かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

青い空に白い月に思う「享年」

2015-02-02 02:20:53 | 気まぐれな日々
 散る花に 君をしのびて 仰ぐれば
     はるかな故郷の 香こそ漂よふ
                   沖宿

 昨年2014年の9月7日に、李香蘭こと山口淑子が亡くなった。
 旧満州の中国で生まれ、戦前に中国人の李香蘭として生き、戦後、本来の名前の山口淑子、結婚して大鷹淑子として生きた波乱万丈の生涯だった。
 彼女が死んだ後、ずっと考えていた。大陸の満州のことを。満州・中国と日本を股にかけて活動した李香蘭。これで、満州がまた遠くなったと思った。
 李香蘭については、以前に彼女(山口淑子)の最後の映画である「東京の休日」(1958年、東宝)を見た折に、ブログで書いたが、彼女のことについてさらに書こうと思いながら、月日だけが過ぎていった。
 94歳だったから、大往生と言っていいだろう。

 人間、早かれ遅かれいずれ死ぬ運命にある。
 「享年」とは、天から享(う)けた年の意である。概ね、死んだときの年齢を指す。
 僕が好きだった人、関心を抱いた人たちは、いくつの時に死んだのだろうと考えた。
 檀一雄は63歳だった。開高健、58歳。池田満寿夫、63歳。色川武大(阿佐田哲也)、60歳。森敦、77歳。
 痩せていたので少し老けて見えた、吉行淳之介は70歳だった。大往生のようにして一人死んだ、永井荷風は79歳。
 心中自殺した太宰治は38歳。若い頃から老人に見えた、老いる自分に終止符を打つように自殺した川端康成、72歳。割腹自殺した三島由紀夫はまだ45歳だった。
 李香蘭の「夜来香」を後に歌った、テレサ・テン(麗君)が死んだのは42歳の時だった。
 みんな、天から享けた生を全うしたのだろうか。
 みんな、どんな思いで死んでいったのだろうかと思った。

 *

 昨日となったが、2月1日は、東京は雲のない澄んだ青空だった。それなのに、哀しみが滲んでいるように感じた。冷たい風が流れた。
 夕方、空を見上げたら、その青空に透けるように白い月が浮かんでいた。(写真)
 この空は、どこまでも続いているだろうと思った。ユーラシアの彼方まで続いているだろう。
 そのユーラシアの片隅で、ジャーナリストの後藤健二さんが亡くなった。
 まだ47歳だ。道半ばだったと思う。
 この喪失感は、何と言っていいだろう。彼の姿は脳裏に焼きついている。
 なぜあんな危険な地帯に行ったのかという疑問は中(あた)らない。ジャーナリストの本能なのだ。

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