昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

街中の公園で・・・

2005-06-30 22:30:21 | 日々の雑記
 昨日は折角の晴天にもかかわらず、思い掛けない強風で取り止めたウォーキングを、今日は取り返そうと早目に家を出た。
外に出てみると室内では判らなかった風が少しあった。街中の公園ならば、風の影響は少ないだろうと、柳町公園を歩くことにした。
昨日は疎らにしか居なかったのに、今日はパークの人たちが一杯出ていた。駐車場は満杯で止む無く、隣の区画の駐車場に入れて歩き始めた。

湿原もそうなのだが、此処の公園も訪れる度毎に花や木の様子が変わっている。それが又興味深い上にたまらなく楽しい。
※・クシロハナシノブ
先日一度見ている花なのだが、それがこの花だとは知らずに「名前の判らない花」としてブログに載せたところ、後日先輩女性ブロガーからと娘に知らされ知った。その花のことは少し前に、女性ブロガーの写真を拝見して居たのだが、先日公園での初見参の折には迂闊にも気が付かなかった。それで今日改めて訪れ確認し納得して来た。
※・キンロウバイ
お今まで何度も訪れているのに、ここにこれだけのキンロウバイがあることには少しも気付かなかった。黄色くて可愛いいのがとても気に入った。
※・ノコギリソウ
湿原の道端でもこれだけ群れて咲いているのは珍しいのに、この街の中での公園ではかなり珍しいと思った。
※・モミジ
元々赤い葉っぱモミジならともかく、葉が赤く(紅葉)なるのは秋の筈なのに、何故かこのモミジは今から赤くなり始めているのが、如何にも不思議に思った。勿論モミジ・カエデの種類とは判るものの名前は判らない。
今日改めて確認して来たクシロハナシノブ
 
今まで気付かなかったキンロウバイ

珍しく公園でそれも多くのノコギリソウ

今から葉が赤くなり始めたモミジ・しかしはっきりした名前は判らない



(続) 我が家の花木たち

2005-06-29 20:06:09 | 日々の雑記
 朝から良く晴れていて、気温が高く9時には19度を軽く超え、正午には22度にもなっていた。但し風が強く午前中には10メートルを超え、更に午後早々には強風注意報が出され、最高14メートルにもなった。
昼間には綿みたいな雲を浮かべていたが、夕方には雲一つ無いほどの快晴となった。
ただ強風だけが激しい音を立てて、その真っ青の大空を吹き捲っていた。

 今日は風のことなど念頭に無く、初めから歩くつもりで一旦は家を出た。しかし外へ出てみて初めて風の有るのが判った。それで吹きさらしの湿原を避けて、柳町の公園に向かった。強風の所為か公園の駐車場には空きがあり、プレーする人も疎らだった。

 歩き掛けて見たものの風の強さは半端でなく、千切れた木の葉やゴミ等が遊歩道上で渦を巻き揚げていた。その上一寸気を許すと身体ごと持って行かれそうにもなり、更に突風をまともに受けると呼吸さえ儘倣い状態だった。

 最早歩くどころで無く、二人ともほうほうの態で車に逃げ戻り、其の儘途中の量販店で買い物をして家に戻った。

 ※・サビタ(ノリノキ=糊の木)ふち
 我が家の新築時に上司の庭からの貰い物である。白くて可愛いい花を付けるのだが、それも初めの内だけで、正に猫の額にも等しい庭の狭さでは他の木々(サクラ・ツツジ・レンギョ・etc.)に圧迫されている。最近では花どころか、夏も終わらない内に、葉の一部を錆び色に変色させて落ちてしまう。

 ※・テッセン(鉄線)・別名~クレマチス

 この花も新築時に札幌の姉のところから来た花である。白・紫・青の三色があり、白が一番先に咲く。しかし狭い庭なのでライラックなどの木に蔓を絡ませて、その勢いを無くしている。次は青の咲く番なのだが何時になったら花を咲かせてくれることか・・・?
※・狭い庭ですっかりイジケテ仕舞ったサビタの木

※・他の色に先駆けて咲いた白テッセン



湿原と雲と

2005-06-28 22:50:33 | 日々の雑記
 昨日と同じ湿原のコースを歩いて来た。ただ昨日は突然の海霧(ガス)の出現で、いつもの距離の半分ほどで引き返す破目になったが、今日は昨日の海霧がまるで嘘のように、朝からからりと晴れ上がった。
 昨日の分を取り戻すつもりで、早目に身支度をして家を出た。昨日歩きの少なかった分だけ、しっかりと休養の取れた老妻は何時に無く身軽だった。

 遥かな阿寒の山なみこそ見えなかったが、真っ直ぐに延びる自転車道路の先の青空には、真夏を思わせる入道雲が天を突くほどに発達していた。
 気温は予報どおりに20度を早々と超えているようで、風も無く陽射し強かった。少し歩いただけで堪らずベストを脱ぎ、更にシャツの袖を捲くった。その上帽子の下に手拭を垂らして日除けにして歩き続けた。
 何時もは途中で引き返して車で私を待つ事にしている老妻は、余程膝の調子が良いようで、私と同じだけ、それも何時もより余計の距離を一緒に歩いた。
 
しかし老妻は、後半流石に疲れたと見えて、コース最終のアンダーパスからの上り坂を避けるために、その手前で別れ平坦な取り付け道路から、アンダーパス上の環状線に出て私を待つ事にした。
 
※・昨日の海霧が嘘のように湿原が見渡せられた。

※・道路もはっきりと見える。

※・エゾノシシウド・・・?

※・オオハナウド・・・?






海霧(ガス)に追われて・・・!

2005-06-27 20:44:25 | 日々の雑記
 雨が心配だった昨日の天候が、その心配をよそに照ったり曇ったりで、ほど良いウォーキングになったのとは逆に、今日は朝からは曇り空ながら、雨のことなどは全く心配もせずに老妻と家を出た。
昨日は市内の公園を歩いて来たので、順番からいって今日の行き先は湿原道路と、鶴野駐車場に停めて、湿原の奥を目指して歩き始めた。

 今日の気温は昨日より低いことは判っていたが、同じ服装なのにかなり涼しく、むしろひんやりとさえ感じた。「少し歩き続けさえすれば、その内温まって来るだろう」などと老妻と話をしながら歩き続けていたが、温まるどころか辺りの雲行きがあやしくなって来た。 
今日は初めから遠くの山並みは靄っていたから、別に気にも留めていなかったのだが、何時の間にかその山なみが消えていた。それは山なみばかりでなく、湿原の一部がもう既に海霧(ガス)に侵され始めていた。
 釧路地方特有の「海霧=ガス」である。大したことは無いだろうと高を括って居たのだが、見る見るうちに湿原一面に広がり始めた。眼鏡に水滴が付着し、更に衣服が湿って来るほどにもなり、慌てて退散する事にした。正に海霧に追われての退却である。

※・湿原に忍び寄る釧路市名物の海霧(ガス)

※・自転車道路も見る見る内に消えかけて来た。

※・ノコギリソウ

※・アヤメ


雨上がりの公園で

2005-06-26 23:00:23 | 日々の雑記
 夕べからの雨が時折り激しく朝まで降り続いていたようだったが、6時に近くの小学校から運動会開催を知らせる花火が聞こえて来た。どうやら雨も上り運動会を開く見通しが付いたと思われる。
 
 昨夜の内からから今日の雨を見越して、今日のウォーキングを休むことにしていた。しかし起きてみて、曇り空ながら意外に明るいのに気付いた。この分ならその内にキット晴れるだろうと、素人でも確信が持てるほど回復の兆しが見られた。そうなればわざわざ歩きを休むことも無いだろうと、身支度を整え老妻を乗せて家を出た。

 雨上がりと運動会の所為なのか、いつも混み合う駐車場はスカスカで思いのままに停める事が出来た。内心雨を心配していたのだが、歩いている内に青空が見え始め、時折り日差しが暑いくらいになったと思う内に、また翳り出して涼しくなったりで、歩きには最適な日和であった。そんな日和にまかせて三区画の公園を散策して来た。その中に気になる松の木を見つけ、帰宅して図鑑やらパソコンで調べたが、遂に判らずじまいだったが取りあえず乗せてみた。
 また自分では「スミレ」の種類では無いかと思ったものの、はっきりした名前が判らないままに載せてしまった。
※・緑が鮮やかでとても気になった松


※・同上の枝の先

※・スミレ?春咲きキキョウかな・・・

※・同上

※・私には全く見当も付かない珍しい花・・・






馬の放牧場

2005-06-25 22:21:24 | 日々の雑記
 今日はどうやら、昨日までの全道的な真夏日から開放されたようである。とは云っても釧根地方だけは蚊帳の外真夏日どころか、久々の夏日も昨日一日で終わり、今日は内陸を除き軒並みに二十度を割る始末だった。

 それに今日は朝の内こそ晴れていたが、次第に曇り始め夕方には雨の予報が出ていた。確実に天気は下る坂の気配で、全道的に雨の予報が出された。明日日曜日は、市内の大半の小学校が運動会を予定しているのにである。

 雨となれば、二日ほどはウォーキングには出られないだろうと、老妻の膝が心配だったが、少し無理して昨日と同じ湿原道路に出かけた。唯今日は道路の途中から、何処へ続くのかと何時も気になっていた農道らしき取り付け道路を歩いて来た。葭原が続いているとばかりと思って居たのだが、意外にも柔らそうな草地が目の前に広がり馬が放牧されていた。
いつもは声だけのカッコウが姿を見せ、近くの電線で啼いていた。また逃げ足の速いコヨシキリも、ここでは直ぐには飛び立たずカメラに納まってくれた。

※・馬の放牧場


※・カッコウ(数年ぶりに姿を見た)

※・コヨシキリ(農家に近い所為か人馴れしている)



樺太でのショッキング事件「人肉事件」!

2005-06-24 21:45:47 | じゃこしか爺さんの想い出話
 ブログカテゴリー内に、想い出項目があるのに、最近はサッパリだねと指摘された。
そう云われれば全くそのとおりで、決して忘れてしまったわけでは無いのだが、唯暖かくなるにつれて日課のウォーキングの範囲が広まり、湿原から市内の各公園へと連日のように歩き回り、日々新しい自然の発見に追われていただけなのです。自分なりに発見した野鳥や山野草などを、下手は下手なりにカメラに撮り入れて来て、ブログに掲載することも又老ブロガーの楽しみなのです。

 さて前置きはこのくらいにして、タイトルの本題に入りたいと思います。
それは終戦の翌々年の夏こと、ソ連軍の統治下にあった樺太西海岸国境近くの炭鉱町で起きた出来事です。新聞やラジオが無かった(終戦間際日本軍部に止められた)にも関わらず、正にショッキングニュース・「人肉事件」と呼ばれ口か口へと伝わり、周辺の町村は勿論のこと、おそらく樺太全島にまで広がって行ったのだろうと思う。

 その話をする前に当時の炭砿住宅事情について少し説明して置きます。一般には江戸時代の長屋と同じようなもので、6軒から8軒が連なって一棟と成ります。いわゆる「○○軒長屋」と呼ばれるものです。またこの長屋の集合体を○○町と名付けその真ん中あたりに詰め所が設置されて集落全体を統括していた。 更にその長屋ごと1軒ごとに、○号の○舎と呼んで統一していたのです。ここうした集落が10個ほど当時の炭鉱町にありました。これは樺太ばかりでなく、道内はもとより本州や九州の炭砿でも凡そ同じだったと思われます。

 事の発端は、近頃さっぱり奥さんの姿の見えないのに気付いた隣人が、旦那にその事を訊ねたが余り要領が得ないので、翌日家の前で遊んでいた幼児に聴くと、口ごもって逃げようとしたので更にきつく問い質したところ、今度はあっけらかんと「お母ちゃんかい・・・死んだからお父ちゃんと一緒に食べちゃったよ。冷たいご飯に掛けて食べたら美味しかったよ」と答えたという。半信半疑で何度も聴き直した結果、どうやら本当の事らしいと判ったので大騒ぎとなった。
更に話は発展した。家族だけで処理したので無く、この家の主は元々が肉職人だったとかで、自分の妻の死体を捌き調理して売り捌いていたという。
 戦後のことでしたから、物資よりも何よりも食料不足で困窮していた時代だった。口伝いに依るとそれは飛ぶように売れたらしい、それも低所得者には手の届かない高級食材であるから、買って食べたのは殆どが会社の偉方か医者だった用である。後で聴かされ全員青くなり嘔吐に襲われ、入院した者もいたと云う。

 当時傍若無人でなる流石のソ連軍憲兵も銃を構えて遠巻きにするだけで、中々近寄れなかったそうである。死体は床下から本人が掘りだしたとのことである。後日医者の詳しい検査結果では、かなり前から精神的に止んでいたらしいのだがが、奥さんの突然の死が精神異常への引き金と成っての凶行であると判定されたとのことです。

 この事件は、私が2歳から15歳まで育った炭鉱町での出来事で、その事件が起きる約半年前に隣町に転居していたので、私自身が直接見聞きした訳ではないが、かなり信頼できる方からの情報であったと記憶している。但し永い年月と私自身の加齢による記憶違いの多少有ることは否定出来ませんが、最近樺太時代の同級生と確認し合ったので、こうゆう事件が確かにあったのは間違えの無い事です。
 

スズランの咲く頃

2005-06-23 21:59:56 | 日々の雑記
  (続)・我が家の庭の花木たちより
 
 今日はとても穏やかな日和でウォーキングには最適な日となった。当然今日も歩きに出掛かれるのだろうと、月に一度通院している病院に早目に出かけ、診察だけを終えて薬は後で出直すことにして急いで帰宅した。しかし老妻は今日は休養日に当てるからと、洗濯の準備を始めた。折角急いで戻って来たのにと拍子抜けの態の私に老妻は一言「自分のペースで思う存分歩いて来たら・・・」に納得して、車を出した。
昨日と同じ湿原道路を歩き始めたが、どうも手持ち無沙汰の上思うように足が進まない。
引退して丸二年歩く時はいつも老妻と一緒だったから、情けない事に独りでは気力が湧いて来ないのである。また初めて見つけた植物にしても、これまでは老妻の意見を取り入れたりして、自分なりにも一応納得してからカメラにおさめていた。終いにはカメラを構える気さえ起きて来なかった。いつもの半分ほどで早々に引き揚げて帰宅した。

 帰宅してこの2日ほどで撮り貯めて置いた、ブログ「(続)我が家の庭の花たちより」の掲載に向けて写真の整理を始めた。
 
 (Ⅰ)・スズラン
 元同僚から分けて貰った一株が始まりだった。今ではその繁殖力で狭い庭の席捲し、クロユリを凌駕する勢いである。特に今年は当たり年のようで豊作である。
 (Ⅱ)・ライラック
 家を新築した時のものだから、約三十年前のことである、炭鉱町美唄市に住む妹の家から株分けして貰って来たものである。この木から株分けした若木の方が一昨年枯れてしまったが、かなりの老木の筈なのに今年も立派に花を咲かせて呉れた。
(Ⅲ)・レンゲツツジ
 確かな記憶は無いがこれもかなり前のことである。前年のように札幌へ車で遊びに出かけていた未だ若い頃であった。姉の家の庭から貰って来たものである。これもかなりの老木で手入れが悪い所為か、花の付き方にムラが生じ少なくなってゆくようだ。



















丹頂発見!

2005-06-22 22:23:01 | 日々の雑記
 昨日同様に気温は18度近くまで上昇し、気懸りだった風も少なかった。それで今日は湿原道路の奥を歩いて来た。奥とは云っても、普段歩いて居る地点より僅かに4キロほど先の部分である。
 今日もいつもどおりカメラを手に、老妻の歩行速度に合わせて、あちこちを眺め、更に小鳥の囀りに気を配りながら、至ってのんびりと進む散歩程度のウォーキングである。そんなわけで一般のウォーカーには常に追い越されてしまう。ひどい時には往き帰りとも追い越されることもあり、その度に挨拶を交し合うことも決して珍しくない。
 
 初めはいつもの地点で戻る予定で居たのだが、余りにも穏やかなウォーキング日和に誘われる形で少し先に足を延ばすことにして、先ずはゆっくり休みをとってから先へ進んだ。先へ進むにつれて周りの様子は変わってゆくのが感じられた。やや進んだ先の立ち枯れの葦原が切れた辺りの草原に丹頂の番い見つけた。人馴れしているのか或る程度近付いても逃げようともしなかった。二人だけの時はそんな素振りは見せなかったが、自転車のグループが近付いた時には素早く奥の茂み方向に去ってしまった。
 
 何気なしにいつもより余計に歩いたお蔭で、とても良い目の保養をさせて貰った。二人の帰りの足取りはいつもより軽やかだった。
※・丹頂に近付くも・・・

※・仲良く番いで!

※・ウマノアシガタ・別名ミヤマキンポウゲ

※・オオアマドコロ

※・ニワトコ



街中の公園で・・・

2005-06-21 22:14:06 | 日々の雑記
 この一週間ほどは天候の良いのを幸いに、あちこちのウォーキングコースを連日のように歩いていた。その後の二日は曇り日の上一時は雨にもなりそうな怪しげな雲行きの日もあったので休養日に当て、外出はせいぜい買い物くらいに控えて家でゆっくりと休んでいた。

 二日間たっぷり休んで居たせいか、それまでの疲れがすっかり取れて身体全体が軽くなっているのが判った。そんな訳でも無かったが何時もより早目にウォーキングに出掛けた。ただ少し風があるように感じたので、街の中の柳町公園を歩くことにして向かった。
相も変わらずパークの人で駐車場は混雑していたが、何とかうまい具合に駐車が出来た。
 今日は老妻の足も快調だった。

 
 (Ⅰ)・ハマナスの花
 歩き始めて直ぐに、噴水の傍の花壇でたった一輪咲いているハマナスを見つけた。花芯には小さな虫達が集まっていたが、今年一番初めてのそれもたった一輪の花と云うことで、早速くカメラにおさめて来た。
(Ⅱ)・ヒメリンゴ
 この花は随分と以前から気になって居たのだが名前は判らなかった。名前の知らないままにいつも湿原道路の脇で見ていた。行き交う人に訊ねても要領は得なかった。
それが先日あちこちのブログを訪ねているうちに或るブログ仲間から教えられて「ヒメリンゴ」と判った。その後娘の話では別名「エゾノコリンゴ」とも云って、隣町の釧路町指定花であることも判った。

 (Ⅲ)・ナナカマド
 ナナカマドについてはこんな迷信?を聞いた事があります。それはこの木を自宅の敷地内に植えると、七度もカマド(家計)を引っ繰り返すことになるという。
 しかしこの木は自転車道路の並木となっており、時季には一番先に緑の葉を茂らせ、初秋早々に赤い実を枝いっぱいに付け、更に紅葉も見事で道行く人の目を楽しませてくれる、親しみ多い樹木の一つだと思います。

※・ハマナスの花

※・ヒメリンゴまたはエゾノコリンゴ

※・同上

※・ナナカマドの木

※・同上の花