蘇州の4大園林の1つである留園。
蘇州の西の郊外にある留園をあとにした僕は、街の中心街である観前街に向かうために大通りのバス停に行った。もう黄昏始めていた。
観前街に行くにはどのバスに乗ればいいのか?
来たときと同じく直通のバスはないようなので、近くまで行って、そこから歩けばいい。どうせ中心街は、ここから東へ真っ直ぐの道だ。そう思って、地図と見比べながらバス停の路線案内をくまなく見ていた。
すると、僕が旅人で思案していると思ったのか、どこへ行くの?観前街へ?と訊いてくる女性がいた。振り向いた僕の戸惑う顔を見て、中国語から英語に変わった。
僕はええ、と答えた。その若い女性は、私たちもそこへ行くの、一緒に行きましょうと言った。よく見ると2人連れだった。それに、2人とも美人であった。
声をかけた女性は、僕を見てまるで化粧品のCMに出ているモデルのように、にっこり笑った。それは、本当なのか愛想なのか分からない中立的な笑いのように見えた。
やってきたバスに、彼女に促されて乗った。バスは思いのほか混んでいて、僕たちは立ったまま中心街に向かった。
バスの中でも僕と目が合うと、声をかけた女性は何の心配もいらないのよという表情をいつも用意していた。その隙のない優しさと親切心が、僕を少し臆病にさせた。
若い女性が2人でこれから繁華街の観前街に行くのだから、ショッピングか食事と思うのだが、これからお仕事のお水の商売ではなかろうかともちらと思った。それはそれでいいのだが、初日の上海のキャッチ茶館の出来事(上海への旅③)が、僕から冒険心を損なわせていた。
観前街の手前の人民路で、バスは右折し、そこで停車した。地図を見れば、道路を渡ればすぐに観前街の西の端で、ここで下りた方が最も近いように思われた。
多くの人たちが下り始めた。僕は彼女たちを見たが、彼女たちは下りる気配がなかった。しかし、僕は人混みに紛れて下りてしまった。
バスを下りて、僕は彼女たちが下りるのを待ったが、バスが発車するまでに彼女たちは下りてはこなかった。このバスは、もっと観前街の中心部まで行くのかもしれない。彼女たちは、そこで下りようと思っていたのだろう。でも、僕は観前街の西の端から東の端まで歩こうと思ったので、ここでいいのだった。
美女2人とは再見も告げずに別れてしまった。彼女たちは、僕がバスの中からいなくなったのを見て、どう思っただろうか?
観前街を散歩し、彼女たちがこれからビールでもどうと言ったところで、僕は、ありがとう、でも今日はやめとくよ、と言っただろう。
あとで後悔するほど、僕は慎重になっていた。僕は君子ではないのに。
観前街は、上海の南京路のように洒落た歩行者専用の通りだ。ブランド店をはじめ様々な店が並んでいる。遊園地を走るようなミニバスも通っている。
蘇州で最も派手やかな観前街は意外と長く延びていて、なかなかその突き当たりまでは行かない。
もうそろそろ通りも終りだろうと思い、観前街の通りから北に向かう路地に入ってみた。すると、小さな衣料品店や雑貨屋や食堂が不規則に幾列も並んでいて、こちらの方が僕好みだった。東京でいえば、銀座の通りから下北沢の街に入ったような感じである。
この近くにある、古い道並である平江路に行ってみようと思った。最近は観光客にも隠れた人気だという。店の人に訊いたら、もう少し東のようだ。
歩いていたら、人通りのない細い道に来た。暗い道で、このまま行っていいものか不安になったので、前を歩いている人に地図にある平江路への道を訊いた。振り向いたその人は若い女性で、こちらですと言って歩き始めた。
暗い夜道は、やけに長く続いている。行き交う人もいない。途中車が擦れ違うことすらできないような道に、ポツンと忘れ去られたようにホンダの車が停まっていた。
しかし、1人では心細い暗い夜道も、女性と2人では心地よく感じてしまうから不思議だ。
黙ったままの時間がどのくらいか過ぎた。その時間は30秒だったのか3分だったのか今となっては不確かだが、そっと、さりげなく無難に英語で訊いてみた。蘇州へ住んでいるのですかと。
そうですと英語が戻ってきた。そして、日本人ですかと、意外にも日本語の質問が、こちらもさりげなくなされてきた。それは、構えた風でもぎこちなくでもない、ごく自然の言葉として存在した。
僕は、驚いた。あなたは日本語を話せるのですか?いつ勉強したのですか?
久しぶりの日本語に、僕は嬉しくなった。
彼女は学生時代に日本語を勉強し、つい最近までこちらの日本の会社に勤めていたと言った。しかし、英語を勉強しようと思い、その会社を辞めて英会話の学校へ通っていて、今その学校へ行く途中だと言った。
ビジネスの世界と同じように、関心が日本からアメリカに移ったようだ。それでも日本には興味があると、決してお世辞ではないと思える言葉で話した。流暢ではないにしても、正確な言葉遣いだ。
話が尽きないと思いだした頃に、小さな川(堀)にかかった丸い橋に出た。堀沿いには柳が植えてあり、細い枝が垂れていた。ここが平江路ですと彼女が言った。 橋の先には、丸い提灯の街灯が飾ってある、木の紅色の格子で構成された中国式の館があった。急に別世界に来たようだった。そして、左右を見ると、堀に沿って細い路地とも言える石畳の道が延びていた。
夜の闇に浮かんだ、静かに水を湛えた堀。その堀により添うように並ぶ古い家並みと石畳の道は、あえて幻想的に設営された景色のように思えた。(写真)
2人でその平江路を歩いた。通りには、カフェやバーがぽつりぽつりとあった。それらは薄明かりの中で、いかにも西洋人が好みそうなエキゾチックな雰囲気を醸し出していた。
彼女が僕に付きあって歩いているようなので、僕が学校に遅れるからもうここでいいよと言うと、彼女は1人で大丈夫ですかと心遣ってくれた。いや、もう彼女は学校に遅れたていたのかもしれないのに。
礼を言って彼女と別れたあと、1人平江路を南に歩いた。
細い平江路は、古い街並みを残したまま長く続いた。
やっと大きな通り千将東路に出たところで、平江路は終わった。出たところの道沿いに白い石膏の銅像があり、見覚えがあった。
地図を見ると、やはり昨晩旅舎の近くの十全街から歩いてやって来た道のところではないか。とすると、このまま堀沿いに歩いて行けば30分ぐらいで十全街に出るはずだ。
昨晩と逆のコースで、堀の反対の道を歩いた。
誰も通らない道には、白い塀の家が並んでいる。途中、やはり木犀の香りがした。
堀は静かに水を湛えて、白い淡い光を映している。
「蘇州夜曲」という古い歌があったなぁと思いだした。
十全街に出たところで、昨晩行った食堂へ入った。大分歩いたので、すっかり腹が減っていた。
カウンターの中にいる主人が、おやまた来たねとばかり、にっこりと微笑んだ。奥に立っている猫のようなウエイトレスの女の子も、久しぶりに会った同郷の友のような顔をした。しっかり者の奥さん(多分想像だが)もいる。
また、いつものようにメニューを見ながら、日中会話帳を広げてしかめっ面で見ていると、好奇心の強いウエイトレスの女の子が、また僕の会話帳をにやにやしながらのぞき込んだ。
中国では初めての、麻辨(婆)豆腐をまず頼む。10元。
それに、古老肉。いわゆる酢豚、22元。
それに、睥(似字)酒、ビール。
メニューを見ながら野菜がないかと探していたが、よく分からない。すると、調理をやっているふくよかで美人の愛人(妄想だが)が、何が欲しいのかと僕のそばに来た。僕が、野菜と肉の炒めとメモ用紙に書くと、彼女は、奥から細い枝とも葉ともいえる青野菜を手に掴んで、これでどうと見せてくれた。
僕は直ちにOKのサインを出した。
出てきた料理は、この野菜と肉の細切り炒めだった。しゃきっとしてとても美味しい。
この野菜の名前は何かと訊くと、「金花菜」と美人の愛人はメモ用紙に書いた。初めて聞く名前で、初めて食べた。
それと、麻辨豆腐が絶品だ。やわらかい絹豆腐で唐辛子がぴりりと効いていて、この店に似合わず繊細で洒落た味だ。
ウエイトレスの女の子が、僕のそばにやってきて、メモ用紙に何やら書き出した。なついている子猫のようだ。かまってもらいたいのかもしれない。
中国文字(漢字)はまったく日本の漢字と違うので、完全に理解できないが、どうも1人で旅行しているのか?と書いているようだ。僕が、そうだと頷くと、よくまあといった感じで目を丸めた。
そして、僕が「一人」と書き、その横に1人歩いている人の絵を描くと、笑ったあと、もの珍しそうに改めて僕の顔を見て、またもや何やら書いた。
何日ここにいるのか?という意味だと想像し、漢字で旅の日程を書いた。そして、中国と日本の地図を書いて、ここが東京だと言った。
彼女は、うん、うんと頷いていた。
僕が、君の故郷はどこだと訊くと、彼女はフーペイとか言ったが、僕が訊き返すと、漢字で「湖北」と書いた。蘇州から相当遠いところだということが分かった。
やはり、僕が想像した通り、集団就職ではないにしろ、遠く田舎からつてを頼りに就職してきたのだろう。
何歳?と、女性には失礼かなと思ったが、まだ若いからいいだろうと思って訊いてみると、20歳と答えた。ローティーンかハイティーンと思っていたら、意外と大人だった。
もう大人だね。ビールを勧めると、笑いながら断わった。仕事中だものね。
蘇州の夜は、こうして暮れていった。
旅に出ると、勤勉になる。
夜、旅舎に帰ると、共同炊事場で、下着と靴下を洗濯した。もう、深夜だ。旅には身軽にするために衣類は極力少なく持っていくので、大体1日おきに洗濯している。
日中は歩きまわっているので、夜は疲れて、普段のように夜更かしせずに早く寝る。すると、普段と違って早く起きる。
この旅舎の共同シャワーは、お湯の温度の調節が効かなくて、冷たい水か火傷するかのような高温度のお湯かのどちらかで、始末に悪い。
どうやら、この日の旅舎の2階の宿泊客は、僕1人のようだ。
蘇州の西の郊外にある留園をあとにした僕は、街の中心街である観前街に向かうために大通りのバス停に行った。もう黄昏始めていた。
観前街に行くにはどのバスに乗ればいいのか?
来たときと同じく直通のバスはないようなので、近くまで行って、そこから歩けばいい。どうせ中心街は、ここから東へ真っ直ぐの道だ。そう思って、地図と見比べながらバス停の路線案内をくまなく見ていた。
すると、僕が旅人で思案していると思ったのか、どこへ行くの?観前街へ?と訊いてくる女性がいた。振り向いた僕の戸惑う顔を見て、中国語から英語に変わった。
僕はええ、と答えた。その若い女性は、私たちもそこへ行くの、一緒に行きましょうと言った。よく見ると2人連れだった。それに、2人とも美人であった。
声をかけた女性は、僕を見てまるで化粧品のCMに出ているモデルのように、にっこり笑った。それは、本当なのか愛想なのか分からない中立的な笑いのように見えた。
やってきたバスに、彼女に促されて乗った。バスは思いのほか混んでいて、僕たちは立ったまま中心街に向かった。
バスの中でも僕と目が合うと、声をかけた女性は何の心配もいらないのよという表情をいつも用意していた。その隙のない優しさと親切心が、僕を少し臆病にさせた。
若い女性が2人でこれから繁華街の観前街に行くのだから、ショッピングか食事と思うのだが、これからお仕事のお水の商売ではなかろうかともちらと思った。それはそれでいいのだが、初日の上海のキャッチ茶館の出来事(上海への旅③)が、僕から冒険心を損なわせていた。
観前街の手前の人民路で、バスは右折し、そこで停車した。地図を見れば、道路を渡ればすぐに観前街の西の端で、ここで下りた方が最も近いように思われた。
多くの人たちが下り始めた。僕は彼女たちを見たが、彼女たちは下りる気配がなかった。しかし、僕は人混みに紛れて下りてしまった。
バスを下りて、僕は彼女たちが下りるのを待ったが、バスが発車するまでに彼女たちは下りてはこなかった。このバスは、もっと観前街の中心部まで行くのかもしれない。彼女たちは、そこで下りようと思っていたのだろう。でも、僕は観前街の西の端から東の端まで歩こうと思ったので、ここでいいのだった。
美女2人とは再見も告げずに別れてしまった。彼女たちは、僕がバスの中からいなくなったのを見て、どう思っただろうか?
観前街を散歩し、彼女たちがこれからビールでもどうと言ったところで、僕は、ありがとう、でも今日はやめとくよ、と言っただろう。
あとで後悔するほど、僕は慎重になっていた。僕は君子ではないのに。
観前街は、上海の南京路のように洒落た歩行者専用の通りだ。ブランド店をはじめ様々な店が並んでいる。遊園地を走るようなミニバスも通っている。
蘇州で最も派手やかな観前街は意外と長く延びていて、なかなかその突き当たりまでは行かない。
もうそろそろ通りも終りだろうと思い、観前街の通りから北に向かう路地に入ってみた。すると、小さな衣料品店や雑貨屋や食堂が不規則に幾列も並んでいて、こちらの方が僕好みだった。東京でいえば、銀座の通りから下北沢の街に入ったような感じである。
この近くにある、古い道並である平江路に行ってみようと思った。最近は観光客にも隠れた人気だという。店の人に訊いたら、もう少し東のようだ。
歩いていたら、人通りのない細い道に来た。暗い道で、このまま行っていいものか不安になったので、前を歩いている人に地図にある平江路への道を訊いた。振り向いたその人は若い女性で、こちらですと言って歩き始めた。
暗い夜道は、やけに長く続いている。行き交う人もいない。途中車が擦れ違うことすらできないような道に、ポツンと忘れ去られたようにホンダの車が停まっていた。
しかし、1人では心細い暗い夜道も、女性と2人では心地よく感じてしまうから不思議だ。
黙ったままの時間がどのくらいか過ぎた。その時間は30秒だったのか3分だったのか今となっては不確かだが、そっと、さりげなく無難に英語で訊いてみた。蘇州へ住んでいるのですかと。
そうですと英語が戻ってきた。そして、日本人ですかと、意外にも日本語の質問が、こちらもさりげなくなされてきた。それは、構えた風でもぎこちなくでもない、ごく自然の言葉として存在した。
僕は、驚いた。あなたは日本語を話せるのですか?いつ勉強したのですか?
久しぶりの日本語に、僕は嬉しくなった。
彼女は学生時代に日本語を勉強し、つい最近までこちらの日本の会社に勤めていたと言った。しかし、英語を勉強しようと思い、その会社を辞めて英会話の学校へ通っていて、今その学校へ行く途中だと言った。
ビジネスの世界と同じように、関心が日本からアメリカに移ったようだ。それでも日本には興味があると、決してお世辞ではないと思える言葉で話した。流暢ではないにしても、正確な言葉遣いだ。
話が尽きないと思いだした頃に、小さな川(堀)にかかった丸い橋に出た。堀沿いには柳が植えてあり、細い枝が垂れていた。ここが平江路ですと彼女が言った。 橋の先には、丸い提灯の街灯が飾ってある、木の紅色の格子で構成された中国式の館があった。急に別世界に来たようだった。そして、左右を見ると、堀に沿って細い路地とも言える石畳の道が延びていた。
夜の闇に浮かんだ、静かに水を湛えた堀。その堀により添うように並ぶ古い家並みと石畳の道は、あえて幻想的に設営された景色のように思えた。(写真)
2人でその平江路を歩いた。通りには、カフェやバーがぽつりぽつりとあった。それらは薄明かりの中で、いかにも西洋人が好みそうなエキゾチックな雰囲気を醸し出していた。
彼女が僕に付きあって歩いているようなので、僕が学校に遅れるからもうここでいいよと言うと、彼女は1人で大丈夫ですかと心遣ってくれた。いや、もう彼女は学校に遅れたていたのかもしれないのに。
礼を言って彼女と別れたあと、1人平江路を南に歩いた。
細い平江路は、古い街並みを残したまま長く続いた。
やっと大きな通り千将東路に出たところで、平江路は終わった。出たところの道沿いに白い石膏の銅像があり、見覚えがあった。
地図を見ると、やはり昨晩旅舎の近くの十全街から歩いてやって来た道のところではないか。とすると、このまま堀沿いに歩いて行けば30分ぐらいで十全街に出るはずだ。
昨晩と逆のコースで、堀の反対の道を歩いた。
誰も通らない道には、白い塀の家が並んでいる。途中、やはり木犀の香りがした。
堀は静かに水を湛えて、白い淡い光を映している。
「蘇州夜曲」という古い歌があったなぁと思いだした。
十全街に出たところで、昨晩行った食堂へ入った。大分歩いたので、すっかり腹が減っていた。
カウンターの中にいる主人が、おやまた来たねとばかり、にっこりと微笑んだ。奥に立っている猫のようなウエイトレスの女の子も、久しぶりに会った同郷の友のような顔をした。しっかり者の奥さん(多分想像だが)もいる。
また、いつものようにメニューを見ながら、日中会話帳を広げてしかめっ面で見ていると、好奇心の強いウエイトレスの女の子が、また僕の会話帳をにやにやしながらのぞき込んだ。
中国では初めての、麻辨(婆)豆腐をまず頼む。10元。
それに、古老肉。いわゆる酢豚、22元。
それに、睥(似字)酒、ビール。
メニューを見ながら野菜がないかと探していたが、よく分からない。すると、調理をやっているふくよかで美人の愛人(妄想だが)が、何が欲しいのかと僕のそばに来た。僕が、野菜と肉の炒めとメモ用紙に書くと、彼女は、奥から細い枝とも葉ともいえる青野菜を手に掴んで、これでどうと見せてくれた。
僕は直ちにOKのサインを出した。
出てきた料理は、この野菜と肉の細切り炒めだった。しゃきっとしてとても美味しい。
この野菜の名前は何かと訊くと、「金花菜」と美人の愛人はメモ用紙に書いた。初めて聞く名前で、初めて食べた。
それと、麻辨豆腐が絶品だ。やわらかい絹豆腐で唐辛子がぴりりと効いていて、この店に似合わず繊細で洒落た味だ。
ウエイトレスの女の子が、僕のそばにやってきて、メモ用紙に何やら書き出した。なついている子猫のようだ。かまってもらいたいのかもしれない。
中国文字(漢字)はまったく日本の漢字と違うので、完全に理解できないが、どうも1人で旅行しているのか?と書いているようだ。僕が、そうだと頷くと、よくまあといった感じで目を丸めた。
そして、僕が「一人」と書き、その横に1人歩いている人の絵を描くと、笑ったあと、もの珍しそうに改めて僕の顔を見て、またもや何やら書いた。
何日ここにいるのか?という意味だと想像し、漢字で旅の日程を書いた。そして、中国と日本の地図を書いて、ここが東京だと言った。
彼女は、うん、うんと頷いていた。
僕が、君の故郷はどこだと訊くと、彼女はフーペイとか言ったが、僕が訊き返すと、漢字で「湖北」と書いた。蘇州から相当遠いところだということが分かった。
やはり、僕が想像した通り、集団就職ではないにしろ、遠く田舎からつてを頼りに就職してきたのだろう。
何歳?と、女性には失礼かなと思ったが、まだ若いからいいだろうと思って訊いてみると、20歳と答えた。ローティーンかハイティーンと思っていたら、意外と大人だった。
もう大人だね。ビールを勧めると、笑いながら断わった。仕事中だものね。
蘇州の夜は、こうして暮れていった。
旅に出ると、勤勉になる。
夜、旅舎に帰ると、共同炊事場で、下着と靴下を洗濯した。もう、深夜だ。旅には身軽にするために衣類は極力少なく持っていくので、大体1日おきに洗濯している。
日中は歩きまわっているので、夜は疲れて、普段のように夜更かしせずに早く寝る。すると、普段と違って早く起きる。
この旅舎の共同シャワーは、お湯の温度の調節が効かなくて、冷たい水か火傷するかのような高温度のお湯かのどちらかで、始末に悪い。
どうやら、この日の旅舎の2階の宿泊客は、僕1人のようだ。
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