*個性豊かな、世界の人形劇
人形といえば、子どものころ絵本で見た(読んだ)「ピノキオ」を思い出す。
木でできた人形のピノキオは人間のように動き、わんぱくで悪戯もする。嘘をつくとアレアレッと鼻が伸びる。そして、海の鯨(原作では大きなサメ)に飲み込まれたりする。
人形劇といえば、インドネシアのバリ島で観た「ワヤン」が印象深い。ワヤンはワヤン・クリとも呼ばれる人形による影絵芝居である。
ワヤンは、ガムラン音楽の流れととともに、ダランと呼ばれる一人の人形遣いが、語り、歌をうたい、時に効果音を出すなどしながら、いくつもの人形を操る。
ガムラン音楽は、鉄琴のような青銅(鉄)製の鍵盤打楽器や銅鑼による合奏のインドネシアの民族音楽である。一回聴いただけで脳裏に残る他に類を見ないリズム、音楽だ。
旅で訪れたバリ島のウブドの村はずれで、日も暮れた夜に、灯りに照らされた幕(スクリーン)に影による人形芝居が映し出された。ワヤンは、南国の夜空の下に揺らめく、いかにも幻想的な体験だった。
個性的なのが、ベトナムの「水上人形劇」である。
舞台はため池などの濁った水の上で、というか水の中で、人形劇が行われるのだ。
水の中の簾(すだれ)で隠された舞台裏にいる人形操者が水に腰まで浸かって、歌と楽器の演奏に合わせて人形を操る。人形は長い竿の先に取り付けられ、糸によって頭や腕を動かすようになっている。
実際に見たことはなく映像で見たのだが、初めて水上人形劇を見たときはその着想に驚くような感動を覚えた。水の上が舞台なのだ。水の上を様々な人形が素早く動きまわり、水飛沫が跳ねる。これを見るだけのためにも、ベトナムに行きたいと思った。
こうしたアジアのユニークな人形劇に対して、ヨーロッパはどうであろうか。
思い浮かぶのは、フランスのリヨンを中心に行われていた「ギニョール」である。ギニョールは、絹の集散地として賑わっていたリヨンに持ち込まれた、イタリアの指人形劇から始まった人形劇である。
子どもに人気のユーモラスな動きの勧善懲悪劇で、何だか懐かしい動く紙芝居を思わせる人形劇である。
そして、日本の人形劇といえば、「人形浄瑠璃文楽」である。
「人形浄瑠璃」とは、三味線を伴奏に使い、太夫が語る旋律によって物語を進めていく浄瑠璃と人形によって展開される人形劇である。
ことの初めは、江戸時代、竹本義太夫が古浄瑠璃を独自に発展させた義太夫節と人形劇で、大阪・道頓堀にて竹本座を興し公演・興行をしたこととされる。元禄期に、その竹本座で上演された近松門左衛門作の「曽根崎心中」などを生んで、人気になった。
その後、人形浄瑠璃は徳島や淡路から全国に伝わり、日本の伝統文化となった。しかし、大正時代以降、いくつかあった公演団体のなかで一定規模以上の団体が文楽座のみになる。それゆえ、「文楽」が人形浄瑠璃と同義に用いられるようになった。
*初めての文楽体験は、「ひらかな盛衰記」
日本の伝統芸能である「能」や「狂言」、「歌舞伎」を観たことはあるが、「人形浄瑠璃文楽」は観たことはなかった。
たまたま観る機会が生じて、こんなときでないと観ることはないと思い出かけた。
5月9日、東京都北千住の「シアター1010」に出向いた。
「豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露」と告知が出ていたが、2部制の午前開演のAプロには豊竹義太夫は出演していたが、私が観た午後のBプロ(午後4時開演)の部の「ひらかな盛衰記」では、豊竹義太夫の名はなかった。
外題の「ひらかな盛衰記」の、「盛衰記」とは「源平盛衰記」のことで、源義仲が滅亡する粟津の戦いから一ノ谷合戦までの間の「平家物語」の世界を描いたものである。
人形浄瑠璃は、古くは能・狂言や歌舞伎がそうであったように、男性だけで演じられる。
正面の舞台に、人形が並びその背後に人形遣いがいる。一つの人形につき人形の主遣いが1人、補助役の黒衣が2人付いている。黒衣の黒子は頭巾をかぶり全身真っ黒の影の存在だが、主遣いは紋付・袴で顔もちゃんと出している。
舞台に向かって右(上手)に張り出した床があり、そこに語りの太夫と三味線の弾きが座っている。
私は人形浄瑠璃の主役は人形であるから、人形遣いを義太夫と称するのだと思っていた。ところが、主役は語り・謡い手であり、その人が義太夫であった。そんな基礎知識もない、人形浄瑠璃、文楽愛好家から見れば呆れるような初体験であった。
※かつて日本語を話す外人タレントの走りであろうか、大阪弁をこなすイーデス・ハンソンという美人で賢い女性がテレビ、雑誌等で多彩に活動していた。その女性が人形浄瑠璃の吉田小玉という人形遣いの人と結婚するという報道を聞いて、日本の異国情緒に惹かれたのかなあと当時思った。そのこともあって、人形遣いが人形浄瑠璃の主役で花形だと私は思ったのだろう。E・ハンソンは2年ほどで離婚したが。
先日、1970年の大阪万博のアーカイブ映像に、そのイーデス・ハンソンがチラッと映し出された。たまたまそれを見て、来年に迫った2度目の大阪万博と違って、E・ハンソンのいた前の大阪万博の頃は、夢のあるいい時代だったなぁと思いだしたのだった。
*
日本の人形浄瑠璃は、やはり日本独特の伝統芸能である。
人形の動きは、派手でも活発でもない。語りに従って動く。どちらかというと微妙な動きに重きを置いている。それゆえか、どうしても、語り・謡いが主となる。
いや、日本の伝統芸能は、おしなべてその全体を支えているのは話・物語である。であるから、物語のあらすじを知っていないと、楽しみは半減する。
今回は、舞台の上の方に語りの台詞が字幕として出るので、初見の者はそれを追うことになる。日本人でも人形浄瑠璃に馴染みのない人は、字幕を見ないとストーリーを把握しづらい。
これは、能もそうだが、初めて見る外国人の観光客に浸透させるのは難しいだろうと思った。
イーデス・ハンソンは長く近松門左衛門の大阪の空気を吸っていて、大阪が好きだったし、日本の伝統ジャポニズムに惹かれた奇特な外国人なのである。
日本人の私ではあるが、日本の伝統芸能である人形浄瑠璃文楽を楽しめるようになるのは難しいな、としみじみ感じ入った。
人形といえば、子どものころ絵本で見た(読んだ)「ピノキオ」を思い出す。
木でできた人形のピノキオは人間のように動き、わんぱくで悪戯もする。嘘をつくとアレアレッと鼻が伸びる。そして、海の鯨(原作では大きなサメ)に飲み込まれたりする。
人形劇といえば、インドネシアのバリ島で観た「ワヤン」が印象深い。ワヤンはワヤン・クリとも呼ばれる人形による影絵芝居である。
ワヤンは、ガムラン音楽の流れととともに、ダランと呼ばれる一人の人形遣いが、語り、歌をうたい、時に効果音を出すなどしながら、いくつもの人形を操る。
ガムラン音楽は、鉄琴のような青銅(鉄)製の鍵盤打楽器や銅鑼による合奏のインドネシアの民族音楽である。一回聴いただけで脳裏に残る他に類を見ないリズム、音楽だ。
旅で訪れたバリ島のウブドの村はずれで、日も暮れた夜に、灯りに照らされた幕(スクリーン)に影による人形芝居が映し出された。ワヤンは、南国の夜空の下に揺らめく、いかにも幻想的な体験だった。
個性的なのが、ベトナムの「水上人形劇」である。
舞台はため池などの濁った水の上で、というか水の中で、人形劇が行われるのだ。
水の中の簾(すだれ)で隠された舞台裏にいる人形操者が水に腰まで浸かって、歌と楽器の演奏に合わせて人形を操る。人形は長い竿の先に取り付けられ、糸によって頭や腕を動かすようになっている。
実際に見たことはなく映像で見たのだが、初めて水上人形劇を見たときはその着想に驚くような感動を覚えた。水の上が舞台なのだ。水の上を様々な人形が素早く動きまわり、水飛沫が跳ねる。これを見るだけのためにも、ベトナムに行きたいと思った。
こうしたアジアのユニークな人形劇に対して、ヨーロッパはどうであろうか。
思い浮かぶのは、フランスのリヨンを中心に行われていた「ギニョール」である。ギニョールは、絹の集散地として賑わっていたリヨンに持ち込まれた、イタリアの指人形劇から始まった人形劇である。
子どもに人気のユーモラスな動きの勧善懲悪劇で、何だか懐かしい動く紙芝居を思わせる人形劇である。
そして、日本の人形劇といえば、「人形浄瑠璃文楽」である。
「人形浄瑠璃」とは、三味線を伴奏に使い、太夫が語る旋律によって物語を進めていく浄瑠璃と人形によって展開される人形劇である。
ことの初めは、江戸時代、竹本義太夫が古浄瑠璃を独自に発展させた義太夫節と人形劇で、大阪・道頓堀にて竹本座を興し公演・興行をしたこととされる。元禄期に、その竹本座で上演された近松門左衛門作の「曽根崎心中」などを生んで、人気になった。
その後、人形浄瑠璃は徳島や淡路から全国に伝わり、日本の伝統文化となった。しかし、大正時代以降、いくつかあった公演団体のなかで一定規模以上の団体が文楽座のみになる。それゆえ、「文楽」が人形浄瑠璃と同義に用いられるようになった。
*初めての文楽体験は、「ひらかな盛衰記」
日本の伝統芸能である「能」や「狂言」、「歌舞伎」を観たことはあるが、「人形浄瑠璃文楽」は観たことはなかった。
たまたま観る機会が生じて、こんなときでないと観ることはないと思い出かけた。
5月9日、東京都北千住の「シアター1010」に出向いた。
「豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露」と告知が出ていたが、2部制の午前開演のAプロには豊竹義太夫は出演していたが、私が観た午後のBプロ(午後4時開演)の部の「ひらかな盛衰記」では、豊竹義太夫の名はなかった。
外題の「ひらかな盛衰記」の、「盛衰記」とは「源平盛衰記」のことで、源義仲が滅亡する粟津の戦いから一ノ谷合戦までの間の「平家物語」の世界を描いたものである。
人形浄瑠璃は、古くは能・狂言や歌舞伎がそうであったように、男性だけで演じられる。
正面の舞台に、人形が並びその背後に人形遣いがいる。一つの人形につき人形の主遣いが1人、補助役の黒衣が2人付いている。黒衣の黒子は頭巾をかぶり全身真っ黒の影の存在だが、主遣いは紋付・袴で顔もちゃんと出している。
舞台に向かって右(上手)に張り出した床があり、そこに語りの太夫と三味線の弾きが座っている。
私は人形浄瑠璃の主役は人形であるから、人形遣いを義太夫と称するのだと思っていた。ところが、主役は語り・謡い手であり、その人が義太夫であった。そんな基礎知識もない、人形浄瑠璃、文楽愛好家から見れば呆れるような初体験であった。
※かつて日本語を話す外人タレントの走りであろうか、大阪弁をこなすイーデス・ハンソンという美人で賢い女性がテレビ、雑誌等で多彩に活動していた。その女性が人形浄瑠璃の吉田小玉という人形遣いの人と結婚するという報道を聞いて、日本の異国情緒に惹かれたのかなあと当時思った。そのこともあって、人形遣いが人形浄瑠璃の主役で花形だと私は思ったのだろう。E・ハンソンは2年ほどで離婚したが。
先日、1970年の大阪万博のアーカイブ映像に、そのイーデス・ハンソンがチラッと映し出された。たまたまそれを見て、来年に迫った2度目の大阪万博と違って、E・ハンソンのいた前の大阪万博の頃は、夢のあるいい時代だったなぁと思いだしたのだった。
*
日本の人形浄瑠璃は、やはり日本独特の伝統芸能である。
人形の動きは、派手でも活発でもない。語りに従って動く。どちらかというと微妙な動きに重きを置いている。それゆえか、どうしても、語り・謡いが主となる。
いや、日本の伝統芸能は、おしなべてその全体を支えているのは話・物語である。であるから、物語のあらすじを知っていないと、楽しみは半減する。
今回は、舞台の上の方に語りの台詞が字幕として出るので、初見の者はそれを追うことになる。日本人でも人形浄瑠璃に馴染みのない人は、字幕を見ないとストーリーを把握しづらい。
これは、能もそうだが、初めて見る外国人の観光客に浸透させるのは難しいだろうと思った。
イーデス・ハンソンは長く近松門左衛門の大阪の空気を吸っていて、大阪が好きだったし、日本の伝統ジャポニズムに惹かれた奇特な外国人なのである。
日本人の私ではあるが、日本の伝統芸能である人形浄瑠璃文楽を楽しめるようになるのは難しいな、としみじみ感じ入った。
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