昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

チューリップ

2008-05-28 18:44:07 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 先日の日曜日、市主催のチューリップ祭りが鶴ケ岱公園で開かれた。しかしせっかくの祭りも生憎の雨に祟られ、傘をさしての見物となったとの事が、翌日の新聞で報じられていた。
 私は生来人見知りの上に、とかく人混みが苦手だったから、このチューリップ祭りの当日に出掛けたことは、これまでにたったの一度きりで、当時二人の孫娘たちはまだ小学生のころだった。
 その時、孫たちを車に乗せて出掛けはしたものの、駐車場での混雑が嫌になり、途中からタクシーに乗り換えたものだった。
 そんなわけでチューリップ祭りへは、たいてい翌日か数日おいて見物客が減るの見計らって出掛けていたのです。
 ですから今年も朝の裡から少し天候が悪かったのですが、むしろその方が人でも少なく駐車場も空いているだろうと、無理して今日にしたわけです。
 
 ところが肝心のチューリップは、予算の関係からか或いは気温のせいなのか、花数が少ないうえに赤と白ばかりで、昨年みごとだった黄色の花は一本も見当たらなかった。いったいに例年に比べてかなり見劣りして寂しい感じだった。
 それに何よりも気温が上がらず、それに風が強いせいでカメラを持つ手が悴んでしまったほどだ。

 また公園が見下ろせる高台で昼飯でも楽しもうと、老妻がせっかく昼飯を用意して行ったのだが、昼飯どころか益々風が強まって来たので、早々に退散してきたわけです。

チューリップ祭りの会場となった市の{鶴ヶ岱公園}

赤と白だけでチョットガッカリしたチューリップの花壇

ただ赤いのだけが見事に咲いていたのが眼に付いた


オオバナノエンレイソウ

2008-05-25 18:28:25 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 先日の夕刊に、武佐の森緑地公園の{大花の延齢草=オオバナエンレイソウ}が、いよいよ山いっぱいに咲きはじめたことが載っていた。
 翌日直ぐに出掛けてみようかと思ったのだが、あいにく雨模様の一日となったため、その翌日晴れ間を利用して出掛けてきた。
 やはり新聞記事を見て来た人たちだろうか、けっこう賑わっていた上に近くの小学生も遠足に来ていた。
 
 この緑地公園は街の東部の外れ、元の太平洋炭砿の一画(武佐4丁目)にあたり、いわば炭砿社員の住宅街に隣りあっている処なのです。
 幹線道路からもかなり離れていることから、一歩公園内に入るとブナや樹齢500年とも云われるハルニレなどの古木が立ち並び、時おりウグイスの啼き声が聞えてくる長閑かさであった。
 ただ目当ての延齢草は、時期的に少し早かったせいか、昨年来た時より少ない感じがした。良く見ると蕾や咲きかけの花も少なくなかった。
 また麓近くまで下りてゆくと、水芭蕉や谷地坊主などが見られるミニ湿原があるのだが、体力の衰えは否めず割愛したしだいです。

少し時季が早かったのか、全体に花数が少なく見えた。

まだ咲き切っていない蕾などがあちこちに見られた。

見事な花びら

※・・・急な坂道とハルニレの古木

因みに・・・※{オオバナノエンレイソウ}は、本州北部や北海道の林内で見られますが,主として樺太やカムチャツカ,シベリア東部などに分布する多年草です。

我が家の桜

2008-05-22 18:28:48 | 日々の雑記
 わざわざブログに載せるほどたいした桜では無いのですが、夫婦二人の体力の衰えから、長年放ったらかしにしているにも関わらず、我が家の桜は今年もまた、咲いてくれました。
 年々変わることのない律儀さには、ほとほと頭の下がるおもいで、今年も目一杯楽しませてもらっています。
 先にも書いたように、年がら年中まったく手入れなどしていないのですから、花の数が少なくなってゆくのは当たりまえなのですが、その少ない花を少しでも長く咲かせようとばかりに、雨や夜風を耐え抜いて朝日にかがやくいじらしさには、公園などの立派な桜とは比べようの無いほどの愛着を感じます。

 田舎ジジイの分際を充分わきまえているつもりですが、この時季になるとついつい西行の和歌に肖りたいとの、身のほど知らずの大それた思いにとらわれてしまいます。
 
 ガラにも無く・・・カッコつけてしまい、お恥ずかしい限りです。

何はともあれ、後期高齢者(75歳~)はともかく、運が良ければ、ゆくゆくは末期高齢者(80歳~)、とにもかくにもPK(ピンピンコロリ)と願いたいものです。

年々花の数が少なくなってゆく{千島桜}

何処かから飛んできて何時の間に根付いた庭の片隅の{山桜}


ある日河畔にて

2008-05-20 18:14:43 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 風は少しあったが、前日まで続いた三月下旬から四月初めの低気温が一気に快復した日の午後、家だけの歩きを補おうと河畔に出かけることにした。
 午前中に家事をあらかた終えた老妻が、久しぶりに一緒に行くことになった。老妻の場合はもともと膝に故障をもっているから、歩くのが主というよりは、お陽さまに当るのが目的の一つなのである。
 河原の遊歩道を半分ほど歩き終えてから老妻は車に引揚げた後は、今度は私一人で残りの川上のコースに向かった。

 暖かい陽を浴びながら気持よく歩いている時だった、急に冷たい川風を背に感じて振向くと、何時の間にか海霧(ガス)が川筋一杯に広がっていた。
 先ほどまでは、川下の海岸近くまで見渡せていたのに、意外な早さであった。それにあれほど明るかった空は素早い海霧に蓋われて、まるで夕暮れだ。
 とっさに、直ぐにでも引き返そうかとためらいながらも、またどうせ直ぐに霽れるだろうと、とにかく歩を進めることにした。
 思ったとおりに程なくして海霧は消えてしまい、空は元の明るさを取り戻し、ふたたびヒバリの囀りが天から聞え、スズメなどの小鳥たちも飛び立ち始めた。
 
あっと言う間に海霧が迫ってきた。

薄暗くなったのも束の間、再び晴れ上がりヒバリが天で囀る

立ち枯れたオオハナウドで囀るノビタキ(夏羽)

さっきの海霧が嘘のように晴れ上がった空に{お相撲さん}のような雲が・・・


桜前線・・・最後の桜

2008-05-17 20:46:27 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 今日ついに満開の桜を見て来ました。今日までこの公園を何度訪れてことか、
最近ではほとんど一日置きに来ていたのだった。
 しかし思ったほど気温が上がらず、むしろ低温が続いたりしてどれだけ気を揉んだことか。それだけに今日の桜を眼にした時の喜びは、ことほか大きい。
 大袈裟な表現ながら、やはり日本人には桜の花が一番である。

 話は変わりますが、75歳過ぎたら後期高齢者とか、または80歳過ぎたら末期高齢者などと、とかく年寄りに冷たい政治の世の中、ともすれば滅入ることばかりの日々、今日の満開の桜から貰う明日への活力は少なくありません。
 
ようやく咲いた釧路は運河跡公園の柳町エリアの桜(壱)
           
                   同上

同運河公園の豊川町エリアの桜

同運河公園の光陽町エリアの千島桜


湿原の夢ロード

2008-05-15 20:35:29 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 もう5月も中旬だから湿原も大分様変わりしただろうと、今年初めて湿原道路に出掛けた。
 この湿原道路とは、私が便宜上そのように呼んでいるだけのものです。
もともとが自転車道路の一部で、市街地と釧路湿原の境界線の、それもほんの入り口部分に過ぎません。
 ある程度期待して来てみたのですが、新緑に色付いているのは、道路沿いの小さな雑草ばかりで、その中で時おり目立つのが、中ほどに成長したコバイケイソウが点在するのみです。後は、立ち枯れた葦原が広がるばかりの、晩秋の湿原とはあまり変わらない光景でした。
 歩き始めてから約5百メートルのところは、これまでにもいつも一休みしていた鶴野休憩場なのですが、そこで突然眼にしたのは、下の写真の立て看板です。昨年の秋には見なかったのですから、おそらく今年建てられたものなのでしょう。
 それにしてもこの立て看板一つだけで、何の見栄えしなかったこの辺りががらりと変わって、急に湿原の雰囲気が溢れるのを感じてしまいました。これも「湿原の夢ロード」の名前のせいなのでしょうか。

 なおこのあたりは、元の三菱系雄別炭砿鉄道の鶴野駅の駅舎があったところです。ですからこの少し先には、昔の駅ホーム跡の一部に気付く筈です。
 昔のことを色々と考えているうちに、昔の職場の女子職員がこの鉄道便で炭砿に嫁入りしたことなども、懐かしく想い出しておりました。

 目当ての草花などはまだまだ先のようでしたが、小鳥の種類はけっこう多いようでした。その鳴き声からして、オオヨシキリは直ぐに判ったのですが、木から木へと眼を掠めるように飛び交う他の小鳥たちの正体ははっきりせず、ただ羽の色具合からシジュウガラだけが、どうにか判別できた次第です。

雰囲気を一変させた立て看板

一際目立つほどに成長していたコバイケイソウ


ふたたび桜を求めて・・・

2008-05-11 20:58:48 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 昨年までは桜の時期が近付く頃には、遠出をして隣町の名所や公園を巡り歩くのが常でした。
 しかし今年は寄る年波の体力には逆らえず、またガソリンの高騰を諸に受けて、ついに何処へも出掛けずじまいとなった。

 そんなことで、二日前に行って来たばかりなのに、桜が気になって柳町公園にふたたび今日も出掛けてしまった。
 先日来の時ならぬ夏日騒ぎがまるで嘘のような突然の寒気襲来だとかで、道南道央でも日中の気温は10度を割ったという。
 特にオオーツク側での冷え込みは酷く、雪はもちろんながら結氷まであったというから、とんだ異常気象騒ぎとなったようである。
 ここ釧路も最低気温こそマイナスとなったが、雪や結氷までには至らず、日中には6度ほどまであがった。
 気温こそ低かったが、幸い風が少なかった上に時おり雲の切れ間からの陽射しがとても暖かかった。初めは一つの公園だけと決めて歩き始めたのだが、予想以上の暖かさに誘われて、道路で隔てられている両隣の公園までに、桜を求めて足を延ばしていた。
 
 しかし気温は低いと云いながら、たった二日の間にただ赤っぽかった蕾は、花開く寸前までに膨らんでいた。
 やはり自然の時の流れは素晴らしいものだと、あらためて知らされた思いだった。この分だとあと数日で咲き出し、一週間後には公園全体が桜で彩られるだろうと、楽しみを一杯に抱いて公園を後のした。

全体に未だしもの感はあったが、チシマザクラだけは今にも咲きそうな気配が・・・


エゾムラキツツジ

2008-05-09 17:20:10 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 昨日の気温は久しぶりに20度まで上がった。道南道央の真夏日の比べると、さして驚くようなものでは無いのだが、ここ道東には滅多に無い気温であった。   
 さっそく勇んでウォーキングに出掛けてみたのだが、海沿い特有の風は時おり渦巻いて、老人の歩みを悩ませた。
 風がきついからと退散するには、いかにも勿体ないような日和なので、風を遮る物の少ない自転車道路や河畔公園は避けて、少し離れた街中の公園を歩くことにした。
 実は、この数日間気温も上がって来たことで、公園の桜の様子も気になっていたからでもある。

 公園の駐車場はパークゴルフ場がまだ開かれていないせいか、何時に無く車は少なく、好きな場所に停められた。
 公園に着いて先ず目に付いたのが、公園の垣根がわりに植えられたエゾムラキツツジだった。日当たりが良いせいなのかすでに満開状態だった。
 しかし他は全体としてまだまだの感じで、公園内の木々にはあまり変化は見られなかった。中ほどの桜の辺りがほんのりと赤っぽく見えたのは、単なる慾眼なのかも知れなかった。
 暖かな陽射しを背に受けながらぶらついたが、目当ての桜の蕾には見るべきものは無かった。ついでに隣の公園にも足を運んだが、やはり同じだった。

ここの公園では毎年一番早く咲くのが、駐車場のエゾムラキツツジです。

同上


 余談ですが・・・ 素敵な花に眼を奪われていても、サイクロンに襲われたミャンマーの人たちの悲惨さは、頭から離れない。大袈裟で暴論ですが、ミャンマーの軍事政権と北の独裁政権、そして国民と年寄りをないがしろにする、○○国の官僚政治は似たりよったりかな・・・。花の後でのあまりにも野暮ったいことですみません。

お馬の親子

2008-05-06 20:35:08 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 住宅街の中にある馴染みの牧場では、今年も無事に仔馬が生れたようで、先日買物帰りに通りかかったら、親馬に寄り添っている仔馬を眼にした。
 前に通ったときには、親馬のお腹が大分大きくなっていたので、今年もやはり仔馬が生れるのだと思っていたのだったが、もうすでに外に出るほどに大きくなっていたのかと、少なからず驚くとともに無事誕生の声を掛けたくて、車を停めて近寄った。
 いったいに子どもと云うものは、とかく好奇心の強いもののようで、この仔馬も、乳よりも一瞬私に興味を持ったのか柵の方へ寄ってきたが、見映えもしない老爺だと気付くと、また直ぐに親馬の懐に首を突っ込んだ。
 なお今年の仔馬の鼻筋には白い模様がついていた。この白斑を流星と呼ぶのだそうです。

 ともすれば、生れ落ちてすぐに否!生れる前から、すでにエスかレター式に送り出されるこの世とやらは、自己中(自分さえ良ければ・・・)と拝金主義などの手前勝手な風習が蔓延して、子殺しや親殺しが平然と行われて殺伐としてとかく住みづらいところです。
 このお馬の親子を眺めているかぎりでは、そんなことは別な次元のことのように思えてなりません。
 テレビの「ダーウインが来た」は、好きな番組の一つで、毎回録画録りで見ているのですが、このお馬の親子の場合ように教えられることの、何と多いことか。

久々に心からほのぼのとさせられた・・・お馬の親子!

微笑ましい授乳風景


エゾエンゴサク

2008-05-03 18:06:23 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 同じ北海道でありながら、道央などの地域ではこの時期本州に先駆けて、早々と真夏日を記録しています。南の沖縄をさしおえて北の北海道が、一番暑い日となったとか・・・まさに驚きです。
 しかしここ道東の海沿いでは、今日だってようやく11度ちょっとほどに上がったに過ぎません。ですから天の不公平と多いにボヤキたくもなるのです。
 気温が上がらないからと云って、家ののなかに閉じこもっていても、何の得にもならないだろうと、多少の風は気にしないで出掛けたのです。

 春先から、さほど暖かい日は無くて、人間がいくら嘆こうとも自然の移ろいは確かなもので、エゾエンゴサクが色鮮やかに花を咲かせ、またその蜜の香を探しあてた一匹の蜜蜂を眼にしたのです。春早々にひっそりと花咲くエンゴサクのその可憐さが、多くの人に愛されるゆえんでもあるのでしょう。
 私の記憶に間違いが無ければ、樺太での子ども時代にこのエゾエンゴサクのことを「アイヌ芋」と読んでいた。春の山菜としておひたしにして食べたこともあるのですが・・・。

 大袈裟な表現ですが、自然は本当に強かで・・・まさに脅威です!

               エゾエンゴサク  蜜蜂