昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

ズリ山のコスモス畑

2008-09-28 16:02:38 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 先日の北海道新聞の朝刊にズリ山(ボタ山とも云う)にコスモスが、今が見ごろとの見出しで写真とともに載っていた。
 幸い天気は上々、かなり遠出になったが、老妻と出かけた。途中道行く人に場所を尋ねながら、どうにかたどり着くことが出来た。
 やはり今朝の朝刊を見た人たちが、私たち同じように駆けつける人たちで、さぞや人出が多かろうと少し心配したのは杞憂で、現場は意外に少なかった。

 場所は炭砿の新会社が管轄する貯炭場のすぐ傍、其処への道路は石炭運搬のための1本だけで、もちろん一般車の通行禁止であった。
 やむなく高台のこの地区の体育館の駐車場に停めて、そこから歩くことにした。約500メートルほどの距離だったが、もともと歩くための道は無いので、雑草の中の踏み固められたところを辿って行くしかありません。

 元太平洋炭砿の退職者が、長年の風化で雑草化されたこの広い土地を遊ばせて置くには勿体ないからと、始めたコスモス畑なのだそうだが、目の前に広がるコスモスの群落はまさに満開で見事なものでした。
 ズリ山は、もともと石炭と一緒に掘り出された岩石の欠片などで、いわば不要物の捨て場なので、草木などが生えたり育ったりしない石ころの山なのです。
 堅い決意で始めたことなのだろうが、時には放り出して仕舞いたいと思ったことなど、人には言えない大変な苦労があったに違いありません。
 ただただ目の前の眼福にあずかったことに感謝し、カメラにも収めて満足いっぱいで帰宅した次第です。

ズリ山(ボタ山)に造られたコスモス(秋桜)の花園

コスモスの花びら(壱)

花びら(弐)


クルーズ客船~飛鳥Ⅱ

2008-09-26 17:34:41 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 
 秋彼岸の中日、いつものように家の菩提寺と親戚のお寺二つのお参りを無事に終えて帰る途中、先日のローカル版に載っていたのを思い出して、中央埠頭に立ち寄ってみた。
 その記事によれば、日本最大のクルーズ客船飛鳥Ⅱ5万トンが、この日釧路港の中央埠頭に寄港着岸するとのことだった。
 何百万もの費用がかかる豪華な客船は、テレビでもたまたま見たこともあったが、実際に目にしたのは初めてで、その大きさと豪華さにはさすがに度肝を抜かれ圧倒されしまいました。
 岸壁の一画では、寄港歓迎の催しが行われていて、そこには舞台が設けられていて、バンドによる威勢の良い音楽が演奏されていた。
 スナック菓子の店も出ていて、子ども達が群がっていた。また体験乗船のコーナーがあるとかで、係りの人に勧められたが、平地でも覚束ないのに急なタラップを登ることなど無理なので、丁重にお断りして写真を撮るだけにした。
 狭い岸壁をあちこちと移動してカメラを向けたが、日本最大と謳うだけあって、とてもとてもその船体全部は撮りきれなかった。
 諦めて帰る途中、試しに魚揚場がある北埠頭に回ってみたが、今度は遠すぎたうえに飛鳥の前に泊めてあった巡視船が邪魔をしていた。
 以前は宝くじでも当てて、豪華なクルーズ船での世界旅行を夢見たこともあったが、所詮それらは単なる夢でしかありませんでした。
 そんなせん無いことよりも、今日実際に見ることが出来たことが嬉しくて、大いに満足して帰ってきた次第です。
 
 ちなみにこの飛鳥Ⅱの仕様は・・・
 
 ※ 総屯数~約5万トン・全長~240m・全幅~29m・速力~23ノット
   乗客数~800名・乗員数~440名・・・とのことです。


日本最大のクルーズ客船{飛鳥Ⅱ}

魚揚げ場の北埠頭から見た{飛鳥Ⅱ}


釧路市鳥取神社の秋祭り

2008-09-23 17:00:02 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 
        ♪ 村の鎮守の神様の 
          今日はめでたい 御祭り日     
          どんどんひゃらら どんひゃらら          
          どんどんひゃらら どんひゃらら
          朝から聞こえる 笛太鼓
 
 昼寝の寝入りばなでまだうつらうつらしていた時、外からの太鼓と笛の音ではっきりと目覚めた。
 直ぐにお神輿の行列だと気付き、慌てて飛び起きデジカメを手にして戸外に飛び出した。
 すでに獅子舞などは過ぎ去って姿は無く、かろうじて子ども神輿の後ろ姿を撮るのがやっとだった。ただしんがりの大人の神輿だけは、しっかり撮ることができた。
 今日は、この地域の氏神様鳥取神社秋祭りの本祭りだった。孫たちがまだ小さかったころは忘れることは無かったのだが、成長するにつれてめったに遊びに来ることが無くなったせいで、私たちにも余り関心は無くなっていた。
 それでも神社からお祭りの寄付集めに来たときには、今年も写真を撮ってブログに載せようと思っていたのだったが・・・いつしか忘れてしまっていたのでした。
 
 祭りの出店の写真を撮ろうと車で出掛けたが、神社前の国道脇はすでに満車で、さらに真向かいのコンビニの駐車場も一杯だった。
 何処も直ぐに空きそうなけはいが無かったので、少し歩くのは仕方ないと裏手の私道に停めて神社の裏口から入った。
 まず社殿で二礼二拍手からの参拝を済ませてから、出店が並ぶ百年記念館(お城)前の催場へ下りて行った。
 この場所は、ドント焼などにも使われるのでかなり広いところなのだが、たくさんの出店で溢れていた。
 そしてどの店もが、子ども連れの両親や老人たちでごった返していた。その中に、中学生か高校生らしき姿もチラホラ見られた。
 そうした楽しげな光景を見ながら、自分の子ども時代(樺太)のお祭りを想い出していた。
 生まれ育ったのは炭鉱町でしたので、祭りは山神際と呼ばれて全てが会社持ちで全山挙って行われますから、寄付集めなどもありません。
 桜の花びらを模した祭りのお飾りは、家々(8軒長屋)全戸に配られ、各家の庇ごとに飾り付けられますから、それはそれは華やかなものです。
 サーカスや見世物小屋へは親と一緒ですが、出店にはお正月とこのお祭りの時だけ貰う小遣いを手に、兄弟や近所の仲間と駆けつけるのです。
 小遣いは、今のように毎月貰う習慣はありませんでしたから、たまたまの30銭、まためったに貰えなかった50銭を手にして興奮するあまり、あれこれ買いたい物に迷って右往左往するばかりでした。
 両親の手を引っ張り、或いは爺さん婆さんの背を押しながらはしゃぐ子どもたちの姿に、子どものころの自分を重ね合わせて想い出にふけっていたのです。

 ちなみの鳥取神社の由来は・・・
 明治17年、鳥取県からの士族移住者によって作られた村で、後町になって釧路市と合併した。
 ですからその前は、今の駅裏界隈を含めて鳥取村であり鳥取町であったのです。

鳥取神社秋祭りの大人のお神輿さん

間に合わずに後ろだけの子どもお神輿さん

お囃子の山車

祭りの出店風景~壱

出店風景~弐


今年の十五夜さん

2008-09-20 17:45:16 | 日々の雑記
 
 子どもの頃、慣れ親しんで良く歌っていた十五夜さんの歌といえば、

     ※ うさぎうさぎなに見て跳ねる
        十五夜お月さま見て跳ねる

の歌だけかと思っていたら、他にも

     ※ 十五夜お月さんご機嫌さん
        婆やはお暇まとりました 

と云うのがあることを、この度初めて知りました。

 今年の十五夜さんは先日の14日でしたが、珍しく夕方早くから、真ん丸で見事なお月さんが見られました。

 さて十五夜飾りのお供え物は、孫たちがまだ小さかったころには晴とか曇りに関係なく、毎年のようにしたものですが、今はその孫たちも大きくなってあまり遊びに来なくなりました。
 爺と婆の二人では張り合いもなく、またつまらなくなって仕舞い、最近ではほとんどしておりません。
 かつて孫たちと過ごしたそれぞれの十五夜さんは楽しい想い出の一つですが、私の子どもころ(樺太時代)の十五夜さんにも忘れられない想い出があります。
 このことは3年前のブログにも多少書いてありますが、確かまだ小学校に上がる前のことでした。
 私たち子どもにとって十五夜は楽しい年中行事の一つですから、色々と用意する母に煩く付きまといながら、夜の来るのを楽しみ待っていたのです。
 夕方になって珍しく早帰りしてきた父の手には、帰りがけの途中で買ったと云う大きな西瓜がぶら下がっていました。
 その後母から聞いたことですが、一つちがいの弟と二人して部屋中を駆け回るほどの喜びようで、何度叱られてもはしゃぎ回っていたそうです。
 
 その頃の十五夜のお供えは、縁側などの戸などを開け放して置くのがごく普通でしたから、もちろん我が家も同じで、さっそく父が買ってきた大きな西瓜も他の果物などと一緒に供えられました。
 戸を開け放して縁側に置くのですから、盗もうとおもえば簡単です。しかし
当時の仕来りとして、十五夜のお供え物を盗んでも現場さえ押さえられなけば、ぜんぜん罪にならなかったそうです。
 盗むという行為は、むしろ功徳を受けることになる訳ですから、十五夜の供え物限り、盗ったとかあるいは盗られたとかの言葉は存在しなかったのです。
 ですから盗った方は、隙を見て黙って貰って来たになり、また盗られた側は、お裾分けしてやったと言うことになります。
 一寸油断したすきに盗られたとしても、そのまま諦めるより他に仕方が無かったのです。
 とうじ近所に評判の悪ガキたちがいましたから、晩飯中は心配で弟と交代して隣の部屋の縁側を覗いて注意いしていたのですが、その甲斐なく見事にやられ、無くなっていたのは、私たちが何よりも楽しみにしていた西瓜だけでした。
 キットあの悪ガキたち仲間のしたことだと、大体の見当は付いていたのですが・・・。

 当時の樺太では野菜類はともかくとして、果実類は内地からの物がほとんどで、特に大きな西瓜などは珍しかったので、その悔しさも半端でなくその後もしばらく諦められませんでした。
 そんな事からか今なお十五夜さんのたびに、想い出してしまうのです。

 さて今夜のお月さんは、老妻のチョッとした買い物でヨーカドーまで乗せていった時、駐車場から撮ったものです。
 駐車場が高かったお蔭で、家の近くではとうてい見られないような、まさにすてきな十五夜お月さんでした。

写真はヨーカドーの4階駐車場から撮ったもです。



はなはな広場のキンレンカ

2008-09-18 18:49:30 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 
 はなはな広場のキンレンカのことは、先日ブログに載せたように、これまでに何度か見に行っていたのですが、まだ咲いていなくて、いつも空振りでした。
 今回も先日同様に先ずは下見をしてからと、孫のところへ行ったついでに、はなはな広場まで足を延ばした。
 目当てのキンレンカは、遠目でも満開であることが判ったので、老妻に明日一緒に見に行こうと話した。

 公園の駐車場は、昼休み時間を避けて行った甲斐があって、充分に余裕があったから、老妻の膝を考えてなるべく花壇に近い場所に停めた。
 釧路市の花として指定されているキンレンカは、別名ナスタチュムとも云われてハーブとして食用にもなるとのことです。
 また他に薬効も在って、強壮・利尿・去痰などに効くようです。

 さて、キンレンカの花の咲き具合は、すでに満開に近い状態で広場いっぱいに咲き誇っていて、ただただ目を瞠るばかりでした。
 見物に訪れる人たちは、私たちの他にもけっこう多くて全景を撮るのには、大分苦労させられました。
 帰りぎわの小径で、二匹の仔犬がもつれ合いながら私たちに走り寄って来たので、手を差し出して相手をすると物怖じすることも無く近寄ってくる。
 どうやら近くにいた中年夫婦の飼い犬らしくて、慌てて呼んだが帰ろうともせずに、人懐っこく私たちの周りから離れようとしなかった。
 そのしぐさがとても可愛いらしかったので、二匹の仔犬の犬種と名前を訊くと、より小さいのがチワワ犬でチャチャ・もう一匹がトイプードルでさくらと云うことだった。
 プライバシーのことからも、犬だけの写真を一枚ずつ撮らせて貰って、何故か名残惜しそうに、なおも後を追うワンちゃん達と別れて来た。

はなはな広場の花壇(左)~キンレンカの花畑(右)

キンレンカの花びら

チワワ犬のチャチャ(左)~トイプードル犬のさくら

見事なまでの彩りに魅せられて撮って来たが名前は不明・・・

※・・・上の名前不明の花は、今朝の朝刊で{カンナ}と判りました
※PS・・・
 朝刊の説明によると、このカンナは南国の花だと書いてありましたが、どうしてこの北国で花咲くのかと疑問に思いました。
 ところが老妻から、昔の女性歌手{高峰美枝子}の歌{南の花嫁さん}にカンナの歌詞があるよ云われて、その歌を想い出して納得したのでした。
 遥かに遠い赤道直下の花が釧路の野外で咲くとは・・・やはりこれも地球温暖化の影響なんでしょか。

ブログ再開について

2008-09-16 20:42:33 | 日々の雑記
 ブロガーの皆さん、本当に暫くでした。
先日の落雷は、まさに青天の霹靂と云うべきもので、余生の唯一の生き甲斐でもあるパソコンが、無慚にも壊されてしまいました。
 まったく思いもしなかった出来事だっただけに、受けたショックは大きくて、二日ほどは何も手に付かない有り様でした。
 その後修理屋に見て貰ったのですが、モデムとディスプレーがやられていた上に、本体の一部も駄目らしいことが判ったのです。
 さっそくモデムとディスプレーのアダプタを交換したのですが、インターネットやメールには繋がりません。
 時間をかけて調べて貰った結果、やはり本体の主要部分の一部が駄目だと分りました。部品を取り替えるにはかなりの額が要るようなので、それなら新しく買い換えた方が良いのかも・・・とのことでした。
 しかしどちらを選ぶにしても、年金生活者の身の上からして直ぐに答えは出せません。暫く考えさせて貰うことにしました。
 年齢はすでに76歳ですから、修理するにせよ新しく買い換えるにせよ、この後何年続けられるかは、正直のところまったく不明です。
 この間色々と悩みました。いっそのことパソコンはもう諦めてしまうのも、一つの方法でしたが・・・。
 そろそろそんな考えに傾きかけた頃です。若し私がたった一つの楽しみであるパソコンを諦めてしまったなら、また以前の引き篭もりになってしまうのでは無いかと、そのことを何よりも恐れた老妻は、娘とともに新しくすることを勧めてくれたのです。
 それでようやくフンギリがついて、最低限ブログだけが出きる小型のノートパソコンを買うことにしました。
 今までの使い慣れたデスク型とは随分と勝手が違いましたが、写真の取り入れやその写真のサイズ縮小などに苦労しました。
 しかしそれらの苦労は、いざブログを再開できたことの喜びで。すっかり消え去ってしまいました。

 皆さんには、今後何かとご指導をお願いする次第ですがが、なにとぞよろしくお願いいたします。
 なおパソコンが壊れる前に、載せようと思っていた文章、また書いている途中の物や撮り貯めていた写真などが多く残っております。
それらがすでに時期が過ぎたからと、簡単にボツにするには如何にも勿体ないような気がしてなりません。
 ましてや花の時季がそろそろ終わりに近付きつつある今、有効に使ってこそ意義深いだろうと思いますので、些か時季外れの感が伴いますが、これから追々載せてゆきたいと思います。

 因みにこのたびの落雷のあった時の経過を述べますと、2時過ぎにトイレを済ませて間もなくのことでした。
 それまで静かだった雨の音が急に激しくなったので、この分だと明日もどうやら雨だろうとボンヤリ考えながらいた時、遠くから雷鳴が聞こえて来ました。
その音を聴きながら、昔小学生の頃に先生から教わった雷の音と光のことを想い出し、次に光るのを待つ間もなくカーテン越しの窓ガラスが青白く光ったのです。
 直ぐに1、2,3,4,5、・・・数えてから15ほども過ぎた頃でしょうか、ゴロゴロドドォーンといつもながらの響きだったので、この分なら雷はまだまだ遠いなぁーと思ったその時でした。
 今度は今まで耳にしたことも無いような、まるで金属を切り裂くようなビシーッと云う音で半身を起こしたほどです。
 その後は稲光も雷鳴もしなくなり、後は激しく雨が降り続くだけでしたから、近くの変電所あたりにでも落ちたのだろうと・・・、よもや落雷が直ぐ近くの住宅街に落ちたことなど少しも知らずに、安心して眠ってしまいました。
 そしていつもの時間に起きて大変な事態になったことを知った次第です。ただ我が家では、壊れたのはパソコンだけで済みましたが、近所の家ではも被害はあったようです。
 特に隣の家の被害は大きくて、電灯以外の電気製品の殆どがやられてしまったとのことです。それに給湯器も駄目になり、暫くは銭湯通いだと云うことでした。
 それからすると我が家では、パソコン一台で済んだのですから・・・突然の出費はとても辛いのですが、善しと諦めた次第です。

 またボチボチ続けて行きますので、今まで同様に宜しくお願いいたします。 

落雷

2008-09-06 19:03:10 | Weblog
ご無沙汰しています。
実は、先月末に近所で落雷があり、我が家でもその影響を受けパソコンが不調、ネットに繋げなくなってしまいました。

今日は使い慣れない携帯から書き込んでいますが、当分は更新やコメントへの返信など滞る事になると思います。

いずれ再開するまで、皆様お元気で。