市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

天網恢恢か、はたまた? 禍福はあざなえる縄の如し

2008-08-31 20:40:00 | 首都高炎上とタゴ運輸
■群馬県安中市では、6月中旬から8月はじめにかけて、2ヶ月足らずの間に5件の交通死亡事故が発生し、5名の方が亡くなりました。そのため、安中市交通対策協議会は、8月17日に新聞折込で「交通非常事態宣言発令中」という黄色のチラシを配布したほどです。

チラシの内容は次のとおりです。

**********
交通非常事態宣言発令中
安中市内で死亡事故連続発生
約2ヶ月間で5名が死亡

発生日時/発生場所/甲/乙/事故形態
6月18日午後5時25分ごろ/国道18号交差点(信号機なし)・丁字路交差点/普通乗用自動車/自動二輪車(死亡)/右折×直進
7月5日午前5時35分ごろ/市道交差点(信号機あり)・十字路交差点/普通乗用自動車/軽四貨物車(死亡)/出会い頭衝突
7月12日午後8時45分ごろ/市道・直線道路/普通乗用自動車/自転車(死亡)/同方向
7月20日午前7時15分ごろ/国道18号線(碓氷バイパス)・カーブ/自動二輪車(死亡)/なし/自己転倒
8月10日午後9時5分ごろ/県道箕郷板鼻線/直線道路/普通乗用自動車/歩行者(死亡)/同方向

【注意事項】
★信号機は必ず守る
★すべての座席でシートベルトやチャイルドシートを必ず着用する
★カーブではスピードの出し過ぎに注意する
★交差点では前後・左右の安全を確認する
★早めにライトを点灯する
★歩行者は夜間、反射材などを使用する

安中市交通対策協議会
**********

■このうち、7月5日(土)早朝に発生した交通事故について、翌日の新聞各紙は次のように報じています。

**********
交差点で車衝突 57歳男性が死亡
 7月5日午前5時35分ごろ、安中市安中の市道交差点で、近くに住む農協嘱託職員Tさん(57)の軽トラックと、左から来た同市松井田町五料、会社員、N容疑者(54)のワンボックス車が出会い頭に衝突。Tさんは市内の病院に運ばれたが、胸を強く打って死亡。
 安中署はN容疑者を自動車運転過失傷害の現行犯で逮捕、同致死容疑に切り替えて詳しい事故原因を調べている。
 発表によると、現場は信号機付きで見通しのよい交差点。Tさんは田んぼを見に行く途中で、N容疑者は勤務先のゴルフ場に出勤途中だった。
**********

当会の調査によると、この交通事故で亡くなったのは、安中市土地開発公社巨額横領事件で単独犯とされ、千葉刑務所で服役中(既に仮釈放済み)のタゴの従兄弟の方でした。

この事故から約4週間後の8月3日の日曜日早朝、ほとんど同じ時間帯に発生した、タゴの実弟の経営する多胡運輸が起こした、首都高史上最悪の損害事故・・・。なにか因縁めいたものを感じざるを得ません。

■13年前に発覚した横領事件の刑事裁判で、平成8年1月18日の第5回公判で、裁判長に「こういうことを話しておきたいということはありませんか」とたずねられたタゴの妻は「ご迷惑をおかけした皆様には大変申し訳ないと思ってます。できるかぎりの償いをさせていただきたいと思います」と神妙に返事をしました。しかし、なぜかその後は雲隠れしてしまいました。

事件後、51億円事件の償いは安中市民にまかせっきりで、タゴの実弟は運送業で、実母は実弟の運送会社の役員で、息子は中古外車販売で、それぞれ事業を伸ばしたり始めたりしました。

事件発覚から13年という時間が経過し、安中市民の間では事件が風化し、事件発覚直後は右往左往した関係者の脳裏から、緊張感がすっかり消えてしまうにつれて、巨額の横領金の行方は、このまま不問にされるところでした。

■ところが、今年に入り、タゴの実弟を通じて元職員タゴと親しく交際のあった政治家が経営していた学習塾(安中市安中3784-1)が総額3億7600万円の負債を抱えて、1月22日に民事再生手続開始を申し立て、同24日に監督命令が出たのを契機に、運命の歯車が逆転し始めたかのようです。

この後、このまま運命の歯車が逆に回り続けるのか。それとも、13年前と同じく、必死にもとに戻そうとする勢力が再び台頭するのか、首都高炎上事故の推移がとりわけ注目されます。

【ひらく会情報部】


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8月29日NHK特報「首都高“炎上”衝撃対策」を見て感じたこと

2008-08-31 01:11:00 | 首都高炎上とタゴ運輸
■8月3日(日)早朝、首都高5号線で発生した衝撃的なタンクローリー横転炎上事故から4週間ほど経過した8月29日(金)の夜のゴールデンタイムの19:30~19:58にかけて、NHKが「特報首都圏:首都高“炎上”の衝撃〜都市型道路の弱点〜」「徹底検証首都高“炎上”の衝撃対策は」と題して、特集番組を放送しました。

この首都高炎上事故については、事故発生当日、炎を上げて燃え盛る事故現場のシーンが当日及び翌日のテレビや新聞で報じられました。国交省幹部も8月4日(月)午前に、いち早くマスコミに、事故を起こしたのは多胡運輸であることを伝えました。ところが、8月5日(火)に国交省関東運輸局が多胡運輸を立入監査したことを一部のマスコミが報じた後は、首都高速道路会社が提供する復旧工事の進捗情報の記事がときどき掲載される程度で、不思議なことにこの首都高炎上事故に正面から取り組もうという姿勢はマスコミには見られず、炎上事故のことは北京五輪などの話題の影に追いやられた格好でした。

このまま事故の真相はうやむやになるのか・・・と思われた、そのような時に、天下のNHKが特番を報じたため、内容に関心を持ってご覧になった人も多かったと思われます。

■番組の解説によれば「8月上旬、首都高速で起こったタンクローリーの横転・炎上事故は復旧まで数ヶ月かかる、首都高速始まって以来の事故となった。現在、交互1車線が仮復旧したものの、周辺の一般道に車があふれ慢性的な渋滞が続いている。事故によって去年開通した中央環状線も通行止めになり、医薬品などの物流にも遅れがでるなど影響が出ている。今回の事故は、上下に重なって走る道路の下で事故・火災が発生し、その熱で上部の道路が大きく損傷したもので、これまで想定されていなかった事故だ。都市の基幹道路をどう守っていけばよいか、都市型道路ならではの弱点などを徹底検証すると共に、事故と検証しながら対策を探る」と銘打って、出演が西東大、ゲストに横浜国立大学大学院の中村文彦教授を起用してこの事故について報じました。

しかし、天下のNHKが、総力を挙げて(?)取材したこの番組を見たあと、どうも腑に落ちない気持ちがしたのは当会だけなのでしょうか。

■この番組の内容から判明したこととして、視聴した人それぞれで異なるかもしれませんが、当会では次の点を挙げたいと思います。

1.事故の影響が予想をはるかに超えて大きいことをあらためて痛感した。
2.環7、環8、山手通りなど、事故発生箇所が通行できなくなったため、渋滞が発生し、それを避けるために近道や裏道を抜けようとして、周辺部がどんどん混雑し、その影響は埼玉県まで及んでいる。
3.このため、運送会社はジャスト・イン・タイムでの配送サービスが間に合わなくなり、新たに人を雇う必要が生じた。
4.その結果、一人当たり月30万円もの余計な人件費の出費を余儀なくされ、事故による迷惑や損失は莫大な金額に上っている。
5.事故対策がテーマの番組だが、結局、「方策はまだ見つからない」という現状を指摘しただけで、あとは「運転手のマナー、教育に注力するしかない」というのが番組の結論だった。
6.一方、事故の原因や責任の所在、事故に絡んだ企業などの名前などには全く触れられなかった。

■これほどの大事故が発生すれば、死亡者が出なくても、重傷を負った運転手や、その所属先の企業名について、マスコミは必ず報じると思われます。テレビや新聞で詳しく報じなくても、週刊誌が報じるはずです。ところが、今回は、テレビも新聞も週刊誌も、異常なほどこの炎上事故を起こした関係者について、関心を示そうとしません。

この状況は、平成7年6月3日に公に知られることになった安中市土地開発公社を舞台にした、地方自治体では史上最大級の巨額横領事件の時と似ています。

安中市土地開発公社の51億円横領事件の場合、発覚直後は、容疑者の身辺や、警察の捜査状況を熱心にマスコミが取材して報じていましたが、容疑者が起訴され、最初の刑事裁判がひらかれた8月下旬になるころには、急に潮が引くように事件の報道が為されなくなりました。一方で、当会に寄せられた事件に関連したさまざまな情報は、全て警察に通報しましたが、それをもとに警察がどのような捜査をしたのか、あるいはしなかったのか、警察からの捜査状況や結果についての当会への連絡は、全くありませんでした。

■前述のように、平成7年6月から7月にかけて、当時、当会には大勢の市民からいろいろな情報がもたらされました。それらの中でも「政治家が関与している」という情報は終始付き纏いました。しかし、不思議なことに、公社職員を兼務していた安中市役所の職員一人だけが起訴されただけで、平成7年の10月には事件が事実上幕引きされてしまったのでした。

その後、長い年月をかけて、苦労して、ようやく刑事記録を入手しました。ところが、開示された刑事記録は全体の4分の3程度でした。最も注目される残りの4分の1の情報については、その後、当会が提起した4件の損害賠償請求や無効確認訴訟で、事件の全貌を明らかにする必要があるとして裁判所を通じて、検察から取り寄せるよう何度もお願いしましたが、2件の税務情報以外は全て、裁判官に拒絶ないし無視され続けました。

それでも、51億円事件で提起した4件の住民訴訟のうち、最後の訴訟の東京高裁控訴審で、それまで、黒塗りのままだった横領金の使途先の情報について、黒塗り解除されたものを原告住民に唯一示されました。しかし安中公社51億円事件の核心に関係しているのではなかと期待される情報は、いまだに前橋地検に保管されたままとなっています。

■巨額横領により、住民は、損害賠償請求訴訟を提起しました。ところが安中市は、「土地開発公社を舞台にして起きた事件だから、別法人なので、安中市には被害がない。したがって、安中市の住民に被害がないから、住民訴訟による損害賠償請求は成り立たない」として裁判所は全て住民敗訴の判決を出しました。

安中市土地開発公社51億円巨額横領事件で、マスコミや司法当局がみせた、消極的な対応や、常識では考えられない異常な判断姿勢を目の当たりにした当会では、13年後に奇しくも発生した横領犯の親族が経営する会社が起こした大事故でも、同じような得体の知れない巨大な力が働くのではないかと心配しています。
この懸念は、8月5日のニュースで運輸会社名が多胡運輸であることを知ってから、ずっと継続しています。そして、その懸念はおとといのNHKの報道振りを見て、確信に一歩近づきました。

13年という時の流れを隔てて起きた2つの事件・事故を慎重に分析しつつ、背後にある巨大なものがいったい何かを、探り当てて行くのが当会の当面の活動目標です。

【ひらく会・多胡運輸首都高炎上事故特別調査班】

写真は上から順に、8月24日現在の多胡運輸の様子(事務所、ローリー、トラック群)



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多胡運輸との関係は?ホクブトランスポート社に関する中間報告

2008-08-18 01:37:00 | 首都高炎上とタゴ運輸
■8月3日(日)早朝5時52分ごろ、首都高5号線下り車線で発生したタンクローリー横転炎上事故から2週間が経過しました。いまだに、事故の真相ははっきりしません。事故を起こしたのが多胡運輸であることは、4日に国交省がマスコミに発表しましたが、その後、謝罪の記者会見も行われる気配もなく、事故の詳しい経緯も闇のなかです。これは、安中市土地開発公社51億円巨額横領事件のときとよく似た状況です。

限られた情報下にもかかわらず、ネット上には、これまでにいろいろな書き込みがなされております。それによると、多胡運輸のタンクローリーは、8月3日未明に、東京都江東区にある出光興産株式会社の東日本物流センター東京油槽所(住所:〒136-0083 東京都江東区若洲13)でガソリン16キロリットルと軽油4キロリットルを積み、埼玉県内のガソリンスタンドに向かっていたようです。

8月4日、出光興産広報担当に問い合わせたら、①事故を起こしたのは弊社のカンバンローリーに間違いない、②事故を起こしたのは二次下請け運送会社(所謂、孫受け会社)、③出光としては今の所、対策を協議中なるも現時点では関連するコメントは謝罪を含め、一切発表していない、④謝罪コメント等は、昨今の親企業としての姿勢を厳しく問われる世論風潮等を考慮しつつ、断言は出来ないがこれから今後の弊社の対応姿勢を検討する、という内容だったというネット情報もあります。

また、8月4日に、出光の一次下請け(所謂、元請)のホクブトランスポート㈱が、報告書を出光興産に提出した、という情報もあります。従って、下請けの構図は、出光→ホクブトランスポート→多胡運輸だとする情報も飛び交っています。

■そこで、ホクブトランスポートを調査してみました。まず、ホームページを検索したところ、http://www.hokubu-unsou.co.jp/ をヒットしましたが、既に閉鎖されていました。それでも、粘り強く検索したところ、いくつかの関連データをダウンロードできました。(後述参照)

このほか、ネット上には、いろいろな情報が入り乱れています。主なものの要旨を挙げると、「北部は某政治家一族経営」「社長の愛人が事務員にいる!」「これは間違いなくリミ切り・手抜き整備・タコメーターなんかを組織ぐるみでいじっているな」「群馬県の政界が絡んでいると思われる。業者の責任追及がないのは、このためか?」「この運送会社、地方政治的にはいろいろ起こしているそうな。運送会社が、マスコミに取り上げられないのは、群馬の有力な政治家と関係があるからじゃないのか?」「ホクブもここに名前が挙がったとたんにサイト閉鎖してダンマリ決め込む気なんだな」「ホクブ社長の実弟は某政治家事務所で秘書しています。間違いなく政治の力が介入しているでしょうな」「某政治家が電話一本で報道規制から捜査まで一切をコントロールしちゃってるのかな」「デカイ事故は先生頼みですから。今も昔も先生の力は絶対です」「恐るべし・・・総理出身地!」「有力政治家とコネがあるからって、謝罪もなにもないのは許されるのか!?」「許されちゃうんです。それが政治力ってやつです。そのおかげで事故もなくなりません」などなど、仰天のコメントも並んでいます。

無論、これらの情報の真偽を確認する術はありませんが、ネット上を検索してみると、問題点はやはり「事故に関する謝罪会見が開かれないために、真相が分からない」という庶民のもどかしさだと思われます。事故がなぜ、どのように発生したのかわからないと、再発防止の対策も、責任の所在も分からないからです。

■というわけで、多胡運輸との関係については全く分かりませんが、ホクブトランスポート㈱について、調査しました。その結果、いろいろな事実が判明しました。ホクブトランスポートのHPは現在アクセスできない状態ですが、当会が苦心してダウンロードした情報は次のとおりです。

**********
【同社社長の挨拶】
 弊社は昭和32年「高崎市北部運送有限会社」として誕生し、昭和44年「北部運送株式会社」と改め、現在に至っております。
 今日まで、社訓「信念こそ総ての完遂につながる」を旨とし、お客様から「信頼・信用」を得られるよう、経営理念である「安全・安心・安定」したサービスの提供に取り組んでまいりました。
 現在、経済のグーロバル化が進み物流統合やより一層の効率化が求められる中、弊社と致しましても新しい流れに対応すべく北部グループとして協力会社35社と共に総拠点数50を超える広域ネットワークを構築致しました。
 またお客様からの「信頼・信用」を得るのに不可欠な安全に対する取り組みについても、お客様からの多様なニーズに応えられる安全レベルを達成・維持すべく日々様々な活動に取り組んでおります。
 2004年2月にはISO9001:2000を本社並びに群馬支店にて認証取得し、サービス提供の品質向上を図るとともに、企業ブランドとしての「北部ブランド」の構築を目標として掲げ、今年度からは「北部ブランド」構築に向けての新プロジェクトもスタートさせており、お客様からの「北部ブランド」としての「信頼・信用」が得られる活動が出来ればと思っております。
 平成19年2月には創立50年の節目となりました。
 9月に社名も「ホクブトランスポート株式会社」に改称、今後も今までと変わらず「ホクブ」の愛称で危険物輸送の社会的使命に徹し、自らが先頭に立ちお客様からの要望に応えられる総合物流会社として更なる品質向上を目指し、全社員が一丸となり進んで参る所存であります。
 今後とも皆様の変わらぬご指導とご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

【ホクブトランスポートのデータ】
社名:ホクブトランスポート株式会社
本社所在地:〒370-0803 群馬県高崎市大橋町51番地
TEL:027-361-3977(代)
FAX:027-361-7697
MAIL:info@hkb-trp.com
創立:昭和32年2月
代表取締役社長:梅山立之(うめやま・たつゆき)
資本金:6千万円
従業員数:グループ総員数 1,100人超
車両台数:グループ総台数 1,000台超
営業所:
 関東事業本部:北関東エリア:群馬支店、栃木支店、長野営業所※
        南関東エリア:埼玉支店、北東京支店、千葉営業所※
 東北事業本部:仙台支店、小名浜営業所、青森営業所、八戸営業所
協力会社:47社(関東32社、東北10社、中部5社)
営業品目:一般貨物事業者運送事業
     事業者運送取扱事業
役員:代表取締役会長   梅山立夫
   代表取締役副会長  友野 亘
   代表取締役社長   梅山立之
   常務取締役     大森定七
   常務取締役     塩野入純也
   常務取締役     山本 哲
   常務取締役     正木一光
   取締役       後藤清久
   取締役       阿部義行
主要顧客先:アストモスエネルギー株式会社・出光興産株式会社
      伊藤忠エネクス株式会社・岩谷物流株式会社
      兼松ペトロ株式会社・三愛石油株式会社
      シナネン株式会社・大陽日酸株式会社
      橋本産業株式会社・マルハ産業株式会社
      丸紅ガスエナジー株式会社・丸紅エネルギー株式会社
      三井液化ガス株式会社 他 燃料油・液化石油ガス販売各社
取引銀行:群馬銀行・みずほ銀行・三井住友銀行・東和銀行・商工中金
     八十二銀行・足利銀行・りそな銀行
沿革:昭和32年 2月 高崎北部運送有限会社を創立
   昭和40年 2月 石油類及び液化ガスの輸送を開始
   昭和44年 7月 組織変更し、社名をホクブ運送株式会社に改称
   昭和45年 5月 仙台支店を宮城県多賀城市に開設
   昭和48年 4月 液化石油ガスバルク輸送を開始。(東北地区)
   昭和50年10月 青森営業所を青森県八戸市に開設。
   昭和56年 8月 群馬支店を群馬県佐波郡玉村町に開設
   昭和57年 4月 高圧ガス貯蔵所設置許可
   昭和58年 3月 青森営業所を三戸郡五戸町に移転
   昭和58年 4月 埼玉支店を埼玉県北葛飾郡杉戸町に開設
   昭和58年11月 小名浜営業所を福島県いわき市泉町に開設
   昭和60年 6月 青森出張所を青森県青森市に開設
   昭和61年 4月 千葉支店を千葉県市原市に開設
   昭和61年12月 埼玉支店を埼玉県春日部市に移転
   平成元年6月 仙台支店を宮城県黒川郡大衡村奥田に移転
   平成元年11月 長野支店を長野県小県郡東部町に開設
   平成2年12月 栃木支店を栃木県佐野市に開設
   平成4年11月 南信営業所を長野市塩尻市に開設
   平成5年1月 横浜営業所を神奈川県横浜市に開設
   平成6年3月 横浜営業所を厚木に移転、名称を神奈川営業所に変更
   平成6年7月 鹿島営業所を茨城県鹿島郡神栖町に開設
   平成6年9月 保有車両500台を突破
   平成8年7月 名古屋営業所を愛知県安城市に開設
   平成9年7月 関連会社サンヨーコーポレーションを設立
   平成10年8月 南信営業所を廃止
   平成12年4月 鹿島営業所を業務提携により譲渡
   平成12年5月 名古屋営業所を業務提携により譲渡
   平成12年8月 埼玉支店を埼玉県杉戸町へ移転
   平成12年10月 神奈川営業所を業務提携により譲渡
   平成14年4月 青森営業所を八戸営業所へ、青森出張所を青森営業所へ名称変更
   平成16年9月 北東京支店を埼玉県所沢市に開設
   平成17年10月 資本金を3千万円から6千万円に増資
   平成19年2月 創立50年
   平成19年9月 社名を「ホクブトランスポート株式会社」に改称
   平成20年3月 関東地区を南北エリアに分け、エリアマネジャーをおく
   平成20年3月 千葉支店を千葉営業所、長野支店を長野営業所へ名称変更
**********

■当会の緊急調査によると、ホクブトランスポート社は、かつて、K木材という群馬県のみならず関東でも有数の材木問屋の木材を輸送していたことで知られています。この材木問屋は、大物政治家の生家として著名ですが、現在は、同社会長宅から程近い大八木工業団地の一角に位置しています。

■さて、梅山会長宅から、高崎方面に向かい、第一病院のところで、渋川街道に出て、信越線の北高崎駅の手前の交差点を過ぎて直ぐに右側(西側)に、梅山会長が経営するホクブトランスポート株式会社の本社があります。2階建ての建物の1階がホクブトランスポート㈱で、2階が関連会社の三愛物産㈱とサンアイサービス㈱となっています。ここは本社事務管理機能のみで、車両ターミナルではありません。自宅から本社まで2キロ余りなので、車だと5分程度です。


というわけで、ホクブトランスポートは、過去に、北部運送と名乗っていた頃、大物政治家の生家の事業と接点がありましたが、現在もその関係が続いているのかどうか、また、同社と多胡運輸との元請、下請の関係が事実かどうかは、依然として確認できていません。

しかし、ホクブトランスポート㈱の主要顧客先に出光興産がリストアップされているのは事実ですし、多胡運輸の駐車場には、昨日もアポロマークを付けたタンクローリーが多数並んでいました。


それにしても、梅山会長宅も多胡運輸本社も、長野新幹線の高架の直ぐ脇に立地しているのは面白い共通点です。

■今回、事故を起こした多胡運輸のタンクローリーは、アポロマークを付けていたのは間違いないようです。また8月3日未明に発生した首都高の事故現場からみても、東京都江東区にある出光興産株式会社の東日本物流センター東京油槽所でガソリンと軽油を満載した可能性は高いと思われます。いずれにしても、多胡運輸の多胡茂美社長は事故の後処理で奔走して多忙なため、謝罪会見を開く暇がなさそうです。関係を噂されているホクトトランスポート社としても、ぜひ記者会見、あるいはホームページの再開などで、きちんとした形での事実関係を公表していただきたいものです。

当会では、引続き、多胡運輸に関わるいろいろな情報を収集し調査してゆきたいと考えております。今回の首都高炎上事故に関する情報、多胡運輸に関する情報など、どしどしお寄せ下さい。

【ひらく会・多胡運輸首都高炎上事故特別調査班】

※8月30日01:14 文中一部表現を変更しました。

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13年前の51億円横領事件、知られざる発覚前夜(その4)

2008-08-17 18:13:00 | 安中市土地開発公社事件クロニクル
<平成7年5月29日~6月9日逮捕まで>

■平成7年5月18日に安中市土地開発公社で発覚した借入残高の不一致は、史上最高額の横領着服事件の全容露見を告げる合図でした。そして6月3日の新聞報道、6月7日のタゴ逮捕に至ったわけですが、奇怪なことに市・公社もタゴも、そして群銀さえも、犯行は秘密口座を使った1990年4月16日から5年間だけのサギ行為であることを強調。それ以前の正規口座を利用した横領についてはなぜか誰も取り上げようとしませんでした。こうした疑問の数多くが未だに当事者の口から真相について語られないまま、現在に至っています。事件関係者の供述や陳述を突き合わせ、時間の流れをたどってみると、つじつまの合わない点がたくさんあることに賢明な皆さんは気付かれたと思います。今回は平成7年5月29日の不可解な1日からタゴ逮捕までを振り返ってみましょう。

▼5月29日(月)
 午前9時、公社のTH、TK、TDが建設部の縦覧室にタゴを呼び出して事情聴取。
 タゴの話を聞いたところ「29日にIと会えた。カネは別の口座に入っているので(ある所にストックしてあるので、とも言ったという)必ず穴埋めできる。当時安中支店の融資担当の代理をしていたIがカネを運用していた。I課長は高崎の自宅を処分し金利を作ると言っているが、差は1億円以内で、金利の不足分はオレが責任をもって支払う。TH係長やTK、TDには迷惑をかけない。Iは12時頃支店長と会うと言っていた。Iから銀行に電話を入れてもらい、支店長と相談したうえで、オレが今日の午後3時に安中支店長と会って話をつける。その結果を夕方までに報告する」などと言った。公社のTH係長は「3時に(タゴが)支店長に会う時は同席する」とタゴに言った。
 午後3時に社会教育課にタゴが退席したかを確認したところ、「3時から休みをもらった」と教育課の者が言ったので、THらは市役所のすぐ前にあるタゴの家を見に行った。ちょうどその時、タゴは車で出て行った。
 THらはその前に安中支店次長に「タゴが行ったら電話をくれ」と頼んでいたところ、4時20分頃、群銀Y次長から電話があり、「タゴが来ていない」とのことだった。慌ててTH係長とTKが群銀に行った。
 THらが安中叉店に「Iから電話があったか」と聞いたところ、「一切ない」と群銀が答えた。支店長Mが本店審査部調査後のIに確認したところ、Iは「(タゴとは)2月の結婚式以来会っていない」と言った。
 TH係長らはその後市役所に戻り、市長に報告し、銀行を市役所に呼んだ。
 午後5時にタゴから公社に電話があり、「TH係長はどうした?」とタゴが聞いたので「銀行に行った」と答えたところ、タゴは「じやあいい」と切った。その間、タゴは役所や自宅にも戻ってはいなかった。
 午後7時支店長Mと次長のSとYが市役所に来た。市長が指摘をし、群銀が答える形で話合いが行われた。市側・群銀側双方がテープを取りながら会談をした。再度、Iの件を話した。I本人に確認してくれと市側が要請した。
 「タゴ本人を呼んでこい」ということになったが本人が所在不明だった。午後6時頃、子供だけがタゴの家にいた。「お父さんもお母さんもいない」とのことだった。
 午後7時10分頃、再度本人を呼びに行ったところ、子供もいなかった。
 午後11時くらいまで、公社職員は帳簿等の調査をしながら、タゴの帰りを待っていた。
 午後11時頃、TH係長宅にタゴの妻から電話があり、「本人は出られない。本人は錯乱状態で初めて話を聞いた」と言ってきた。「今どこにいるんだ」とTHが聞くと「遠い所にいる」とタゴの妻が言うので「とにかく明日出て来い」とTHは言ったという。子供も一緒にいるとのことだった。午後11時30分にTHが市長に連絡した。
 その後、職員全員(市か公社かは不明)に連絡し、午前0時頃集合、タゴの身内にも連絡を取り、午前2時30分まで捜索したがタゴは見つからなかった。
【注1】この問題の経緯について、タゴの妻は次のように供述している。
 午後3時頃、店から目宅に帰った。20~30分後にタゴが帰ってきた。妻は「どうしたの?」と聞くと、タゴは「代休をとって帰ってきた」と言ったが、とくに変わった様子もなく、その後2人で市内に買物に行き、午後4時頃自宅に戻った。妻は車から降りたが、タゴは「出かけてくる」と言い残して、どこかへ出かけた。
 午後6時頃、市役所の人が訪ねてきたが二男が対応に出るとすぐに帰った。妻は(市役所の人が)何かの用事で来てくれたのならタゴに連絡を取らなければと思い、タゴの持っている携帯に電話をかけたが通じなかった。電話番号が使われていないということだったので妻は何かの都合でタゴが(番号を)変更したのだと思った。
その筆少したってからタゴから雷話があり、「子供を頼む」と話してきた。「何かあったのか?」と妻が問うと、タゴは「じゃあ話し合おう。長野方面に行け。携帯電話を持っていけ」と言った。妻は二男を連れてタクシーで軽井沢に向かい、そこで別のタクシーで小諸方面に向かった。
 途中タゴから電話が入り、小諸駅で待ち合わせをして、先に妻が待っていた。1時間以上待つとタゴが来て、妻と二男が車に乗り、小諸市内のホテルに泊まった。子供を寝かせたあと、タゴが「群銀のカネを37億使い込み、昨日自殺しようと思った」などと妻に告白した。
【注2】また、公社のK局長によると、この日の午後7時に、安中支店の支店長と両次長を市役所に呼んだとき、市側の出席者は小川市長、須藤助役、青木収入、K局長、TH係長、TH、TDの7名だった。この時M支店長らは前と同じようなことを主張していた。
【注3】タゴはこの日の出来事について次のように供述している。
タゴは29日には公社TH係長と会っていない。「29日になってTH係長から問い詰められたとか、月曜日(29日)にも出かけて行って、支店長代理のIに会って穴埋め出来ると言った」などとTH係長の調書にあるそうだが、タゴはそういう話を29日にした記憶はない。29日にはタゴは午後大事で役所に居られなかったので帰った。そのあとTH係長らには会っていない。ただ31日に事件が発覚して市長に呼ばれた云々という時には、当然会っているが。
【注4】この日、タゴは時間休4時間を取って早退したことに勤怠簿上でなっている。

▼5月30日(火)
 朝、TH係長宅にタゴから電話があり、「今日は行けない。明日には帰るので、31日午後話をしたい」と言ってきた。
 午後1時30分、タゴは帰宅したらしく、タゴの懇意にしている知人が本人から事情聴取していた。知人の話では、タゴは小諸に行ったという話で、自殺を図ったと言い、タゴの左手首にキズバンが貼ってあった。(自殺用の)ホースを買ったそうで、共犯者はいないらしいということだった。
 タゴの妻は、この日タゴが帰ると、どうするかタゴと相談した。
【注】この日タゴは、役所では年休扱いとなっている。

▼5月31日(水)
 12時30分頃、タゴから「家に居る。弁護士とアポイントがとれた」と電話でTH係長のところに連絡が入った。
 午後3時30分になって、タゴが自宅にいることがわかり、午後3時すぎにTHとTKがタゴを自宅に迎えに行き、タゴを市役所の第一応接室に連れてきた。小川市長や須藤助役、青木収人役、大塚総務部長、大工原建設部長、加部局長、高橋弘安が集まってタゴ本人に事実確認した。
 「確認書」を作ってタゴに住所氏名を書かせて押印をさせた。そして市長が31日付をもって懲戒免職の処分を口頭で言い渡した。この確詔書をワープロで作るあいだに、小川市長はタゴに「警察に自首するように。警察に行く前にはこちらに連絡すること」と出頭を促した。タゴは「一日考えさせてください」と言った。
 午後6時頃、安中支店長Mと次長Sが市役所に来たが、この時、小川市長は公社のTH係長と共に対応した。
 夜、公社監事の坂東非常勤特別職員のところに小川市長が職員を通じて、6月1日午前6時30分に市役所に第二委員会室で至急の会議を開く旨連絡が入った。
 この日、タゴの妻は田中善信弁護士と穂積弁護士のところへ行った(午前中と考えられる)。
そして、夕方にもタゴと妻とタゴの弟が弁護士を訪れた。
 この時、弁護士は「市長に全部報告し、その上で処分をうけてそれから自首した方がいい」と話した。タゴは弁護士に事件の内容を言うと、弁護士は「これは大変だ。市の方の市長さんに報告しろ」と話したが、後になって、この時の段階では、タゴからの弁護依頼でなく、タゴに「そうした方がいいよ」というものであったと解説している。
 一方、群銀安中支店では、この日仕事が終わって帰る間際になって、支店長以下男子行員全員が集められ、支店長Mから「安中市土地開発公社のタゴが当支店から不正借入を行い、現在安中市役所で調査中なので、各自とも了解しておいて下さい」との話しがあった。
【注1】この日、市役所最後の日にタゴは年休扱いとされた。
【注2】この日、タゴは「かんら信金」を訪れ、定額預金2件それぞれ190万円と201万3638円を解約した。
 タゴは、平成2年7月20日にかんら信金から800万円の証書貸付(住宅ローン)を受け同年8月2日親戚の篠崎工務店(その後廃業)に800万円を振込んだ。このローンの返済でタゴは毎月8万円ずつ支払っていた。平成7年5月23日には、58回目の内入れとして8万円をかんら信金に支払った。この時の利息は1万3854円でローン残高は336万円あった。ところがタゴはその8日後の5月31日に、残高336万円と利息3608円をかんら信金に一括支払い、完済した。かんら信金側の記録ではこの日336万円を「回収」したことになっている。この点について、かんら信金は「一切ノーコメント」としている。

▼6月1日(木)
 タゴが弁護士のところを再び訪れ、弁護の依頼をした。タゴは「ぜひ自首をしたい」と弁護士に言ったところ、弁護士は「現金、骨董類は全部移動してはいけないよ」とタゴに言った。
 この日、午前9時30分から公社緊急役員会を開いた。この時、参加者は、タゴの不正について金額までは聞かされなかった。
午前10時30分から市議会全員協議会で事件の報告。午後2時頃、高崎市内の善如寺弁護士の事務所へ須藤助役、大工原建設部長、加部局長、高橋弘安係長、竹田清孝の5人で今後の事件対応を相談に行った。午後5時30分頃市役所に戻った。
 午後7時前にタゴの妻から高橋弘安係長に「明日の午後1時半に穂積弁護士と一緒に警察に行きます」と連絡が入ったので、高橋弘安は市長にこの旨を伝えた。
その後.市長、助役、収入役、総務部長、建設部長、秘書課長、加部局長、高橋弘安らで今後の対応について会議をし、とりあえず安中警察署長に相談しておいた方がいいだろうということになり、市長が直接安中署長に雷話で連絡した。市として事前に警察に調査依頼決定した。
 午後10時40分、高橋弘安係長は小川市長から「明日警察に行って、事前に署長に話しをするので、その結果でタゴに何時に警察へ出頭したらよいのか、市の方から連絡するからということを伝えてくれ」と指示を受け、高橋弘安は一人でタゴの自宅を訪れ20分ほどタゴと妻らと話した後、市役所に戻った。
 またこの日、市長から安中支店に本件について「刑事事件であることから、警察に申告する」と連絡があった。群銀でもサギの被害にあったものとして、タゴ本人の厳重処罰を求めて安中署に捜査依頼をすることになった。

▼6月2日(金)
 午前、小川市長が警察へ告発の相談に行った。
 一方、タゴはこの日午前中、弁護士が用事があったため、午後出頭するつもりだった。ところがこの日の朝、市長から警察に通報があり、その時「タゴさんが1時半に行くから」という通報だったことをタゴは逸早く知った。
 午後1時半、タゴが安中署に出頭した。調べに対しタゴは「総額35億円ぐらい公社の特別会計口座に振込んでもらい騙し取っている。これがバレて懲戒免職になったが、いろいろ考えた末、正直に話をして処罰を受けようと思って出頭した」と述べた。
タゴは弁護士から「現金その他骨董品全部動かしてはいけない」と言われていたので、「だから警察により、この日6月2日にタゴの自宅等にあった金品はすべて押収された」と、タゴは後日隠し金などはなく、「5月8日に引出したカネも殆ど使わず、自宅の金庫に1000万円くらい、自宅にある(タゴの)財布に200~300万円くらい、合計1300万円くらい残っており、5月19日に妻に100万くれた位だ」と言っている。

▼6月3日(土)
 この日の朝刊2紙(上毛新聞、朝日新聞)に初めてタゴ事件が報じられ、一般市民が事件を知った。すでに、市役所内部で事件が発覚してから、17日が経過していた。

▼6月7日(水)
 タゴ逮捕。

【ひらく会情報部・この項おわり】

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13年前の51億円横領事件、知られざる発覚前夜(その3)

2008-08-17 18:10:00 | 安中市土地開発公社事件クロニクル
<平成7年5月1日~28日>

■平成7年5月18日に安中市土地開発公社内部で密かに発覚した史上空前の巨額横領詐欺事件。13年前のこの事件をたどるために、これまで平成7年3月と4月にかけて、市、公社、群銀そしてタゴの身辺に何が起きたのか、時系列的に見て来ました。今回はいよいよ、平成7年5月に公社内部で事件がどのように発覚し、関係者はどのように対応したのか、その様子を皆さんと共に検証してみたいと思います。

▼5月2日(火)
 タゴが、2時間休みをとり午後3時頃早退した。

▼5月8日(月)
 タゴが騙したカネの一部を払い戻しに群銀安中支店に行った。
 既に公社から異動した後なので、群銀が応じてくれるか心配しながら、タゴは12時25分に群銀を訪れたが、奥の応接室で、支店長Mと次長Sはいつものように対応した。
 タゴは払い戻したカネの使途を聞かれるのが一番嫌だったが、群銀からは市長選の話しなどが出ただけだった。タゴが払い戻したカネについて、支店長らは事業資金だと思い「新駅はいよいよ始まるのですか」などと言った。
 タゴは12時30分に現金1485万円を払戻した。機械からの出金時間は12時37分で1485万円のうち、機械からバラで一万円札85枚、更に機械が百万円の群銀の帯封もしくは日本銀行の帯封つきの札束4束(400万円)を出した。そして機械とは別に百万円の札束10束を更に束ねた大束1束(1000万円)を群銀が機械を使わず手で出した。
 この払戻しはタゴが直筆窓口に行き、公社理事印の押された払戻請求書を窓口にいた行員に出して請求したもので、S次長はこの様子を見ていて、タゴが公社のカネを引出しに来たものと思い、声をかけて応接室に通しお茶を出した。
 この時タゴは急いでいた様子で、ゆっくりとはせず、払戻しができたという連絡があるとすぐ窓口に行った。
タゴは、予め現金を入れるように行員に渡しておいた黒色で布製に見えるチェック付きのスポーツバッグ風の手提げを受け取り帰った。この時タゴは現金を数えて確認はしなかった。タゴが帰ったのは12時45分だった。
 この黒色の布製手提げは、タゴが現金を引き出すときいつも持参するものだった。なお、公社の預金ということで、払戻手数料は無料、また利息は非課税。

▼5月11日(木)又は12日(金)
 公社のSHとTKが県信の預金残高証明を取りに行ったら「普通の会社なら借入残高も必要だよ」と言われたが、公社定款になかったので、その場はそのまま帰った。

▼5月15日(金)
 群銀に行き、公社の預金残高証明をもらった際、借入金残高証明ももらえることを確認できた。

▼5月16日(火)
 群銀のY次長が、公社のTH係長に「公社の決算理事会があるから」ということで、貸出金の残高証明を頼まれた。5月24日の公社監査、30日の公社役員会に備えるための依頼だった。なお、TH係長は親戚に不幸があり、午後3時に早退した。

▼5月17日(水)
 群銀のYが借入残高証明を公社に持参した。借入残高は46億6596万円。この日公社のTH係長は忌引で休み、SHはカゼで午後早退、TKもTDも不在だったので、TAがこの書類を受け取り金庫に入れておいた。夕方、TKが戻り残高内容を知った。

▼5月18日(木)
 10時50分頃、公社TKがTH係長に借入残高証明の金額を打ち明ける。THは「コンピュータの打ち間違いだろうから、二人して銀行へ行ってくるべえ」とすぐに群銀に行った。この時T‘H係長は上司に報告せず、TKと二人で行った。
 11時10分頃、二人は安中支店の借入関係書類を持参し、群銀の応接室でS、Y、Kの3人に会い残高証明を出した。
 一方、群銀安中支店では、公社のTH係長から、次長Sが電話を受け、「銀行からもらった借入総額の残高証明と公社で把握している借入残高とが全く合わない」と連絡が入った。暫くして公社からTHとTKが支店に来たので次長のSとYが応対した。
 最初、公社TH係長が「銀行の残高証明が間違っているのではないか。明細があったら見せてほしい」と言ったので、支店S次長が借入明細を見せて、間違いないと説明した。TH係長が「金銭消費貸借契約証書を見せてほしい」というと、群銀は「このとおりある」と言って、袋の中に入っていた金証を見せた。「本人の字かどうかも分からない。いかにも付け加えているのではないか」とTH係長が言ったところ、支店長(?)が「本部の監査でも(タゴ)本人の筆跡に間違いない、ということで検査は済んでいる」と答えた。
 半期に1回利息を払う点について、公社が「総額が異なるのであれば平成7年3月31日に支払った利息では足りないのではないか」と質したところ、支店長(?)は「間違い無く頂いている。もうひとつ安中市土地開発公社理事長湯浅正次・特別会計口座番号058-969という口座がある」と答えた。
 公社TH(?)は「そんなはずはない」と言ったら、「平成2年4月16日開設の特別会計がある」と群銀が口座開設時に記入した普通預金印鑑票を見せてきた。「誰がつくったのか」と質問するとSが「タゴさんが作っております」と答えた。普通預金印鑑票はタゴの筆跡だった。公社が「特別会計口座にいくらあるのか」と聞くと、2億7500万円あった。「引き出し出来ないようにしてくれ」と頼み、過去の資料を(群銀)本部から取り寄せるなどして全部見せてほしいと群銀に依頼した公社の二人は、12時40分に市役所に戻った。群銀S次長がくれた借入明細書は、公社TH係長が「詳しく調べてみる」と言って、この時持ち帰った。
 午後1時近く、公社TH係長がK局長(都慨計画課長併任)のところに来て「課長、群銀の公社の借入残高証明書を取ったら、47億円もの借入をしていることになっていたので、コンピュータの打ち間違いと思い確認したら間違い無かった。どうもタゴがやったらしい」というような報告をした。
 とりあえず市長にも報告することにして、KとTH、TKは市長室に行ったが、外出中だった。その後外出から戻った市長に、THはKとTKと3人でこれまでに分かっている事を報告した(注:K局長はこの時同席せず「THが市長に連絡したらしい」と言っている)。
 市長の指示を受けて、とりあえず銀行にもう一度行って、それが事実かどうか確認してみようということになり、銀行に連絡して午後6時に行く事になった。TH係長は「市長も後から銀行に行く」とK局長に話し、先にTKと出かけ、K局長は遅れて行った。
 安中支店の応接室で、公社の3人は、群銀の支店長Mと次長SとYに会い、事の事実を聞いた。市長は安中市商工会青年部通常総会終了後、午後7時頃に姿を見せた。
 群銀は、預金取引履歴明細票の2枚だけを出してきた。払い出し伝票の原本を群銀が見せたので、公社の借入金台帳と照合した。公社は群銀にある金証も見た。この時、公社は(金証の)狭いスペースに書き込みがなされているので、明かにおかしい、と詳銀に指摘した。
 公社は、借入が31本あり、金額欄の数字の頭についているものが12本(注:本当は13本のはず)あったことを知り、その(特別会計口座開設)前の金証も原本が存在したことがわかった。群銀から「タゴの指示により、特別会計に振り分けた」と説明があったので、公社は「それはおかしい」と指摘。安中市
からの(そうした特別会計口座への振り分け)依頼書はないことも判明した。
 市長が到着して、支店長に説明を求めたところ「湯浅市長の特命で特別会計口座を作った」と支店長が説明した。「特命など聞いていない。特命の依頼書など無いはず。4月に派出所のTに公社の残高を書いた書類を渡したのに、なぜおかしいと言わなかったのか」と公社が群銀に言った。群銀側の資料は明細書が2枚、伝票も1組だったので19日昼までに、群銀は本部の資料も全部調査すると、言った。
 なお、社会教育係にいたタゴはこの日午後、3時間休みをとり、午後2時に早退していた。

▼5月19日(金)
 午後1時に、群銀(S次長?)から「全部(資料が)揃った」という連絡があったので公社は群銀に午後4時頃来庁するよう依頼した。
 午後4時頃、群銀のSとYの両次長が市役所を訪れ、小川市長、須藤助役、青木収入役、K、THが市役所第一応接室で応対した。「支店長は支店会議で来られない」と群銀が言うと、市長が「こんな重大な事件で支店長が来ないのはどう言う事だ」と怒ったりしていた。
 市長が「タゴが特別会計口座を作ったのはどんな理由からか」と聞くと、群銀(S次長?)は「タゴさんから『市長の特命を受けている』ということを言われたので作った」と話した。市長は「口座を作った時の市長は湯浅さんだが、そんなことはさせていないだろうし、引継ぎも受けていない。第一、オレだってそんなことは指示した覚えはない。特命したことを確認しているのか」という話をすると、両次長は「確認は取らなかったが、ちゃんとした印が押してあるし、正規な書類と判断して貸出をしている」と主張していた。
 尚、群銀S次長は、この日小川市長やK局長、TH係長が安中支店に来て、公社や市で把握している回議書と群銀の把握している借入明細書と比べて、群銀が受け取った金証の金額と、市や公社が保管している回議書に付いた金証の控えの金額とが違っていることが分かったと言っている。
 また、S次長は、この日安中支店に小川市長、K局長、TH係長が来た時に、「今後のことは、まず市側で詳しく調査して、タゴ本人も調べてみる」ということだったので、当初は市の調査に任せることにして、群銀はその対応を見守ることになったと言っている。
 また、この日の昼休みに、公社TH係長がカゼで休んでいた公社職員で4月にタゴの後任として異動してきたSHに、初めてタゴの不正の話をした。この後TH係長は、タゴの不正に関して、TK、TDだけと対処し、SHを加えることはしなかった。

▼5月19日(金)又は20日(土)
 タゴが帰宅後、妻に帯封のついたままの100万円1束を渡した。それまでタゴは妻に給料日の20日頃に毎月50万円~100万円を渡していた。今回は、初めて生活費として帯封のついたままの札束を妻にやったと言う。

▼5月22日(月)
 市が公社調査。

▼5月23日(火)
 市が公社調査、この頃タゴが5月8日に1485万円を現金で特別会計口座から引出したことが市において判明した。

▼5月24日(水)
 午前中、公社の監査。午後3時頃(2時から3時という話もある)、公社TH係長が小川市長の指示で本庁舎2階の第一応接室にタゴを呼び、TH、TK、TDの3人で事情聴取をした。(注:タゴは勤務時間終了間際の午後5時頃と言っている)
 係長らが「残高は何だ」と聞くと、タゴは「これは違う。オレがやったのではない。不正の事実はあるが、こんなに多くない」と答えた。更に群銀のIが主犯というニュアンスで「当時、群銀の融資係長をしていたIさんとの関わりがあった。Iさんと話をしたいので二日間待って下さい」と言った。
 I係長の他にも関与していた人がいるのかについても追求されたタゴは「I係長の他にも一人群銀にいたがその人の名前はカンベンして下さい」などと弁解していた。このためTH係長らは二日間待つことにして、タゴに「その間に話をつけて、その結果を26日の夕方までに報告するように」と言っておいた。
(注:この時タゴは「群銀のIさんともう一人に頼まれてやった。この金額は違う、Iさんと話をしてくるので時間がほしい」と答え、自らIの他にも関与者がいると話したと言う。タゴ自身の供述によると「(この日、公社の)監査の日にTH係長に呼ばれて話をした。突然言われたので、咄嵯的にIさんと親しくしていたもんだから、ついIさんの名前を出してしまった。具体的には『Iさんがよく承知している話なんだ』と言った。『群銀のIさんが関係しているので、少し時間を下さい』と。しかし、この問題については銀行側にも関与者がいて、共犯者がいるとは言っていない。『私はよく内容を知っている人がいるから』というふうに話した」と平成8年2月の第8回刑事公判で、弁解がましく言っている。)
 タゴは、この日の事情聴取に先立ち「私は幾日か前から(公社の)TH、TK、TDの態度がよそよそしいなと感じていた」と後日供述している。
 尚、公社K局長は「THらが24日、26日にタゴを呼んで問い詰めたことを聞いているが、タゴがどんなことを言ったのか詳しいことは聞いていないので分からない」と言っている。

▼5月25日(木)
 タゴは、「25日も都市計画課のTH、TK、TDから事情聴取を受けた」と供述しているが、市作成の時系列表には、25日の出来事には何も言及していない。

▼5月26日(金)
 午後4時30分頃、公社のTH、TK、TDがタゴを第一応接室に呼んで話しの結果を問い詰めたところ「Iとは電話連絡が取れたが、相手も本店調査部の役職で電話では話をできず、Iも誰かに相談すると言っていた。Iが忙しいので会うことができなかった。(28日の)日曜日に会うアポイントが取れたので必ず話をつけて、月曜日の朝一番に報告します」とタゴが言った。市長の指示により、公社THらはタゴに「リミットは29日」と通告した。また群銀次長にIの件を話し、調査を依頼した。

▼5月27日(土)
 夕方6時頃、タゴが特別会計口座の積金通帳と払戻請求書を自宅の焼却炉で燃やした。この日は市役所
の閉庁日だった。タゴはいつものように、妻の喫茶店の開店時間午前10時~午後3時迄、店に出て客の対応をしていた。
 (注:タゴの初期の自供によると、タゴは24~25日頃、今回のサギ事件がバレそうだと感じたので、「いつも持ち歩いていた黒色手提げバッグの中に入れておいた特別会計口座の普通預金通帳1冊と公社理事長印が押されていた払戻請求書を自宅の焼却炉で燃やして処分した」という)
 タゴは、通帳と払戻書を燃やしたことについて、「これは証拠隠滅の時間稼ぎというよりは、私が自分自身で自分のカタをつけるつもりだったから、全てのものを燃やして妻や子供に迷惑がかからないようにしよう、という事だけだった。気が動転していたものだから、自分でもハッキリ云々という気持は無かった。その時はそこまで頭が回っていなかった。私が死ぬことでそれが明確になると思っていた」と、後に第8回公判で言い逃れをしている。

▼5月28日(日)
 この日もタゴは、昼間、店に出て普通に過ごした。午後9時過ぎに息子を車で高崎駅に送り、自宅に戻った。夜中に自殺を図った。遺書は30日にゴミと一緒に捨てた。

【ひらく会情報部・続く】


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