写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

スナッファー

2014年11月18日 | 食事・食べ物・飲み物

 我が家にはコーヒーを淹れる器具がいろいろある。豆を放り込めば臼式のミルが回って全自動でコーヒーが出てくる優れもの、粉を入れるとドリップでコーヒーが出来るごく普通の電気式のもの、数年前にネッスルから売り出されたカプセルを入れれば簡単にコーヒーが出来るもの、デロンギ製のやや本格的なエスプレッソマシンなどがある。最近よく使っているのは、昔ながらのサイフォン式のものである。

 ゆったりとコーヒーを楽しみたいようなときには、サイフォン式がいい。アルコールランプに火を着けると、揺らめく炎はやがて下のボールに入った湯を沸騰させて、粉の入った上のボールに湯を持ち上げる。それから40秒経った時にランプの火を消すと、間もなく湯はコーヒーに変わって下のボールに落ちてくる。

 晩秋の昼下がり、サイフォンの中でのこの過程を、何も考えることなく無の境地で眺めるのも悪くない。しかしこんな一連の作業の中で、ひとつだけ悩んでいることがあった。ランプの火を消す時、鉄製のキャップを芯の上に真上から落とすが、上手く芯をふさぐように落ちないことが時にあった。そんな時には熱いのを我慢しながら、素手でキャップをつついて何んとか芯をふさいで火を消していた。

 もっと安全ないい方法はないものかと思っていた時、ふと立ち寄った雑貨店でいいものを見つけた。アロマや灯り用など各種のローソクを並べているコーナーに「スナッファー」という名前で、鉄製で柄の付いたキャップが置いてある。スナッファーとは「snuffer」のことで「カップ状の先端で火を消すろうそく消し」のこと、「snuff」とは「ろうそくやランプなどの芯の燃えて黒くなった部分」と書いてある。 

 初めて知った言葉であるが、アルコールランプの火消しに最適なものだと判断して買って帰った。早速サイフォンでコーヒーを淹れ、最後にこのスナッファーを使って火を消した。思っていた通りに安全に火を消すことができた。

 興味でこんなものを買って帰ったが、感心したことは、日常生活の中で、不便を我慢しながら何となくやり過ごしていることはあるが、どんな小さな悩みごとでも、その解決策はその気になって探せばどこかに転がっているということが分かった。ところでこのスナッファー、何かと口うるさい誰かさんの口をふさぐのに使えないか。本気で検討しているが、はてさて……


疑惑解消

2014年11月17日 | 生活・ニュース

 居留守とは、家にいながら不在を装うことをいうが、意図せずに居留守と間違えられるようなことが今までに何度かあった。また、宅配便が来てインターホンが鳴らされたことに気がつかず、不在通知表が置いてあるようなこともあった。

 この原因は、玄関の入口に取り付けてあるインターホンを押したとき、「ピンポーン」と鳴る子機がダイニングルームにあるため、隣の居間にいて何かに夢中になっているようなときには、呼び出し音が聞こえなかったからである。

 何とかしなければと思っていたが、宅配便の不在通知表が置いてあることが何度か続いたのを機に、対策を取ることにした。取り付けてあるインターホンの機種を確認した後、ネットで「増設子機」を注文する。3日後に届いたものの設置場所を決め、ダイニングルームの子機と細い電線でつないだ。

 早速、奥さんに玄関先のインターホンを押してもらうと、期待していた通りの音が居間の中で鳴った。理屈は単純な配線工事ではあったが大成功だ。「単純な配線工事」とはいっても、肉体的にはやや大変な工事ではあった。脚立の上に立ち、目立たないように天井の隅を這うようにきれいに取り付けて行かなければいけない。配線が部屋をまたぐときには、ドアの開閉に支障をきたさないようにうまい具合に隙間を見つけて配線をした。 

 その甲斐あって、まずは無事に工事を完了し、居留守疑惑対策は一件落着となった。時あたかも年の瀬が近い。借金返済の取り立てがやって来たときには、そうはいってもやっぱり伝家の宝刀で「居合抜き」ならぬ「居留守」を使うしかない。それがばれたときには「最近、どうも耳が遠くなったようで……」などと、年のせいにして弁解することにしよう。


予期せぬ受験者

2014年11月15日 | 岩国検定

 夏以来、今年はいろいろなことが重なり、慌ただしく時が過ぎて行った。それらも無事に乗り切り、やっと一段落した今日は、朝からいい天気であった。久しぶりに西の軽井沢にドライブに出かけ、今が盛りの紅葉狩りを楽しんで帰ってきた。

 郵便受けの中に、はがきが1枚入っていた。宛名を見ると「岩国検定実行委員会事務局」と、楷書で丁寧に書いてある。2週間後の11月30日に開催する検定試験の申し込みのはがきであった。玄関に向かいながら裏面を読んで驚いた。受験申込者の住所、氏名の次に年齢が書いてあるが、その年齢がなんと「12才」と書いてある。

 12才といえば小学6年生。私の孫と同じ年の男の子である。今回の受験申込者を含めて200余名の受験者を迎えたが、最高齢は第1回目の89歳で最若年は19歳であった。今回、最若年の記録を大幅に塗り替える受験者となった。その申し込み日は11月15日、申込期間の最終日にはがきが届いた。なんとも際どい投函であるが、そんなことは問題ではない。受験したいという人がいれば、いつでも受け入れ体制はできている。

 「12才が受験するのか」と思いながら住所を見ると、旧岩国藩の城下のど真ん中に住んでいる子どもだ。とすれば、日頃から岩国藩の歴史や史跡に馴染みのある子どもだろうか。それにしても、問題を作るときには子どもが受験するなんて、そんなことは全く頭になかった。設問には多くの漢字を使っている。武将などの固有名詞にはルビを打っているが、普通の漢字にはそんなことはしていない。読めない漢字も多くあるに違いない。

 さて、この子どもに対して、どんな対応をしてやればいいのか。漢字が読めないだけでなく、多分意味も分からないものもあるだろう。それでも一般受験者と同じ対応とするか、それとも「特別配慮した対応」をとるか。いやいや、検定を受験するくらいの子どもであれば、ひょっとしてそこいらの大人が顔負けするくらいの歴史愛好少年かもしれないぞ。当日、恐る恐るその辺りのことを聞き出して、その日の対応を考えることにしよう。悩ましい楽しみが一つ増えた。

 


天空の城

2014年11月10日 | 旅・スポット・行事

 牛窓で1泊した翌日、倉敷から北に向かって30㎞の所にある高梁という町に行った。お目当ては「備中松山城」である。標高430mの臥牛山の頂に建つ天守は、山城としては最も高い所にある。早朝、雲海に浮かぶ姿は幻想的で、国の重要文化財にも指定されている。町の観光案内のパンフレットを広げると次のように書いてある。

 「鎌倉時代、高梁の地頭・秋庭重信が大松山に城を築いたのを起源とし、1683年に3年がかりで修築され今の姿になった。 高梁は山陰と山陽、東西の主要街道が交差する要地であるため、戦国時代は激しい争奪戦が絶えず、目まぐるしく城主交代が繰り返された。登城坂の周囲は、高さ10m以上の巨大で切り立った岩壁がそびえ、難攻不落の名城であった。白い漆喰塗りの壁と黒い腰板のコントラスト、空の青に映える美しい天守。秋には大手門付近の木々が紅葉し、岩壁が燃えるような朱色に覆われる景色は圧巻である」

 山の麓から車で少し登ると広い駐車場があり、専用のシャトルバスに乗り換えて5分ばかりかけて急坂を登ると8合目の広場に到着する。そこからは歩いて、これまた急な坂道700mを、30分近く息を弾ませながら登ると、やっと城の入り口にたどり着いた。城内には天守、二重櫓、土塀の一部が現存している。

 この城は戦国のある時代、毛利氏は東方進出の拠点として、また防長2国に退いてからは、備中国奉行として赴任していた小堀正次・遠州父子により修改築がなされるなど、備中の要衝としての役割を担っていたという。この天守は2層2階で、岩国城の3層4階の天守に比べると小ぶりでかわいい天守であるが、城下の見晴らしは大変よい。

 麓の高梁の町並みには、武家屋敷・庭の美しい古刹・・商家など、城下町の名残が多く残されていて、観光するポイントが多くあることはパンフレットを読んで知っていた。山に登った疲れで観光するほどの体力はすでに消耗しており、結局、高梁では松山城を見物しただけで、残りはまたの機会ということにし、午後3時、早々に家路に向かった。次回は、雲海に浮かぶ天空の城をぜひ眺めたい。


たまに行くなら…

2014年11月08日 | 旅・スポット・行事

 9月の下旬、ちょっとした身体の異常が見つかり、もろもろの検査をしたのち、10月の半ばに入院手術をした。術後わずか4日目には無罪放免となり退院させられた。検査結果が出るまでは、最悪なことを思い暗い毎日を過ごしたが、晴れて又、今までと同じ生活が出来ることとなった。

 私の人生で、今回を入れて過去4度入院手術をしたことになった。入院してベッドに横たわっている時、いつも同じことを思っていた。「退院したら、どこか鄙びた温泉へでも行ってゆっくりしたい」と。あすこがいいか、ここがいいかと思いながら眠ったり目を覚ましたりの繰り返しで、毎日が過ぎた。このたびも、今までと同じことを思って過ごした。

 無事退院はしたもののメスを入れた個所の痛みは、痛み止めの薬を飲んでも簡単にはなくならない。2週間ばかり経った頃から、やっと痛みが和らいできた。「よし、あれほど心に決めていた温泉へ行こう」。奥さんを誘うと「温泉よりはもっと明るく気の晴れるような所がいいわ」とそっけない。病気上がりの私の意見はあえなく一蹴された。

 直ぐに代案を示すと今度は難なく合意。行き先は「日本のエーゲ海・牛窓」に決まった。牛窓とは、岡山駅から東に約30kmの所にある海に面したリゾート地。ヨットハーバーあり、夕陽を見るスポットあり、オリーブ園あり、竹下夢二の生誕地でもあり、何よりもエーゲ海にあるような白亜の小ぶりだが、チャペルを備えた瀟洒なリゾートホテルがある。

 17年前、わずか1年半ではあったが岡山で勤務したことがある。その時、牛窓に遊びに行き、いつかこのホテルに泊まってみたいと思っていたホテルに予約を入れた。「イルマーレ牛窓」というホテルである。小さく突き出た半島の海に面した丘の上に建っていて、さながらこれぞ「エーゲ海のホテル」という外観である。バルコニーからは眼下にヨットハーバーと、穏やかな瀬戸の海と、はるか前方には薄く小豆島が見えるオーシャンビューの部屋に案内された。

 全室といっても15室あるかなしかの3階建てのプチホテル。料金は2食付きでも驚くほどの格安なのに、夕食は魚と肉、デザートまでのフルコースという満足のイタリア料理。風呂からも絶景を堪能できる満足度120%の申し分のないホテルであった。こんなにいいホテルが牛窓にある。たまに行くなら日本のエーゲ海にある「ホテル イルマーレ牛窓」、お気に入りのホテルとなりました。