かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

上海への旅⑰ 現代の「上海ベイビー」

2010-01-12 03:07:32 | * 上海への旅
 成長する都市は人をひきつけ、多彩な才能を生み出す。
 アヘン戦争以後、上海は西洋の租界地となり、今日の上海の元になる街となる。約150年前、小さな平凡な街であった上海は、西洋への開港と同時に大きな変化をとげていったのだ。
 幸か不幸か東洋の真ん中に、西洋のような都市が出現したのである。街には当時西洋の先端の建築スタイルが出現し、夜ともなればナイトクラブでは華やかなショーや音楽が演奏された。
 この東洋とも西洋ともつかない港町の魅力に惹かれ、様々な人間が入り込むようになる。
 そして、上海はいつしか「魔都」と呼ばれるようになる。
 詩人、金子光晴が最初に上海に行ったのは、今の外灘(バンド)に高層建築群が並び立った頃の1926(大正15)年のことである。その後、妻森美千代の不倫による三角関係を清算するために、2人はアジアへ、そしてパリへとあてのない旅に出発する。その旅はかれこれ7年にも及んだのだが、まず初めに上陸したのが、魔都・上海であった。

 「いずれ食いつめものの行く先であったにしても、それぞれニュアンスが違って、満州は妻子を引きつれて松杉を植えにゆくところであり、上海はひとりものが人前から姿を消して、一年二年ほとぼりをさましにゆくところだった」
 「このときの上海ゆきは、また、私にとって、ふさがれていた前面の壁が崩れて、ぽっかりと穴が開き、外の風がどっとふきこんできたような、すばらしい解放感であった。狭いところへ迷いこんで身動きがならなくなっていた日本での生活を、一夜の行程でも離れた場所から眺めて反省する余裕をもつことができたことは、それからの私の人生の、表情を変えるほどの大きな出来事である。青かった海のいろが、朝目をさまして、洪水の濁流のような、黄濁いろに変わって水平線まで盛りあがっているのを見たとき、咄嗟に私は、「遁れる路がない」とおもった」――「どくろ杯」金子光晴

 (写真は、現在の旧租界地、外灘の夜景)

 *

 上海最後の夜となった。
 10月22日の夕、南京東路の散策から宿泊している旅舎へ戻った。
 2階の奥の僕の部屋に戻るために廊下を曲がると、僕の前の部屋のドアが昼出かけるときと同じように開いているのが見えた。
 開いたドアの部屋の中では、やはり朝いた女性が立っていた。部屋の奥には、クローゼット風のバッグが3つ、きちんと閉まって立ててあった。朝の放り出された衣装の混乱は収まっていた。
 彼女は、壁の前にあるポットの中を何やら箸でかき混ぜていた。
 僕は、やあと声をかけて、何をしているか覗き込んだ。彼女は、にっこり笑って、クッキング中だと言った。彼女はお湯を沸かすポットの中に、麺のようなものを入れて煮ていた。
 旅舎(ホテル)でクッキング中とは変わっているなと思った。まるで長逗留の湯治場のようだ。いや、まるで自分のアパートのようだ。
 僕は部屋に戻って、昨晩買ってきて大きすぎて手に余っていたザボンと葡萄を、デザートにどうぞと持っていった。彼女はありがとうと言って、笑顔がはじけた。人なつこいのは、昼最初に会ったときから知っていた。
 彼女が、あなたは何をしているの?と言うから、しがない物書きだと言ったら、えっとビックリした顔をした。
 そのとき、部屋の電気のヒューズが飛んで電気が消えた。おそらくポットの電熱消費量が多いのだ。
 彼女が誰かに電話すると、若い男がすぐにやって来た。そして、バッテリーのヒューズのスイッチを上げると電気はついた。だが、ポットのコンセントを差し込むとしばらくすると、またヒューズが飛んだ。僕が、コンピューターの電源を抜いたらと言って抜いたが、やはりだめだった。
 男は、どうしたらいいのかなぁといった表情をしていたが、その状況を楽しんでいるかのように見えた。何だか彼女ととても砕けた感じだったので、僕が彼に、彼女の恋人なのと言ってみた。すると、彼はにやりと笑って、それだと僕はとても幸せだと、さらににやけた顔になった。
 彼女は、彼はこの旅舎のスタッフなのと言った。
 そうか、男はスタッフなのか、それにしては彼女と馴れ馴れしいなと思った。まるでずっと以前からの恋人か友だちのような態度ではないか。
 彼女は、ポットを使うのを諦めることに落ち着いたようだ。
 男が未練がましく出ていったあと、僕はこれから夕食に行くつもりだが、君も食べていないようだったら、一緒に行かないかと誘った。この近くにとてもフレンドリーにしている食堂があり、小さくてきれいな店ではないが、そこへ行かないか、と。
 すると、彼女は「私はシャイだから」と、思わぬ返事をした。
 「君は、中国語を話せるじゃないか」と言うと、彼女はすぐに、ちょっと待ってと言ってクローゼットの役割をしているバッグを開いて、中から服を選び出した。
 それまで彼女は丸首のTシャツで、下を向くとふくよかな胸がいやでも目立ったのだった。
 彼女はTシャツの上にジーンズのブルゾンを着て、首にシルクの柔らかいスカーフを巻き、チェックのハンティングハットを被った。
 この上海娘は、とても粋だ。

 *
 
 2人で、例の西安食堂へ行った。
 彼女は、へえ、この食堂なのといった表情で、珍しげに店の中を見渡した。
 1人旅であるはずの僕が女性の人と来たので、店の人たちは、おや、今日はいつもと違うわねという顔をしたが、いつものようにニコニコと迎えてくれた。
 僕は、店の主人と店の人たちに、僕の泊まっている旅舎の前の部屋の人と紹介した。詰問されたわけではないのに、まるで言い訳をしているみたいに、早口でメモ用紙に部屋の図を書いてまで、説明してしまった。
 彼女も、店には好意を寄せたようだった。
 2人で、注文したのは以下の料理。
 魚香肉絲。肉の細切り炒め、10元。
 蚌(?)油双茄。野菜、茸のトロリ煮、6元。
 酸辣土豆絲。ジャガイモの細切り炒め、6元。
 睥(似字)酒。雪花ビール、4元。2本。
 ご飯。
 計35元。

 シャイだと言った彼女は、主人と中国語でよく喋った。僕は、まったく分からないから置いてきぼりにされた思いになったほどだ。
 朋友である店の主人と、再見と言って別れた。お互い、言葉が通じないもどかしさと寂しさを確認した夜となり、言葉少ない別れとなった。もう、会うこともないに違いないと思った。

 *

 食事を終えて、2人で旅舎に戻った。
 彼女は部屋に戻ると、着ていたブルゾンを脱いで、またTシャツとジーンズのパンツ姿になった。長い手足が印象的だ。
 彼女の部屋で、食事に行く前の話の続きで、ところで君は何をやっているの?と訊いた。彼女は、意外なことに映画の脚本家と言った。そして、出身は北京と言った。
 名前を聞いたら、紙に「風剪清詞」と書いた。中国人の名前にしては奇妙な名前なので、僕が不思議な顔をして、これが名前?とさらに訊いたら、彼女はペンネームだと言って、本名をその下に書いた。
 僕は、では映画のロケか何かで上海に来ているの?と訊いたが、それは不確かだった。今は、この旅舎に宿泊しているのだった。
 僕たちは、中国で巨匠の名をほしいままにしている、北京五輪のイルミネーション演出をした監督のチャン・イーモウはあまり好きでないという話をした。初期の作品である「初恋のきた道」はよかったが。
 好きな監督は誰かと言う僕の質問に、僕の知らない中国人の監督の名を上げた。
 映画にもなった「上海ベイビー」を知っているかと訊いたが、彼女は知らなかった。中国では発禁になった本だから、出回ってはいないのだろう。それに、スノッブな内容の本だし。
 彼女の部屋に若い女性が顔を出したが、お互い「は~い」と言っただけで、また戻っていった。彼女は、この旅舎にいる友だちなのと言った。

 僕が、明日は上海を発って、日本に帰ると言うと、彼女は急に、では2人で写真を撮りましょうと言って、僕の横にすべるように座った。そして、その長い手を伸ばして、僕たち2人に向かってデジカメを向けた。僕たちは、あの高校生がよく並んで撮るようなポーズでにっこり笑ってみた(Vサインまではしないが)。
 恋人は?と訊いてみると、台湾にいると答えた。遠距離恋愛だねと僕は笑った。
彼女は、ここへ何か書いてとノートを取り出してきて、僕の前に開いた。
 そのノートの表紙には、彼女の大人げな雰囲気とは違って、可愛いイラストが描かれていた。ぱらぱらとめくると、ページごとに何やら文字や、主に中国語で英語も交じっていたが、住所やイラストが書かれていた。どうも、彼女の出会いノートのようであった。
 これが、台湾の彼で、これがアメリカにいるボーイフレンドなどと、彼女はページをめくりながら話した。台北にいるという台湾の恋人は中国語で書かれていたので、台湾人らしかった。このリストの中に、日本人はいなかった。
 僕は、このノートの中で、東京のボーイフレンドになるのだろうか。
 台湾の彼と別れたら、東京の男を第1の恋人に昇格させてくれと言って、2人でふざけあった。
 私は何歳に見える?と彼女が訊いたので、僕が24、25歳かなと答えると、そんなに見えるの? 23歳よと、若さを強調したいような顔をした。
 君が脚本家だから、人生を経験していると思ったのでと、少し年を上に言った言い訳をした格好になった。
 君の住所はどこなのと訊くと、住所はここかしら、と言った。そして、この旅舎にすでに3か月いる、北京には住所はないの、と話を続けた。
 そうか、彼女はここに住んでいるに等しいのだ。だから、バッグには大量の衣服が詰め込まれていたし、ポットで自炊のようなことをしていたわけだ。それに、旅舎のスタッフとも顔馴染みなのも道理だ。
 カポーティーの「ティファニーで朝食を」の主人公は、「旅行中traveling」と書いた名刺を持っている、根無し草の魅力的な女性だった。
 彼女は、自由な根無し草なのだ。それに、脚本家もしくは脚本家志望なのだ。
 僕は、小説「上海ベイビー」の主人公(25歳の作家)を思い出した。

 「上海は、1日中どんより靄がかかって、うっとうしいデマといっしょに、租界時代から続く優越感に満ち満ちている。それが、私みたいに敏感でうぬぼれやすい女の子をいつも刺激する。優越感を感じること、そのことに私は愛憎半ばする思いがある」――「上海ベイビー」衛慧

 夜も遅くなったので、僕が再見と言って彼女の部屋を出ると、私はもう少し…と彼女は言って、部屋から小鳥のように出て行った。旅舎のロビーか友人の部屋で、お喋りか何かをして夜更かしするのに違いない。それが、若さというものだ。そして、上海の自由というものだろう。
 彼女は、今という時間と手に入れた自由を、若さの中で堪能しつくそうとしているように見えた。若さというものが、いつか必ず自分から去っていくのを知っていて、だから今にのみ時間を消費し、味わっているようだった。
 僕は1人部屋のベッドに寝転んで、旅舎の上海ベイビーは10年後にはどうしているだろうと思った。脚本を書いているのだろうか?

 *

 翌10月23日、中国国際空港CA915便、11時55分発の飛行機で上海を発った。福岡14時25分着である。

 旅の終わりに感じることは、短い旅でも長い旅でも、辛い旅でも楽しい旅でも、いつの間にか終わってしまった、という惜別の感慨だ。旅はいつも、あっという間の出来事であったように思える。
 まるで、邯鄲の夢のようだ。
 日常は果てしなく続くが、物語に終わりがあるように、旅にも終わりがある。それが、旅の宿命でもある。
 そして、いつしかその記憶も、遠ざかる時間とともに薄くなっていく。
 そんなことがあったかどうかも、誰もが実証し難くなっていくのだ。
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1 コメント

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Unknown (出会い系での犯罪撲滅)
2010-01-12 15:55:22
素晴らしいブログを読ませていただきありがとうございます。
これからも更新頑張ってください。
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