市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

群馬県台湾総会新年会が2月25日に盛大に開催

2018-02-28 23:01:00 | 国内外からのトピックス
■毎年恒例の群馬県台湾総会の新年会が今年も伊勢崎市内で午前11時30分から開かれました。相変わらず寒い日ですが、幸い天候にも恵まれ、県内各地から会員や来賓の方々が参集していただきました。前半の司会は沼田市に在住する若いカップルにより「皆様、こんにちは。本日はお忙しい中お越しいただき誠にありがとうございます。これより2018年群馬県台湾総会新年会を開催いたします」と日本語および中国語による開会宣言が行われました。

※案内状 PDF ⇒ 20180121pvn.pdf


会場案内。

受付中。

 最初に、先日2月6日23時50分に台湾東北部の花蓮で発生した地震で亡くなられた方々に黙とうを捧げました。

 続いて、頌彦真賢会長による挨拶がありました。

「群馬県台湾総会の頌彦(うたさと)真賢(しんけん)と申します。よろしくお願いします。皆様、新年おめでとうございます。新年快楽。本日、厳しい寒さの中、大勢のかたに台湾総会新年会にご参加いただきまして、まことにありがとうございます。皆さん、ご存じのように日本と台湾は昔から深く関わっております。特に3.11大震災をきっかけにして、日本と台湾はお互いに対して高めながらあらゆる面での交流を通じて両国の絆や連帯感を強めております。つい3週間前の台湾花蓮大震災に、日本は安倍首相はじめ、日本国民の皆さまから関心や励ましの言葉をたくさん寄せてくださいました。さらには最新の技術を持つ地震の専門チームを瞬時に花蓮に派遣してくださいました。まさに日本と台湾の強い毛砂と連帯感の表れだと私は確信しております。私たち群馬県台湾総会は、単に台湾出身者の集まりに留まらず、日本と台湾の絆と連帯感を大事にして活動してまいりたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。本日も前橋市・山本市長、沼田市・横山市長、本庄市・吉田市長、そして県議会議員、市議会議員の皆さまがお越しくださいましてまことにありがとうございます。後ほど、ご挨拶を頂ければと存じます。最後になりますが、オープニングに出演してくださった育英短大の「あばれんぼう太鼓」の皆さまに感謝いたします。その他にも、様々なアトラクションを用意しておりますので、皆さま、おたがいに交流しながら、最後まで楽しんでください。以上を持ちまして私の挨拶とさせていただきます」(拍手)

 次に来賓の挨拶として、最初に台北駐日経済文化代表処の郭仲煕副代表から祝辞述べられました。

郭副代表。雰囲気はヒフミンこと将棋の加藤一二三名人とそっくりとの声が会場から。
「頌彦会長、並びにご臨席の皆さまがた、新年おめでとうございます。まず、新春のお慶びを申し上げます。あっ、今、(本庄市の)吉田市長が見えました。えーとですね。日本のお正月、台湾の旧正月、この二つの節目を終わったあと、初めて本格的な一年がスタートしたというふうな雰囲気です。本日、うちの大使が、公務が重なり、自ら来ることがかなわず、代理出席となったことは本当にご容赦の程お願い申し上げます。今年の初めにですね、いろんなことがありまして、晴れの日は晴れず、コインはチェックせず・・・皆様、納得いただいたでしょうか?(拍手)晴れの日、「はれのひ」ですね。「はれのひ」は振袖の事ですね、成人の日の。コインチェックは、ええ。コインチェックの事もですね。かなり大きな問題になっているようで、仮想通貨の信頼性がどこまで浸透できるかは、ちょっと年頭の時にですね、こんな二つのことがありましてちょっと波乱含みの展開となりそうな雰囲気ですけれども。でも、寒さに耐えた人には、凛とした強さが宿っていると、そういうことが言えるだろうと思います。例えば今ですね、梅の花がちょうど今咲いている時期ですね。梅のお花と言うのは寒ければ寒いほど、強い香りを出す、きれいな花が咲くという花です。それは台湾人の性格を現すひとつの花ですけれども、その、梅の花の香り、そして日本ではですね、もうひとつの植物、フキノトウ、フキノトウの苦み、その2つがこう我々の心にですね、沁み込むのは、やっぱり越冬の歓びと響き合うからです。ですから、こういう、今月の7日未明、台湾の東部地方、花蓮を襲った地震がありました。かなり被害が甚大でありました。その時ちょうど、日本の北陸地方にでもですね、大雪による被害がありましたけれども、でもそういう自然災害にも関わらず、日本はさっそくですね、専門家チームを派遣しまして、台湾まで救助活動に、協力に駆けつけていただきました。で、それだけではなく、日本各界の皆さまから心温まるメッセージやご支援をいただき、本当に本当に心から感謝申し上げます。自然災害は非常に心を痛めることですけれども、でも、いつも自然災害が起きるたびにですね、ほろりとする出来事もありました。日本の場合はですね、北陸地方の大雪で長い列の車両が立ち往生しました。でも、地元の方々がですね、温かいおにぎりを作って、ドライバーの皆さんにですね、配ったと。で、もうひとつ、立ち往生した車の中に山崎製パンのトラックもありました。その山崎製パンは自分の車の荷台を開けまして、パンを全部取り出してですね、車列に配ったと。そういう記事を読んでですね、本当に感動しました。これはおそらく他の国ではなかなかないのではないかと、いうふうにしみじみと感じております。で、かえって、花蓮の地震の災害を見ると、日本からの専門家チームが、すぐ台湾の救助隊と一緒にしてですね、救助活動を展開していただきました。で、地元の方々もですね、炊き出しでですね、温かい食べ物を救助隊の皆様に提供しました。また、ワゴン車を運転してですね、温かい朝食、朝ご飯を、自分のワゴン車の中で作って救助隊員に提供しました。そういう出来事をですね、つまり助け合い、支え合う、そういう心がなによりもの温もりです。その温もりがあるのは、台湾と日本、義理と人情を非常に大事にしている日台同士が、そういう助け合いの心が強く根差しているところは、つまり日台の強力な絆を現す証ではないでしょうか?(大拍手)ありがとうございます。その助け合いの心で結んでいる絆を大事にして、さらなる友好関係を目指そうと、そういうふうに、それを目指して頑張っていきたい。そういう決意を新たにしまして、これからの日台友好の弥栄(いやさか)の、そして台湾総会の益々のご発展、そして皆様のさらなるご健勝、ご多幸を祈念しまして、お祝いの言葉に替えさせていただきます。本日は本当にありがとうございました」(大拍手)

 続いて前橋市の山本龍市長の挨拶。

「あの、本日は新年会、本当におめでとうございます。また花蓮の地震、市民も窓口で寄附を募っておりまして、またあらためて代表処にお届けしたいと思っております。昨年、私自身も台湾の素晴らしさを再発見した年です。3つの意味で台湾を訪問させていただきました。1つは、台北のボーイスカウトと前橋のボーイスカウトの交流がもう30年続いておること。2つ目は、前橋のある中学校と台湾の中学との交流が続いて、それが一回途切れておりますので、そのお詫びに上がってきたところです。行った先のその中正中学校というのは生徒がなんと2500人もおりまして、うちの中学校がたった500人しかいないので、これは違う規模だなと思っているほど驚いて帰ってきたところです。まあ、前橋全部の中学校と交流しなくちゃ、とてもバランスが合わないくらいの大きな中学校でございました。3つ目は台中市にありましたジャイアントという自転車メーカーが前橋の駅にお店を出していただいたそのお礼に、ということで、台中から高雄まで自転車で走らせていただきました。本当に素晴らしかったです。もうあちこちで歓待をしていただいて、「レンシータイワン(認識台湾」と言う言葉と、タイワン・ザアン(台湾讃)。「いいね!台湾」といって、交流させていただきました。本当に素晴らしい思い出でございます。そして、嘉義、昔農学校が甲子園に行った、あの、KANOか、KANO。それがそのう、映画をあらためて見たら本当に感動しました。本当にある意味、僕たちは故郷に行ったような気持ちであります。そんなことを含めてこれからも交流をしてまいりたいと思います。あのう、前橋はいろいろな形で交流がありましたけれども、あらためてこの間新聞を見ましたら、群馬県の奥の東吾妻町の石坂さんというかたが、基隆市に昔の夜間中学校を作ったという上毛新聞の記事が載っておりまして、いろいろな意味で群馬と台湾の関係をますます緊密にしてきたいと思った次第でございます。本日はそういう意味でも台湾総会、開催おめでとうございました」(拍手)
※石坂荘作の関連記事
上毛新聞 JPEG ⇒ 201802262030560001.jpg
東京新聞 JPEG ⇒ 201802262030140001.jpg

 続いて、沼田市の横山公一市長の挨拶。

「皆さん、こんにちは。(場内から、こんにちは)本日は群馬県台湾総会新年会にお招きを頂きまして、誠にありがとうございます。また、本会が関係者の皆さまご参会のもとに盛大に開催されることに心よりお喜び申し上げます。初めに、今月6日、台湾東北部で発生した地震により被害を受けられた皆さまがたに心よりお見舞いを申し上げます。そして一日も早い復興を願っております。さて、私どもの沼田市は、台湾のちょうど真ん中の日月潭のところにある魚池(ぎょち)郷のところで、台湾紅茶の父と言われております新井耕吉郎が私どもの沼田の出身でございます。皆様がたもご存知かと思いますけれども、沼田を出ますと日光に向かって120号線があるんですが、120号線の右側に薗原(そのはら)ダムと言う、川を、片品川をせき止めたダムがございます。そのダムの湖岸に新井耕吉郎の生家がございます。そしてそこには、頼幸吉郎のお墓も建っております。新井耕吉郎は台湾でお亡くなりになっておりますので、台湾にもお墓があります。それで許文龍さんという方が胸像を4体作っていただきまして、台湾茶業の試験場のところに1体。それから許文龍のご自宅に1体、それから美術館に1体と、私ども沼田市に1体ございます。ぜひ台湾総会の皆さまがたも沼田にお越しの節には、新井耕吉郎さんのところにぜひお邪魔していただければありがたいと思っております。そして今、沼田では台湾紅茶がブームになっておりまして、大変クセのない紅茶でございますので、皆さんが飲みやすいということで、愛飲者が増えております。そして、老神の温泉郷があるんですが、その温泉郷の皆さんが、昨年も台湾に、確か3回お邪魔して大変皆様方にお世話になっております。ぜひ老神にもお出かけいただきまして、温泉で癒していただければありがたいと、いうふうに思っています。今年は魚池郷の陳郷長と、6月頃にはなると思うんですが、友好都市の提携をしようじゃないかという話が現在進んでおりますので(拍手)、その進行具合によって、来年のこの総会に、イェーイという話ができると思いますので(拍手)、よろしくお願いします。本日はまことにおめでとうございます」(拍手)

 続いて、埼玉県本庄市の吉田信解(しんげ)市長からの挨拶。

「おめでとうございます。ダーゲホウ。隣の本庄市からやってまいりました吉田でございます。毎年頌彦会長さんにお招きを頂きまして、今日は、郭副代表にも駐日代表処の方から本当にわざわざ北関東までようこそお越しいただきました。今、前橋市長さん、沼田市長さんからご挨拶が有りましたように、本庄市も昨年起きた動きがありまして、本庄の場合はですね、本庄市にある洋ランの栽培農園があるんですが、モテギ洋蘭園と申しまして、実は代表処ではいつも使っていただいるみたいで、ありがとうございます。台南の新営市、昔は新営市と言っていたんですが、合併して今は新営区になりましたけれども、そこに大きなですね、市政府でもって、洋ランの栽培農園を、20へクタールくらいの大きな農園があるんですがその一角、4ヘクタールをですね、本庄のモテギ洋蘭園がむこうに進出して洋ランの苗を栽培しております。その社長と私、昔からよく知っていましたので、ぜひ本庄市から、市長もそうだし、議会もそうだし、経済人もそうだし、みんなでこう遊びに来てくれないかという話がありまして。ちょうど台南の対日友好協会の理事長の、副代表と同じ苗字の郭さんというかたと、郭さんの御主人が李退之という、当時、台南の市議会議員で、当時の市長の頼清徳市長と非常に親しいという関係もございましたので、ならばということで、昨年の8月に私、それから市議会議員が8名ですね、それと実はあのう、今日起こしですかね、伊勢崎の伊藤純子市議さんがですね、あっ、そこにいらっしゃいました。事前にこう遊びに行っていただいたんでございましてですね、メンバーとして、参加していただいたんですけど、それと商工会議所の関係者が8人ですね、総勢20人近くで皆で行きました。非常によくしていただきまして、とにかくホッタラー、ホッタラー(乾杯!)でですね、大変な目に遭ったんですけども(笑)、洋ランの栽培場もそうですけれども、とにかく、郭さんと、李議員、それから頼清徳市長にもお会いしましてですね、非常に歓待をしていただいたところでございます。で、帰ってきたら、突然頼さんがですね、今度は行政院長になられて、その、私どもにお世話していただいた李議員さんが、この、引っ張られてですね、行政院の農業委員会の副委員長、副主任ですか、日本で言う農水副大臣になられまして、今度視察でですね、実は先月、ではなくて、今月の2月4日に本庄市に視察に来ていただきました。そういうかたちで、非常にこう交流が始まっておりまして、特に洋ランの栽培場をご縁にした縁ですけれども、ぜひ台南市と、これから友好都市なり、結んでいけるように頑張って行きたい。実は昨年、その、暮れに、林百貨店という非常にモダンな百貨店のオープン3周年記念に、突如話が来まして、うちのマスコットキャラクターのハニポンというのがいるんですけども、これを寄こしてくれないか、という話でですね、秘書課長がハニポンを帯同して、行ってまいりまして。非常に盛り上がったところでございまして。大変そういう意味ではお世話になりまして、本庄市も日台の友好の為に頑張って行きたいと思います。先般発生しました花蓮の大地震につきましても、きょう実は一緒に行った訪問団が義援金を集めましたので、後ほど副代表にお渡ししたいと思っております。それにしても、群馬県の台湾に対する熱意は素晴らしいと私は思っております。埼玉県でもこういった動きが広がっていくように、私も頑張って行きたいと思いますけれども、ぜひ、川を隔ててのお隣同士ですから、これからも仲良くしていただきたいと思っております。どうぞ代表処はじめ、台湾総会の皆さまがたのですね、今後ますますの、シェンティジェンカン(身体健康)、ワンスールーイー(万事如意)ということでですね、皆様方の御健勝をお祈りします!おめでとうございました!」(拍手)

 次に、本日の来賓の紹介がありました。来賓としてお越しいただいた方々は次の皆さんです。
  台北駐日経済文化代表処教務部秘書 文小姐
  日本中華連合総会会長代理 頼浩生様
  伊勢崎市議会議員 伊藤純子様
  沼田市議会議員 久保健二様
  群馬県議会議員 大和勲様
  新潟県柏崎市議会議員 三井田孝欧ご夫妻
  群馬県国際戦略課課長 山田浩樹様
  群馬県台湾総会に長年ご尽力いただいたた 元日台議員連盟 松本耕司様
  元群馬県議会議員 原病院理事長 原富夫様
  株式会社フレッセイ相談役 植木康夫様
  富士見商工会事務局長 阿久澤豊氏らご一行様
  館林市日台親善交流協会会長 金井田好勇らご一行様
  NPO高崎ネットワーク代表 清水一也様ご一行様
  日本李登輝の会 群馬支部部長 山本厚秀様ご一行様



 なお、いつも来ていただいていた地元の伊勢崎市の五十嵐市長は今回は公務の為、欠席となりました。ちなみに、伊勢崎市では市議会に中共シンパの議員が多いため、台湾との交流がなかなか活性化させにくい雰囲気があると言われています。その中で毎年出席して台湾との交流促進にご尽力いただいているのが伊藤純子市議です。

 続いて、これまでに県内から多くの義援金をいただいたことから、これをNPO高崎ネットワークの清水理事長から郭副代表に贈呈されました。



 台湾東部の花蓮地方で震度7、マグニチュード6の大地震が 2月6日23時50分に発生しましたが、その翌日には多くのかたがたから群馬県台湾総会のもとに、問い合わせの電話や励ましのメッセージをいただきました。「支援をしたいがどうすればよいか」という声が多数寄せられたため、群馬県台湾総会で義援金窓口を立ちあげたのでした。

 頌彦会長夫人によれば、「義援金口座は2月28日まで振込可能。現在の義援金は、ネットワークも協力していただき、71万1000円。先ほど贈呈された募金の缶の中はまだ数えていなませんが、2月28日を終えて、3月に計算して代表処に振り込む予定」だということです。

 次に育英短大生による「あばれんぼう太鼓」の演奏がありました。




 その後、清水氏による乾杯の音頭とともに、懇親会がスタートし、軽妙な語り口で知られる会員の林さんの司会で懇親会がスタートしました。



 日本中華総会会長代理の来浩生氏の新年賀詞を手始めに、各種アトラクションが続きました。




台湾総会女性有志による「台湾の踊り」


台湾総会二世姉妹による「サックスとピアノ演奏」


台湾総会男性軍有志による「台湾民謡の望春風」合唱









カラオケタイム:台湾悠遊倶楽部、境中国語教室のメンバーの皆さんほか


台湾で3~4年前に爆発的にヒットしたダンス歌謡「歓喜来恰恰(みんなでチャチャチャ)」
※YouTube:【大喜臨門】電影主題曲《歓喜来恰恰》MV 完整版
https://www.youtube.com/watch?v=dOoOiJf7Gqw
※YouTube:【大喜臨門】電影主題曲《歓喜来恰恰》MV 舞踏教学
https://www.youtube.com/watch?v=lXLK9RcCvYM
※歌詞 PDF ⇒ 20180205.pdf



恒例の発紅包(お年玉)。プレゼンターは郭前会長


新年のお楽しみの「抽選会」

くじ運の悪い筆者も含め全員に景品があたる抽選会。

 そして15時に群馬県台湾総会理事の筆者により、一丁締めてお開きとなり、最後に全員で集合写真を撮影しました。

【ひらく会情報部】

※参考情報
○群馬県台湾総会のフェイスブック
https://www.facebook.com/%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E7%B7%8F%E4%BC%9A-409219445847118/
○柏崎市義:三井田孝欧氏のブログ記事
http://miida.cocolog-nifty.com/nattou/2018/02/2018-9f73.html

*********上毛新聞2018年2月8日
台湾東部地震支援 みなかみ町が検討 県総会は義援金募集
 台湾東部での地震発生から一夜明けた7日、台湾と交流のある群馬県内自治体は友好関係にある県や市の状況を確認した。
 片品村の梅沢志洋(ゆきひろ)村長や村議らは彰化県を訪問中だったが、被害のあった花蓮県から遠く離れていて無事だった。一行は8日に村に戻る。
 台南市に職員を派遣しているみなかみ町は職員の無事を確認した。同市も震源地から離れていて地震被害はないという。前田善成町長と林喜美雄町議会議長らが今月末に訪問する予定で、状況に応じて支援を検討するという。
 県内の台湾出身者らでつくる県台湾総会は25日に伊勢崎市内で開く新年会で義援金を募る。

**********読売新聞2018年2月26日

台湾地震 義援金贈る
県総会「強い絆と連帯表れ」

 台湾東部の花蓮県沖で起きた地震を受け、群馬県台湾総会などは25日、台湾の在日大使館に相当する「台北駐日経済文化代表処」(東京都港区)に義援金の目録を贈った。
 県台湾総会は台湾出身者からなる。義援金は、花蓮県出身で高崎市の造園業清水一也さん(74)の運営するNPO法人とともに呼びかけ、これまでに計約90万円を集めた。
 この日は、旧正月・春節に合わせた県台湾総会の新年会が伊勢崎市であった。代表処から郭仲煕副代表が出席し、会長の頌彦真賢さん(65)と清水さんが目録を手渡した。 頌彦さんは「多くの日本人が地震に関心を寄せ、支援してくれた。日本と台湾の強いきずなと連帯感が表れている」とし、清水さんは「古里なので、早く復興してもらいたい。被災された人たちに気持ちが届くといい」と話した。郭副代表は「多大な支援に感激する。義援金は復興に使いたい」と感謝した。
 義援金は28日まで集め、代表処に送る予定。

**********上毛新聞2018年2月26日

地震復興へ義援金
伊勢崎 台湾出身者が会合

 県内の台湾出身者らでつくる県台湾総会(頌彦真賢会長)の新年会が25日、伊勢崎市内で開かれた。台湾東部花蓮県の地震を受け、県内各地から寄せられた義援金の目録など軽約90万円分を現時点の途中経過として台北駐日経済文化代表処(東京都)の郭仲煕副代表に手渡した。
 義援金は総会が口座を開設したり、花蓮県出身の清水一也さん(74)=高崎市=が理事長を務めるNPO法人高崎ネットワークが募金箱を設置したりして集めた。新年かい出席者が会場で寄附した浄財も含んでいる。
 頌彦会長は「地震後、励ましの言葉が多く寄せられた。日本と台湾の強い絆の表れ」とあいさつ。郭副代表は「心温まる支援を頂き、心から感謝したい」と述べた。清水さんは「現地に知人も多い。早く復興してほしい」と話していた。
 新年会には会員と山本龍前橋市長、横山公一沼田市長ら台湾と交流がある自治体の幹部、議員ら関係者約100人が出席。冒頭で黙とうし、育英短大生による太鼓演奏もあった。
 義援金の振り込みは28日まで受け付けている。最終的な金額を同代表処に届ける予定。問い合わせは同会事務局(☎0270・21・8287)へ。
**********

※参考情報「新年会プログラムほか」
*****式次第*****
2018年群馬県台湾総会新年会
                 司会:千明昇平・艾真如
一、開会宣言 ~ 黙祷(台湾東部大震災のため) ~ 司会
二、会長挨拶                頌彦真賢会長
三、来賓ご挨拶
   台北駐日経済文化代表処挨拶      郭仲煕副代表
   前橋市長                山本 龍様
   沼田市長                横山公一様
   本庄市長                吉田信解様
四、来賓照会
五、花蓮震災の義援金贈呈
六、演奏       育英短大による「あばれんぼう太鼓」
七、乾杯の音頭           花蓮出身の清水一也様
         ♪♪~懇親会開始~♪♪
                      司会:林文祥
一、新年賀詞        日本中華総会会長代理来浩生様
二、台湾の踊り~~ 回娘家       台湾総会女性有志
三、サックス&ピアノ演奏  池田彩華&知華 台湾総会二世
四、台湾民謡~~ 望春風         台湾総会男性軍
五、カラオケ(①~③日本友人による台湾の歌)
  ①台湾悠遊倶楽部メンバー     指導:会員斎藤秀瑛
  ②境中国語教室メンバー      指導:会員宍田秀霞
  ③Sweet Romance       鈴木由美子
  ④台湾総会二世の踊り「姊姊」  長谷井秀美親子&友人
  ⑤ヘッドライト・テールライト      会員亀井元一
  ⑥皆でチャチャチャ「歓喜来恰恰」
(時間の関係で、多少変更がございます。ご了承ください)
六、発紅包(お年玉)
七、抽選会
八、閉会の言葉                 小川賢
九、全体撮影

*****抽選商品*****
1.代表処賞
2.会長省:電子レンジ
3.名誉会長省:商品券
4.総会賞:お米
5.大賞:エバー航空検
6.悠遊賞:お米
7.悠遊賞:お米
8.1等賞:庭のランプ
9.2等賞:入浴剤
10.復活賞:チャイナエアライン航空券
11.~30.酔仙賞:紹興酒(20人分)
31.~50.人気賞:鮭(20人分)
51.~60.ビリ賞1:米粉とスカーフ(10枚)
61.~94.ビり賞2:米粉2つ
紅包 図書券
代表処土産 ラスク(郭副代表、文秘書)
来賓手土産 奇美パイナップルケーキ&紹興酒

*****配布チラシ等*****




※参考情報「石坂荘作にかかる最近の報道記事」
**********上毛新聞2018年1月11日
東吾妻出身・石坂荘作に光 日台交流の業績知って
地元有志 資料収集 3月に顕彰会


石坂莊作

石坂荘作直筆の手紙とコピーと写真。奥は高橋事務局長
 日本と台湾の友好の礎を築いた、東吾妻町出身の石坂荘作(1870~1940)の業績を見直そうと、地元有志が関連資料を収集している。これまでに直筆の手紙が見つかったほか、兄弟がいたことが判明した。来月に石坂の業績にスポットを当てた講演会や展示会を開き、3月に顕彰会を立ち上げる。東吾妻町は石坂の縁で台湾との交流を深めていく考えだ。
 石坂は27歳で台湾にわたり、基隆市で石坂商店を開業。はかりやたばこ、マッチなど専売品の販売で利益を出す一方、社会への還元に力を入れた。日本人と台湾人が一緒に学ぶ初の夜間教育機関や、後に市立図書館となる石坂文庫、和洋裁縫講習所を立ち上げるなど教育面で貢献した。
 顕彰会は町の関係者や研究者ら約20人が参加する予定。講演会は石坂を研究する専門家が登壇し、町内の公民館や病院を会場とする展示会では直筆の手紙や写真、家系図などを紹介する。
 群馬の近現代史に詳しい前橋学センター長の手島仁さんによると、石坂は台湾で敬愛される6人の群馬県人の一人。石阪らにゆかりのある観光コースは、台湾からの誘客のツールになると提言する。
 東吾妻町は顕彰会の立ち上げを契機に、台湾と交流を図る考えだ。中沢恒喜町長が2月上旬、基隆市を訪れ、市長らと懇談する予定。将来的に姉妹提携を結びたい意向で、町の担当者は「まずは子どもが交流する機会を設け、ゆくゆくは観光振興につなげたい」とする。
 顕彰会設立準備委員会の高橋徳樹事務局長は「顕彰会を通じて、日本と台湾の交流に貢献した石坂の業績を多くの人に知ってもらいたい。十分な資料が集まっていないので、提供してほしい」と呼び掛けている。
 問い合わせは高橋事務局長(☎080・6731・4340)へ。

**********東京新聞2018年2月18日
台湾での功績たたえよう 東吾妻町出身 石坂荘作
町長ら基隆市訪問 顕彰会が来月発足
交流へ機運盛り上がる


石坂莊作の近影(台湾国家図書館のデジタル・アーカイブより)
 東吾妻町出身で若くして台湾に渡り、教育を中心に地域の発展に尽くして尊敬されている石坂荘作(一八七〇~一九四〇)。その功績をたたえ、石坂の縁を生かして台湾と交流しようという動きが同町で進んでいる。  (竹島勇)

基隆市内の中正公園にある石坂を与えるプレートを示す中沢町長。擁壁の上部に夜学校があった。=台湾・基隆市で(東吾妻町提供)
 石坂は二十七歳の時に台湾に渡り、事業の傍ら四十年余り、台湾北部の基隆市の発展に尽くした。日本人と台湾の人が席を並べて学ぶ初の夜間教育機関「基隆夜学校」や後の市立図書館となる「石坂文庫」、「和洋裁縫講習所」を創設し、人々が教育を受けることができるよう尽力した。
 前橋市文化スポーツ観光部参事の手島仁さんは本紙群馬版の連載「群馬学講座」(二〇一一年五月二十三日付)で石坂と紹介している。基隆夜学校が無料だったことや、石坂文庫が基隆市の「知識の庫」と呼ばれたことなどを説明。石坂が「台湾図書館の父」「基隆聖人」と称され、敬愛されている、とつづっている。
 東吾妻町を昨年六月、台湾駐日経済文化代表処の謝長廷代表が訪問。中沢恒喜町長らとの会談に同席した町内に住む高橋徳樹・県海外支援交流会事務局長(当時)が石坂について説明したことから、双方で石坂の縁を通じた交流への機運が盛り上がったという。
 中沢町長は今月八日、基隆市を訪問。基隆夜学校がもとになった現在の学校や図書館の跡地、資料を見学した。中沢町長は取材に「学校では大歓迎され、石坂さんが尊敬されているのを実感した。台湾と日本の学生が分け隔てなく並ぶ当時の写真を見て感動した」と話した。
 中沢町長は基隆市の林右昌市長と会い、中学生の相互訪問や文化交流友好協定を結ぶ構想などを話し合ったという。「台湾では岩櫃山も舞台となった大河ドラマ『真田丸』も放送され町への観光客も期待できる」と力を込める。
 高橋さんら有志は昨年六月、石坂荘作顕彰会準備委員会をつくり、資料を収集している。石坂の誕生日に当たる今年三月六日に正式に顕彰会を発足させる。準備委員会事務局長を務める高橋さんは「町では石坂さんの偉業を知る人は少ない。台湾との交流を深める一方で地元で広く知ってほしい」と話す。
 そのため町教育委員会が主催、準備委員会共催で「石坂荘作氏の功績を学ぼう」と題して教養講座を今月二十五日午後一時半から町中央公民館で開く。手島さんが「群馬と台湾の絆―台湾で敬愛される上州人―」、元国立国会図書館副館長で元同志社大学社会学部教授の宇治郷毅(うじごうつよし)さんが「石坂荘作市の現代的意義」と題して話す。入場無料で事前の申し込みは必要ない。問い合わせは町中央公民館=電0279(68)2412=へ。

現在の学校にある資料室で、学校の沿革を示す資料や卒業アルバムを見る訪問団ら=台湾・基隆市で(東吾妻町提供)

**********東京新聞群馬版2011年5月23日
手島仁の「群馬学」講座(18)
「台湾図書館の父」「基隆聖人」石坂荘作─台湾初、夜間教育機関を創設

 台湾で「台湾図書館の父」とか「基隆聖人」と称され、敬愛されている上州人・石坂荘
作を取り上げる。
 石坂荘作は明治三(一八七〇)年、吾妻郡原町(現東吾妻町)に生まれた。原町尋常小
学校を卒業。地元の牧師から英語、儒者から漢学などを学び、同小学校の教員となった。
 日清戦争に出征したのち、同二十九(九六)年、台湾へ渡った。台湾日報、台湾日日新
報社の会計主任を経て、度量衡器販売や、たばこ、マッチなどの専売品を手がける「石坂
商店」を創業した。
 石坂は商売で得た利益を社会に還元し、同三十六(一九〇三)年に台湾で最初の夜間教
育機関「基隆夜学校」(のち基隆商業専修学校)を創設。日本人でも台湾人でも授業料は
不要で、昼間に学校へ通えない者に勉学の門戸を開放した。
 同四十二(〇九)年には石坂文庫(のち基隆市立図書館)を創設。同図書館は基隆市の
「知識の庫」としてなくてはならないものとなった。さらに昭和六(三一)年には和洋裁
縫講習所(のち基隆技芸女学校)を開設し、女子教育の発展にも努めた。
 石坂は基隆市の教育を一身に担ったと言っても過言ではないが、実業界においても、基
隆信用組合長、基隆公益社長、基隆商工会長などの公職を歴任。その生涯をひたすら台湾
の北部にある都市・基隆のために尽くした。
 ところで、どうして石坂が「基隆聖人」と呼ばれているのであろうか。それは石坂の善
行に対する姿勢に多くの人々が敬意を表したからである。
 当時も海外に出て巨富を擁した成功者は何人もいたが、石坂は私欲に走ることなく、淡々
として余裕ができれば公共のために私財を投じた。つまり、建設・寄贈は有り余る財貨に
よってなされたものではなかった。
 例えば、基隆市民の朝夕の散策に欠くことのできない存在となった石坂公園も、自ら鍬
を握る労力を続け、数年の歳月を要して完成したもので、石坂はこうした方法ででき上が
ったものを、次々に市に寄贈していったのである。
 石坂荘作は、余裕があれば公共のために投じて惜しむことなく、社会の発展のために終
生を捧(ささ)げたことから、基隆市の存する限り、市民の感謝のうちに永遠にその名を
刻まれることであろうと、人々から「基隆聖人」と称され敬愛されたのであった。
                             (県立歴史博物館学芸員)
**********

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【速報】東電の毒牙から赤城山と県土を守れ!…木質チップ製造を巡る原料の木材調達とチップ化事情

2018-02-27 01:44:00 | 前橋Biomass発電問題・東電福一事故・東日本大震災
■東電グループの関電工を事業主体とする前橋バイオマス発電施設は、群馬県が定めた環境アセスメントを行わないまま、本年末迄に事実上竣工し、2月1日から本格運転が開始されるはずでしたが、未だにチップ製造に伴うチッパーの騒音問題や、チッププレスで脱水した廃水の処理や放流施設等が未整備の為、変則的な運転段階にあるものと見られます。
 そうした中、木質チップを製造する設備(チッパー)の試運転用なのか、大量の木材が前橋バイオマス燃料のある敷地に運び込まれるところを目撃したとする情報が当会に寄せられましたので、報告します。

国道353号線を東に向かってひた走る丸太満載のトラック。



電中研の近くの前橋バイオマス発電入口を左側に入るトラック。

バイオマス発電所に向けて進入道路を上ってゆく丸太満載トラック。

 目撃情報によれば、2月26日10時ちょっと前に、赤城山の南斜面道路(国道353号線)を、西の富士見方面から東に走る丸太(間伐材?)を積んだトラックが、前橋バイオマス発電所へ入っていったということで、写真提供もいただきました。

 そして、電中研の前で、Uターンして、戻ろうとしたら、今度は、東方面から丸太を積んだ2台目のトラックを目撃したので追跡すると、やはり前橋バイオマス発電所に入っていきました。


今度は東の方から別のトラックがやってきて、発電所入口に入ってゆくところ。

 このトラックのキャビンや荷台の塗装や構造を見ると、最初に目撃されたものは、木材を荷台に積み下ろしするためのローダークレーンは、荷台前部側にあるタイプで、当会が昨年12月10日と16日に、高崎市室田町のトーセンの仮貯木場で調査した際に目撃したトラックと塗装が似ていることがわかります。


これもバイオマス発電所への進入道路を上って行った。

 一方、本日2台目に目撃されたものは、ローダークレーンの配置が荷台後部側にあるタイプで、荷台デッキ両側には“あおり”が付いていません。このタイプも高崎市室田町のトーセン仮貯木場で目撃したもう一台のトラックと類似していましたが、ローダークレーンがヒアブ社製LOGLIFT 115Zではなく、90ZWのようです。

■当会は、昨年2017年12月10日と16日に高崎市室田町にあるトーセンの土場を調査しました。きっかけは、室田町の土場にチッパーがあるらしい、という情報提供があったため、さっそく調査に赴いたのでした。


室田町を巡回していると製材所(丸喜製材)があった。奥に見えるのがSDM式木材乾燥装置(東北通商㈱製)。これはトーセンの脱水プレスと異なり、木くずを燃焼させて熱風をつくり、長時間かけて、適正な水分量に乾燥させる装置。

さらに林道を上りながらついでに放射線量を測定。ここは0.11μSv/h。

土場を探しながら林道沿いを進む。

林道わきのこの場所は0.12μSv/h。

上室田小学校の放射線量0.12マイクロSv毎時。

なかなか土場が見つからず、あきらめて帰ろうとした矢先、太陽誘電の榛名工場の前の道路を走りながら、ふと川向うを見ると、大量の丸太が積みあがっているのを目にした。さっそく行ってみることに。

トーセンと描かれた入口の看板。

丸太を既に片づけた跡がある。

間伐後一年程度経過した貯木。

間伐材と看板。

近所の人の話では、トラックで別の場所に少しずつ運んでいるという。

手前は中島木材の土地。


間伐材は、少し前までは敷地いっぱいにあったという。どこに運び出したのだろうか。


■この日は運搬トラックは見えなかったので、あらためて12月16日に現場を再調査したところ、ちょうどトラックに出くわせた。


ちょうどトラックが進入していくところ。

貯木場で木材積み付け作業中。

ローダークレーンで作業。

反対側でも同時に別のトラックが丸太を搭載中。

近づいてみる。

横から見る。

念のため、貯木場外側の放射線量を測定すると0.07。

やけに注意喚起の看板が多い。

二台で同時作業中。

どちらもヒアブ社製のローダークレーンを使用。

丸太はトラック荷台の長手方向に搭載している。

なぜか太過ぎる丸太はトラックに積まず、脇に除けている。

この丸太は比較的新しそう。

室田町の唐澤運送が丸太の積み取りと運搬を請け負っている。

■翌日の17日の日曜日に伊香保に行く途中、再度、トーセンの土場に立ち寄ってみました。今日は木材の取扱作業はお休みのようです。


↑この土地は高崎市と合併前の榛名町の町長だった石井清一氏の所有地で、しばらくトーセンが借りていたもの。材木の撤去は土地を返す都合もあるらしい。↑

土場入口での放射線量は0.05μSv/h。

一年も経過するとかなり乾燥が進んでいる感じ。

もっと近寄って観察。

反対側の様子。

バーク(樹皮)を履き集めた部分は0.11と高め。

念のため別の線量計で測ってみたら、なんと0.14。

これらも丸太は前橋バイオマス発電の試運転用燃料なのだろうか?



計測を終えて伊香保方面に向かう。榛名山麓にも産廃計画反対の看板がいたるところ多数みかける。看板の数の多さは、そのまま地域住民の結束力・団結力の象徴だ。言い換えれば、群馬県の環境行政がお粗末なため、県民はこうした余計な労力を強いられるわけだ。

水沢うどんを食した。

試しに計測すると0.13(左)、0.12(右)であった。

■冒頭のローダークレーン付き丸太満載トラックの写真をみると、室田町のトーセンの土場で見かけたトラックと同じカラーリングであることがわかります。ということは唐澤運輸のトラックです。

 もう一台は別の運輸会社のローダークレーン付きトラックのようです。周辺住民のかたがたに確認いただいたところ、「富岡陸送」という名前のトラックだということです。

 12月16日に室田町の土場から運び出された木材は、12月23日の関電工のバイオマス発電施設見学会の際に、敷地内の防音壁周辺に積まれていた木材とよく似ていたという証言を得ています。

 しかし、チップにしなければ発電ボイラーには投入できません。チップを製造するチッパーは1億円もする欧州製の移動式なので、どこにあるのかさっぱり分かりません。先日、関電工がこのチッパーの騒音が大きすぎる為、再度施設内に持ち込んで、試運転をしたようですが、普段はあちこち移動して使っているので、どこでなにをしているのか不明です。このようなものにも巨額の補助金が野放図に注がれているのですから、我々から、県民税や緑の県民税をいくら支払わせても、足りないはずです。

【市民オンブズマン群馬事務局より】


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納税者住民に対する上から目線の太田市役所税務職員の対応の実態!

2018-02-26 23:54:00 | 県内の税金無駄使い実態
■2018年(平成30年)の確定申告期間は2月16日(金)から3月15日(木)ですので、すでに税務署に赴いて確定申告の手続きをされた方も多いと思います。そうした中、群馬県太田市で平成30年度の市民税・県民税申告のため、2月14日(水)の午前、尾島庁舎の4階大会議室を訪れたひとりの太田市民が、対応した太田市役所の税務職員からとんでもない仕打ちを受けました。そのため当会になんとかしてほしいという相談があり、さっそく支援行動を開始することにしました。

税務職員による市民納税者へのパワハラ行為の舞台となった太田市尾島庁舎(旧尾島町役場)。
※参考資料「太田市市民税県民税の申告日程・所得税の確定申告相談日程」
k.pdf

 国税では、佐川宣寿国税庁長官(前財務省理財局長)が学校法人「森友学園」への国有地売却問題に関して、国会で虚偽答弁をしていた疑惑が向けられており、納税にとって、確定申告に際して、極めて納税意欲が減退する影響が出ている現状が日に日に高まっています。これは明らかに行政による納税者による納税行為への信頼を裏切るものであり、国家公務員でも地方公務員でも、こうした上から目線の体質が蔓延していることがわかります。

 納税者が納税義務を果たすのと同時に、その血税の恩恵にあずかる行政関係者には、しかるべきモラルというものが要求されるはずです。

 しかし、ゆでガエルに慣れ切った役人の中には、どうしようもない輩がいるのです。それでは太田市の住民が税務申告のため2月14日に尾島庁舎を訪れた際に受けた仕打ちについて、我々オンブズマンが太田市長に質問書を出したところから、ご報告します。

■2月19日に私たちは次の質問書を太田市長にFAXで送信しました。

*****質問書*****PDF ⇒ cs.pdf
                             平成30年2月19日
〒373-8718 群馬県太田市浜町2番35号 電話:0276-47-1111(代表)
太田市長 清水聖義 様
(太田市役所市民そうだん課)
メールアドレス:015100@mx.city.ota.gunma.jp
電話:0276-47-1111(代表) FAX:0276-47-1864

                〒371-0801 群馬県前橋市文京町1丁目15番10号
                市民オンブズマン群馬  代表  小川 賢
                TEL: 027-224-8567(事務局)/090-5302-8312(代表小川)
                FAX: 027-224-6624

  税務申告に訪れた市民に対する市職員のパワハラ発言に係る質問書

 当会は、行政及びその関連機関を外部から監視し、当該機関による税金の無駄遣いや行政及び関連する権限を不当に行使することによる住民・関係者の権利利益の侵害に対する調査及び救済の勧告を図る活動をしている民間団体です。
 さて、2月14日、太田市役所の尾島庁舎へ税務申告に赴いた太田市民Aさんから、職員の酷い対応について当会事務局に下記の報告と相談がありました。
                     記
 AM10時頃、Aさんは、自分の番として呼ばれ9番の椅子に座った。市側の担当者は50代男性職員(姓は「萬年」)で、何故か1人だけ作業着姿であった。以下はAさんと市職員とのやりとりの模様です。
 Aさんが、「三か所の勤務先があり一ヶ所の勤務先だけ給料明細と源泉徴収票を発行してもらえなかった」ことを伝えたところ、市職員に振込の通帳コピーをとられた。
(1) 一ヶ所還付金があったが、市職員から「還付金の手続きには手数料がかかるけど欲しいの?」と言われた。
(2) Aさんは「以前はそんなことなかった」と言うと、市職員は「国税だからかかる」と断言した。
(3) Aさんが「手数料はいくらですか?」と聞いたところ、市職員は「還付金額によって違うから、ここではわからない」と言い、あまりにもその物腰が強引で怖かったので、Aさんは「わかりました」としか答えられなかった。
(4) 市職員は、「長期保険が地震保険料控除証明書の扱いになっている事が気に入らない。お金が無いのにこんな保険やめろ!」と言い放った。
(5) Aさんは、保険の相談ではなく税務申告に来たので、保険のことは関係ないのに、と思いましたが、怖くて口にできず無言のままでいた。保険だけ還付手続きをしてくれなかった。
(6)黙ったままAさんに向かって市職員は「飲食店で働いているなら、私が行ったときに、料金を安くするかサービスをしろ‼」とさらに声を荒げた。
(7) Aさんは腹立たしさをぐっとこらえて、無言を貫きました。すると市職員は「ところで、収入は本当にこれだけ?二人合わせても、これだけ?よく生活できるね」と話題を変えてきた。
(8) Aさんは「大変なんです。以前生活保護の話を聞きに行ったが、相手にして貰えませんでした。二人とも病気があり、これでも精一杯働いています」と事情を説明した。すると市職員は「まあまあ、言い訳はいいから後で収入が見つかったら大変だよー」と言う始末。
(9) Aさんは、即座に「ありません」と答えたが、今度は市職員が「変な名前だね。何て読むの?この辺(の出身者)じゃないね?」とAさんの源泉徴収票の名前のカタカナ表記に目をやりながら言った。
(10)Aさんは「南の地方にいます」と律儀に答えたが、市職員はプリントした書類をAさんに渡しながら「あーっ!おしっこがしたい、おしっこがしたい!!ここでしちゃうかなぁ?」と、言いながら突然席を離れた。

 上記の体験をさせられAさんは「毎年申告へ行っているが、こんな変な職員は初めてです。一
体、市民を馬鹿にしているのでしょうか?脅しているのでしょうか?あるいは、セクハラ発言かパワハラ行為にあたるのでしょうか?しかも、他の職員も椅子に座り前を向いたまま水分補給をしたり、名札を隠したりしていました」として、応対した市職員はもとより、その場に居合わせた他の職員らの対応にも憤慨しておられます。

 つきましては、以下の質問・依頼事項に対して、速やかに責任あるご回答をお願いします。

質問・依頼事項1:
「萬年」と名乗る50代男性職員のフルネームと所属部署および職位は何ですか?

質問・依頼事項2:
上記のやりとりについて、当該職員に事実関係を確認し、Aさんへの発言の真意を聴取したうえで、その結果を当会に報告してください。

質問・依頼事項3:
当該職員の上記行為について、御庁の就業規則など内部規定、そして公務員倫理に照らして、どのような問題があると考えますか?それとも、問題がないのでしょうか?問題がない場合は、その理由も教えてください。

質問・依頼事項4:
国家公務員倫理法(平成11年法律第129号、施行日:平成28年4月1日、最終更新:平成27年9月11日公布、平成27年法律第66号改)の第43条(地方公共団体の講ずる施策)には「地方公共団体及び地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第二条第二項に規定する特定地方独立行政法人は、この法律の規定に基づく国及び行政執行法人の施策に準じて、地方公務員の職務に係る倫理の保持のために必要な施策を講ずるよう努めなければならない」との定めがありますが、御庁ではこれに基づく職員倫理条例を定めていますか?定めている場合はその内容を教えてください。定めていない場合は、その理由を教えてください。また、定める計画がある場合には、いつごろの制定を目指しているのかも教えてください。

質問・依頼事項5:
御庁では、職員向けに公務員倫理にかかる研修や講習会を実施していますか?実施している場合、最近ではいつごろ行いましたか?また、今後、いつごろ行う予定がありますか?

質問・依頼事項6:
Aさんに対して行った当該職員による納税者へのハラスメント行為は断じて許されるもの
ではありませんが、貴殿の考えをお聞かせ願います。また、当該職員に対してしかるべき処分を言い渡した上で、Aさんに対して謝罪するように訓令あるいは命令することを強く要請します。

 以上、お手数ですが、書面により平成30年2月26日(月)限りで、FAXにてご返事を当会事務局あて(FAX: 027-224-6624)送信ください。
 また、この質問書と貴回答書については、報告・相談者のご意向を確認したうえで、当会のホームページあるいはブログ等に掲載してひろく公表する用意がありますので、あらかじめご了承ください。
                        以上
**********

■この質問に対して、期限日の2月26日に次の内容の回答がFAXで当会事務局に送信されてきました。

*****太田市からの回答*****PDF ⇒ 20180226cs.pdf
<P1>
FAX送信票
                      平成30年2月26日(月)
宛 先:FAX 027-224-6624
    市民オンブズマン群馬
     代表 小 川  賢 様
発信元:〒373-8717 群馬県太田市浜町2番35号
    太田市役所
    所属 市民税課
    TEL 0276 – 47 – 1932 / FAX 0276 – 47 – 1870
内 容:
 平成30年2月19日質問書について、別紙のとおり回答を送付申し上げます。
添付書類:この送信票のほか 1枚
備 考:

<P2>
                     平成30年2月26日
市民オンブズマン群馬
代表 小川 賢  様

税務申告に訪れた市民に対する市職員のパワハラ発言に係る質問書に対する回答について

                       太田市長 清水聖義

平成30年2月19日付け上記質問に対しまして下記のとおり回答いたします。

                記

 今回の件につきまして、当該職員に確認しましたが、パワハラ発言等は認められませんでした。但し、ご不快な思いをさせたとすれば、今後気を付ける様に指導を徹底いたします。
 職員の公務員倫理につきましては、地方公務員法を遵守するよう今後とも指導に努めてまいります。
**********

■これが太田市役所職員による住民に対するパワハラ同然の対応です。仮に当該職員に事実関係を確認した場合、きちんと倫理観を有する職員であれば、当然、パワハラ発言の事実を認めるはずですが、それをしようとしないのですから、やはり当該職員は住民を小バカにしようとする意向を内心抱えていることがわかります。

 相談者の了解を得たうえでここにこのやりとりを公表するとともに、役人の皆さまには、納税者に対する役所の役人による“上から目線”の実態をよく認識して下さるようお願いします。

 なお、この事件については、近日中に、相談者とともに太田市長に直接面会し、当該職員の為した行動がいかに住民の行政に対する信頼関係を損なうものかをアピールする所存です。

【市民オンブズマン群馬事務局からの報告】

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アカハラと寮生死亡事件に揺れる群馬高専…国立高専校長の選考・任命に関して国立高専機構から回答書

2018-02-26 22:09:00 | 群馬高専アカハラ問題
■群馬高専にありとあらゆる災厄を撒き散らしたあげく、前年の2017年3月をもって出向元の文科省に逃げ帰っていった天下りキャリア官僚の西尾典眞前校長と、その後継者として長岡高専から「学校改革」の経験を買われて群馬高専に赴任し校長に就任したはずなのに、その後まったくアカハラ事件情報の開示に応じようとしない山崎誠現校長ですが、当会としては、やはり、西尾⇒山崎への校長交代劇が、誰のシナリオで、どのように校長位が引き継がれたのか、その背景事情を探らなければならないと強く感じています。その一環として、当会はまず国立国会図書館で、新旧校長のプロフィール調査を行いました。その内容は次のブログを参照ください。
○2018年2月20日:アカハラと寮生死亡事件に揺れる群馬高専…国立国会図書館での職員名鑑閲覧で見えてきた西尾前校長の作戦
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/2566.html#readmore

本日15:14に国立高等専門学校機構から送信されてきたFAX送り状。

 しかし、これだけでは、そもそも高専における校長の具体的な選考方法や過程が明らかになりません。そこで当会では、2月14日に、次の内容の質問書を機構あてに送り、高専校長の選考が具体的にどのように行われているのかを質問しました。

*****質問書*****PDF ⇒ zilr1.pdf
                            平成30年2月14日
〒193-0834 東京都八王子市東浅川町701-2
独立行政法人国立高等専門学校機構 御中
TEL:042-662-3120(代表)/FAX:042-662-3131
               〒371-0801 群馬県前橋市文京町1丁目15番10号
                 市民オンブズマン群馬  代表  小川 賢
           TEL: 027-224-8567(事務局)/090-5302-8312(代表小川)
                             FAX: 027-224-6624
     高等専門学校の学校長選任過程に関わる質問書
 拝啓 日々益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
 弊団体は、行政及びその関連機関を外部から監視し、当該機関による税金の無駄遣いや行政及び関連する権限を不当に行使することによる住民・関係者の権利利益の侵害に対する調査及び救済の勧告を図る活動をしている民間団体です。
 さて、表題のとおり、全国に51校存在する各国立高等専門学校の学校長の選考・任命を貴法人がどのように行っているのかということについて、その実態や関連規則が広く知られているとは言い難い面があり、「どのような方法で行われているのか、公平性・客観性はきちんと担保されているのかを知りたい」という市民のご指摘が弊団体に寄せられたため、かかる事項に関して、弊団体として貴法人に僭越ながら別紙(1)~(14)のとおりご質問をさせていただく次第です。
 なお、回答については、大変勝手ながら、書面で2月23日(金)までにFAXにて上記弊連絡先まで折り返し送達いただければ幸いです。なお、何らかの事情によりこの期限までの回答が不能である場合は、大変お手数ではありますが上記弊連絡先までお伝えいただきたく存じます。
                               敬具

質問(1)
 ある人物が高等専門学校学校長の候補者として立候補する場合、本人と立候補時点での所属機関その他関連機関のどちらが、どのような書類を、どのような書式で貴法人に提出するのでしょうか。

質問(2)
 貴法人の校長候補者の募集は、貴法人が直接公募するのでしょうか。それとも関連機関を通じて募集を出すのでしょうか。

質問(3)
 校長候補となるためには関連機関の推薦が必要という情報がありますが、この関連機関は候補者の所属機関のみに限られますか。また、貴法人が指定して推薦を受け入れている「関連機関」を全てお教えください。もし「関連機関」について指定がなければ、これまでに推薦を受け入れて選考したことのある機関を全て列挙して回答してください。また、一機関につき推薦できるのは何名まででしょうか。

質問(4)
 関連機関が候補者を推薦するにあたっては、候補志願者が自ら所属機関その他関連機関に申し出て候補し、推薦を貰うのでしょうか。それとも所属機関その他関連機関の方から、能動的に高専の運営に精通した人物に候補を打診しているのでしょうか。

質問(5)
 直近5年間について、校長候補者の書類審査と面接審査を担当している選考委員の氏名・肩書をすべてお教えください。

質問(6)
 直近5年間について、校長候補者の人数、書類審査での通過者(落選者)の人数、面接審査での通過者(落選者)の人数、最終的に高専校長として着任した者の人数をお教えください。

質問(7)
 文部科学省(および他省庁)から貴法人への出向者であって、校長に就任する者に関しては、それ以外の者と同様に選考委員会による選考の対象となりますか。あるいは、当初から学校長就任内定者として扱われますか。

質問(8)
 校長の募集・選考にあたっては、各高専それぞれに関して枠が設けられ募集がかけられるのでしょうか。それとも、貴法人全体として特に着任校を指定しないまま校長候補者を募集しているのでしょうか。後者の場合、貴法人が着任校について候補者に希望を聞くことはありますか。また、同じく後者の場合、着任校は最終的にどのようにして決定し、候補者に通知されますか。

質問(9)
 書類審査・面接審査それぞれにおいて、選考にあたり考慮される事項・要素・基準を挙げてください。また、面接審査やその後の最終決定にあたっては、各選考委員が合否を判定し多数決で通過・落選を決定するのでしょうか。それとも各選考委員が点数をつけ、合計点を比較して判定するのでしょうか(それ以外の方法である場合は、具体的に説明して回答してください)。

質問(10)
 面接審査の会場は、貴法人(高専機構)本部でしょうか。

質問(11)
 旧学校長の退任および新学校長の選考と就任に関して、1年間のうちで、以下の(A)~(I)にかかるプロセスが、どの時期に行われているのか、年間のスケジュールをお教えください。もし旧学校長の退任決定や新学校長の募集が、1年のうち決まった時期になされていない、高専ごとの随時募集である場合は各プロセスとその間のタイムスパンをお教えください。

(A)旧学校長の退任が貴法人の内部で決定する。
(B)高専新校長についての募集が行われ、貴法人が推薦と書類を受け付ける。
(C)書類審査が行われる。
(D)書類審査の合否と、面接審査の日程が候補者に伝えられる。
(E)面接審査が行われる。
(F)面接審査の合否が候補者に伝えられる。
(G)選考通過者が貴法人と校長としての雇用契約を結ぶもしくは契約更新を行う。
(H)新校長の着任校が正式に内定し、通知される。
(I)旧校長による新校長への引継ぎ作業(あれば)

質問(12)
 校長の選考に関する貴法人の関連規則および内規について教えてください。

質問(13)
 校長選考・就任とそれに関連する業務に関しては、貴法人のうちどの部署が担当していますか。

質問(14)
 一度校長の選考に落選した人物が、翌年以降再度候補者となることはできますか。可能な場合、そのような実例はありますか。また、すでに定年退職等で所属機関を持たなくなっている人物が立候補することは可能ですか。

                              以上
*********

■この質問に対する回答は、少し遅れて、本日15時14分に当会事務局にFAXで送信されてきました。内容は次のとおりです。

*****機構からの回答書*****PDF ⇒ zc.pdf
<P1>
発信元:ドク)コクリツコウセンキコウジンジカ   電話番号:0426623168  2018.2.26 15:15 P.1
                       平成30年2月26日
市民オンブズマン群馬  御中

                  独立行政法人国立高等専門学校機構

平成30年2月14日付け質問書について、別添のとおり回答します。

                  担当 国立高等専門学校機構
                       事務局人事課(阿部)
                       Tel.042-662-6153

<P2>
○国立高等専門学校の校長の任命手続について
 国立高等専門学校の校長の任命については、独立行政法人通則法の規定により理事長が任命することとされており、また、その資格については、高等専門学校設置基準(昭和36年文部省令第23号)において、「人格が高潔で、学識が優れ、かつ、高等専門学校の運営に関し識見を有すると認められる者」と定められています。
 当機構においては、法令の定めを踏まえ、教育及び科学技術に関する高い識見や組織の長としての管理運営能力・統率力などの観点から、優れた人材を幅広く得るように努めています。
 このため、校長の選考プロセスについては、理事長から、高専、理工系又は商船系の分野を有する大学、文部科学省に候補者の推薦を依頼し、推薦のあった者について、選考委員会における書類審査・面接審査を経て、理事長が任命しています。
 選考委員会は、当機構の役職や外部の学識経験者で構成し、その学識経験者は、地方公共団体の教育委員会の経験、大学教員の経験、民間企業の技術職の経験等を有する者を委嘱しています。
 選考のスケジュールやプロセスとしては、当該年度末の退職予定者を勘案しつつ、概ね7月以降に推薦の手続を開始し、翌年2月までに選考委員会における書類審査及び面接審査を実施し、3月上旬までに選考結果の通知及び着任校の内示が行われ、4月1日付で任命するのが通例です。
 選考に際しては、推薦者からの推薦書や候補者の経歴、実績、校長に就任した際の考えに係る書類の提出を求め、選考委員会における書類審査・面接審査を通じ、教育、研究、社会貢献に係る実績・能力、組織の長としての実績・経験・能力、職務に対する意欲・熱意の観点から、委員の合議により候補者の校長としての適格性を総合的に判断しています。
 例年、推薦される候補者は概ね20人程度で、選考を経て、校長に登用されるものは概ね10人程度となっています。
 着任校の決定は、適材適所の観点から、理事長が判断しています。
 また、当年度に校長に適用されなかった者で、翌年度以降改めて推薦があり、校長に登用される場合もあります。
**********

■以上のように、当会の質問に対して、機構側はそれぞれの項目ごとには回答せず、全体を一括りにして手順を説明する形をとっていますが、質問(5)~(8)のように、個別具体的な情報を回答するよう求める項目については、ほぼスキップされています。

 回答内容の分析はこれから行いますが、高専の校長候補者のバックグラウンドとしては理工系の知識や経験の持ち主がメインだと思われます。ところが、機構が文部科学省に候補者の推薦を依頼するものだから、西尾前校長のようなキャリア官僚が校長候補としてノミネートされてしまい、機構の理事長がそうした人物を優先的に選定している光景がイメージできます。

 いずれにしても、校長選考過程の概要は把握できたので、この情報をもとに、群馬高専における西尾から山崎への校長職のバトンタッチの経緯をさらに深堀りしてみる価値はありそうです。

【市民オンブズマン群馬事務局からの報告】
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群馬県台湾総会からのご協力のお願い

2018-02-25 20:14:00 | 国内外からのトピックス
拝啓
 この度、台湾花蓮県に発生した地震によって被害を受けられた皆様方に心よりお見舞い申し上げます。 一日も早い復興を願っております。
 日頃、群馬県台湾総会にご理解とご支援を賜り、厚く御礼を申し上げます。
 2月6日午後11時50分(日本時間2月7日午前0時50分)に発生して以来、県内外の方々より多数の励ましの言葉をいただき、皆様より義援金の寄付の件についての問い合わせがございました。
 協議した結果、群馬県台湾総会が窓口となり、義援金は「台北駐日経済文化代表処」に寄付し被災地の方へ支援させていただきたいと存じます。
 この地震で被災された方々を支援するため、下記のとおり義援金の受付をさせていただいております。皆様の温かいご支援をよろしくお願いいたします。

○受付期間
 2018年2月8日(木)~2月28日(水)
○銀行振込
 東和銀行 伊勢崎支店
 口座番号 普通 3149880
 口座名義 「グンマケンタイワンソウカイ カレンシンサイ」
                                    敬具
2018年2月8日

                          群馬県台湾総会
                          会長 頌彦真賢
 最初のニュースを聞いた時にはこれほど酷いとは思いませんでした。

**********産経新聞2018.2.8 10:16
【台湾地震】花蓮の倒壊建物で捜索続く 死者9人に

雨の中続く捜索活動=8日、台湾・花蓮市(田中靖人撮影)
 【花蓮=田中靖人】台湾東部の地震で、花蓮市の12階建て集合住宅兼ホテル「雲門翠堤大楼」の倒壊現場では夜を徹して捜索が行われた。8日午前までに新たに遺体が発見され、午前6時現在、この場所での死者は6人となった。地震による死者は計9人、けが人は265人に上った。
 地震で倒壊した4棟のうち、老舗ホテル「統帥大飯店」では捜索・安否確認が終了。安否が確認できていない62人のうち47人が集中する雲門大楼が捜索の焦点となっている。花蓮では7日昼から断続的に雨が降り、作業を妨げている。建物は地震直後より傾斜が強まっており、消防隊員らの安全を確保しながら慎重に捜索が進められている。
 建物は地上3階分が崩れており、1、2階のホテル部分に犠牲者が集中しているとみられる。8日未明には、ホテル部分から宿泊客とみられる中国人女性や従業員男性が遺体で見つかった。
 報道によると、地震で倒壊した4棟はいずれも南北に走る断層の上に建っていた。雲門大楼は川と暗渠(あんきょ)が交わる地点に建っており、地元建築士は倒壊の原因を液状化と指摘した。ただ、台湾では2016年2月の南部での地震で違法設計・施工の高層住宅が倒壊したため、1階部分がアーケードとなっていた建物の構造や2階部分の改装が原因ではないかとの報道が相次いでいる。


前日より傾斜が強まった12階建て集合住宅兼ホテル=8日午前、台湾・花蓮市(田中靖人撮影)

倒壊した雲門大楼は川沿いに建っていた=8日、台湾・花蓮市(田中靖人撮影)

捜索活動が続く、地震により損壊し大きく傾いたビル=8日、台湾・花蓮市(共同)

地震により損壊した道路と大きく傾いたビル(奥)=8日、台湾・花蓮市(共同)
**********

【2月19日追記】
**********日経BP 2018年2月13日
傾く巨大ビル、台湾地震で記者が見た被害実態
★台湾東部地震ルポ(1)断層近くの高層ビル2棟などが倒壊

 台湾東部で現地時間2月6日午後11時50分ごろ、高層ビルが倒壊するなどの大きな被害をもたらす地震があった。現地に飛んだ菅原由依子記者が、まずは写真を中心に被害の詳細をリポートする。


台湾・花蓮市の中心部に立つ「雲門翠堤大楼」。地震によって地下1階と地上1、2階がつぶれ、大きく傾いていた。2月10日撮影(写真:菅原 由依子)
 死者が多く出た高層ビル「雲門翠堤大楼」は、遠目からも分かるほど大きく傾いていた。台湾東部で2月6日午後11時50分(日本時間7日午前0時50分)ごろ、マグニチュード(M)6.0の地震が発生。花蓮市内で高層ビルが傾斜するなどの被害があった。台湾内政部消防署の発表によると、2月11日午後6時までに確認された地震による人的被害は死者16人、負傷者289人、行方不明者1人。


被害者の多くは、低層階に入っていたホテルの宿泊客だ(写真:菅原 由依子)
 倒壊するなど大きな被害を受けたのは、主に高層ビルで、断層近傍に位置していた。前述の「雲門翠堤大楼」は地下1階・地上12階建て、そのほか11階建ての「統帥大飯店」、11階建ての集合住宅などが倒壊した。


地震によって1、2階がつぶれたホテル「統帥大飯店」。2月9日に解体が始まった。撮影は2月10日(写真:菅原 由依子)


1階の駐車場がつぶれた集合住宅。住民たちは窓などから救出され、幸いにも死者は出なかった(写真:菅原 由依子)


高層ホテルの建設現場では、地震によってクレーンが倒れた。この敷地も断層近傍にある(写真:菅原 由依子)
(菅原 由依子=日経 xTECH/日経アーキテクチュア)

**********日経BP 2018年2月16日
台湾地震で傾いた巨大ビルの図面入手、現地技術者が語った倒壊メカニズム
★台湾東部地震ルポ(2)低層部の柱を起点に連鎖的に崩壊か

 台湾東部の花蓮市では、2月6日(現地時間)に発生した地震によって高層ビルなどが倒壊。合計17人が犠牲となった。なかでも被害が大きかったのが12階建ての「雲門翠堤大楼」だ。巨大ビルが傾いた姿は大きなインパクトを与えた。日経 xTECHは、平面図を独自入手。現地の構造エンジニアの見解を交えて、推定される倒壊のメカニズムとその原因について探った。


台湾東部で2月6日(現地時間)、マグニチュード6.0の地震が発生。震度7級(台湾の震度階級)を記録した花蓮市では、合計17人の死者を出した。余震が続くなか、「雲門翠堤大楼」では行方不明者の捜索と、専門家たちの調査が同時に行われていた。撮影は2月10日(写真:菅原 由依子)
 「雲門翠堤大楼」を訪れると、周囲は規制線が張られ、川沿いの歩道から街の人々が不安そうに見守っていた。そのときは行方不明だった2人の夫婦が建物内で発見され、消防隊や軍隊が遺体を運び出す瞬間だった。


敷地の北側から撮影。3階までが地下にもぐり込んでいることが分かる(写真:菅原 由依子)
 花蓮市を襲った2月6日の地震は、合計17人の犠牲者を出した。そのうち14人が雲門翠堤大楼にいた人々だ。建物は地下1階・地上12階建てで、鉄筋コンクリート造。1階にレストラン「阿官火鍋」、2、3階にホテル「漂亮生活旅店」、4階以上に住居などが入っていた。敷地は花蓮市の中心部で「美崙渓」という川のそばにあり、竣工してから築20年以上がたつ。


敷地横を流れる川の対岸、南側から撮影(写真:菅原 由依子)
 現場の敷地を南側から眺めると、地震によって建物は南西側に大きく傾き、1~3階が地下へ沈み込んでいた。4階のベランダは地面に接触し、干された洗濯物が風にたなびいていた。犠牲者が多かったのは2階南側に並んでいたホテル客室だ。家族や夫婦などの宿泊客が遺体で発見された。


南側の建物足元から撮影。4階のベランダが地面に接していた。「脇に停まる自動車を見ると傾くなどの影響がないので、地面が沈んだというよりも、地下室に建物が沈み込んだ可能性が高いことが分かる」と構造エンジニアの施忠賢氏は言う(写真:菅原 由依子)
 敷地を回り込んで北東側へ行くと、2階の天井が露わになっていた。柱は引っ張られて壊れ、鉄筋も曲がったりちぎれたりした状態でむき出しになっていた。現地メディアによれば、施工は北歌建設公司、設計は游徳栄氏が担当。低層階では入居していたレストランなどが建物の構造に手を加えた可能性も指摘されており、関係者の責任問題が報じられていた。


敷地北東側から見た。建物は南西方向へ倒れ、北東から見ると2階の天井などが露出していた(写真:菅原 由依子)
 現地を訪れた和田章・東京工業大学名誉教授は、ひと通り建物の被害を観察した後、「1階が見当たらない」とつぶやいた。
(菅原 由依子=日経 xTECH/日経アーキテクチュア)

**********日経BP 2018年2月19日
耐震工学の第一人者、和田章氏が読み解く台湾高層ビル倒壊の原因
★台湾東部地震ルポ(3)東西方向の周期の長い揺れが一因か

 台湾東部で現地時間の2月6日、地震によって複数の高層ビルが倒壊した。なかでも被害の大きかった12階建ての「雲門翠堤大楼」について、推定される倒壊メカニズムを前回(2月16日公開)の記事 で紹介した。今回は現場の状況や図面のほか、和田章・東京工業大学名誉教授などが語った推測を手掛かりに倒壊の原因をひもとく。


台湾東部の花蓮市で地震被害を調査する和田章・東京工業大学名誉教授(左)。右の2人は構造エンジニアで台南市結構工程技師公会の施忠賢常務理事(中)と彭光聡氏(右)。2月11日に撮影(写真:菅原 由依子)
 現場を視察した和田章・東京工業大学名誉教授は、まず建物を高さ方向に見たときの、剛性や強度のバランスの悪さを倒壊の一因として推測した。1~3階の低層部分はレストランやホテルが入居し、広い空間を求めて壁の少ないプランとしていた。かたや4~12階は集合住宅などが入って壁が多かった。


雲門翠堤大楼を東側から見る(写真:菅原 由依子)


雲門翠堤大楼は30度以上大きく傾いた。サッシ越しに折れ曲がった柱が見える(写真:菅原 由依子)
 「低層部ほど、上階の鉄筋コンクリートを支えるために丈夫でないとならないはず。しかし、この建物は低層部が相対的に弱い構造をしていた。しかも偏心によるねじれ振動も起こったと考えられ、剛性と強度におけるバランスの悪さが被害を招いた」と和田名誉教授は言う。偏心が倒壊を招いたのではないかという推測メカニズムは、前回(2月16日公開)の記事で1階平面図と共に紹介したので参照してほしい。


現場では、行方不明者の捜索と同時に、建築や土木の専門家たちが被害の実態調査を進めていた(写真:菅原 由依子)
 柱の本数と太さにも問題があった。花蓮県政府建設課の担当者によれば、各柱の太さは約800mm角という。図面を見ると、約8380mmのスパンで柱が配置されていた。「12階建ての建物としては柱の間隔が広く、日本と比べると本数が少ないように見えた」と和田名誉教授。
 破壊された柱からは、鉄筋の施工にも問題があったように見受けられた。「800mm角の柱としては過剰な量の主筋が入っている」(和田名誉教授)。過剰な量の主筋を入れると、周りを囲むコンクリートの主筋を抑える能力が低下し、上下から圧縮力を受けた場合に柱が壊れやすくなる。


断裂した柱の様子。約800mm角とみられ、中には主筋が密に配置されていた。また、同じ高さで重ね継ぎ手が外れていることも見て取れる(写真:菅原 由依子)
 しかもこの建物では主筋をまとめて拘束するための帯筋が少なく、帯筋の端部を曲げるフックも90度と浅かった。日本の場合は1995年の阪神・淡路大震災以降、厳しく言われるようになって135度フックが浸透している。
 破壊された柱から、主筋は同じ高さで重ね継ぎ手されていたことも分かった。同じ高さで継ぎ手をすると、今回のように上下に引っ張られたときには一斉に同じ場所で主筋が抜けてしまう。

★周期2~3秒の成分が卓越した地震動
 和田名誉教授は詳細な検討結果が発表されるまで分からないと断ったうえで、地震動の特性が影響した可能性も指摘する。台湾の研究機関である国家地震工程研究中心が公開した、地震動の加速度応答スペクトルを確認してみよう。


台湾の研究機関、国家地震工程研究中心が公表した「2018.02.06花蓮地震概要 Ver7.2」の抜粋。花蓮市で観測された地震動と加速度応答スペクトル。南北方向の最大加速度は434ガル(cm/秒2)。東西方向で2~3秒の周期が卓越している(資料:国家地震工程研究中心)
 花蓮市で観測された地震動の加速度応答スペクトルを見ると、東西方向で2~3秒の周期が卓越していることが分かる。和田名誉教授は、「12階建ての建物であれば、固有周期は1秒ぐらいだ。しかし地震発生後、初めに低層部に損傷を受けて建物の固有周期が延び、2~3秒と周期の長い成分を含む波と共振して大きく揺さぶられた可能性がある。この卓越した部分の応答スペクトルは、台湾における設計基準の2倍近くに匹敵する」と解説する。
 東西方向の強い揺れは、不整形の平面プランが持つ弱点を突いた。揺れる方向で建物を見たとき、最も外側にある柱に力は集中する。雲門翠堤大楼では、北東の角に位置する柱が最も強い引っ張り力が加わり、南西の角に位置する柱に最も強い圧縮力が加わったと予想される。


↑2階平面図を見た和田名誉教授は、12階建ての建物としては柱のスパンが比較的広いことを指摘した。北東の柱に引っ張り力、南西の柱に圧縮力がかかったとみられる(写真:菅原 由依子)

★液状化が倒壊を招いた可能性は低い
 現地メディアのなかには、敷地が川沿いにあることなどから、地盤が液状化したことで建物が倒壊したのではないかという可能性も報じられていた。


「美崙渓」という川沿いに北から雲門翠堤大楼を眺める(写真:菅原 由依子)
 現地の構造エンジニアであり、台南市結構工程技師公会の常務理事を務める施忠賢氏は、「確かではないが、約30年前に土地が整備され、暗渠の上に敷地がある可能性がある」と説明する。「美崙渓」という川に続く水路がかつてあったが、土地を整備するために南側へずらした経緯があると言う。そこで整備した土地の上に建てられたのが、雲門翠堤大楼というわけだ。確かに現在の敷地南側を見ると、水門が隣接していた。


敷地の外、南側から撮影。写真右に水門が見える(写真:菅原 由依子)
 しかし、施氏は液状化が倒壊の原因となった可能性は低いとみている。敷地のある一帯はかつて海があった場所で、むしろ固い。地盤は石と砂の下に深さ10mぐらいからサンゴ石が埋まっている。さらに下には岩盤があり、それほど弱い地盤ではないはずだと言う。建物は高層だが地下に杭はなく、直接基礎で建てられていた。
 「私は2年前の美濃地震も経験したが、液状化であれば敷地の周囲で大量に水が噴き出るはず。いまのところ雲門翠堤大楼の周りを見渡してもそうした現象は見当たらない。地面に幅1cm程度のひび割れが見られるぐらいだ」と施氏は言う。


敷地の外、南側から地面と低層部を撮影。建物南側は4階が地面に接している状態だ。地面はひび割れ、粉々に砕けた窓のガラスが散乱していた(写真:菅原 由依子)
 現在、建物の解体は始まったばかりで、地下室の状況はまだ明らかになっていない。いずれも外から観察し、専門家たちの推測を頼りに現時点で可能性がある倒壊のメカニズムと原因を探った。興味深いのは、花蓮市内で大きな被害があった建物は雲門翠堤大楼を含めて4棟で、断層近傍に集中していたことだ。たとえ断層近傍は建物が壊れやすいとしても、なぜ他の建物は倒壊しなかったのか。次の記事では、その謎に迫りたい。
(菅原 由依子=日経 xTECH/日経アーキテクチュア)
*********

【2月23日追記】
**********日経BP 2018/02/23
台湾地震、高層ビル4棟の倒壊から得る教訓
台湾東部地震ルポ(4)花蓮市は台湾で最も厳しい規制がかかっていた

 春節前の2月6日、街が賑わいを見せていた時期に台湾東部でマグニチュード6.0の地震が発生した。震源近くの花蓮市を訪れた現地ルポは、これまで2回目(2月16日公開)と3回目(19日公開)で、高層ビル「雲門翠堤大楼」の倒壊メカニズムと原因を解説した。今回は市内で見られた他の被害にも目を向けながら、和田章・東京工業大学名誉教授が語った花蓮地震の教訓を紹介する。


台湾東部の花蓮市の老舗ホテル「統帥大飯店」。2月6日に発生した地震で1、2階が崩れた。写真は2月10日に建物の西側から撮影。既に解体が始まっていた。街には、春節を祝うための赤い飾りが所々に吊るされていた(写真:菅原 由依子)
 花蓮市内で大きな被害を受けた高層ビルは、雲門翠堤大楼以外に3棟あった。1棟は、市内中心部の南側に位置する老舗ホテル「統帥大飯店」だ。男性1人の死者を出した。地下1階・地上12階建ての建物で、通りからセットバックしていた低層部の1、2階が層崩壊した。


統帥大飯店を北側から撮影。撮影時に解体は進んでいたが、手前に映る建物の角を見ると1、2階が層崩壊し、3階が地面に着いていることが分かる(写真:菅原 由依子)


建物を北西側から撮影。壁のいたる所にせん断破壊が見られる(写真:菅原 由依子)
 統帥大飯店は1977年に開業し、建物は築40年以上たっていた。台湾の研究機関である国家地震工程研究中心の資料や、現地メディアによれば、2012年に耐震改修を施していたという。
 もう2棟は市の中心部から北西側に立つマンションで、低層部が層崩壊した。「白金双星大楼」というマンションは、もともと1階に駐車場があり、通りに向かって庇が出ていた。地震でそれらが壊れ、2階が地面に接していた。


花蓮市中心部の東側に立つ2棟のマンションで層崩壊が起こった。写真右の白い建物「白金双星大楼」と、左のピンク色の建物だ(写真:菅原 由依子)


白金双星大楼は1階のピロティが崩れた(写真:菅原 由依子)
 その向かいに立つ11階建てのマンションでも1階駐車場のピロティが壊れ、停まっていた自動車が下敷きとなっていた。いずれのマンションでも住民を無事に救出でき、死者は出なかった。


向いに立つマンションでも低層階のピロティが崩れた。いずれも築20年以上たつという(写真:菅原 由依子)


台湾中から集まった建築設計者たちが、3人1グループで被災現場の調査に当たっていた(写真:菅原 由依子)
 2棟のマンションを調査していた建築設計者は、「現時点では調査中なのであくまで推測だが、台湾の建物は1階を柱だけで支えるピロティを持つ建物が多く、これらのマンションも同じ構造を採っていたので低層部が弱かったのではないか。柱を見ると、せん断破壊していることが分かる」と話す。
 これら2棟のマンションに隣接して立つ他の建物を見ると、崩れてはいないが、同じく1階ピロティでせん断力を受けて亀裂の入った柱が見られた。


層崩壊した2棟のマンションの裏手に立っていた別の建物では、1階ピロティの柱にせん断破壊が見られた(写真:菅原 由依子)

★4棟は「集集大地震」前に建設

花蓮市内の様子。一部では停電などが起こっていたが、断層から離れたエリアや、中低層の建物にはあまり大きな被害が見られず、人々は比較的穏やかに過ごしていた(写真:菅原 由依子)
 市内を歩いていると、道路の舗装のひび割れや、外装の一部が崩れ落ちていた場所はあったが、低層の建物に倒壊などの大きな被害は見られなかった。国家地震工程研究中心が公表した資料によると、建物や橋、道路などで目立つ被害は、いずれも花蓮市を南北に走る米崙(Milun、ミルン)断層の近傍で発生した。


台湾の研究機関である国家地震工程研究中心が公表した資料を抜粋した。花蓮市で発生した大きな被害は、南北に走る米崙断層近くに集中していた(資料:国家地震工程研究中心)
 断層の近傍には他にも多くの建物が立ち並んでいたはずだが、なぜ前述した4棟の高層ビルは倒壊などの大きな被害を受けたのか。推測される要因の1つは、4棟が20年以上前に建てられたことが挙げられる。2棟のマンションを調査していた台北市土木技師公会の頼建宏理事は、「“921”以前の建物だったから弱かったのかもしれない」と話した。


被災現場を調査していた台北市土木技師公会の頼建宏理事(写真:菅原 由依子)
 「921」とは、1999年9月21日に台湾中部で発生したM7.3の地震のことだ。1万棟近くの建物が全壊し、2000人以上の死者が出た。「集集大地震」とも呼ばれるその地震を受けて、台湾では98年に改訂したばかりだった耐震設計法をさらに見直した経緯がある。
 最近では、2005年に台湾内政部が建築物耐震設計規範を強化して地域ごとに「震区水平加速度係数」を設定。花蓮市は南北に米崙断層が走り、台湾のなかでも最も高い加速度係数としていた。米崙断層は台湾にある約50の活断層のなかでも、最も活発な活断層の分類に含まれている。
 そうした規制強化が奏功したのか、同じように断層近傍に立つ建物でも、被害の度合いに差が出たのかもしれない。
 建物の築年数以外に、卓越した長周期成分を持つ地震波も、高層ビル倒壊の原因となった可能性がある。和田章・東京工業大学名誉教授は、「台湾も日本も、一般的に設計用地震動として、周期の長い成分が低減する波を使っている。しかしネパール(2015年)や熊本(2016年)で発生した地震では、長周期にピークを持つ地震波が観測されており、必ずしも低減するわけではないことが分かってきている。それが今回の花蓮地震でもはっきりとした」と言う。


国家地震工程研究中心が公表した資料を抜粋。震源近くで観測された6地点の加速度応答スペクトル。花蓮市だけ、2~3秒の長い周期が卓越していた(写真:国家地震工程研究中心)
 一連の視察を終え、和田名誉教授は次のように語った。「日本では1978年の宮城県沖地震を受けて81年に新耐震基準がつくられた。しかし、95年の阪神・淡路大震災を受けてそれが甘かったことが分かり、建築基準法を改正してさらに厳しくした経緯がある。台湾の人々もそうした日本の状況を知っていたか分からないが、人は足元に火が付かなければ動かないものだ。4棟の高層ビルで推測される倒壊の原因は、日本の新耐震設計法に書かれていることばかりであり、世界の常識としてほしい」
 「とはいえ、日本人も世界の災害をきちんと学べているとは言えない。
災害は、自国だけで見ていたら数十年に1度しか起こらないかもしれないが、世界規模で見れば様々な場所で被害が起こっている。私たちは、互いに世界の災害から学ばなければいけない」
(菅原 由依子=日経 xTECH/日経アーキテクチュア)
**********

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