写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

矩(のり)を踰(こ)える

2014年11月27日 | 生活・ニュース

 73と書いて「ななじゅうさん」「しちじゅうさん」と読むほか「ななそじあまりみつ」とも読む。数字に関しては21番目の素数で、73/37のように桁を入れ替えても素数になる。アマチェア無線では、男性に対する別れの挨拶が 73で、女性に対しては 88 と言う。大リーグの年間最多本塁打記録としてバリー・ボンズの73本である。

 今日11月27日は私の誕生日。いつの間にやら満73歳を迎えた。窓ガラスに雪の結晶がへばり着くような厳寒の日、中国・大連で生まれたと母から聞かされていた。身の回りの電器製品や家具などは、傷んだり壊れたら新しいものに買い替える。そんなものに比べると、いろいろ修理しながらも随分長い間何とか生きてきたものだと、我ながら感心している。

 椅子に座り組んでいる足の裏を見た。触ってみると革の鞄のように硬い。これも73年間、遠くはヨーロッパの地にまで出かけて行って使い込んできた足の裏なんだなと、愛しい気持ちになった。こんな中途半端な年ともなると、祝ってくれるような人は誰もいない。自分だけにしか分からないこれまでを顧みて「俺はよく頑張って来たよな」と小さく呟いてみるくらいである。

 論語に「子曰わく、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」という文句がある。六十までの文句は知っていたが、「七十にして…」は知らなかった。

 その意味は「70歳になったら自分の心のままに行動しても、人の道を踏み外すことが無くなった」ということだという。さすが孔子さま、という気がするが、さて私はどうだろう。自分の心のままに行動しようとすると、「いやいや、そんなことは止めておいた方がいいよ」とか「またそんなことをして」などと、奥さんや周りの人から諭されたり咎められるようなことは間々ある。

 70歳はとっくに過ぎているのにこのありさま。孔子さまもこんな人のために「七十にして…」を「八十にして…」くらいにしておいてもらわないと、70歳くらいではまだまだ矩を踰えてばかりである。