昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

今年の年越し

2011-12-31 22:49:21 | 日々の雑記
※ 亡き妻の 遺影囲んで 娘と孫と
     静かに過ごす 年越しの夜

今年の年越しの夜には、娘夫婦と孫たちが集まったのはいつもの年と同じだったのですが、いつも中心になる妻の姿がありません。
 それでも昨日札幌から帰省した孫娘を含めて娘家族四人は、取り寄せた寿司とオードブル、昨年までは御節だったのですが、今年は妻の喪中で御節は使えず出前のオードブルにしたのです。
 妻の手作りの旨煮・昆布巻き・黒豆などに紅白の蒲鉾に伊達巻も喪中のため残念ながら在りませんでしたが、それでも孫たちは妻の遺影に陰膳添えて想い出話に、また紅白を観て満足して帰りました。
 娘家族が帰った後、同居の娘も二階の自室へ戻りました。その後の淋しさはまた格別でしたが、独りで在りし日の妻を偲んで歳を送ります。
 
 ブロガーの皆さん今年一年本当に有難うございました。来年のブログも妻の想い出話が多くなろうかと思いますが、どうぞ宜しくお願いいたします。


亡妻と白鳥

2011-12-23 14:34:31 | 日々の雑記
        


        ※ 亡き妻と 通いづめたる 公園の
           河畔に今年も 白鳥来たれり 
 
 

 家にとじ篭って居るよりは、買物にでも出掛けたほうが少しは気晴らしになるだろうと、今日は川向こうの量販店に出掛けました。
 この店は、生前妻がっても贔屓にしていた店で、近くにやはり有名な量販店が在るのに、川向こうの量販店が圧倒的に多いのです。
 そんなことから、私もついついこちらで買物するの回数が多くなり、今日も少し遠いのですが、橋を渡って来たのでした。
 橋の上からは川が見渡せ、白鳥の季節には川面に群れているのが見られますので、妻の生前にも買物帰りにわざわざ迂回して河畔で共に眺めたものです。
 
 そんなわけで今日の買物帰り橋の上から目にしたのが、意外にも早々と飛来して来た十数羽白鳥の群でした。
 今年の春までのように傍には妻は居りませんでしたが、川岸まで下りて行き写真を一枚撮ってきました。
 それにつけても、在りし日の妻が想い出されて、特に足下が悪いのに水際まで行って、白鳥を呼び寄せながらパンくずを与える妻の姿が想い起こされ、涙が噴き出て来ました。
 しばらくはその場に立ち止って、涙の流れるままに妻とのことを、あれこれと想い出しておりました。
  
       ※ 白鳥に 子どものように 喜々として
           餌やる妻が 切なく浮かぶ
  

23年12月8日
 

20年3月25日
 
            

買物で・・・

2011-12-17 17:27:56 | 日々の雑記

 生来人見知りの私でしたから、買物でしかも大型店に出掛けるなんてことは、しかも一人で行くことは以前はあまり無かったことです。 
 しかし今はそんなことは言って居られません。妻の亡き後今は、娘と一緒に暮らしており、その娘は自転車には乗れますが、車の免許は持っておりません。
 ですから食品の買物は、米などの主食から野菜や魚類など惣菜類などは、全て私の仕事なのです。
 これまでにも買物は妻のお供で、その都度出掛けておりましたから、初めこそ一人での買物、特にあの買い物籠を持って買い歩くのにはかなり抵抗がありました。
 そんなことで妻と一緒に出掛けても、店の入り口前で妻を降ろしてから、近くの公園とかを歩きながら、買物の終わるのを待ち、妻からの電話で迎えに行くのが常でした。
 長いことそうしていたのですが、妻も年齢と共の持病とも云うべき膝が悪化して来た所為で、カートを押して歩き回るのが辛くなって来ていたので、私も一緒に店内に入って手伝うようになっていたのです。
 買物に慣れるにしたがって、妻から品定めなどで相談を受けるようにもなりました。それに車までの荷物運びが一番の役目でした。
 その時の経験が、妻の亡い今の買物にとても役立って居るのです。必要な商品の場所の見当が付き、さらに品定めもある程度出来るようになったのです。

 しかし買物が私の役目であっても、やはり人中に入るのは不得意で、出来れば避けたいことなのですが、家の中でじっとして居たり、またパソコンにしがみ付いたりでは、どうしてもくよくよと考えて込んでしまいます。
 それならいっそのこと、不得意な買物でも、無理して出掛けて人ごみな中に居た方が、気が紛れるのではと、思って努めて出掛けるようにしているのです。
 
 今日店内で、奥さんを車椅子に乗せて買物をして居る老夫婦が、仲睦まじく笑いを浮かべて品選びをしているのを見ました。
 ジーンと胸に迫る光景で、涙が出て来そうになり、急いでその場をはなれました。
想えば将来私も膝の悪い妻を乗せての買物を、ひそかに想い描いて楽しみにもしていたのでした。しかしみんな儚い夢でしかありませんでした。


   ※ 仲の良き 買物老夫婦(ふうふ)を 見るたびに 
        亡妻(つま)重ね見る 我が身が悲し

亡妻の病い

2011-12-12 17:26:08 | 日々の雑記
      ※ 死ぬときは 二人一緒と 云いし妻
           独り淋しく この世を去れり
      

       ※倦むほどに 看病したいと 願いしが
           妻早々と 我が許を去る
      

 今年の三月半ば過ぎのこと、妻は身体の不調を訴えるよう様になりました。
どうやら右側の脇腹に時おり激しい痛みが出ると言いながら、膝用の貰った湿布薬を貼って凌いでいました。
 私も妻の言うように、単なる寝癖か筋肉痛だろうと軽く思っていたのですが、
四月にもなってから、永いこと通院していた総合病院で診てもらいましたが、原因も分からず痛みは一向に治まりませんでした。
 それどころか、五月に入ってからは、その痛みは頻繁に出て来るようになり、
やがては耐えられないほどにもなって来たのです。
 この間血液検査はもとよりCTやMRIなどの検査を加え、更に大腸に胃ガンの内視鏡検査もやりましたが、痛みの原因はまったく判りませんでした。
 そうこうしている内に五月の半ばになってから、今までの検査に加えてエコーを実施したところ、ようやく胆嚢の異状が見付かり、それも胆管が詰まっていることが判りました。
 胆汁が流れなくなった結果から、肝臓にも影響を及ぼして痛みを発生させていることが判ったのです。
 しかし病状はかなり進んで居る上に、場所が場所だけに摘出は無理と言うことで、即入院して癌の進行を止めながら胆汁を体外に出す処置がなされました。
 点滴による抗がん剤の効き目は良くて間もなく退院が出来て、外来で受けるほどになりました。しかしそれも束の間でした。間もなく副作用のためか、全身に黄疸が出て来たうえに、吐き気とか目まいなどに襲われようになりました。
 直ちに再入院して抗がん剤点滴は中止され、次の処置は胆嚢に管を通して胆汁を体外に排出する手段がとられました。
 この効果も良くて、毎週末の外泊さえも許されるまでに持ち直したのですが、
廃液バッグをぶら提げて歩く姿は、見るからに痛々しくて可哀相でした。
 出来ることなら時おり替わってやりたいと、しみじみ思ったものです。特に院内で、点滴の支柱を押して歩くのは、やりきれない思いでした。
 
 その後一進一退を続けながら十月に入り、遂に家庭でのホスピスが宣告され、通院の傍ら訪問看護で過ごすておりましたが、再度入院して個室に入ってから一週間目、ついに帰らぬ旅・・・あの世に旅立ったのです。
 ただ救われているのは、妻の最後がまさにー眠れるがごとくーそのものだったことで、また唯一つ無念で恨めしいのは、15年ほどN総合病院に3ヶ月毎に通院して、その都度血液検査を受けていたうえに、年に一度は胃がんに大腸がんなどの検査を受けてきたのに、今度の病気が見付かったときは既に手遅れだったことです。

      ※ 涙もて 描く臨終の 妻の顔
         安らかなるに 癒されており

ブログの再開

2011-12-09 16:23:50 | 日々の雑記

               
 皆さま今晩は。
妻の病状が悪化し始めた9月から、ブログどころじゃないと中断したのですが、その後妻は10月に呆気なく他界致しました。
 そして一昨日四十九日(大練忌)の法要を済ませましたので、独りしょんぼり閉じこもってばかりでは、あの世で妻もさぞかし心配だろうと思って、気の向くままにボチボチ取り掛かろうと思ったしだいです。
 どうぞ皆さま以前同様によろしくお願い申し上げます。