昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

老人介護説明会

2007-11-29 17:23:45 | 日々の雑記
 この度老人介護のかんする説明会が、近くの地区会館であった。この案内が回覧されて来たときには、介護などとはまだまだ先のことだからと、出席する気などは少しもなかった。
 しかしよくよく考えてみると、二人ともすでに七十歳を超えているのだから、充分にその資格があって少しも早いことはないだろうと老妻とも話しあって、とりあえず出席することにした。

 そして当日の会場には、界隈の老人たちが大勢集まっていて、その中には夫婦連れもかなりいた。やはり老人たちには、日ごろから何かと気になる関心事だったからなのだろう。
 事実、私も日ごろから気になっていたことを聞いてみようと、出不精をおして出席してみたのだが、生来の人見知りから何一つ質問できなかった。

 ところで私が一番聴きたかったことは、いずれ世話になるであろう老人介護施設のことだった。介護保険料は65歳以上になると原則的に、減る一方で増えることのない年金から天引きされています。
 何よりも心配なのは、自分が介護される事態に至った場合には、無条件にその保険料に見合った保障が受けられるのだろうか。
 なけなしの年金から強制的に徴収されながら、いざとなったら施設の空きがありませんからなどと知らん顔されては、まさに踏んだり蹴ったりで、希代の詐欺にあったような、ただただ泣き寝入りの仕儀になりはしないかということです。

 厚生年金の処理について色々と問題を起こして、総国民の顰蹙を買い担当大臣も新たにして、名誉挽回を計っている厚労省にはまさかのことは無いでしょうが、耐震偽装事件に端を発した不正行為はとどまること無く、大小を問わず日本全国のあらゆる商社に及ぶ勢いを見せています。
 因みに厚生年金についてですが、初めに云われたのは、今加入してしっかりと保険料を納めておくと、将来キット役立ちます。
この制度は国が責任をもって行っているので、老後の生活はまったく安泰です。また支給される年金は、年々増えこそすれ絶対に減ることはありません。    
 そんな太鼓判を押していながら、その約束が守られたのは、数年のみで何だかんだの口実で減らされる一方です。またそれだけでなく、社会保険庁の5千萬件もの不明年金が大きな問題として、国民の不信を買っています。
 何事もこのような調子ですから、しっかりと確かめたかったのですが、一言も云え出せないうちに、その日の説明会は終ってしまいました。
 ただし、今日出席して本当に良かったと思うこともありました。それは、もし我が身に何か起きた時には、やはり市役所まで行かねばならないだろうと思っていた。
 私は、今のところ車の運転はまだ大丈夫だから、たとえ遠い市役所であろうと手続きは可能だか、老妻が行くとしたら庁舎内での階段などが大変に違いないだろう。
ところが、その手続きは地域の介護支援センター(介護事業所)で受け付けてくれるとの事だった。

 なんとなくモヤモヤ感が残ってすっきりしなかったのだが、このことが分かっただけで、無駄でもなかったと満足して帰ってきた。

                           キ ノ コ
体調不良になる直前、自転車道路湿原コースでの写真です。キノコ大好き人間としては捨てるに捨てられず載せたしだいです。見た目にも(直径約5センチ)とても立派で、いかにも美味しそう見えました。


黄葉していたホオズキ

2007-11-23 17:25:23 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 道内から東北にかけて、積雪や吹雪模様が伝えられるこの時季には、まったく相応しくないブログですが、前にもお断りしたように、体調不全中に散歩がてらにぶらついた折に撮ったものです。
 時季外れになったからと、そのままボツにするには忍び難く載せました。

 先日少し離れた住宅街にあるスーパーの帰りでした。この住宅街は市内でも特に混み合っている住宅街で、家の数が多い分だけ色々な様式の家が見られ、またその家付きの庭などで、多くの植物類が楽しめるところでもあります。
 時おり隣町の大型店の帰りにも、この住宅街に入り込んでは各家の庭の花を見て廻ることも少なくありません。
 ただし今は時季的に晩秋から初冬のために、賑やかだった家々の草木は枯れ尽くして見るべき物はまったくありません。がっかりして帰りかけたときに眼に付いたのが、ホオズキでした。
 これまでにも、他の住宅街の庭でも見かけたことはありましたが、大抵は多くても5本ほどでした。ところがこの家でのホオズキは、庭の半分ほどの広さが全部ホオズキで占められていたのです。
 普通の家のように見えましたから、商売用でないのは確かそうでしたが、まさかわざわざ家の人を呼び出してまでこともなかったので、写真だけは撮らせてもらって来ました。

 このホオズキを見るたびに、遠いまだ幼かった頃の樺太でのことが想い出されます。長屋の裏の僅かな土地に植えてあったホオズキが熟れる頃のなると、母は姉(長女)ホオズキがなるように教えていた。
 昔はどこの家でも母親が女の子に教えていたのですが、世の中のしきたりが目まぐるしく現代、そんな光景を目にするのはおそらく不可能でしょう。

 今は、老妻が嫌がるのを無理強いして鳴らして貰うしか手はないのですが、今の老妻の年齢からして、それはとうてい無理なことですから、やはり胸の中にひそかに秘めて置くべき想い出なのでしょう。

住宅街の一画で目にした黄葉のホオズキ


私のカレンダーつくり

2007-11-18 17:36:42 | 日々の雑記
 今年もいよいよ40日余りを残すのみとなり、行きつけの保険屋や薬局からカレンダーが配られる頃となりました。
 カレンダーを作るからと云ったってそんなに大袈裟なものでは無く、素人写真をあしらった、たかだかA4版にかぎられた極く小さなものです。
 カレンダーは他に無いわけでなく、保険会社やガソリンスタンド、それに日ごろから出入りしている薬局などから貰らうから、けっこうな数になる。
 しかしそうしたカレンダーのほとんどが、新聞紙(41㎝×51㎝)の大きさだから、貼り付ける場所としてはたいてい壁が一般的である。事実わが家でも、部屋ごとの壁にそれぞれ貼ってあるのだが、実際にカレンダーを必要とするのは、食卓を利用しての書類作成とか、食事中にふと思いついての予定の確認などで使うことがとかく多い。
 
 たいして広い家ではないから、以前はわざわざ立たなくとも、食卓に座ったままでも壁のカレンダーは難なく見渡せたのだが、65歳を過ぎた頃からはそれも出来なくなった。
 暦を見る必要がある時にはその都度立ち上がって、壁の前まで行かねばなりません。食事中とか来客時にはとても不便です。
 。
 それがとても面倒だったし、また年々椅子から気軽に立ち上がるのも苦痛になって来たから、とにかく身近なところに置くのが一番べんりなのですが、たとえ小さいものであっても、スタンド式カレンダーを直接食卓のうえに置くのはいかにも邪魔です。
 そこで、パソコンを買い入れたのを機会に、それにまた同じ頃に手にしたデジタルカメラで撮った身近な草花や風景をつかって、自分なりの手づくりのカレンダーを作ることにしたのです。
 パソコンには、素晴らしい動植物や風景写真が検索さえすれば、家の中だけで利用するのですから、さしたる問題は無いと思われるのですが、私自身の思い入れで、家の花または自分自身で撮って来たものにしています。
 そんなわけで自家用のカレンダー作りは、パソコンを買ったときから初めて今年で約6年、枚数にして60余枚になります。
 そしてその中には、孫たちの幼い頃のものもありますので、それらを含めてすべてのカレンダーは記念として保存しております。
 いつの日にか、こんなジジイのいたことを、懐かしく想い出して呉れる事を願いながら・・・。

食卓に座りながら直ぐに見られる手製のカレンダー


若しブログを知らなかったら・・・

2007-11-14 18:33:01 | 日々の雑記
 私のブログなど高が知れていますから、たとえあっても無くてもどうでも良いようものなのですが、若しブログというものを知らなかったら、今ごろはどうにもなら無いほどの「引き篭もり老人」に成り果て、家人たちを多いに困惑させていたに違いありません。
 何故なら、生来出不精のうえに極度の人見知りでしたから、いつもウジウジと家に閉じ篭って、ゴロゴロと寝転がっているばかりの毎日、ついには極度の「メタボ症状」のボケ老人と化し、さらに奇行と昼夜の分かたぬ徘徊などの繰り返しは必定です。

 そんな私ですが、今年でいわゆる「後期高齢者医療制度」の対象年齢になるちょうど75歳になりました。
 若しブログというものを知らなかったら、おそらく上に書いたような、どうにもならないような「鬱老人」になっていたでしょう。
 しかし娘の手ほどきで始めた「Gooブログ」を書き繋ぐためのネタ探しに、日を措かずに出歩くようになりました。それまでの外出と云えば、ウオーキングにことよせて出掛けるもの、今日は「暑いから」とか「曇って肌寒い」とか、自分勝手な理由をつけて途中でやめてしまったことも少なくありません。

 それが、ブログを始めてからのわたしは、それまでの出不精の生活を180度転換して、それからは少しくらいの雨などはぜんぜん気にすることもなく、また老妻の忠告などもまったく意にかえさず、デジカメを手にブログのネタ探しに出歩くしまつでした。
 ところがこのブログに夢中になったお蔭で、ひき籠もりにもならずまた運動不足からの「メタボ症状」にも陥らず、年齢相応の生涯をそれなりに愉しんでいるこの頃なのです。
 ただ心配なのは、これからの季節です。何処へ出かけても目の前に広がるのは枯れ色一色の世界です。それにまた雪の季節ももうすぐ目の前、それでなくとも足元のおぼつか無い年寄りのこと、ブログのネタ探しどころか日課のウォーキングさえ覚束ないでしょう。
 これまでは、この冬季間を利用して樺太の子ども時代の想い出を載せて来ましたが、それも無尽蔵に在るわけでなくそろそろ尽きてしまいます。
しかしここで止めてしまったら元の木阿弥になり、これまでの努力が水泡に帰し一気にボケに向かってしまうでしょうから、「アンチエイジング」のためにも今しばらくは続けてゆきたいと思います。
 

耳の検査(聴力)

2007-11-10 18:53:04 | 日々の雑記
 今回の体調不良の原因は、年甲斐もなくパソコンに凝りすぎて無理を重ねた結果とされたのだが、そもそもその十日ほど前から加齢による耳鳴りが主で、パソコンは単なる引き金に過ぎなかったのだと思われます。
 あまりの不調から訪れた行きつけの医師に応急処置をうけ、さらに医師の指示で、日をあらためて行った先での耳鼻科で問診や簡単な検査の後、後日耳の精密検査を受けることになった。
 それに付いて看護師の注意の中に、検査の時耳の中に冷水を注入しますので、その折眩暈などの現象で場合によってはかなりのショックがあります。明日は一人でなくなるべく家族と一緒に来てくださいとのことで、さらに車の運転も避けた方が良いとのことだった。
それで私もいささか心配になって詳しくその内容をたずねたところ、ひどい眩暈を起こして暫く立ち上がれなくなったり、気持ちが悪くなって嘔吐する人もいました。また例は少ないのですが、ショック激しすぎてベッドから落ちた方もいたそうです。
一応用心の為ですから、出来ればそうして頂ければよろしいのですが・・・。
看護師のその言葉に多少不安もあったのですが、当日は老妻と一緒に出かけた。もちろん車は運転して行ったわけで、若し何かあればタクシーで一旦帰宅して,車は気分が落ち着いてから取りに戻ればよいだろうと思ったのだった。

検査室は建物の隅にある小さな個室で行われた。ベッドに寝かされて待つことしばし、やがて医師が助手の看護師とともに入ってきて、
「さあ始めましょう・・・」
と私に声をかけると、看護師が耳に冷水を注入した。
 その冷水のあまりの冷たさに、思わず声を上げて半身を起こしてしまったほどだった。そんなことから始められた検査だったが、後はスムーズに両耳の検査はとどこおりなく終りました。
一番心配だった反応のほうは、多少の揺れがあったものの大したことはありませんでした。
検査の結果からの医師の診断は、まさか私が・・・と思う初期の「メニエール病」だった。その後色々と注意をうけて飲み薬をもらって帰宅した。

それ以来パソコンやまたウオーキングも散歩ていどに控えて、約一ヶ月が過ぎてしまいました。その甲斐あって症状が大分治まり、このたび再度ブログを始めた次第です。しかしまだまだ無理は出来ませんので、休みやすみ続けてゆきたいと思います。

     メニエールなる奇妙な病いとり付かれ
      ただ戸惑いの日々を過ごせり


   上の短歌は駄作ですが恥を忍んで載せてみました。

それぞれの紅葉

2007-11-07 18:26:23 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 少しばかり時季外れの感じもしますが、先日散歩の折に撮って来た紅葉の写真を載せることにしました。

 体調のせいであまり外歩きが出来なくなったこともあって、時おり天候の良い日を選んで出掛けることもあります。
 ただし前のように遠出はまだまだ無理で、散歩がてらに近くの公園に行くのがやっとです。
 先日も好天に誘われるようにして出掛けた先近くの公園と通りすがりの駐車場の取り付け道路で見かけたのが、写真の紅と黄それぞれの紅葉です。そもそも何のための紅葉なのか、もとよりそんな難しいことは分かるはずもありませんが、素人考えではおそらく生を永らえるためであり、また越冬のためなのでしょう。
 しかし所詮は老い先短い身のうえで、そんな自然の摂理に惟いを凝らすよりも、目の前の緋色鮮やかな紅葉と、燃えるように輝く黄金色の黄葉を目いっぱい楽しむのが一番だと気が付いて、先ずは脳裡に焼きつけついでカメラに納めて来たわけです。

紅葉~その壱「ニシキギ」で無いかと思います

紅葉~その弐ナナカマド

黄葉~その壱木の名前はわかりません

黄葉~その弐木の名前はわかりません


おかげさまでブログが再開・・・

2007-11-04 18:07:38 | 日々の雑記
  思いがけない体調不良から、余儀なくパソコンを控えておりましたが、約一ヶ月あまり休養したせいか、ようやくブログを始められるようになりました。
 とは云っても前のように長時間はまだまだ無理なようです。それに日ごろお世話になっている先生(医者)からも、
「一日中何もしないでボケッとして無為に過ごすよりは、パソコンも一時間ていどなら良いでしょうと」
すすめられてさっそくパソコンに触れたしだいです。

 体調が元どおり成ったわけではなくて、まだまだ無理は利かないので、直ぐにウオーキングなどの外歩きは、今しばらくは出来ません。
 とりあえずは身近なところでと思い、やや時季遅れですが一雨ごとに黄葉が深まりゆく家の「シャクナゲ」を載せてみました。
 
 あまり無理をしないで、ボチボチやってゆきたいとおもいまあす。
 
小さな秋を家の庭で見つけました。