今から39年前、マーティン・ルーサー・キングJr.牧師が暗殺された2ヶ月後の1968年6月5日。
カリフォルニア州の予備選を勝利で飾り、次期アメリカ大統領候補として多くのアメリカ国民から大きな期待を寄せられていたボビーことロバート・F・ケネディ上院議員が暗殺されたアンバサダーホテルにその日に居合わせた人々の姿を描きつつ、やがて深く深く問いかけてくる力作。
とは言え、決して政治が前面に出てくる映画ではなく、娯楽映画としても一級品のできばえ。
もちろんストーリーそのものはフィクションであり、22人という多くの登場人物によるドラマが同時進行するといった所謂「グランド・ホテル」形式で進行していくのだけど、この設定が素晴しい。
演説で語るボビー目線そのままに、不法滞在で選挙権もないヒスパックの見習いコックからアルコール依存症の大物女性歌手まで、それこそ人種、年齢、職業、そして立場もまったく違う種々雑多な人々をホテルという社会の縮図の中に集わせ、そこでさまざまなエピソードが展開されるのだけど、いずれの話もあの時代のアメリカの姿をうまく再現することに成功していて、なおかつ現代にも通じる各人が抱える対立、すれ違い、不安等々がきちんと描かれていて心をチクリとさせてくれる。
加えて背景に物語と同時進行するドライスティールの6連続完封記録達成の試合を持ってきたり、同じくアンバサダーホテルを舞台とし前年公開された映画「卒業」のアン・バンクラフトのボディダブルの話を持ってきたり ------ そして何れもあとからそれが伏線となっているのがわかる! ------ 、とにかくとてもよく練られ、見事にひとつのストーリーに仕上げられていく脚本の妙味に大いに感心させられてしまった。
そしてそうしたエピソードが落ち着くところに落ち着きつつある頃に突如として流れ出すサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」。
それまでニュース映像や実写フィルムでところどころで登場していたボビーが、アンソニー・ホプキンス扮する元ドアマンから挨拶を受けながらホテルに入っていくところから様子が急展開。
やがて忌まわしい暗殺の再現ドラマとなっていくのだけど、当然のことながらそういった展開になることを承知しておきながら、実際に目の当たりにするとやはり言葉を失ってしまう。
そして聞こえてくるのが、キング牧師暗殺の日、警察の危険警告や側近の中止勧告を制止し、インディアナ州インディアナポリスの黒人街でボビーが敢行したという演説。
What has violence ever accomplished?
What has it ever created?
violence breeds violence, repression brings retaliation, and only a cleansing of our whole society can remove this sickness from our soul.
決して難しい言葉を使うでもなく、平易で飾り気のないその言葉で人間としてのあるべき姿を説いているのだけど、あれから40年近くの時が過ぎた今でも、否、今だからこそこうしたストレートな主張に大きく心を動かされてしまった。
それにしても本当に演説のうまい人だったなあとつくづく感心。
たら、れば、というのは歴史を語る上で多くの人が思う常であるし、そういった意味では、例えばボビーがこうして凶弾に倒れずそのまま生きていたらその後の世界は変わっていたかも知れないと思う人は星の数ほどいるだろうけど、事はそんな単純なものではないとも思う。
ただ、だが、しかし、ここでの彼の言葉は、その当時のアメリカ人に向けた言葉としてだけでなく、今の時代のすべての国のすべての人たちへ語られるべき言葉として確かに輝いて存在していたのだ。
ともあれ、こうした思いに賛同してギャラなど関係なしに参加した俳優たち、制作総責任者を買って出たアンソニー・ホプキンス 、そして脚本、演出のエミリオ・エステヴェス、本当にちゃんとした仕事をしてくれたなぁと強く強く実感。
スクリーンではなかなか観れなくなりつつあるようだけど、8月リリースのDVDでもしゃーなしで是非。
とてもクリアな発音の最後の演説はコチラで聴くことが出来ます
本文はこっちで
カリフォルニア州の予備選を勝利で飾り、次期アメリカ大統領候補として多くのアメリカ国民から大きな期待を寄せられていたボビーことロバート・F・ケネディ上院議員が暗殺されたアンバサダーホテルにその日に居合わせた人々の姿を描きつつ、やがて深く深く問いかけてくる力作。
とは言え、決して政治が前面に出てくる映画ではなく、娯楽映画としても一級品のできばえ。
もちろんストーリーそのものはフィクションであり、22人という多くの登場人物によるドラマが同時進行するといった所謂「グランド・ホテル」形式で進行していくのだけど、この設定が素晴しい。
演説で語るボビー目線そのままに、不法滞在で選挙権もないヒスパックの見習いコックからアルコール依存症の大物女性歌手まで、それこそ人種、年齢、職業、そして立場もまったく違う種々雑多な人々をホテルという社会の縮図の中に集わせ、そこでさまざまなエピソードが展開されるのだけど、いずれの話もあの時代のアメリカの姿をうまく再現することに成功していて、なおかつ現代にも通じる各人が抱える対立、すれ違い、不安等々がきちんと描かれていて心をチクリとさせてくれる。
加えて背景に物語と同時進行するドライスティールの6連続完封記録達成の試合を持ってきたり、同じくアンバサダーホテルを舞台とし前年公開された映画「卒業」のアン・バンクラフトのボディダブルの話を持ってきたり ------ そして何れもあとからそれが伏線となっているのがわかる! ------ 、とにかくとてもよく練られ、見事にひとつのストーリーに仕上げられていく脚本の妙味に大いに感心させられてしまった。
そしてそうしたエピソードが落ち着くところに落ち着きつつある頃に突如として流れ出すサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」。
それまでニュース映像や実写フィルムでところどころで登場していたボビーが、アンソニー・ホプキンス扮する元ドアマンから挨拶を受けながらホテルに入っていくところから様子が急展開。
やがて忌まわしい暗殺の再現ドラマとなっていくのだけど、当然のことながらそういった展開になることを承知しておきながら、実際に目の当たりにするとやはり言葉を失ってしまう。
そして聞こえてくるのが、キング牧師暗殺の日、警察の危険警告や側近の中止勧告を制止し、インディアナ州インディアナポリスの黒人街でボビーが敢行したという演説。
What has violence ever accomplished?
What has it ever created?
violence breeds violence, repression brings retaliation, and only a cleansing of our whole society can remove this sickness from our soul.
決して難しい言葉を使うでもなく、平易で飾り気のないその言葉で人間としてのあるべき姿を説いているのだけど、あれから40年近くの時が過ぎた今でも、否、今だからこそこうしたストレートな主張に大きく心を動かされてしまった。
それにしても本当に演説のうまい人だったなあとつくづく感心。
たら、れば、というのは歴史を語る上で多くの人が思う常であるし、そういった意味では、例えばボビーがこうして凶弾に倒れずそのまま生きていたらその後の世界は変わっていたかも知れないと思う人は星の数ほどいるだろうけど、事はそんな単純なものではないとも思う。
ただ、だが、しかし、ここでの彼の言葉は、その当時のアメリカ人に向けた言葉としてだけでなく、今の時代のすべての国のすべての人たちへ語られるべき言葉として確かに輝いて存在していたのだ。
ともあれ、こうした思いに賛同してギャラなど関係なしに参加した俳優たち、制作総責任者を買って出たアンソニー・ホプキンス 、そして脚本、演出のエミリオ・エステヴェス、本当にちゃんとした仕事をしてくれたなぁと強く強く実感。
スクリーンではなかなか観れなくなりつつあるようだけど、8月リリースのDVDでもしゃーなしで是非。
とてもクリアな発音の最後の演説はコチラで聴くことが出来ます
本文はこっちで
お久しぶりです
すみません2回もTBしちゃいました。
ボビーが生きていたら、アメリカは
変わっていたのでしょうか
歴史に「たら」「れば」は意味を成さないといいますが、
確かに今とは違った国になっていたような気がします。
それにしてもキング牧師亡き後、あそこまで多くの人の期待が
彼に向けられていたということを映画を観てはじめて知りました。