昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

街中の公園を散歩するカモメ

2007-06-30 18:50:27 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 先日の良く晴れた日のお昼頃だった。いつになく暖かく、そのうえ風もない珍しく穏やかな日でもあった。
 柳町公園の三つのゾーンを一周りして、途中の四阿で息を入れながら、前方の草むらの中でうごめくものを目にした。
 近付くにつれて、それがカモメ(背黒かもめ)であるとわかった。ここはもともと漁港の街だから、カモメが居たからって特に珍しいことではない。それもその筈で、近ごろでは、海辺からけっこう離れた住宅街のゴミ集積場でも、カラスと張り合ってゴミ袋に悪さするのを、良く見られるようになっていたからだ。
 だが、パークゴルフや犬連れの散歩を楽しむ人たちと、それにウォーキングの老人たちでけっこう賑わう昼日中の公園内を、それも番いでうろつくともなれば、とても珍しいことことでないかとおもう。
 やはり陽気に浮かれと見るべきなのだろうか・・・。

 さてカモメのことを、地方によってゴメとか海猫と呼んでいるようだが、ゴメの方は、歌手北原ミレイの「石狩挽歌」の歌詞にも、「ゴメが啼くからニシンが来ると・・・」とあるから、カモメの別称だと直ぐに判る。
 しかし物の本によれば、ゴメはともかく海猫はまったく別ものらしい。
 これも何かの本で読んだのだが、カモメのことをゴメと呼ぶのは主に東北と北海道で、それも道内では釧路人が一番多いとあった。いずれにしても、数字的なことはすっかり忘れてしまったので、ここに詳しく記せられないのが残念だ。

 ゴミ袋を荒らすゴメはとても憎らしいが、海や川でゆったりと浮いているのや、大空を悠々と翔んでいるのを見るのは楽しいし、時には癒やされることも多い。

 公園内を散歩するゴメの番い


自転車道路について

2007-06-28 20:31:06 | 日々の雑記
 
 いつもウオォキングで利用している自転車道路は、昔の雄別炭砿鉄道の軌道跡を利用した全長24・4キロの自転車専用道路です。
 起点は新釧路川右岸の河畔公園に始まり、途中丹頂鶴の生息地として知られる釧路湿原、市の動物園と温泉施設(山花リフレ)を経て、阿寒町中奥羽公園までの自然豊なサイクリングコースとなっています。
 ただしこのコースには、自然豊な湿原があるかと思えば、病院や飲食店などの店舗が点在する住宅街があり、さらに新釧路川の支流の仁々志別川沿いに伸びているところもあります。
 日ごろのウォーキングには、主にここを利用しているのですが、ただ単に自転車道路を歩いて来たとすれば、その全長24・4キロを歩いたとられがちです。                              
 しかし私の一日あたりの歩行距離は、全コースの内わずか2割程度の4~5キロにしか過ぎないので、とても紛らわしくなってしまいます。
そこで普段ブログや家人との会話の中では、全コースを周りの環境に応じて、それぞれA・B・Cの三区間に使い分けることにしたのです。
 ただしこの呼び名は、私個人が便宜上から勝手につけたコース名なので、ブログの中とわが家だけでしか通用しません。

     その壱(Aコース) 
 
 さてAコースの起点は、新釧路川の右岸にある治水記念公園から、約2キロ先の「鳥取東通り」に架かる「はなしのぶ橋」の橋詰までです。
 しかしこのコースは、初めのうちこそ学校のグランド横を通るので、割り合い閑静なのですが、途中からはコンビニや商店店個人病院で混み合う地域に差し掛かります。さらに一部分が幹線道路と交じり合っているので、車両が混み合う幾つかの交差点ともぶつかります。
 
 加齢で足に衰えを来たした年寄りには、大変不向きなコースと云って良いでしょう。
 それにウォーキングでこの自転車道路を利用する場合は、たいていは市内一番店からの帰りがけなので、起点から歩くとするとかなり回り道になります。
 これまでにこのAコースを歩いたのは、このコースを知ってから10年近くにもなりますが、最初ころにたったの一度だけです。
 
 そんなことでこのコースを歩くのは、春先か花の多くなった今頃の季節の年に二度ほどしかありません。それもBコースの起点ともなっている、「はなしのぶ橋」の橋詰から逆の5百メートルの区間だけです。
 そこまでは自転車道路に並行して、加工した木片を敷き詰めた歩行者専用道路と、他のコースには無い幾つかのベンチと二つの四阿が完備されています。
 それにこのコースが他にくらべて花の咲くのが早いうえに、野の花より庭に咲く花が割り合い多く見られるからで、わざわざ押しボタン式の交差点を渡って来るのです。年に2回ほどですが・・・。
 今日はどちらかと云うと、歩くよりは花を楽しんだうえに、それらの花を写すのが目的だったのです。その甲斐あって、この辺りでは少ない藤の花をカメラにおさめることができました。

道路沿い住宅の裏庭のルピナス~のぼり藤

これってアヤメ・・・かな?

この辺ではあまり見られない・・・藤の花


尿糖検査用試験紙

2007-06-26 21:30:29 | 日々の雑記
 もうかれこれ10数年前のことですが、勤務先の春の健康診断で血糖値が上限を超えていることが判りました。超えたと云っても、空腹時の正常値の70~110よりやや高い123だったのです。
 たかがこれくらいの数値と思っていたのですが、直ぐに精密検査するようにとの添え書きで、専門病院でブトウ糖負荷試験の検査を受けることにしました。
 記憶が定かではありませんが、たしかブトウ糖飲料を30分ごとに飲んでからの血液検査で、長時間にわたる検査はかなり苦痛なものでした。

 検査の結果は軽いながら、境界型の糖尿病といわれました。しかし今のところ投薬までの必要は無いものの、かなり厳しい食事療法が云えわたされました。
 大好物だった和菓子などを極力少なくしたうえに、ただちに万歩計を買い入れウォーキングを開始したのでした。
 それからの日々の懸命な努力で、血糖値が改善され半年後には、まったくの正常値にもどり、「HbA1c~グリコヘモグロビンエーワンシ=4.・4~5・8%」も5・3%を維持しております。
 その後は病院での尿と血液検査は毎年四回受け、さらに家においても尿糖検査紙による検査も毎月欠かしておりません。

 さてその尿糖検査紙なのですが、ずうっと使ってきたのは、「新ウリエースGa」という検査用試験紙です。ところが今年の二月に買った検査紙が、まだ10枚も残っているのに、湿気のため使いなくなってしまったのです。
 これまで10年近くも使って来て、だいたい1年間は有効だったのに、こんなことは初めてでした。
 容器を見ると、使用期限は2008年6月と記されていました。まだ優に1年間は保つことが保証されているのにです。
 何とも納得できずにメーカーに電話しましたが、埒があきません。その時はからずも浮かんで来たのは、例の牛ミンチ偽装事件でした。
 まさかそんなことは無いでしょうが・・・?

                 10年来愛用して来た試験用紙
                 
                 

(続) 河畔公園

2007-06-24 20:49:45 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 近頃の天気はどうもすっきりしないようで、晴れるでもなく雨になるわけでもなく、ただ日がなどんよりと曇っているばかりだ。
 ただし気温だけは、温暖化のお蔭でずうっと20度近い日が続いているから、老いの身の外歩きには助かっている。
 ちなみに昨年の六月と今年とを比べてみたら、平均して3度ほど高いことが判った。それに昨年の最高気温はせいぜい18度だったのに、今年のばあいにはたた一度だけだが22度に上がった日もあり、さらに20度を超えた日は数日もあった。

 健康維持のために毎日の運動は欠かせないのだが、体力の衰えと心疾患から自転車とかジョキングはもとより、人さまへの迷惑をおもえばパークゴルフさえままならぬ身の上なのだ。
 だから人出の少ない河畔公園などで、気兼ねすることもなく、自由気ままにのんびり歩くのが一番適している。
 それで今日の昼間、一週間ぶりに河畔公園に出掛けてきたのである。たったの一週間だが、草花などの成長の度合いには目を瞠はるものがあった。
 たとえば、蕾さえ見せていなかったハマナスなどは、もうすでに深紅の花を咲かせていたし、また雑草だけだとおもっていた草原に、いつの間にかアヤメが一面に咲き群がっていた。

いつの間にか大きな花を咲かせていた水際のハマナス

小さいながらアヤメが原が・・・出現!

コバイケソウ(左)とエゾシシウド?(右)


若しかして・・・あるある詐欺?

2007-06-22 20:40:58 | 日々の雑記
 難しいことは判りませんが、○○があると脅して、重油やコメをせしめるのは、若しかしてこれってあるある詐欺じゃないの。
 アメリカの偉い人が決めてきたことなんですから、よもや間違いないのでしょうが、ほんとに○○を持っているの・・・何だかモヤモヤ感が残ってすっきりしまん。

 今日の気象予報には曇り日に、濃霧と雷の注意報が出ていた。霧はともかく雷が怖かったので、外歩きは取りやめて家の中だけでのキントレで過ごして我慢した。
 しかしいくら汗をかいても、家の中だけの運動では快適感は得られませんから、昼過ぎ頃から幸いうっすらと日差しが出て来たので、すこし外の空気でもと思って庭に出てみた。
 庭と云っても、いつもほったらかしのままですから、雑草ばかりが目に付く狭い荒れ庭に過ぎないのですが、それらの雑草にまぎれて、いつの間にかアヤメとクリンソウが咲いていたのです。

 身近にこんな可愛い花があるのを忘れ、いつもいつも公園とか湿原の花ばかりに気をとられて追いかけていたのでした。
 
 さっそく周りの雑草を取り除き、カメラのおさめた次第です。

いつ咲いたのか家のアヤメ

同上

いつの間に根付いていたクリンソウ

同上


柳町公園はなはな広場

2007-06-20 17:17:13 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 昨夜の予報に反して、昼近くに青空が見え始めてきたので、諦めていた外歩きを思い立った。今日一日はどうせ雨模様だから休養日にあてると、早くから部屋の整理などをし始めていた老妻をせかせて、急きょウォーキングに出かけた。

 じつは先日から柳町公園内のパーク場の藤棚が気になっていたので、今日はその藤棚の花の咲きぐあいを見るための外歩きだった。
 初めて目にしたのは一昨年で、その時には棚から溢れんばかりに満開だったのだが、なぜか昨年は何度来て見ても、なぜか花はただの一房もつけていなかった。
 やはり花にも当たり年とか不作があるのだろう。
 しかし勇んでやって来たのに、肝心の駐車場は満杯だった。私たちが歩く時間帯は、いつも日中で一番暖かい正午ころと決めていた。
 ところがこの時間帯には、パークの人ばかりでなく近くの建築現場の人たちとか、職場から抜け出してきてここで昼食をとる若者たちで、いつも込み合っていたのだった。
 今日も案に違わずそうした車で一杯だったので、仕方なく藤棚の様子見は、日をあらためまた時間帯も替えてくることにして、せっかく出て来たのだからと、「はははな広場」のあるDゾーンの駐車場まで足を伸ばした。
 先月なかばに来たときには、花などは一つもなくて寂しいおもいをしたのだったが、今日はいっぱいの花で綺麗に飾られていたうえに、老妻が好いている「クシロハナシノブ」が咲いていた。
 あまり暑くもなく風も少ない柔らかな日差しのもと、植え込まれた数々の花を愛でながら、たっぷりとウォーキングを楽しみ満足して家にもどった。
      
可愛い草花で飾られていた「はなはな広場」

あまり見られなくなった釧路湿原の花「クシロハナシノブ」

キンロバイ

エゾノコリンゴの花びら


新釧路川の遊歩道にて

2007-06-17 20:45:30 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 先日この地方で珍しく20度を超えた日のウォーキングは、川風で少しでも凌ぎやすいだろうと、久しぶりに河畔の遊歩道に出掛けた。
 夕方のニュースで知ったのだが、昼間の最高気温は今年初めて21度を記録したという。またこの日わずか30キロと離れていない内陸部では、まさに真夏日ともいえる29・6度までにもなったとの事だった。

 さてこの河畔道路のことなのだが、自然にできた川でなくて治水のために造られた人工河川なのです。
屈斜路湖を水源として広大な釧路湿原を蛇行する釧路川は、かなりの暴れん坊河川だったらしい。
 古くは明治・大正時代、当時支流であった阿寒川とともに、市内の海岸部一帯を水びたしにしていたとのことで、特に大正9年に起きた大洪水は釧路市街地を襲い、多くの死傷者が出るほどの甚大な被害を与えたということだった。
 その後水系分離の治水工事がおこなわれて、釧路川と新釧路川に二本化されるにいたったのです。
 延長10キロ余の直線に掘削された人工河川の新釧路川は、広い河川敷を持つ一級河川として登録されており、そこには遊歩道はもちろん野球・サッカー・パークゴル場などが完備されていて、多くの地域住民に喜ばれております。
 しかし工事は未曾有の難工事だったようで、完成までには10数年間もかかり、その間工事にたずさわった多くの囚人が犠牲になっています。

 今日も遊歩道には、犬の散歩や幼児連れの母親が見られ、いつも見かけるウォーキング中の老人たちがいます。また二面あるパークゴルフ場では、華やかなゴルフウェアの老人男女たちで溢れています。

 なお釧路川治水記念碑が、この遊歩道の一画に建立されてあり、時おりここを通るたびに記念碑を見上げ、かつての大洪水と難工事に想いをはせるのです。
 若し記憶違いでなければ、以前観たことのあるポ―ラ―名作劇場のテレビドラマ「アンラコロの歌」のなかでで描かれていたのは、大正9年に起きた釧路の
大洪水だったのです。

治水のため人工河川の完成を記念した建てられた記念碑

遊歩道に沿って今がさかりのヨドガワツツジ

若奥さんのお供をしていたラブラドールの「マリンちゃん」
プライバシーのため写すのはワンちゃんだけ!

アヤメ?ハナショウブ?ヒオウギアヤメ?ひっそりと咲いていた

パークゴルフ場の片隅で咲くハルザキヤマガラシの一株


とるに足らない家の花ですが・・・

2007-06-14 21:15:43 | 日々の雑記
 わが家の庭は、家を建てたあとの残りの利用したものだから、庭と呼ぶには憚られるほどで、まさに「猫の額」さながらの狭さです。
 そして当初は初めて手にした庭だったので、物珍しさもあって手に入るものはすべて無秩序に植え込んでしまっていた。
 その時のツケが、その後の加齢からの手入れ不足とかさなって、今ではそれらの花木は、立ち枯れやら伸びほうだいで目も当てられない始末です。
 まさにそんな自慢にもならない花木なのだが、季節になると、咲く花の数にこそ多少のちがいはあるものの、律儀にもまた健気にも花を咲かせてくれます。

 今の世相の暗さや、やりきれないほど多くのニュースに滅入る時、何気なく見入る庭の花木の存在は大きい。
 いわく、果てることの無い親殺し子殺しや、人を人とも思わない殺人などの如何に多いことか・・・。
 殺人を犯しながら、「殺意は無かった・・・」と平然とうそぶく犯人、また「事故を惹き起こすほど酒は飲んでいなかった」と云いながら、三人もの人命を奪いながらに轢き逃げ事故を正当化する不埒な轢き逃げ犯たちには、ただただ暗澹たる思いで言葉もでません。
 それに連日のように報じられる国会ニュースも同じで、テレビなどニュースの時間帯は努めて見ないことにしています。

 そんな時、何処にでもあるありきたりの家の花が、とことん落ち込んだ気持ちを癒やしてくれます。

黄色と橙色のレンゲ躑躅

周りの雑草に追われて年々減ってゆく黒百合

この鈴蘭も年々花数が少なくなってゆく


第30回釧路盆栽展

2007-06-12 21:09:16 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 釧路盆栽展が市の文化会館小ホールで、先きの土曜と日曜日に開かれ、ことしも招待状をいただいたので、今回は初めて老妻と出かけた。
 今年は30周年ということで、その記念行事として抽選会が行われていた。常日頃からクジ運のわるい私はとうぜん駄目だったが、なんと幸運にも老妻が当りクジを引き当てた。
 と云っても、最高の特等とか一等賞でなく一番下の当りクジで、その景品は小さい花の鉢だった。たとえ鉢一つだったにせよ、空クジで無かっただけ今日の運勢は良かったのだろうと素直によろこび、さらにこんな日に宝クジでも買えば・・・大当たり間違いなしなどと冗談を云い合って、盆栽展のすべてを見終えて帰宅した。


真柏

富士ブナ

イチイ

サツキ


人里にやって来た丹頂鶴

2007-06-10 21:09:04 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 先日帰りがけに聞いた郭公と丹頂鶴の鳴き声が忘れられなくて、今度は姿が見られたらよいと、そんな淡い期待をこめてふたたび湿原道路に来てみた。
 湿原道路と云っても、あまり離れていない処に農家があり、また工事中のバイパスがあるような場所だから、郭公にしろ丹頂などがそう簡単に見られるはずが無いのだが、絶対に無いとは言い切れないなどと勝手に思いこんだのだ。
 じじつ数年も前のことだが、同じこの道路でじっさいに見たことがあって、カメラにおさめたこともあったからだ。もし運良く見られるとしたら、歩く人の少ない平日の今日が最適と思われた。
 それにいつも陽が上がるにつれて強く吹きはじめる風は、今日にかぎってふしぎとあまり感じられなかった。

 前の時もそうだったが、丹頂が姿を見せるのはほとんど湿原の奥のほうであった。だから今回もとうぜんそうだろうと、全神経を湿原の奥側にのみ向けて歩いていた。
 ところが丹頂の鳴き声らしきものが、たったの一度きりだったが、意外にも街の方向から聞えて来たのだ。
 じっさいには何も物音などなくて、たんなる空耳であったのかも知れない。直ぐに信じられずあれこれ迷いながらも、とりあえずは農道沿いに牧場に向かうことにした。

 若し丹頂が餌を求めて舞いおりるとしたら、このあたりではこの牧場しか考えらなかったからだ。しかしそこでは見つけることが出来ず、諦めようと帰りかけたときに眼にしたのは、牧場にそって流れる仁々志別川で小魚を漁っていた丹頂の番いだった。
 さっきの声は空耳でもなかったし、また目の前の丹頂は幻でもなく、まさに天然記念物の丹頂鶴そのものだったのである。

仲良く小魚でも漁っているのか!

足音に気付いて土手に上がってゆく

広い牧場に出て安心したのか餌を啄み始めた