写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

落 丁

2013年01月18日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画

 昨年1年間で、岩国エッセイサロンの会員が新聞に投稿したエッセイの総数は96篇であった。年が明ければそのエッセイを同人誌「花水木」として発刊するため、原稿の編集をし印刷屋に持って行く準備を年内にすべて終えていた。一昨年は12月31日に新聞に掲載されたものがあり慌てたが、昨年は12月30日が最後だったので、時間の余裕が少しあった。

 正月が終わった4日、事前打ち合わせ通り原稿をDVDにコピーし、電子情報として印刷屋に持ち込んだ。「1月18日には欲しいのですが」と、19日の新年初回の定例会に会員に渡すことが出来るように頼んでおいた。昨日(17日)「出来上がりましたよ」との電話。すぐさま、小雪の舞う中いそいそと受け取りに出かけた。

 今年のものは創刊号から数えて第7号となる。丸7年間、エッセイ創作の活動をしてきた。毎回感じることであるが、出来たての「花水木」を受け取りに行くときは気持ちが華やぐ。「今年の出来栄えはどんなかな。皆も楽しみに待っているんだろうな」など、いろいろ思いながら車を走らせる。

 梱包された99冊の上に、見本が1冊乗せてあるものを持ち帰った。見本を手に取り、めくってみる。一つ一つ、どれも何度も目を通したことのあるエッセイだが、本の形になっているとまた違う趣がある。今朝(18日)、この花水木を手に取り、ゆっくりとページをめくっているとき、大きな欠陥が見つかった。

 目次のページが1枚、裏表で2ページ分が落丁しているではないか。どうすればいいんだろう。きれいな表紙で150ページに製本された本だ。落丁のページをコピーしてノリ付けするくらいしかできないのか。いろいろな考えが頭をよぎったが、まずは印刷屋に電話をしてみることにした。

 解決策はあっけなく決まった。「全部持ってきてください。明日の定例会に間に合うよう、ただちに手直ししますから」と言う。直ぐに印刷屋に持ち込んだ。「カバーを外して製本し直します。大丈夫です。うまくやりますから……」「何か手伝うことがあればやりますよ」「いえいえ、大丈夫です」と自信ありそうな顔だ。

 この店で、今まで何度も本を作ってきたがこんなことは初めてだ。でも、素早い対応を取ってくれるというので一安心。明日は一件落丁、いや一件落着と相成るはずだ。


医者の悩み相談

2013年01月17日 | 生活・ニュース

 20年前、人間ドックに入ったとき、腹部エコー検査で膀胱に小さな腫瘍が見つかり、内視鏡手術で切り取るという手術を受けた。以来、半年ごと膀胱に内視鏡を入れて腫瘍の有無を検査することを繰り返してきたが、10年前からは1年に1回となり、2年前からは3か月ごとの尿検査で済ませるようになっている。

 膀胱の内視鏡検査は、膀胱鏡(ぼうこうきょう)検査ともいわれる。直径6mm、長さ30cmくらいの金属製の筒を、尿道口から挿入して尿道と膀胱を観察する検査である。当初は検査の前にあらかじめゼリー状の麻酔薬を筒を挿入して塗り込み、その後内視鏡を挿入して検査していた。想像してもらえばお分かりいただけるように、麻酔薬を塗ったくらいでは痛いことに変わりはない。医者が「口を開けて楽にしていて下さいよ」などと言いながら筒を挿入していくが、その間、両手で握りこぶしを作り必死でこらえていた。

 20年近くもこんなことをやっていると、徐々に慣れてくるというか鈍感になってきたというか、最後の頃は医者が「麻酔と検査とで2回も筒を挿入するより、麻酔なしで1度の挿入でやりましょう」といい、麻酔なしでやるようにまで慣れてきた。ここまでくれば
もう膀胱鏡検査のベテラン患者といえる。とはいえ痛み回避のコツは「リラックス」というが、挿入する場所が場所だけに心身ともにリラックスとは中々いかない。

 昨日、広島へ出かけ3か月ごとの定期検査を受けた。担当医師はいつもの50数歳の人の良い気さくなスポーツマン。前回雑談で、「膝が痛くて手術をしなければいけなくなった」と話していた。手術をしたのだろう。診察する机のそばに松葉杖が1本置いてある。「膝の手術はうまくいきましたか」と聞くと「もう少しで杖が要らなくなりそうです」「良かったですね」とのやり取りの後、医師が変なことを話し始めた。

 「下半身麻酔で手術をした。手術後、歩くことが出来なかった間、ベッドの上で尿道にチューブを入れて排尿したが、そのチューブを入れるのが痛くて痛くて。自分で入れようとしてもうまく入らなくて」と苦笑する。「チューブや筒を入れるって、結構痛いですねぇ」と初めて自らの経験を話し始めた。「どうしたら痛くないですかねぇ?」と、患者の私に聞いてきた。その道、いや、尿道のベテランと認めているからであろう。

 医師と患者の男2人が、しばらく尿道にチューブを入れる談義をした。別れぎわ医師に話した。「先生も、これで身をもって患者の痛みの分かる医者になられましたね」というと大笑い。同病ではないが、同じ秘所に痛みを経験した者同士だ。剣道、いや柔道、いや尿道のお陰で、今までよりほんの少しばかり心身鍛錬が出来、先生と私との絆も太くなった。 


「はなして翻訳」

2013年01月16日 | 生活・ニュース

 1年前、息子に頼んで携帯電話を、当時の最新のスマホに買い替えてもらった。パソコンと同じで、初心者に分かりやすく書かれた取扱説明書などはない。購入した者は皆どうやっていろいろな機能を会得していくのだろうかと、不思議に思いながらまずは使い始めた。

 そうはいいながらこの1年、携帯電話としての機能はもちろんのこと、まさに手の平に載るパソコンとしての機能は十分に発揮してくれた。例えば、見知らぬ土地へのナビ、その土地でのホテルやレストラン探し、ニュースを読む、テレビを見る、写真を撮る、調べ物を検索するなどである。

 そこそこ納得のいく使い方をしていると思っていた正月明け、スマホを買ってくれた息子が遅れた正月休みをとって帰省した。「こんな使い方が出来るのを知っている?」と、私のスマホに何やら細工をして見せてくれた。画面には見たことのないアプリのアイコンが表示されている。

 「はなして翻訳」と書いてある。使い方を聞いて驚いた。外人とのコミュニケーションを支援するソフトで、スマホを通じてお互いの国の言葉を相手の国の言葉に翻訳して発声してくれる優れものだ。
まるで傍に通訳がいるかのように、言語の異なる相手とスムーズな会話ができる。なんと10ヶ国語に対応している。昨年末から利用できるようになったばかりだという。 

 そういえば昨年来、テレビで広末涼子が出演していたNTTドコモのコマーシャルでやっていたものであった。外人を相手にスマホを介して会話する映像は何度も見ていたが、このことであった。使い方はこうだ。英語翻訳にセットしてスマホに向かって「あなたの名前は何ですか?」と言うと「What is your namel?」との音声が帰ってくる。英語で話すと、今度は日本語で帰ってくる。おもしろくも不思議だ。

 これがあれば、外人と出会って何か聞かれても、逃げることはない。海外旅行でフランスに行こうがドイツに行こうがどこに出かけても、もう問題ない。何でも話すことが出来る。恐いものなしだと思う一方、大きな問題が一つある。会話のスピードに追いつけるほどスマホの操作が出来るかどうかだ。会話以前の難問が未だ解決していないことにハタと気がついた。


座右の銘2013

2013年01月15日 | 生活・ニュース

 日経新聞のコラムで面白いものを見つけた。「覚えておきたい現代の名言」と題した記事である。①「座右の銘にしたいもの」 ②「落ち込んだとき元気になるには」 ③「仕事にやる気が湧いてくるのは」と、3つのジャンルに分けてそれぞれ10位までランキングされている

 「そうだ、そのとおりだ」と膝を叩いたものを抜き出してみた。まずジャンル①では、「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」「成功の反対は失敗ではなく、やらないことだ」 ②では、「人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている」「前向きにもがき苦しむ経験は、必ず自分の生きる力になっている」 ③では、「前進できぬ駒はない」「1歩踏み出せるなら、もう1歩も踏み出せる」。  

 これらは20代から60代の男女1030人に、名言集の中から選んでもらったものだという。その中から私が気に入ったものを6つ選んでみた。それぞれが厳しい状況に置かれたときに、眼をつむって思い出し反芻すれば「よし、がんばろう」という気持ちも湧いてこようというものだ。
 
 4年前の暮、岩国検定を立ち上げる決断をしたのは、山本文子さんの書いたエッセイを読んで心を動かされたからであることを今思い出している。
「今年に拍手」と題した短いエッセイであった。その年を振り返り、たくさんの魅力的な人にめぐり合えたことを書いていた。

 「私が魅力を感じるのは、四の五の云わず、自分のやりたいことをまっしぐらにしている人だ。夢なんかをゆっくり語っている人には、あまり魅力を感じない。やりたいとなったら、人は語っている隙に、もう事を始めているものだということを、私は今年、幾人の人の姿からおそわった」と。

 このエッセイを読んだとき「そうだよ。まずはやってみることだ」と独り言をつぶやいていた。たとえ失敗したとしても、とんでもない事態を招くようなことがないのであれば、四の五の言わず、まずはやってみる。何ごとを始めるにも、熟慮に熟慮を重ねるのはもちろんいい。しかし、最後には行動に移すことが大切であり、魅力的なことだと同感する。 

 私にとって2013年の座右の銘は今まで通り「四の五の云わず、やってみる」「成功の反対は失敗ではなく、やらないことだ」にしよう。それにしても、「何をやるか、それが問題だ~」


脱 皮

2013年01月10日 | 生活・ニュース

 「2012年12月16日、地域住民や市民によるシロヘビの保護と信仰に基づき、岩國白蛇神社が創建された。シロヘビをモチーフにしたデザインが随所に取り入れられており、手水舎の水はヘビの口から出ているほどだ」と報道されている。

 岩国に生息しているシロヘビは、国の天然記念物として「岩国のシロヘビ」と呼ばれ、保存会により長年保護されてきた。神社の建立は、シロヘビの供養と共に、金運・商売繁盛の神様の使いとされるシロヘビを、観光振興に役立てるのが目的のようである。

 巳年の新年を迎え、このお正月は景気回復を祈る大勢の初詣客でことのほか賑わい、シロヘビの脱皮を入れた縁起物や開運グッズなどは、すべて完売したという。さすがに金運・商売繁盛の神様だ。新年早々幸先よい好スタートを切っている。

 蛇の脱皮する様子をネットの映像で見た。手も足もないヘビなのに、土間や木や壁に身体をこすりつけながら5分間くらいの時間をかけて上手に表皮を脱いでいく。
口の部分から皮は剥がれ、靴下を裏返して脱ぐように剥がれていく。脱皮する一連の動きを見ていると、ヘビは身体をくねくねと曲げるだけで難なく皮を剥いでいく。まさしく文字通り曲者だといえる。

 考えてみると「脱皮」とは面白い現象だ。人間を含め、たいていの動物は、体の表面の組織は徐々に更新されて行くものである。しかし、ヘビなどは体の大部分の外皮が一気に剥がれ落ち、更新される。このとき脱ぎ落された皮は、抜けがらと呼ばれるが、言ってみれば古い上着ともいえる。  

 かの哲学者ニーチェが「脱皮できない蛇は滅びる」と言ったという。古い殻に閉じこもったままの人間はダメになるといった趣旨の格言。そこには「常に変化を変革を」との思いが秘められている。私もこんなブログを書き始めて9年目に突入した。古い上着よさようなら。今年はしっぽの先だけでもいい、脱皮してみたい。