市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

31年ぶり甲子園出場に沸く第110回高崎高校同窓会新年総会と再発防止策がカギとなる寄付金の集まり方

2012-01-29 23:20:00 | 他の自治体等の横領事件とタゴ51億円事件
■平成24年1月28日(土)午後3時から、毎年恒例の第110回群馬県立高崎高等学校同窓会新年総会が高崎ビューホテルで開催されました。

 いつもの新年総会では、若干の空席がある高崎ビューホテル2階の榛名の間ですが、今回はぎっしり満席のうえに、後方の通路も立ち見の参列者がひしめき、部屋の外の受付ロビーも中に入れない同窓生でぎっしり埋まり、早々と見切りをつけて3階の懇親会場に足を運ぶ同窓生も沢山いました。





■それもそのはず、第84回センバツ高校野球大会(3月21日~12日間、甲子園で開催予定)の出場32校を決める選考委員会が前日大阪市内で開催され、高崎高校野球部にセンバツ出場決定通知が来たからでした。上毛新聞と毎日新聞は高崎市内から2校が参加するということで号外を出すほどでした。


 午後3時から開催された同窓会新年総会には、昨年10月28日に群馬県名誉県民として顕彰を受けた大勲位こと中曽根康弘元首相(93)がひな壇の中央部に陣取り、いつもと違う雰囲気で行われましたが、前述のとおり、立錐の余地もない状況だったので、何がどうなっていたのか外からではよくわかりませんでした。


 しかし、総会が終わりかけると、一部のかたがたが3階の懇親会場に移動したため、少し立ち見席が空いたので覗いてみたところ、一番最後にやっぱり野球部の甲子園センバツ出場による寄付金募集の話が出ました。

3階の懇親会場にしつらえられた舞台。

■高崎高校の同窓会は、毎年、卒業後31年目の同期生が行うことになっています。今年は第81期卒業生の番でした。この卒業生の時、まさにセンバツに出場した3年生らがいたわけです。これは明らかに奇跡的な偶然と言えるでしょう。今年の同校の同窓会総会新年総会が盛り上がる理由はそこにもありました。

 そのため、総会では、通常はアトラクションとして歌謡ショーやジャズ演奏、あるいは生徒らによる和太鼓の演技などですが、今年はセンバツ初出場時の試合を報じたNHKの放送映像をベースに、当時の選手だった方々へのインタビューを織り交ぜたビデオ番組が会場の大型スクリーン3基に映し出されました。製作をしたのはテレビドラマ「海猿」や映画「アンフェア」などでしられる演出家・映画監督の小林義則氏だということです。

























■約20分の懐かしい映像を交え、31年後の昨年11月下旬に初めて高崎高校のグラウンドにナインら全員が集まってインタビューをした番組が終わった後、当時、甲子園でセンターを守っていた選手であり、現在の高崎高校野球部の監督でもある境原尚樹氏(48)が壇上にあがり次のように挨拶をしました。

「今紹介がありましたように、現在野球部の監督をやっている者です。先程のDVDでもあったように、スクイズのサインを見逃したのは私です。先程も紹介があったように、81期生は、最後に映像が出ていたように、いろいろな分野で運動部が大活躍をした年でした。その中で、今まで一回しか甲子園を出ていない野球部が、今年のアトラクションやれよ、ということでこのDVDを作らせてていただきました。映画監督でバスケット部出身の小林義則氏です。彼にこのDVDを作っていただきました。このたび、第2回目の選抜出場が決まりました。本当に有り難うございました。ただ、さっきの映像を見てもらうとわかるとおり、1回目の出場時は11対1で大敗して帰ってきました。自分たち選手も複雑な思いで帰ってきました。ただ、野球は、点が入らないと面白くないスポーツでして、トータルで12点入ったので、それはそれでよいと思っていますが、出来れば今度はこちらの方が多く得点を入れて帰ってきたいな、と思っています。選手たちは今、合宿中です。今度は家に帰さずに、今は合宿場に監禁状態で、テレビも見ていなければ、新聞も読んでいません。見たのはさっきの映像です。練習をしっかり頑張らないと、こういうようになる、ということで、今度は頑張ってくれると思います。ぜひ応援をよろしくお願いします」

壇上で、98歳の来賓OBから激励を受ける境原監督。

 境原監督のユーモアを交えた力強い挨拶に会場からは大きな拍手が沸き起こりました。そして、今年98歳になる最高齢のOBからの激励の言葉もあり、会場内では、3月15日の抽選会で初回戦の試合の日取りが確定次第、バスを仕立てて観戦ツアーを早くも計画している同期会もあちこちで現れ、会場の雰囲気は熱気に包まれました。

 そのため空調が追い付かず、会場の外より明らかに室内温度は10度近く高くなり、あちこちで気持ちが悪いとしゃがむ中高年の姿が見られました。例年開催されている高崎ビューホテルの榛名や赤城の間では、今年は明らかに狭すぎたようです。





■さて、ここまで同窓会新年総会と懇親会の成り行きを見る限り、31年前のセンバツ初出場で瞬く間に集まった巨額の浄財の内、野球部後援会に亘った約3000万円の大半が使途不明になっている件について、誰も説明する者がいないのが気になりました。

 現役選手がこれほど頑張って朗報をもたらしてくれたのに、1000人をはるかに超える立派なOBたちが集まったのに、誰も巨額の浄財の3割を占める金額が使途不明になっている件について、誰も触れないのがやはり群馬県の政官財の重鎮を輩出してきた高校の持つ特性を感じさせます。


早くも募金に応じるOBら。

■そのため、会場内でいろいろと関係者に聞いてまわり情報収集に努めました。その結果、おぼろげにわかった事はつぎのことです。

(1) 31年前のセンバツ初出場では、約1億円の寄付が集まり、初戦敗退したため大会後、余った8000万円のうち、約3000万円が高崎高校野球部後援会に引き継がれた。
(2) 後援会は約15年前から休眠状態だったが、野球部が強くなってきたため、2010年に、後援会を復活させようとした。
(3) ところが、諸経費を差し引いても約2000万円程度まだ残っているはずの資金を確認したところ、通帳や決算資料が見当たらず、2010年11月に開催された臨時総会で、資金の所在が不明になっていることが報告されたが、当時の役員からは明確な説明が得られなかった。
(4) そこで、その後、内部調査をしても真相が明らかにならなかったため、野球部OB会が、当時の後援会役員を相手取り、弁護士を立てて、返還請求の訴訟を起こした。
(5) 当時の役員はどうやら物故しているらしく、その遺族が応訴してきた。
(6) 全額返還させようと、最近まで訴訟を継続していたが、高崎高校野球部が関東大会でベスト4になり、急遽甲子園出場が決まりそうだという状況になってきたため、このまま、裁判を継続していると週刊誌のネタにされかねないという懸念がでてきた。
(7) そのため、急遽、裁判で双方の弁護士を通じて和解交渉がなされ、和解金約550万円で手打ちがなされた。

■また、今回の31年ぶりのセンバツ出場に至った経緯について、内情に詳しい関係者の説明によると、次のとおりです。

(a) 例年、関東大会のベスト4に入ると関東枠というのがあり、大体4から5つあるので、甲子園出場がほぼ決定する。
(b) ところが、今年に限っては、常連校の横浜高校がベスト8となってしまい、ベスト4には入れなかったので、高野連としては興業上、横浜高校を出したいという思惑があった。
(c) そのため、高崎高校(高高)が、なぜか21世紀枠という枠に入ってしまった。この21世紀枠というのは全国で3つ確保されている。
(d) 当然、昨年3.11の東日本大震災があったので、東北勢が絶対に選ばれるだろうと関係者の間では言われていた。あとは東と西で1つずつとなる。
(e) そこに高高が入るはずだったが、いろいろな政治力が絡んでいる関係で、結局21世紀枠からは外れた。
(f) 21世紀枠というのは、昨年の甲子園でもあったとおり、あの学校に負けたのは恥だとか、今一歩だったとか、いろいろ言われかねないため、高高としては、本当は一般で選ばれたいと思っていた。
(g) そのため、結果的には21世紀枠ではなく、一般で選ばれたので関係者は喜ばしいと思っている。
(h) 今回、高崎市から健大高崎と高高の2校がセンバツに選出されたが、健大高崎は選手を神奈川とか兵庫とか、激戦区である県外からの出身者がほとんどを占めている。
(i) 高高の場合は、最近はスポーツ推薦という制度もあり、いろいろな努力の結果、クリーンアップにはかなり強い選手が揃っている。
(j) 野球部員も30年以上前とは雲泥の差で、現在2年生が20人、1年が14人在籍している。昔は3年も含めて10数人だった。
(k) こうして高高は、現在群馬県下でも野球の有力校になっている。その他のスポーツでも、たとえば陸上競技においても、今年は農大二高が駅伝で全国に行ったが、高高は県予選で2位だった。
(l) 関東大会で準優勝すると2チームがセンバツに行けることから、とくに今年の秋は群馬県内で関東大会が開催されるため、群馬県から3校が参加できる。そのため今年の秋もチャンスがある。

■31年前は、野球部後援会を母体に同窓会・PTA・野球部OB会・野球部父兄会が参加して「高崎高校野球部選抜甲子園大会出場特別後援会」(会長 小山禧一)が組織され募金活動が行われました。これは当時の高崎高校同窓会長だった小山禧一氏の個人的な関係を軸に、急遽募金活動が行われたにもかかわらず、瞬く間に約1億円が集金されました。

 今回の募金活動では、前回の原因究明と再発防止の説明責任の上に立って、募金がスタートされないと、同窓生の中には不信感を持つ方々も多数いるため、前回のようにスムースな募金活動が行えないかもしれません。

 一方、何事にもポジティブな校風を象徴して、既に起きたことをいちいち詮索するより、現在の高揚感に酔いしれて、募金だ、甲子園だと騒ぐことに重点を置くかたがたもおられます。

■ここはやはり、実力でセンバツ出場を勝ち取った現役選手の皆さんの功績に傷が付かないように、同校OBらとしては、きちんと前回の浄財の使途を巡る不祥事件の顛末を明らかにして、募金の際にはその経緯をきちんと同窓生に報告をしたうえで募金活動を行うことが必須条件だと思われます。

 募金の趣旨を綴った挨拶状と振込用紙の入った手紙が、1月末に、高崎高校の全同窓生に発送されるという話もありますが、ぜひ、不祥事件の顛末と再発防止のための対策も記しておかないと、同窓生すべての理解を得ることは困難だと思われます。

【ひらく会情報部】

※参考資料

【高崎高校野球部データ】

<部員紹介>
○2年生(20名)
氏 名 / 出身中学 /身長・体重/投・打/ポジション
浅沼俊介/高崎倉賀野/167・64/右・左/外野手
荒井皓士/藤岡鬼石/175・66/右・右/マネージャー
五十嵐咲季也/伊勢崎四/174・63/右・左/外野手
内堀雄斗/松井田東/172・72/右・右/捕手
小柏秀平/甘楽一/172・72/右・右/捕手
岡村圭祐/高崎佐野/180・77/右・右/内野手
鬼形京佑/高崎塚沢/167・65/右・右/外野手
金子裕紀/榛東/171・68/右・右/内野手(主将)
倉金宏輔/伊勢崎四/163・68/右・右/内野手
佐藤雅彦/高崎片岡/180・72/右・右/投手
佐鳥翔平/高崎高南/170・63/右・右/外野手
佐鳥悠平/高崎高南/173・64/右・左/内野手
茂原博明/高崎吉井西/166・68/右・右/内野手
島田智史/高崎倉賀野/170・64/右・右/投手
清水貞光/高崎長野郷/174・68/右・右/外野手
田村豪/高崎中尾/176・65/右・右/内野手
藤村泰輔/高崎高松/179・69/右・右/外野手
眞下弘毅/高崎並榎/178・67/右・左/外野手
黛壱歩/吾妻六合/181・75/右・右/投手
横田大樹/高崎箕郷/161・60/右・左/内野手
○1年生(17名)
氏 名 / 出身中学 /身長・体重/投・打/ポジション
伊藤琢真/高崎長野郷/175・70/右・右/外野手
井上智彰/高崎高南/162・65/右・右/内野手
梅田雄太/高崎佐野/178・72/右・左/投手
大塚瞬也/高崎吉井西/172・63/右・右/投手
大塚郁弥/前橋一/161・58/右・左/内野手
木暮雅海/高崎新町/170・68/右・右/捕手
静野壮人/高崎長野郷/176・67/右・左/投手
塚越友也/高崎佐野/173・62/右・右/内野手
塚越陸/高崎大類/173・73/右・左/外野手
中里彰吾/高崎佐野/176・68/右・右/内野手
中澤信哉/高崎吉井中央/176・68/右・右/内野手
松井亮憲/高崎群馬中央/170・72/右・右/外野手
松本一聖/高崎中尾/178・75/右・左/外野手
三浦隼人/高崎吉井西/175・68/右・左/外野手
森田岳/高崎群馬中央/171・67/右・右/投手
柳澤奨/藤岡鬼石/167・70/右・右/捕手
吉岡尚輝/高崎高南/175・70/右・右/投手

<平成23年度秋季高校野球群馬大会>
■2回戦(初戦) 平成23年9月5日 高崎城南球場 第1試合
伊勢崎商  000010000 計1
高  崎  000100002x 計3◎サヨナラ2ランホームラン
■3回戦 平成23年9月10日 高崎城南球場 第1試合
高   崎 000010100 計2◎完封勝利
伊勢崎清明 000000000 計0
■4回戦 平成23年9月17日 高崎城南球場 第1試合
明和中央  000000000 計0
高  崎  40010000× 計5
◎連続完封勝利
■準々決勝戦 平成23年9月24日 桐生球場 第2試合
高  崎  2100000001 計4
前橋育英  0010010010 計3
◎延長戦で強豪育英に粘勝
■準決勝戦 平成23年10月1日 桐生球場 第1試合
沼  田  0000000 計0
高  崎  104011× 計7
◎関東出場をかけた公立対決にコールド勝ち
■決勝戦 平成23年10月2日 桐生球場 第1試合
健大高崎  130100020 計7
高  崎  000200000 計2
●惜しくも敗戦、準優勝

<平成23年度秋季高校野球関東大会>
■初戦 平成23年10月30日 小瀬スポーツ公園野球場
高   崎 000210010 計4
東海大望洋 200000000 計2
◎初回戦制されても、あわてず逆転勝ち
■準々決勝戦 平成23年11月2日 小瀬スポーツ公園野球場
高   崎 000003010 計4
東海大甲府 100000010 計2
◎関東ベスト4をかけた決戦に勝利、上毛新聞のセンバツ当確の号外が発行される
■準決勝戦 平成23年11月3日 小瀬スポーツ公園野球場
作新学院  002200101 計5
高  崎  000002100 計3
●強豪作新に対し粘り強く戦うも力負け

【関連報道記事】
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センバツ21世紀枠 高崎を推薦
2011年11月15日記事
 群馬県高野連は来春の選抜大会(3月21日開幕、甲子園)の21世紀枠県推薦校に高崎を選び、境原尚樹監督(48)が14日、部員に報告した。高崎は今秋県大会で準優勝、関東大会では4強まで勝ち進んだ。同校の推薦は初めて。関東1都7県の推薦8校を1校に絞り、全国の他の8地区とともに12月15日、関東地区推薦校が発表される。
 県高野連は高崎の推薦理由として(1)秋季県大会ベスト8以上(2)礼儀、あいさつ、マナー、服装など学校内外の生活面を重視(3)「自主自立」をモットーに練習(4)常に県大会上位にあり、全力疾走、全力プレーが高校生らしい―を挙げた。
 推薦を受けた境原監督は練習中の選手を集め、「一生懸命の取り組みが評価されたことを誇りにし、これからも磨いてほしい」と激励。自身の31年前の選抜出場時を振り返り、「(甲子園で)大敗を喫したが、その大半は浮かれたことが原因。今まで通り地に足を着け、原点に戻ってやっていこう」と話した。
 金子裕紀主将(2年)は「候補になれて、甲子園が近づいている感じがしてうれしい。今のままでは通用しないので、一段上のチームになりたい」と力を込めた。
 同校は関東大会で4強入りし、一般選考で選ばれる可能性も十分あるが、選抜出場のチャンスがさらに広がった。
◎21世紀枠
 選抜の独自色を出すため、2001年の大会から導入。一般選考とは別に、部員不足や自然災害など困難を克服したチームや他校の模範になるようなチームが対象となる。各都道府県が1校を推薦し、関東地区など全国9地区からそれぞれ1校を選出。さらに来年1月27日の選考委員会で東日本、西日本から各1校、残る7校からさらに1校を決定する。過去に本県から選ばれたことはない。
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進学校・高崎、合格通知待つ!/センバツ
2012年1月27日7時51分サンケイスポーツ配信
 第84回選抜高校野球大会(センバツ、3月21日から12日間・甲子園)の出場32校を決める選考委員会が27日、大阪市内で開かれる。関東勢は昨秋の関東大会覇者・浦和学院(埼玉)や都大会を制した関東一の出場がほぼ当確。群馬で県内屈指の進学校として知られる高崎は、東大志望の主将・金子裕紀内野手(2年)を中心に31年ぶりの出場となるか、注目される。
 伝統ある進学校のグラウンドに、元気いっぱいの声が響いていた。センバツの出場校発表を翌日に控え、甲子園出場を夢見る球児たちの練習は午後7時過ぎまで続いた。
 「どこよりも、練習時間は短いと思いますよ。効率的にやるよう、心掛けています」と説明するのは境原尚樹監督(48)。授業後の約3時間半の練習に、選手は集中して取り組んだ。文武両道こそが、高崎のモットーだからだ。
 毎年東大や京大などに多くの学生が進み、進学率は100%。OBには元首相の福田赳夫氏や中曽根康弘氏がいる名門だ。前回のセンバツ出場は“タカタカ旋風”と呼ばれた1981年で、境原監督も当時のメンバーだった。最近は甲子園出場から遠ざかっていたが、昨秋の関東大会で4強入り。31年ぶりの切符がグッと近づいた。
 主将の金子も勉強と野球の両立に励んでいる。毎日、授業以外にも2時間の自習は欠かさない。「野球も大事だけど、勉強も大事です」。学年トップ10に入ることもあるほど成績優秀で、目標は東大進学だ。
 エース島田(2年)は、慶大進学が目標。直球は130キロ台前半ながら頭脳的な配球で、チームをけん引する。「甲子園で投げてみたい」と島田。文武両道の進学校が、31年ぶりの朗報を待つ。
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元首相2人輩出…31年ぶり高崎 東大志望の主将は「野球と勉強にメリハリ」
2012年1月27日15時24分スポニチ配信
 県内屈指の進学校・高崎の卒業生には、福田赳夫氏、中曽根康弘氏と、2人の元首相がいる。金子主将(2年)の志望校は「東大」。早朝や練習後の午後10時まで学校の自習室に残る生徒もいる。「野球と勉強にメリハリをつけています。勉強する時の集中力は野球にもつながると思うので」(金子)。文武両道を貫きながら、昨秋の関東大会で4強入り。21世紀枠の推薦校にも選ばれた。
 センバツ初出場を果たした81年、中堅のレギュラーだったのが境原尚樹監督だ。「今年のチームカラーはあの時と似ている。強いとは思わないが、まとまりがあるし、運も持っている代ですね」と分析する。練習メニューは部員が決める。境原監督は「言われたことだけをこなすと、どうしても受け身になってしまう。ある程度まで力は付いても、その先の壁は破れない。グラウンドで戦うのは選手ですから」とナインを大人扱いしながら、自立させる指導法を取り入れている。
 31年前は秋の関東大会で「タカタカ(高崎高校の愛称)旋風」を巻き起こし、スポーツライターの山際淳司氏の著作「スローカーブを、もう一球」でも取り上げられた。だが、境原監督の中では、決して輝かしい思い出ではなかった。「センバツ出場が決まると大騒ぎで、マスコミからの取材も多くなった。浮足だって冬の過ごし方を間違えた結果が、甲子園で出たと思います。光と影を味わいました」。星稜(石川)に1―11の大敗。夏は県大会で敗れた。
 31年ぶりの切符を前に、チームに浮かれムードはない。目標は「出ること」ではなく「勝つこと」。秀才軍団が、今度こそ甲子園で「タカタカ旋風」を起こす。
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高崎、31年ぶり春切符!81年初戦敗退の雪辱だ!…センバツ
2012年1月28日06時00分 スポーツ報知配信
 第84回センバツ高校野球大会(3月21日から12日間・甲子園)の出場32校が決定。花巻東の151キロ右腕・大谷翔平(2年)は、聖地で高校生史上初の160キロを叩き出し、09年に先輩の菊池雄星(現西武)を擁しても届かなかった東北勢初優勝を成し遂げると宣言した。
 空っ風が強く吹こうが歓喜に沸く高崎の熱気は冷めない。80年、秋季関東大会の快進撃が故・山際淳司氏のノンフィクション「スローカーブを、もう一球」で描かれて以来、名門“タカタカ”に31年ぶりの春切符が届いた。
 「悔いが残って31年間、過ごしてきた。彼らがそれを取り返すチャンスをくれた」。境原尚樹監督(48)は81年センバツ出場時の「7番・中堅」だ。初戦で星稜に1―11で大敗。「試合中からふがいなさ、恥ずかしさ、申し訳なさの2時間だった。帰るとみんな枯れてしまった」。挫折感は強く、作品を読めるようになるまで20年を要した。卒業後も仲間とは、今年まで集うことがなかった。
 当時のエース・川端俊介から背番号1を継承する島田智史(2年)は「スローカーブは投げられないんで」と笑う。だが、甲子園は子供の頃からの夢か?との問いに「別に…」と応えるなど、クールな表情は山際氏が描いた川端と重なる。同校OBの“大勲位”中曽根康弘元首相(93)にも「誇りです。来てほしいですね」と応援を熱望する右腕。悲願の初勝利はスローカーブではなく、真っ向勝負で奪い取る。
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選抜出場、中曽根元首相も祝う 群馬・高崎高で同窓会
2012年1月29日0時41分アサヒコム配信
 群馬県の健大高崎と高崎が選抜高校野球大会の代表校に決まり、一夜明けた28日。高崎の第110回同窓会が高崎市内であり、31年前に甲子園に初出場した元選手らが幹事を務めた。昨年、名誉県民として顕彰を受けた中曽根康弘元首相(94)も出席。出席者からは喜びの言葉が相次いだ。
 高崎は今年で創立115年。1897年に県尋常中学群馬分校として設立され、1900年に旧制高崎中に。48年の学制改革で現在の名称となった。福田赳夫、中曽根康弘両氏の歴代首相を輩出した県内屈指の伝統校だ。
 28日午後、高崎市内のホテルで開かれた同窓会には、OB約千人が参加。前日に母校の選抜大会出場が決まったこともあって、例年以上の盛り上がりとなった。
 数年ぶりに総会に出席した中曽根元首相は、同窓会の名誉顧問。杖をついて自ら歩き、健在ぶりをアピール。あいさつでは「(今回は)何としても行かなくちゃいかん、と思った」。母校の躍進を喜び、自らの青春時代に思いをはせた。
 今年幹事を務めたのは、甲子園に唯一出場した31年前に3年生だった第81期だ。同窓会長の佐藤和徳さん(72)も「えにしを感じる」と感慨深げだ。
 午後4時からあった懇親会には、当時の野球部員らの姿もあった。
 前回はミスもあり、初戦敗退。左翼手として甲子園に出場した、代表幹事の岩井均県議(48)は「31年前の失敗から、やっと未来に向かっていける」と後輩たちに感謝した。エースだった、小学校教諭の川端俊介さん(48)は「彼らがこのチャンスを生かすも殺すも、大会までの過ごし方次第」と助言した。
 部長だった田端穣さん(75)は、出場が決まった27日、当時の部員から「先生、長生きしてて良かったね」と電話を受けたという。31年前は取材対応などで、喜ぶ暇もなかったという田端さん。「長かった。今回は手放しで喜べました」。(伊藤弘毅)
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第84回センバツ高校野球:高崎高、出場決定 同窓会に1000人 後輩の活躍に期待/群馬
1月29日毎日新聞
 ◇「気を引き締めて」
 センバツ出場決定から一夜明けた28日、高崎市内のホテルで高崎高校の卒業生が集う「第110回同窓会」が開かれた。81年のセンバツ初出場時の2年生が幹事を務め、当時のセンバツを振り返るビデオを上映。会場はOBや学校関係者など約1000人であふれ、母校への誇りを胸に、甲子園での後輩たちの活躍に期待を寄せていた。【角田直哉】
 ビデオはセンバツ初出場時の試合を撮影した映像に、当時の選手たちへのインタビューを交えて構成し、上映時間は約20分。31年前の甲子園に出場した境原尚樹監督によると、「甲子園組」は卒業後、一度も顔をそろえたことがなかったが、昨年11月下旬に初めて一堂に集まりインタビューを収録した。撮影したのは同校OBで、映画「きな子~見習い警察犬の物語」(10年公開)などで知られる演出家・映画監督の小林義則さん。
 撮影にあたり、試合の映像を初めて見た当時の野球部OBも多く、主将・佐藤誠司さん(48)もその一人。夢舞台は1-11で初戦敗退しただけに、佐藤さんは「今振り返っても、もっと勝負できたはずだと悔しさを感じる。後輩たちは精いっぱい戦って、高崎の名を全国にとどろかせてほしい」と話した。
 当時のエース・川端俊介さん(48)もビデオ映像に見入った。川端さんの関東大会での活躍はノンフィクション作家、故山際淳司氏の「スローカーブを、もう一球」に描かれたことで有名なだけに、甲子園で大敗した悔しさは「誰よりも大きかった」と振り返る。川端さんは「今はまだおめでとうと言えない。このチャンスを生かすも殺すも選手次第。一層気を引き締めて練習に取り組んでほしい」と語った。
 また当時の部長、田端穣さん(75)は「今のチームは31年前のチームと似ていて、自主的に野球に取り組む姿勢には目を見張るものがある。気を緩めなければ、きっと甲子園でも活躍してくれるはずだ」と期待した。
 ビデオ上映後に境原監督が壇上に立ち「今回は高崎がたくさんの得点を奪う試合を甲子園で見せられるように頑張るので、応援よろしくお願いします」とあいさつした。
 この日の総会では、甲子園に向けて選手たちの活動をサポートする後援会の発足が正式に決まった。一方、選手たちはセンバツ出場が決まった27日から3泊4日の合宿に入り、この日はグラウンドで汗を流した。
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健大高崎初出場、高崎31年ぶり
2012年1月28日読売新聞
 高崎市からダブル出場――。第84回選抜高校野球大会の出場校が27日発表され、健大高崎と高崎が選ばれた。健大高崎は初、高崎は31年ぶり2度目の選抜出場となる。県勢の2校出場は、2009年の第81回大会(高崎商、前橋商)以来3年ぶり3度目で、同じ市内からは初めて。大会は、兵庫県の甲子園球場で、3月21日から12日間の日程で開かれる。
 高崎市中大類町の健大高崎高校。須藤賢一校長から出場決定の報告を受けると、選手たちは一様に安堵(あんど)の表情を浮かべた。昨秋関東大会4強の実績から夏春連続出場が有力視され、選抜を意識した練習を続けてきた。長坂拳弥主将(2年)は「夏の雪辱を果たしに行く」と表情を引き締めた。
 昨夏は機動力野球を武器に県大会初優勝を果たすと、甲子園でも開幕戦で今治西(愛媛)を破るなど、旋風を起こした。ただ、2回戦の横浜(神奈川)戦では、5点差を追いつきながらもサヨナラ負け。青柳博文監督(39)は「強豪校の気迫や集中力を間近で見て、練習に対して貪欲になった」と選手たちの変化を語る。
 エースの三木敬太投手(2年)も「甘く入ったら必ず打たれる。実力不足を痛感した」と振り返る。大会後、打者からボールが見えづらいフォームに改造。県大会は全6試合でわずか3失点、関東大会も2試合連続完封するなど、選抜出場の原動力になった。
 選手たちは冬場の練習で、走り込みや1日3000スイングなど厳しいメニューを敢行してきた。
 新鋭から強豪へ。その足場を確かなものにするためにも、選抜は大きな意味を持つ。
 午後4時頃、高崎市八千代町の県立高崎高校の練習グラウンドで、選抜出場を羽鳥進一校長から伝えられても、選手たちは淡々としていた。報道陣に促され、ようやく笑みがこぼれた。チームの目標はあくまで夏の甲子園だからだ。
 昨秋の県予選は、エース島田智史投手(2年)が抜群の安定感を見せて準優勝。続く関東大会も、東海大甲府(山梨県)などに競り勝って4強入りした。21世紀枠での出場の見方もあったが、実力が認められた。
 境原尚樹監督(48)は、1981年の初出場時に中堅手として甲子園の土を踏んでおり、「投手中心のチーム状況は似ている」と話す。
 当時、高校球界で無名だった高崎だが、エース川端俊介さん(48)を中心とした守りの野球で快進撃を続けた。山際淳司氏のノンフィクションのモデルになるなど沸かせたチームに、プレースタイルが重なる。現在、小学校教諭の川端さんは「この日を待っていた」と喜ぶとともに、「ただ出るだけではダメだ」と力を込める。春で燃え尽きてしまった後悔もあるからだ。
 「春は通過点。夏に向けて力をつけたい」と金子裕紀主将(2年)。31年越しの思いは、「高高生」に確実に伝わっていた。
 高崎市から2校出場という県内初の快挙に、市民からは喜びの声が上がった。
 午後4時過ぎ、JR高崎駅構内には、東西2か所に、健大高崎、高崎両校の横断幕(縦80センチ、横400センチ)がそれぞれ設置された=写真=。通りかかった高崎市綿貫町の無職綿貫英治さん(62)は「高崎高は息子の母校。テレビの前での応援に力が入りそうです」と笑った。
 同市高松町の市役所本庁舎前にも両校の懸垂幕(縦900センチ、横90センチ)が掲げられた。高崎高OBの富岡賢治市長は「2校が選抜甲子園への切符を手にしたことは素晴らしいことで本当にうれしい」とのコメントを発表。同じく高崎高OBの中曽根康弘元総理も「文武両道の我が母校の面目躍如と言ったところで、活躍を期待しています。心から『がんばれ高々』のエールを送りたいと思います」とのコメントを寄せた。
**********

※2011年高校野球秋季関東地区大会データ
組み合わせ:
http://www.sponichi.co.jp/baseball/highschool/2011/autumn/kumiawase/kanto.html
成績:
http://www.sponichi.co.jp/baseball/highschool/2011/autumn/result/kanto.html

※1981年センバツの高高VS星陵のスコア
http://www2.asahi.com/koshien/game/1981/300/9780/


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放射能ごみを安中市内に持ち込ませないように意見書を提出しました

2012-01-27 12:30:00 | 困ったちゃん岡田義弘・元市政
本日午後5時15分提出期限の「安中市災害廃棄物処理計画(案)に関する意見について、当会では次の内容で、さきほど安中市宛に意見書を送付しました。

<意見の内容>

1. 本計画策定の目的は、P1に記されているとおり、「市域における土地の保全と市民の生命、身体及び財産を保護すること」であり、「市民・事業者・行政の連携に基く災害廃棄物の円滑な処理を促進するため」と認識されます。

2. しかし、この基本的な計画目的の観点から、目次を見渡すと、1点だけ異質な事項が含まれています

3. それは、P37~38の「第2章 震災廃棄物処理計画 2-6-5放射性物質により汚染された廃棄物の処理」であり、P70の「第3章 水害廃棄物処理計画 3-6-5放射性物質により汚染された廃棄物の処理」です。

4. 安中市では、本計画において、「放射性物質に汚染された廃棄物の処理」を含めていますが、そもそも安中市には原子力発電所は存在しません。

5. また、安中市には東電福島第一原発事故を由来とする死の灰の拡散により、放射線レベルの高い場所、いわゆるホットスポットがいくつか存在しますが、それらは極めて限定的であり、それらの対応は本計画に含ませる必要はありません。

6. しかし、安中市では本計画において、「原子力発電所の事故により放射性物質に汚染された廃棄物等の処理に関して特別措置法が公布されました」と述べて、わざわざ福島県やその周辺の放射性物質に汚染された廃棄物等の処理のための受入を前提にしているようです。これは、安中市民の合意を得ているのでしょうか。また、市議会で審議され承認されたことなのでしょうか。もし、そうした手続を経ずに、本計画を策定したとなると、到底許されることではありません。

7. 日本の各地の自治体が、自分の自治体以外で発生した放射能汚染廃棄物等の持込を禁止する立場から、当該特別措置法に反対していることは、安中市も承知しているはずです。

8. したがって、当該特別措置法が公布されたからといって、市民や市議会に付託せずに、他の自治体等から危険な放射能汚染廃棄物等を安中市に搬入して処理することを想定している本計画には、安中市民として断固反対します。

9. また、こうした重要な事項を含む計画案を、あろうことか東京都の㈱日本環境工学設計事務所なるところに、編集協力をもとめて策定すること自体、安中市の市民軽視の安直な体質を象徴しており、安中市には猛省を促します。

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またもや得体の知れない土砂が持ち込まれたサイボウ“無法”処分場と行政の対応

2012-01-23 01:45:00 | 全国のサンパイ業者が注目!
■当会は、地元の安中市岩野谷地区の大谷西谷津で、平成19年4月から稼動しているサイボウ環境㈱名義の一般廃棄物処分場の動静を、地元住民とともに監視中ですが、昨年7月末から8月初旬にかけて、20tダンプ76台に及ぶ得体の知れない土砂が大量に搬入されたことから、同処分場の最寄のフェンス脇で放射線量を測定したところ、安中市岩野谷地区で一般に観測されている放射線レベルのほぼ2倍半にあたる0.25μSv/hという高い線量を計測したため、安中市に対して、持ち込まれた土砂の由来を情報公開で請求するとともに、処分場敷地内の放射線量を住民と協力して測定するよう申し入れました。


残土置き場に大量に持ち込まれた出所不明の土砂。線量を計測したところ0.15マイクロシーベルト/毎時を観測した。

 その結果、開示された情報には、トラックの台数と搬入日しか記載がなく、土砂の由来については、サイボウ環境㈱に対して提示を求める仕組みになっていないことが判明しました。やはりサンパイ行政にご執心の安中市ならではの対応です。この経緯は当会のブログhttp://pink.ap.teacup.com/ogawaken/692.html#readmoreを参照ください。

 また、処分常識内の放射線量を住民と協力して測定できるように、サイボウ環境㈱に申し入れるようにお願いした件については、「サイボウ処分場は群馬県が認可を出したのだから、群馬県に依頼してはどうか」と言われました。無責任体質の安中市ならではの対応です。

■そこで、平成24年の元旦にサイボウ処分場の周辺の放射線量を調査しようとしたところ、前回計測した最寄のフェンスに近づけないように、ロープが張り巡らせてありました。


 さらに、フェンスの外側にある残土置き場に大量の得体の知れない土砂が置きっぱなしになっているのを発見しました。また、その土砂の表面で放射線量を計測したところ0.15μSv/hの値を記録しました。

覆土用の残土置き場に捨てられた大量の土砂。

土砂の表面を計測すると0.15μSv/hを記録した。

 さっそく1月4日の仕事始めの日に県庁を訪れ、担当部署にコンタクトし、放射線量の高いこと、得体の知れない残土が新たに残土置き場に持ち込まれていることを報告し、調査を打診しました。

■県庁の担当部署では、「さっそく調査をする」ということで、調査結果が分かり次第、電話で報告していただけることになりました。そして、1月6日の午後、当会に対して次のような報告がありました。

**********
<電話聴取メモ>
(1) 1月4日の夕方、さっそくサイボウ処分場に行き、現状を確認するとともに、次のとおり聴取した。
(2) 8月頃に処分場内に入れた土砂は7月29日(月)、8月2日(金)、8月12日(月)の3回に亘り、合計76台のトラックによって搬入された。
(3) 一方、クリスマス直前の12月23日(金)に36台、24日(土)に30台、それぞれ大型トラックで残土が持ち込まれたが、23日は祝日の為、処分場が閉まっており、残土置き場として確保されていたスペースに仮置きされているといい、24日の分は、処分場の門が開いていたので、処分場の中に搬入されたという。
(4) したがって、フェンスの外の残土置き場に仮置きされている土砂は、23日の分であるという。
(5) また、放射線レベルについては、県が所有するサーベイメーターを持参して、残土及び処分場内の放射線レベルを計測した。使用した測定機材は次の通り。
日立アロカメディカル社製シンチレーションサーベイメーター
Model名:TCS-172B
(6) 県によれば、結論から言うと放射線レベルは問題ないことが判明した。処分場のフェンス周辺で4箇所測定したところ、いずれも放射線レベルは約0.1μSv/hであった。また、残土置き場に仮置きされている工事残土についても、今度改正された測定方法に基き地上1mの放射線量を計測したところ、やはり約0.1μSv/hであった。また、残土の中心部に入って計測したところ約0.1より低く0.08程度だった。
(7) さらに、処分場敷地内に入って、計測してみたところ、埋立ている地表に2箇所土盛りしてあるところがあり、サイボウの話によると、一つは8月に持ち込んだ土砂の残りであり、もう一つは12月末に搬入した土砂の名残りだという。先端がとがっている土盛り箇所は計測できなかったが、上が平らだった土盛り箇所では、上に上って計測したがやはり約0.1程度だった。なお、埋立地内の表面で測ったら0.15くらいあったが、この由来としては、サイボウ処分場に搬入されている沼田市などの一般ごみの焼却灰によるものと考えられるという。
(8) なお、サイボウ処分場に一般ごみ焼却灰を搬入している、安中市、館林市、沼田市のそれぞれの放射線レベルについては、これまで1度計測しており、それは県のHPに掲載されていること、また、今後、法令により、一般ごみの焼却灰については再度計測を義務付けられているという。
**********

■今回の件で、最大の問題点は、サイボウ処分場の計画では、掘り取った残土は残土置き場に積み上げて、それを焼却灰や下水汚泥を埋めた上に、風等による拡散防止のため一定厚で覆土するために確保しておくことになっていたのに、新たに、福島第一原発による放射能汚染土壌やごみ・下水汚泥焼却灰などに含まれる高レベル放射線量の問題が起きた後、突然、外部から得体の知れない物体がサイボウ処分場に大量に搬入されたことです。

 今回も得体の知れない土砂がどこから持ち込まれたのか、判然としませんが、少なくとも、安中市から開示された情報によれば、「処分場の維持管理の所管は群馬県であり、一般廃棄物適正処分対策協議会(以下「協議会」という。)では、覆土の搬入に関しての資料提出を求めていないが、監視員により搬入トラックの台数の連絡を受けただけ」「搬入した廃棄物の放射線量について最終処分場の維持管理の所管は県にあり、協議会としては搬入する廃棄物の放射線の測定結果データの提出は求めていない。測定結果は県のホームページで確認できるのでそちらで確認すること」「サイボウ環境(株)以外のトラックについて、協議会としては、廃棄物の搬入について監視員でチェックを行うものであり、覆土の搬入についての資料提出は求めていない。7月29日、8月2日及び8月12日のサイボウ以外のトラックの搬入は覆土の搬入なので、資料はない」という説明でした。

■安中市長のこの説明によれば、得体の知れない大型トラックによる処分場への搬入物のチェックは、得体の知れない搬入トラック業者或いは処分場の管理者であるサイボウ環境㈱(サイボウは名義貸しだけで、この処分場の実質的な運営者は長野県佐久市のイーステージ)による「搬入物は覆土用の砂」という自己申告だけで、安中市はそのまま鵜呑みにしており、どこから持ち込まれたものか、また、その放射線量はいくらか、など、全く関知しようとしていないことが分かります。

 昨年のクリスマス直前に持ち込まれた大型ダンプ66台もの大量の土砂のうち23日に搬入される予定で、残土置き場に仮置きされた「覆土用」だという得体の知れない代物を見る限り、石がたくさん混じっており、決して覆土に適した砂のような代物とはいえません。

■県の担当者が即座にサイボウ環境㈱に対して調査を実行したことは大変評価できますが、結果的にサイボウの説明を鵜呑みにした形の調査報告となりました。これまでのサイボウ処分場の建設に関わった関係者が、これまでいかにウソをついてきたか、2年ごとに配置換えになる県庁の職員には経緯を知る由もなく(あるいは、知ろうともしないわけで)、あてになりません。

 地域の安全はやはり地元住民の手で守り抜く必要があります。今後とも、当会では、フェンス脇で放射線量の測定や、搬入される土砂の監視を続けていきたいと思います。

【ひらく会情報部】

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3月末のサンパイ場設置許可に向け住民に閲覧させないよう最大限の配慮を東邦亜鉛にしている群馬県行政

2012-01-22 11:04:00 | 東邦亜鉛カドミウム公害問題
■東邦亜鉛が、一昨年の平成22年12月18日、地元の岩野谷地区の説明会で、自社サンパイ処分場の完成と稼働に向けた最後の行政手続について発表しましたが、これまでに東邦亜鉛が周辺に振りまいたカドミウム等の重金属を含む降下煤塵による土壌汚染に悩まされてきた地元住民らは、東邦亜鉛が汚染土壌の除染もしようとしないのに、自分の都合で、産業廃棄物処分場だけは、いちはやく完成させて稼働させようとする姿勢に、厳しい批判の声を浴びせました。

 ところが、東邦亜鉛は平成23年4月26日付けで、群馬県に対して産業廃棄物処理施設設置許可申請書を提出していたのでした。


 そして、昨年の年末、官庁の仕事納めの前日、平成23年12月27日から、同申請書の告示と縦覧が始まり、平成24年1月26日までの1ヶ月間、関係住民は申請書の内容を見られるということで、今年の正月明けの1月6日付で、安中市役所から地元北野殿地区(岩野谷第4区)の区長あてに通知が来ました。そこで、区長が回覧板で住民に通知をしたため、北野殿の住民は大変なことが起きていることに気付いたのでした。

■地元住民は、群馬県による今回の告示・縦覧手続きについて非常に憤りを覚えています。なぜなら群馬県は、告示・縦覧期間を勝手に、次のように12月27日から1月26日までの1ヶ月間に絞ったからです。

**********
 <群馬県ホームページより(ホームページ写し)>
産業廃棄物処理施設設置許可申請書の縦覧をしています(平成23年12月27日)
 廃棄物の処理及び清掃に関する法律(昭和45年法律第137号)第15条第1項の規定による産業廃棄物処理施設設置許可の申請があったので、同条第4項の規定により次のとおり告示し、当該申請書及び同条第3項に規定する書類を公衆の縦覧に供します。なお、この告示に係る廃棄物処理施設の設置に関し利害関係を有する者は、縦覧期間満了の日の翌日から起算して2週間を経過する日までに、群馬県知事に生活環境の保全上の見地からの意見書を提出することができます。
1 申請者の氏名又は名称及び住所並びに法人にあっては、その代表者の氏名 東京都中央区日本橋本町一丁目6番1号 東邦亜鉛株式会社 代表取締役 手島達也
2 産業廃棄物処理施設の設置の場所 群馬県安中市野殿宇北浦445番外7筆
3 産業廃棄物処理施設の種類 廃棄物の処理及び清掃に関する法律施行令第7条第14号ロに規定する安定型最終処分場
4 産業廃棄物処理施設において処理する産業廃棄物の種類 廃プラスチック類、ゴムくず、金属くず、がれき類並びにガラスくず、コンクリートくず及び陶磁器くず(廃プラスチック類、がれき類並びにガラスくず、コンクリートくず及び陶磁器くずについては、石綿含有産業廃棄物を含む。)
5 申請年月日 平成23年4月26日
6 縦覧の場所 群馬県環境森林部廃棄物・リサイクル課及び西部県民局西部環境森林事務所
7 縦覧の期間 平成23年12月27日から平成24年1月26日まで
意見書の提出について
1 意見書の記載事項
 1. 意見書を提出する者の氏名又は名称及び住所並びに法人にあっては、その代表者の氏名
 2. 意見書を提出する対象事業の名称
 3. 施設設置に関する具体的な利害関係
 4. 生活環境保全上の見地からの意見
※なお、記載事項は日本語で記載すること。
2 意見書の提出方法及び提出先
 意見書は、持参又は郵送により次のいずれかの場所に提出することができる。
 1. 群馬県高崎市台町4-3群馬県西部県民局西部環境森林事務所
 2. 群馬県前橋市大手町一丁目1番1号群馬県環境森林部廃棄物・リサイクル課
3 意見書の提出期間
 平成24年2月9日まで
<このページについてのお問い合わせ>
環境森林部廃棄物・リサイクル課
〒371-8570前橋市大手町1-1-1
電話027-226-2861
FAX 027-223,7292
haikirisaka@pref.gunma.jp
*********


■年末はだいたい役所も民間も12月27日から28日が仕事納めとなります。そして、役所は1月4日、民間は1月5日が新年の仕事始めとなります。物理的に12月27日(火)から1月9日(祝日)までは殆ど誰も見ることができないことになります。従って、実質的な1月10日(火)から1月26日(木)までということになります。

 また、上記の案内によると、平日と、休日や祝日や年末年始休暇との区別が記載されていません。さらに、何時から何時まで縦覧できるのかが書いてありません。

 そのため、先週の日曜日に、高崎市台町4-3にある群馬県西部県民局西部環境森林事務所を訪れて、申請書を見ようとした地元住民が、鍵の掛かっている事務所の前で当惑したという話も伝えられてきております。

■このため、1月20日(金)10:50に群馬県庁16階南にある群馬県環境森林部廃棄物・リサイクル課(TEL027-226-2861)に電話をして、縦覧期間中の申請書の閲覧可能時間について確認してみました。


 電話に出た同課の吉田課補は、当会の質問に対して次のように答えました。

Q:告示・縦覧期間には週末や祝日、年末年始休暇中でも見られるようになっているが、実際にはどうなのでしょうか。

A:常識的に考えて、役所での告示・縦覧なのだから、役所が閉まっている時は事務所の中に入れないわけで、当然見られるはずがない。

Q:しかし、何も書いてないのだから、例えば玄関先とか、掲示用のガラス箱など、土日や休みの日に、住民が見られるように配慮するのは開かれた県政の観点から常識なのではないでしょうか。それとも、意図的にそうしたのでしょうか。

A:何も書いてないからと言って、意図的にしたわけではない。朝何時から夕方何時までというのも、書かなくても、役所の明いている時間といえば、誰でも心得ているはずだ。

Q:それでは、コピーをさせていただいてもよろしいでしょうか・

A:原本は外に持ち出すわけにはいかない。これは告示・縦覧の手続き上、そのような決まりになっている。また、原則としてコピーは認められていない

Q:えっ?でも、縦覧してあるものでしょう?コピーしてはだめなのですか?そんなことは無いと思いますが。

A:それは、そういうことができるのかどうか、即答できない。上司である次長に聞いてみないと分からない。

Q:それより、県庁の2階の県民センターに情報公開のプロが居るはずだから、その方に確認していただけませんか?

A:情報公開制度で申請するなら、出せるかもしれないが・・・

Q:情報公開制度だと最低14日間も掛ってしまいます。即日開示ではどうでしょうか、

A:うん?なにそれ?

Q:既に公表されているのと同じ条件の公文書だから、しかるべき手続きをとれば、その場で開示できるはずですが。

A:上司がいないのでわからない。

Q:では、どうしてホームページに全文を掲載して、住民が自由にダウンロードできるようにしないのですか?

A:分量が膨大なので、困難だ。

Q:でも、選挙管理委員会などは、県内の2000近くある政治団体の収支報告書を毎年全部掲載しています。申請書が200ページくらいの資料であれば、十分アップロードが可能だと思います。

A:とにかく、告示・縦覧ではそのようなやり方はしたことがない。

■全く埒が明かないので、11:00ごろ、今度は安中市環境推進課廃棄物係(TEL027-382-1111、内線1121)に電話をしました。電話に出た中曽根担当にいろいろと聞いてみました。

Q:東邦亜鉛のサンパイ場の申請書の告示・縦覧のチラシが回覧板で回ってきました。村の人が先週の日曜日に、群馬県西部環境森林事務所に行ったのですが、鍵が掛っていました。県のホームページにも、市の回覧板で配布された案内チラシにも、土日や祝日、年末年始休暇は縦覧できないとは書いてありません。また、何時から何時まで縦覧の時間なのかも書いてありません。いずれにしても、安中市に1部、東邦亜鉛の申請書のコピーがフルセットあるのでしょうから、それを見せていただけませんでしょうか。また、お金は払いますからコピーも撮らせてください。

A:きょうは担当係長が不在の為、どう対処してよいか分からない。課長に聞いてみる。(課長に報告をして指示を仰いだ後)課長は「これは県からいただたいた資料であり、公開を目的としたものではなく、西部事務所でみせていただいたらどうか」と言っている。

Q:でも、東邦亜鉛のサンパイ場が作られる地元の住民としては、安中市から区長に縦覧の通知を出していただいたのですから、せめて、岩野谷の公民館や、地元の北野殿の公会堂、あるいは地元区長のところに東邦亜鉛の申請書の写しを一式、配布するように、群馬県に要請するなどして、納税者でもある安中市の住民の利便を第一に考慮すべきではないでしょうか?

A:処分場の施設の設置許可の件は、群馬県の管轄なので、市では口出しができない。

Q:群馬県に言っても埒が明きません。安中市からも、以上の要望を群馬県の担当部署に伝えてほしい。

A:それじゃあ、県に住民からこういう意見があったということを言っておく。

■これまた腰の引けたコメントだったので、11:55に再度県庁に電話をして、県民センター(TEL027-226-2264)の情報開示担当の大島氏に電話をしました。

Q:現在、東邦亜鉛のサンパイ場設置計画について告示・縦覧中だが、年末の仕事納めの直前に告示しており、県民の都合を無視したやり方には強い怒りを覚える。また、縦覧用の資料についてもコピーをしてはならない、などと言い出す始末です。その後、リサイクル課からこちらに電話がありましたか?

A:他の者はともかく、自分は電話を受けていないのでしらない。

Q:どうかお願いですから、よく指導してやってください。それから、ホームページで告示・縦覧期間が掲載されていても、土日や祝日、特別休日などでも閲覧できるのかどうか、また24時間閲覧できるのかどうか、などについても記載されていません。

A:ふーん。

Q:縦覧場所も、県庁と高崎の台町の西部事務所だけです。安中市にある県の出先の安中土木事務所でさえも、縦覧場所に指定されていません。住民本位であれば、当然、地元の公民館や公会堂、集会場にも配置すべきだとおもいます。あるいは、せっかく県のホームページがあるのですから、縦覧資料を全部ホームページ上に載せれば、いつでも誰でも見てもらえると思います。

A:ホームページに掲載するかどうかは個別の部署の判断による。

Q:縦覧資料について、リサイクル課では縦覧だけで、コピーは撮れないと言ってますが・・・。

A:それは認識不足だ。縦覧資料だから、コピーは撮れるはず。ただし、情報開示請求をする必要がある。

■電話で話しても埒が明かないので、午後13:30、県庁に行きました。駐車場が満杯だったため、元検察庁があった臨時の駐車場に車を置いて、県庁に向かいました。

 まず、県庁2階の県民センターで情報公開の担当者の大島氏らと情報公開の手続について相談しました。

Q:縦覧資料について、80ページくらいあるとリサイクル課では言っていますが、なんとか情報公開で早くコピーを交付してもらえないでしょうか。

A:80ページくらいというが、A3やA4ばかりでないかもしないし、その場合、時間が非常にかかると思う。

Q:80ページ程度であれば、A2とかA1サイズの図面があっても、右上から順番に番号を振ってA4サイズで順次コピーしてもらえば、いちいち貼り合わせなくても大丈夫です。いま1500円くらい財布に持っているので、多少ページ数が増えてもまだ余裕があると思います。

A:でも、コピーを撮るのには相当時間が掛ると思う。即日開示の手続も出来るが、その場合、その場で手渡すという形をとる必要があるので、事前にコピーをしておかないといけない。

■ここでも埒が明かないので、16階南側にある環境森林部廃棄物・リサイクル課に行き、どんな資料が縦覧されているのか直接確かめることにしました。

 縦覧資料は約330ページくらいありましたが、そのうち産廃処理施設関連の情報は大体100ページ程度ありました。

 閲覧に先立ち、縦覧者カードというものを書かされました。「この目的は?」と訊くと、リサイクル課の担当者は「縦覧した人物を把握しておき、2月9日までに提出される意見書が、きちんと縦覧したかどうか、確認するためのもの」と答えました。つまり、縦覧した人物でないと、意見書を出しても、その意見は有効ではないと言うのです。しかも、縦覧場所は平日のみ、前橋の県庁の16階と高崎市の台町の西部事務所の2か所だけと言うのです。さらに、年末年始の長期休暇も縦覧期間にカウントしたうえ、1月6日付の安中市から地元区長あてに出された手紙が地元に回覧された1月8、9日に初めて地元住民が気付いたわけですから、実質的には1月10日(火)~26日(木)までの13日間しか、縦覧期間がないわけです。

 そこで、当会ではとりあえず全ページを約2時間かけてデジカメで撮影し、さらに産廃処理施設関連の情報として約100ページ程度の資料のコピーの写しを1月24日(火)の午前10時に即日開示してもらえるように、県民センターで手続をしました。

■縦覧資料の撮影を終わった後、群馬県環境森林部廃棄物・リサイクル課との話の中で、いくつか重要なポイントがはっきりしてきました。

(1)今回の産業廃棄物処理施設の申請者は東邦亜鉛なのか、それとも東邦亜鉛安中製錬所なのか
 当会のこの質問に対して、群馬県は「“そこに限る”という形での許可ではない」と答えました。つまり、東邦亜鉛株式会社安中製錬所の名前で申請書のファイルが記載されていますが、東邦亜鉛株式会社自身の申請であるため、東邦亜鉛全体に対する許可ということのようです。
 このことは、東邦亜鉛の別の事業所で発生した安定5品目のサンパイが安中製錬所に持ち込まれる可能性があると思います。

(2)持ち込まれるゴミの対象としてのガレキの扱いは一般廃棄物なのか、それとも廃棄物廃棄物か
 当会は、東邦亜鉛に搬入する原料の鉱石の一次加工(焼鉱)をしている福島県いわき市内にある小名浜工場およびその周辺の関連工場からガレキが搬入される可能性について群馬県に確認したところ、群馬県は「木材を含む地震や津波のガレキは、廃掃法で決められたガレキであり、災害で発生するガレキは一般廃棄物(イッパイ)として処理される。一方、工場の解体から生じるガレキなどは産業廃棄物(サンパイ)として区別される。だから、東邦亜鉛のサンパイ場に持ち込まれるガレキは、もし安中製錬所以外の同社の施設から持ち込まれたとしても、サンパイなので、災害由来のガレキではないはずだ」と答えました。
 東邦亜鉛の小名浜工場のあるいわき市は、地震と津波によりダメージを受けていますが、そこからガレキを持ちこまれる可能性があるので、そうした質問をしたのですが、なぜか群馬県は災害のガレキが持ち込まれる心配はないという考えをしているのです。

(3)放射線レベルの高いガレキの持ち込みは、安定型のサンパイ場に持ち込むことができるのか
 東電福島第一原発に近いいわき市といえば、当然放射能汚染にまみれたガレキが発生する可能性があるわけです。現に、東邦亜鉛の小名浜工場やその周辺の関連工場は津波の被害を受けると共に、屋外に置かれたガレキの放射線レベルはそうとう高いはずです。そこで、この質問を群馬県にしてみました。すると、群馬県の担当者は「安定型のサンパイ場は、廃掃法に基づいて設置されるものであり、持ち込まれるガレキの放射線レベルは規制の対象外だ。だから、放射能にまみれたガレキが持ち込まれようと持ちこまれまいと、それは今回の設置申請において審査の対象としていない」と驚くべき回答を平然とするのです。

 最後に、リサイクル課の吉田課補と荒井主幹に、「安中市からも縦覧方法の改善について要請の連絡が今日の午前中にあったはずです。どのような要請があったのでしょうか」と確認したところ、「自分たちは電話を受けていないが、安村次長に電話があったのは事実だ。次長に聞いてみる」として、窓際に座っていた安村次長になにやら話をしていた結果、「安中市から環境推進課の課長から昼前に電話があった。住民から“安中市の本件保有文書を閲覧したい”という要請があったので、“安中市では閲覧用に用意していないので、県の方で対応してほしい”という内容の電話だった」という返事でした。

 当会から「それに対して、貴課ではどのような対応をするつもりでしょうか。たとえば、県の土木事務所とか、岩野谷公民館とか、地元公会堂とか、地元区長宅とか、安中市役所が保有している本件文書を市役所で閲覧できるようにすることに同意するとか、改善をしてもらうことは可能でしょうか」とお願いしました。しかし、群馬県からは「告示・縦覧はこれまでも、こういう形でしてきたので」と言葉を濁すだけでした。

■以上のような状況であったため、最後に次のお願いをしました。

 地元住民は平日は仕事で忙しく、わざわざ前橋の県庁や高崎の台町の西部事務所に足を運んで、330ページもある難解な申請書を縦覧する手間も時間の余裕もありません。だから、当会がコピーの交付を受けた処分場に関する約100ページの資料を地元住民に回覧することで、指定の縦覧場所に来なくても、東邦亜鉛のサンパイ場に対して関心のある住民からの意見書について、縦覧者カードに氏名が記載されていなくても、群馬県はきちんと受理してください。そして、その意見書については真剣に対応してくださるように強く要請します。
 また、せめて縦覧資料をPDF化して群馬県のホームページに掲載してほしい。そして、県庁2階の県民センターでは土曜日の日曜日も祝日もオープンしているのだから、なんとかそこで縦覧できるようにしてもらえないでしょうか。

群馬県は、縦覧者カードに氏名等個人情報を記入しないと意見書を出しても有効ではないと言う。

■ついでに、群馬県には次の質問をしました。

(1)なぜ12月27日から縦覧期間をスタートさせたのか。
 群馬県の担当者は「決して故意では無い。手続については県報に掲載するが、原稿作成と製本の作業の都合でたまたまこの時期になってしまった。もう少し早くすればよかったが、作業の都合でこうなった」と言い訳するのです。当会からは「であれば、なぜもっと遅い時期にできなかったのですか。開かれた県政というキャッチフレーズからもそうすべきではないでしょうか。あるいは縦覧期間をいまからでも遅くはないのであと2週間延長してもらえませんか」と強くお願いしたのですが、群馬県の担当者は「延長は難しいが、今後検討したい」というだけで、少しも誠意のかけらさえ、見せませんでした。

(2)今後の本件手続きのスケジュールはどうなるのか。
 群馬県いわく、「2月9日までに縦覧者からの意見書の提出が締め切られる。また1月9日までに安中市長の意見書が提出される。それらの意見書をもとに県庁で協議を行い、とくに2月中旬に開催される群馬県廃棄物処理施設専門委員会(座長:黒田正和群馬大学教授、委員数:6名)に諮問し、その答申を踏まえて遅くとも3月末までには設置許可を出す予定だ」とのこと。
 当会から「意見書の内容について討議のうえ、設置申請案の改善の必要があればそのことについて東邦亜鉛に申請書を差し戻すことも必要な場合があると思います。そうした場合は想定しているのでしょうか」と質問しましたが、群馬県からはなにも回答がありませんでした。

■このように、すでに、役所と業者との間で、本件の申請手続きは完全に“デキ”レースになっていることがわかります。これが、群馬県の廃棄物行政の実態なのです。

【ひらく会情報部】



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平田信容疑者の出頭で俄然関心が集まる17年前のオウム真理教一連事件とタゴ51億円事件

2012-01-10 23:28:00 | 土地開発公社51億円横領事件
■2011年の大晦日の夜、重大ニュースが日本列島を駆け巡りました。特別手配されていた元オウム真理教幹部、平田信容疑者(46)が12月31日夜、突然警視庁本部に出頭し、翌1日、警視庁に逮捕監禁致死容疑で逮捕されたからです。17年近くの逃亡生活から一転、オウム真理教事件の一連の裁判が昨年12月に終わったばかりという時期に、17年近くの逃亡生活から一転して、なぜシャバに姿を晒したのか、また、17年近い逃亡生活は一体どうしていたのか、誰がかくまっていたのか、などについて、新年早々、世間は大騒ぎです。

 と思ったら、2012年1月10日未明、東京・大崎署に平田と長年一緒にいたという女性が平田信の滝本弁護士につきそわれて出頭してきました。この騒ぎは当分続くものと見られ、17年前の事件に、世論が沸騰しています。

 この騒ぎを目の当たりにした安中市民は、同じく1995年の6月1日に公表された安中市土地開発公社を舞台に地方自治体では史上最高額の51億円巨額詐欺横領事件のことに思いが及びました。余りにもタイミングが良すぎるからです。オウム事件とタゴ51億円事件の相関性についてチェックしてみました。


さっそく派出所の掲示板には「ご協力ありがとうございました」の張り紙が平田信容疑者の顔写真の上に貼られている。

■平田信容疑者は、1995年に起きた目黒公証役場事務長拉致事件で、警察庁に特別手配されていました。警視庁本部に出頭しようとした際に、平田信容疑者を機動隊員が門前払いするなどしたため、警察庁は1月6日に全国の警察本部に対し、特別手配容疑者や重要指名手配容疑者の要旨や身体的特徴の周知徹底を図るよう通達しました。17年という歳月はそれくらいの風化作用があります。

 警察庁の通達によれば、「指名手配容疑者が出頭することなどあり得ないとの先入観を捨て、業務に当たるように」と求めており、指名手配容疑者の顔写真や身体的特徴が書かれた「携帯手配書」の活用なども指示しました。オウム事件の特別手配容疑者2人に関しては、1995年3月におきた地下鉄サリン事件後に採用された警察職員が、相当増えているため、「オウム事件の概要などの説明も必要だ」としています。

■「なぜ今ごろになって」と、オウム事件の被害者らにとっても、今回の平田信容疑者の突然の出頭は予想外の展開でした。とくに、1995年2月に拉致され死亡した目黒公証役場事務長の仮谷清志さん(当時68歳)の長男、実さん(51)は1月1日午前、都内の自宅前で、記者団に対して「遺族としては真実を知りたいというのが切実な願い」と語りました。

 実さんは、清志さんが死亡した経緯について疑念を抱いていて、真相解明に期待を抱いています。しかし、これまでも教団に振り回された清志さんは、平田信容疑者の「一区切り付けたかった」という供述をそのまま受け取れないと言います。「信者にかくまわれていた可能性もやっぱりあると思う」と指摘したうえで、事件の共謀者が公判中の場合は死刑が執行されないというルールがあるため、「出てくるタイミングが良すぎるのでは。幹部の死刑執行を延期する為とも受け止められる」とも加えました。こうした見方は、1月10日に平田をかくまっていた女性信者の出頭でますます正しいことが判明しています。


教祖サマの刑の執行をストップさせる為に、依然として逃亡中の2名も出頭してくる可能性もあるという。依然として教師サマに帰依している信者らが多いのがオウム事件の特徴。一方、安中市土地開発公社のタゴ事件では、罪を一身にひっかぶったタゴに帰依している信者がまだ市役所のOBや幹部に多いことから、14億円を超える使途不明金の行方が分からないように、今回の絵画等6点の絵柄情報も必死で隠そうとしていることがよくわかる。よく似た事件だが、事件当事者や警察の対応は全く異なっているところが興味深い。


今回の平田信容疑者の場合、本人出頭の為、懸賞金500万円は節約できましたが、このほかにも懸賞金がかかっている人物がたくさんいるので、よく記憶にとどめてすれ違う人たちの表情をよく観察しよう。

■この一連のニュースで感じられることは、「オウム事件が、まだ動いている」ということです。1995年5月に発覚して1996年4月にタゴ容疑者に懲役14年の刑が科せられ、その後、1998年12月に安中市・公社と群馬銀行との民事裁判が和解となり、同年3月に公社がタゴ容疑者に損害賠償請求訴訟を起こし、同年6月に勝訴したあと、完全に事件が封印されたタゴ51億円事件とは相当異なりますが、オウム事件もこれまでたくさんの容疑者をめぐる裁判が行われてきました。

 タゴ51億円事件は安中市土地開発公社の元職員タゴの単独犯行と看做され、そのほか多数の共犯者らはお咎めなしとなりました。一方、オウム真理教事件では、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚を初め、教団幹部らが法廷の場で裁かれて服役していますが、平田信容疑者の出頭により、同容疑者に支援者らがいて、とくに教祖だった松本智津夫の死刑の執行を遅らせようとして出頭させた意図が明らかなので、支援者が松本死刑囚に今も帰依している可能性があるとの見方がされています。だから、警察も異例の顔写真や防犯カメラの映像写真をどんどん公表して、平田信容疑者の足取りを確認し、逃亡を手助けした関係者らの洗い出しにやっきとなっているのです。

■一方のタゴ51億円事件でも、同様に、たくさんの共犯者や利害関係者がおります。民事の為、時効期間が短いこともあり、刑事罰を科することはできませんが、社会に与えた事件のインパクトとしては、決してオウム事件に劣るものではありません。にもかかわらず、警察も検察も裁判所も、まして、事件の舞台となった安中市も、タゴ事件に対してはまったく真相解明、責任所在の明確化、再発防止について、消極的です。というか、むしろ、事件の真相のベールをかけっぱなしという感じです。

 タゴ51億円事件でも、発覚から17年近い歳月が経過していますが、この間、タゴの弟が経営する多胡運輸が3年半前に起こした首都高での出光タンクローリー横転炎上事故という首都高史上最大の損害事故が起きましたが、マスコミは全くこの事故の報道に不熱心でした。また、2010年4月の安中市長選挙の投開票日の翌日に、タゴの知人からタゴの妻に対して、タゴが事件で服役する直前に預かったという絵画等6点を返却するとの申し入れがあり、それをタゴの妻が安中市土地開発公社に、タゴ51億円事件の損害賠償の一部として寄贈するという事実が発覚しました。

■安中市民としては、いわば、今回の平田信容疑者の出頭のような出来事でしたが、なぜか公社も安中市も、市民に対して、どのような経緯で絵画等6点が寄贈されたのか、知らせようとしませんでした。

 そのため当会では、情報開示請求により、安中市に絵画等6点の絵柄情報の開示を求め、それにより、真贋を第3者に判定してもらうことのほか、なぜタゴが知人にこれらを預けたのか、知人はタゴがこれらを購入する際になぜ仲介したのか、またその際に真贋を確認したはずなのになぜタゴに返却する際に「ホンモノかどうか」について説明しなかったのか、これらの絵画等6点を、どこの古美術商から購入したのか、その際に現金で代金を支払ったにしてもなぜ領収書とか納品書を残さなかったのか、などを明らかにしようとしました。

しかし、安中市土地開発公社の岡田義弘理事長は、かたくなに情報公開を拒み、安中市の岡田義弘市長も、公社の姿勢を全面的に支持しました。さらに、裁判所もそうした公社や安中市の対応を支持したため、当会の請求はことごとく棄却されました。そのため、先週金曜日、1月6日は12月22日の東京高裁の棄却判決の判決文到着日の翌日から数えて14日目でしたが、当会は熟慮の末、本件を最高裁に上告することをしませんでした。

■今回のタゴ事件にまつわる絵画等6点の前橋地裁と東京高裁のビジュアル情報不公開支持判決により、次のことが判明しました。すなわち、

(1) 絵画等6点とそのビジュアル情報(本件文書)は別のものであると看做されたこと。
つまり、今回出頭した平田信容疑者を例に取れば、平田信容疑者とそのビジュアル情報である顔写真は別のものであり、平田信容疑者(=絵画等6点)が出頭(=返却・寄贈)されても、警察(=公社)がその顔写真(=絵柄写真)を作成しなければ、マスコミをはじめ世間や事件被害者が見たいと思っても、見せたくなければ見せる必要がないということを意味します。このことから、安中市長も公社理事長も、絵柄情報を見せたくないということですので、オウム事件に対する警察庁の姿勢とは180度ことなり、タゴ事件について市民に覆い隠そうという判断がはたらいていること、そして裁判所もそれを支持したことがはっきりとわかりました。
 しかも、東京高裁では棄却理由に事欠いて、「 元職員の妻が公社に絵画等6点を差し入れ,公社でそのビジュアル情報である本件文書を作成した場合(本件文書の性質上その可能性は高いと考えられるが,本件全証拠によってもこの点が明らかであるとまではいえない。)」などと決め付ける始末です。公社でビジュアル情報を作成したのは確実だし、それを公社の岡田義弘理事長が見ているのに、安中市の岡田義弘市長が見ていないというのを認めるに等しいことを判決文に恥ずかしげもなく記載する裁判所、あるいは裁判官というものは一体どういう常識を持っている人種なのでしょうか。まったく理解できません。
 絵画等6点の取得時期と本件文書の作成時期が異なるとしていますが、絵画等6点はもともと安中市職員が仲介者に頼んで購入したわけで、それを元職員の妻が勝手に公社に寄贈したわけですから、本来の所有権帰属主体は安中市であり、そのビジュアル情報は安中市も公社も共有しているわけなので、当然、安中市民に開示されなくてはならないはずです。でも、東京高裁は、岡田市長の政治力、というか、タゴ事件を覆い隠そうとするさらに巨悪の政治力に屈したとも言えます。

(2) 絵画等6点は,タゴ51億円事件で得た使途不明金で取得したこと
東京高裁の判決文に「前記1の認定事実(原判決引用部分)並びに証拠(甲11,乙1,2)及び弁論の全趣旨によると,絵画等6点は,元職員が公社を舞台に巨額の詐欺横領事件を起こし,それによって得た金員のうち自己消費に充てた分で取得したこと」とありますので、絵画等6点はタゴ事件で警察の捜査漏れとなっていたことから、巨額使途不明金の一部を使って、タゴが知人を通じて購入したものであることがハッキリしました。

(3) 当時、安中市・公社に絵画等6点を購入する理由はなかったと看做していること。
 東京高裁の判決では、絵画等6点を購入する理由はなく、安中市・公社は元職員に対して取得のための職務命令を発していなかったと決め付けました。この点については、刑事記録として、当会がタゴ51億円事件で警察が調べ上げた膨大な資料を調べる必要があるとして「証拠等関係カード」をもとに、具体的に必要な刑事記録を指定したにもかかわらず、それらを調べようとせずに結論をだしました。
 しかも、「元職員が,詐欺横領事件で得た金銭で,骨董品・古美術品を購入する際には,現金払いをしており,納品書,領収書の発行がなされた形跡が窺えないことが認められ,客観的,外形的に,元職員が絵画等6点を安中市職員の立場で取得したとは到底いえない。」と結論付けていますが、実際に骨董品・古美術品を購入したのはタゴの知人であり、タゴはその知人を通じて領収書や納品書を受け取っていたことになります。また、納品書や領収書の類は、販売した側にも控えがあるはずですが、栃木県足利市にある古美術商の話では、警察からこの件について他言無用ときつく言われている、としていることから、なんらかの理由で公表されていない可能性があります。この点について、きちんと刑事記録をチェックすれば、かならずその実態が明らかになるはずですが、遺憾ながら裁判所は15年前と同じく、当会からの事態チェックの請求を拒否する姿勢をとり続けているのです。

(3) 絵画等6点は安中市の所有ではなく公社の所有だと看做していること
 高裁の判決文では「また,上記の各認定事実からして,安中市が絵画等6点の所有権を取得したともいえない。」などと何の認定事実なのも明らかにしないまま、絵画等6点は市ではなく公社の持ち物だと示唆しています。これは公社と市は別法人であり別組織であるとする論理を今でもかざしていることが分かります。それだけ、安中市の場合は特別だということが分かります。一体、どんな巨悪が裁判所をこれほどまでに捻じ曲げることができるのか、やはり尋常ではないウラ事情を通関させられます。

■元オウム真理教の幹部だった上祐史浩が設立し代表を務める「ひかりの輪」教団は、今回の平田信容疑者逮捕で、「オウム事件の全容解明のために捜査当局に積極的に協力する」というコメントを出しています。

 当会は、タゴ51億円事件発覚直後から、いろいろな住民からの情報や市役所関係者とみられるかたがたからの告発情報を全て群馬県警捜査2課に通報して、事件の真相解明に協力しました。しかし、その見返りは皆無でした。事件の真相解明と再発防止、責任所在明確化は重要な要素ですが、タゴ事件の場合、これらは3つとも果たされなかったのでした。

■今回、警視庁は平田信用g者の17年近い逃亡の足取りを捜査するには、「一般からの情報提供を広く求める必要がある」と判断し、極めて異例となる逮捕後の容疑者の写真公開をしています。警視庁本部庁舎で警戒していた機動隊員は、出頭しようとした平田容疑者を見て、「手配写真と印象が違う」と感じ、「いたずら」と判断して取り合わなかった経緯もあったため、警視庁は再発防止のため、若い警察官に対して教育方法の見直しまで通達で指示したほどです。

 警視庁は「平田信容疑者の足取りの解明には一般からの情報提供が欠かせない」として、逮捕直後から警察庁とも協議しながら、写真の公開を検討してきた結果、(1)凶悪かつ社会的関心が高いオウム真理教事件の容疑者であり、現在も2人の特別手配容疑者が逃亡している(2)平田容疑者の逃亡に関与した人物がいる可能性がある--ことなどから「写真を公開する公益性が高い」と判断しました。このほかにも、駅の防犯カメラの映像チェックを行ったり、支援者の存在について徹底的に洗い出す方針がうかがえます。

 それにくらべると安中市土地開発公社のタゴ51億円事件は、なんという警察や検察、そして裁判所の対応なのでしょう。同じような反社会的重大事件に対して、こうも対応がことなるとは、通常の人が見れば、とうてい信じられないことでしょう。

 しかし、オウム事件でも、今回のあまりにもタイミングのよすぎる出頭により、松本死刑囚の刑の執行にも影響が及ぶということで、法律的に詳しい支援者や弁護士らの存在がうかがえます。

 しかし、それらの力は警察や検察、裁判所の判断を妨害することはあっても、それを捻じ曲げるほどには至らないでしょう。

 でも、安中市土地開発公社のタゴ51億円事件は、完全に警察や検察、裁判所の判断を最初から、17年後の現在もなお、捻じ曲げ続けているのです。

 当会はこの事件の真相について今後とも粘り強く追及する予定です。

【ひらく会情報部】

参考資料:
◇オウム事件で逃亡中の2容疑者が関与したとされる事件(カッコ内は事件発生時期と容疑名。※は警察庁による特別手配事件)
 ◆高橋克也容疑者(53)=6事件
・水野昇さんVX殺害未遂事件
 (94年12月、殺人未遂容疑)
・浜口忠仁さんVX殺害事件
 (94年12月、殺人容疑)
・永岡弘行さんVX殺害未遂事件
 (95年1月、殺人未遂容疑)
※仮谷清志さん拉致監禁致死事件
 (95年2月、逮捕監禁致死容疑)
※地下鉄サリン事件
 (95年3月、殺人・殺人未遂容疑)
・東京都庁小包爆発物事件
 (95年5月、殺人未遂・爆発物取締罰則違反容疑)
 ◆菊地直子容疑者(40)=2事件
※地下鉄サリン事件
・東京都庁小包爆発物事件
==============
◇死刑判決が確定した教団元幹部
※松本智津夫(56)
 新実智光 (47)
※中川智正 (49)
 林泰男  (54)
 土谷正実 (46)
 遠藤誠一 (51)
 端本悟  (44)
 横山真人 (48)
 豊田亨  (43)
 広瀬健一 (47)
※井上嘉浩 (42)
 岡崎一明 (51)
 早川紀代秀(62)
 (呼称略。※は平田信容疑者が逮捕された仮谷清志さん拉致監禁致死事件に関与)



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