200~5000ppm検出された。この亜鉛の1/70~1/120がカドミウムなので,平均すれば,カドミウムは35ppmである。
 地点別にくわしくみてみると,日見坑口下流のカーブの澱みでは,3210~7690ppmの亜鉛,第二ダムの沢下流では3260ppm,第一ダム東側放流点では17600ppm,同西側放流点では23100ppm,第一利氷点の宮前橋下では3500ppm,第二利水点の柳ノ本セキでは4020ppm,最下流の松木原セキで3050~4020ppmの亜鉛が検出された。
 この亜鉛の含有濃度から,さきほどの関係をもちいて,カドミウムの含有量を導出すれば,200キログラムとなる。これを,前述の坑内排出水中のカドミウム量と合計すれば,3060キロの金属カドミウムが佐須川底および下流水田中に流入したということになる。
 以上が(イ)の部分である。
 つぎに(ロ)(ハ)の部分についてのべる。(ロ)は“官庁調査と対処”と題され,1968年2月以降,イタイイタイ病鉱害問題が大々的にとりあげられるようになってからの官庁調査にたいする対処のしかたをのべている。そして,この部分は,基本的には(ハ)の部分と同一であって,“(ハ)鉱山保安監督・長崎県(保健所)採水・測定に対処”へ連続するものとしてとりあげられるべきである。したがって,「始末記」の分類にはこだわらず,連続的にとりあげていくこととする。
 まず,1968年8月の厚生省第一次調査について。
 厚生省の委託をうけて,長崎県衛生研究所および公害対策室が,佐須川・椎根川流域の広域環境汚染調査をおこなうこととなった(厚生省第一次調査)。
 (a) そのためには,まず,測定点(採水・採泥)を決定する準備調査をおこなわなければならない。県公害対策室長ほか1名が来山し,神出前所長とともに採取予定点を決定した(8月10日)。
 (b) 神出前所長は,8月12日,各採取点の河川水・河底泥の事前調査を部下に命じた。その結果明らかになったことは,きわめて当然かつ平凡な結論であった。すなわち,鉱山とは無関係な地点である経塚橋下(佐須川上流),日見川上流,椎根川上流では,カドミウムはほとんど検出されなかった。そして,鉱山の排出水点より下流の地点では,多量のカドミウムが検出されたのである。
 (c) そこで,神出前所長は,上席職員に命じて,8月13日以降,公害隠ぺい工作をおこなわせることとした。これが,悪質な隠ぺい工作の最初である。「始末記」は,ここでも冷静な筆致をもって,この重大な工作を記述している。
 まず,神出前所長が部下に命じたことは,日見坑下流,第二ダム下流,第一ダム東側川岸,悪水谷沈澱池下流の鉱泥の洗い流し作業を,夜陰に乗じて実施することであった
 つぎに,前所長は,鉱山と無関係な採取地点の泥,水にカドミウムが自然に多量にふくまれているようにみせるため,また,鉱山下流の関係地点ではカドミウム含有量が少量であるようにみせかけるため,8月24日~26日,つぎのような作業を命じたという。
 ① 日見川上流・佐須川上流・椎根川上流の無関係採取点には,夜のあいだに,鉛・亜鉛・鉱石をふくむ古代廃石の細石を4~6トン河底に散布した。
 ② 鉱山の関係地域採取点“日見川橋下・第二ダム下流・第一ダム下流(宮前橋下取水セキ前)・佐須川中流(柳本セキ)・久野恵沢上流・佐須川下流(松木原セキ)・椎根川悪水谷沈澱池下流・椎根川下流セキ”には,鉱石をふくまない無関係上流地の河川砂・泥を散布し,カドミウムの検出値が低くなるようにした。
 ③ 第一ダム排水口では,川岸のスライムをブルトーザーでおし流し,きれいな川砂を散布した。
 ④ 椎根川上流の河床露頭部に古代廃石を投入して,カドミウムの溶出を装おった。
 以上のような所長による隠ぺい工作のあと,厚生省第一次調査は,予定どおり,1968年8月27~28日,福岡鉱山保安監督局の立ちあいのもとでおこなわれた。
 この調査の結果は,昭和43年度厚生省公害読売研究委託費による日本公衆衛生協会カドミウム研究班報告「カドミウム等微量重金属による環境汚染に関する研究」.として,1969年3月20日,厚生省から発表された。
 その調査結果には,隠ぺい工作の“成果”が,きわめて歴然とあらわれている。“権威”ある厚生省の調査が,この隠ぺい工作によってゆがめられた検出値を,まことしやかに発表しているのは,きわめて劇的でさえある。
 「始末記」によれば,調査結果の検出値はつぎのようであった。
 ① 河川水について。従来ほとんどカドミウムが検出されなかった“無関係地点”の日見川上流で0.026ppm,佐須川上流で0.042ppm,椎根川上流で0.041ppmのカドミウムが検出された。この濃度はあきらかに異常な高濃度である4)
 つぎに,下流の鉱山地帯の濃度をみてみると,日見川橋下で0.002ppm,佐須川中流の第二ダム下流で0.006ppm,椎根川の悪水谷沈殿池下流で0.01ppmのカドミウムが検出された。これは正常値より低濃度である。
 ② 川泥および排水口の泥について。ここでも,無関係地点のカドミウム濃度が異常に高く,逆に鉱山地帯のカドミウム濃度が異常に低いのである。たとえば,日見川上流で5.20ppm(昔の値の7.5倍),経塚橋下(佐須川上流)で4.56ppm(4倍),椎根川上流で4.72ppm(3倍)であった。これにたいして,日見川橋下で14.6oppm(昔の値の1/4),佐須川中流では5.32ppm(1/3.6)であった。
 無関係地点でのこれらの異常測定値について,報告書は“この流域が地質的に重金属濃度が高いことや,かなり古い時代から採掘が行われていたことなども考える必要があろう5)”とのべている。このことについて「始末記」は,“神出前所長の……,上流の作られた自然汚濁・消された下流の川泥作戦が見事に図に当ったものである”との評価をあたえている。冷静に自己の意見をおさえて,客観的記述に徹している某氏の,これは唯一の見解表明に近い叙述であるが,しかし,これもなお,非常に抑制された表現であることにかわりはないであろう。
 それにしても,厚生省調査は,神出作戦にまんまとひっかかり,その結果測定された値の異常さを徹底的に究明しようとの姿勢をはじめからもっていなかった。それが“地質的に重金属濃度が高い”とか“かなり古い時代から”の採掘にも原因があるという非科学的説明でもって農民や世間をごまかしてなおすこしも恥じなかった理由である。
 つぎに,「始末記」は,(ハ)の部分で,調査のために採取された試料水への良質水の注入という形の“隠ぺい工作”をのべている。注入する良質水には,佐須地区水道の水源他の水をつかっており,カドミウムはほとんどふくまれていない。
 「始末記」によれば,具体的な事例は,つぎのとおりである。
○1968年11月28日,福岡鉱山保安監督局(福監と略す)が採水した悪水谷坑沈殿池排出水と椎根川中流セキの試料に良質水を1/2入れかえた
○1969年3月13~14日,福監採水で,日見川下流,同佐須川合流点,樫根下流,鬼ケ際下流,悪水谷下流,椎松川中流の各採水点の試料水はそれぞれ1/2を入れかえ,悪水谷沈澱池排出水は1/3にうすめた
○同年6月16~20日の福監採水で,第一ダム排出水を1/2に,悪水谷沈澱池排出水を1/3に,鬼ケ際下流を1/2にうすめた
○同年8月4~5日,県公害対策室と福監との合同の採水で,柳ノ本セキ,鬼ケ際下流,松木原セキの水をそれぞれ‰に,また第一ダム下流(宮前橋下)の試料を1/3にうすめた
○同年12月2日,県公害対策室の採水で,松木原セキの水を1/3にうすめた
○同年12月9~10日,福監の採水で,樫根沢下流,裏河内沢,柳ノ本セキ,久野恵沢の水,悪水谷沈殿池入水,椎根川中流水などの試料をそれぞれ1/2に,裏河内沢や鬼ケ際の水を1/3にうすめた
○1970年4月14日,福監の採水のとき,悪水谷沈殿池入水を1/2にうすめた
○同年7月2日経済企画庁から委託されて厳原保健所が採水したとき,松木原セキ水を1/2に,鬼ケ採水を1.4にうすめた
○同年10月14~15日,福監と保健所との採水で,日見沈澱池排出水,久野恵沢上流,裏河内沢,柳ノ本セキ水を1/2にうすめた
○同年12月10日,保健所の採水で,金田原セキ,柳ノ本セキ,松木原セキ水をそれぞれ1/2に,鬼ケ際下流水を1/3にうすめた
○1971年2月15~19日,福監と保健所との合同調査の採水で裏河内沢や久野恵沢の試料を1/2に,柳ノ本セキ,鬼ケ採下流水を1/3にうすめた。
○同年6月21~22日,福監の採水で,裏河内沢合流前水を1/4に,鬼ケ際下流水を2/3にうすめた
○同年10月21日,保健所採水で,松木原,鬼ケ際水を1/2にうすめた
○同年12月14日,福監採水で,裏河内沢流入前の水を1/3にうすめた

注1)ダムといっても,これは,水道・発電・治水・かんがい用などの貯水ダムのことではない。つぎの注参照。
 2)第一ダムにおける処理方法は,長崎県重金属汚染原因調査班の前掲報告書によれば,つぎのようなものである。
 “選鉱各シックナーの上澄水.精鉱濾過水,選鉱雑水等の諸廃水および日見坑内水,鶴恵坑内水,大奈,新富,久野恵,悪水谷坑内水ならびに安田坑外,裏河内,悪水谷坑内,佐須坑外,板際坑外の各沢水は,夫々導水管にて第一ダムに流送し攪拌タンクに導水し,石灰乳および凝集沈降剤(塩化亜鉛又は塩化アルミニウム)を添加,混合攪拌処理(フロック生成および生長)を行ない,集約ボックスを経てNo.1およびNo.2沈でん池に放流,フロックの沈でんを行なう。沈でん池は,No.1~No.3に分け極微細粒懸濁物を沈降,清澄化した後佐須川へ放流する。添加量,消石灰10950kg/月塩化アルミ8700kg/月”(前掲報告書,p.16)
 3)青峰教授による調査は,佐須村長井田秀夫氏の依頼によりおこなわれた。これは,佐須川の水を用水としている佐須村中央部の水田の作物の収量が,ふるくから著しく低位であるために,上流の鉱山の排水に有毒成分かふくまれているのではないか,との疑いか濃厚であったことにもとづく。青峰教授は,土埃,麦,水を採取し,これらについて亜鉛と鉛の量を定量し,これにくわえて,小規模の植物実験をおこなった。本報告書の結論部分で,青峰教授は,佐須村の土壌のなかには鉱害をうけているものがあり,その鉱毒の原因はZnおよびおそらくPbであるとのべている。このときは,いまだ,カドミウムの検出方法がなく,カドミの存在はまったく指摘されていない。作物への鉱毒も,主として亜鉛と目され(鉛の毒作用の可能性も予想されている),カドミの害は考慮されていない。
 なぜ亜鉛および鉛が土埃にふくまれているのかという点については,元来土壌の母材に多くふくまれているということと灌漑水とに帰せられている。灌漑水に多くふくまれるのは,鉱山の坑内からの排出水および沈澱池からの流出水か河川に入り用水としてもちいられるからであるか,このほかに“自然水にも合まれないとは断言できない”とのべている。これは青峰報告のもつ問題点のひとつである。
 さらに,青峰報告が“本村の作物栽培技術は低劣であり,収量の低い場所は直ちに鉱害が大であるとすることは危険である”とのべて,低収量の責任の一部を農民の技術に転嫁している。この点も,同報告のもつ大きな問題点である。
 4)この濃度が異常高濃度であることを知るためには,平常の濃度と比較する必要がある。その調査時点の平常濃度を知るすべはないので,ここでは,便宜上,前出の長崎県重金属汚染原因調査班の報告書(1973年3月)に引用されている調査結果によってみてみよう(「報告書」pp.51-56.ただし,若干手なおしした)。
 河川/調査地点/年月日  Cd ppm
佐須川上流/経塚橋/1966.11.   0.00
           68.8.28.   0.042
           70.7.2.   ND
           70.8.21.   ND
           70.12.10.  0.05
           71.6.    ND
           71.10,21.  ND
           71.11.30.  ND
           71.12.22.  ND
           72.1.20.   ND
           72.3.25.   ND
           72.5.22.   ND
日見川上流/白岳坑上/68.8.28.   0.026
           69.8.4.   ND
           69.12. 2.  0.003
           72.5.22.   ND
           72.10.24.  0.000S
椎根川上流/悪水谷出合上/68.8.27.  0.041
             72.5.22.  ND
             72.10.25.  0.0001
 なお,表中,NDは不検出をしめす。
 5)わたしはこの厚生省の昭和43年度研究被告書を参照することができなかった。これは「始末記」からの引用である。

<4>
 “見るに見かねての告発者”の「始末記」の主要部分は,以上に紹介したとおりである。この“内部告発”がいかに大きな衝撃と波紋を社会に投じたか,はかりしれないものがある。この点について論ずるとなれば,主題をあらためてとりあげる必要があるであろう。ともあれ,反公害の立場にたたざるをえない大衆は,この“内部告発”をこころから称讃し,支援し,連帯の意を表している。しかし,同時に内部告発者のおかれた状況からみて,その連帯の具体的ありかたについても,一歩すすめて考慮する必要があるであろう。
 “内部告発”の衝撃は,長崎県議会を勁かして,地方自治法第100条第1項の調査権を行使させた。県議会公害対策特別委員会は,1974年5月8~10日,証人を喚問し,関係人から事情聴取をおこなった1)。わたしは,5月10日の証人喚問の状況を終日傍聴した。この日喚問された証人のひとりは,検体への注水擬装工作の回数を,従来発表されていた13回でなく,すくなくとも21回であることを証言した。悪事はさらに明白にばくろされてゆくのである。しかし,この日,注目の神出前所長は病気を理由に出席しなかった。

注1)長崎県議会および公害対策特別委員会の告発活動は,もちろん,これだけにつきるのではない。同委員会の「調査報告書」によれば,“同鉱業所の元幹部職員の内部告発により明るみに出された”“カドミウム公害隠ぺい工作”は“地元住民をはじめ全国民に大きな衝撃を与えた。このことは,県民の健康と環境の保全上看過できない重大問題であり,県議会としては,この重要性にかんがみ,その真相を究明するため,”委員会に調査を付託した。委員会は,“その責任の重要性を認識し,今日まで,現地調査をはじめ証人等の喚問,及び関係人からの事情聴取,さらには関係資料の提出を求める等,活発な調査活動を行ない,その真相究明に鋭意努力してきた。”

(追記)本稿の執筆は,若干のかたがたからの貴重な資料の提供がなかったならば不可能であった。種々の配慮から,氏名を明記することは遠慮せざるをえないが,深く感謝の意をあらわしたい。         (1975.1.28)
**********

【ひらく会情報部】

※参考資料
■東邦亜鉛の経営理念http://www.toho-zinc.co.jp/keieirinen.htm 
当社は、
“顧客” を満足させる良質の製品・サービスを提供する。
“株主” の期待に応える業績をあげ、企業価値の増大を図る。
“従業員” の生活を向上させ、働き甲斐のある会社にする。
“地域” の一員として認められ、地域にとって存在価値のある会社を目指す。
以上をモットーに適正かつ最大の収益を目指して揺るぎない企業活動を遂行することにより、当社に関係するすべての人々の利益の増進と企業の発展・向上を図り、もって社会に貢献いたします。
■東邦亜鉛の環境への取り組みhttp://www.toho-zinc.co.jp/environment.htm 
当社は環境問題を経営の最重要課題として認識し、併せてコンプライアンス(法令遵守)経営の徹底を図るため、 平成12年10月全社に次のとおり当社の環境保全活動に係る指針として 「環境宣言」 を制定し、社員一人ひとりにこの周知を図りました。
またこの一環として、安中製錬所、契島製錬所、小名浜製錬所および藤岡事業所においてそれぞれ 「環境方針」 を策定し、各事業所におけるなお一層万全な環境マネジメントシステムの構築に向けて、国際認証規格ISO14001の早期取得を目指し、その結果、いずれの事業所においても平成13年中に認証取得を完了いたしております。
 今後も、責任ある企業市民として将来にわたって住み良い社会を形成するために、当社グループ全体の環境管理システムのさらなる向上を図り、たゆまざる努力を継続していく所存であります。

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