かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

上海への旅⑮ 再び上海へ

2010-01-04 19:57:28 | * 上海への旅
 列車の旅は、どこの国でも楽しい。
 座席指定の特急より、様々な人たちが乗ってくる各駅停車の方が、車窓に加えて人をも楽しめるので面白い。
 中国では、偶然だが様々な列車に乗った。
 福岡から上海に着いた日、10月15日は、空港から上海都心の地下鉄駅まで磁浮、つまりリニアモーターカーに乗った。初めての体験で、現在世界で一番速い列車(広義の)だ。
 上海から杭州への列車は、買った切符が気がつけば「和諧号」という一等座の、いわゆる新幹線特急であった。
 杭州から蘇州へのそれは、硬座特快とあった。杭州発で翌朝天津着の、いわゆる深夜特急(急行)であったろうか。
 そして、この日、10月21日15時54分、蘇州発上海行きは、天座の硬座快速である。快速とあるが、長距離の自由席各駅停車のようであった。
 僕はどの列車にするかは、時刻表一覧を見て、発車時刻で決めていたので、それが新幹線なのか各駅停車なのか分からなかった。窓口で手渡された切符を見れば、その列車についての情報は書いてあるのだが、最初は理解していなかった。だから、駅のホームに行ってその列車を見て、初めてその列車が何たるかを知るのだった。
 ワインのラベルにそのワインについての情報(葡萄産地や生産年度や階級等)が記載されているのだが、それを理解していないと読みとることができないのと同じである。

 *

 僕の切符には、乗る列車は「K187次」号で、座席記載のところには3号車とだけ書いてあり、天座なので自由席のようだ。
 3号車の車両の中に入ると、左右2人席の向かい合わせで、もう大分席は埋まっていた。
 賑やかなグループの中の、空いている席があるので座ろうとすると、やんちゃそうな男がもっと奥へ行けと目で合図する。小学生から20歳ぐらいまでの、年齢に幅のある兄弟姉妹のようだ。ここは私たちのグループの席だといわんばかりだが、後から客が来ているのですぐに埋まるだろう。
 座った僕の前は、スーツ姿の見るからに新米サラリーマンの2人組である。いつもぼそぼそと2人で話しているとも呟いているともいえる、お喋りをしている。僕の横には若いカップルの女性が座り、男は健気に立っている。周りを見ると、もう席はいっぱいで、若い人が多く、そのうち立っている人も出てきた。
 やはり、蘇州~上海、15元という、安い天座は混むようだ。

 上海駅にはあっけなく着いた。
 駅の郊外に出て、上海駅を仰ぎ見た。
 駅中央には、高々と大きく電光掲示板で、列車の発着時刻が流されているのだった。
 その下に、「熱烈慶祝中華人民共和国成立60周年」と書いた赤い垂れ幕が張られていて、この国がいまだ社会主義国を継続しているということを思い起こさせた。(写真)
 1949年、毛沢東、周恩来等によって社会主義国が建国されてはや60年が経ったのだ。今では、社会主義を標榜している主な国は、中国とキューバぐらいか。
 ところが、この国を歩き回っていて、それを意識させられたことがない。自由主義に育った僕は、それを感じとりたいと思ったのだが、いまだどこにもその残存を見出せないのだ。おそらく組織の奥深くにしまってあるのだろう。
 上海の豫園に行く途中の家で、玄関口に2人の男性の対になった、少し古くなった写真が投げかけてあった。それは、家の床の間とか上座のどこかに御真影のごとく飾られていたものだろう。
 片方は毛沢東とすぐに分かり、もう一方は若い男性だった。僕が不思議そうに、そして懐かしいものに出合ったようにその写真を眺めていると、家の男が、華国鋒だよと言った。
 そうだった、毛沢東の死後、彼が党主席の時代があったと思い出した。すぐに実権は小平に移ったが。

 火車(列車)の上海駅から、地下鉄に乗り換えて、再び那宅青年旅舎に行こうと地下鉄の駅を探したが見つからない。歩いているスーツ姿のビジネスマン風の男に訊いたら、地下鉄の駅ですか、と日本語が戻ってきた。外見だけでは、日本人か中国人か分からない。
 彼は辺りを見回ししばらく考えていたが、こちらですから僕についてきてくださいと言って歩き出した。僕が、仕事ですかと言うと、彼は、ええ、こちらにある日本の製造会社に勤めていて、南京から戻ってきたところですと答えた。
 地下鉄の文字が見えたところで、ここから先は分かりますからと、礼を言って別れた。中国で活動している日本のビジネスマンの姿を、僕は頼りげに思った。

 *

 地下鉄4号線の大連路駅で降りて旅舎に向かった。外はすっかり暗くなっていた。歩いていくと、ビルの向こうに三日月が見えた。僕は、久しぶりの月にしばらく見とれていた。上海の空はくっきりしていないので、今まで星はおろか月すらも見なかった。
 旅舎に着いたら荷物を置いて、食事をしに外へ出た。まっすぐ例の西安食堂へ行った。3日ぶりだ。僕が店に顔を出すと、ほっぺを膨らませた笑顔が返ってきた。主人も奥さんも顔を出して、また来たねという顔をした。
 テーブルに座ると、また相変わらずメニューとにらめっこだ。
 麻婆豆腐。昨日蘇州の食堂で食べた味が忘れられなかったので、今日もまずそれを注文した。6元。
 蒜苗肉絲。ニンニクの茎と肉の細切り炒め、10元。
 西紅柿炒蚕。トマトと卵のスクランブル、7元。珍しい柿を使った料理かと思って訊いたら、西紅柿はトマトだった。
 睥(似字)酒。三徳利(サントリー)ビール、4元。
 ご飯、1膳(杯)。
 勘定を訊いたら、店のほっぺのふっくらとした女性が27元と言う。僕がご飯の料金が入っていないというと、彼女はいいの、いいのと言った。本当に、この店の人は親切だ。金儲けをしているとは思えない料金なのに。
 僕は、バッグに忍ばせておいた板チョコを渡して、店を出た。

 *

 帰りに、旅舎のすぐ近くの足浴屋に入った。
 先の17日に全身マッサージをやってもらった店だ。今日は、足浴だと言ったら、 愛想のいい主人は、1階の4席ある席の中で、空いている奥の席に僕を案内した。そして、1人の女性に君が担当だという指示を出した。
 この前僕に全身マッサージした感じのいい女性は、すでに僕の隣りの男の脚をマッサージしている。僕と視線が合うと、秘密を分かち合うかのように目で微笑んだ。
 長い縦長のソファのような席に座ると、まず、お茶が出される。それを飲み終えたら、体1つが収まる程度の長いソファのような席(ベッド)に横になって、脚を伸ばす。
 係りの女性がお湯を張ったタライを持ってきて、足を丹念に洗いほぐす。そして、指の1本1本を摘まんで、揉んで、引っ張る。
 僕の横の、客の中年男はおしゃべりだ。常連客のようで、ずっと喋っている。それも、僕の係りの女と喋っている。僕は中国語を喋れるわけではないので、まあいいやと黙って脚を放り出して、足だけがなされるままになっている。
 係りの女性が何か僕に言った。すると、隣りの男は僕に日本語で言った。オイルを塗るかどうか、どうしますか?と。僕は、料金はどうなります?と訊くと、料金は高くなりますと言うので、それではオイルは要らない通常の料金でいいですと答えた。
 あまりに流暢な日本語だったので僕は男に、あなたは日本人ですかと訊いた。彼は、中国人ですが、長い間日本の企業に働いていたと答えた。
 彼はお喋りだったので、僕が頼まないのにすべて通訳をしてくれた。おかげで助かった。男はのべつ幕なし店の女性に中国語で喋り続けていて、時々僕に日本語で喋ったので、絶え間なく喋っていた。
 足先が終わると、脚部のマッサージが行われた。
 足の指先から大腿部まで、いわゆる足・脚全体のマッサージを1時間かけてやってくれるから、贅沢な大名気分である。
 これで20元とは安い。上海の中心部ではこんな値段ではないだろうが。

 通りの角の果物屋のお兄さんから、葡萄とミカンを買った。そして、大きなザボンを買った。長崎のザボンは買ったことがあるが、これはそれより大きい。
 それに、珍しくマンゴスチンがある。こんなところで見つけることができるとは。すぐに1個買った。
 マンゴスチンは、葡萄色の硬い円い皮で覆われた東南アジアの果実である。硬い皮の中には、ミカンのようにいくつかに分かれた、プリンプリンとした白いレイシのような実が入っている。果肉は、スイーツ菓子のようで甘くジューシーだ。
 バリ島で食べて以来、熱帯の果実では僕の中ではナンバーワンと思えるものだ。実際、果実の女王と呼ばれている。
 ちなみに、果実の王はドリアンということだ。
 今日の屋台の果物屋は、珍しい果物が並んでいた。

 旅舎の部屋は、2階の一番奥の部屋に変わった。蘇州の旅舎と違ってトイレもシャワーもあり、前よりきれいだ。

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