岸恵子は、僕にとっては伝説の女優といえた。
真っ先に浮かぶのは、映画はいまだ見ていないのだが、「君の名は」(監督:大庭秀雄、1953、1954年、松竹)である。
最初1952(昭和27)年にラジオ放送で始まったこのドラマは、放送時間帯には銭湯の女性風呂がガラ空きになったという伝説がある。
それに、僕の脳裏には、様々な映画の本で何度も見た、あの数寄屋橋のたもとで、佐田啓二と岸恵子のたたずむ姿のスチール写真の一コマが、脳裏に焼きつかされている。第二次世界大戦・東京大空襲のなか、銀座通りから逃げてきた二人が、初めて言葉を交わしたという数寄屋橋である。
その写真では、岸恵子は黒いコートにショールを頭から覆っている。当時それは、「真知子巻き」と称して女性の間で大流行した。
お互いの名前も知らずに、数寄屋橋での半年後の再開を約束して二人は別れるのだが、すれ違いで会えない。その後も、会えそうで会えないじれったいすれ違いが続くという物語である。
この「君の名は」は、「愛染かつら」と共に、日本のすれ違いドラマの代表作品となった。
岸惠子の扮する氏家真知子と、佐田啓二扮する後宮春樹 という名前さえも、とてもロマンチックに響いたものだ。
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
この台詞は、「君の名は」のドラマの冒頭で流れるナレーションであるが、思春期の甘い感傷に浸っていた年頃、この台詞はひそかに流行した。ままならぬ片思いの恋を自嘲的に語ったり、果たせぬ恋に思い悩む男を揶揄したりするときに、この言葉が呟くように吐かれたものだ。
僕が見た、岸恵子の出演した最初の映画は、幸田文の同名小説の映画化である「おとうと」(監督:市川崑、1960年大映)である。
幸田露伴であろう作家である父(森雅之)と、宗教に頼っている偏屈そうな後妻の母(田中絹代)のいる少し陰湿で窮屈な家庭で、ぐれそうになる奔放な危うい弟(川口浩)を、愛情を持って受け止める姉を演じた傑作だった。
ここでは、メロドラマで大衆的な人気を博した女優とは思えない、確かな女優、岸恵子がいた。
次に見た「約束」(監督:斎藤耕一、1972年、松竹)で、岸の相手役を演じたのは、GSザ・テンプターズを解散した直後の、ショーケンこと萩原健一だった。列車の中で偶然向かい合わせに座った、ちょっとチンピラ風の若い男と中年のいい女。女に興味を持ち、声をかける男だが、女は無視する。実は、女は監視付きの仮出所中の囚人だった。しかし、やがて女は心を開く。
斎藤耕一は抒情的な映画を撮らせれば抜群の監督で、この映画もフランスのクロード・ルルーシュのような画面だった。少し不良っぽい若者の萩原健一と岸恵子の、二人の湿ったなかに熱さのくすぶっている演技を見て、二人は役を超えた仲ではと嫉妬したものだ。
のちに萩原は、この映画のキスシーンで、恐る恐る唇と唇を重ねると、岸の舌が入ってきてびっくりしたと述べている。このとき、岸恵子40歳、萩原健一22歳である。
この映画によって、萩原健一は俳優として認められる。
岸は、フランス人の映画監督、イヴ・シアンピと結婚していたが、しばしば日本に帰ってきて映画に出演していた。このころから岸は、年下のいい男志向だったのかもしれない。
「怪談」(監督:小林正樹、1964年文芸プロ=にんじんくらぶ)や、「細雪」(監督:市川崑、1983年東宝)といった名作でも、岸恵子は存在感を示していた。
1975年にイヴ・シアンピと離婚してからも、岸恵子はフランスと日本の両方に居を構え、自由に行き来し、優雅に暮らしているように見えた。そして、それが若さの源のように思えた。
フランスと日本の両方で自由に生活をするとは、僕にとっては理想的な生き方と思える。
僕だって、東京とサガンの両方を行き来し、両方の生活をそこそこ楽しんでいる。サガンは、フランス・セーヌ左岸(リブ・ゴーシュ)ではなくて、サガン町、つまり佐賀の町ではあるが。
*
僕のなかで、岸恵子は日本の女優の中で、好きな女優の5本の指に、いや3本の指に入っていた。
彼女が文を書くのが好きだというのも、僕の好きな要素だった。実際、何冊か本を出している。俳優やタレントの本といえば、ゴーストライターが書くというのが定説だが、彼女は自分で書いているらしい。「私のパリ 私のフランス」(講談社)は、彼女の写真満載のパリガイドのような本である。(写真)
このときすでにほぼ70歳であるが、若いアイドルやタレントのようにカメラに収まる姿は、確かに年齢を感じさせない。
そんな岸恵子が小説を書いた。それも恋愛小説で、自分の体験をベースにしたと言われている「わりなき恋」(幻冬舎)。
もう70歳に差しかかろうとする女と、50代半ばのビジネスマンとの不倫の恋の話である。
ヨーロッパへ行く飛行機のファーストクラスの隣に座ったことがきっかけで、二人は交際を進めていく。最初に、プラハの春やパリの五月革命などの話が出てきて、こちらの予想に反して硬派の話に発展するかと期待を抱かせる。
舞台はパリ、プラハ、上海、蘇州、インド、モスクワと飛び、用意される場所は、高級レストラン。話は、予想通りの、いや予想を超えた甘いあま~い展開で、最後まで読み終えるころには砂糖菓子が溶けてしまった。主人公を彼女と重ね合わせると、辛(つら)さが加味され甘さもなくなっていた。
渡辺淳一の女版を狙ったのであろうか。
「約束」の恋物語から30年以上が過ぎていた。
岸恵子は、僕のなかでは伝説の人のままで終わらせたかった。
真っ先に浮かぶのは、映画はいまだ見ていないのだが、「君の名は」(監督:大庭秀雄、1953、1954年、松竹)である。
最初1952(昭和27)年にラジオ放送で始まったこのドラマは、放送時間帯には銭湯の女性風呂がガラ空きになったという伝説がある。
それに、僕の脳裏には、様々な映画の本で何度も見た、あの数寄屋橋のたもとで、佐田啓二と岸恵子のたたずむ姿のスチール写真の一コマが、脳裏に焼きつかされている。第二次世界大戦・東京大空襲のなか、銀座通りから逃げてきた二人が、初めて言葉を交わしたという数寄屋橋である。
その写真では、岸恵子は黒いコートにショールを頭から覆っている。当時それは、「真知子巻き」と称して女性の間で大流行した。
お互いの名前も知らずに、数寄屋橋での半年後の再開を約束して二人は別れるのだが、すれ違いで会えない。その後も、会えそうで会えないじれったいすれ違いが続くという物語である。
この「君の名は」は、「愛染かつら」と共に、日本のすれ違いドラマの代表作品となった。
岸惠子の扮する氏家真知子と、佐田啓二扮する後宮春樹 という名前さえも、とてもロマンチックに響いたものだ。
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
この台詞は、「君の名は」のドラマの冒頭で流れるナレーションであるが、思春期の甘い感傷に浸っていた年頃、この台詞はひそかに流行した。ままならぬ片思いの恋を自嘲的に語ったり、果たせぬ恋に思い悩む男を揶揄したりするときに、この言葉が呟くように吐かれたものだ。
僕が見た、岸恵子の出演した最初の映画は、幸田文の同名小説の映画化である「おとうと」(監督:市川崑、1960年大映)である。
幸田露伴であろう作家である父(森雅之)と、宗教に頼っている偏屈そうな後妻の母(田中絹代)のいる少し陰湿で窮屈な家庭で、ぐれそうになる奔放な危うい弟(川口浩)を、愛情を持って受け止める姉を演じた傑作だった。
ここでは、メロドラマで大衆的な人気を博した女優とは思えない、確かな女優、岸恵子がいた。
次に見た「約束」(監督:斎藤耕一、1972年、松竹)で、岸の相手役を演じたのは、GSザ・テンプターズを解散した直後の、ショーケンこと萩原健一だった。列車の中で偶然向かい合わせに座った、ちょっとチンピラ風の若い男と中年のいい女。女に興味を持ち、声をかける男だが、女は無視する。実は、女は監視付きの仮出所中の囚人だった。しかし、やがて女は心を開く。
斎藤耕一は抒情的な映画を撮らせれば抜群の監督で、この映画もフランスのクロード・ルルーシュのような画面だった。少し不良っぽい若者の萩原健一と岸恵子の、二人の湿ったなかに熱さのくすぶっている演技を見て、二人は役を超えた仲ではと嫉妬したものだ。
のちに萩原は、この映画のキスシーンで、恐る恐る唇と唇を重ねると、岸の舌が入ってきてびっくりしたと述べている。このとき、岸恵子40歳、萩原健一22歳である。
この映画によって、萩原健一は俳優として認められる。
岸は、フランス人の映画監督、イヴ・シアンピと結婚していたが、しばしば日本に帰ってきて映画に出演していた。このころから岸は、年下のいい男志向だったのかもしれない。
「怪談」(監督:小林正樹、1964年文芸プロ=にんじんくらぶ)や、「細雪」(監督:市川崑、1983年東宝)といった名作でも、岸恵子は存在感を示していた。
1975年にイヴ・シアンピと離婚してからも、岸恵子はフランスと日本の両方に居を構え、自由に行き来し、優雅に暮らしているように見えた。そして、それが若さの源のように思えた。
フランスと日本の両方で自由に生活をするとは、僕にとっては理想的な生き方と思える。
僕だって、東京とサガンの両方を行き来し、両方の生活をそこそこ楽しんでいる。サガンは、フランス・セーヌ左岸(リブ・ゴーシュ)ではなくて、サガン町、つまり佐賀の町ではあるが。
*
僕のなかで、岸恵子は日本の女優の中で、好きな女優の5本の指に、いや3本の指に入っていた。
彼女が文を書くのが好きだというのも、僕の好きな要素だった。実際、何冊か本を出している。俳優やタレントの本といえば、ゴーストライターが書くというのが定説だが、彼女は自分で書いているらしい。「私のパリ 私のフランス」(講談社)は、彼女の写真満載のパリガイドのような本である。(写真)
このときすでにほぼ70歳であるが、若いアイドルやタレントのようにカメラに収まる姿は、確かに年齢を感じさせない。
そんな岸恵子が小説を書いた。それも恋愛小説で、自分の体験をベースにしたと言われている「わりなき恋」(幻冬舎)。
もう70歳に差しかかろうとする女と、50代半ばのビジネスマンとの不倫の恋の話である。
ヨーロッパへ行く飛行機のファーストクラスの隣に座ったことがきっかけで、二人は交際を進めていく。最初に、プラハの春やパリの五月革命などの話が出てきて、こちらの予想に反して硬派の話に発展するかと期待を抱かせる。
舞台はパリ、プラハ、上海、蘇州、インド、モスクワと飛び、用意される場所は、高級レストラン。話は、予想通りの、いや予想を超えた甘いあま~い展開で、最後まで読み終えるころには砂糖菓子が溶けてしまった。主人公を彼女と重ね合わせると、辛(つら)さが加味され甘さもなくなっていた。
渡辺淳一の女版を狙ったのであろうか。
「約束」の恋物語から30年以上が過ぎていた。
岸恵子は、僕のなかでは伝説の人のままで終わらせたかった。
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