東京を10月1日の夜行寝台列車「サンライズ瀬戸」で出発し、四国を経て九州へ渡り、10月5日、佐賀に帰り着いた。3年前、昨年に続き、3度目の四国経由の帰郷の旅である。
このことは、後ほど改めて書きたい。長くなるので。
*
佐賀に着いたやいなや、10月の7日から9日までの3日間、長崎のくんちが始まる。その日程に合わせて佐賀に帰り着いた向きもある。
天気予報を見ると、台風24号が九州に急接近している。くんち初日の7日は大丈夫だが、8、9日は台風の影響で雨の予想だ。
長崎くんちを見に行くのは一昨年以来となり、今年で通算4回目となるが、いつもは最後の日の9日に行っていた。しかし、何はともあれ、台風が来る前に、まず7日の初日に行くことにした。
長崎へは、肥前山口から特急で約1時間である。
10月7日、長崎駅には昼近くに着いた。
その日の長崎は、台風が近づいているとは思えない青空で、白い雲が泳いでいた。
駅構内の案内所で、「長崎くんち庭先回りMAP」をもらい、本陣の諏訪神社に向かって歩いた。12時半ぐらいから、神様の「お下り」が行われるというのを聞いたからである。
終日に行われる「お上り」は毎回行ったときに見ているが、「お下り」は初めてである。
「お下り」とは、祭りの初日に、3体の神輿が諏訪神社の本宮から神社の階段を下りていき、祭りの期間中安置される港の近くの「お旅所」まで運行する行事である。
諏訪神社に着くと、すでに見物人が階段を埋めていた。僕も階段の中ほどに陣取った。
宮司や氏子の人たちであろうか、先陣が通った後、13時過ぎに神輿が下りてきた。「お上り」と違って、一気の駆け足ではなくゆっくりと、しっかりとした足取りだ。
神輿が神社の階段を下りて町中に出ると、今年の演し物の参加町である踊町の傘鉾や、各町の様々な衣装を着た老若男女の参加者が待機していて、列をなして続いていく。親に手を引かれた子どもたちも多い。古衣装で着飾った馬に乗った人もいる。
街中を、長い行列が続く。
通常9日に行われる最終日の、この神輿が諏訪神社の石段を一気に駆け上がる「お上り」が、祭りの目玉でもある。
この行列を見ながら歩いて、賑やかな浜市アーケードまで来てしまった。
浜市アーケードは、地方都市の商店街が廃れていくなかで、いまだ活気を保っている市内随一の繁華街だ。
時刻を見ると、ちょうどいいタイミングだ。各踊町の演しものが街を練り歩く「庭先回りスケジュール」によると、今年の目玉である万屋(よろずや)町の「鯨の潮吹き」が、このあたりに来る予定となっている。
「鯨の潮吹き」は、有名な「蛇踊り」が参加しない年に参加する、7年に1度の演し物である。
初めて長崎のくんちを見に来たときに、僕はすぐにこの祭りに魅了され、出くわしたのがこの「鯨の潮吹き」だったから、以後7年に4回の長崎くんち詣でということになる。実際、この長崎くんちは、街中を舞台にしている点でも、最も楽しい祭りの一つだと思う。
毎回、踊町の庭先回りを追いかけているうちに、すっかり長崎の街に詳しくなった。
鯨の潮吹きはまだやって来そうもないので、少し遅くなったが昼食をとることにした。
築町から浜市アーケードに入ったすぐを左に曲がる通りに、トルコライスの店があるのを思い出したので、その店に入った。
そもそも、B級グルメと称する、各地方都市にいつしか出現した意味不明な料理である、長崎のトルコライスや佐賀のシシリアンライスなどを、僕は食べたいとも食べようとも思ったことはなかった。料理名に使った国や地方とは何の縁もゆかりもないネーミングで、これはトルコ風呂(のちにソープランドと改名した)と同じで、使った国に失礼ではないかと思っている。まだわが国に本格的イタリア料理が入ってきていない時期の、スパゲッティ・ナポリタンとは意味合いが違うのである。
しかし急に、ものは試しに、どんな味かと好奇心が動いた。
店のメニューを見ると、トルコライスといっても何種類にも増殖・細分化していた。
そのなかから、トンカツ、カレーライス、マヨネーズかけの千切り生キャベツ、スパゲッティの組み合わせを食べた。カレーでなくハヤシライスもあるが、もっともスタンダードな中身だろう。店の人によると、カレーの部分がドライカレーのものが元々らしい。
いわば、洋食弁当を1皿に盛ったようなものである。食べ終わったあと、口の中に甘ったるい味が残った。
食事を終えて、浜市アーケードに戻ると、万屋町の先頭の案内係が西浜町の橋のたもとに立っていた。本隊は、こちらに向かっているという。
待ちきれずに橋を渡って築町へ行くと、囃子が聞こえ、人だかりのなかに黒い鯨が見えた。「鯨の潮吹き」である。鯨は、大きな縫いぐるみのような愛嬌のある目をしている。時々、頭から潮(水)を噴き上げる。(写真)
「鯨の潮吹き」と一緒に浜市アーケードを歩いた。
鯨の一行が、浜市アーケードからベルナール観光通りに逸れたのを機に、鯨と別れて、「お旅所」のある港へ向かった。
大波止の電停を過ぎたところから屋台が並んでいて、辺りは人の山だ。ここでも、祭りを楽しんでいる人が大勢いる。
「お旅所」の建物の中には、先ほど「お下り」した神輿が鎮座していた。
「お旅所」の先の、長崎港の船着き場に行った。
船着き場は、どこも少しうら哀しい空気が漂っているものだが、ここは立派な近代的な建物で、感傷を呼び起こす雰囲気はない。
五島行きのフェリーの待合所に座って、海を眺めた。
五島といえば、壇一雄が夜の銀座の通りでたまたま知り合った女と、ゆきずりで行った御値賀島を思い出す。
五島にも行きたいなあ。若い時だったら、すぐにでも五島行きの船に乗っただろう。呼子に行ったときに、思わず壱岐行きの船に飛び乗ったように。スペインの地中海に面した南端のアルヘシラスに着いたとき、思わずそこの港からモロッコのタンジール行きの船に乗ったように。
フェリーの船着き場から、出島を通って、新地町の中華街へ行った。夕暮れ時だが、僕にとっては早い夕食だ。
長崎へ来たときは、いつもここでチャンポンを食べる。そして、紹興酒を飲む。最初に食べた江山楼の海鮮具の入った特上チャンポンは、絶妙な味だった。次に来た時も、迷わずその店に行った。
しかし近年は、ほかにも美味しいチャンポンがあるだろうし、いろいろな味を試してみたいと思い、意識的に違う店、初めての店に入るようにしている。
いつものように、チャンポンと餃子と、それに紹興酒を頼んだ。今回食べた店は、ほどほどの味だった。
中華街のチャンポンも、店によって微妙に個性と違いがある。
中華街を出て、思案橋を歩いていると、囃子の音が聴こえてきた。
やって来たのは、丸山町の本踊りの庭先回りだ。三味線に合わせて、店先で踊りを踊るのである。花街の丸山町らしく、踊っているのは芸子さんだという。
丸山町の踊りも見たので、列車の時刻まで思案橋のスナックでビールを飲んで、帰ることにした。
長崎発の最終の博多行きの特急列車が21時30分発である。
ほろ酔いの列車の窓の外は、真っ暗だ。
翌8日のくんちは台風で中止となり、順延となった。台風が来ても、長崎くんちは3日間行われる。
このことは、後ほど改めて書きたい。長くなるので。
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佐賀に着いたやいなや、10月の7日から9日までの3日間、長崎のくんちが始まる。その日程に合わせて佐賀に帰り着いた向きもある。
天気予報を見ると、台風24号が九州に急接近している。くんち初日の7日は大丈夫だが、8、9日は台風の影響で雨の予想だ。
長崎くんちを見に行くのは一昨年以来となり、今年で通算4回目となるが、いつもは最後の日の9日に行っていた。しかし、何はともあれ、台風が来る前に、まず7日の初日に行くことにした。
長崎へは、肥前山口から特急で約1時間である。
10月7日、長崎駅には昼近くに着いた。
その日の長崎は、台風が近づいているとは思えない青空で、白い雲が泳いでいた。
駅構内の案内所で、「長崎くんち庭先回りMAP」をもらい、本陣の諏訪神社に向かって歩いた。12時半ぐらいから、神様の「お下り」が行われるというのを聞いたからである。
終日に行われる「お上り」は毎回行ったときに見ているが、「お下り」は初めてである。
「お下り」とは、祭りの初日に、3体の神輿が諏訪神社の本宮から神社の階段を下りていき、祭りの期間中安置される港の近くの「お旅所」まで運行する行事である。
諏訪神社に着くと、すでに見物人が階段を埋めていた。僕も階段の中ほどに陣取った。
宮司や氏子の人たちであろうか、先陣が通った後、13時過ぎに神輿が下りてきた。「お上り」と違って、一気の駆け足ではなくゆっくりと、しっかりとした足取りだ。
神輿が神社の階段を下りて町中に出ると、今年の演し物の参加町である踊町の傘鉾や、各町の様々な衣装を着た老若男女の参加者が待機していて、列をなして続いていく。親に手を引かれた子どもたちも多い。古衣装で着飾った馬に乗った人もいる。
街中を、長い行列が続く。
通常9日に行われる最終日の、この神輿が諏訪神社の石段を一気に駆け上がる「お上り」が、祭りの目玉でもある。
この行列を見ながら歩いて、賑やかな浜市アーケードまで来てしまった。
浜市アーケードは、地方都市の商店街が廃れていくなかで、いまだ活気を保っている市内随一の繁華街だ。
時刻を見ると、ちょうどいいタイミングだ。各踊町の演しものが街を練り歩く「庭先回りスケジュール」によると、今年の目玉である万屋(よろずや)町の「鯨の潮吹き」が、このあたりに来る予定となっている。
「鯨の潮吹き」は、有名な「蛇踊り」が参加しない年に参加する、7年に1度の演し物である。
初めて長崎のくんちを見に来たときに、僕はすぐにこの祭りに魅了され、出くわしたのがこの「鯨の潮吹き」だったから、以後7年に4回の長崎くんち詣でということになる。実際、この長崎くんちは、街中を舞台にしている点でも、最も楽しい祭りの一つだと思う。
毎回、踊町の庭先回りを追いかけているうちに、すっかり長崎の街に詳しくなった。
鯨の潮吹きはまだやって来そうもないので、少し遅くなったが昼食をとることにした。
築町から浜市アーケードに入ったすぐを左に曲がる通りに、トルコライスの店があるのを思い出したので、その店に入った。
そもそも、B級グルメと称する、各地方都市にいつしか出現した意味不明な料理である、長崎のトルコライスや佐賀のシシリアンライスなどを、僕は食べたいとも食べようとも思ったことはなかった。料理名に使った国や地方とは何の縁もゆかりもないネーミングで、これはトルコ風呂(のちにソープランドと改名した)と同じで、使った国に失礼ではないかと思っている。まだわが国に本格的イタリア料理が入ってきていない時期の、スパゲッティ・ナポリタンとは意味合いが違うのである。
しかし急に、ものは試しに、どんな味かと好奇心が動いた。
店のメニューを見ると、トルコライスといっても何種類にも増殖・細分化していた。
そのなかから、トンカツ、カレーライス、マヨネーズかけの千切り生キャベツ、スパゲッティの組み合わせを食べた。カレーでなくハヤシライスもあるが、もっともスタンダードな中身だろう。店の人によると、カレーの部分がドライカレーのものが元々らしい。
いわば、洋食弁当を1皿に盛ったようなものである。食べ終わったあと、口の中に甘ったるい味が残った。
食事を終えて、浜市アーケードに戻ると、万屋町の先頭の案内係が西浜町の橋のたもとに立っていた。本隊は、こちらに向かっているという。
待ちきれずに橋を渡って築町へ行くと、囃子が聞こえ、人だかりのなかに黒い鯨が見えた。「鯨の潮吹き」である。鯨は、大きな縫いぐるみのような愛嬌のある目をしている。時々、頭から潮(水)を噴き上げる。(写真)
「鯨の潮吹き」と一緒に浜市アーケードを歩いた。
鯨の一行が、浜市アーケードからベルナール観光通りに逸れたのを機に、鯨と別れて、「お旅所」のある港へ向かった。
大波止の電停を過ぎたところから屋台が並んでいて、辺りは人の山だ。ここでも、祭りを楽しんでいる人が大勢いる。
「お旅所」の建物の中には、先ほど「お下り」した神輿が鎮座していた。
「お旅所」の先の、長崎港の船着き場に行った。
船着き場は、どこも少しうら哀しい空気が漂っているものだが、ここは立派な近代的な建物で、感傷を呼び起こす雰囲気はない。
五島行きのフェリーの待合所に座って、海を眺めた。
五島といえば、壇一雄が夜の銀座の通りでたまたま知り合った女と、ゆきずりで行った御値賀島を思い出す。
五島にも行きたいなあ。若い時だったら、すぐにでも五島行きの船に乗っただろう。呼子に行ったときに、思わず壱岐行きの船に飛び乗ったように。スペインの地中海に面した南端のアルヘシラスに着いたとき、思わずそこの港からモロッコのタンジール行きの船に乗ったように。
フェリーの船着き場から、出島を通って、新地町の中華街へ行った。夕暮れ時だが、僕にとっては早い夕食だ。
長崎へ来たときは、いつもここでチャンポンを食べる。そして、紹興酒を飲む。最初に食べた江山楼の海鮮具の入った特上チャンポンは、絶妙な味だった。次に来た時も、迷わずその店に行った。
しかし近年は、ほかにも美味しいチャンポンがあるだろうし、いろいろな味を試してみたいと思い、意識的に違う店、初めての店に入るようにしている。
いつものように、チャンポンと餃子と、それに紹興酒を頼んだ。今回食べた店は、ほどほどの味だった。
中華街のチャンポンも、店によって微妙に個性と違いがある。
中華街を出て、思案橋を歩いていると、囃子の音が聴こえてきた。
やって来たのは、丸山町の本踊りの庭先回りだ。三味線に合わせて、店先で踊りを踊るのである。花街の丸山町らしく、踊っているのは芸子さんだという。
丸山町の踊りも見たので、列車の時刻まで思案橋のスナックでビールを飲んで、帰ることにした。
長崎発の最終の博多行きの特急列車が21時30分発である。
ほろ酔いの列車の窓の外は、真っ暗だ。
翌8日のくんちは台風で中止となり、順延となった。台風が来ても、長崎くんちは3日間行われる。
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