市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

台湾のインバウンド客誘致に血道をあげる安中市に群馬県台湾総会が新年会案内状を送付

2024-02-01 07:16:22 | 国内外からのトピックス

昨年2月5日の新年会の様子。詳しくはこの記事の末尾参照。↑

■安中市は、高崎と軽井沢に挟まれており、これまで両方の間で埋没してきた感があります。しかし、安中に隣接する軽井沢は国際級のブランドを誇り、コロナ過の鎮静化により昨年から逸早く海外からのインバウンド客が戻り始め、今ではすっかりコロナ禍以前の活況を呈しております。

 こうした中、安中市では、少しでも軽井沢への海外からの旅行客、とりわけ台湾からのインバウンド客を一人でも多く安中に引っ張ってこようとあの手この手のアイデアを企画していますが、なかなか成果はすぐには上がらないようです。

 それもそのはずで、安中市はこれまで台湾との関係に重きを置いてきていませんでした。

■筆者は、これまで台湾には1976年1月1日に最初に降り立ってからプライベートや仕事で計70回近く訪問しています。

 かつて1992年頃、筆者は当時、安中市が募集していた「市政モニター」に応募して参加したことがあります。その際、筆者の台湾における姻戚関係のルートを使って、安中市との姉妹都市に関心のある台湾の自治体を探してもらいました。

 すると、台中県の台中市と豊原市の間に位置する潭子郷の郷長(首長のこと)が関心を示し、すぐにでも安中市と姉妹都市提携を結びたいと言ってきました。筆者はさっそく市政モニターとして、安中市の当時の小川勝寿市長に提案書を提出しました。当時、安中市は海外の自治体との姉妹都市提携はどこともしておらず、距離的にも近く、親日国であることから、筆者は台湾との提携がうってつけと考えたからです。

 しかも、台湾側はすでにトップの郷長が、極めて乗り気でした。しかし残念ながら、安中市は筆者に対して何の回答も見解も示しませんでした。

 その後、潭子郷は、2020年12月25日に台中市と合併し、潭子区となりました。もし、32年前に安中市が潭子郷と姉妹都市提携を結んでいたならば、今、安中市は台湾第3の都市の台中市と姉妹都市の関係にあったわけで、安中市としては、取り返しのつかない失敗をしたことになります。

■さて、過去のことを言っても仕方がありません。筆者も安中市の観光課や商工課に台湾のインバウンド客誘致の重要性をアピールしてきたのですが、その中で、以前から気になっていたことがあります。

 実は筆者が書記を務める群馬県台湾総会では、これまで県庁1階ロビーで毎年台湾フェアを行ったり、県内各地の国際交流イベントに参加したりして、台湾と日本の橋渡しの役割を果たしてきました。その際、台湾とゆかりのある次の人物を紹介してきました。

●1:中島長吉(1871~1895)
 1895年の領台と同時に教育者伊沢修二が中心となって、台湾での教育の礎をつくった芝山厳学堂で、匪賊に襲われ亡くなった六人の日本人教育家「六氏先生」のうちのひとり。この時、同じく犠牲になった楫取道明は父親が群馬県令。

●2:羽鳥重郎(1871~1957)
 後藤新平に請われて風土病の対策に大活躍した医学博士。

●3:羽鳥叉男(1892~1975)
 重郎の甥で戦争末期の台南市長を務めた。台南の名だたる古跡を日本の軍部の破壊命令と米軍の空爆から守ったことで有名。

●4:新井耕吉郎(1904~1946)
 南投県日月潭の茶畑にインドアッサム地方から紅茶の苗木を移入して改良を重ね、台湾紅茶の父と言われた農林技師。

●5:石坂荘作(1870~1940)
 台湾初の夜学校「基隆夜学校」を創設し、台湾人、日本人を問わず勉強の場を無料で提供。

●6:周再賜(1888~1969)
 台湾生まれで、前橋市に1925年初の女学校を創った。その後40年にわたり校長を務め女子教育に貢献。

■上記の2~6までの人物は、前橋市、沼田市、東吾妻町の出身者で、どの自治体も胸像を設置したり、市のパンフレットに記載したりして大切に顕彰しています。

 ところが、昨年11月、安中市松井田支所を訪れて、観光課長や商工課長と話した際に、「(上記1の)中島長吉のことをご存知ですか」と訊いた時に、二人とも「いや、知らないんだけど」と言われたので、大きなショックを受けました。

■そこでさっそく、帰宅後、商工課長宛に次のメールを発信しました。

*****2023/11/08市商工課あて発信*****
From: masaru ogawa <ogawakenpg@gmail.com>
Date: 2023年11月8日(水) 15:26
Subject: 松井田町五料の信越線踏切脇にある中島長吉記念碑について
To: <kurashige@city.annaka.lg.jp>

安中市商工課長
倉繁様

本日は突然の訪問にもかかわらず、面談くださりありがとうございます。
さて、話の中で触れさせていただいた、台湾で六氏先生として有名な中島長吉氏について、群馬県台湾総会が展示しているパネルの写真がありましたので、取り急ぎ添付してお送りします。
ぜひ、台湾の教育分野で命を賭して貢献した地元の誇るべき先人の功績に脚光をあてていただきますよう、よろしくお願いします。

【中島長吉】
六氏先生の一人 身命捧げ 台湾教育の礎に
 中島は明治4年(1871年)、碓氷郡五料(安中市松井田町)に生まれた。8歳の時に五料小学校へ入学し、一年間で四学年飛び級し11歳で卒業した。16歳の時「天保銭25枚拝借」と書き置きして上京したが、家出人として本郷署に連行された。
 署長に才能を見込まれ、東京師範学校に入学することができ同校を優秀な成績で卒業、麹町富士見小学校訓導となったが、張滋昉に中国語を学び、日清協会を設立したこともあり、日清戦争が起こると、近衛師団第四連隊陸軍通訳として台湾へ渡った。
 伊沢修二学務部長に認められ、芝山巌(しざんがん)学堂(現在の士林国民小学校)に奉職した。伊沢は台湾の近代教育のため同学堂を建て、優秀な日本人教師を募った。中島長吉はその一人であったが、伊沢が帰国していた明示29年(1896年)元旦にゲリラの襲撃を受けて、楫取道明、井原順之助、関口長太郎、桂金太郎、平井数馬らとともに殺害された(芝山巌事件)。
 土地の人達によれば「先生は金持ちだと思われて襲われた」もので、掠奪行為の犠牲者となった。危険が身辺に迫ることなど少しも意とすることなく、身命を捧げた教育者の存在が台湾教育の礎石となり、6名は「六氏先生」として祀られるようになった。

安中市野殿980
群馬県台湾総会
書記 小川賢(おがわ・まさる)
090-5302-8312

*****2023/11/08市商工課から受信*****
From: 安中市商工課 倉繁 <kurashige@city.annaka.lg.jp>
Date: 2023年11月8日(水) 18:08
Subject: 【お礼】Re: 松井田町五料の信越線踏切脇にある中島長吉記念碑について
To: <ogawakenpg@gmail.com>

=======================================
個人情報保護の観点から、宛先を1件ずつ送信しています。
=======================================
小川 様

大変お世話になっております。
安中市 商工課の倉繫です。

本日は市行政に関するご提案をお聞かせいただいたうえ
早速に資料をご提供いただきましてありがとうございます。

松井田に住んでいながら、偉大な先人の功績を知らず
恥ずかしい限りです。
今更ながら知ることができたことに心より感謝いたします。
機会を見て碑を探しに行こうと思います。

またお気づきの点やご提案がありましたら是非お聞かせください。
今後ともよろしくお願いいたします。

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
安中市
みりょく創出部 商工課
倉繁 亨(くらしげ とおる)
〒379-0292
群馬県安中市松井田町新堀245(松井田庁舎)
TEL027-382-1111(代表) 内線2630
FAX027-386-4111
E-mail:kurashige@city.annaka.lg.jp
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

*****2023/11/08市商工課あて発信*****
From: masaru ogawa <ogawakenpg@gmail.com>
Date: 2023年11月8日(水) 20:58
Subject: Re: 【お礼】Re: 松井田町五料の信越線踏切脇にある中島長吉記念碑について
To: 安中市商工課 倉繁 <kurashige@city.annaka.lg.jp>

安中市商工課長
倉繁様

毎々お世話になります。
ぜひ訪れてみてください。
場所は、西松井田駅から横川駅に向かって3番目の山岸踏切のすぐ脇です。
以前訪れた際に撮った写真を添付しますので参考にしてください。





群馬県台湾総会
書記 小川賢
**********

■ことほどさように、安中市は外部の観光コンサルタントに外注してまで、いろいろなインバウンド事業のアイデアを募って、試行錯誤していますが、肝心の市内にある歴史的な偉人の情報にはまったく無頓着だったことがわかります。

 他方、県内の他の自治体、とりわけ、前述の前橋市や沼田市、東吾妻町はもとより、温泉好きな台湾人をとりこむべく台南市に職員を常駐派遣してまでPRに注力したみなかみ町、同じく伊香保温泉を擁し、台湾の高雄に開山した仏教団体・佛光山寺が日本総本山として2018年に建立した「法水寺」がある渋川市、そして群馬県台湾総会の拠点がある伊勢崎市、さらには利根川を隔てた本庄市も台湾との交流が活発です。そのため、これ等の自治体から首長が自ら、当会主催の旧正月を祝う新年会に参加されています。

■昨年もコロナ禍の中で、制限を受けながらも新年会を開催しましたが、残念ながら安中市長に案内状を差し上げたにもかかわらず、多忙を理由に参加いただけませんでした。

 そのため、コロナが5類指定され行動制限が解除された後、初めてとなる新年会をさらに盛り上げようと、今年も群馬県知事をはじめ、前橋市、高崎市、伊勢崎市、渋川市、安中市、沼田市、みなかみ町、東吾妻町の首長あてに案内状を差し上げました。

 安中市長宛の案内状は次のとおりです。

*****1/10安中市長宛案内状*****
                          令和6年1月10日
〒379-0192 群馬県安中市安中1-23-13
安中市長 岩井 均 様

             〒372-0039 群馬県伊勢崎市ひろせ町4084−6
             群馬県台湾総会
             会長 頌彦真賢
              電話:090-8804-2409(事務局)
              FAX:0270-21-7337

         台湾総会新年会のご案内
頌春 新年の候、皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。平素は格別のお引き立てを賜り、誠にありがとうございます。
 さて、5月8日の新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが5類に引き下げられ、社会が正常化し、人流が活発化し、商流も回復しております。
 弊会も、明るい新年を迎えるべくいくつかのご案内(同封のチラシをご参照ください)と併せて、下記のとおり、新年会のご案内をさせて頂きたく存じます。
 新年会当日は、東京農大二高の吹奏楽部エメラルドナイツ(翡翠騎士)に出演していただきます。既にご存知の通り、彼らは台湾政府等の招きで訪台し、10月10日の台湾建国記念日(双十節)に総督府前で披露したパフォーマンスは台湾国内で大きな旋風を起こしました。
 その壮大な演奏を、群馬県台湾総会の新年会のオープニングで、群馬県民及び台湾出身の皆様に体感して頂きたいと念じて企画したものです。ぜひこの機会に大勢の皆様方のご出席を心よりお待ちしております。
 末筆ながら、皆様のご健康とご多幸をお祈りしつつ、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

                記
          【台湾総会新年会2024】

1 日時:令和6年2月18日(日)    10:45より受付
                     11:30より開会
2 場所:伊勢崎プリオパレス 
     群馬県伊勢崎市昭和町3827 電話番号:0270-25-4122
3 会費:大人¥6000(中学生以上)

✳︎参加の可否について、お手数ですが弊会事務局あてに電話もしくはFAXにて2月4日までにご連絡ください。
**********

■今年の群馬県台湾総会には、昨年に引き続き台北駐日経済文化代表処の駐日代表(大使に相当)の謝長廷氏が参加されることになっています。謝長廷氏は、京都大学大学院への留学経験をお持ちで、その後弁護士になり、1979年に台湾民主化の契機となった美麗島事件の弁護を担当したことで政界入りし、民進党の政治家として、行政院長(首相)を務めた経験をお持ちです。

 また、台湾と様々な分野で交流をしている各団体の関係者のかたがたも多数、参加いただいています。

 新年会の様子は後日ご報告する予定です。

【2/8追記】
 新年会まであと10日と迫りました。現在、当会会員が総力を挙げて、式次第や飾り付け、出し物など準備作業を着々進めているところです。ところで、現時点で、新年会への参加意向を表明されているのは伊勢崎市長、沼田市長、前橋市議会議長、伊勢崎市議会議長、中曾根康隆事務所、元代議士、県地域外交課、県観光物産国際協会などです。また、昨日、2月4日執行の前橋市長選で落選されたばかりの山本市長からも出席通知をいただきました。ちなみに、山本市長の任期は2月27日ですので、任期をあと6日残した時点でどのようなご祝辞を頂戴できるのか、楽しみです。なお、安中市長からの参加連絡は現時点でまだ事務局に届いておりません。

【群馬県台湾総会書記からの報告】

※参考情報1「安中市のインバウンド誘致の昨今」
**********群馬テレビ2024年1月27日18:52
「温泉マーク発祥の地」磯部温泉 温泉文化を体験するモニターツアー 群馬・安中市

 インバウンドを取り込もうと、温泉マークの発祥の地である安中市の磯部温泉で温泉文化を体験するモニターツアーが開かれています。
 モニターツアーは磯部温泉組合が、インバウンド需要が増加するなか、海外の人に温泉文化を体感し学んでもらおうと、27日から2日間にわたって開かれているものです。県内外から、ツアーやインバウンド事業の関係者、報道関係者ら10人が参加しました。
 初日は磯部温泉の鉱泉水を使用して作られる名物の磯部せんべいの店舗を訪れ、試食や見学が行われたほか、温泉マークが描かれたカレーやプリンを味わい、食を通して安中の魅力に触れました。
 また、恵みの湯では塩分濃度が高い磯部温泉の特色を活かしたデトックス効果の高い「砂塩風呂」の体験も行われ、参加者は温泉文化を体感していました。
 磯部温泉組合では、今回のモニターの意見や課題を踏まえ、4月にインバウンド向けの事業の実施を目指すということです。

*********東京新聞2023年8月28日08:03
碓氷峠鉄道施設 東軽井沢温泉 安中市観光機構、訪日客向けに新プラン

訪日客誘客に向け開かれた実施委員会=安中市で
 インバウンド(訪日客)の誘客・消費拡大を目指し観光庁が公募した「観光再始動事業」で、群馬県安中市観光機構の事業プラン「日本一の紅葉を楽しむ『碓氷峠登山鉄道アトラクション』及び『東軽井沢温泉』の高付加価値化プログラム造成事業」が採択された。ターゲットの台湾で旅行商品の販売が始まり、同市の磯部温泉で事業の実施委員会の初会合が開かれた。(樋口聡)
 再始動事業は、非公開の文化財、通常立ち入りが許可されていないエリアの公開や、異なる観光資源をこれまでにない形で連携させるなど、高付加価値の取り組みが対象になる。
 機構の提案は、国重要文化財の碓氷峠鉄道施設と、東軽井沢温泉と銘打った磯部温泉が軸で、唱歌「もみじ」の舞台とされる碓氷峠の紅葉が見ごろになる十月下旬に開催。旧熊ノ平駅構内隧道(ずいどう)で無声映画を見る「カツベンシアター」をはじめ、EVレールカートや紅葉狩り、トロッコ列車を体験し、磯部温泉に宿泊するプランなどを用意する。
 支援見込み額千百万円を活用して、プランの整備や文化財を次世代につなぐための観光循環サイクルを構築し、広域観光のブランド化を目指す。

**********上毛新聞2023年8月7日11:30
安中市観光機構が訪日客に学び体験を提供 鉄道、温泉の価値高める《ONSEN 無形文化遺産へ》
 群馬県安中市観光機構(武井宏理事長)は、碓氷峠の鉄道文化遺産と温泉マーク発祥の磯部温泉の価値を高める取り組みを始める。台湾からのインバウンド(訪日客)をターゲットに据え、かつて登山列車として走った電気機関車「EF63」の乗車や廃線での散策を組み合わせた回遊体験などを企画。温泉文化の学び体験を提供し、隣接する長野県軽井沢町と一体的な観光誘客の実現を目指すといった多彩なプログラムでPRしていく。
 この取り組みは、観光庁の観光再始動事業に採択され、補助金1100万円を活用する。地域の活性化につなげ、連携して有効活用できるよう、同機構のほか、磯部温泉組合や観光商工の関係者らで組織する実施委員会を発足させ、7日に第1回会合を開く。
 具体的なプログラムとして、「碓氷峠登山鉄道アトラクション」と銘打った回遊体験を10月に予定する。唱歌「もみじ」の題材となった紅葉の名所「旧熊ノ平駅」や「めがね橋」周辺に広がる紅葉の中で、ウオーキングや電動レールカートの乗車体験を行う。
 普段立ち入ることができない廃線区間を特別に開放。碓氷峠鉄道文化むらに車両が保存されている「EF63」を活用した限定の乗車体験を企画する。
 トンネルを映画館に見立てた活弁士による無声映画の上映は、旧熊ノ平駅近くにある約130年前に造られたれんがトンネルで実施する。築造された明治期に日本の娯楽文化だった無声映画を見て、近代文化の発展とともに進化してきた映画の歴史を体感。鉄道文化遺産の新たな観光資源としての活用や魅力を探る。
 一方、磯部温泉は現在、「温泉ビギナー」の訪日客向けに入浴方法やマナーなどを伝える温泉文化体験のメニュー作りを進めている。国際リゾート都市、軽井沢にはない温泉情緒ある街を「東軽井沢温泉」として海外に発信し、温泉文化を学んでもらう。台湾の国花がウメであることから、市の名所、秋間梅林のウメをふんだんに使ったギフトセットも開発する。
 同機構は「鉄道と温泉の文化遺産を、観光客と地域が一体となってつくり上げる日本を代表するサステナブル観光エリアとして成長、ブランド化を進める」としている。

**********群馬テレビ2023年08月07日
鉄道・温泉でインバウンド誘客へ 群馬・安中市で新観光事業

 碓氷峠の鉄道遺産や温泉の価値を高めることで、台湾からのインバウンドをさらに進めようという安中市観光機構が行う事業の実施委員会が7日、初めて開かれました。
 安中市観光機構では、台湾からのインバウンド客をターゲットにした観光事業で、観光庁の「観光再始動事業」に応募、今年6月に採択されました。
 この事業を進めるため、安中市観光機構や磯部温泉組合などで実施委員会を作り、7日、最初の会議が開かれました。
 今回の事業は、紅葉の時期に実施予定で、かつて登山鉄道として活躍した電気機関車の乗車体験や廃線ウォークなどを組み合わせた回遊体験を計画しています。
 また、磯部温泉街で足湯や鉱泉豆腐といった温泉文化を体験し、満喫してもらうメニューも盛り込む予定です。
 7日の会議では事業の内容などが説明されたほか、進捗状況も報告されました。この事業はすでに台湾の旅行会社に提案し、10月下旬と11月上旬に実施することが決まっていて、今後、さらに詳細を決定していくということです。

**********観光経済新聞2023年1月30日
サステナブルな地域づくりやインバウンドの誘客目指す 安中市観光機構がモニターツアー

廃線ウォークは安中ならではの観光体験の一つ。「幅広い年代の方にご参加いただいている」と同機構の上原将太さん
 安中市観光機構(群馬県)は12月3、4日、「台湾と安中を繋(つな)ぐ鉄道遺産グローカルサステナブル事業」に係るモニターツアーを実施した。鉄道をはじめ食、温泉などの地元の観光資源を磨き上げ、サステナブルな地域づくりや、国内のほか台湾などからのインバウンド誘客強化を図る。
 今回の事業は、碓氷峠の重要文化財を含む鉄道遺産の保全の観点から、同資源による商材を企画、管理し、訪日顧客の獲得、地域の保全活動推進を目指すもの。モニターツアーには日本のほか、台湾からも参加者を募り、各エリアを巡った。
 碓氷峠廃線ウォークは、1997年に廃線となった信越本線の横川―軽井沢区間でウォーキングを楽しめる体験型観光コンテンツ。スタッフから渡される音声機器を片手に、ガイドの解説に耳を傾けながら廃線を歩くと、かつての情景が浮かび上がり、碓氷峠の歴史を感じるひと時を堪能できる。
 東日本最大の梅の生産地の一つである秋間梅林では、梅シロップ作りや梅の草木染めなどの体験プログラムを用意している。安中市内の磯部温泉は温泉マーク発祥の地として知られる。
 意見交換会で安中市観光機構の武井宏理事長は「地元資源の磨き上げを通し、観光の側面から持続可能な社会づくりに貢献していきたい」と抱負を述べた。

体験で作った梅シロップ

**********観光経済新聞2021年11月3日
安中市観光機構、台湾人誘客へモニターツアー

横川-軽井沢間を歩く廃線ウォーク
★廃線ウォークなど地域の魅力アピール★
 群馬県の安中市観光機構(安中市DMO、武井宏理事長)は16、17日の2日間、観光庁支援による「地域の観光資源の磨き上げを通じた域内連携促進にむけた実証事業」で、モニターツアーを行った。
 主にコロナ収束後の台湾人旅行客誘致を目的として実施。KOL(キーオピニオンリーダー)と呼ばれる在日台湾人インフルエンサー5人に加え、台湾系旅行会社のKKDAYジャパン、JTBなどから計13人が参加した。
 全体のコーディネートはインバウンド観光プラットフォーム事業のWAmazing(ワメイジング)社が行った。
 行程には、旧JR信越線の横川―軽井沢間を歩く「廃線ウォーク」や秋間梅園での「梅ジャム・梅シロップ作り体験」、磯部煎餅の製造販売4店舗を巡る食べ歩き体験「磯部煎餅サクサクウォーク」、磯部温泉の持つ塩分やミネラルを含んだ砂を使った砂風呂「ホワイト・ホット・ソルト・サンド・バス」体験などを盛り込んだ。20~30代の台湾個人旅行客を中心ターゲットに据えたコース設定にした。
**********

※参考情報2「潭子区」
**********Wikipedia
 潭子の旧称は「潭子●(土へんに乾)」であり、1920年に「潭子庄」と改称され現在の地名となった。元来は拍宰海族の活動地域であり「阿里史社」と称されていた。当時は住人もまばらであったが、清代の康熙年間末になると漢人による入植が開始された。
 雍正年間には岸裡社通事の張達京著により大規模開発に着手「六館業戸」が成立し、その兄弟張達朝、張達標を初め同郷人を数多く入植させた。
 清初、潭子郷は諸羅県猫霧●(木へんに朿)堡岸裡社に帰属していたが、雍正年間に彰化県が新設されると東、西堡に分割され、乾隆中期以降は●(木へんに朿)東上、下堡と改称されて猫霧●(木へんに朿)東上堡轄国に属した。
 1887年、福建台湾省が成立すると台中地区は台湾府附郭首県と改編され、潭子区は台湾県●(木へんに朿)東上堡に帰属することとなった。
 日本による台湾統治が開始されると台中県が設置され、その下に弁務署が設置された。潭子は台中県葫蘆墩弁務署●(木へんに朿)東上堡に帰属した。その後1902年に台中庁葫蘆墩支庁●(木へんに朿)東上堡に、1920年7月には台中州豊原郡潭子庄と改編された。
 台湾光復後は台中県豊原区潭子郷となり、1950年に台中県潭子郷に改められ、下部行政区域として潭秀、潭北、潭陽、瓦瑤、頭家、甘蔗、東宝、大富、大豊、栗林、嘉仁、新田、聚興の13村を設置した。
 1990年9月1日に「瓦瑤村」を「福仁村」と改称し、更に2002年2月7日、「頭家村」を分割し新たに「頭家東村」、「家興村」、「家福村」を設置した。
 2010年12月25日の台中県市合併、直轄市昇格に伴い潭子区と改称されて現在に至る。
 面積:25.8497km²
 総人口:106,613人(2016年1月)
 世帯数:35,473戸(2016年1月)
**********

※参考情報3「昨年2月5日開催の新年会」
**********台湾新聞2023年2月6日
群馬縣台灣總會時隔三年辦新年會 新春氣氛強強滾
群馬縣台灣總會舉辦新年會
【群馬/採訪報導】群馬縣台灣總會於2月5日,舉辦2023年新年會。受到疫情影響,群馬縣台灣總會這次是時隔三年,再度舉辦新年活動,僑胞們都熱情參與,也有很多群馬縣的日本政要、友人一起來共襄盛舉。駐日代表謝長廷、僑務組組長謝延淙、群馬伊勢崎市市長臂泰雄、前橋市長山本龍、沼田市長星野稔、東吾妻町長中澤恒喜、埼玉縣本庄市長吉田信解、日本中華聯合總會總會長朱恭亮也專程出席活動。此外,受到台灣總會邀請,來到群馬演出的尼布恩合唱團也開心地出席這次的聚會。
尼布恩合唱團獻唱
在新年會正式開始之前,尼布恩合唱團就在現場獻唱了優美的歌謠,進場的貴賓們聽的如癡如醉,結束後也報以熱烈的掌聲,謝謝他們今天一整天的精彩演出。演閉後,不少僑胞都去找尼布恩合唱團的成員們合照,讓會場在開始前就熱鬧滾滾。
群馬縣台灣總會會長頌彥真賢致詞
群馬縣台灣總會會長頌彥真賢在致詞時表示,今天的台日音樂交流活動,以及新年會,有賴於各位僑胞的熱情支持,以及友台的各位日本朋友幫忙,讓活動能夠順利舉辦。他說,希望透過這樣文化的交流活動,讓日本人能夠更加認識台灣。
謝代表致詞
駐日代表謝長廷致詞時,首先向尼布恩合唱團的團員們問好,恭喜他們今天演出非常成功,向日本人介紹了台灣優美的文化以及好歌喉。日本跟台灣長年一直保持友好的關係,這樣的羈絆甚至比有正式邦交的國家還堅固,希望在場的日本朋友如果有機會,一定要來台灣坐坐。
各位市長致詞
本庄市長吉田信解以出色的幽默感讓全場歡笑聲不斷
臂泰雄市長在致詞時說,首先恭喜這次在伊勢崎的文化交流活動順利成功,希望能推動台日交流。前橋市長山本龍、沼田市長星野稔、東吾妻町長中澤恒喜則是分享了本市與台灣有什麼淵源,表示台灣跟日本的關係非常良好,期望能在任內持續為台日關係做出貢獻。本庄市長吉田信解則是露了一手中文跟台語,表示自己曾經到師大學習中文,逗趣的發言跟活潑的態度惹得大家哈哈大笑,場面非常歡樂。
頌彥會長致贈紀念品給尼布恩合唱團代表
群馬縣台灣總會會長頌彥真賢也特別代表群馬縣台灣協會,向這次遠道而來的尼布恩合唱團致贈不倒翁當贈禮,稱讚他們的歌聲宛如天籟,希望未來還能再邀請他們來表演。現場也致以熱烈掌聲,為這些團員們送上祝福。
日本中華聯合總會總會長朱恭亮主持乾杯儀式
日本中華聯合總會總會長朱恭亮主持乾杯儀式時說,非常恭喜群馬縣台灣總會這次成功舉辦新年會,在各位僑胞前輩以及好朋友的幫忙下,兩國即使1972年斷交了,關係卻比之前還要更好,他祝福未來群馬縣台灣總會能夠持續推動雙邊交流,促進台日關係成長。
尼布恩合唱團的大家搶著與謝代表合照
新年會在熱鬧的乾杯儀式後正式開始,由於今天是元宵節,大家都彼此道賀佳節愉快,祈願所有人新年快樂,闔家平安,非常讓人感動。謝代表因為有事提前離席,在離開前主動跟尼布恩的大家說再見,每個人都搶著跟代表道別,並一起約好下次再見。
飯席中也有準備抽獎活動,提供了無數精美大獎讓參加者帶回家,讓現場有歡樂的氣氛。席間來賓們也互相關心近況,起身一起拍照,讓新年會在一個快樂的氣氛下,順利畫下句點。
**********




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中国共産党の脅しにめげず台湾国民がくだした総統選の結果と台湾国民の政治的バランス感覚についての考察

2024-01-14 22:25:38 | 国内外からのトピックス



今回2024の台湾総統選挙の結果



前回、2020年の台湾総統選挙の結果

■4年に一度、国民の直接投票で首長を選ぶ台湾の総統選挙が、1月13日(土曜日)に投開票が行われ、同日午後8時半(日本時間9時半)に民進党の頼清徳候補が勝利宣言を行いました。台湾では、民主化が実現し、1996年から総統を直接選挙で選出しており、同じ政党が3期続けて政権を担うのは今回が初めてとなります。



■台湾では、1945年8月の日本の敗戦により、日本人が去った後、連合国軍の協定に基づき、中華民国国民党政府に返還委譲されました。当時、中華民国主席の蒋介石が任命した陳儀が行政長官として1945年10月24日に台北に赴任し、翌25日に式典が開かれて、台湾での日本統治時代は終焉しました。

 当初は多くの台湾人が国民党を快く出迎えましたが、まもなく祖国復興の希望が幻想だと気付かされることになりました。なぜなら、国民党政権が台湾で実権を握ってからは、役所では汚職が拡がり、軍紀は乱れ、一般市民の物品を強奪する行為が頻発したからです。

 国民党から台湾の行政長官として任命された陳儀は、台湾の一般市民に対して、口では「中国の同士で主権者になった皆さんは、日本による奴隷支配から中国の主人になった」と説きましたが、公務員試験は北京語で実施するなどして、必然的に台湾人を役所から排除しました。さらに、自由な社会を目指そうとした台湾人が、台湾学生連盟、台湾農民協会、台湾建設協会など社会・業界団体をつくろうとしましたが、陳儀は一切認可せず、新たな社会統制が始まりました。

 こうした情勢下で、二・二八事件が起きました。これは、1947年(民国36年)2月27日、台北市でタバコを売っていた台湾人女性に対し、取締の役人が暴行を加えたことを発端に、翌28日には台湾人による市庁舎への抗議デモが行われましたが、憲兵隊が機関銃を乱射し数十人が死傷したため、抗争はたちまち台湾全土に広がりました。警備総司令部は急遽、戒厳令を布告しましたが、台湾人は放送局を占拠して全台湾に事件の発生を知らせました。

 翌3月1日、暴動は台湾全土に波及し、圧政への不満が高まっていた台湾人は、旧日本軍が残した僅かな兵器や規律で立ち向かい、多くの地域で一時実権を掌握しました。しかし、国民党は中国本土から援軍を派遣し、3月8日、憲兵2千、陸軍1万1千の増援部隊が基隆港と高雄港から上陸すると、台湾人に向けて発砲しながら進軍しました。この部隊は米国の支援で装備された部隊だったため、ほぼ武器を持たない台湾人の抵抗はたちまち劣勢に陥り、警備総司令部は3月14日に全島を平定しました。

 筆者の台湾の義父は1999年に74歳で亡くなりましたが、終戦前の20歳の頃、沖縄戦に備えて基隆で日本人の上官のもとで戦闘訓練に明け暮れていましたが、結局沖縄への船が全て沈められたため、命拾いをしました。終戦で日本が敗戦したことで、虚脱感を覚えたそうですが、いわゆる「犬が去って豚が来た」といわれる国民党占領下で起きたこの事件で台湾人として蜂起し、日本式軍事訓練を受けた仲間と共に、日本軍が残した武器を手に、果敢に国民党軍と戦った話を、筆者が台湾に行くたびにしてくれました。その際、いつも「(義父の地元の)台中の放送局を占拠したが、台南の放送局がもっと頑張って持ちこたえてくれれば、戦況は好転したはず」と言っていました。よほど口惜しかったのでしょう。そしてこの話をする前に、必ず家の周囲の窓をしっかりと閉めていました。なぜなら、1980年代前半はまだ戒厳令が布かれていたからです。

■やがてまもなく、中国大陸での国共内戦に敗れた蒋介石率いる国民党が、1949年12月に台湾に移ることを決定し、蔣介石は1950年3月1日、「中華民国」総統に返り咲きました。その後、アメリカの支援をもとに大陸の中華人民共和国との軍事対立が続く中、蔣介石一族は絶大な権力をにぎって独裁政治を続け、共産党軍の侵攻に備えてすでに1949年5月20日に戒厳令を布き、人権を抑圧する体制を作り上げました。その体制下で台湾の人々は政党活動、言論・集会、労働運動などの自由を奪われました。

 しかし、1971年にはアメリカのニクソン大統領による米中関係の改善のあおりを受けて、国際連合の「中国」の国連代表権を失うという事態となりました。台湾をめぐる情勢が厳しくなるなか、蔣介石は1975年4月5日に死去し、権力は息子の蔣経国が継承しました。なお、戒厳令は1987年まで38年続きました。

 筆者は当時、戒厳令が布かれていた1970年代後半に、台湾造船公司(TSBC)への船舶建造に関するパッケージ・ディール方式のビジネス(船の設計図に加え、エンジンやポンプや航海計器などの装置類をまとめて供給するビジネスモデル)に携わっていましたが、その時、仲介商社として起用していた日商岩井(現・双日)の現地駐在の有能な日本人商社マンが、真夜中に急用で車を運転したところ、突然信号を無視してきた軍関係の車両に激突され、死亡するという事件がありました。しかし戒厳令下にあったため、事故の補償など全く為されず、残された若い妻と子が不憫でなりませんでした。

■蒋経国は1972年、行政院長となり、独裁者の父である蔣介石から事実上党・国・軍を引き継ぎました。しかし、既に国民党の掲げる全中国の正統政権であるとする主張は破綻して、大陸光復=大陸反攻のスローガンはもはや絵空事であることを自覚していた蒋経国は、国際的な孤立に伴う対外的な中華民国の正統性の危機に対して、「台湾化」に活路を見いだそうとしました。

 日本統治時代に整備されたインフラや教育、医療等の効果により1950年代~1960年代を通じて台湾は順調に経済が発展してきましたが、大陸反攻をスローガンに掲げた軍事面での投資が優先され、空港や鉄道は日本統治時代のままで産業基盤の整備は立ち遅れていました。そのため、国の危機を憂えた台湾の人々の中には海外への移住を目指す動きも盛んでした。

 このため蔣経国は1973年11月に、産業基盤の整備と重化学工業の振興を目的とし、十大建設と呼ばれる国家プロジェクトに着手しました。それらは、南北高速道路建設、西部縦貫鉄道電化、北回り鉄道敷設、桃園国際空港建設、台中港建設、蘇澳港拡張、中国鋼鉄創設、中国造船創設、石油化学プラント建設、そして3つの原発を含む発電所建設でした。

 筆者が初めて台湾を訪れたのは1976年1月ですが、その際、IHIの技術指導を受けていた高雄の中国造船の100万トンドックや、熊谷組の技術指導を受けて造った南北高速道路を目の当たりにした記憶があります。

 この十大建設の成功は、台湾社会に団結と達成感をもたらしました。そして1970年代を通じ、台湾経済の発展は世界経済において台湾の地位を高めることに成功し、韓国、香港、シンガポールとともに「アジア四小竜」と呼ばれる存在となり、今や、台湾人の一人当たりGDPは、我々日本人を上回っています。

■さて、今回の総統選挙では冒頭に示したように3期連続の民進党政権が決まりました。ただし、国民党・侯友宜氏と民衆党・柯文哲氏の合計の得票率(60.0%)が、当選した頼清徳氏(40.1%)を上回ったことから、「総統選挙における民進党の優位時代が終わった」と分析する向きもあります。

 そして、同じ日に行われた立法院(日本の国会に相当)の選挙では、全部で113議席のうち、中国との対話を重視する国民党が最多の52議席を獲得し、民進党の51議席を1議席上回って第一党の座を確保しています。ただし、両党とも過半数の57議席に達せず、8議席を獲得した第三政党の民衆党がキャスチングボートを握っている状態となりました。今後の政権運営にとってこの8議席が大きな意味を持つのは確かで、2月から始まる立法院での議長選出が早くもヒートアップしています。

 それにしても、なぜ「選挙の争点」として、民進党の頼氏と国民党の侯氏が明確に「中台関係」の争点化を図ったのに、中間派の有権者、とりわけ若者世代にはあまり響かなかったのでしょうか。民衆党の柯文哲氏は、当初、国民党との連立(合作)を標榜していましたが、総統選間近になり、総統候補を巡る調整がまとまらず、結局袂を分かち、結果的に総統選挙では民進党が勝利しました。

 しかし、前回の5議席から8議席に増やし、国民党も民進党も立法院では過半数を取れなかったため、存在感を増したかたちとなりました。柯文哲氏は中台関係について、あいまいなスタンスをとり、1987年の戒厳令解除を節目として、それまでの国民党一党独裁に対する台湾の民主化運動が達成されるまでの実態を知らない若い世代の間には、国民党も民進党も旧来の既存勢力という認識が広がり、2019年8月6日に当時台北市長だった柯文哲により結成された民衆党に新鮮さを感じたものとみられます。

 実際のところ、民衆党の柯文哲氏は、前言をいとも簡単に翻すため、信用できないとみる向きも多数います。それでも、独裁政治をいやというほど味わった台湾人には、政権が長期にわたると腐敗するという意識が依然として高く、そのため、中国共産党の脅威が迫る国際情勢の中にあっても、民進党の3期目となる長期政権に抵抗があることも事実です。また、国民党に限らず、民進党の立法院の候補者の中にも、汚職や不倫のスキャンダルを抱えた前議員がおり、民進党は決してクリーンなイメージではないことも、民衆党の得票数アップの一因とみられます。

■それにしても、なぜ総統選では民進党で、同時に行われた立法院選挙では、僅差とはいえ国民党が民進党を上回り第一党となれたのでしょうか。

 台湾では、中華民国の創建者である孫文の「五権分立」理論に基づいて、行政院・司法院・考試院・監察院と共に一院制の立法機関として立法院が設置されています。中華民国にはもともと、総統・副総統の任免権、憲法改正権を有する最高機関「国民大会」が存在していましたが、2005年に廃止されたため、立法院が名実共に唯一の最高立法機関となっています。

 また、蒋介石による国民党一党独裁時代の1948年から1991年までは、中国大陸で選出された議員が立法院の大半を占めていましたが、1992年以降は澎湖、金門、馬祖を含む台湾在住の有権者によって選出された議員だけで構成・改選されています。会期は2月~5月、9月~12月の二会期制を採用しており、現在、議員定数113、任期は4年です。

■今回の総統選を見ると、九州ほどの面積に住む約1955万人の有権者のうち約72%にあたる1400万人余りの投票者数ですが、投票は午後4時に締め切られ、開票作業が始まり、4時間半後の午後8時半(日本時間午後9時半)には開票結果が公表され、当選人が勝利宣言をしたことです。これほど早く開票作業ができるのはなぜだろうと筆者は疑問を持ちました。

 そこで、台湾の親戚筋に聞いたところ、開票作業はそれぞれの開票所で開票し、直ちに集計作業が行われ、中央選挙委員会に結果を連絡しているのだそうです。日本のように、投票箱を役所の職員が一人で持ちまわったり、山奥の投票所から遠い市街にある開票所に運んだり、という非効率な方法ではないこともその理由です。

**********フォーカス台湾2024年1月15日17:17
開票作業の不正指摘する動画拡散 中央選挙委トップ「100%自信ある」/台湾

中央選挙委員会の李進勇主任委員=資料写真
(台北中央社)13日に実施された総統・立法委員(国会議員)選の開票作業を巡り、インターネット上では一部投開票所での不正を指摘する動画が複数拡散されている。中央選挙委員会の李進勇(りしんゆう)主任委員(閣僚)は15日、全国24万人以上の選挙スタッフが法にのっとって作業を進めたことに「100%の絶対の自信がある」とし、候補者陣営が結果を受け入れられないのであれば、訴訟を起こすよう呼びかけた。
 台湾の選挙の開票作業では投票用紙を一枚ずつ観衆席に広げて見せ、得票者の読み上げを行い、正の字で票を集計していく方式が用いられている。インターネット上に出回っている動画では、投票箱の底に仕切りで票が隠されていた疑いや読み上げられた候補者とは別の候補者に票が加えられた疑い、決められた手順に従わずに集計が行われた疑いなどが指摘されている。
 動画について中央選挙委は14日、拡散されている多くの動画は一部の場面を切り取ったに過ぎず、開票作業に濡れ衣を着せ、対立感情をあおるのが狙いだと指摘。信じたり、拡散したりしないよう呼びかけた。
 不正疑惑を受けて15日に記者会見を開いた李氏は、少数の人が偽情報を拡散したことは非常に遺憾だとし、台湾の民主主義の価値観や選挙管理機関の公正、全ての選挙スタッフの潔白を守ると明言。たとえ1人であっても選挙スタッフが不正を働いていたことが裁判所で認定されれば、即座に辞任すると宣言した。
 非営利組織の台湾ファクトチェックセンター(台湾事実査核中心)は15日までに、投票箱に票が隠されていた疑惑や別の候補者に票を加えていた疑いを指摘する動画について、いずれも「誤り」とする調査結果を発表している。
(陳俊華/編集:名切千絵)
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 今回の総統選・立法院選挙では、中国共産党によるさまざまな妨害工作が行われました。上記の記事にあるようなSNSを使ったフェイク動画もそのひとつです。

■台湾では、選挙運動費用の上限や候補者のポスター掲示の制限などはなく、候補者の上り旗が、街中の道路わきの至る所に立ち並びます。候補者のポスターも、総統選候補と地元選挙区の立法院委員候補のツーショットのポスターが、駅前、バスターミナル周辺、主要交差点に面したビルの壁面一杯に貼られます。

 メディアも、選挙の半年前から、選挙情勢について報道をはじめ、1か月くらい前からは朝から夜まで、多くの放送局や新聞、ネットチャンネルで報じます。

 今回の総統選・立法院選挙の投票率が72%になったのも、総統という国のトップを直接選挙で選ぶという制度はもちろんのこと、国際情勢のなかで自国の置かれた立場を台湾の国民が良く認識していることもあるでしょうが、かつての独裁政治から民主化を勝ち取ってきただけに選挙の重みを理解していることが背景にあると考えられます。

 それにしても、よく聞かれるのは、なぜ総統には民主党の頼清徳氏を選んだのに、立法院の委員選挙は国民党に票を入れる台湾人が多いのか?という質問です。筆者も疑問でしたので、台湾の親戚筋に聞いてみたところ、国際情勢については中国共産党と一線を画す民進党を支援するが、地元の候補者は、戦後、国民党政府下でいわゆる地元のコミュニティの各種団体への補助金やら、土着の宗教団体への優遇策やら、地縁・血縁重視の隣保班や同族意識など、いわゆる日本のムラ意識で構成されるタテ社会で見られるような集団意識が醸成されてきたため、これが依然として根強く存在していることが原因だという見解が示されました。

 言ってみれば、日本でも地方議員選挙の場合、議員はおらが地区からぜひ当選させたいという仲間意識に通じるものがあると言えます。他方で、国のトップを直接選挙で選べる台湾では、やはり国際的な立場からの施策で判断するという投票行動をするため、こうした捻じれ減少が起きることになるわけです。

 事実、1996年に国民党の李登輝が総統に就任してから、2016年に民進党の蔡英文の総統選挙の時に、初めて民進党が第一党になるまで、立法院は国民党が筆頭政党として議長を務めていました。その間、2000年から2007年の民進党の陳水扁政権の時も、同様、立法院は国民党が過半数を占めていました。したがって、今回は16年ぶりの捻じれ状態の立法院ということになります。

■こうした経緯を見ると、台湾人の政治に対するバランス感覚というものが垣間見えて来るようです。なにはともあれ、現状維持を訴えた民進党の頼清徳氏が総統選に勝利したことを皆さんと喜びたいと思います。今後、台湾海峡を挟んで中国共産党によるさまざまな台湾への圧力が加えられると思いますが、引き続き台湾の支援に取り組んで参ります。

【群馬県台湾総会書記からの報告】

※関連情報
**********NHK News Web 2024年1月14日19:06
台湾総統選 民進党・頼清徳氏が当選 立法院は過半数維持できず
 13日に投票が行われた台湾の総統選挙で、与党・民進党の頼清徳氏が550万票を超える票を獲得し、野党の2人の候補者を破って当選しました。台湾で1996年に総統の直接選挙が始まってから初めて、同じ政党が3期続けて政権を担うことになります。
 一方、同時に行われた議会・立法院の選挙では民進党が過半数を維持できず、5月に就任する予定の頼氏は難しい政権運営を強いられることになりそうです。

 4年に1度行われる台湾の総統選挙には、与党・民進党から今の副総統の頼清徳氏、最大野党・国民党から現職の新北市長の侯友宜氏、野党第2党・民衆党から前の台北市長の柯文哲氏のあわせて3人が立候補しました。

 投票は13日に行われ、即日開票の結果、民進党の頼清徳氏 558万6019票、国民党の侯友宜氏 467万1021票、民衆党の柯文哲氏 369万466票で頼氏が当選しました。

 投票率は71.86%で、前回4年前より3ポイントあまり低くなりました。

★中国との向き合い方が争点の1つ★

 選挙戦では、中国との向き合い方が争点の1つとなり、中国の圧力に対抗する姿勢を示す与党・民進党が政権を維持するのか、中国との対話や交流拡大などを訴える野党が政権交代を実現するのかが焦点となりました。

 頼氏は、「中国と台湾は別だ」という立場で、アメリカなどとの連携を強めて中国を抑止しようという現職の蔡英文総統の路線を継承すると訴えました。

 これに対し、野党の2人は、頼氏がかつて「自分は現実的な台湾独立工作者だ」と発言したことを執拗にとりあげ、なかでも侯氏は「民進党政権が台湾海峡の両岸に武力衝突の危機をもたらした」と批判し「両岸の交流を密にして衝突のリスクを下げる」と主張しました。

 しかし、中国当局が今回の選挙を「平和か戦争かを選ぶものだ」と定義して台湾の選挙への介入ともいえる姿勢を示すなか、侯氏らの主張に支持は広がりませんでした。

 頼氏はことし5月に就任する予定で、台湾で1996年に総統の直接選挙が始まってから初めて、同じ政党が3期続けて政権を担うことになります。

★民進党の頼清徳氏が勝利を宣言★


 与党・民進党の頼氏は日本時間の午後9時半すぎ記者会見し勝利宣言しました。

 この中で頼氏は「選挙イヤーの最も注目された最初の選挙で、台湾は民主主義陣営の勝利を成し遂げた」とした上で「民主主義と権威主義の間で、台湾は民主主義の側に立つことを選んで全世界に示した。台湾の人たちはみずからの行動によって、外部勢力の介入を食い止めることに成功した」と述べました。

 頼氏は「台湾海峡の平和と安定を維持するのが総統としての重要な使命だ。ごう慢にもならず、卑屈にもならず、現状を維持する。対等と尊厳を前提とし、対抗に代えて対話を行い、自信を持って中国との交流と協力を進め、台湾海峡両岸の人たちの福祉を増進し、平和共栄の目標を達成する」と述べました。

 一方で「中国の言論や武力による脅しに対して、私には台湾を守る決意もある」と述べました。

★頼清徳氏 勝因は★


 頼清徳氏は今回の選挙戦で、この8年間、政権を担ってきた民進党・蔡英文総統の路線を継続することを訴え、「現状維持」を望む幅広い層に支持を広げたものとみられます。

 今回の選挙で大きな争点のひとつとなった中国との関係について頼氏は「台湾は中国の一部だ」という中国の主張を認めず、アメリカなどとの関係強化によって中国に対抗しようという姿勢を強調していました。

 選挙戦では「台湾は世界の台湾であるべきだ。中国に頼る過去の路線に後戻りしてはいけない」と訴えてきました。

 また、副総統候補として台湾当局の駐米代表を務めた蕭美琴氏とコンビを組み内外にアメリカとの関係強化の路線を継続する姿勢を示したことも受け入れられたとみられます。

 さらに選挙戦では若い世代が関心を寄せる住宅対策や子育て政策など内政に力を入れることもアピールしました。

 根強い人気のある現職の蔡英文総統のもとで副総統を務めた頼氏は、今回、幅広い層からの支持を得たものとみられます。

★蔡英文総統 「台湾の人々は民進党政権の継続を選んだ」★


 蔡英文総統は日本時間の13日午後10時すぎに与党・民進党の集会で演説し「私たちは世界に向けてどのような困難もどのような抑圧も民主主義への信念をくじくことはできないと証明した」と述べました。

 そのうえで「きょうの選挙の結果、台湾の人々は民進党政権の継続を選んだ。私たちは与党として着実に前進するとともに台湾をさらに強くしなければならない」と強調しました。

 そして「選挙の終わりは、団結の始まりだ。きょう誰に投票しようと、民主的な台湾は再び新たな一歩を踏み出した。あすから私たちはともに台湾のために努力しよう」と呼びかけました。

★頼氏 一夜明けすぐ 日本の窓口トップや国会議員と会談★


 当選した頼氏は14日朝、台北市内の民進党本部で日本の台湾に対する窓口機関、日本台湾交流協会のトップの大橋光夫会長と会談しました。

 この中で頼氏は、能登半島地震で亡くなった人への哀悼と被災者へのお見舞いの気持ちを伝え、大橋会長は、台湾の人たちの思いやりに感謝しました。

 そして頼氏が「日本は台湾にとって非常に緊密な民主主義のパートナーだ」と述べたのに対し、大橋会長は「日本の人たちは日台関係の重要性を理解している」と応じ、協力関係をさらに引き上げたいという考えで一致しました。

 頼氏はこのあと、日本と台湾の交流を進める超党派の議員連盟「日華議員懇談会」の会長を務める自民党の古屋・元国家公安委員長と会談し、経済や文化の交流がさらに深まることに期待を示しました。

 頼氏が、当選から一夜明けてすぐに日本の代表と会ったことは、対日関係重視の姿勢のあらわれと言えそうです。

★米元高官が台湾訪問へ 頼氏と会談か★

 台北にあるアメリカの代表機関アメリカ在台協会は、アメリカ政府の元高官が、前例に従い、私人として14日から台湾を訪問すると発表しました。

 訪問するのは、共和党のブッシュ政権で安全保障政策担当の大統領補佐官を務めたハドリー氏と民主党のオバマ政権で国務副長官を務めたスタインバーグ氏の2人で、15日に台湾の政治指導者と会談するということです。総統選挙で当選した民進党の頼清徳氏と会談するとみられます。

 訪問では「選挙が順調に実施されたことにアメリカ国民の祝意を伝えるとともに、台湾海峡の平和と安定に対する我々の長年の関心を改めて表明する」としていて、中国が台湾への軍事的な圧力を強める中、台湾海峡の現状維持のために米台の連携を確認するねらいがあるとみられます。

 一方で発表では元高官が前例に従い、私人として訪問することを強調していてアメリカと台湾の間の公的な往来に反対する中国を過度に刺激しないよう配慮を示したとみられます。

★台北市民「生活を良くして」「安全を守って」★

 総統選挙から一夜明け、台北の市民からは新政権への期待などが聞かれました。

 このうち、民進党の頼清徳氏に投票したという23歳の女性は「頼氏には、台湾の人たちの生活を良くしてほしい。仕事の機会をつくってほしい」と話していました。

 また同じく頼氏に投票したという70歳の女性は「台湾の安全を守ってほしい。世界の人たちに台湾の民主主義を伝えてほしい」と話していました。

 一方、国民党の侯友宜氏に投票したという45歳の男性は「結果は残念だ。頼氏には、彼に投票しなかった人たちの声に耳を傾け、安全保障や経済問題に取り組んでほしい」と話していました。

★国民党の侯友宜氏が敗北を認める★


 国民党の侯氏は日本時間の午後9時ごろ支持者を前に「今回の総統選挙の結果について私個人の努力が足りず、非常に遺憾だ。政権交代を実現できず、皆さんを失望させた。私は心からおわびする」と述べ敗北を認めました。

★侯友宜氏 敗因は★

 侯友宜氏は今回の選挙で大きな争点のひとつとなった中国との関係について、台湾の防衛力を強化しながら中国との交流を密にして衝突のリスクを下げると主張しましたが、幅広い支持が得られませんでした。

 侯氏は、経済や教育などの分野で中国との交流拡大の必要性を訴え2023年11月にはFTA=自由貿易協定にあたる「経済協力枠組み協定」の協議再開や中国人観光客の受け入れ、それに中国人学生の台湾留学と台湾での就職を進める政策を打ち出してきました。

 また、2期8年続いた民進党政権について中国との関係が悪化し交流が減っただけでなく、台湾では、汚職や不正が増えたなどと批判し政権交代を訴えてきました。

 今回の選挙戦では、野党第2党の民衆党と連立政権を組む考えを強調し、柯文哲氏との候補者の一本化を模索したものの実現しなかったこともあり、国民党以外の支持層の獲得につながらなかったとみられます。

★民衆党の柯文哲氏も敗北を認める★


 民衆党の柯氏は日本時間の午後9時すぎ、支持者を前に「私はあきらめないので皆さんもあきらめないでほしい。私たちは必ず努力を続け、4年後、自信をもって柯文哲と民衆党に投票してもらえると信じる」と述べ、事実上、敗北を認めました。

★柯文哲氏 敗因は★

 柯文哲氏は今回の選挙戦で「新たな勢力による政治の変革が必要だ」だとして、台湾でこれまで交互に政権を担ってきた民進党でも国民党でもないみずからが率いる民衆党によって政権交代をすべきだと訴えましたが、幅広い支持が得られませんでした。

 また、今回の選挙戦では、立候補の届け出の締めきり直前に最大野党・国民党との候補者の一本化をめぐっていったんは合意したものの結局は実現しなかったことで、既成政党と組もうとしたというマイナスイメージなどから支持が広がらなかったものとみられます。

★与党・民進党 立法院の選挙では過半数維持できず★


 一方、総統選挙と同時に行われた議会・立法院の選挙では、113議席のうち、国民党が52議席、民進党が51議席、民衆党が8議席を、それぞれ獲得しました。

 民進党は改選前より11議席減らして過半数を維持できませんでした。住宅価格の高騰などへの不満が与党に向かったことや、長期政権をけん制する有権者の心理が要因とみられ、頼氏は「われわれの努力が足りなかったことを意味する。虚心に反省すべき点だ」と述べましたが、難しい政権運営を強いられることになりそうです。



★中国政府「民進党 民意を代表できない」★

 中国政府で台湾政策を担当する国務院台湾事務弁公室の陳斌華報道官は13日の深夜に談話を発表しました。

 この中で、総統選挙で当選した民進党の頼清徳氏の得票率が40%だったことや、議会にあたる立法院の選挙で民進党が過半数を維持できなかったことを念頭に「台湾地区の2つの選挙結果は民進党が決して主流となっている民意を代表できないことを示している」としています。

 そして「今回の選挙は台湾海峡両岸の同胞がさらに親しくなろうという共通の願望を変えることはできないし、最終的に祖国が必ず統一されるという大勢も止めることはできない」としています。

 その上で「国家統一を完成させるという立場は終始一貫している。『台湾独立』という分裂行動や外部勢力の干渉に断固反対する。台湾の関係する政党や団体などとの交流や協力を促進し台湾海峡両岸の融合発展を深め、平和的発展と祖国統一の大業を推し進める」として台湾統一への強い意欲を示しました。

 また、中国外務省も報道官の談話を発表し、「台湾問題は中国の内政だ。台湾の情勢がどう変化しようが、世界には『1つの中国』しかないし台湾が中国の一部分だという基本的事実は変わらない」と主張しました。

★中国のSNS 関連することば 検索できず★

 一方、中国のSNS「ウェイボー」では、13日の朝、台湾総統選挙に関連するキーワードが検索ランキングでトップになりました。

 しかし、その数時間後、このキーワードを検索しようとすると「関係の法律と政策により、この話題の内容は表示されません」という文章が表示され、検索できなくなり、当局などが神経をとがらせていることが伺えます。

 ただ、中国のSNS上には、当局などによる検閲をかいくぐることばを使っても民進党の頼清徳氏の当選をネット上で検索できないことを疑問視し「関係部門は台湾政策の失敗を直視する勇気がないのか」といったコメントもみられました。

★アメリカ ブリンケン国務長官 頼氏に祝意★


 アメリカのブリンケン国務長官は13日、声明を発表し、当選した民進党の頼清徳氏に祝意を示すとともに「台湾の人たちは、確固たる民主主義の制度と選挙プロセスの強さを改めて示した」と歓迎しました。

 その上で「アメリカは台湾海峡の平和と安定の維持や威圧や圧力とは無縁な平和的な解決に取り組んでいく。民主主義的な価値を持つアメリカと台湾の人々は引き続き、経済や文化などで連携を拡大していく」としています。
バイデン大統領 「台湾の独立を支持しない」


 また、バイデン大統領は、13日、記者団から台湾総統選挙の結果について聞かれ「われわれは台湾の独立を支持しない」と述べました。

 「台湾は中国の一部だ」という中国の立場を認識する、従来からのアメリカの政策に変更はないという立場を改めて強調した形です。

★上川外務大臣 頼氏に祝意★


 上川外務大臣は談話を発表し「民主的な選挙の円滑な実施と頼氏の当選に祝意を表する。台湾はわが国にとって基本的な価値を共有し、緊密な経済関係と人的往来を有する極めて重要なパートナーで大切な友人だ。政府としては、台湾との関係を非政府間の実務関係として維持していくとの立場を踏まえ 日台間の協力と交流のさらなる深化を図っていく。台湾をめぐる問題は、対話により平和的に解決されることや地域の平和と安定に寄与することを期待する」としています。

★外務省幹部 「中国への警戒感強め 今回の結果につながったか」

 外務省幹部はNHKの取材に対し、「事前の予測通りの結果だ。中国側が選挙戦終盤に軍事的、経済的に圧力をかけたことや、偽情報などがあふれたことが、かえって中国への警戒感を強め、今回の結果につながったのではないか。日本としては、両岸問題の対話による解決が世界の平和と安定にとっても重要だと国際社会に働きかけていく」と述べました。

 また別の幹部は、「頼氏が勝利したものの、民進党は前回・4年前ほどの票は取れなかった。どのような外交政策を打ち出していくのか注視していく必要がある」と述べました。

★中国大使館「祝意表明は内政に対する重大な干渉」★

 上川外務大臣が祝意を示したことについて、東京にある中国大使館は14日、報道官の談話を発表し「日本の外務大臣が、公然と祝意を表明したことは、中国の内政に対する重大な干渉だ。強い不満と断固とした反対を表明する」として、日本側に抗議したと明らかにしました。そのうえで「“台湾独立”勢力にいかなる誤ったシグナルも送らないよう求める」などと日本側をけん制しました。

 「台湾は中国の一部だ」と主張する中国政府は、頼氏のことを「台湾独立派」と非難していて、日本政府が頼氏に祝意を示したことに強く反発したかたちです。

 また、中国外務省は、アメリカのブリンケン国務長官が台湾総統選挙で当選した民進党の頼清徳氏に祝意を示す声明を出したことについて「声明は『1つの中国』の原則に著しく違反し、『台湾独立』勢力に誤ったシグナルを送るものだ。中国はこれに強い不満を示し、断固反対する」としてアメリカ側に抗議したとしています。

★イギリス キャメロン外相 「台湾の活力ある民主主義を証明」★


 イギリスのキャメロン外相は声明で、今回の総統選挙について「台湾の活力ある民主主義を証明するものだ」と指摘し、当選した民進党の頼清徳氏に祝意を示しました。

 そのうえで「台湾海峡の両岸が、武力による威嚇を行うことなく、建設的な対話を通じて平和的に意見の相違を解決する努力を改めて行うことを願っている」としています。

★EU 「いかなる一方的な現状変更の試みにも反対」★


 EU=ヨーロッパ連合は声明で、選挙に参加したすべての有権者に祝意を示すとしたうえで「台湾海峡の平和と安定が地域と世界の安全と繁栄にとって重要だ。EUは台湾海峡での緊張の高まりを懸念し、いかなる一方的な現状変更の試みにも反対する」と強調しました。

★リトアニア ランズベルギス外相 「民主主義の力強さたたえる」★


 また、台湾との関係強化を進め、「台湾」の名を冠した出先機関「駐リトアニア台湾代表処」の開設を認めたことで中国から報復を受けているリトアニアのランズベルギス外相はSNSで頼氏に祝意を示し「台湾の人々とともにわれわれは、自由で公正な民主主義の力強さをたたえている」としています。

★ロシア外務省 「台湾は中国の不可分な一部 台湾の独立に反対」★

 ロシア外務省のザハロワ報道官は13日、声明を発表し「台湾は中国の不可分な一部であり、ロシアはいかなるかたちでも台湾の独立に反対している」と強調しました。

 そのうえで「台湾の選挙を利用して中国に圧力をかけ、台湾海峡や地域全体を不安定化させようとする特定の国々による試みは非生産的であり、国際社会は非難すべきだ」として中国を支持する姿勢を示し、アメリカなどをけん制しました。

★パラグアイ大統領府 「頼氏に心からお祝い」★

 南米で唯一、台湾と外交関係を持つパラグアイの大統領府は13日「頼氏に心からお祝いを伝える。民主主義の責務を果たした台湾の人々を祝福する」との声明を出し、頼氏の勝利を歓迎しました。

 頼氏は去年、南米各国の首脳とならんでパラグアイのペニャ大統領の就任式に出席していて、ペニャ氏はみずからのSNSで「私たちの国をより強くするために協力していく」と述べ、台湾とのさらなる関係の強化に期待を示しました。

★記者解説 中国 民進党政権への揺さぶり機能せず★

〔北京 中国総局・須田正紀記者(日本時間13日午後11時ごろ)〕
 これまでのところ、中国政府の反応は出ていません。国営メディアも民進党の頼清徳氏の勝利宣言などについて一切伝えていません。

 ただ、中国は台湾での政権交代をあからさまに望んできましたので、逆の結果が確実となり、いらだちを深めていると思われます。

 習近平国家主席は、「祖国統一は歴史の必然だ」と述べ台湾統一への強い意欲を繰り返し強調してきました。

 中国政府はこれまで台湾の民進党政権に硬軟織り交ぜたさまざまな方法で揺さぶりをかけてきましたが、今回、それが機能しなかったことが浮き彫りになった形です。

 今後、台湾に対する圧力を強めるのは間違いないと思います。アメリカ政府の高官は、選挙のあと非公式の代表団を台湾に派遣すると明らかにしています。

 今後、台湾がアメリカや日本などと連携する動きに対し、中国がより強硬な手段に出てくる可能性はないのか、注視していく必要があります。

★記者解説 アメリカ バイデン政権 民進党政権の継続に安どか★

〔ワシントン支局 渡辺公介記者(日本時間13日午後11時ごろ)〕
 アメリカメディアは頼氏が勝利宣言すると、相次いで速報で伝え、関心の高さがうかがえます。

 バイデン政権は、公式な反応を示していませんが、民進党政権の継続が確実になったことで「くみしやすい」と受け止めているとみられます。

 特に、副総統に就任することになる蕭美琴氏は去年11月まで、ここワシントンで台湾当局の駐米代表を務め、党派を超えた信頼を集めてきたこともあり、台湾の防衛力強化の継続性という観点からも、安どしていると思います。

 一方で懸念しているのは、中国の反応です。バイデン政権は、頼氏を「独立派」だとして警戒感をあらわにしてきた中国が、台湾への軍事的な圧力を一段と強化し、地域を不安定化させる可能性があると見ています。

 バイデン政権としては、ウクライナと中東で2正面の対応を強いられているいま、台湾海峡で緊張が高まることは何としても避けたい立場です。

 アメリカでもことし11月には大統領選挙があります。再選を目指すバイデン大統領としては、国内問題に集中する上でも中国との対立が先鋭化することがないよう、状況を注視していくものと見られます。
**********

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新年早々立て続けに発生した天災と人災・・・羽田空港で起きたおよそ有り得ない衝突事故

2024-01-07 13:01:36 | 国内外からのトピックス
衝突炎上した海保機の残骸。

■元旦恒例のニューイヤー駅伝もトヨタ自動車の圧勝に終わり、穏やかな午後のひと時をゆったりと過ごしていたところ、午後4時10分ごろ、能登半島で深さ16キロを震源とするマグニチュード7.6の地震が発生し、志賀町で震度7の非常に激しい揺れを観測し、深夜になっても延々と燃える輪島市内の光景が報じられ初夢を見る間もなくテレビにかじりついていました。

 翌1月2日、かねてより一度は生で見たかった箱根駅伝の観戦のため、高崎から湘南新宿ラインで新宿に行き、小田急ロマンスカーで11時に新宿を発ち、小田原で一時下車してから箱根湯本駅に向かい、そこから箱根登山鉄道に乗り換え、大平台駅で下車し、予約しておいたホテルでくつろいでいました。

 そして午後6時前に、何気なくテレビを点けたところ、能登半島地震の避難指示のテロップが大きく表示されていた画面に突然、炎上する飛行機が映し出されました。午後5時47分ごろ、羽田空港のC滑走路上で飛行機同士が衝突し、JAL機が前輪を失った状態で火だるまとなって、滑走路脇で止まり、最初はエンジン部分でチョロチョロ燃えていた炎が見る見るうちにJAL機全体を包む様子を呆然と見ていました。

■一連の災害と事故で、昨年11月から騒ぎが拡大していた自民党の裏金問題がマスコミ報道からすっかり影を潜めてしまいました。自民党にとってはまさに天祐、或いは神風ともいえる新年早々の大災害と大事故ですが、羽田空港がらみの航空機事故と言えば、1966年(昭和41年)に立て続けに発生した5件の航空事故のうち、2月4日の全日空のボーイング727-100型機の羽田沖墜落事故、3月4日のカナダ太平洋航空のDC8-43型機の羽田空港墜落事故、3月5日の英国海外航空(BOAC)のボーイング707-436型機が羽田離陸後、富士山付近の上空で乱気流による空中分解墜落事故、8月26日の日本航空のコンベア880-22M型機の羽田空港離陸直後に墜落炎上事故を思い出します。ちなみに、同年11月13日の全日空のYS11型機による松山沖墜落は大阪伊丹空港からのフライトでした。

 また、1982年(昭和57年)2月9日、日本航空350便のダグラスDC8-61型機が機長の心身症による逆噴射操作で羽田空港沖に墜落した事故も思い出されます。

■1月3日の報道を見てみましょう。

**********NHK News Web 2024年1月3日20:45
羽田空港事故 交信記録やり取り詳細 “18分の避難”機内で何が
 2日、東京の羽田空港で日本航空の旅客機が着陸した直後に海上保安庁の航空機と滑走路上で衝突して炎上し、海上保安官5人が死亡した事故で、国土交通省は管制官と双方の機体との当時のやり取りを公表しました。
 「やり取りの詳細は」
 「“18分の避難” 機内では何が」
 交信記録の詳細と、乗客の証言をまとめました。
 ※記事文末に管制官と双方の機体との詳細なやり取りを掲載しています。


 2日午後6時ごろ、日本航空516便が羽田空港の滑走路に着陸した直後に、出発しようとしていた海上保安庁の航空機と滑走路上で衝突して炎上し、海上保安官5人が死亡、1人が大けがをしました。
 また、日本航空によりますと、516便の乗客乗員で新たに1人がけがをしていたことがわかり、あわせて15人がけがや体調不良で医療機関を受診したことが確認されたということです。
 15人は全員、乗客だということです。
★交信記録の詳細は★


 この事故について、国土交通省は3日夜、管制官と双方の機体が英語でやり取りしていた交信記録の和訳を公表しました。
★事故4分前:午後5時43分★
 それによりますと、事故の4分前の午後5時43分に、管制官は日本航空機に対し、C滑走路への進入を継続するよう指示しています。
 この際、管制官は「出発機があります」と伝え、およそ2分後には「着陸支障なし」とも伝えています。
★事故2分前:午後5時45分★
 さらに、事故の2分前の午後5時45分に、管制官は海上保安庁の航空機に対し、誘導路上の停止位置まで地上走行するよう指示しています。
 これに対し、海上保安庁の航空機は誘導路上の停止位置に向かうと復唱しています。
★事故発生:午後5時47分★
 このあと、事故が起きた午後5時47分まで管制官から海上保安庁の航空機に対し、滑走路への進入を許可する記録はありませんでした。
 一方、海上保安庁によりますと、海上保安庁の機長は、事故のあと「進入許可を受けたうえで滑走路に進入した」と報告しているということで、まったく食い違う認識を示しているということです。
 事故原因を調べている国の運輸安全委員会は調査官6人を現地に派遣し、海上保安庁の航空機からブラックボックスを回収するなどけさから本格的な調査を始めていて、今後、双方の機長らから話を聞くなどして当時の状況や事故の原因を調べることにしています。
★“避難の18分” その時、何が★
 日本航空は2日の事故について、羽田空港に着陸してから乗客乗員379人全員が機体の外に避難するまで18分間だったと明らかにしました。
 この18分間に何があったのか。乗客の証言をまとめました。
【着陸】


★“ドンドンドン 機体がバウンド”★
 「最初は普段通りの着陸かなと思ったが、そのあとドンドンドンと機体がバウンドした。外に出たらエンジンが燃えていたので、ただ事ではないなと思った。どんどん火の手がまわって、機体から離れたあとは機体がすべて燃えているような状況だった」(群馬県 50代男性)
★“腰が浮き上がるくらいの衝撃”★
 「ボンっというかなり大きい音がして、火が見えた。腰が浮き上がるくらいの衝撃だった。1分くらいして煙が入ってきて、呼吸が難しくなった感じがした。乗員が『大丈夫ですか、落ち着いて』と声をかけていて、乗客はみな落ち着いていたが、緊張感があった」(群馬県の50代男性)
★“ガシャーンという音 照明が暗く”★
 「着陸する時、普段のドーンという音ではなくガシャーンというような音がして、その後機内の照明が暗くなり、乗務員から『落ち着いて下さい』というような声かけがありました。それから脱出するまで数分ほどだったと思いますが、私がいた位置では煙が少し見える程度で乗客に大きな混乱はありませんでした」(前方の席 55歳男性)
【その後、機内は】
★“焦げ臭さ 一気に充満”★
「扉が開くまでの時間は感覚だと5分くらいだと思います。機内の温度はあつくはなかったが匂いは焦げ臭さが一気に充満したような感じだった」(埼玉県 30代男性)
★“小さい子ども 多く泣き声”★
「乗客はみんな混乱した様子で、特に小さい子どもが多く泣き声がして、親がなだめている様子でした。出火が続いて煙が機内に入ってくるので、みんな不安でした」(神奈川県 60代男性)
★“過呼吸のような状態”★
「CAの方から『落ち着いてください』という機内放送があり、ほとんどの人は、落ち着いていたが近くに座っていた女性は過呼吸のような状態になっていました」(埼玉県 59歳男性)
【避難】

★“落ち着くように” “立たないで”★
 「機内では『キャー』という叫び声が聞こえ、客室乗務員が『落ち着くように』とか『立たないでください』などと案内していた。煙が充満してきたので口と鼻を押さえて身を低くして避難するように言われ、出口から案内されて避難した。その後家族に無事を伝えた」(22歳 男子大学生)
★“低い姿勢で 子どもの口を押さえて”★
 「家族だけは守りたいと思い、子どもだけは煙に当たらないようにと、低い姿勢にさせて、妻には子どもの口を押さえてもらっていました。開くことができた前の扉から脱出用の滑り台で避難するまでには、10分から15分くらいはかかったように感じました。今は家族が無事でよかったと思っています」(埼玉県 33歳男性)
【交信記録(管制官と当該機とのやりとりのみ抽出)】
★午後5時43分2秒★
日本航空機:「東京タワー、JAL516スポット18番です」
管制官:「JAL516、東京タワーこんばんは。滑走路34Rに進入を継続してください。風320度7ノット。出発機があります」
★午後5時43分12秒★
日本航空機:「JAL516滑走路34Rに進入を継続します」
★午後5時44分56秒★
管制官:「JAL516滑走路34R着陸支障なし。風310度8ノット」
★午後5時45分1秒★
日本航空機:「滑走路34R着陸支障なしJAL516」
★午後5時45分11秒★
海保機:「タワー、JA722AC誘導路上です」
管制官:「JA722A、東京タワーこんばんは。1番目。C5上の滑走路停止位置まで地上走行してください」
★午後5時45分19秒★
海保機:「滑走路停止位置C5に向かいます。1番目。ありがとう」
 このあと、事故が起きた午後5時47分ごろまで、管制官から海上保安庁の航空機に対する滑走路への進入許可の記録はありませんでした
**********

日本航空516便のエアバスA350-941型機。機体番号:JA13XJ。日本航空として13機目のA350-900型機で、2021年11月18日に運用開始。今回の事故はエアバスA350の初の機体全損事故。価格3.11億ドル

海上保安庁の「MA770みずなぎ1号」のデ・ハビランド・カナダDHC-8-Q300型機。機体番号:JA722A(羽田航空基地所属)。羽田航空基地16時45分発予定で新潟航空基地17時55分着予定。本機は、元日に発生した令和6年能登半島地震の対応のため2回飛行、事故時は被災地向けの物資を中継場所となる新潟航空基地へ搬送予定。また、本機は2011年3月11日の東日本大震災による津波で仙台空港にて被災後、2012年3月29日に修復され唯一復帰した機体。価格約1700万ドル

■報道でも取りざたされていますが、なぜ管制官から海保機に対し、滑走路への進入を許可する記録が存在しないのに、海保機が滑走路に侵入し40秒間も離陸せずに留まっていたのか、という疑問です。

 そうした中、ネットに管制塔と日航機(JAL516)および海保機(JA722A)との交信記録が掲載されました。


*****JA722AとJAL516に関する交信記録*****
               発生年月日 令和6年1月2日
TIME(JST)            STATION              CONTENTS
17:43:02                JAL516                 Tokyo TOWER JAL516 spot 18
                              Tokyo Tower         JAL516 Tokyo TOWER good evening RUNWAY 34R continue approach wind 320/7, we have departure.
17:43:12                 JAL516                JAL516 continue approach 34R
17:43:26                 DAL276               Tokyo TOWER DAL276 with you on C, proceeding to holding point 34R.
                               Tokyo TOWER    DAL276 Tokyo TOWER good evening, taxi to holding point C1.
                               DAL276             Holding point C1, DAL276.
17:44:56                 Tokyo TOWER    JAL516 RUNWAY 34R cleared to land wind 310/8.
17:45:01                 JAL516                Cleared to land RUNWAY 34R JAL516.
17:45:11                 JA722A                TOWER JA722A C.
                               Tokyo TOWER    JA722A Tokyo TOWER good evening, No.1, taxi to holding point C5.
17:45:19                 JA722A               Taxi to holding point C5 JA722A No.1, Thank you.
17:45:40                 JAL179               Tokyo TOWER JAL179 taxi to holding point C1.
                               Tokyo TOWER    JAL179 Tokyo TOWER good evening, No.3, taxi to holding point C1.
                               JAL179               Taxi to holding point C1, we are ready JAL179.
17:45:56                 JAL166               Tokyo TOWER JAL166 spot 21.
                               Tokyo TOWER    JAL166 Tokyo TOWER good evening, No.2, RUNWAY 34R continue approach wind 320/8, we have departure, reduce speed to 160 knots.
17:46:06                JAL166                Reduce 160 knots RUNWAY 34R continue approach, JAL166 good evening.
17:47:23                 Tokyo TOWER    JAL166, reduce minimum approach speed.
                               JAL166               JAL166.
17:47:27                                            3秒無言

①JAL516(当該機:到着機1番目)
②JA722A(海上保安庁機:出発機1番目)
③JAL166(到着機2番目)
④DAL276(出発機2番目)
⑤JAL179(出発機3番目)
**********

 上記の交信記録を見ると、管制塔は海保機に対して「No.1, taxi to holding point C5.」と伝えており、滑走路の中に侵入せよとは言っていません。報道では、「No.1」という表現が、災害救援に従事していた海保機の機長に優先権を与えたかのように受け止められたのではないか、とする解説もありますが、羽田空港を基地として何度もフライト経験のある機長として、そのようなことは有り得ません。

 管制官は海保機に対して、待機順1番機として、「C5」の待機位置(Holding Point)まで地上滑走(Taxi)するように指示しています。

 一方、管制官は待機順2番機として、デルタ航空(DAL)デトロイト行き276便のエアバスA330-200型機には、「C1」の待機点(Holding Point)への地上滑走を指示しています。

 さらに、管制官は待機順3番機として、日本航空(JAL)山形空港行き179便のエンブラエルERJ-190型機にも、「C1」の待機点(Holding Point)への地上滑走を指示しています。

 海保機の大きさは、全長25.68m、全幅27.43m、全高7.49mです。一方、JAL179便の大きさは、全長36.24m、全幅28.72m、全高10.28mです。翼の幅で言えば、ほぼ同じサイズです。

 また待機順2番機のDAL276便の大きさは、全長58.82m、全幅60.30m、全高17.39mです。これは、同じくエアバスの中型機で、今回全損事故に遭ったJAL516便の大きさ、全長66.8m、全幅64.75m、全高17.5mとほぼ同じサイズです。

■こうしてみると、海保機はなぜC5の待機点を指示されたのか、という疑問がわきます。ほぼ同じサイズの待機順3番機のJAL179便山形行きの待機点が、待機順2番機のデルタ航空のエアバス中型機と同じくC1の待機点であるだけに、なにか特別待遇をされていたのではないか、という憶測が生じます。

 羽田空港のC滑走路の待機点(Holding Point)を一律にC1としていれば、今回の事故は決して発生しないはずです。

 途上国の空港でも、離陸の順番を待つ場合には、待機点を一つにして、先頭の待機順1番機のあとに、ぞろぞろ続いて進行し、順番に管制塔の指示をまって離陸許可を得たうえで、離陸をしており、羽田空港における待機点を変える今回のような運用は極めて疑問です。

 一刻も早く、こうしたバラバラな運用を統一化すべきであり、2度と同じ過ちを繰り返してはなりません。

 今回の事故は、管制官も海上保安庁も国交省の管轄であり、さらに言えば、日本航空ですら、日本政府との関係はこれまでも強く、航空関連団体への高級官僚の天下りは今でも水面下で脈々と続いていることから、どの程度、情報が捻じ曲げられずに国民に知らされるかどうか、注目して参りたいと思います。

■ちなみに、土壌環境が専門の大学教授が、「羽田空港をはじめ全国の空港の土壌汚染を調査したい」と国交省に申し入れたところ、国交省から「そんなことをしたら、2度と研究ができないようにしてやる」と脅かされたそうです。航空燃料にはいまだに鉛を添加したものが使用されており、それが燃焼ガスとして空港内や周辺に降り積もり、環境基準を大幅に超える土壌汚染が深刻ですが、誰もこの問題を取り上げないのは、そうした背景があるからです。

 それだけに、あわや全員即死という大惨事が奇跡的に回避された今回の事件の徹底した原因究明こそが、再発防止の最善策であることは言うまでもありません。

【市民オンブズマン群馬事務局からの報告】
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コロナ禍を経て9月24日に盛大に開催された赤城山ヒルクライム大会の課題点とは?

2023-09-26 14:50:27 | 国内外からのトピックス
■平地と山地がバランスよく位置している群馬県では、自転車によるヒルクライムが近年盛んになっています。有名なところでは、高崎市の榛名山ヒルクライムと前橋市の赤城山ヒルクライムが双璧で、コロナ禍明けの今年は前者が5月14日、後者が9月24日に開催され、県内外から大勢の自転車愛好家が集まります。

 群馬県におけるヒルクライムの人気ルートとしては、入門レベルが二度上峠(北軽井沢経由コース)(高崎市~吾妻郡)、初級レベルが榛名山ヒルクライム(榛名神社コース)、中級レベルが碓氷峠(安中市~長野県北佐久郡)や渋峠・山田峠(吾妻郡~志賀高原経由~長野県下高井郡)、榛名山ヒルクライム(榛名湖コース)、土坂峠(多野郡~埼玉県秩父郡)、二度上峠(高崎経由コース)(高崎市~吾妻郡)、上級レベルが渋峠・山田峠(草津経由コース)(吾妻郡~長野県下高井郡)、十石峠(神流経由コース)(多野郡~長野県南佐久郡)、赤城山ヒルクライム、最上級レベルが車坂峠ヒルクライム(吾妻郡~長野県小諸市)となっています。

 上毛三山のうち、赤城山、榛名山はヒルクライム大会が毎年開催されていますが、残るひとつの妙義山は、そうしたイベントはないようです。上記にもある通り、碓氷峠の国道18号線の旧道を車で走ると結構、サイクリストに出会います。この碓氷峠のルートに妙義山を加えれば、バリエーションに富むコース設定が可能と思われますが、安中市も富岡市も今のところ全然関心がなさそうです。

■さて、9月24日に開催された赤城山ヒルクライムには、2000人を超えるサイクリストが県内外から参加しました。

**********上毛新聞2023年9月25日11:00
2089人が秋晴れの坂に挑む まえばし赤城山ヒルクライム 群馬・前橋市

赤城山山頂を目指してスタートする出場者
 赤城山を自転車で駆け上がる「まえばし赤城山ヒルクライム大会2023」(同実行委主催)が24日開かれ、爽やかな秋晴れの下、2089人が懸命にペダルをこいだ。群馬県内外の9~87歳が年代や性別ごとに19部門に出場。最もレベルが高いエキスパート男子は板子佑士(いたこゆうじ)さん(39)=兵庫県=が54分22秒で初優勝し、同女子は高橋綾さん(36)=前橋市=が1時間04分07秒で4連覇を果たした。
 3月に開業した「道の駅まえばし赤城」(同市田口町)を新たなスタート地点とし、公開種目として電動アシスト自転車「eバイク」枠を新設。赤城山山頂コース(標高差1238メートル、18.6キロ)と、キッズ・eバイク部門(同166メートル、3.4キロ)の2コースを設けた。
 山本龍前橋市長は「日頃鍛えた健脚を存分に発揮し、楽しんで走り抜いてほしい」とあいさつ。午前7時に最初の号砲が鳴り、出場者が次々とスタートした。沿道では八木節や和太鼓が演奏され、大会を盛り上げた。
 優勝した板子さんは、昨年の大会は途中で足を痛めて棄権した。「悔しい思いをした分うれしい。今年40歳になるが、来年も上位に入れるよう頑張りたい」と早くも次回を見据えた。大会4連覇の高橋さんは「気温が上がり過ぎず、湿度が低くて走りやすかった。目標タイムを超える記録が出せて良かった」と喜んだ。
 最高齢で出場した前橋市の石田哲美(てつみ)さん(87)は、一般男子(70歳以上)に出場。腰のリハビリを兼ねて75歳から競技を始めた。「久しぶりの大会出場で気合が入った。完走できなかったが、気持ち良かった」と笑顔で話した。
 新コースとなった今大会は、序盤に急カーブで転倒の恐れがある場所があり、急きょ測定距離を4キロ短くした。出場者は測定しないその区間を低速走行した。今月8日の「ツール・ド・北海道」で、選手が対向車と衝突した死亡事故を踏まえ、主催者は左側通行の厳守を呼びかけて安全面にも配慮した。
**********

■主催者の前橋市のHPによると、「まえばし赤城山ヒルクライム大会2023」は、雄大な裾野を持つ日本百名山・赤城山を舞台に、60を超える連続カーブが待ち受けるコースを駆け上がる日本屈指のヒルクライムレースと定義付けています。

 今年は、2023年3月21日に開設した道の駅「まえばし赤城」を新たなスタート地点とし、全長22.6km、標高差1293mの新コースで開催されました。コースも年齢や体力に応じて選択でき、一般参加のほか、キッズやe-bike(赤城山山頂コース・7.4㎞コース) の参加枠もあります。

 参加申込みは、5月22日(月)20:00~5月28日(日)23:59は、個人協賛枠として先着100名が対象で、一般参加料とは別に個人協賛金として10,000円が必要です。6月1日(木) 20:00~7月12日(水) 23:59は一般枠(先着2,300名)、キッズヒルクライム (先着50名)、e-bike「赤城山山頂コース」 (先着10名)、e-bike「7.4㎞コース」(先着20名)への参加希望者の申し込み期間で、競技時間は7:00~11:00(交通規制6:30~11:30)です。

 参加料は、山頂までの22.6㎞コースの場合、エキスパート男子・女子(中学生以上)、一般男子A(高校生以上~29歳以下)、一般男子B(30歳以上~39歳以下)、一般男子C(40歳以上~44歳以下)、一般男子D(45歳以上~49歳以下)、一般 男子E(50歳以上~59歳以下)、一般 男子F(60歳以上~69歳以下)、一般男子G(70歳以上)、一般女子A(高校生以上~29歳以下)、一般女子B(30歳以上~39歳以下)、一般女子C(40歳以上~49歳以下)、一般女子D(50歳以上)、はすべて9,000円、ジュニア男子・女子(中学生)が4,000円、e-bike中学生以上は表彰対象外ですが9,000円となっています。


 また7.4㎞コースの参加料は、キッズヒルクライム男子・女子(小学4~6年生)が3,000円、e-bike(レンタル付き)中学生以上が表彰対象外で5,000円です。

 一般コースは、道の駅「まえばし赤城」から赤城山総合観光案内所までの全長22.6km、平均勾配5.7%、最大勾配9.7%、標高差1,293mで、キッズヒルクライムは、同じく道の駅「まえばし赤城」をスタートし、途中の畜産試験場交差点までの全長7.4km、平均勾配2.9%、標高差221mです。

 そして、令和2年10月、県道4号線 (まえばし赤城山ヒルクライムコース)において、自転車で下山する際に落車、転倒事故が発生したとして、下山の際は対向車両、歩行者、動物等の飛び出しなどに十分留意し、慎重に回避できる法定速度内で走行するよう注意喚起がなされています。

■筆者はかつて、国内外で自転車ツアーにチャレンジしたことがありますが、年を重ねたことから、現在はもっぱら観戦を楽しんでいます。今年5月の榛名山ヒルクライム(ハルヒル)に続いて、今回の赤城山ヒルクライムに参加した知人から、先日、大会参加の感想を聞くことがありました。

 それによると、赤城山ヒルクライムのほうが、ハルヒルよりハードなので、それなりに充実感があるが、参加者への気配りはハルヒルのほうがよいとのことです。とりわけ、今回の赤城山ヒルクライムでは、スタート地点がはじめて道の駅「まえばし赤城」になったが、スタート前にトイレで少しでも体重を軽くしておきたいという参加者の都合を考えずに、トイレの数が極めて少なかったため、参加者の多くが万全のコンディションでスタートできなかったということです。

 次回の開催には、スタート地点に十二分な数の仮設トイレの用意が主催者である前橋市に求められます。

 個人で参加した私の友人は、群馬県にあるCOW GUNMAという参加チームが印象に残ったと言っていました。なんでもバイオレット・ピンクのユニフォームが格好良いのだそうです。チーム名のCOW(climb over wall)は「壁を乗り越える」という意味で、ロード・アンド・ヒルクライムチームとして、県内の赤城・榛名・秋間エリアなど恵まれた練習環境を最大限に活用して、練習を重ねていて、2016年度からは新規で全日本実業団自転車競技連盟(JBCF)に登録しています。

■今回は未確認ですが、2017年9月24日に開催された第7回まえばし赤城山ヒルクライム大会には、海外から初参加として、台湾から1チーム13人が来日し、全員が完走しました。群馬県では、ヒルクライムではありませんが、利根沼田地区で、コロナ禍前の2019年まで望郷ライン・センチュリーライドを9回にわたり開催し、毎年台湾から数10人の参加があり、群馬県台湾総会では毎回お世話をさせていただいておりました。

 関東最大級の山岳ライドをキャッチフレーズとして、同地区では、今年は「ツール・ド×10,000UP in Gunma」という企画を6か月限定で実施中です。これは百名山に数えられる日光白根山、至仏山、武尊山、谷川岳、赤城山の標高分の計1万メートルを駆け上がる5つのコースから構成されていて、チャレンジ精神のあるサイクリストらにアピールしています。

 ちなみに、台湾は日本とならび世界最大級の自転車メーカーを輩出している自転車産業国で、人口一人当たりの生産台数は世界1位です。「自転車業界の世界市場シェアの分析」によれば、2020年の自転車(部品も含む)市場シェアで、1位シマノ5.2%、2位巨大機械工業(ジャイアント)4.2%、3位アクセルグループ2.9%、4位ドレル1.9%、5位メリダ・インダストリーズ1.8%、6位ブリジストンサイクル0.7%、7位パナソニックサイクルテック0.6%で、2位のジャイアント、5位のメリダ(メリダ・インダストリーズ )が台湾の会社です。

【群馬県台湾総会書記からの報告】

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2学期スタートまであと10日…恒例の通学路整備作業に汗を流した地元住民らの心意気

2023-08-21 01:30:18 | 国内外からのトピックス

■8月28日から地元の碓東(たいとう)小学校の2学期が始まります。夏休み中、野殿地区の小学生らが1か月あまり通学路を使わないこともあり、また、猛暑と降雨で夏草が伸び放題となることから、夏休みが終わるこの時期、毎年、野殿地区の保護者や元保護者の皆さんが総出で、野殿と岩井にある小学校を結ぶ藤井坂の通学路の整備を行っています。今年は8月19日(土)午前7時30分から8時50分にかけて、総勢50名ほどが参加し、ボランティアで通学路の除草や清掃など整備作業を行いました。

 筆者も、草刈り機を担ぎ、腰に剪定鋏と剪定鋸をたばさんで出動しました。朝7時半からとはいえ、地球沸騰と言われる猛暑が続いているため、作業を始めると間もなく汗が噴き出してきました。

 作業場所は藤井坂の一番下にある住宅地のゴミステーションから200mほど上った駐車帯までの箇所を担当しました。作業の内容は、通学路上のコンクリートの継ぎ目に繁茂した夏草を、草刈り機の先端に取り付けたナイロンコードで刈り取るのと、併せて、堆積して腐葉土になって地表にへばりつく落ち葉や枯れ枝を剥がして、箒で掃き取り易くしたり、山側から伸びてきた蔓草や笹を切り取ったり除去したりすることです。

 空き缶や空き瓶など、通行中の車窓からポイ捨てする不心得者が後を絶たず、最初に空き缶拾いを行いました。とりわけ、途中にある駐車帯では、休憩駐車中にゴミを捨てる人が多く、フェンスを設置する前は、古タイヤや古くなった石油ストーブ、壊れた自転車等を道路わきの雑木林や竹林に放り投げる者も多く、落ち葉に埋もれているもののおそらくおびただしいゴミが今でも放置されているものと思われます。

■夏休み明けに児童の皆さんが躓かないように安全に登下校ができるよう、丁寧に路上に繁茂する雑草を刈り取りました。草刈り機で刈った後、箒で草や落ち葉や枯れ枝を掃き寄せて、数メートルおきに集めて置き、あとで回収して除去することで、通学路は見違えるようにきれいになりました。

 少子化が進み、地元の子ども会も統合され、現在では地元の北野殿、中野殿、東野殿で、藤井坂の通学路を利用する小学生の数は14、15名となってしまいました。筆者が小学生のころは、遅刻しそうになったとき、たまたま学校に出勤する校長先生の自転車の荷台に乗せてもらったことが何度かありました。当時、この藤井坂は未舗装で、路上には石ころや木の根がむき出しで、それらが自転車の荷台に振動として伝えられ、必死に校長先生の腰にしがみついても、お尻が痛かったことを思い出します。

 いまでは、歩道が通学路として確保され、道路との間は、以前は縁石だけでしたが、数年前に、冬期の路面凍結で走行車両がスリップすることがしばしば起きたため、3年ほどかけて安中市がガードレールを設置しました。

 その際、道路沿いの雑木林へのアクセスが十分確保されなかったことから、道路沿いの森林の雑木が繁茂しても、伐採作業のため森林に入り難くなったため、台風や積雪による倒木のリスクが増大しています。道路沿いを走る電線は、東電がときどき電線に干渉する樹木の伐採を行っていますが、対症療法的なため、倒木による交通への支障リスクは年々増加しています。

■1時間余りの作業のあと、参加者にはミネラルウォーターが1本ずつ配布され、汗で失われた水分を補給しました。幸い、体調不良者もなく、無事故で作業を終えることができ、2学期を地元児童らが安心して迎えられる通学環境の整備が整いました。

【岩野谷4区3組班長からの報告】

 

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