昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

横田さん夫妻の嘆き!

2004-05-31 19:38:18 | 日々の雑記
今日の朝刊に今回の拉致家族、蓮池さん・地村さん両家のお子さん五人の帰還に関連し、横田さん方に未だに多くの非難が寄せられて「落ち込んでしまった」との記事が掲載されていた。同胞でありながら今更何でと唖然、とても切なく悲しい気持で読んだ。普通ならばあの場合、大きな期待を寄せていただけに、裏切られた思いは何にも増して強かった筈である。何故って他の家の子ども達が無事に帰って来たのに、不当にも拉致されたままの我が子の生死消息が何一つ判らぬままなのだから・・横田さん方夫婦ならずともグチの一つや二つそれに恨み言だって出るのが、人情と云うものだろうと思う。同じ日本人であるなら同情こそすれ、それをバッシングするとは全く許せない所業である。若しも自分が同じ立場で有ったら・・どんな気持に成るのだろうか?今現在自分がその立場に無いから、どうせ他人事なのだから・・と、自分さえ良ければ「後は知っちゃいない!」と云う了見なら、何と情けない鬼畜生にも劣ると言うものである。

 日本人は何時から他人を思い遣る心を失い、自分さえ良ければ「後は知っちゃいない!」風潮が横行する情けない国になって仕舞ったのか・・と嘆かずには居られず、私自身も深く落ち込んで仕舞った一日であった。


湿原雑景(Ⅱ)

2004-05-30 22:10:31 | Weblog
 二日程続いた低気温もどうやら回復し、今日の日中の外気温は十八度を越えた。早速く妻とウォーキング、行き先は約半月ぶりに自転車道路にした。珍しく暖かい日曜日とあって、子ども連れや若いカップルのサイリング、それに私らの様な老夫婦の歩行者で賑わっていた。何よりも嬉しかったのは前回の時とは打って変わって、頭上では雲雀が囀り、姿こそ見せなかったがカッコウ鳴き声が、葭の大草原の彼方此方の林(ハンの木)から長閑に聞こえて来る。それに先日は姿どころか鳴き声さえ無かった「オオヨシキリ」が、幾羽も飛び回っていた。

一番嬉しかったのは一羽だけだったが、滅多に現れることのない「丹頂」が、クルルークルルーと鳴きながら飛んでいた事だった。一瞬のことで折角持参していたカメラを構える暇さえ無かったが、ただただ感動して飛び去るのを見守っていた。今日のウォーキングはきっと忘れられない想いでとして、私ら夫婦の心に永く残るだろう。

チャーハン

2004-05-29 20:28:51 | Weblog
昨日に引き続き戸外は九度そこそこの気温の上、朝からずうーっと雨続きである。たいした降りではないが見るからに冷たそうな雨であるそれに霧までが出てきたようである。これでは如何にウォーキング中毒者であっても、とても出かける気にはなれない。妻も娘も出掛けて留守番役の私としては、暫らくパソコンにしがみ付いて居たが、それにも飽きて来ると全く所在が無く、歩くより他に芸の無い「歩き中毒者」としては、気兼ねする者の居ないのを幸いとばかりに、ビデオ録りの音楽をやや大きめに掛けて家の中を歩き始めた。約一時間近くも歩くと汗ばんできて、朝から点けっ放しのストーブはもう要ら無い。
 
 やがて昼時になったが、妻達の出先での用事が意外に長引きどうやら昼食には間に合わないらしい。昼食は私独りで算段する羽目になった。面倒だから一食くらい省いても・・と思ったが、朝食が果実入り(キウイとバナナ各半箇分)のヨーグルトに牛乳だけだったから、昼食はしっかり摂らなければ「健康おタク」の名が廃ると云うものだ。初めは簡単にお茶漬けでもと冷蔵庫を見ると、若い頃唯一の得意料理だったチャーハン向きの材料が揃っている。ベーコン・にら・みずな・ぶなしめじ・それにエビも加えた。最後にアクセントしてカレー粉で〆繰った。彩りにプチトマトとパインを飾り付けて見た。我ながら見事な出来映えである。しかし見栄えはともかくその味は保障の限りでなくまあまあで、空腹を幸い全部平らげた。



軍手

2004-05-28 21:53:26 | Weblog
 昨日は珍しく気温が20度近くにも上がり、ウォーキングの楽しさを存分に満喫した。今日もそのつもりで勇んでウォーキングに出掛けたものの、何と今日の気温は10度を割る低さにガッカリ!しかし今更引き返す気にも成れず歩き続ける事にした。ウォーキング中毒者としてはやはり家の中を歩くよりは、例え寒くとも戸外の方が数倍楽しい。それにこの気温の低さにも関わらず仲間は結構いるもので、「寒いですね・・!」の言葉を挨拶代わりにして、行き交う老カップルとの会話は何時もと変わらなく弾む。だがそれにしても手の冷たさには閉口する。手袋を着けている者は数少なく殆どの歩行者はポケットに手を入れたり、又は口に手を当て息を吹きかけている始末である。少し歩き始めたものの私ら夫婦もとうとう我慢ならず、車に軍手の有るのを思い出し車に戻り、トランクより取り出して再び歩き始めた。
 もう間も無く六月に成らんとするこの時期に、手袋が必要とは全くの驚きの一語に尽きる。内陸の各地域では一様に戸外活動で真夏日を謳歌していると言うのに、毎年の事とは云いながら、我が地域との温暖の違いを改めて驚き且つ嘆かずには居られない。如何に日本列島が南北に細長いからと云って、夏のさなかの真っ昼間にこんな事って信じられる・・?

山菜

2004-05-27 16:01:56 | Weblog
昨日隣家から採り立ての山菜(こごみ・ふき)を頂いた。こうした山菜類は私らもまだ若かった頃には良く採りに行ったもので、他人には裾分けした事があっても決して分けて貰う物で無かった。しかしこの年齢に成ると簡単なもにでなく、かといってわざわざ買いに行くほどの物でもないのだが、根が好物ときてるからとても嬉しくなる。だが妻としては前処理が中々大変なものだから、複雑な心境になるらしい。
 実のところ山菜の食材としての栄養価どうなっているのかと、「どうせ大したことは無いだろう」とインターネットで調べて見た。見た目からも判るようにその殆どが水分であるが、思っても見なかった栄養素(カルシウム・カリウム・亜鉛・鉄分等)が普通の野菜並に有り、それに当然の様に食物繊維もタップリである。

 ちなみに我が家での主な山菜料理は、豚肉・ミガキ鰊・油揚げ・他に揚げ蒲鉾などとの炒め物で、時折り味噌汁の具財として食卓に登場する。こうしてみると多寡が山菜ではあるが、ご飯の副食としては最適でついついご飯が捗り食べ過ぎて仕舞う。また我が家の山菜に関して面白い現象がある。隣家から山菜が到来すると、必ずと云って良い程にその日の内に、隣村(丹頂の里)の縁者からも同じ物が届けられるのである。もう三年も続いているから不思議な事でもあるが、ただその日の内に処理しなければならない生物・・?だけに妻の苦労と嘆きは大きい。

サマージャンボ宝くじ

2004-05-25 19:37:57 | 日々の雑記

第474回目のジャンボ宝くじが17日月曜日より売り出された。早速く我が家でも例年通り、家族揃って鳩首会談、いわゆる方位方角・日時・の選択果ては買いに行く者を血液型で決めるる相談である。毎年ジャンボ宝くじ(三大)が売り出される都度、我が家の恒例の行事となって、これまでに十数年来続いて来ている。毎回購入場所を変えて、恐らく市内の殆どの宝くじ売り場から、少なくても三十枚は買う。そして何かしらの予感(未だかって当たった例は無い)を勝手に感じた場合などは、その数は五十枚にも及ぶ事も有った。
又わざわざ大都市に住む、所謂ツキの良い「○○座」生まれの縁者に依頼して購入した事もあった。更に保管方法も縁起が良いと言われる事は一通り行って来た。即ち神棚は当り前で、黄色い布袋に入れて縁起の良いとされる場所と云った具合で、実に我ながら涙ぐましい努力を重ねて来たつもりだ。

 しかしながらこうまで努力して来たのに、これまでの十数年の月日は只空しく過ぎていた。今回も既に日を替え私と妻がそれぞれ場所を替えて購入済みである。当たるに越した事は無いが、負け惜しみだと云われそうだが、抽選日(6月15日)まで夢と希望を楽しんでいるのである。もとより賭け事が嫌いで未だかって、競馬・競輪・競艇は只の一度もした事は無いし、勿論パチンコさえ本格的にした事は無い。

 宝くじは七十年余り生きて来た、私の唯一の賭け事であり遊びなのである。

カテーテル検査

2004-05-23 19:36:11 | 日々の雑記
 先日此処のブログで書いたように、「心臓血管外科」なる診療科目に惹かれ、又知人の紹介もあって訪れた病院での事だが、約三時間ほど待たされ「心電図とレントゲン」の検査の結果は、かってこれまでに受けた各病院での診断結果と全く同じで、これといった異常は見られ無かった。しかし運動時に生じる左腕の痛みに付いては、或いは心療内科医の言う神経的なものかも知れないが、今日の表面上だけの検査では窺い知れないものも在るだろうから、この際思い切って「カテーテル=冠動脈造影」検査を受けて見てはと勧められた。この方法に依る検査はこれまでにも幾度か勧められた事はあったが、とかく事故の多い検査方でありそれに依る訴訟事件が、最近実際に市内で在ったのを聞き知って居た事もあって、その都度断って来ていたのだったが・・あれからもう四年程も経過しているから、検査器具もそれなりに改良進歩もしているだろうし、それに何よりも担当医師の誠実そうな物言いに感化されて、日頃の優柔不断にも関わらずいとも簡単に承諾していた。「後で気が変わったら、止めても良いですから・・」との医師のこの一言が、その時点での決心に大きく効いて居た事も確かである。
 
 それからの帰宅後が大変だった。とかく心配性の妻が問題だった。日頃テレビなどで医療事故事件を多く見て居るだけに、その怖さもまた肌身に強く感じて居るから、その妻の承諾を得るのは一番の難関である。また娘もインターネットで検索して来て、妻と歩調を合わせて来る。娘に言われて私もパソコンで調べてた。私が常日頃軽く考えていた以上に多くの問題点のある事を知らされた。

 その主なものには先ず、死亡事故は五千例~一万例に一件・出血・アレルギー・血管閉塞・狭心症発作・腎臓機能障害・肺塞栓・感染症etc・・これらが全てその都度起る訳では無いだろう、恐らく万に一つの事に違いないのだろうが、小心者では人後に落ちない私のこと、それに即く心臓に不具合がある訳でもない事も
あって、直ちに取り止める事にしたのは言うまでも無い。後の問題は検査の断りを、病院側(担当医師)に如何伝えるかが大きな問題として残った。

拉致家族

2004-05-23 15:15:04 | 日々の雑記
昨日から今日にかけての新聞及びテレビは、総理の再訪朝の問題で大賑わいを呈している。本人は得意満面の態で口調も弾んでいるようだが、とんでも無いほどの中途半端な事をしてくれたものだと思わずには居られない。あれだけの手土産を持参して、一国の総理が出掛けて行って、たったあれだけの仕事に思わず天を仰いで仕舞った。

 五人のお子さん方が無事にお帰りになり、それぞれのご家族にお会いになれた事に対しては、これまでの永い年月のご苦労を思えば、ただただ「本当に良かったですね!」と心からお喜びを申し上げたい。しかし曽我さんの事を想うと、到底他人事と思えずお気の毒で可哀想で言葉も出ない。曽我さん一家の事の事情は、蓮池さん・地村さんと異なる事は前から充分に判って居たことである。それなのに今回の訪朝前にそれらの問題点をクリアしなかったのだろうか?それは何故なのか?今まで辛い日を偲んで待ち続けた事からすると、何故もう少し待てなかったかのかと・・の疑問は多い残るところである。

 テレビ会見場での健気にじっと耐えて居る、あの曽我さんの姿は可哀想で可哀想でとても見ては居られない。敢えて酷評するなら、今回の成果だけならわざわざ総理が行くことも無かっただろうに、他の誰かでも良かったのでは無いか・・、これは言い過ぎかな・・?。
                       

健康おタク!

2004-05-20 20:37:45 | 趣味
私は日頃周りの友人などから、「健康おタク」と呼ばれて久しい。その「おタク度」の度合いからも弟妹達にまで「兄さんは健康の為なら死んでも良いんだよね!」などと常に茶化されている始末である。

 確かに皆の言う通りでそれは人後に落ちないと自認している。約10年ほど前の事、ただ仕事一途に働き詰めの結果、職場の健康診断で突然、高血圧・脂肪肝・境界型糖尿病その上高コレステロール症と言われて、それこそ夢も希望も吹き飛んだ。「命有ってのものだね」とばかりに現役を引退し、それまで眼も呉れなかった健康に気を遣うようになったのである。

 先ず一日の始まりは、その日の朝刊のテレビ番組のチェック、しかも健康に関するものが主体である。これぞと想うものが有れば、取り敢えずマーカーペンで色付けして置き、録画の予定に役立てる。こうした録画済のビデオテープは、見た後直に消去するのも有れば、又後で必要になるだろうと思えば消さずに取って置くから、その数は半端ではない。

 更にテープばかりでなくそうした健康番組は、インターネットの「お気に入り欄」に、「生活と健康」のフォルダを設定し、主なものでもNHK健康ホームページ・ためしてガッテン・おもいッきりテレビ・あるある大事典・筋トレとストレッチ・足裏つぼ全図解etc,それに野菜事典まである。それらを事ある毎に開いては、周りの人たちへ説明するのだが、それが往々にして度が過ぎる為「健康おタク」と茶化される所以である。

49回目

2004-05-19 19:32:45 | 日々の雑記
昨日は私ら夫婦の49回目の結婚記念日だった。早くからは温泉旅行でもと話して居たのだが、考えてみれば来年がいわゆる「金婚式」、出来れば九州方面へなどの旅行を心積もりして、街での外食だけで済ませようと一応は話し合っていたのだったが・・ところがである、昨日の新しい病院行きのことでその事は私の念頭からは消えていた。女という者幾つ(七十一歳)に成っても、そのような事はどうも気に成るらしく、それとなく私の反応を伺っている様子がありありである。全く失念していた訳でなく、すんでのところで妻の暗示めいた言動で、今日がその日である事に気付いた。実に危ないところであった。
 
 女という者幾つになっても、或いは年齢を重ねるに従いそのような事に関しては、思いが強いのではないかとさえ思う。さて久し振りに晩飯は気の利いた処でと二人して家を出てみたが、いざとなると行く当てが決まらない。初めの内こそ市内の一流ホテルのレストランなどと一応は考えて、入り口に立って見たものの、何処から見ても風采の上がらない田舎者老夫婦・・慌てて退散して今度は繁華街をうろついたが、現役時代に良く通った店は跡形も無く、新しい店にはボラレルのではないかと、小心者らしく勝手に怖さを感じてやはり早々に退散、結局は何時も行き付けの回転寿司店の前に立っていた。良く見知った店員と顔を合わせて漸くほっとする始末である。今夜は特別と高級ネタを特注で張り込み大満足!

 帰宅途中留守番の娘も居る事だからと、洋菓子店(不二家)に立ち寄ってケーキを奮発して帰宅した。