市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

心の通う気配りの国・・・かつて世界の2割を征服したモンゴル帝国の今の姿

2023-11-30 20:23:42 | 旅行

成田空港第2ターミナル67Aゲートで待機中のモンゴリアン航空機

■当会取材班は先週の台湾に引き続き、今週、初めてモンゴルを訪れています。当会取材班として79か国目となるモンゴルは、北をロシア、東と南を中国に囲まれた内陸国です。首都はウランバートルで、面積は日本の4倍強。人口は約350万人で、人口密度が1平方キロ当たり僅か2人で、グリーンランドに次いで世界で最も人口密度の低い場所ですが、グリーンランドは国ではないため、世界でもっとも人口密度の低い国です。

 対日感情は、かつて社会主義時代には敵国として国民に教育されていましたが、現在は、圧倒的な相撲人気もあって、すこぶる良好です。

 今回、成田空港からモンゴリアン航空で首都ウランバートルまで約5時間のフライトでしたが、エコノミークラスはほぼ満席でした。搭乗者の95%はモンゴル人で、日本人はごくわずかです。

■隣のモンゴル人の男性に声をかけたところ、日本語が通じたので、来日の目的を聴いたところ、10年近く滞在して、当初は長野県の御代田で、自動車の解体の仕事をしており、その後千葉県に移って同様の仕事をしていたが、事情があって、自国に戻るのだそうです。当面、モンゴルで生活し、日本に再び行く機会があるかもしれないが、今は分からないとのこと。
みな体格の良い人が多いためエコノミ―クラスは窮屈。楽しみは機内食か。
機内では1960年代の古いモノクロのモンゴル映画を2本上映。当時の遊牧民の生活が覗えて興味深い。


 午後4時10分ごろ成田を離陸したの―イング737-800MAX8型機は、日本列島を西に向けて飛行し、朝鮮半島を横切り、黄海を渡り、山東半島を抜けると北に進路を取り北京の上を通過してからさらに北西に向けてゴビ砂漠の上空を経て、午後9時(現地時間午後8時)にウランバートル空港に着陸しました。
ウランバートル空港に到着

 入国審査は、入国カードの記載は不要で、パスポートのみを提示し、顔の認証写真を撮られ、「ホテルは?」と聞かれただけでした。30日以内の滞在の場合、ビザも要りません。荷物の受け取りレーンはA、B、Cの3カ所あり、同じころ着いたアルマティからのフライトがCレーンで、日本からのはBレーンでした。途中20分ほどレーンがなぜか停止し、空港の到着ロビーに出た時は着陸から1時間ほど経過していました。

 ロビーから空港ビルの外に足を踏み出すと、猛烈な寒気が襲ってきました。とりわけ毛糸の帽子をかぶり忘れていたので、頭部へ突き抜けるほどの寒さを感じ、一気に気持ちが引き締まりました。

 空港はウランバートル市内からはかなり離れており、空港ビルから出ると道路の左右は真っ暗で、ヘッドライトに照らされた道路は、除雪されているものの、道の両端は白く、路面が凍結している状況がわかります。

 次第に目が慣れてくると、あたりの風景が月あかりと雪明りで何となくわかってきました。山の稜線が遠くに見えますが、荒涼とした感じです。

 ウランバートルは山の向こう側ということで、町明かりを目にすることはありませんでしたが、途中、隣の県の県庁所在地を通過し、北に向けて走ること1時間半。ようやく宿泊地のテレルジにつきました。ロッジの部屋で荷物を解き、レストランでナイトキャップを飲み交わしているうちに深夜1時(日本時間午前2時)になったので、ようやく床につくことにしました。
翌朝、部屋のカーテンを開けると一面の銀世界。↑

■翌日、外出してみると、ロッジの前は雪景色です。近くの町に買い出しに出かけたついでに、数年前に完成したというジンギスカンの巨大なモニュメントを見物に行きました。
外気温-20度以下のため、風でパウダースノーが路面に縞模様を描く。
車はほとんど日本車。それもトヨタ車が9割近く。そのうち9割近くがプリウス。理由は簡単。モンゴルでは燃料価格が高く、燃費の良い車が最優先。

 町の付近を走ると、空気になんとなく刺激臭があり鼻をくすぐります。これは暖房用の石炭を燃やす臭いで、冬場、ロシアや中国北部などでもよく嗅いだ匂いです。


■ところで、モンゴルではジンギスカンの功績の見直しの機運が数年前から高まっています。原野に巨大なモニュメントが立っており、道路わきの凱旋門のようなゲートの上には10名の兵士の像がならんで、巨大なハーンを守護しているかのようです。モニュメントは白亜の神殿のような円形の建物の上に立っており、建物自体も小高い丘の上にあります。左手の方から迂回して丘の上に達する道があり、そこを上って建物前に到着しましたが、ここは関係者以外車の乗り入れが禁止だということで、車だけ下に返して、建物の中に入りました。


 内部の正面にはジンギスカン(チンギス・ハーン)の肖像画を最上部に歴代のハーンの肖像画がずらりと並んでいます。

ジンギスカンの乗馬像に上るエレベーター内部。世界各国の観光客が貼ったステッカーだらけ。

↑なぜこの場所にモニュメントが立てられたかというと、この場所でジンギスカンが剣を落とした故事に由来するという。そのため、モニュメント像は金色の剣を右手に抱えている。
馬の鬣から階段を上り、馬の頭の上に展望台がある。
モニュメントの周辺は大雪原が続く。
モンゴル帝国の拡大の過程示す世界地図。1206年に初代ジンギスカンが即位した帝国はモンゴル高原から領土を急拡大し、1294年の第5代フビライの頃、西は東欧アナトリア(現在のトルコ)・シリア、南はアフガニスタン・チベット・ミャンマー、東は中国・朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する帝国を作り上げた。その領土は約2400万平方キロに及び地球上の陸地の約17%を統治するに至った。

■宿泊した場所は、モンゴルの首都ウランバートルから東へ約60kmにあり、四国がすっぽりおさまるほどの広大なテレルジ国立公園の中に位置するロッジです。テレルジ国立公園は、自然保護を目的として1994年頃、国立公園に指定されました。現在は、古くからこの地に住む遊牧民の伝統生活を尊重し共存しながら、一大避暑地リゾートとして観光開発が進められています。

 見どころとしては美しい自然と、亀石、それに遊牧民の生活でしょう。
宿泊施設がどんどんできている。
大規模な施設だが、手続きに不備があり、またコロナ禍もあって4年ほど建設が止まっているところもある。コロナ過は大きな痛手。それだけにポスト・コロナ元年の今年に期待がかかる。

テレルジ国立公園の名所の一つ「亀石」。
夏場は世界中から観光客が押し寄せる。売店の看板には日本語も。↑
この犬たちは人懐こい。しかし、遊牧民の飼う犬は、うっかりゲルに近づくと襲い掛かる場合があるので注意。

 亀石と呼ばれるカメのかたちにそっくりな岩が道路わきにあります。夏場は観光客でごった返すそうです、冬期の現在は訪れる者もほとんどおらず、出迎えてきたのは亀石の前にある観光客用の売店のあるゲルで飼われていると思しき2匹の犬たちだけでした。
道路に放牧中の牛やヤクや羊が現れる。どうやら道路の凍結防止剤をなめるためらしい。
運転手が道路わきのリスを見つけた。この直後に前方に狼が道路を横切る姿が一瞬見えた。

 そこからさらに奥に進むと次第に針葉樹林が増えてきました。道路わきでリスが木の実を無心にかじっている様子が見えたり、道路の前方を狼らしき動物が横切るのが見えました。モンゴルでは、狼を見かけたら幸運の印とみなされるそうです。

 また、家畜の群れが道路に群れて、無心に道路をなめている光景にも何度も出くわせました。どうやら道路に撒かれている凍結防止剤の塩化カルシウムを好んで舐めているようです。
完全に凍結した川を車で渡る。
↑そして見つけた遊牧民のゲル(組み立て式の円形の住まい。中国の内モンゴルではパオと呼ぶ)。事前の通告もなく突然立ち寄り、ドアをノックして接待を依頼する。

■さらに奥に行くと遊牧民の民家があり、事前の予約もなしに尋ねました。すると、驚くべきことに、昔からの友人のように室内に案内されもてなしをしてくれます。
ゲルの屋根の中央部にある円形の明り取り。

↑遊牧民は、明り取りから差し込む日光が室内に当たる場所で、現在時刻を知ることができる。日時計の原理だ。

 見ず知らずの訪問者の依頼に快く答えてくれて、ゲルの内部も見せてくれた上に、「母屋の方でもてなすから」と言われ、これには当会取材班も度肝を抜かれてしまいました。

母屋。
どの家でも作っている自家製のスナック。
さっそく娘さんがかまどの準備を開始。肉うどんを作ってくれることになった。
部屋の外に置いてあったカチンコチンに凍った羊の骨付き肉をこそぎ落とす。↑
グツグツと煮えてきた羊の肉と骨から出たスープ。別途、うどんを奥の部屋で手打ちしてくれた。
インフェさんの家族写真。20年以上前に撮ったという。左側の娘さんに肉うどんをつくってもらった。奥さんは地元で医者をしていて、本日は出張診療中という。インフェさんは、牛20頭、ヒツジ30頭を飼育している。
モンゴルの遊牧民が来客を最大級にもてなす際に行う嗅ぎたばこの風習。ホストから進めたら、香りを嗅ぎ、嗅ぎ終わったら右手で返すこと。左ではだめ。
鍋で煮ていた羊の腸詰めを食べやすい大きさに切る。ごらんのとおりインフェさんの左手の人差し指の第2関節から先が欠けている。若いころ馬の調教をしていた際に、突然馬が暴れて、指に欠けていた皮ひもが引っ張られて切り落としたという。それでも若いころ、地元で開催された国際自動車レースでフランスチームの運転手と仲良くなるなど、地元では名士だそうだ。
酒のつまみに最高!
娘さんが心込めて手作りしてくれた肉うどん。おいしくてお代わりをした。
ちゃんと乾杯用にジンギスカンの肖像画が描かれたショットグラスが用意されている。
インフェさんが持っている塩の容器は、もともとCHOYAの梅酒の空き瓶だとか。モンゴル人は梅酒が好きだという。
↑近所の夫婦が訪ねてきた。あたたかく迎え入れる。↑
もちろんあたたかいおもてなしに対する寸志はエチケット。再開を約しておいとまする。この後、眼鏡ケースを忘れていると連絡をもらい、取りに戻った。

■このような風習が普段の生活に根付いていることを目の当たりにすると、我々の年代は、子どもの頃の田舎の暮らしを彷彿とさせられます。

 モンゴルの遊牧民はいまでもこのように互助精神に満ちています。他人への思いやりを何より大切にするモンゴルの人たちとの交流は、感動的です。

【ひらく会海外取材班からの報告】



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アフリカの玄関口として成長を続けるモーリシャスの知られざる姿・・・ロドリゲス島

2022-06-26 10:32:58 | 旅行

■コロナ過でここ2年程、海外渡航を控えていた当会情報部取材班ですが、2月末から3月初めの南米パラグアイの取材に続いて、今回も南半球に位置するモーリシャスを取材する機会に恵まれました。同国はインド洋に浮かぶ島国ですが、2年前、日本企業が所有し大手船社がチャーターして運航していたパナマ船籍(便宜置籍)の大型ばら積み貨物船「わかしお」が2020年7月25日夜に、同国南東部沖を航行中、サンゴ礁に乗り上げ座礁し、その後損傷した船体から大量の重油が流出し、沿岸域の生態系に重大な悪影響を及ぼした事件で、記憶にある読者も多いかと存じます。今回、3週間余りの取材で、とくに印象に残った現地事情をご報告いたします。まず最初は、インド洋に浮かぶ離島のロドリゲス島から・・・。

 モーリシャスは、アフリカの東部にある世界で4番目に大きなマダガスカル島のさらに東側に約1100キロ離れたインド洋に浮かぶ人口130万人が居住しており、東京都とほぼ同じ面積の島国です。そのさらに北東600kmほど離れたところに、今回ご紹介するロドリゲス島があります。

 この国際空港ターミナルは中国が10年ほど前に借款で建設したもので、至る所に中国語の文字が見られます。

 


 モーリシャス本島とロドリゲス島の間には、エア・モーリシャスの双発ターボプロップ機が1日3便往復しています。モーリシャス国際空港ターミナル内のロドリゲス行き専用ゲートから飛行機に乗り、約一時間半のフライトで到着します。同じモーリシャス国内なのですが、ロドリゲス島は自治領になっているため、出発時も到着時も両方の空港で、パスポート検査を受けますが、当然ながらスタンプは押されません。ロドリゲス島に入る際に限り、入国カードと同様なカードに必要事項を記入し提出が必要です。

 ロドリゲス島は、東西約20km、南北約10km程度の小島で、37,000人ほどの島民が暮らしています。モーリシャス島では、英語が公用語で、フランス語も至る所で耳にしますが、ロドリゲス島は英語があまり通じません。島民の大半がアフリカ本土やマダガスカルから奴隷や移住民の子孫です。このため、インド系の住民が多数を占めるモーリシャス本島とはだいぶ雰囲気が異なります。

 ロドリゲス島では、周囲をサンゴ環礁が取り囲んでおり、遠浅の広く美しいラグーンと海岸線が特徴です。しかも小島でありながら、最高地点398mの起伏に富んだ地形を有しており、島の南西側にあるSir Gaëtan Duval空港から反対側にある島内最大の町ポート・マチュリンまでは車で40分程度ですが、クネクネとアップダウンに富んだ道となっており」、高台からの眺望は素晴らしいものがあります。

 ポート・マチュリンは人口7000人です。市場(Bazar)では、朝6時ごろから野菜や果物、水産加工品、ジャム、日用品、工芸品が並べられています。

 タコの干物が名物で、タコ料理に使います。焼いて食べてみたい気がします。

 町の裏手の展望公園からはポート・マチュリンの街並みやインド洋が一望できます。

 なお、ロドリゲス島とモーリシャス島の間には週に1便程度の船便が往復しています。ロドリゲス島まで600kmの航海は行きが36時間程度、帰りが22時間程度かかります。

 島の住民というレンタカーの運転手が言うには、この島では外出時、家に鍵をかけておく必要がないほど、治安が良いとのことで、実際に、道路を走行中、道端にたむろす住民に出くわせると、アイコンタクトや声がけなど、知り合いでなくても挨拶を交わすなど、きわめてフレンドリーなコミュニティであることが判ります。警察官もみな丸腰で、ちょうど午後の下校時間に生徒らの道路横断を誘導している光景を目にしました。

 筆者も車の補助席からマネをしてアイコンタクトや手を振ったりしてみましたが、明らかにヨソ者とわかる旅行者であっても、きちんと目線を合わせて頷いたり微笑んだりしてくれました。

 

 島の人たちの親切さの源泉は、この歴史ある大きな教会が象徴しているかのようです。インド洋の島嶼国では最大だとか。

 南半球にあるモーリシャス本島は、夏至ではなく今は冬至です。南回帰線にあり、亜熱帯の海洋性気候ですが、曇り空が連日続き、強い風雨も頻繁です。しかし、ロドリゲス島に滞在した2日間とも晴天で常に爽やかな海風が吹いており、湿気も少なく、気温もちょうど快適な温度で、一日中心地よく過ごせます。

 

 タコ料理がロドリゲス島の名物と言うことで、タコシチューというかタコカレーを賞味しました。

 見どころとしては、空港に近い場所に深い渓谷があり、ワイヤーのつり橋がかかっていて、中ほどにはバンジージャンプのためのステージが設けてありました。しかし、橋を渡る勇気はありませんでした。付近には洞窟もあるとのことです。

 上述のとおり、起伏にとんだ地形のため、高台をドライブしていると見晴らしの良い眺望が次から次へと目に入ります。

 コロナ過でも島民は外出時にマスク着用を心がけており、往復の航空機がほぼ満席なのも、安心・安全な島の状況を証明していると言えます。

 わずか1泊2日の滞在でしたが、再び訪れてみたい気持ちが溢れる素晴らしい島です。ずっとこのまま、現在の良い雰囲気と環境が続くことを念じたいと思います。

 モーリシャス本島に戻ると、満月が出ていました。ターミナルには、エミレーツ航空の二階建てエアバス380型機が駐機していました。冬場でも欧州や中東から多数の観光客が来ているようです。

 

【ひらく会情報部海外取材班】

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