写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

天空の城

2014年11月10日 | 旅・スポット・行事

 牛窓で1泊した翌日、倉敷から北に向かって30㎞の所にある高梁という町に行った。お目当ては「備中松山城」である。標高430mの臥牛山の頂に建つ天守は、山城としては最も高い所にある。早朝、雲海に浮かぶ姿は幻想的で、国の重要文化財にも指定されている。町の観光案内のパンフレットを広げると次のように書いてある。

 「鎌倉時代、高梁の地頭・秋庭重信が大松山に城を築いたのを起源とし、1683年に3年がかりで修築され今の姿になった。 高梁は山陰と山陽、東西の主要街道が交差する要地であるため、戦国時代は激しい争奪戦が絶えず、目まぐるしく城主交代が繰り返された。登城坂の周囲は、高さ10m以上の巨大で切り立った岩壁がそびえ、難攻不落の名城であった。白い漆喰塗りの壁と黒い腰板のコントラスト、空の青に映える美しい天守。秋には大手門付近の木々が紅葉し、岩壁が燃えるような朱色に覆われる景色は圧巻である」

 山の麓から車で少し登ると広い駐車場があり、専用のシャトルバスに乗り換えて5分ばかりかけて急坂を登ると8合目の広場に到着する。そこからは歩いて、これまた急な坂道700mを、30分近く息を弾ませながら登ると、やっと城の入り口にたどり着いた。城内には天守、二重櫓、土塀の一部が現存している。

 この城は戦国のある時代、毛利氏は東方進出の拠点として、また防長2国に退いてからは、備中国奉行として赴任していた小堀正次・遠州父子により修改築がなされるなど、備中の要衝としての役割を担っていたという。この天守は2層2階で、岩国城の3層4階の天守に比べると小ぶりでかわいい天守であるが、城下の見晴らしは大変よい。

 麓の高梁の町並みには、武家屋敷・庭の美しい古刹・・商家など、城下町の名残が多く残されていて、観光するポイントが多くあることはパンフレットを読んで知っていた。山に登った疲れで観光するほどの体力はすでに消耗しており、結局、高梁では松山城を見物しただけで、残りはまたの機会ということにし、午後3時、早々に家路に向かった。次回は、雲海に浮かぶ天空の城をぜひ眺めたい。