禁酒法下の1920年代後半から30年代始め、ニューヨークのハーレムで華やかな演奏とショーが繰り広げられていたナイトスポットがコットンクラブだ。
そこでは、デューク・エリントンやルイ・アームストロングやキャブ・キャロウェイたちが夜な夜なやって来て、ジャズが演奏されていた。そして、男と女のドラマが繰り広げられた。
そんな華やかなひと時の宴を再現したのが、フランシス・コッポラが描く映画「コットンクラブ」(1984年、米)だった。主演は、コルネット奏者からギャング・スターになっていく若者を演じたリチャード・ギア、そしてキュートな歌手を演じたダイアン・レイン。それは、「ゴッド・ファーザー」をより華やかに、よりサウンディックにした世界だった。
そんなコットンクラブが、東京にあると知った。
そのコットンクラブで、先日、ベン・シドランとジョージィ・フェイムの演奏が行われるというので行ってみた。音楽関係の、僕の若い時からの友人が携わっているのだ。
コットンクラブは、新しくなった東京駅の斜め前の東京ビルTOKIAの2階にあった。回廊になった廊下の先の入り口は、秘密バーのような大人の雰囲気に満ちている。
店内は、ステージの前にテーブルが、それを囲むように上段にカウンターの席があり、雰囲気はニューヨークというよりヨーロッパ風だ。
テーブルに座って、ビールを注文する。最近は健康を鑑みてベジタリアンのように野菜ばかりを食べていたので、そのせいか痩せてエネルギー不足に陥っていた。だから、摘みに、牛肉のスペアリブとソーセージを頼む。やはり、健康にはバランスが大切だと思い直したところである。それに、僕はもともと肉食系だったのだから。
ベン・シドランが登場して、ピアノの前に座った。それにサックス、ベース、ドラムスのバンドが舞台に上がる。おもむろに、演奏が始まった。
ビールを飲みながら、彼らの演奏を聴く。
ベン・シドランは、ジャズ・ミュージシャンの枠を超えて多彩に活動するアーチストである。ピアノを弾きながら語りかけるように歌う姿は、渋い大人の味だ。
彼は筆もたち、自伝的ドキュメントの優れた本を出版したのを僕は知っている。そして、哲学者のような思索者であることも。歌に、その教養が垣間見える
次に登場したのはジョージィ・フェイム。
1960年代にシングル全英1位を連発したかつてのモッズの先駆者、ジョージィ・フェイムは、若々しさをいまだ漲らせて、オルガンを演奏しながら歌を聴かせてくれる。
酒を飲みながら夜を楽しむには、格好のミュージシャンと舞台だ。
僕たちの前に座っている若い男女6人のグループは、先ほどから次々とワインを空けているせいかノリがいい。立ち上がって、ジョージィ・フェイムの歌に合わせて手拍子と踊りのリズムを取りだした。
若いのはいい。僕たちも、あんな時代があったなあと思いながら、今は静かにビールを口にする。
演奏が終わって外へ出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。
近代的な建物の中にたたずむレトロな夜の東京駅は、何かドラマのために造られた舞台装置のように、少しおどろおどろしく見える。今にも、頭を掻きながら困った顔をした金田一さんが現れてきそうだ。
コットンクラブでこってりとした肉を食べたので、あっさりとしたうどんでも食べて帰ろうと思い、うどん屋を探しながら東京駅から線路沿いに歩いた。パソコンやスマートフォンを持ち歩いているなら、すぐに検索して見つけることができようが、あいにくいまだ携帯電話である。しかし、街を歩くのは好きなので、なかなか見つからなくとも苦にならない。
そのうち銀座まで来たので、確かここいら辺りに稲庭うどんを食べさせる寛文五年堂とかいった古い店があったはずだ。そう思い探したが、どこにも見あたらない。近くの人に訊いたら、その店はもうなくなったと言う返事だ。そして、う~ん、うどん屋ねえ、この辺にあったかなあと、覚束ない。
しかし、僕の胃の中は、というより脳の中は、先ほどからうどんで固まっている。麺といっても、今夜脳が求めているのは、やたら目につく中華そばやチャンポンではない。
銀座から日比谷まで来て、諦めかけたところでやっと一軒見つけた。おそらくこの夜は猛暑だろう。長く歩いたせいで、シャツの下は汗でびっしょりだ。やれ、やれ、だ。
隅田川の花火大会の時、びしょ濡れになったのを思い出した。あれ以来、夏風邪気味だったのが、やっと治ったところなのだ。
汗をかきながら、熱い鍋焼きうどんを食べた。
僕は九州育ちだからか、蕎麦よりうどん派だ。麺では、夏でも冷やし中華や冷やした蕎麦より、熱い中華ソバやうどんを選ぶ。だからか、汗かきなのだ。
それにしても、今年の夏は夜になっても暑い。
今頃、ベン・シドランとジョージィ・フェイムも、日本はまるで熱帯だね。今度来るときは、涼しい季節にしようなどと話しあっているかもしれない。
そこでは、デューク・エリントンやルイ・アームストロングやキャブ・キャロウェイたちが夜な夜なやって来て、ジャズが演奏されていた。そして、男と女のドラマが繰り広げられた。
そんな華やかなひと時の宴を再現したのが、フランシス・コッポラが描く映画「コットンクラブ」(1984年、米)だった。主演は、コルネット奏者からギャング・スターになっていく若者を演じたリチャード・ギア、そしてキュートな歌手を演じたダイアン・レイン。それは、「ゴッド・ファーザー」をより華やかに、よりサウンディックにした世界だった。
そんなコットンクラブが、東京にあると知った。
そのコットンクラブで、先日、ベン・シドランとジョージィ・フェイムの演奏が行われるというので行ってみた。音楽関係の、僕の若い時からの友人が携わっているのだ。
コットンクラブは、新しくなった東京駅の斜め前の東京ビルTOKIAの2階にあった。回廊になった廊下の先の入り口は、秘密バーのような大人の雰囲気に満ちている。
店内は、ステージの前にテーブルが、それを囲むように上段にカウンターの席があり、雰囲気はニューヨークというよりヨーロッパ風だ。
テーブルに座って、ビールを注文する。最近は健康を鑑みてベジタリアンのように野菜ばかりを食べていたので、そのせいか痩せてエネルギー不足に陥っていた。だから、摘みに、牛肉のスペアリブとソーセージを頼む。やはり、健康にはバランスが大切だと思い直したところである。それに、僕はもともと肉食系だったのだから。
ベン・シドランが登場して、ピアノの前に座った。それにサックス、ベース、ドラムスのバンドが舞台に上がる。おもむろに、演奏が始まった。
ビールを飲みながら、彼らの演奏を聴く。
ベン・シドランは、ジャズ・ミュージシャンの枠を超えて多彩に活動するアーチストである。ピアノを弾きながら語りかけるように歌う姿は、渋い大人の味だ。
彼は筆もたち、自伝的ドキュメントの優れた本を出版したのを僕は知っている。そして、哲学者のような思索者であることも。歌に、その教養が垣間見える
次に登場したのはジョージィ・フェイム。
1960年代にシングル全英1位を連発したかつてのモッズの先駆者、ジョージィ・フェイムは、若々しさをいまだ漲らせて、オルガンを演奏しながら歌を聴かせてくれる。
酒を飲みながら夜を楽しむには、格好のミュージシャンと舞台だ。
僕たちの前に座っている若い男女6人のグループは、先ほどから次々とワインを空けているせいかノリがいい。立ち上がって、ジョージィ・フェイムの歌に合わせて手拍子と踊りのリズムを取りだした。
若いのはいい。僕たちも、あんな時代があったなあと思いながら、今は静かにビールを口にする。
演奏が終わって外へ出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。
近代的な建物の中にたたずむレトロな夜の東京駅は、何かドラマのために造られた舞台装置のように、少しおどろおどろしく見える。今にも、頭を掻きながら困った顔をした金田一さんが現れてきそうだ。
コットンクラブでこってりとした肉を食べたので、あっさりとしたうどんでも食べて帰ろうと思い、うどん屋を探しながら東京駅から線路沿いに歩いた。パソコンやスマートフォンを持ち歩いているなら、すぐに検索して見つけることができようが、あいにくいまだ携帯電話である。しかし、街を歩くのは好きなので、なかなか見つからなくとも苦にならない。
そのうち銀座まで来たので、確かここいら辺りに稲庭うどんを食べさせる寛文五年堂とかいった古い店があったはずだ。そう思い探したが、どこにも見あたらない。近くの人に訊いたら、その店はもうなくなったと言う返事だ。そして、う~ん、うどん屋ねえ、この辺にあったかなあと、覚束ない。
しかし、僕の胃の中は、というより脳の中は、先ほどからうどんで固まっている。麺といっても、今夜脳が求めているのは、やたら目につく中華そばやチャンポンではない。
銀座から日比谷まで来て、諦めかけたところでやっと一軒見つけた。おそらくこの夜は猛暑だろう。長く歩いたせいで、シャツの下は汗でびっしょりだ。やれ、やれ、だ。
隅田川の花火大会の時、びしょ濡れになったのを思い出した。あれ以来、夏風邪気味だったのが、やっと治ったところなのだ。
汗をかきながら、熱い鍋焼きうどんを食べた。
僕は九州育ちだからか、蕎麦よりうどん派だ。麺では、夏でも冷やし中華や冷やした蕎麦より、熱い中華ソバやうどんを選ぶ。だからか、汗かきなのだ。
それにしても、今年の夏は夜になっても暑い。
今頃、ベン・シドランとジョージィ・フェイムも、日本はまるで熱帯だね。今度来るときは、涼しい季節にしようなどと話しあっているかもしれない。
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