昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

今年の年越し

2012-12-31 22:31:24 | 日々の雑記
 知人や身内の支えを頂き、今年も亡妻の居ない二度目の大晦日を迎えることが出来ました。
 昨年もそうでしたが、やはり気が抜けたような頼り無さは否めません。
それでも長女と共に買出しや掃除などを無事に済ませ、孫たちのために年越しの用意が出来ました。
 出前の生鮨に今年は亡妻の喪があけましたので、以前取っていたI・Yのお節セットに各種の刺身等など買い足し、それに又孫の一人が生鮨が苦手なものですから、太巻き稲荷セットなども用意しました。
 亡妻のように色々な献立はとうてい無理なので、旨煮や昆布巻き栗きんとんなどは店売りの物で賄いました。
 亡妻が用意した献立に比べれば半分ほどの品数でしたが、次女家族たち特に札幌の学校から、ぎりぎり今日帰省した下の孫が喜んでくれました。
 なおこの下の孫とはお盆以来半年振りですから、亡妻もきっと喜んでいることでしょう。
 
 孫たちは、年越しのお膳の最後に、出前の鮨に付いてきた茶碗蒸しを食べてから、紅白の途中で帰って行きました。

 後は静かに時を過ごして寝るばかりです。
 
 今年は皆様には本当にお世話になりました。本当に有難うございました。
  来年もどうぞ宜しくお願いいたします。
 
 ではブロガー皆さま!より良い年でありますように・・・!


   ※ 春秋は 移り行けども 妻の亡き
       後の寂しさ 消ゆること無し  
   


今年の冬初の白鳥

2012-12-27 16:13:57 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 それはやはり川向こうにあるスーパーに行った帰りでした。近頃の外出の際には、もうそろそろ白鳥が来る時期だから、買物はなるべく川向こうのスーパーに行くようにしていたのでした。
 一昨年前あたりでは、買物などには関係なく車を出して走り回っていたのですが、今や私ももう八十才の年寄りなってしまいましたから、車での外出はなるべくしない様にしていたのです。
 ですから日頃は河畔に出掛ける機会も少なくなり、その分だけ白鳥などに出合える機会は少なくなってしまいました。
 それが今日の買物に行く途中でした。通りの橋にさしかかかった時、いつもの癖で川の上流に目を向けた時、寄り添うように群れている4羽の白鳥を目にしたのです。

 おそらく昨日か今日飛んで来たばかりでしょうから、直ぐに居なくなってしまう事は無いだろうと思いながらも、買物には身が入らず大急ぎで済ませ、河畔に向かいました。
 親子とも思えるたった四羽の白鳥でしたが、今冬一番乗りの白鳥はとても嬉しかったです。
色々なことが想い出され、カメラに収めた後も暫く見ておりました。

 翌日スタンドでの給油を済ませてからの帰りに、河畔に寄って見ましたが、白鳥たちは見当たりませんでした。
 きっと昨夜の突然の風雪を予感して、動物園方面へ避難したのでしょう。

今冬初めて飛来した白鳥たち


同     上

同      上


冬至の南瓜

2012-12-22 20:24:09 | 日々の雑記
 
 昨日は冬至でした。昔から冬至の日に南瓜を食べると、中風に中らないと言われおります。今で言う脳卒中ですね。
 冬はどうしても緑黄色野菜が欠乏しますから、色々な病気が起こったのでしょう。南瓜にはカロチンが豊富に含まれてりますから、冬のビタミン不足の補給には最適だったのでしょう。
 本当に昔の人たちの知恵には感心させられます。
 
 我が家でも子ども頃から、冬至には南瓜汁粉を食べていたのを覚えておりますが、その当時はそんな理由はまったく知りませんでした。
 戦争の最中で食糧不足で、その上甘い物にも飢えている年頃でしたから、多くのきょうだい達と奪い合いながら食べた記憶だけが残っております。
 そうした仕来たりは、戦後の混乱と樺太からの引き上げなどの混沌とした生活の中では、無理だったのでしょう。全く記憶に残っておりません。

 しかしその忘れられていた仕来りが、私の生活の中で復活したのは、結婚がきっかけでした。
 結婚したその年の暮れのある日の夕飯時でした。副菜の一つに南瓜の小豆煮が有ったのです。それでその日が冬至であること、そして子ども時代の冬至の南瓜汁粉を懐かしく想い出したのです。
 なお亡妻が作ってくれた小豆南瓜には、その後白玉ダンゴが加えられるようになり、その美味さが増しました。

 さて昨日の冬至ですが、白玉ダンゴ入りの汁粉などはとうてい無理ななので、
いつものスーパーで買って来た南瓜の小豆煮で済ませました。
 当然亡妻にも陰膳を供えて一緒に食べました。


インフルエンザワクチン

2012-12-17 20:19:47 | 日々の雑記
  先日行き付けの総合病院に行った折り、今年のインフルエンザのワクチンを
受けて来ました。
 実は一昨年のこと、新型ワクチンが受けた翌日酷い湿疹が全身に出て、約半年ほど悩まされました。
 その当時は、狭心症の治療で色々な薬が出ており、新型ワクチン受ける直前に新しく増やされた薬の所為だと思ったものですから、担当医の計らいで、ステント挿入後に出た薬を取り替えてくれたのです。
 その効果からか、日を追うように快方に向かったので、やはり最初の薬の所為だったのだと、ホット胸をなでおろし喜んだのも束の間でした。
そしてそれから2ヵ月後の通院時に、やはりインフルエンザの新型ワクチン受けたのですが、見事に裏切られました。
接種後半日ほどが過ぎたその日に夕方になってから、胸のむず痒さに気付いて、直ぐにシャツを捲って見たところ、全体に薄赤い斑点が出ていたのです。
 それはまさに一昨年とまったく同じ湿疹でしたから、心臓の薬の影響では無くて、すべて新型ワクチンの副作用だったのです。
 ワクチンの摂取は、もうこれまでに何年も続けて受けていましたから、湿疹が出たのはそのワクチンの所為だったとは、露ほどにも思わなかったのです。
 突如出た湿疹は、時を同じくして処方された、粉薬と錠剤からなる八種類からの薬の所為だとばかりに思っていたのでした。
 しかしそれは全くの思い違いで、一昨年前まで長く続けていたワクチンは、新型では無くて古い型のワクチンだったのです。

 こうして湿疹が出てから2年近く経って、おおよその原因が分かったのですが、さて今年は如何するか多いに迷いました。
 結局心臓内科の医師に相談したところ、例え発疹があったとしても、私の父でしたら勧めますね、と言う医師の言葉でワクチンを決心しました。
そしてその帰りに、次回の通院日に受けるよう予約をしました。


我が家の冬の節電対策

2012-12-12 17:00:56 | 日々の雑記
 
 この度冬の節電要請が出されました。全国で唯一のことで、12月の10日から来年の3月8日までの約4ヶ月間の平日、7パーセント以上の節電です。
 若しこれが出来ない場合には、緊急的に送電が一時停止されることもあるようです。已む得ない事とかでしぃうが、何か弱い者苛めと感じるのは、私だけでしょうか。
 と言うのは、毎日の生活において是非とも必要なものは、電気ばかりで無くてガスも水道も、そして灯油などがあります。
 それらの必需品を日々使い放題の家庭は、余程恵まれた家庭に限られるでしょうから、その数は極めて少ないことでしょう。
多くの一般市民、特に年金生活者にとっては、日頃から出来るだけ気を遣って暮らしていますから、何だかピンと来ません。
さて、そうは云っても手を拱いては居られません。それに緊急停電にでもなれば、病院や介護施設などが大変でしょうから、我が家なりの努力はして行きたいと思います。
先ずトイレですが、10度を下まわったら危ないと言われていますから、これまで我が家では、10度を切ったら昼夜分かたず電熱器を点けております。
 しかしこれからは、夜分だけにしようと考えております。昼間は綿入れなどで厚着してから、用を足す様心がけるつもりです。
 また廊下の電灯などは、余程のことの無い限り点けないつもりです。もともとかって知った狭い我が家のこと、手探りでもトイレには行けるでしょう。
 それに就寝時間を一時間早めること、これまで亡妻と一緒の頃はずうっと11時でしたが、一人となった今は10時には床に入るようにしております。
 もともと寝る前の一時間は、寝巻き着替えてから録画したドラマなどにあてていました。
 これからは録画したドラマなどは、亡妻の入院用に買ったポータブルCD・DVDプレーヤーを、より有効に使ってゆきたいと思います。
 これならベッドの中で横になって観られますから、テレビはもとより電灯の節電にもなります。
 
 それにもう一つ迷っているのは、仏壇の灯りです。亡妻の一周忌は済んだばかりです。これまでは、朝のお参りから就寝時まで点けたままです。
 仏壇の日中の灯りについては、月命日の時時住職さんに相談しようと、思っています。
 
入院する亡妻のために用意したもですが、せいぜい一度か二度ほどで、後は観る気力を無くしてしまいました。


テレビ代わりに使うポータブルCD・DVDプレーヤー




我が家の来年の年賀状

2012-12-07 15:57:32 | 日々の雑記
 
 先日地域の郵便局の知人に依頼して購入しましたが、今年の年賀状は二年ぶりのことで、パソコンでの原稿作りで少し戸惑ったものです。
と言うのは、先ず一昨年は義弟(亡妻の弟)葬儀、そして昨年は妻の他界で出すことが出来ませんでしたから、それぞれの年の挨拶は、いずれも喪中案内と寒中見舞いで済ませて居たのでした。

先ず迷ったのは、葉書き載せる干支の絵柄のことで、初めは筆王のイラスト集からか、または先月釧路湿原夢ロードで撮って来た蛇でした。
何枚もテスト刷りをした結果、やはり目出度い新年には、本物はあまりにもリアル過ぎるだろうと思って、イラスト集の中から金色に輝く絵柄を選んだのです。
今年の年賀状は、いつもより少なく九十枚ほどにしました。
そして印刷はいつものように裏面だけにして、表書きは下手ながら筆書きにしようと思い、また裏面の通常の挨拶文などは、投函の期限まではかなり日数がかなり有りますから、その内おいおい仕上げて行こうと思います。

平成25年度分我が家の年賀状

初めはこの釧路湿原夢ロードでの蛇と思ったのだったが・・・



我が家の紅葉

2012-12-02 16:11:26 | 日々の雑記
 
 以前も書きましたが、我が家の庭は妻の亡き後は放ったらかしの儘なので、まさに見るも無残な荒れようです。
 しかしそれぞれの季節の訪れにつれて、それぞれ葉を茂らせ花も咲かせて癒して呉れました。
 そして秋の訪れとともに、それぞれの色合いに染まりながら紅葉して、有難いことに、ともすれば沈みがちな我が身を力付けてくれます。

 亡妻もことほか好きだったもみじの木、せっかく燃えるように真っ赤に紅葉したのもつかの間で、残念ながら例年より早い初雪ですっかり駄目になってしまいました。
 しかし幸いにも雪の降る前日に撮ってあったので、無事に載せることが出来たのです。
 そして又、福寿草などと同じように、これまでの家の庭で咲いた花々と同じように、カメラの写真を仏前に置いて亡妻に見せました。

襟裳石楠花

もみじ

同    上