
独裁国家と化した近未来の英国。労働者階級の若きヒロイン、イヴィー(ナタリー・ポートマン)は絶体絶命の危機に見舞われたところを“V”とだけ名乗る仮面の男(ヒューゴ・ウィービング)に命を救われた。とにかく考えようによっては滅茶苦茶過激な映画だ。
いくつもの顔をもつVは、華と教養を兼ね備えた紳士であり、恐怖政治に抑圧された市民を暴君の手から解放することに余念がない。しかし一方では、怨念にかられた血の復讐鬼でもあった。
不正と暴虐にまみれた政府から英国民を解放するため、Vは国の圧制を糾弾し、同胞の市民に国会議事堂前に集結するよう呼びかける。決行は11月5日――“ガイ・フォークス・デー”だ。
1605年の同じ日、ガイ・フォークスは火薬を詰めた36個の樽とともに、議事堂の地下道に潜伏しているところを発見された。フォークスをはじめとするレジスタンス一派は、ジェイムズ一世を君主とする圧政に反発し、政府の転覆を狙って“火薬の陰謀”をくわだてた。だが、一斉に摘発されたフォークスらは絞首刑、火あぶりの刑、四つ裂きの刑に処され、計画は未完に終わってしまったのだ。
その反逆精神とあの日の記憶を胸に、Vはフォークスの計画を引き継ぐことを心に誓う。1605年11月5日に処刑されたフォークスに代わって、国会議事堂を爆破しようというのだ。
謎に包まれたVの素性が明らかになるにつれ、イヴィーは自分自身についての真実をも知るようになる。図らずもVの協力者となったイヴィーはVの悲願をはたすべく、革命の火をともし、血も涙もない腐りきった社会に自由と正義を取り戻すために立ち上がった。(プロダクション・ノートより)
舞台となるのは近未来のジョージ・オーウェルが描いた「1984年」を想起させる徹底した管理社会の英国(実際に英国は監視カメラが設置台数の多さでは世界一のはず)。
「政府は真実を嘘で語り、小説は真実を嘘で伝える」といった台詞が劇中あったけれど、まさに国家権力というのは少なからずそういったものだということを、デフォルメしつつ普通に描いている。
かつて自分に降りかかった苦難を恨みを晴らすため、次々と個人的な復讐を果たすべく政府の要人を暗殺していくその無慈悲さ。
そして同時にスティーブン・レイ扮するフィンチ警視役の目線から過去の忌まわしい事件の全容が次第に明らかとなっていくストーリーテリングの面白さ。
さらに20年間、そうした復讐と革命しか頭になかったVが、イヴィー(ナタリー・ポートマン好演!)が出会うことによって、『オペラ座の怪人』さながらのせつない恋に落ちる様子。

とにかくそれぞれの人物造形がとてもよく出来ているので物語の広がりが出て、単なる荒唐無稽な近未来物語にとどまらない怖さを伴った面白さがここにはあった。
それにしてもビッグ・ベンと国会議事堂が爆破されるラストシーンの過激さは、当然のことながら9.11の世界貿易センタービルを思い出さずには居られず、その「志し」の行く先を同捉えるべきなのか、エンディングに流れるストーンズの「ストリート・ファイティング・マン」を聴きながら暫し考え込んでしまった。
今日の1曲 “ Cry Me A River ” : Julie London

セクシーなハスキー・ボイスで人気を博した美人シンガー、ジュリー・ロンドンの1955年発表された彼女にとって最大のヒット曲であるこの「クライ・ミー・ア・リバー」。実は高校の級友だったというアーサー・ハミルトンが作詞作曲したとのこと。iTMS でDL可能です。
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アメリカでは評価も良さそうですけど、イギリス人はどう見てるんだろうかと気になります。
ちょっことだけネットで見た限りでは、賛否両論という感じでした。
ただパーラメントハウス(国会議事堂)がこうして破壊されるのって、やはり刺激的だと思うのですが・・・・。
それにしてもアナーキストでありラディカルなフェミニストであり米国で一番危険な女性とまで言われたエマ・ゴールドマンの有名な文句「私が踊れないのなら、そんな革命の一部になどなりたくはない」の引用など、さまざまな引用や仕掛けがある作品でしたね。
目には目をでは、いつまで経っても報復、報復の繰り返しだと思うんですけどね・・・まあ、僕には解らない、根深い問題もあるんでしょうが・・・
アクション色が思ったより少なかったので、なんか想像と違う映画だという感想です。僕のツボからは、外れてしまいました。
国会議事堂の爆破、花火、集まる民衆・・・なんだかとても爽快感を感じると共に、ここで爽快感を感じていいのかと悩む自分もいたりして、とても複雑な気持ちでした。