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ゴールデンウィークも終わりましたね。
この期間中はずっとお天気に恵まれ



春を飛び越えていっきに初夏の陽気になりました。
連休中は病院もお休みなので父の付き添いも一休みです。
その分「ノンビリ出来た」のかも知れませんが・・・
「混んでる時は出かけない」主義の我が家
でも私は、青空に映える新緑の美しい山々が目に浮び、気持ちが落ち着きませんでした。
この一週間、我が家の庭の「藤」が丁度見頃でした



「端午のお節句」の頃は、和室の床の間に息子の鎧兜を飾り、この実家から持ってきた藤の花の下で
まだまだ元気だった実家の両親を招待して、毎年バーベキュウをやったものです。
庭に放し飼いの愛犬ジュン君も鼻をヒクヒクさせて仲間入りし、
高校生の息子とお肉を分け合って、食べている姿も写真に残っています。
まだ家族みんなが充分に若く、輝かしい未来があると信じていた頃を懐かしみながら
しばしこの「藤」を見上げて、写真に収めました。
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この連休中、私は2回両親に会いに施設に行きましたが、その内の1回は息子一家と一緒に行ってきました。
ひ孫達を見て両親は喜んでいましたが、来週には父の検査結果が出るはず・・・
厳しい現実も覚悟しなければなりませんね。
そして今年の「端午の節句」は、孫のハー君の「兜」が飾られた息子宅のリビング前の
主人手製のデッキでバーベキューを楽しみました。
こうして世代は移り代わりながらも、家族の絆は受け継がれていくのでしょうね。
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借りている菜園では今「絹サヤ」と「スナックエンドウ」のお花が咲いています。
藤の花と良く似たお花です。マウスオンでご覧下さい

手の平いっぱいの収穫も間もなくですよ

青空の下、私は連日家庭菜園で土いじりをして「夏物野菜」の苗を植えました。
緑豊かな季節を迎えて、ふと砂漠の国を思い出しました。
エジプトから帰ってきてから両親の事でバタバタし、私も何かと余裕がありませんでした。
なかなか進まない「エジプト紀行」ですが、久しぶりに綴ってみたいと思います








エジプトの第一目はカイロ郊外の「ピラミッド」を見学し、二日目は早朝2時半出発で
南部の「アスワン」に飛行機で飛び、「アスワンハイダム」や「イシス神殿」を巡り、
バスで280km南の「アブ・シンベル」に向かいました。
「アブ・シンベル神殿」
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バスはパトカー先導で砂漠街道をひた走り、アスワンからおよそ3時間で
「アブ・シンベル神殿」の駐車場に到着しました。
世界中の観光客で混んでいる入り口でセキュリティーチェックを受け中に入り、
ガイドのモモちゃんに案内されて丘の上を10分ほど歩いて行くと神殿が見えてきます。
流石に隣国スーダンまで50kmというエジプト南部、冬とはいえ降り注ぐ太陽の光は強烈でした。
大神殿
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大神殿の正面には、高さ20mの「ラムセス2世」の4体の巨像が配置されています。
日本でもTVや写真などでこの巨大なラムセス2世像を見る機会はありましたが、
この4体ともラムセス2世だったとは驚きました

神殿が完成してから7年後(紀元前1248頃)の大地震で左から2番目の像の上半身が崩れ落ち
今でも足元に頭部が転がっていました。
ラムセス2世の巨像は、王を守護するコブラの頭を額につけ、王権を現すネメス頭巾をかぶり
王権の象徴である付け髭をつけ、両手を膝に載せています。
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ラムセス2世は古代世界の数多くの王たちの中で、最も顕示欲が強かった王として知られており
「ラムセス大王」とも呼ばれていたそうです。
この大王の事は、ギザ郊外のメンフィス博物館にも巨大な像があり
そこの紹介記事でも記しましたが、90歳近くまで生きた「王の中の王」としてアチコチに遺跡が残っています。
その中でも「アブシンベル神殿」が最たるものだと思います。
ラムセス2世は王妃たちの中でも特に「ネフェルタリ王妃」を寵愛しました。
入り口の両脇に王妃の立像が見られます。
そして像の足元には200人近く居た子供達の一部の像が立ち
神殿の入り口の上には、ハヤブサの頭をした太陽神「ラー・ホルアクティー」の立像が見られます。

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内部は残念ながら撮影禁止です。マウスオンでご覧下さい

入り口の門番が「生命の印のアンク」に取り付けた錠前を持っていて、
興味を示した私たちに手渡し「カメラで写してあげる」みたいなことを言ってきました。
その後しっかりと「ワンダラー」と要求してきましたよ。
仕方無しに渡すと、もう一人の門番のおじさんまで手を出すしまつ・・・
今度はぷりんさんが「消せるボールペン」を渡し、使い方を実演して教えていました。
エジプトでは何故か

案の上のようで、おじさんはニコニコと喜んでいました。
「小神殿」
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アブ・シンベル大神殿から北に100mほど離れて、並ぶように造られている小神殿は、
ラムセス2世がネフェルタリ王妃と愛と音楽の神「ハトホル」女神に捧げた神殿だそうです。
ここも大神殿と同じ様に岩山を直接掘って造られました。
神殿の正面には高さ10mのラムセス2世の立像が4体、王妃ネフェルタリの2体の立像を
保護するかのように交互に配置されています。
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「ネフェルタリ」とは古代エジプト語で”最も美しい女性”という意味

王妃は重いカツラをかぶり、その上に二枚の羽根と二つの角が付いた太陽円盤が置かれています。
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中の「至聖所」前室には彩色の残るレリーフがたくさん刻まれています。
お借りした画像は「左のハトホル女神と右のイシス女神が、ネフェリタリ王妃の頭に冠を乗せている」図
三人ともそれぞれに「生命の印のアンク」を持っています。
この2人の女神の事は「イシス神殿」の見学時に、泉アキさん夫妻が即興で演じ皆で勉強しましたね


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アブ・シンベル神殿の前には海のような「ナセル湖」(ナイル)が広がっていました。
1960年、アスワンハイダム建設が始まると、その背後にできる人造湖「ナセル湖」のために
アブシンベルをはじめ、ヌビア地方の数々の神殿が水没してしまう恐れがありました。
そのため、ユネスコ指導で世界規模の「ヌビア遺跡救済運動」が始められ、このキャンペーンにより
1964年から1968年にかけてアブシンベル神殿は元の場所から65m高い位置に移動しました。
大神殿は807個、小神殿は235個のブロックに切断しての移築です。
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このことが、世界遺産の創設のきっかけとなりました。
「アブ・シンベル神殿」は世界遺産の象徴的な遺跡で、世界文化遺産に登録されています。
3000年前に建造された遺跡が、20世紀に水没の危機に直面し、世界中の協力と知恵で
無事に保護されて、天空のラムセス2世もホッとしているでしょう・・・
洋上のホテルのような船が接岸されている青い「ナセル湖」は、そんな騒ぎも忘れたかのように
砂漠の中に満々と水を蓄えていました。