花と緑を追いかけて

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いっぱいの主婦の日記です

春を探しに自然公園へ・・・(その2)と私のお雛様

2021年02月26日 | 舞岡公園
「2月は逃げる」と言われていますが、アッと言う間に月末近くになりました。
先週後半の5月の陽気がウソのように、今週は冷たい北風が吹いて冬と春が行ったり来たり・・・

三寒四温を繰り返しながら、本格的な「春」は三歩進んで二歩下がりながらやって来るようです。



舞岡公園でオレンジ色の「シナマンサク」を見ましたが・・・
あれから2週間後に我が家の東側に植えてある黄色い「マンサク」が8分咲になりました。



日当たりの良い西側のハクモクレンの足元に植えたクリスマスローズも咲き出しました。
ご近所仲間のノンちゃんから貰った貴重な白が一株あったのですが、今年は見当たらない



このお花は下を向いて咲くので撮影が難しい、腰が痛い時の撮影は特に苦労しますね

春の陽気に誘われて、雑草が目立ちだした庭や畑の草取りや寒肥の補充を頑張り、
家の二階の家具を移動し・・・

ライン仲間とのリモート懇親会に参加するため、Wi-Fi環境の良い2階にPCを移したのですが
置き場所に困り、解体したユニット家具の机を組み立て、背当てのない踏み台代わりに使っていた椅子で
その後もPCに向かっていたら、、、、

21日の日曜日の夜から腰が痛くなり、翌日は更に足まで痛みは広がった

天皇誕生日の火曜日にやって来た息子に、革張りのクッションの良い椅子に取り替えてもらったら
痛みはだいぶ良くなりました。

そんな訳で公園の階段での体力アップどころか、今週は冷やさないようにと大人しく家に籠っています

舞岡公園の小谷戸の里(2月5日)
前回紹介した我が家近くの舞岡公園には福寿草やマンサクが咲き出していて
春の訪れが感じられました。



小谷戸の里の古民家南側には「ロウバイ」も見頃でしたが、その後の春の陽気で
このお花の盛りはすでに過ぎたことと思います。



ロウバイの咲いている横の縁側には華やかなお人形が並んでいました
南側の入り口から古民家の中に入ります。



入った所はうす暗い「土間」で、カマドの存在感が凄い
昭和30年代の前半に、佐渡の伯母の家に遊びに行った時に見たタイルのカマドを思い出します。
もっと明るい南向きで、床はコンクリートの広い土間でしたが・・・



土間の向こうが囲炉裏のある板張りの居間、これも佐渡の家と同じで(伯母の家は倍の広さがありましたが)
家族で囲炉裏を囲み、各自個別の食器が箱に入ったお膳で食事した風景を
私は父の転勤で東京から新潟に引っ越した小学5年の夏休みに、初めて佐渡に行き体験しました。



床の間付きの和室にはお雛様が飾られ、コロナ禍の中での陰鬱な気分が華やぎ
「久しぶりに、私も自分の雛人形を飾ろう」と思いました

尚、この古民家は明治時代後期の典型的な農家屋敷、東戸塚の品濃町から
1994年にここに移築復元された旧金子邸です。



古民家を後にし「小谷戸の里」を出て水車小屋方面に行くと、大きなレンズを取り付けたカメラを
三脚に立てている鳥撮りおじ様たちがいました。

聞くと「アリスイ」という鳥がいるそうです。あそこ!あそこ!と指さされた先の茂みに
頬がオレンジ色の小鳥が・・・
おじ様たちの数人が、写した自慢の作品を見せてくれました。

私が唯一この公園で撮った鳥は「瑠璃色のカワセミ」のみこちらです



左手の中丸の丘の上に「紅梅が咲いている」と二人連れの女性に聞き、行ってみました。



丘の上にはベンチが3個並んでいたので、斜面の梅を眺めながら一休みです。
持ってきた紅茶と洋菓子を食べ、毎日ラインしているSさんにこの風景と福寿草の画像を送りました。

尚この日見た福寿草は、舞岡公園近くに住むブログ友のひろしさん情報では
葉が茂った姿でまだ咲いているそうです



一休みしてから登ってきた階段を下り「さくらなみ池」を左手に見て
再び階段を上り、春には桜が楽しめる「バラの丸の丘」に出ました。

この日はお花見の季節の準備で、あちこち工事の車が入っていましたね。
桜の季節の「舞岡公園」も何度か紹介しています。
興味のある方は左の欄の「カテゴリー」の舞岡公園をクリックしてご覧ください。

私は「小菅ヶ谷公園」の駐輪場に戻り、電動自転車で坂の途中にある「生協」で買い物してから
家に戻りました。

約3時間の早春散歩、スマホの万歩計は1万歩弱でした。

私のお雛様
舞岡公園の古民家でお雛様が飾られていたのを見て、私自身のお雛様を何年振りかで取り出しました。
私は母方の祖父母にとって「初孫」でしたので、戦後の何もない時代ながらもお雛様を贈ってくれたようです。



祖父母はお内裏様と三人官女、そしてお道具類の3段のお雛様を用意してくれましたが
その後一段づつ両親が揃えてくれて、小学校入学の頃には6段飾りとなっていました。

今では祖父母から贈られた3段だけを残していますが、今回の雛飾りはお内裏様だけです。



母は三姉妹の末娘でしたが、跡継ぎの長女(札幌の伯母)も親の故郷佐渡に嫁いだ次女(佐渡の伯母)も
子供がなく、私は祖父母(特におじいちゃん)にはとても可愛がられました

正確に書くと、佐渡の伯母は小学生の男の子ばかり3人が遺された家に
後妻に入ったので、佐渡には血の繋がらない従兄が3人いましたが・・・

大正8年生まれの父は東京新橋生まれの新橋育ちでしたが、地方の国立大学で「応用化学」を学んだので
戦地には行かず、北海道のど真ん中にあった「石炭から石油を作る」という夢のような研究をしていた
国策会社に就職しました。

そして学生時代の親友の叔父さんが北大の理学部の教授をしていたので、挨拶に出向いた際
その教授の雑用係として働いていた母を紹介され、私の両親は昭和20年に結婚し
翌年私が生まれた次第です。

※この極内輪のお話は我が家のルーツとして、「息子一家」に残したいと思って記しました
 (私がボケる前にね)



ブログを遡って見てみると、父や夫を亡くした7年前とその前年にこのお雛様を飾っています。
7年前の2月にも舞岡公園を訪ねていましたこちらです。
(これを読むと、コロナ禍での日本の医療崩壊の原因の一部が解るような気がします)

古びた私のお雛様ですが、たまには飾ってあげないと可哀想ですね。
早速、庭の梅の花とスイセンを活け、桜餅や雛あられを買って来ようと思っています。


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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
舞岡公園古民家 ひな人形など。 (Pegasus)
2021-02-27 18:40:29
 古民家のかまどは、確かに私の実家でもタイルのかまどでした。懐かしいですね。
 naoさんのブログを午前10時ごろに拝見し、刺激され「私家のひな人形、最近出していないね。屋上の倉庫に入っているかと思われるので出してみようか。もう、この家を建ててから1回出したぐらいで20数年出していない。どうなっているかしら?」となって、午前11時ごろから二人で組み立てを開始。
 段ボール箱はボロボロだったが、中は思ったよりもきれいに保存されており、午後6時過ぎやっと完成した。
 明日の弊ブログを楽しみに。
 コロナが落ち着いたらぜひ舞岡公園に行きたいと思っています。
 
Unknown (山小屋)
2021-02-27 19:07:10
舞岡公園・・・
散策するにはよさそうなところです。
私の知り合いも時々散歩しています。
同じ故郷出身ですが、ふるさと会も昨年は
中止になり出会うことができませんでした。

大きなカメらを構えたおじさん達・・・
いつもカメラ自慢をしているようです。
Unknown (ビオラ)
2021-02-27 20:14:51
私の家も小学生のころまでタイルのかまどでした。
子供の私もそのかまどでご飯を炊きましたが
今それをしろと言われてもとてもでそうにありません(;^_^A
古民家に飾られたお雛様達をみてご自分のお雛様を飾られたのですね
ン十年前のお雛様、きれいに保存されていますね
歴史を刻んで存在感があります
お雛様も飾ってもらって喜んでいることでしょう
私は毎年娘の7段飾りのお雛様を飾っているのですが
今年は母の忌明けが済んでいないので7段を飾るのを止め
内裏雛だけを飾っています。
お雛様 (☆銀河☆)
2021-02-27 22:48:40
 古民家に飾ってるお雛様を見て、
高校時代友人の家に遊びに行った時のことを思い出しました。
広い和室の続き間の奥に立派な段飾りが飾ってありました。
古いお宅で、とても幻想的なお雛様に見え、ドキドキしました。
でも場所は赤坂!都心にこんな古いお屋敷があるのが驚きでした。

naoさんのお雛様上品なお顔されていますね。
祖父母さま、可愛い孫のために選んだお品でしょうね。ご両親も丁寧に選ばれたのだと思います。
naoさんへの愛情が感じられます。
☆Pegasuさんへ (nao♪)
2021-02-28 13:19:06
Pegasusさん宅の立派な七段飾りのお雛様の画像、拝見させていただきました。
流石に日本の高度成長期に造られたお雛様はお見事ですね。
飾り付けに7時間もかかったとは驚きです。

佐渡の伯母の家も明治時代に建てられたと聞いています。
その後、昭和40年代に土間と囲炉裏の部屋の部分はダイニングキッチンと応接間にリニューアルされ
息子が幼稚園時代に家族で遊びに行った時に見て驚きました。
玄関上がりの板張りの広間と立派な仏間、それに続いく和室がそのままだったので安心した覚えがありますね。
古い物は残して欲しいと思うのは都会人の我がままでしょうか?
お兄さん・お姉さんと慕っていた従兄夫婦も(義兄は3年前、義姉は去年)亡くなりました。
幸い従兄の長男がサラリーマン時代にUターンして、その家に夫婦で住んでいます。
お墓参りにいつか行かねばと思っている佐渡ですね。




☆山小屋さんへ (nao♪)
2021-02-28 16:51:06
鳥撮りさんたちのカメラは本当に立派です。
あのバズーカ砲のようなレンズだけでも100万円以上すると聞きました。
「弘法筆を選ばず」というのはウソですね。高いカメラほど良い写真が撮れます。

舞岡公園を散歩なさっている佐渡出身の方はこの公園の近くに住まわれているのでしょうか?
人工物が殆どなく、散策するには良い所です。
ワンゲルでも戸塚から歩きましたから、山小屋さんもご存知でしたね。
☆ビオラさんへ (nao♪)
2021-02-28 17:12:22
私は子供時代、新聞紙とマキと炭を使って七輪での火おこしは結構やりましたが、、、
社宅生活の我が家にはカマドは無かったような?
炊飯器がなかった時代、母は何でお米を焚いていたかは思い出せません。

70数年前のお雛様、祖父母はさぞかし苦労して手に入れたことと思います。
小物類は無くなったものも多く、五人囃子や右大臣左大臣などは処分しましたが・・・
やはり祖父母の愛情籠ったお内裏様や三人官女は処分できませんでした。
我が家には娘が居ませんので、これが唯一のお雛様です。
我々の子供世代が生まれた頃は、日本はまさに高度成長期・・・
7段飾りや8段飾りが殆どでしたね。
でも孫世代は場所をとらない「お内裏様のみの平飾り」が多くなりました。

☆銀河さんへ (nao♪)
2021-02-28 17:50:53
赤坂の古いお屋敷のお雛様は、江戸時代からの伝統あるお雛様ではないかしら?
芸術館や記念館で見る享保雛のお顔に驚いたことがあります。
お雛様の顔は時代時代で変化している感じがしますね。
私のお内裏様のお顔を見るたび、昭和の皇后良子さま(香淳皇后さま)が浮かびます。
孫娘のお雛様のお顔はもう少し目が大きくて頬がふっくらしていて現代的かしら?

お雛様の3段の組み立ての台を作ってくれた祖父は私が5歳の時に、65歳で亡くなりました。
その時父に背おられて札幌駅から北大病院まで走った風景を鮮明に覚えています。
祖母は私が6年生の時に73歳で・・・
私はもう祖父母の歳を超えたことに唖然とします。
Unknown (tona)
2021-03-02 08:41:48
クリスマスローズがきれいに咲きましたね消えてしまった
白は弱いのでしょうか。

1万歩も毎日変化したところを歩ける自然が残っていてよいところにお住まいです。

椅子の具合でさえも体に不調をきたす・・・わかるような年になりました。考えますと恐ろしいことですね。

nao♪さんのお雛様、初孫として立派な心の籠ったもので今もきれいに保たれていますね。
私のは寄付してしまったのか5段飾りが結婚した頃にはなくなっていました。娘は今もずっと飾っているようです。
Unknown (kiki)
2021-03-02 11:26:48
いろんな事を書かれていて、昔の思い出 今の時代のリモート 歴史の流れはすごいことですね。
わたしなど ついていけなく戸惑ってばかりですよ・
お宅のマンサクは8分咲 そしてクリスマスローズが咲きだし春がそこまで来ているんですね。
ブログ友達のリモート懇談会は楽しそうですね。
皆さん機械に詳しく操作できるなんて羨ましいです。
それに周りに詳しい友達がいないとできないことですね。
舞浜公園はお家から意外と近く 広くのびのびと満喫出来る所のようですね。
そこのマンサクも満開 少し行ったところの紅梅の美しさも絵になっていますね。
古民家を利用してお雛様 昔のお台所 主人の実家もそうでしたので懐かしく感じました。
naoさんのお雛様 出していただいて満足していることでしょう!

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