君がみ胸に、抱かれて聞くは
夢の船唄、鳥の歌…
1931(昭和6)年、満州事変が起こり、日本兵は中国東北部の満州地方に進出する。東京では、浅草にオペラ座、新宿にムーランルージュが開場した年でもある。まだ、庶民の楽しみは息づいていた。
翌1932年に中国東北部に満州国が建国されるや、一気に日本人の目は大陸に向くことになる。そして、日本は満州国という夢を抱きながら、暗い戦争の時代へと突入していく。
1937(昭和12)年には、廬溝橋事件より日中戦争が始まり、日本と中国の間は抜き差しならないものとなっていく。
一方、満州国では、満州映画協会により主に国策映画を中心に映画制作を行っていた。この満映より、38年デビューした女優の李香蘭は、エキゾチックなルックスも相まって、満州の中国でも日本でも大人気となっていた。彼女は中国人ということになっていたが、日本人であった。
1940(昭和15)年、李香蘭と日本で人気の長谷川一夫との共演映画「支那の夜」の劇中歌として発表されたのが、「蘇州夜曲」(西條八十作詞、服部良一作曲)である。
李香蘭の歌唱を前提に作られたが、当時は作曲家のレコード会社の歌手がレコード吹き込みすることになっていたので、渡辺はま子・霧島昇歌唱でコロムビアからレコード発売された。
戦後の1953(昭和28)年には、李香蘭こと山口淑子によるレコードが、彼女の主演の映画「抱擁」の主題歌として発売されている。
*
先日、近くの駅構内のCDレコード店が店仕舞いのため安売りをやっていたので覗いてみたら、偶然にも当時の「蘇州夜曲」の入っているCDを見つけた。コロムビア発売の、「懐かしの歌声」(上)の中の1曲で、幸運にも李香蘭の「夜来春」も入っている。こちらは中国語で歌っているオリジナルである。
「蘇州夜曲」は、渡辺はま子と霧島昇のデュエットの、ノスタルジックな曲である。
「君がみ胸に 抱かれて聞くは…」と、千切れるような渡辺はま子の歌声で始まる歌は、「夢の船唄 鳥の歌」と続いていく。
蘇州はやはり、庭園というよりは水の街なのだ。街に網の目のように流れる堀割の沿道には、柳が植えられている。街に流れる歌は、船唄である。
そして歌は、「水の蘇州の 花散る春を 惜しむか 柳がすすり泣く」と結ぶのである。
今のように自動車による交通が発達していない時代には、蘇州もヴェネツィアのように堀には船が活発に走っていたに違いない。
この歌は、メロディーもせせらぎの水ように流れるが、心をとらえるのは何といっても出だしの「君がみ胸に」の言葉だろう。
「君がみ胸に…」という呟きのような言葉が、いきなり入ってきて、急に胸を揺らすのである。
古代から繋がる恋歌のような、あるいは雅な相聞歌のような言い回しは、すぐさま「…抱かれて聞くは」と繋がれる。優美な出だしから一転、その大胆とも思われる表現は、ためらいや抵抗を抱くいとまも与えないで、聴く者の耳から胸に入っていく。あたかも、聴いているあなたも同犯者でしょうというように、たちどころに入って来て、知らぬ素振りで心を揺らすのだ。
「君がみ胸に、抱かれて聞くは」とは、冷静に考えれば決して優雅とはいえない表現であり、内容である。それなのに、そう思わせないのは、「君がみ胸に」という接頭の言葉である。
「み胸」は、もはや日常では使わない、どこか遠く古い都に埋もれた言葉である。
確かに、例えば、「君が胸に」「君の胸に」では、いっぺんに現実的となる。
曲が最初、「君がみ胸に…」と流れると、歌っているのが渡辺はま子なので、女性が主体だろうと思う。しかし、すぐに、相手のことを「君」と言っているから抱かれているのは男性かと迷わせる。しかし、また歌っているのはか細い柳のような声の女性であるので、やはり抱かれているのは女性だと思い、安心する。
この歌の主体は男なのか女なのか惑わせる。
もともと李香蘭のための歌だったのなら、女性が主体なはずだ。それなのに、なぜあえて「君」と言ったのだろう。なぜ、「あなたの胸に」としなかったのだろう。
この歌が歌われた昭和15年頃が古い時代とは思わないが、蘇州の街が古い都を連想させるので、作詞家の西條八十は一昔前の優美な言い回しを使ったのに違いない。 「あなた」ではなくて「君」に、助詞は「の」ではなくて「が」に。
字合わせとして「み胸」と使ったとしても、「君がみ胸に」と繋がる「抱かれて聞くは」という言葉は、奇妙な感情を発生、孕ませたまま、胸に残る言葉となっている。
出だしのこの言葉によって、この「蘇州夜曲」は、歌謡史上に残る歌になったと言っていい。
2番の「花をうかべて 流れる水の…」と歌うのは、男性の霧島昇である。男性が歌っても、女性が歌ってもいい内容である。
そして、3番の歌詞である「髪にかざろか 接吻(くちづけ)しよか 君が手折りし、桃の花…」は、渡辺はま子が歌っているが、明らかに男性の言葉、台詞である。
つまり、ここでは、男性の心を女性が歌っていることになる。だとすると、やはり1番の「君がみ胸」も、男性の台詞と考えてもいい。
いや、この歌は、デュエットで歌っても、女性だけが歌っても、男性の歌なのだ。
現在では、「君」は男性が同等もしくは年下の者に使うことが多い。
しかし、もともと「君」は位の高い人に使った。上代では女性が、男性に対し敬愛を込めて言ったし、万葉集などで、「…君が袖振る」などのように、多く歌われている。
近代になると詩歌で、「君」はしばしば女性に対するほのかな敬語として使われている。島崎藤村は「君がさやけき目の色も…」とか、「…君が情けに汲みしかな」などと、頻繁に「君」を詠っている。
この「蘇州夜曲」でも、「君」が女性への敬愛の対象表現として使われているのだ、と思う。
「蘇州夜曲」は、現在でもカバー曲として数多くの歌手・アーチストが歌っている。やはり、その多くが女性によるものだ。
李香蘭の面影が、どこか漂う歌なのである。
夢の船唄、鳥の歌…
1931(昭和6)年、満州事変が起こり、日本兵は中国東北部の満州地方に進出する。東京では、浅草にオペラ座、新宿にムーランルージュが開場した年でもある。まだ、庶民の楽しみは息づいていた。
翌1932年に中国東北部に満州国が建国されるや、一気に日本人の目は大陸に向くことになる。そして、日本は満州国という夢を抱きながら、暗い戦争の時代へと突入していく。
1937(昭和12)年には、廬溝橋事件より日中戦争が始まり、日本と中国の間は抜き差しならないものとなっていく。
一方、満州国では、満州映画協会により主に国策映画を中心に映画制作を行っていた。この満映より、38年デビューした女優の李香蘭は、エキゾチックなルックスも相まって、満州の中国でも日本でも大人気となっていた。彼女は中国人ということになっていたが、日本人であった。
1940(昭和15)年、李香蘭と日本で人気の長谷川一夫との共演映画「支那の夜」の劇中歌として発表されたのが、「蘇州夜曲」(西條八十作詞、服部良一作曲)である。
李香蘭の歌唱を前提に作られたが、当時は作曲家のレコード会社の歌手がレコード吹き込みすることになっていたので、渡辺はま子・霧島昇歌唱でコロムビアからレコード発売された。
戦後の1953(昭和28)年には、李香蘭こと山口淑子によるレコードが、彼女の主演の映画「抱擁」の主題歌として発売されている。
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先日、近くの駅構内のCDレコード店が店仕舞いのため安売りをやっていたので覗いてみたら、偶然にも当時の「蘇州夜曲」の入っているCDを見つけた。コロムビア発売の、「懐かしの歌声」(上)の中の1曲で、幸運にも李香蘭の「夜来春」も入っている。こちらは中国語で歌っているオリジナルである。
「蘇州夜曲」は、渡辺はま子と霧島昇のデュエットの、ノスタルジックな曲である。
「君がみ胸に 抱かれて聞くは…」と、千切れるような渡辺はま子の歌声で始まる歌は、「夢の船唄 鳥の歌」と続いていく。
蘇州はやはり、庭園というよりは水の街なのだ。街に網の目のように流れる堀割の沿道には、柳が植えられている。街に流れる歌は、船唄である。
そして歌は、「水の蘇州の 花散る春を 惜しむか 柳がすすり泣く」と結ぶのである。
今のように自動車による交通が発達していない時代には、蘇州もヴェネツィアのように堀には船が活発に走っていたに違いない。
この歌は、メロディーもせせらぎの水ように流れるが、心をとらえるのは何といっても出だしの「君がみ胸に」の言葉だろう。
「君がみ胸に…」という呟きのような言葉が、いきなり入ってきて、急に胸を揺らすのである。
古代から繋がる恋歌のような、あるいは雅な相聞歌のような言い回しは、すぐさま「…抱かれて聞くは」と繋がれる。優美な出だしから一転、その大胆とも思われる表現は、ためらいや抵抗を抱くいとまも与えないで、聴く者の耳から胸に入っていく。あたかも、聴いているあなたも同犯者でしょうというように、たちどころに入って来て、知らぬ素振りで心を揺らすのだ。
「君がみ胸に、抱かれて聞くは」とは、冷静に考えれば決して優雅とはいえない表現であり、内容である。それなのに、そう思わせないのは、「君がみ胸に」という接頭の言葉である。
「み胸」は、もはや日常では使わない、どこか遠く古い都に埋もれた言葉である。
確かに、例えば、「君が胸に」「君の胸に」では、いっぺんに現実的となる。
曲が最初、「君がみ胸に…」と流れると、歌っているのが渡辺はま子なので、女性が主体だろうと思う。しかし、すぐに、相手のことを「君」と言っているから抱かれているのは男性かと迷わせる。しかし、また歌っているのはか細い柳のような声の女性であるので、やはり抱かれているのは女性だと思い、安心する。
この歌の主体は男なのか女なのか惑わせる。
もともと李香蘭のための歌だったのなら、女性が主体なはずだ。それなのに、なぜあえて「君」と言ったのだろう。なぜ、「あなたの胸に」としなかったのだろう。
この歌が歌われた昭和15年頃が古い時代とは思わないが、蘇州の街が古い都を連想させるので、作詞家の西條八十は一昔前の優美な言い回しを使ったのに違いない。 「あなた」ではなくて「君」に、助詞は「の」ではなくて「が」に。
字合わせとして「み胸」と使ったとしても、「君がみ胸に」と繋がる「抱かれて聞くは」という言葉は、奇妙な感情を発生、孕ませたまま、胸に残る言葉となっている。
出だしのこの言葉によって、この「蘇州夜曲」は、歌謡史上に残る歌になったと言っていい。
2番の「花をうかべて 流れる水の…」と歌うのは、男性の霧島昇である。男性が歌っても、女性が歌ってもいい内容である。
そして、3番の歌詞である「髪にかざろか 接吻(くちづけ)しよか 君が手折りし、桃の花…」は、渡辺はま子が歌っているが、明らかに男性の言葉、台詞である。
つまり、ここでは、男性の心を女性が歌っていることになる。だとすると、やはり1番の「君がみ胸」も、男性の台詞と考えてもいい。
いや、この歌は、デュエットで歌っても、女性だけが歌っても、男性の歌なのだ。
現在では、「君」は男性が同等もしくは年下の者に使うことが多い。
しかし、もともと「君」は位の高い人に使った。上代では女性が、男性に対し敬愛を込めて言ったし、万葉集などで、「…君が袖振る」などのように、多く歌われている。
近代になると詩歌で、「君」はしばしば女性に対するほのかな敬語として使われている。島崎藤村は「君がさやけき目の色も…」とか、「…君が情けに汲みしかな」などと、頻繁に「君」を詠っている。
この「蘇州夜曲」でも、「君」が女性への敬愛の対象表現として使われているのだ、と思う。
「蘇州夜曲」は、現在でもカバー曲として数多くの歌手・アーチストが歌っている。やはり、その多くが女性によるものだ。
李香蘭の面影が、どこか漂う歌なのである。
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