ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(34)

2008-10-06 18:10:11 | Weblog
10月6日
 拝啓 ミャオ様
 朝の薄曇の空から、午後になって雨が降り出してきた。気温は13度までしか上がらず、肌寒い。
 ついに、この秋、初めて薪ストーヴに火を入れた。とは言っても、時々、外の風呂小屋でゴエモン風呂を沸かしているから、薪を燃やすことが目新しいわけではないけれど、やはりストーヴの中で薪が燃えているのを見るのはいいものだ。
 昨日は、去年の秋に切り倒して、六尺(180cm)余りに切り分けていたカラマツの丸太を、林の中から大小合わせて二十本余りを運んで、家の軒下に立てかけた。こうして雨に濡れないようにして、しばらく日に当てた後、チェーンソーと斧で薪を作るのだ。
 今年は冬の間、ミャオのいる九州に戻ることになるので、これから作る薪は来年の分になる。それまでの分は、十分にあるからいいのだけれど、薪はいつも不足しないように、一年二年先まで作っておかなければならないのだ。
 私の知り合いで、同じように本州から北海道に移り住んできた男がいた。彼は私と同じように、丸太小屋をひとりで立てたのだが、北海道の冬に慣れていなかった。
 薪ストーヴはあったのだが、冬を越せるだけの薪を用意していなかったのだ。雪に埋もれたマイナス20度の中、進退窮まった彼は、建てたばかりの自分の家の丸太の一部を、チェーンソーで切り落として、薪ストーヴの中で燃やしたということだ。
 おかしくもあるが、哀しくもあるこの話は、とても他人事ではない。そのために、これから少しずつ、薪の作りおきをしておかなければならないのだ。
 ところで、昨日は天気が良かったので色々とやることがあった。午前中には、近くの裏山に出かけて、コクワとヤマブドウの実を採ってきた。
 コクワとは北海道での呼び名で、全国に産するマタタビ科のサルナシのことだ。その実は、1~3cmくらいの円筒形で、キウイ・フルーツを小さくした感じで、切ってみるとその断面もキウイそっくりだ。そのまま食べられて、味はキウイ以上に甘く、美味しい。北海道の木の実の中でも一番の味だと思う。
 毎年、今頃に採りに行くのだが、いつも今年はどうだろうかと、心配になる。今までに、確か二三回、一握りしか採れない不作の年もあったからだ。
 いつものように、七ヶ所程のコクワの木を見てまわる。木といっても、他の木に巻きついて成長するツル性の木だから、葉を見てわかるのだが。最初の二つには、たったの三粒だけ、三つ目四つ目はなし、ようやく五番目で鈴なりになっているコクワの実を見つけた時には、小躍りしたくなるほどだった(写真)。つまり毎年、同じ木に同じ数の実が生ってくれるわけではないのだ。
 さらに六番目の木にも実が生っていて、最後の木にはなかったけれど、もうジャムにするには十分な量をとることができた。ついでにヤマブドウの実も採って、一時間半程で家に戻った。痛めた足首の様子を見るためでもあったが、無理をしなければ普通に歩くことはできるのだ。
 午後は、例の丸太運びで汗をかき、ゴエモン風呂に入ることにして薪に火をつけるが、他の仕事をしながらで二時間もかかってしまった。それでも、薄暗闇の中、ひとり入る風呂は、ああ、極楽極楽。
 ということで、昨日のコクワは、今日は他にも仕事があって、とりあえず、上下のヘタや毛を取るだけの下ごしらえまでで、それでも一時間余りかかったのだが。ジャム作りは、ともかく明日だ。
 秋というのは、「・・・目にはさやかに見えねども、風の音にぞ驚かれぬる」といわれるような、北風が吹き気温が下がっていく様子の他に、木の実の収穫や薪の支度といった、日々の仕事の中にこそ感じるものだ、といつも思ってしまう。
 ミャオのいる九州では、まだ25度以上の夏日が続いているようで、寒がりのオマエとしては、やはりそこにいる方がいい、北海道は寒いんだから。私はその寒さが、ああ、たまんない。寒さのムチが来るー。「アホかおまえは」と、ミャオの声が聞こえたような・・・。
                       飼い主より 敬具


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