市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

世界は今・・・地球温暖化の象徴とされた島国ツバルからのレポート(6)

2009-08-31 23:31:00 | 国内外からのトピックス
■日本で8月30日に投開票された衆院選の衝激的な結果は、インターネットや衛星放送を通じて、この南海の孤島にも伝わりました。ツバル政府の高官は、こぞって、「我が国にとってもっとも大切な援助国である日本は、今後、我が国に対する外交政策はどのようになるのか」と、朝から熱心に訊ねてきました。

 「日本は、平和主義国家だから、外交の基本政策は変わらないので、心配はいりません。むしろ今までの麻生政権より良くなると思います」と説明すると、ホッとした表情を皆一様にうかべます。このように、ツバルに対しては、援助額の大きい順に、日本、台湾、豪州、EU、ニュージーランドとなっているからです。


滑走路は週2便のフライトが、フィジーのスバから往復するだけなので、毎日夕方になると、一大レクリエーション地に早変わりする。日本が援助で作った発電所の前でサッカーに興じる若者たち。


総合庁舎の裏庭からみた、フナフチ環礁のラグーンの夕暮れ風景。


■平和を国是とするツバルの外交方針は、外航面でも平和を尊重する国々との付き合いを重視しています。台湾との関係を重視するのも、大陸中国に対する警戒心があるためです。

 一方、台湾政府にとっても、ツバルは、現在27カ国にまで減少した貴重な国交樹立国のひとつです。懸命に、ツバルへの援助を行っているのも、その感謝の気持ちからです。


台湾が資金を出して、ニュージーランドの土建業者に発注して2005年に建設したツバル政府総合庁舎。


政府総合庁舎玄関前にある台湾の陳水扁総統の碑文。


滑走路の脇にある台湾政府農業プロジェクトの野菜農園。毎週金曜日の早朝、ここでとれた野菜の販売が行われ、この国では珍しいキュウリやトマトなどを買い求める島民が列を作り、その中には滑走路を隔てて向い側にある首相官邸から、首相がやってきて列に並ぶという。新鮮野菜で食生活を改善する試みは、巨漢揃いのツバルにとって大変意味深い。

 日本国政府にとっても、ツバルは国際捕鯨委員会(IWC)をはじめ、国連での日本の立場に同調し、支援してくれる力強い1票です。なにしろ、人口1万人未満でも、国連の1票は1票だからです。また、日本の国土を上回る経済水域やそこでの漁業権なども大きな要素です。


環礁内のラグーンでは、海面が穏やかなので、こうしたアウトリガー式の小舟で、魚釣りが行われる。投網以外の網を使った漁法は資源保護の観点から禁止されている。ルアーなど釣り道具は、ツバルの人たちへのお土産として喜ばれる。

 民主党政権となり、環境問題が実地に学べる場所として、ツバルは日本にとって、もっと見直されてしかるべきではないか。そう思う1日でした。

【この項「その7」に続く】

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世界は今・・・地球温暖化の象徴とされた島国ツバルからのレポート(5)

2009-08-31 03:55:00 | 国内外からのトピックス
■人口約1万人のツバルの約半数が住むフナフチでは、現在、毎年子どもが200名くらい誕生しているといわれています。通りの雑貨店でも子供服や紙おむつをたくさん売っています。フィジーからの飛行機にも、たくさんの紙おむつをもった乗客たちを見ました。便利な紙おむつですが、これがツバルのゴミ問題と関連しています。

 人口が増加しても、島の面積はこれ以上増えません。それどころか海面上昇で、島が減少しています・・・というと、「やはり地球温暖化のせいではないか」と思われるでしょうが、実は、人口増加が、サンゴ礁の浸食に影響しているのです。


フナフチ環礁図。リング状にサンゴ礁で囲まれた水面は、ラグーンとよばれ、外海は時化ていても、常に穏やかな海面を見せている。環礁の西側は生物保護区となっている。


外海はこのように荒れていることが多い。
■サンゴは、有孔虫という生き物が生成した物質ですが、有孔虫は、きれいな海水でないと生息できません。島では、トイレの汚水は、庭に設置した浄化槽に入れていますが、このコンクリート製の槽には底がありません。汚物はある程度分解しますが、次第に溜まっていき、いずれ満杯になったら、隣を掘って、また浄化槽を作ります。

 地下から浸透した汚水の一部は、間もなく周辺の浜辺に染み出してきます。わずかなので眼には見えませんが、明らかに海水汚染は進んでいます。環境の変化に敏感なサンゴの有孔虫は、こうした変化に対応できません。有孔虫が死滅すると、サンゴの形成がとまり、サンゴ砂の生産もなくなり、海水による浸食の方が勝るようになります。

 「沈みゆく国」といわれる原因としては、地球温暖化による海面上昇というものも、ごく一部として挙げられるかもしれませんが、人口増加による環境汚染のほうが、遥かに深刻なのです。

 この島では、かつては自給自足でしたが、飛行機が通うようになり、人の往来が盛んになりました。フィジーからコンテナに満載された食料品や日用品が大量に輸入されるようになり、プラスチックなどの化学物質や、車やバイク、電気製品などが入るようになりました。以前は、ヤシがらやバナナの葉のように、自然に分解して土になっていたものが、今では多種多様の輸入消費財が、大量のゴミとして排出されるようになりました。


南海の楽園には、なんとも似つかわしくない風景を呈する島の北端にあるゴミ捨て場。政府が土地所有者に地代を払って、ゴミの集積場にしているが、多種多様化し、量的にも増大する廃棄物への有効な対策を模索中。ゴミを省エネ方式で粉砕して、不燃ゴミはセメントで固めてボロービットの埋立材に、可燃ゴミは焼却し、生ゴミはコンポスト(堆肥)にして野菜栽培に使ってはどうか。

 島民は、最近までゴミの分別や収集という観念がありませんでした。ようやく、国(=村?)で月曜日の朝、ゴミを収集するようになりましたが、ゴミをきれいにするという意識は徹底していません。また、収集したゴミは、島の最北端に集められて、順次、埋めていますが、風に飛ばされたビニールなどが散乱し、とても南国の楽園という景色ではありません。今のうちに、対策をとらないと、いずれ「ゴミに沈む国」になりかねません。

【この項「その6」に続く】

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世界は今・・・地球温暖化の象徴とされた島国ツバルからのレポート(4)

2009-08-30 23:25:00 | 国内外からのトピックス
■面積が全部合わせても26平方キロしかなく、そこに1万人近い人が住んでいるため、人口密度は平均1平方キロあたり約400人となります。特に、ツバルで唯一の空港のあるフナフチ環礁のファンガファレ島は、近年、人口が急速に増えています。離島から、親せきなどを頼って、引っ越してくる島民が後を絶ちません。

 そのため、彼らはもともと窪地で、湿地帯だった場所に住まざるを得なくなりました。滑走路は、第2次大戦中に米軍が作ったのですが、その土木工事のため、滑走路の北の両脇や、島の北部から大量の土砂を採取したため、あちこちに窪地(ボロービット)ができていたからです。ファンガファレ島の地図を見ると滑走路の東側や北側に池があるのが分かります。


フナフチ環礁のファンガファレ島の中心部の地図。


■こうして、今は、滑走路のすぐ西側まで、びっしりと家が立ち並んでいます。3月の大潮の際に水浸しになった集会所の映像がテレビで世界に報道され、地球温暖化による海面上昇の典型的なケースとして、ツバルは「沈みゆく国」という代名詞で呼ばれるようになりました。


ほぼ住居で埋め尽くされているツバルの現状。右下に池が見える。

 しかし、実際には、滑走路のすぐ脇にある湿地帯では、これまでにも、大潮のときには水が湧き出しており、その原因は、米軍の土木工事だったのです。それをマスコミは地球温暖化現象の象徴として囃したて、日本からもTVクルーや有名人が来て、好んでその場面を取材するようになりました。こうして他国の学者先生も含めて、地球温暖化現象を声高に言い続けられると、ツバルの人も、次第に「そうなのかなあ」と信じ込まされてきます。


米軍が戦時中、滑走路を造るために土砂を採取したあとのボロービットと呼ばれる窪みには水がたまり池になっている。そこにも島民が住んでいるが、付近はゴミ溜めと化している。こうしたところが島の北側には道路わきにたくさん見られる。

 人口増を抱えるツバル政府としても、援助を受けたり、他国に移住する場合にも、先進国が「地球温暖化」や「海面上昇」と騒いでくれることについては、特段の支障はありません。両者の利害が一致して、ツバルはいまや地球温暖化の象徴的な国となり、多くの人にその名前を知られるようになりました。

【この項「その5」に続く】

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世界は今・・・地球温暖化の象徴とされた島国ツバルからのレポート(3)

2009-08-29 23:40:00 | 国内外からのトピックス
■ツバルに旅行するには、有効期間が6か月以上残っているパスポートを所持します。30日以内の滞在の場合は、ビザはいりません。飛行機の中で配られる入国カードに必要事項を記載するだけで大丈夫です。ただし、帰りの航空券を持っていなければなりません。
時差は日本より3時間進んでいます。つまり、日本が正午のとき、ツバルは午後3時というわけです。フィジーもツバルも同じ時間です。

 通貨はオーストラリアドルです。昨年秋のリーマン・ショックで、それまで1豪州ドルは約100円ほどだったのが一時50円台になりました。現在は79円ほどになっております。ツバルを訪れるにはまだチャンスと言えるでしょう。


日本とツバル、およびその他の太平洋島嶼国の位置関係を示す図。


ヤシの木とバナナの木。ほとんどの家の庭には、この他にパパイヤの木が植えてある。ヤムイモの一種も取れるが、味が良くないので、主食の小麦粉やコメは全部輸入に依存。
■電気は240ボルト、50サイクルで、コンセントは「ハ」の字の丸型タイプです。言葉は、ツバル語と英語が共に公用語ですが、首都(村?)のフナフチは英語で通じます。


 小さな島のコミュニティなので、全員が顔見知りという環境にあるため、治安は極めて良く、夜でも安心して外を歩くことができます。もっとも、街路灯は中心部のごく一部しか設置されていないため、月が出ていない夜などは懐中電灯が必要ですが。

 衛生面では、ハエはすこしいますが、蚊はこの時期、ほとんど見ません。伝染病もありません。水は雨水を濾して飲用にしており、生水を飲んでみましたがなんともありませんでした。しかし、一般的には煮沸したほうが無難でしょう。ミネラルウォーターもその辺の売店で売っていますが、余り神経質になる必要はありません。

 宿泊したホテルでは、朝食が付いていますが、ワンパターンです。特大のホットケーキとカステラか、トースト用の食パンにバターと各種ジャム、それにモンキーバナナとパパイアの切り身に、コーヒーでした。昼食も夜食も、選べるのはチキンか魚かソーセージに、ライスと炒めた玉ネギの付け合わせ。島内各所で見られる雑貨屋やFUSIと呼ばれる生協の店では、食料品、衣料品、インテリア、日用雑貨など売っていますが、品数や種類はあまりありません。生鮮野菜は全くありません。なお、チップの習慣は全くありません。


典型的な雑貨店。おもな食料品の価格は、ジャガイモ1個$1.50(120円)、タマネギ1個$1.65(132円)、塩蔵ビーフ1kg$11.80(946円)、LL牛乳1パック(中サイズ)$2.00(160円)、米5kg$8.50(680円)、砂糖4kg$5.60(450円)、小麦粉3kg$3.40(270円)、カレー用鶏肉(重量不明)$3.00(240円)。

 アクセスの不便さが理由なのでしょうが、2007年の外国人総訪問者数は1130人で、このうち日本人は227人だったそうです。その多くは、援助やボランティア活動の関係者とみられ、純粋な観光客は少ないと思われます。

【この項「その4」に続く】

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世界は今・・・地球温暖化の象徴とされた島国ツバルからのレポート(2)

2009-08-28 23:54:00 | 国内外からのトピックス
■「ツバル」の国名の由来ですが、現地語で「Tu(立つ)」と「Valu(八つ)」からきていて、8つの島(もともと定住者がいなかった一番南のニウラキタ島をのぞく、北からナヌメア、ニウタオ、ナヌマンガ、ヌイ、バイツブ、ヌクフェタウ、フナフチ、ヌクラエラエの八島。なお、現在は、ニウラキタにも50人ほど住んでいる)のコミュニティが協力し、国を作っていこうとの決意が込められた意味であり、平和で極小な国の一つとして、国連で分類されています。


ツバル全島図。
■ツバルはサンゴから形成されている2つの珊瑚島と、7つの環礁島からなり、首都のあるフナフチ環礁などは幅数十メートルから数百メートルの島が輪状に連なって構成されています。フナフチ以外に、空港はなく、ツバル国内の離島間の移動は船に頼るしかありません。しかも、便数が少なく、スケジュールも間近にならないと確定しないため、旅行者には不便ですが、島民はおおらかに対応します。また、フナフチ(フォンガファレ)以外の島には、ホテルやゲストハウスはありません。


ツバルで唯一のホテルのバイアク・ラギ・ホテルは、政府総合庁舎のすぐ隣にある2階建ての建物。エアコン付きだが、お湯は出ない。テレビも電話もない。食堂のメニューはいつも3種類。1泊105豪州ドル。

 1978年の独立時に採用された国旗は、左上に英国のユニオンジャック、右側に9つの金色の星を配しています。下地の青は太平洋を、ユニオンジャックは英連邦に加盟していることを、9つの星は、ツバルを構成する9つの島を表しています。

 ところが、1995年10月から12月までの間は星を1つ取り除いたデザインを、その後の1996年1月から1997年4月にかけてはユニオンジャックを取り除き、国家の紋章を入れた国旗を採用したことがあります。しかし、いずれも不評だったので、1997年4月11日から、独立時に採用した元の国旗に戻されました。しかし、ほんのわずかですが、元の国旗にアレンジが加えられています。自由に国旗のデザインを変えることができるなんて、日本では考えられませんね。


政府総合庁舎前で風にはためくツバル国旗。

【この項「その3」へ続く】


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