写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

落葉日

2014年11月26日 | 季節・自然・植物

 ダイニングのテーブルでパソコンに向かっているとき、小休止で窓の外に目をやった。近くの家の屋根の向こうに、こんもりとした山の緑が見える。その中で一か所、色鮮やかな紅葉がひと際目を引いた。そういえば風呂に入った時、窓の外に植えてあるブルーベリーも今が紅葉の真っ盛りである。家の中から、居ながらにしての紅葉見物が出来ている。

 そんな日の夕方、テレビのニュースで初めて聞く言葉が聞こえてきた。「広島の街路樹のイチョウの木は、今日が落葉日で平年と同じ日でした」と言っている。「なになに、落葉日だと?」。桜の「開花日」は毎年「開花宣言」というような形でよく聞くが、「イチョウの落葉日」なんぞ初めて聞く言葉であった。

 調べてみると、イチョウの葉は、ある日短時間の内に、申し合わせたように一斉に散ってしまうと書いてある。短い時には2時間位で木が真っ裸になることもあるようだが、普通は1日でほぼ全部の葉が落ちてしまうという。その散り方は、黄金色の雪が舞っては止み、舞っては止みという感じで、とても風情ある光景のようだが、残念ながら今までそんな光景に出くわしたことはない。

 イチョウでは葉芽がほぼ同時に形成され揃って成長し、それぞれの葉の寿命は同じで一斉に散るようだが、それにしても時間単位の差で一斉に散るとは、まか不思議な現象である。一斉に散るといえば、これまた桜の花を思い浮かべるが、イチョウも一斉に散るという美学を備えていることを知った。

 ときまさに衆議院議員選挙へ突入の直前。解散の大義がありやなしやと世間の声がかまびすしい中での選挙であるが、この際イチョウの潔い散り方を学んでほしい議員もいるのではないか。衆議院議員の立候補者にとっては「落葉日」が「落選日」とならないよう常日頃から頑張ってほしいものである。イチョウの「落葉日」のニュースを聞きながら、現実のそんなことに思いが至った。