かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

メジャー前夜の「タモリ」

2014-04-01 02:22:31 | 気まぐれな日々
 「笑っていいとも!」が今年2014年3月31日でもってフィナーレを飾った。番組が始まったのが1982年で、その間32年余8054回を数え、タモリが司会をし続けてきた。
 黒柳徹子の「徹子の部屋」も、1976年開始という長寿番組だが、こちらは週1回で録画放映であるのに対し、「森田一義アワー 笑っていいとも!」は、月曜日から金曜日までのウィークデー毎日で、しかも生放送であるということからして、タモリの司会出演は異例のことといえよう。
 生放送バラエティ番組における、「笑っていいとも!」は放送回数最多記録で、タモリ(森田一義)は単独司会最多記録でギネス認定となった。
 
 表舞台に出てきた当初のタモリは、あやしい外国語もどきのハナモゲラ語や下着1枚でのイグアナ芸などによってマニア受けする、少し異端の夜の顔であった。そのタモリが昼間の帯番組の司会者として出てきたことに、のちに本人が「江頭2:50」が出てきたような感じだったと語っているように、当初は本人にも周囲にも戸惑いの雰囲気があった。
 僕も当時、昼の「笑っていいとも!」の司会者として登場した時は、タモリもついに牙を抜かれ、普通の芸人になったか、と少しがっかりした感じを持ったものだ。そんなに長くは続かないだろうと当初は思われていたものが、安倍晋三現首相から国民的番組といわれるまでの人気で長寿の番組となっていったのだ。
 自他ともに異端と思われていたものが、いつの間にか社会の風潮に溶け込んでいき、見る者をそこに馴染ませていったタモリ。しかし、「笑っていいとも!」がこんなに長く続くとは、本人も予想しなかったことに違いない。
 継続は力なり、である。そのことだけでも非凡である。
 
 タモリの偉大さは、ゲストに迎える人間に対して、子役から外国人の大物や政治家にいたるまで、同じスタンスで接していたことである。誰に対しても、タモリらしさを持っていた。
 新宿アルタの会場に集まった100余人を相手にしゃべっている番組仕立ては、実はカメラ(テレビ)の向こう側のすべての人間に向かっているかのようになっていて、それだからテレビを見ている人間は、自分に話しかけられているかのように思っていたのだ。
 こうして、昼の12時から1時まで「笑っていいとも!」は、いつも昼にあるものとして存在してきた。長く続くあいだに、いつしかタモリはその人間性とともに、すっかり親しみのある人間となっていった。

 *

 それまで密室芸として山下洋輔や赤塚不二夫などの周辺にしか知られていなかったタモリが、マスメディアの表舞台に現われたのは1976年のことである。それでもまだ、知る人ぞ知る存在だった。
 1976年末のことだったと思う。その頃、僕は今はない男性雑誌(メンズ・マガジン)の編集者だった。音楽欄も担当していたので、レコード会社の人間とは接触が多かった。
 ある日、東芝EMIの宣伝部の人が、面白い人間がいるんです。このレコードを聴いてくださいよ、と言って、1枚の試聴盤アルバムを持ってきて、男性を紹介した。
 その男がタモリだった。タモリ、30歳ちょっとの頃だ。
 僕がタモリに会ったのは、その1度きりだ。新宿の喫茶店だったと思うが、詳しいところは忘れてしまった。
 僕も人見知りはあまりしない方だが、彼は初対面だがとてもくだけていたし、親しみ感があった。
 出身は福岡ですか、僕はその隣の佐賀です、と、僕は言ったのだろう。
 いや~、そうですか。同じ九州出身のよしみでタバコを一本いいですか、と言ったタモリの人懐っこい声が忘れられない。
 ああ、どうぞ、どうぞ、と僕は言って、二人でタバコを吸った。
 当時は、今みたいに健康云々という風潮はなく、タバコはほとんどの成人男性は吸っていたし、友人同士のタバコの貰い吸いは当たり前のことだった。

 アルバムは男の芸名と同じ「TAMORI」で、一般的に言うところの音楽のレコードアルバムではなく、パロディーやお笑いの語りで、今までにない新鮮なものだった。
 アルバム発売が77年3月で、その前に雑誌(「サンジャック」77年3月号・1月25日発売)にジャケット写真の紹介記事を載せたのが、ここにあげた写真である。レコード会社の話によると、いろいろクレームがついているので発売日もまだ決定していないといった感じだった。
 それでだろう、記事のタイトルは「噂のタモリ、幻のレコードか?」というタイトルとしている。
 記事内容も、「タモリといえば、一人で何役もこなす噂の伊達男だ。その彼の語りがレコード化されたが、あの有名な「北京放送」が中国大使館よりクレームがついた。歪んだ中国観を伝えるというもので、米中韓ベトナム人による「四ヶ国親善麻雀」もあぶないというから発売はどうなるか?」となっている。
 マスメディアに出たときのタモリは、当初はジャケット写真のように、油を付けた髪を真中から分け、眼帯のアイパッチを付けていた。 
 「四ヶ国親善麻雀」が米中韓ベトナム人となっているが、今はこのアルバムがどこへ行ったのか手元にないので確認しようがない。
 このアルバム「TAMORI」はシリーズで3まであったようだが、残念なことにどのアルバムも手元にはない。

 *

 タモリの発言で、僕もそうだそうだと頷くことはよくある。
 *彼が自分を妄想族と言うように、僕にも妄想性があること。
 妄想、それはどんどん広がっていく。ここに、僕の文が長くなる原因が潜んでいると自覚しているのだが、自重しないと書き出した文も妄想のごとく、どんどん枝葉が伸びて長くなり、止まらなくなっていく。
 *彼が旅が好きで(実際に旅に行くかどうかは別として)、特に列車の旅、鉄道を愛すること。
 僕も、海外は別として国内の旅はほとんどが列車だ。窓の外の景色は飽きることがない。
 また、東京と九州の佐賀間は、大学入学以来もう百数十回は往復していると思うが、飛行機に乗ったのは4、5回あるかどうかである。
 *彼が知らない街歩き、路地、坂道が好きなこと。
 僕も知らない街を散策することが好きだ。それが旅好きの表れであろう。そこに、思わぬ発見がある。
 *彼が地図を見るのが好きなこと。
 彼は楽屋に地図や時刻表を積んでいて、余暇にはいつもそれらを見ているという。僕も、知らない地名が出てくると、すぐに地図を広げて確かめないといられない。トイレには、大手電気量販店の大きな日本地図のカレンダーを貼っている。しかも、これは日毎の月の形の推移付きだ。
 *彼が料理を作ること。
 僕は彼ほど凝った料理ではないが、料理はほゞ毎日作っている。そして、彼ほどグルメではないが美味い店を探すのが好きだ。僕の場合は、高級店ではなく、大衆的で美味い店を、というのだが。
 *彼が、有意義であるとか、人間は進歩しなければならないとかという考えに反発を覚えていると言っていること(週刊誌「アエラ」で読んだのだが)。
 これは、彼が「やる気のある者は去れ」と言っていることに低通していることだろう。これは、哲学的で深い。人間、そんなに頑張らなくて、自然でいいと言っているのだろう。

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