5月に入り、ここのところ佐賀の空気がかすんでいる。遠くの景色はぼんやりとして、靄(もや)がかかったようだ。佐賀だけではなく、北九州はそのようである。
春霞と、のどかな風景と言ってばかりはいられない。
中国大陸から黄砂がやってきたようだ。それも、例年になく強い。そのせいか、晴れていてもどんよりと曇っているみたいで、眩しい直射日光はない。何せ、霞がかかっているのだから。
そんな春霞、いや、黄砂の漂うなか、有田の陶器市に出かけた。
いつも、市が並ぶ上有田駅から有田駅まで一人でぶらぶら歩くのだが、今年は地元有田の友人が同行したので、少し裏通りを歩いた。
まず、市の並ぶ通りから上有田駅の北の泉山にある「大いちょう」へ。
陶器市案内図には、天然記念物で樹齢千年と書いてあるが、大いちょうの表示板には、樹齢400年とある。どちらにしろ、確かに大きい。それに老木という感じはなく、まだまだ成長するのではと思わせるように緑の若葉が茂り、若い。
そこから、「トンバイ塀通り」を歩く。トンバイ塀とは、解体した登り窯のレンガを利用して作った塀で、焼き物の街有田特有のものだろう。赤茶けた不規則なレンガで作った塀が並ぶ。(写真)
塀の中ほどを四角くくり抜いた穴から、顔を出している犬がいた。通る人間を見物しているみたいだ。
そこから、再び市の並ぶ本通りへ戻った。
今年は、例年より観光客が少ないようだ。
今年はぶらぶら散策だけのつもりだが、カエルの焼き物を見つけた。大きなお腹を抱えて上を見ているユーモラスな格好で、磁器ではなく狸の信楽焼のようにごつごつしている。有田焼ではないが、面白いので、草が生い茂る庭にでも置いておこうと、それを買った。隣の店のお姉さんが中国産だと教えてくれた。
ユーモラスなカエルは、バリ島で木彫りを土産に買ったのを思い出した。バリ島のカエルは、槍と傘を持っている2匹で、対になっている。
それから、やはり深川と香蘭社を見る。深川で、昨年割ったマグカップの同品を買い足す。
それに、磁器の風鈴。
本通りの中心地の札の辻を通り過ぎると、少し高段になったところに禅寺、桂雲寺がある。その高段の麓に、「有田陶器市の発祥の地」の標示を見つけた。
明治21年、有田の磁器の商品開発を喚起させる目的で、第1回陶磁器品評会がここ桂雲寺で開催される。その品評会の協賛行事として、当時青年会のリーダーだった深川六助の発案で、大正4年から行われた「一斉大蔵ざらえ」が有田の陶器市の始まりである。
有田では元々小売はしていなくて、せいぜい5月に有田町の背後に聳える黒髪山に登るお遍路さん相手に、商家や窯元の主婦が売れ残りや二級品を並べて小遣い稼ぎをしていた程度だった。それを、陶器市として街ぐるみで行い、それが年毎に人気となって今日に至ったという。
有田の陶器市(4月29日から5月5日まで開催)は、僕の中でも、黄金週間の慣習となっている。
最近は、「見るだけ」をモットーにしているが、それが守られたことがない。
春霞と、のどかな風景と言ってばかりはいられない。
中国大陸から黄砂がやってきたようだ。それも、例年になく強い。そのせいか、晴れていてもどんよりと曇っているみたいで、眩しい直射日光はない。何せ、霞がかかっているのだから。
そんな春霞、いや、黄砂の漂うなか、有田の陶器市に出かけた。
いつも、市が並ぶ上有田駅から有田駅まで一人でぶらぶら歩くのだが、今年は地元有田の友人が同行したので、少し裏通りを歩いた。
まず、市の並ぶ通りから上有田駅の北の泉山にある「大いちょう」へ。
陶器市案内図には、天然記念物で樹齢千年と書いてあるが、大いちょうの表示板には、樹齢400年とある。どちらにしろ、確かに大きい。それに老木という感じはなく、まだまだ成長するのではと思わせるように緑の若葉が茂り、若い。
そこから、「トンバイ塀通り」を歩く。トンバイ塀とは、解体した登り窯のレンガを利用して作った塀で、焼き物の街有田特有のものだろう。赤茶けた不規則なレンガで作った塀が並ぶ。(写真)
塀の中ほどを四角くくり抜いた穴から、顔を出している犬がいた。通る人間を見物しているみたいだ。
そこから、再び市の並ぶ本通りへ戻った。
今年は、例年より観光客が少ないようだ。
今年はぶらぶら散策だけのつもりだが、カエルの焼き物を見つけた。大きなお腹を抱えて上を見ているユーモラスな格好で、磁器ではなく狸の信楽焼のようにごつごつしている。有田焼ではないが、面白いので、草が生い茂る庭にでも置いておこうと、それを買った。隣の店のお姉さんが中国産だと教えてくれた。
ユーモラスなカエルは、バリ島で木彫りを土産に買ったのを思い出した。バリ島のカエルは、槍と傘を持っている2匹で、対になっている。
それから、やはり深川と香蘭社を見る。深川で、昨年割ったマグカップの同品を買い足す。
それに、磁器の風鈴。
本通りの中心地の札の辻を通り過ぎると、少し高段になったところに禅寺、桂雲寺がある。その高段の麓に、「有田陶器市の発祥の地」の標示を見つけた。
明治21年、有田の磁器の商品開発を喚起させる目的で、第1回陶磁器品評会がここ桂雲寺で開催される。その品評会の協賛行事として、当時青年会のリーダーだった深川六助の発案で、大正4年から行われた「一斉大蔵ざらえ」が有田の陶器市の始まりである。
有田では元々小売はしていなくて、せいぜい5月に有田町の背後に聳える黒髪山に登るお遍路さん相手に、商家や窯元の主婦が売れ残りや二級品を並べて小遣い稼ぎをしていた程度だった。それを、陶器市として街ぐるみで行い、それが年毎に人気となって今日に至ったという。
有田の陶器市(4月29日から5月5日まで開催)は、僕の中でも、黄金週間の慣習となっている。
最近は、「見るだけ」をモットーにしているが、それが守られたことがない。
信州も今年は黄砂が酷く
安曇野も大鹿村も、どこへいっても
真っ白でした・・・。
中国大陸や東南アジアの汚染された空気が
黄砂と一緒にやってきているのだそうで、
怖い話です。
co2も増えていて、地球の大気は少しずつ混濁しているようだ。
東京に戻りましたが、梅雨のような日ですね。
まだ青空が見えません。