ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(38)

2008-10-20 17:43:38 | Weblog
10月20日
 拝啓 ミャオ様
 
 昨日、今日と曇り空が続いていたが、午後からようやく晴れてきた。衛星画像で見ると、それまでは北海道の中で、十勝、釧路、根室の道東だけに、雲がかかっていたのが良く分かる。初夏の頃の、オホーツク海高気圧が張り出してきた時の天気と同じだ。
 しかし寒くはない。気温は、平年よりは大分高めで、朝から10度もある。日が差さない時でも、15度以上にはなるから、日中、仕事する時にはTシャツ一枚でちょうどいい。
 そうなのだ、前回書いたように、知的な仕事に携わっているわけでもない私には、体を動かし働くことが一番似合っているのだ。それはまた、「小人、閑居して不善を為す」の言葉にならぬようにという思いもあって、例のごとく、今は家の林の中での丸太の皮むき作業を続けているのだ。
 
 ところで、我が家の林は、七反歩(ななたんぶ)ほどの広さがある。一町歩(約一万平米、つまり約100m四方)ほどのカラマツの林を買い、そのうちの三反歩ほどを切り開いて家を建て、残りをその林のままにしている。
 樹々や林が大好きな私だから、もっと広い土地が欲しかった。せめて五町歩くらいあれば、そしてそこに小川が流れたりしていれば、理想的だったのだが。当時の私の予算では、やはり一町歩程で納得するしかなかったのだ。
 もっと人里離れた所へ行けば、同じお金で何倍もの広さの土地を買うことができるだろう。しかし、道がなければ自分で作らなければならないし、電気、電話線は引き込むのに費用がかかる、さらに冬の除雪の問題はどうする、などなど土地を買う以上のお金が必要になってしまうのだ。
 そのことを分からないで、あのバブルの時代に、北海道の原野や山林を買った人たちが大勢いた。彼らは、投機目的というよりは夢を買ったのかもしれないけれど、恐らくは現地の状態を見に行ったこともないのだろう。道もなく、電気も引けないような所だと知っていたのだろうか。
 もちろんそんな土地だから、転売しようにも買ってくれる人など誰もいない。そこに、原野商法などの悪徳業者が入り込む余地が出てくるのだが。ともかく土地を買った彼らは、毎年幾らかの不動産所有税を払いながら、夢と伴に、その土地を持ち続ける他はないのだ。
 北海道の市町村役場の窓口で、土地登録の地図を見せてもらうと、本来、五町歩単位くらいで区切られている畑や原野山林の一部に、ひどく込み入って記載されている所があるのに気づく。それは、例えば一町歩位の広さの土地が、短冊状に10か20位に、つまり300坪から150坪位に区分けされて登録されているのだ。
 長年、全く利用されていないそんな土地は、それこそ原野、林の状態のままで、自然環境としては良いことなのかもしれないが、地元の方で、道を作ったり何かの施設を作ったりする時は大変だ。わずか一町歩ほどの狭い土地を買い取るのに、何十人もの地主を相手に交渉しなければいけないことになるからだ。
 私はそうしたことなどを調べた上で、さらに知り合いの紹介という安心もあって、なんとか安く土地を買うことができた。そこはちゃんと道に面していて、それに沿って電気電話線も通っているし、残る水については井戸を掘ればいいのだ。とはいっても北海道の田舎だ、隣の農家とは数百m離れているし、左右方向の家とは1kmほどの距離があり、後ろはずっと林が続く丘陵地帯になる。
 周りは、50町歩、100町歩という大規模経営の農家ばかりで、そんな中で、わずか一町歩ほどの土地に住んでいる私は、少し気が引けるのだが、なんとかありがたく、そこに住まわせてもらっているのだ。 

 さてその私の林だが、カラマツがまだ二百本ほど生えていて、前の持ち主である農家の人が植えてから50年近くになる。今やもう、直径30cm以上もの大木になっているものもある。
 そのカラマツの木を、毎年、10本ほど切って、ストーヴや風呂の薪にしたり、その風呂小屋や薪小屋、そして車庫などの掘っ立て小屋の柱に使ったりして利用している。
 それはつまり、多すぎるカラマツの間伐材として利用することの他に、二次林として育ってきた他の木々の生長を助けるためでもある。できることなら、この植林されたカラマツは早く切ってしまって、本来の北海道の樹木だけにしたいのだが(北海道のカラマツは本州から移植されたものである)。
 シラカバ、エゾヤマザクラ、ハウチハカエデ、イタヤカエデ、ベニイタヤ、カシワ、ミズナラ、ミズキ、アオダモ、ホウノキそして針葉樹のアカエゾマツ、トドマツ、イチイ(オンコ)などの木である。それらの木が少しずつ大きくなっていくのを見るのは楽しいものだ。
 一方で、カラマツの木を切り倒して、丸太にしていくのも大切な仕事だ。チェーンソーで切り倒す時は、毎年死者が出るほどに危険な仕事だし、切り分けて丸太を自分の力だけで運び出すにも大変な労力がいる。
 丸太は、六尺(1.8m)、九尺(2.7m)、十二尺(3.6m)の長さに切り分け並べておいて、次の年に皮をむく。こうすると、卵の皮をむくみたいにバール(くぎ抜き用かなてこ)で簡単にむける(写真)。
 ただし、一年たつと、どうしても虫食いのあとが残るから、柱材として使う時には、切り倒してすぐに皮をむいておかなければならない。皮をつけたままの丸太は、三年以上たつと腐ってしまう。毎年全部の木を使い切れないから、恐らく半分以上はそうして腐らせてしまっている。まあ、それも今ある木々の栄養分になると思えばいいわけだけれども。
 薪用には、それらの丸太を40~50cm位の長さに切っていく。そして直径15cm位まではそのまま、それ以上は斧で薪割して使う。
 毎年の仕事だけれども、暖かいストーヴのためだけれども、体を使い汗を流して働くのは、やはり気持ちのいいものだ。それは、時間に余裕がある一人暮らしだから、できることかもしれないけれど・・・。
 九州にいるミャオにとっては、気ままな一人暮らしなどといってはいられない、切実な生きるための毎日なのだろうが。
  
                       飼い主より 敬具


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