昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

ドーム運動公園にて

2011-07-09 17:41:06 | 日々の雑記
 春先に一度行ったきりで、それから行く機会が無かったのでしたが、今日たまたま出掛けた図書館での用事が早く済んだので、隣接するドーム運動公園に入ってみたのです。
 そこで先ず目に付いたのが、水の遊び場で咲いていた藤の花でした。この公園にはかなり以前から、少ない時でも年に3・4度は来ていましたし、また多い年では花の咲く時季だけに限って、月に一度は必ず訪れていました。
 しかし前にはそんなに来ていたのに今は何故足が遠のくようになったのか、それにはこの運動公園にはとても辛い想い出があるからなのです。
 それは向かいのご主人にまつわることなのですが、仕事人間として朝は5時出勤で帰りはいつも7時過ぎですから、町内の人たちとの交流は余り無く偶々顔を合わせば挨拶するくらいです。
それが向かいのご主人Bさんとは、町内会の寄り合いの席で隣合ったのが縁で、朝夕の挨拶ばかりか、外で出会えば立ち止まって話し合うまで親しくさせていただくようになりました。
 そのBさんとの出会いの唯一の場所がこのドーム公園でした。Bさんは愛犬家で、ここではいつもミニチュアダックスフントと一緒でした。
 この土地が出身地で無い私にとっての話し相手は仕事仲間が殆どでしたが、それぞれ退職した今ではお互い歳をとってしまった所為か、今では会うこともまた話し合う機会もありませんでした。
 ですからその頃の私の話し相手は、時おりこの公園で出会うBさん以外に無かったので、それが外歩きの時の大きな楽しみの一つになりました。
 
 ところがそのBさんは、一昨年の初めに突然体調を崩されて入院されましたから、お会いすることも無く数ヶ月が過ぎて、今度は私が大腸がんで急遽入院することになりました。
 その私の入院中に、Bさんは他界されたのです。葬儀には老妻が出ましたが、何でも肝臓関係のご病気だったとのことでした。
 当然私は退院後にお悔やみに参りましたが、その後Bさんとお会い出来ないドーム公園は、私にとってとても辛い場所となり、その後ずうっと訪れる気が起こらなかったのでした。
 久しぶりに訪れて思ったのは、公園内が何となく荒れているような感じでした。やはり市の財政の逼迫からでしょうか、以前は綺麗に手入れされていた中央の広場は、色々な雑草ばかりはが生い茂って、遊んでいる子どもたちのサッカーボ-ルが隠れてしまうほどでした。
 それでも在りしのBさんを想い出しながら、時には立ち止って写真を撮りながら公園内を一周して来ました

前には無かった水の遊び場の見事な藤棚

同        上

雑草が生い茂っておる子どもたちの運動広場

荒れた中にも可憐な花ヒメジョオンが可愛い・・・!

タンポポの種類なのでしょうが・・・名前は分かりません

同        上


湿原道路で・・・

2011-07-04 13:10:14 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
・・・初めに一言・・・

 昨日のNHK番組での日曜討論で話し合われて居ましたが、揉めていたのは公約の目玉とも言うべき子ども手当ての財源に付いてでした。
 双方の意見はすれ違うばかりで、決着の糸口さえ見付からないようで、揚げ句の果には、お決まりの消費税値上げで縺れるばかりです。
 いつも不思議に思うのは、財源不足で尚且つ増税にも躊躇するなら、なんで自分たちの歳費値下げを言い出さないのか、それも与野党の誰からも声が上がりません。
 夫々の議員の頭の中には、ただただ国民から搾り取る事ばかりがあるようです。
 
 以前は春から秋にかけて毎月一回は来ていた湿原道路なのだが、大腸の手術後の体力と、さらに間もなく八十歳に手が届く足腰の衰えからか、今では半年の一度がやっとの状態です。
 久しぶりの晴れ間だからと自ら気を高めて訪れたのだが、やはりアンダーパスを過ぎてからの、とうてい坂などは呼べない僅かな傾斜で、しかもそれは百メートルにも満たないのに、途中で休まないと登りきれないのが情けない。
 それを過ぎると後は何処までも平坦で、まだ其処まで歩いては行ったことは無いのだが、終点のA町まではずうっと平らの儘だと云うことです。
 休みやすみして歩き始めたのですが、周りは丈高い葦が群生するばかりで、花らしき花はぜんぜん見当たらず、いつも道端に連なるように咲いているエゾノコギリソウ、それにまた山ほど咲いているコケイバイソウさえもどこへ消えてしまったのか、辺りには全く見当たりませんでした。
 それでも足元の草叢の中に、あたかも隠れるようにして僅かに咲いていたのは、ウマノアシガタ又の名をシコタンキンポウゲと呼ばれる可憐な黄色い小さな花でした。
 諦めて帰りかけた時、昔の夕別炭砿鉄道鶴野駅のホーム跡で眼についたのが、
シギのように嘴の長い鳥でした。
 一般的にシギは川や湖など水辺の鳥のはずと思ったのでしたが、どうやら山など草地に居るらしいのです。しかし名前ははっきりしませんでした。

湿原道路の入り口の看板

一番先に目に付いたのはエゾノコリンゴの花

同        上

雑草の中のウマノアシガタ又の名をシコタンキンポウゲ

嘴の形からシギの仲間なのでしょうが・・・

同         上



今年初のハマナスの花

2011-07-01 17:07:44 | じゃこしか爺さんの見て歩る記

 昨夜のニュース番組で、未曾有の東北大震災と、これまた想像を超える原発の事故のために、親子三代の故郷福島を追われて、今遠く札幌に非難されている女性の一時帰宅が放映されていました。
 やっと許された一時帰宅でしたが、それはたったの二時間と云う限られた短い時間内でその女性がしたことは、亡き母の遺影探しに費やされました。
 せっかくの一時帰宅ですから、もっと他に何か在るだろうと思いましたが、この女性には母の遺影探しが一番大事だったのでしょう。
 人はやはり想い出に生き、またその想い出に生かされているのだと、しみじみと思い知らされました。

 ハマナスの花が毎年のように咲き続けている河畔とか自転車道路とかへ何度か行っているのですが、今年はこのところ気温の低い日がずうっと続いていたせいか、何処へ行っても僅かに小さな蕾がついているだけでした。
 この日市役所へ行ったのですが、月末でもありきっと混雑しているだろうと、ある程度待たされるのは覚悟していました。
 ところがです、他の部署は混んでいましたが、幸いにも老人福祉関係だけは三人ほどで、しかもそれぞれ余り時間もかからず私の番となりました。
 私の場合も年に一度の手続きなのですから、ものの5分ほどで終わってしまいました。
 その日の天候は珍しく晴れて気温も20度を超えるとのことでしたから、真っ直ぐ家に帰るのは勿体ない気がして、途中河畔公園の川上にでも行って見ようと、車を家から離れた方向へ向かったのです。
 
 相変わらず市のパークゴルフ場は混んでおりましたが、広い河川敷ですから車を停める場所には事欠きません。
 もとより日々遊んでいるような年寄りの身の上なので急ぐことは無いからと、暑いほどの陽を身にいっぱい浴びて土手道をのんびりと進んだのです。
 そこの土手道で、待ち望んでいたハマナスの花に出合ったのでした。
 やはりここも満開にはまだまだのようでしたが、先が楽しみの蕾がいっぱいでした。

此処のハマナス(赤)早いようで咲いていました

同        上(白)

蕾がいっぱい先の満開が楽しみです

同      上(蕾)

川原の雑草に混じってヒオウギアヤメが咲いていました

国道脇の電柱にはトンビがピーヒョロロと・・・