昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

初秋の気配い漂う自転車道路Cコース

2007-08-31 20:38:42 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 自転車道路Cコースとは、以前このブログに載せたように、ただ単に私自身の体力にあわせて勝手にきめた区分で、鶴野駐車場から先の最終地点阿寒町まで約20キロの距離があります。
 しかしそのような長距離区間を歩くことなど、まったく夢のようなことですから、ここでのCコースとは、駐車場を起点にして、私が歩ける限度のせいぜい3キロ地点までのことです。
 その僅かな3キロほどの区間ですが、前にも書きましたように、色々な山野草はもとより、トンビやハヤブサなどの猛禽類から、コヨシキリ・ノビタキなどの小鳥たちが見られ、また運さえ良ければタンチョウの番いが見られるほど、自然が豊かなのです。
 ただしこのコースは他のコースに比べて葦原が広がるばかりで、日陰をつくる樹木が少ないだけに、暑い日の歩きにはあまり適していない。
 今日は、近ごろ珍しく朝から曇りで、いつもより気温が低めで昼近くになっても20度になっていなかった。それに週間予報によれば、土曜以降約一週間は雨マークの連続だった。
 このところずうっと雨を見る日が少なかっただけに、たまの雨も或いは慈雨になるのでは、と思いながらもそれが一週間も続くとなれば辛い気もする。

 雨が一週間も続くとなれば、外歩きはしばらくお預けとなるのは必定と、とりあえず自転車道路Cコースへ向かった。
 やく二週間ぶりのCコースは、もうすでに初秋の気配いが漂い、人影も少なく予想外の静けさで、ときおり通りすぎる風にゆれる葦の葉音ばかりだった。
 
ハンゴンソウ群がり咲いていた

ハナガギク

早々とトリカブトも咲いていた

地元の自然保護団体の反対で工事差止め中の砂利道に咲いていたムシトリナデシコ


六年ぶりの皆既月蝕

2007-08-29 20:46:25 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 6年と7ヶ月ぶりに皆既月蝕が、今夜ここでも見られるとのことで、年甲斐も無く夕暮れ早々から落ち着けなかった。
 今夜の空模様は、早くから晴れると予想されていたので、天候についてはさほど心配していなかったが、今夜の月食は南東方面の空で見られるとのことだったから、その方角についての不安がよぎった。
 月食が南東の夜空のみでしか見られないとなると、住宅街の中にあるわが家からでは、建て込んでいる周りの家々が邪魔になって、果たしてうまく見られるのかどうかは、かなり微妙なのである。
 近くの河原へ行けば、確実に見られるのだが、今の私の体調では、昼間ならともかく、あたりが暗くなってからの外出は叶わない。やはりじっと家の窓に現われるの待つより他はなかった。
 
 晩飯後も落ち着かず何度も立ち上がって窓を開けたが、どの方角にも何の変化も見られず、ただ真っ暗闇が広がっているばかりだった。
早くから心配していたとおりで、やはりこの場所からでは、裏の家の屋根が邪魔なのだろうと、なかば諦めていた。
 しかし8時過ぎてから、何げなく窓から夜空を見上げると、なんと裏の家の屋根越しに半分欠けた月が見えた。
 慌ててカメラを取りだして写したのが、次の写真です。
 加齢のせいで、あまり手も覚束なくなった老人が、しかも望遠も何もない普通のデジカメで撮った写真など、人さまにお見せするようなもので無いのは、じゅうぶんにわきまえているのですが、今夜の天体ショーに立ちあえたきねんとして、あえて載せたしだいです。まことにチッポケなものですが、私の手持ちのデジカメではこれが精一杯でした。

8月28日午後9時25分頃の月

午後9時30分頃の月

9時45分頃には、すでに月蝕は終わりもとの満月に戻っていた。


夏日ふたたび

2007-08-27 21:20:40 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 今日の気温は、夕べの予報によれば、せいぜい22度どまりのはずだったが、午前の9時ごろにはすでに24度を超えていた。
 それにこれも予報をうらぎって、昼ころには雲一つ無い快晴となり、今日の暑さが窺われ、お盆過ぎには珍しい夏日になることも予想された。
 一応今日も歩く予定だったので、歩きに出かける前にPCの市内アメダスを開いてみると、暑さはともかくとして、風が7メートルで湿度は50パーセント台とあった。
 この調子では、熱中症を心配する必要はないだろうと、とりあえず飲みものだけはタップリ用意して、買物ついでもあって柳町公園へ出かけた。
 
 パークーゴルフ場は、この暑さにもかかわらず、いつもどおりの盛況ぶりを呈していた。この状態では、陽射しが強いからと云って、河畔を歩く時のように、帽子の下に手拭を被るような恰好は、とにかく見映えが悪いようではばかられた。
 なるべく木陰を歩くよう心掛けたが、そんな心配はまったく不要で、7メートルもの風が遮ってくれたから、安心して老人には、とくに必要なお日さんをタップリ浴びることができた。

 帰宅してふたたびPCのアメダスを開くと、正午過ぎの気温は25度きっかりだった。お盆が過ぎてからの夏日は、この地域ではめったにないことだ。

雲一つ無い真っ青な空がどこまでも広がっていた。

パークの駐車場横に咲いていた満開の「ヤマハギ」

窓に映った夕焼けが綺麗だったので、近くの河畔道路に出かけた。

その夕焼けが、帰宅したころには大きく変わっていた。家の前からの夕焼け。



柳町公園の百合の花

2007-08-25 20:02:05 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 昨日の昼間、久しぶりに駅前市場に行ってみたいという老妻を、市場前でおろしてから、わざわざ地下の駐車場に行くのは面倒になって、老妻の買物が終わまでをウォーキングにあてることにした。
 市場近くを歩くことにしたのだが、その周りには有料駐車場しかなかった。いかに健康のための歩きとは云いながら、料金を払ってまですることも無いだろうと、少し迷った末に、やや遠回りになったが柳町公園に向かった。
 この公園に来るのは、今月初めに来た以来のことだった。
 まずは、一番手前の「はなはな広場」に車を停めて、歩きはじめた。天候は稀に見る快晴で、空には雲一つ無いほどの、まさに大日本晴れだった。
 その上、ときおりそよかぜもあって、暑さを和らげてくれるから、最近珍しいほどのウォーキング日和でもあった。
 花壇の傍の四阿には、自転車で来た高校生の男女数人が陣取って、何かのミーテングの最中らしかった。少し離れた芝生では幼児と遊んでいる親子や、その傍には子犬連れの若い夫婦者と老カップルが親しげに会話している。
 
 そんな長閑な公園中央の木立ちの外れに、色とりどりの百合の花が咲いていた。近付いて良く見ると、花の盛りがやや過ぎたのか、萎みはじめた花も見られた。
 しかし葉にも勢いがあり、更に蕾の小さいのが沢山付いていたから、この先もまだまだ楽しむことが出来るのは確かだ。
 はじめは「ノカンゾウ」の仲間かとも思ったが、その鮮やかな彩りからしてそうでも無いらしい。
 
 いずれにしてもこれらの花には、それぞれに名前があるのだろうが、百合の花は種類が多いから、まったく見当が付かない。



 処暑とウォーキング

2007-08-23 21:40:38 | 日々の雑記
            
 今日23日は、[二十四節季の処暑]とかで、この日をもって暑さは無くなると云うだが、そんな気配は一向に見えず、むしろお盆が過ぎてからのほうが暑いくらいだ。予報では今日の最高温度は24度とあった。
 
 その予報が当たって、朝からからりと晴れていたから、早めに出掛けてタップリ歩いて来ようと思っていたのだが、大好きな大リーグの中継が気になってならなかった。
 それで、今日予定していたウォーキングは、とりあえず野球中継を見てからにしようと決めた。
 なお今日楽しみの大リーグ放送は、8時からの「M投手先発のレッドソックス対I内野手のデビルレイズ」戦と、11時からの「M外野手のヤンキース対エンゼルス」戦の二つの試合が予定されていた。
 先ず第一戦目の序盤は、レッドソックスが1点を先取して、M投手の好調さからして、このまま行くのかと思ったのも束の間で、M投手の例の四球病が現われて一気に逆転されてしまった。
 それにしてもM投手が投げるときの味方打線は、何故か振るわない。そして今日一番の楽しみだった、14勝目の達成はならなかった。
 そのあと引き続いて行われた「ヤンキース対エンゼル」では、M外野手が第一打席で、ライト前にヒットを記録した。
 この試合も序盤は投手戦で進んだが、中盤早々にヤンキースが1点先取した。このままずうっと見ていたかったが、それでは歩く時間が少なくなってしまうので、先ずは歩きが優先と出掛けることにした。

 予報どおりに気温はぐんぐん上がって、出掛ける頃の正午少し前にはすでに24度を超えていた。
 こんな暑い日は、やはり川風が涼しい河畔を歩くのが一番と、車を走らせた。
陽射しが強いせいか、相変らず散歩の人の少なかった。あてにしていた川風は、予想していたよりやや強かったが、むしろそのほうが涼しく感じられた。    
 なおその風は、これからもっともっと強くなるのか、川面には時おり白波が立つほどだった。
 その川風のお蔭で、予定していた距離を歩き終え、さらに草花などもカメラに収めることが出来た。

初めは判らなかったが、帰宅後PCで「ヨモギギク」と呼ぶ野菊の仲間だとわかった。

土手の草原で見つけた数本の「ネジバナ」

草刈りがされた後に残っていたたった一輪の「エゾフロウ」

遊歩道のベンチ横の花壇で咲いていた「シモツケ」


河畔にて・・・水上バイク

2007-08-21 20:32:45 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 今年の夏はやはり少しおかしいようだ。例年なら、お盆が過ぎの気温は一気に下がり、時にはストーブが欲しくなるほどの夜もあったのに・・・。
 温暖化のせいなのだとは知りつつも、夏日が続きそのうえ23年ぶりの真夏日のオマケ付きともなれば、今世界各国での熱波と冷夏の繰り返しなどを考え併せると、今さらながら地球温暖化の怖さをつくづく感じてしまいます。
 
 さて健康のための日ごろのウォーキングには、熱中症が怖いので夏日・真夏日などの暑い日はともかくとして、雨でさえなければつとめて出掛けるようにしています。
 今日の予報は、曇りがちとあったので気軽に外に出たのだが、その予報とは大違いで、次第に青空が広がりこれからの暑さがうかがわれた。
 街中を歩くよりは、川風が吹く河畔が一番と、とっさに判断してさっそく河畔遊歩道に向かった。
 やはり暑い盛りの昼日中とあって、他に歩いている人は少なく、自転車で来た子どもたちが追いかけっこをしているていどだった。

 外を歩くのだから、日除けの帽子はきちんと被って来たのだが、首筋と背中に照りつける日差しの強さは半端でなかった。歩く途中にあるパークゴルフ場での人たちは、今日はいつもの半分くらいしか居なかった。
 それで、よそ目は気にせず、何かと用にといつもポケットに持ち歩いている手拭を、後頭部にのせて歩くことにした。
 あまり見栄えが良いとは思わなかったが、これも熱中症防止の一方法なのだと、ともかく歩くことに専念した。

 その時、後方の川上方向からの爆音にふり返ってみると、2隻の水上バイクが水しぶきを盛大にあげて近付いてきた。とっさのことでカメラを取り出す暇も無いくらい、あっという間のことだった。通りすぎる前にようやくゲットしたのが、下の写真です。
 かなり遠かったのと、かなり慌てていたので、満足に望遠操作もできず、写真も小さくてボケてしまった。

 一級河川で、水上バイクなど乗り回して良いのかどうかは別にして、その時ばかりは、この若者たちの水遊びが羨ましくて仕方がなかった。

如何にも涼しげな水上バイクだったが、少し慌てていたのと遠かったので・・・


75回目の誕生日

2007-08-18 21:21:53 | 日々の雑記
 わたしは今日(8月18日)、人生の一区切りともいえる75回目の誕生日を、無事に迎えることができました。

 日本男性の平均余命(78歳)にはまだ数年の間が有るものの、昭和初期の不景気時代の真っ最中に、樺太北部の寒村で生れ、のちの大戦と、戦後のソ連軍統治下時代の混乱期を無事にのりこえて、良くぞこれまで生きて来られたものと、その感慨も大きくまた一入であります。
 どちらも軽いながら、狭心症と脂肪肝と診断され、さらに還暦をすぎには糖尿の心配も加わったから、日ごろから長生きはとうぜん無理だろうと思っていただけに、ただただ有り難く感謝するばかりです。
 これもまた、戦中戦後にかけて早々に他界した両親と兄たちに託された生命なのだから、その分も含めてもっともっと大事に長生きしなければと、つくづく思う今日の誕生日でもあります。

 さて健康のために続けてきたウォーキングは、折からのお盆行事と23年ぶりの真夏日の猛暑や、その後の雨などに阻まれていたのですが、今日その雨も上がり、約一週間ぶりに自転車道路Cコースに出掛けてきました。
 久々に湿原に来てみると、3日ほど前の寝苦しかった猛暑は、嘘のように涼しさがいっぱいで、道ばたに咲く花たちも様がわりしてそのよそおいは、もうすでに初秋そのものでした。

 ところでこの歳での誕生日の祝いなどは、今さらどうとも思わないのですが、老妻に促がされて近くの回転寿司屋のN亭に出掛け、二人きりの今日という日の幸せを満喫してきました。

コウゾリナでは・・・?

クサフジの群生

キンミズヒキ

ヤマハギ

ツリガネニンジン別名(ツリガネソウ)


戦争が終わっていたことも知らずに・・・

2007-08-15 21:01:08 | じゃこしか爺さんの想い出話
 62年前の今日、戦争が終わったことなど少しも知らずに、戦争終結の間際に突如として参戦してきたソ連機に追われていた。
 当時、私たち国民学校高等科の生徒は、住民が避難したあとの住宅街の見回り役として編成されていた。

 終戦に当る日の前夜、ソ連軍が上陸侵攻してくるという報せで、早々と住民たちが避難した深夜の住宅街の見回り中、急病人を発見した。かなりの老人だったから、おそらく避難するにも足手まといになるだろうと、避難を終えて帰ってくる家族を、独りで家を守って居ようとしたのでしょう。

 少年見回り隊の私たちの班が、町の詰所係員の指示で炭砿病院に連れて行くことになり、リヤカーに乗せてさっそく出掛けたのです。
 急病人を病院に無事に送り届けての帰りのことでした。突如としての飛行機の爆音と同時に、深夜の真っ暗闇の空にゆらゆらと揺れながら落ちてくる、奇妙に明るい物体に気づきました。
 とにかく深夜なのに、真ッ昼間のように明るくなり、その明りのなかに炭砿の建物や市街地が浮かび上がっていたのです。
 その正体が、ソ連機から落とされた照明弾だと判ったのはずうっと後のことで、その時はてっきり爆弾だとおもい、道路の側溝脇の防空壕にとびこんだのでした。 その後しばらくは、遠くまたは近くで爆発音が響きわたり、私たちはお互い抱き合うようにして慄いていました。

 そして今にしておもえば、その日こそ終戦の日だったのですが、そんなことはまったく知らない私たちは、解散され避難することになりました。
 
 その日の天候のことなどは、正確に覚えておりませんが、おそらく写真のような穏やかな良い天気だったのでしょう。
 住宅街の奥にある避難場所の炭砿坑口を目差して歩いている時でした。飛行機の爆音を耳にして、はっとして見上げた雲のかげから、一機のソ連機がとつぜん現れて、見る間に近付いて来たかと思うと、いきなり銃撃してきたのです。
 私たちはまさに蜘蛛の子を散らす状態で逃げまどい、やっとのことで町外れの馬鈴薯畑に逃げ込むことができて、その時の難を逃れました。
 いまから思うと、戦争はすでに終わったことを知りながらも、そのソ連機の兵士は、面白半分か遊び半分で、一目で子どもと判る私たちを追いまわしていたのでしょう。その時近付いてくる戦闘機のなかには、大口で笑いあっている操縦士の顔が見えたのです。
 その顔は、今でもはっきりと想いだすことが出来ます。
 
 避難後家に戻って知ったのですが、デマなどの流言を恐れた軍部の手で、住宅街の家のラジオがすべて破壊されていたのでした。
ですから、敗戦や「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ・・・」の玉音放送のことは、まったく知らなかったのです。
 
 ちなみに、今度の戦争とくにソ連参戦によって起ったわが家の不幸の一つは、ソ連軍の上陸侵攻から、石炭積み出しの港湾設備を守るために、徴用された民間警備隊の一員だった父は、港へ行ったままその後幾日経っても家族のもとへ帰ってくることが、ついになかったことです。
 いささか大げさになるようですが、わが家の不幸は、終戦を境にして始まったのです。後のちあの戦争さえ、とくにソ連の参戦さえなかったら・・・と恨めしくおもうことが少なくありませんでした。

 なお、このブログを初めて以来、毎年のように載せてきた終戦の日の想い出は下記のとおりです。

 1~避難
 2~避難の末に白旗を
 3~終戦の日
 4~第60回終戦記念日
 5~あの戦争さえ無かったら・・・

 62年前の終戦の日が、今日のように暑い日であったのどうかは、はっきりと記憶に残っておりませんが、たしか、とても穏かな真夏日の昼間のことです。
 夏雲が浮かぶ青空の彼方から、突然ソ連機が現れ、襲ってきたのです。



今日は真夏日になるか・・・

2007-08-13 20:43:46 | 日々の雑記
 先日8日の日中の気温は、ついに25度2分まで上がり、待ちに待った今年初めての夏日となった。この暑さは昨年8月以来のことで、本州などで云われているような、そのうだるような暑さに及ばないにしても、夏らしい暑さを久々に実感したものだった。
 そしてその高気温は、そのまま当分続くのかとも思っていたのだが、翌日から元の20度そこそこの気温に戻ってしまった。
ところが、昨日は全国的な気温上昇の影響からか、当地域ではまったく珍しい高気温の28度を記録した。稀におとずれたこの慣れない暑さに、これこそ本当の夏の暑さなのだと、納得しながらも夜の寝苦しさには閉口した。

 明けて今朝は、起きた時点(8時)でもうすでに24度と、昨日のおなじ時間帯の気温を大幅に超えていた。
 ためしに外に出てみると、風の無いせいもあってか、とにかくすごい暑さになっていた。若しかしたら、今日は真夏日にでもなるのでは無いかと思ったほどだった。
 今日は13日、迎え盆でお寺に行く予定があった。こんな暑い日の、それも年寄りにとって、一番怖いのは外出どきの熱中症(脱水症状)である。
 本州では戸外ばかりでなく室内でも、その怖さには変わらないとそうである。
タップリと飲料水を用意して出掛け、二つのお寺(家と親戚)のお参りを、無事に済ませてきた。

 ちなみに、過去の8月中の気温を気象庁のデーター検索してみたら、年毎の夏日は、一昨年あたりから急に増えていることが判った。これも、やはり地球温暖化の証しなのだろう。
 真夏日になったかと思われた今日の気温は、気象庁の夜のデーターによると29度と記されていた。真夏日には今一歩のところだ。
だからと云って、真夏日を望んでいるわけでは無い。
 日ごとの気象情報では、いつも全国一番の最低気温の当地域、猛暑日などはまったくゴメンだが、真夏日は年に一度くらいは体験したい気もするのだ。
 しかし気温は、夜の8時が過ぎても昼間とあまり変わらない。キット今夜もまた、寝苦しい夜となるのだろう・・・。
 
今年初めて28度を記録した昨日12日の夕焼け 

こちらは29度までになった今日の夕焼け

13日の今日、迎え盆で訪れた菩提寺の庭に咲いていた満開の紫陽花

紫陽花の横に、秋の花桔梗が咲いていた


病院のクロちゃん

2007-08-11 20:44:24 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 この病院は10数年来、毎月一回血圧の薬を貰いに通っている、住宅街の中のとある個人病院です。
この病院のことについては、以前にもブログに載せたことがありましたが、とにかく猫好きな病院として知られております。
「類は友を呼ぶ」との喩えがあるように、スタッフ全員が猫好きで、その中でも院長がずば抜けているようです。
 まさに「目に入れても痛くない」といった感じで、猫の話になると上機嫌、満面笑みで、いつになく話が弾んで来ます。
それもそのはずで、数年前のことになりますが、この院長自身飼い猫についての小説(シマの一族)を書いているほどですから・・・。
 さてここで飼われているの猫は、5匹ほどのようですが、そのすべては黒猫のうえに、大きさもだいたい同じなのです。
時おり待合室に遊びに出てくるのですが、はっきりとは見分けることはできません。
 また通ってくる患者さんの中にも、かなりの猫好きがいるようで、猫の方でもそのことは良く知っているとみえて、まわりで手を出しても一切おかまいなしに、その猫好きの人だけに走り寄ってゆきます。
 そうした猫好きの人たちが来ていなかったら、滅多に近付かないのに、今日ばかりはいつもとちがって受付カウンターに、あたかも事務員のように、ちょこんと座っていたのです。
 そしていつもは、私などにはあまり興味を示さないのに、人懐っこく身をすり寄せるようにして出迎えてくれたのです。
 そのしぐさがとても可愛いかったから、思わず手を出したら、急に逃げようとして立ち上がったので、抱くのは諦めて写真だけ撮らせてもらった。

クリニックのマスコット存在のクロちゃん