花と緑を追いかけて

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いっぱいの主婦の日記です

エジプト紀行・その1「カイロに向けて出発」

2010年02月08日 | エジプト紀行

今回の旅行は、JTB通販の「旅物語」”感動のエジプト紀行10日間”を利用しました。
(詳しい日程は上のURLをクリックしてご覧下さい

3ヶ月前に、各社のエジプトツァーのパンフレットを大量に集め、
実際にエジプト旅行の経験がある仲間のお嬢さんに見てもらって候補を絞りました。

JTBの海外旅行ブランド「LOOK」と同じ様な所を回り、ホテルも似たり寄ったり・・・
それでいて30万円を切るお値段に魅かれて申し込みました。

「LOOK」と比べれば、食事の内容が劣っていたようですが、
私たちは特にエジプトにグルメは期待していませんでしたのでヨシとします。

<1月23日・成田国際空港第二ターミナル集合>
エジプト航空のカイロ直行便は14時25分出発
その2時間前の12時25分が集合時間です。

私たちは「成田エキスプレス」で早めに出かけ、空港で昼食を済ませて、
正午過ぎに「旅物語」のカウンターに行きました。

すでにエジプト航空の搭乗手続きは始まっていて、希望の窓側の席は取れず、
真ん中の4列に並ぶ事になりました。

各自で搭乗手続きを済ませてから、ツァーの一同が集まり、
30代前半の女性添乗員H島さんから説明を受けました。
参加人数は30名、中にTVで見覚えのある芸能人ご夫妻の姿がありました。


各自でセキュリティ検査を受け、出国手続きを済ませて、途中DFS等でお買い物をしながら
エジプト航空機の搭乗口にたどり着いた時は、集合時間ギリギリの2時・・・
すでに機内への搭乗が始まっていました。

主人との旅なら「何グズグズしているんだと怒鳴られたに違いありません

飲酒を禁じているイスラームの国ですからエジプト航空機内ではアルコールは出ません。
ただし持ち込みはOKなので、搭乗口近くのお店でビールと水も買いました。

中に入り、飛行機に乗り込む手前でもう一度セキュリティー検査があり、ボディーチェックまで受けました。
テロの頻発する国への旅行を実感し、少々緊張を覚えます。
座席にたどり着いた時は汗だくでしたが、「ホルス」のマークを見てホッと一息付きました。

私たちが乗ったエジプト航空MS965便は、30分ほどの待機を経てから、午後3時に飛び立ちました。
カイロまでの飛行時間は15時間です


「ホルス」とはエジプトの神話に登場する天空と太陽の神。
通常はハヤブサの頭をした男性として表現されています。

シートベルトのバックルや背もたれシート、お食事用のナイフやフォークにも「ホルス」の姿がありました。
モチロンエジプト航空のマークにもなっています
このホルスのお話しは、エジプトの「イシス神殿」でシッカリと説明を受けました


去年の今頃「バリ島」に行きましたが、その際は「ガルーダインドネシア航空」を使いました。
あの「ガルーダ」も、ヒンズー教の神鳥です。

「日航も以前の鶴のマークの方が断然好いのに、何故変えたのかしら?」という声が飛びました。
「あのような赤丸にしたから赤字になったのよ」という意見も加わりました。

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夕方の4時半頃に最初のお食事が出ました。
マウスオンでご覧下さい

K子さんがチキン、私はビーフを頼みましたが・・・
この先、飽きるほど硬いお肉料理を食べる事になるのですから、この時はお魚料理が食べたかったですね。


乗り馴れたカンタスパース便と同じ、窓側2列、真ん中4列で、座席にモニターがない古い型の飛行機です。
正面の壁に掛かった画面を写しました

空路は鳥取沖から日本海に出て、朝鮮半島を横断し、チベットの北のゴビ砂漠の上空を飛んでいるようでした。


お喋りにも飽きてウトウトしていた頃、こんなものが配られました
シャケのオニギリが美味しかったこと、ドラ焼きはバッグにしまい込みました。


真夜中の1時過ぎに再びお食事タイムです。天丼もありましたがとても胃が受け付けません。
海鮮オジヤにして正解でした。美味しかった~

エジプトとの時差は7時間ですから、これはきっと夕食なのでしょう。

日本時間の翌朝の6時近く、現地時間の午後11時頃に「カイロ国際空港」に無事到着
流石に15時間の狭いエコノミー席での飛行は疲れ果てました。

空港内の両替コーナーで、K子さんと2500円づつ出し合って、取り扱い最低単位の5000円分を
エジプトポンドに替えました。
今回は細かい米ドルをたくさん持ってきましたから、現地ポンドはトイレ用のチップのみとしました。

カイロの宿はギザのピラミッド近くの「アマランテ・ピラミッズ」
空港からバスで40分くらいの所にあるらしい・・・

バスの中でイケメンの現地ガイドさんの挨拶がありました
「私はモハンメドと言います。モモちゃんと呼んで下さい。カイロ大學の文学部を出て日本に留学しました」

真夜中のカイロの街は賑わっていました。
お酒も飲まないのにこの陽気さは何だろう?

12時過ぎにようやくギザのホテルに到着
「このジュースは安全です」と言われたウエルカムドリンクを飲みながら
添乗員さんからお部屋の鍵を渡され、説明を受けました。

「明日朝のモーニングコールは5時45分、レストランは6時から開いています。」
「各自で朝食を済ませてから7時15分にロビー集合して下さい」とのこと・・・
ひぇ~、一体何時間寝られるのかしら~

「私は5時45分のモーニングコールでは間に合わないから、5時半にしてちょうだい
粋でスマートなオバサマが声をあげました。
「ツァーでそれは無理というもの・・・」誰かが呟きました。

「JTBのお知らせには目覚まし時計が必要とは書いてなかったわよ
と、オバサマが更に声を荒げました

1月24日「ギザのピラミッド見学」へ
生野菜とカットフルーツはパスですチーズはまぁ~まぁ~かな?
パンは充実していて美味しい旅は体力勝負!、シッカリ食べました


こうして改めて画像を見てみると、エジプト第一日目の朝食をキチンと食べていましたね。
私、このホテルの事はさっぱり覚えていないのです

前夜、翌日の衣類や持ち物の準備をしてからお風呂に入り、ベッドに横たわったのが2時過ぎ
「水道水は飲まないで下さい。歯磨きもペットボトルのお水でするように」と添乗員さんから言われていたのに、
ウッカリ水道水で口をすすいでしまった
もう気になって眠るどころではありませ~ん
興奮と寒さも加わって一晩中悶々としていました

隣のベッドのK子さんを見るとダウンコートを着て寝ているではありませんか
私も慌て羽織りましたよ。


ナイル河畔の交通の要衝として中世に建設されたカイロの街は、
長い時代を通じてイスラム世界における学術、文化、経済の中心でした。

現在のカイロ首都圏(ナイル河西岸のギザ市含む)の人口は1525万人・・・
アフリカ大陸、中東地域の中での最大の都市です。


マンションが林立し、朝から車の大渋滞・・・
クラクションがけたたましく鳴り響き、喧騒の朝でした。


馴染みのなかったアラビア文字の看板が異国の文化を感じます。
信号や横断歩道などはほとんどありません。あったとしても信号は守られないとか・・・
車の間を人々はすり抜けて行きます。
日本人にはまず無理だろうなァ~


ピラミッドは遠い砂漠の中にあるわけではありません。
騒音の街の建物の向うに「ピラミッド」が見えてきました


      

昨日の日曜日、友人のマルさんからTELがありました。
「エジプト旅行記を楽しみにしているのに、全然UPされないからダウンしたのかと思って」と・・・

一緒に行った友人は帰国してから下痢が続き、腸炎と診断されて抗生物質を飲んだようですが、
私は一応は元気で居ます。

ただ父が目の周りのヘルペスに罹り、顔半分が腫れあがりました。
無意識に傷口を掻きむしるので、二次感染を起こしひどい事になりました

私のエジプト旅行の間は両親共々元気にしていたようで、ホット胸をなでおろした矢先の出来事です

失明の危機が有るとかで、私は父に同行し、皮膚科、眼科と掛け持ちして、
待ち時間2時間が当たり前の総合病院での、毎日(日曜日も!)の点滴に付き添っています。

仕事も一番忙しい第一週目で、時差ボケもあり、流石に睡魔には勝てずPCに向かう元気はありませんでした。
コメントのお返事も遅くなり、皆様の所へのご訪問もままならず申し訳ございません

仕事の週がやっと終わって少し余裕が出ましたので、エジプト旅行記第一弾をUPしました。
長い記事で読んでいただく方にはご迷惑をおかけしますが、私の保存版の旅行記ですので
お付き合い宜しくお願い致します。

お忙しい方は遠慮なくスルーしてくださいね。

     

コメント (24)
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