ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(36)

2008-10-13 17:12:42 | Weblog
10月13日
 拝啓 ミャオ様
 今日、帯広では初霜、初氷を観測したとのことだ。しかし林の中にある我が家の辺りでは、朝の気温は4度位で、霜も氷もなかったが、さすがに外に出るとぶるっと震える寒さだった。しかし、日が昇るにつれて、日差しが暑く感じられるほどで、気温は20度近くまで上がった。
 その暖かさに、庭のエゾムラサキツツジが春先とかん違いしたのか、花を二輪つけている。紅葉した葉の間に、春に咲く紫の花を見ることができるのは、季節外れの楽しみだ。
 裏の林の中でも、紅葉が始まっている。部分的に間をおいて赤くなっていく、ハウチワカエデの赤と緑の対比が美しい(写真)。これから11月始めに、カラマツの樹々が黄金色の黄葉に変わるまで、様々な秋の色合いを楽しむことができる。
 林の中に家を建てて、そこで暮らしていきたいと思ったのは、私自身が、我々人類の仲間である類人猿、オランウータン(森の人)の性向を幾らか受け継ぐようなタイプの人間だったからかもしれない。森の中を歩き、川の水に戯れ、山の頂を目指し、山を降りては、森の中に憩うという、私の好む自然の中の日々の暮らしに、どこか似通っているからだ。
 人間には色々なタイプがあるが、私はその中でも、ごく稀なRhマイナス・サル型のDNAを、ひそかに体内に宿していたのではないだろうか。
 じっと鏡を見る。ひえー・・・という叫び声。こんな山の中に住んでいて、日ごろ、鏡で自分の顔など見たこともない私は、驚いてしまう。そこに映し出されていたのは、鬼瓦猿男そのものの顔だったからだ。
 一応、胸を叩いて、声も出してみる。ゲッホ、ゲッホ。これは、いかん。ああ、私はもうサルから普通の人の生活へは戻れないのかもしれない。ミャオ、そうおびえた目で私を見ないでおくれ。ほら、ちゃんとオマエの飼い主だから。
 というのも、この連休の間は、混雑するのが分かっていて、外出する気にはならないし、天気は良かったのだが、あいにく山々の稜線には雲がかかっていて、登山日和というわけでもなかったからだ。
 それでずっと家にいた。林の中の木々の手入れをし、伸びたササや草を刈り払い、丸太を運んでは、チェーンソーで薪用に適度の長さに切り分ける(その時のオガクズはトイレ用に別に集めて取っておく)等の作業だ。
 そして、外の小屋にある風呂を沸かして、仕事の汗を流すという小さな幸せの毎日だった。穏やかに、静かに時が流れていけばそれで良いのだ。

 11日の十三夜も、昨日も月がきれいだった(そして今日も)。こうこうと輝く月の光が、庭の草花を、林の木々を明るく白々と照らし出していた。部屋の明かりを消すと、ガラス窓を通して部屋いっぱいに、月の光が差し込んでくる。
 私は、揺り椅子に座って、しばらくの間、外の景色を眺めていた。目が慣れてくるに従って、外は昼間と変わらぬほどの明るさだということに気がついた。冴え冴えとした秋の空気の中で、枝葉の一つ一つが、はっきりと陰影をつけて見えてくる。そして、その月の光の中の静寂・・・。 
 電気の明かりがなかった時代、揺らめく蝋燭(ろうそく)や灯明の光の中で、人々は夜を過ごしていた。そんな夜毎の暮らしの中で、月の明かりが、いかにありがたいものであったか。まして、澄んだ秋の夜空に輝く月の光は、いかばかりであったろうか。もの思う、秋の月夜である。
 『徒然草』 第二百十二段
 「秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、無下に心うかるべき事なり。」
 
 しろがねの月の光に照らし出されて、夜の窓辺に座り続けていた、ミャオの後ろ姿を思い出した。ミャオと呼んで、窓を少し開けてやると、小さく鳴いて部屋の中に入ってきた。そしてコタツの中へ・・・そんな寒い日が近づいている。ミャオ、元気でいてくれ。
                      飼い主より 敬具



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