昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

日々の雑記(最後のゴミ収集日)

2005-03-31 20:35:28 | 日々の雑記
 今日はこの地区最後の「燃えるゴミ」の収集日だった。先週の「不燃ゴミ」の時もそうだったが、普段の日の数倍にもなる量のゴミが出された。と云うのは今まで無料だったのが、明日4月1日からは全て有料化されることになったからである。

 これまで余り気にも留めず又考えても居なかった支出額が、明日からは結構な額として家計を圧迫するだろう事は、今や誰もが知るところである。
 せめて無料の内に、今後使用する事の無いと予想される不要の物、毛布などの寝具や古くなった衣料品などでゴミ収集場は、道路にまで溢れるほどだった。
 これも家計を預る主婦たちの家計防衛手段の表れだろう思われる。政府が今春から実施する経済(ペイオフ等)・各種保険料・教育費などの政策に倣って、各自治体もまたゴミ収集を有料化に踏み切ったわけである。

 こうした主婦たちのシビアな対応に比べて、国も自治体の己に甘い体質は今後どう改善されて行くのか、けだしこれからが見ものであろう。しかし社会保険庁や大阪市ことなどを考えると、余り期待出来ないかも。何もかも値上げに有料化、国も自治体も江戸時代の悪代官よろしく、大手商人と手を組んで、庶民から搾れるだけ搾りとろうという魂胆らしい。

 なおゴミ収集場の写真は、被写体がゴミだけに不快感を与えない為ぼかしました。

想い出日記(夜間高校:7)

2005-03-30 22:38:52 | じゃこしか爺さんの想い出話
   ☆ 修学旅行
 第四学年が始まって間も無くの、或る日のことだった。HRの時間担任から言い出された「修学旅行」が話題になった。思えば「修学旅行」は、今年予定されている大きな行事の一つである。世の習いに従えば、この秋には実施しなくてはならない。
夜学と云いながらも修学旅行は、学生にとっては最大の関心事である。四年間を通しての集大成と言いば一寸大袈裟かな・・・?

 当時昭和30年代の高校生の修学旅行は、北海道の場合は殆どが東京経由で関西方面と決まっていたようである。だからクラスの意見集約の場でも、関西方面が圧倒的であった。ただ私達のような年配者にとっては費用に関してはそれほど問題では無かったが、
未だ定職に就かず、家の手伝いなどで学費を工面している若い人たちからすれば、全日制の生徒のように恵まれた者は数少ない。それに又夜学に通う事で、何かと肩身の狭い思いを抱く事から、常日頃強く引け目を感じている者も少なくは無い筈である。
 そうした者達が3日間ならともかく職場を5日間も空ける事は、物理的に困難であり更に心情的にもかなり辛い事であって、なかなか言い出せないのでは無いかと思う。

 そんな思惑が交差して数多くの意見が出された。そろそろ候補地を二ヶ所ほどに纏めようかと思った時だった。普段は口数が極端に少なく余り存在感の無い、私と同年輩の女生徒が口を開いた。彼女が意見を述べるなんて事は滅多に無かっただけに、その場の空気を一変させた。
彼女曰く「みんなの職場事情を考えれば、3日位いならともかく4日も5日も休む事は困難な事であり、又若い人にとっても費用が少しでも安くなれば助かり、その分参加者が増えるだろう。何も道外の有名観光地に行く事ばかりが修学旅行でない、道内にだって私達の全く知らない素晴らしい場所が沢山ある筈で、例えば「阿寒摩周方面」の自然美を観察出来る一大チャンスではないかと思いますけど・・・」

 彼女の意を決したような言葉は周りを圧倒したと同時に、みんなの思いは一つになり阿寒国立公園行きが決まった。関西にも魅力があったが、同じ道内で在りながら夜汽車で約12時間もかかる将に未知の世界で、一度は訪れてみたいと思っていた場所でも在った。話はトントン拍子進められて二泊三日の日程で阿寒摩周方面と決まった。

 旅行は8月30日出発した。先ず美幌峠では眼下に広がる屈斜路湖の絶景に驚嘆・川湯温泉では硫黄山の温泉玉子の初体験・神秘の湖と期待した摩周湖は全員の日頃の心掛けが悪かったのか、残念ながら霧に閉ざされて何も見えず将に「霧の摩周湖」そのものだった。阿寒では雄阿寒岳登山・阿寒湖周遊とまりも見学・釧路市内遊覧など、北海道の大自然を満喫出来た実のある修学旅行だった。

 夜学の4年間には色々な想い出があるが、やはり修学旅行が一番だろう。その後のクラス会などの集まりでも話題の焦点は修学旅行であった。私の場合はその年の五月既に結婚(学生結婚)していて、妻同だったから特に感慨深く又想い出の多いものだった。

 ☆ 続く

日々の雑記(駒大苫小牧校二回戦で散る)

2005-03-29 22:01:45 | 日々の雑記
 選抜高校野球の二回戦第一試合は、昨年夏の覇者我が北海道代表「駒大苫小牧と兵庫代表神戸国際大付」の間で今日の午後に行われたが、苫小牧は神戸の好投手大西に牛耳られ、4対0のシャットアウト負けを喫した。
 
 今日の対戦に備えて、左腕大西のカーブ攻略に打撃練習に加え、オーダーを替えて臨んだのだったが、或いはその意識過剰が逆に苫小牧ナインの足を引っ張ったのでは無いだろうか。8回まで全くの無安打で、9回先頭打者の1安打では到底勝ち目は無く、涙を呑む結果で終わったのも已む得ない事である。また苫小牧の先発松橋投手は、昨年夏の甲子園で速球投手として既に名を挙げていた。ところが今日の場合はその前評判がアダとなった形である。余りにも独り相撲と云うか力み過ぎていた。要するに抑え込もうといたずらに気負い過ぎたのでは無いかと思われる。その事は評判の打線、林主将を初めとする巧打者達にも言える事で、1安打12三振という散々な結果となった。

 とにもかくにも夏春連覇の夢は今日儚くも潰えてしまったが、この先夏の甲子園が待っています。今日の敗戦を良く噛みしめて、それを血としてまた肉として切磋琢磨日々弛まぬ努力を積み重ねて、夏の甲子園二連覇を勝ち取って欲しいと切望します。
 「君達ならやれば出来る・・・絶対に出来る!」今や北海道の希望の星・・・駒大苫小牧校ガンバレ!

想い出日記(夜間高校:6)

2005-03-27 20:53:59 | じゃこしか爺さんの想い出話
   ☆予餞会
 学校初の卒業生を送るための予餞会が開かれる事になり、在校生各クラスで一つの催し物を用意する事が決められた。楽しめるものなら何でも良いと云うことで、私達のクラスでは寸劇を出すことに決めた。やはりこれも年長者ということから私がその寸劇の素案作りを任せられた。色々と思案した挙句、最近化学に授業で習ったばかりの「王水(濃塩酸と濃硝酸の混合液で金を溶かす)」を利用した犯人探しのクイズ物に仕上げた。
 
 その内容は、ある空き巣常習者が科学者の家に忍び込んだまでは良かったのだが、目当ての現金は見当たらず、また他に目ぼしい物が無く諦め掛けて居た矢先に、化粧台の隠し小箱を見つけその中に在った黄金の指輪を見つけた。そこで直ぐに退散すれば良いものを、欲に目が眩み長居したのが運の尽きで、其処の家の主人が帰宅した。
 空き巣は咄嗟の判断で離れの部屋に身を隠した。其処は主人の研究室だった。家に入って異変を感じた主人は直ぐに110番して警官を呼んだ。
身体窮まった犯人は{家に忍び込んだだけで、未だ何も盗っていない」と云い逃れる為に、折角手にした指輪を其処にあったフラスコに入れて戸棚の置くに隠した。}後で再び忍び込もうと思ったのである。

 やがて犯人は警官に捕われて尋問されたが「知らぬ!存ぜぬ!」の一点張りだったが、指輪のケースが空で投げ出されていた事から、犯人の仕業と断定され厳しく調べられ、身体検査までされたが遂に出て来なかった。犯人が隠したフラスコも見つけ出されたが其処にも無かった。

 さて犯人が盗った黄金の指輪は一体全体何処へ消えてしまったのだろうか?この消えてしまった指輪の行方は・・・この謎解きがこの寸劇のテーマーであって、この謎を卒業生に解いて貰ってその正解者には賞品を与えると云う筋書きである。

 全体を通してのリハーサルはなかなか都合は付かず、放課後を利用して行われたが、それも汽車通学者の終列車の時刻などから細かく刻んでやるより他は無かった。
全クラスの総練習は、予餞会の会場となる近くの小学校の体育館で、当日前夜に行われ、その時初めて全体通してのリハ-サルが出来て安堵し、お互い多いに自信を持った。 

 予餞会は各クラスの色々な演し物で盛会であった。本格的合唱から流行歌の合唱・漫才・コントetc、劇は私たちのクラスだけで評判となり、私は多いに面目を得た。
 
  ☆ 続く

想い出日記(夜間高校:5)

2005-03-25 21:19:23 | じゃこしか爺さんの想い出話
  ☆クラブ活動(文芸詩=小天地)
 此処で述べる部活動は全学的でもの無く、私達クラスだけで行う同好会的なものであった。それだけにその内容も、俳句・短歌・詩などが主体で、それらは何れもが如何にも初心者と云った素人っぽいものばかりの作品で構成されたものだった。
 しかしそんな初心者ばかりで幼稚な作品集で、決して人前に出せるもので無かったが、部員の意気込みは盛んだった。月二回の集まりには毎回全員が集まった。

 部会のリーダーには、一番の年長者だとの事で私が選らばれ、先ず初めの仕事として、会報を出すこととそのタイトルを決めることだった。部員から色々と候補が出されたが決定打が無く、全て私に一任され次回の会合で決定すると云う事になった。

 色々と思いあぐねた末に、以前何かの本で見たことのあった「小天地」と決めた。
定時制夜学のチッポケな集まりに過ぎないが、この小さな天地の中では宇宙にも優る可能性を秘めた我々の世界である。この普段では余り見せない私の熱気にみんなが賛同して、会報誌の名前は「小天地」となった。

 「小天地」は初めの内こそ寄せられる作品も少なく、それも一部の者に限られて寂しかったが、会を重ねる毎に作品数も多くなり内容は充実して行き、やがて教師たちにも知られるようになり職員室でも評判と成っていった。

 その「小天地」に載せた作品を紹介しようと思ったのですが、他人のは本人の承諾なしに載せるわけにも行かず、だからと云って私のものは余りにも稚拙な上、一途に「啄木」に傾倒していた頃で、思い付いた言葉を「五・七・五・・・」の枠の中に遮二無二詰め込んだに過ぎない単なる語呂合わせ見たいで、恥を忍んでまで発表するような代物で無いので記載を取り止めました。

☆ 続く
 

日々の雑記(駒大苫小牧初戦突破なる!)

2005-03-24 21:51:10 | 日々の雑記
 昨日雨のため今日に流れた、第一試合北海道駒大苫小牧校VS福岡戸畑校の対戦は、初めの内こそ先取点を捥ぎ取り優勢に試合を進めていたが、試合運びも後手後手となり中盤で1点返されハラハラのし通しだった。先発の田中投手の粘りに粘った投球と林主将以下全員野球の健闘で初戦を突破し2回戦に勝ち上がる事が出来た。

 苫小牧校の場合昨年夏の優勝校で、今回大会で優勝すれば、大会史上六校目の春夏連覇と云う輝かしい業績達成となる。それがあるだけに今日の試合には、より以上の緊張感を持って臨んだに違いない。だから今日の初戦突破は何にも増して大きな価値があったというべきである。選手たちもそれは肌で感じたであろう。
 次の試合からはリラックスして普段どおりの野球で勝ち進み、栄えある夏春連覇の偉業を是非とも達成して欲しいものである。

 苫小牧校の勝利にすっかり気を良くして、久々にウォーキングに出掛けた。プラス気温が三日ほど続いて車道歩道の積雪が融けて仕舞って、昨日今日あたりからは埃が立ちあがるほどに乾いている。ウォーキングに利用する自転車道路も殆ど雪が消えていた。
 約半月前に此処に来た時には、自転車専用だけが除雪されていて歩道は厚い雪に覆われていたのだったが、今日は足に優しい特別仕上げ茶色のアンツーカ風の路面が現れていた。硬い路面よりはやはりこの方が歩き良い、特に老人の足には有り難い。
 暖かくなるにつれて此処での歩きも多くなるだろう。もう直き家歩きともお別れだ。

日々の雑記(高校野球)

2005-03-23 22:05:25 | 日々の雑記
 
 第77回選抜高校野球大会が今日いよいよ始まった。開会式の模様をNHK総合テレビで見た。生憎の雨の中を、前回優勝校愛媛の済美校(校旗)を先頭にして準優勝校の愛工大名電校が続き、以下南の沖縄から北の北海道の順で32校が参加して開幕した。

 小雨の降る中を開会式という晴舞台を盛りあげたのは、司会役などの運営全てを高校生によって行った事ではないだろうか。私がこれまでに見て来た開会式は勤務の関係で数多くは見ていないが、全て大人たちによって取り仕切られていたと思って居ただけに、今日の高校生主体の運営は新鮮だったし又驚きでもあった。
 高校生男女による司会ぶりは、大人たちと比べて全く遜色無くむしろ透き通る声は溌剌として、雨降る会場に広く響き渡っていた。
 それに引き替え来賓などが述べる祝辞の、何と長くて退屈極まり無いものだったか、何時もの事ながらウンザリさせられた。

 高校生主体の運営で感心したのは、女子生徒が歌う「君が代」独唱であった。私が知るプロ野球などスポーツ関係の開会式での「君が代」独唱と云えば殆どがプロ歌手であった。プロとしての技術はそれなりにあるのだろうが、自分勝手の解釈と癖の多い節回しなどの歌い方にはガッカリさせられていただけに、女子生徒の声の張りと初々しさにはすっかり魅了させられ感動していた。こんな素晴らしい「君が代」久しぶりであった。

 生徒たちによる開会式は全て良いこと尽くめだったが、その中でも我が北海道代表の選手宣誓は見事だった。昨年夏の大会で北海道初の優勝を果たした、駒大苫小牧高校の主将林君の宣誓は、従来の挙手での選手宣誓とは大きく異なり、いわゆる「我々選手一同は・・・」云々の堅苦しさも美辞麗句の羅列も無く、また力まず声を無駄に張り上げる事もせず、普段どおりの言葉で淡々と述べる宣誓には若人らしさの心情が溢れていた。
流石に北海道人を代表に相応しい立派なものだった。
 
 しかし残念な事に第一試合の我が苫小牧対福岡戸畑戦は、降雨のために明日に延びて仕舞った。この開会式だけを済ませ試合が翌日に順延されたのは、大会史上初めての事だという。
 今日楽しみにしていた試合は明日に持ち越されたが、楽しみが二重に成ったと思えば、これも又「好き哉」である。明日を期待しよう!

日々の雑記(健康番組~生活ほっと)

2005-03-22 22:23:40 | 日々の雑記
 今朝のテレビでNHKの番組(生活ほっと)を見た。朝8時以降10時頃までは各放送局のワイド番組を選び見るのが常なのだが、今朝に限って何処も同じような繰り返しだったため、久しぶりに此の時間帯のNHKにチャンネルを切り替えた。

 NHK番組は昨年末の海老澤会長の件で、料金支払い保留の通告以来なるべく見ないよう心掛けて居たのだが、良く考えてみたら通告後の手続き上での日数不足で、年二回払い契約だった為に昨年の内にこの先半年分は既に口座引き落とされて仕舞っていた。
 そんな訳で今では大きな顔をして見ているのだが・・・。
今日の内容は
健康スペシャル・名医からのメッセージ「そろうと危険!突然死を起こす生活習慣病」である。
こうなると常々健康オタクでは、他の誰にも負けないと自負する私としては、みすみす見逃す筈も無く、メモと鉛筆を手に見入っていた。
 
 要因(Ⅰ) 内臓肥満
   
   臍周囲  男性  85cm以上・  女性  90cm以上
   (Ⅱ) 高脂血症 中性脂肪  150mg以上 HDLコレステロール 40mg以上
   (Ⅲ) 血圧
   最高血圧 130mmHg    最低血圧 85mmHg 以上
   (Ⅳ) 高血糖値  空腹時 110mg以上

 
 因みに私の数値は以下の如しである。
   
  臍周囲(今朝)~89cm 中性脂肪~110mg(16年10月)
   HDL~42mg(16月10日)  血糖値(食事後)~123mg
   血圧(今朝)~最高127・最低69mmHg 身長160cm・体重(今朝)64kg


 全体としてはまあまあの線だが、夏場と異なり家歩きだけでは運動不足は否めない。
それにしても年齢を重ねた上での長患いは嫌だし、だからと云って「ピンピンコロリ」も実に味気ない。いろいろ考えても仕方の無い事だから、寿命のある限り気楽に生きるとするか・・・。

想い出日記(夜間高校:4)

2005-03-21 20:44:09 | じゃこしか爺さんの想い出話
  ☆ 授業内容
 
 入学式の翌日から、愈々授業が始まった。1日の授業時間は午後6時から9時までの3時限で、その1時限毎に10分間の休憩があった。

 通学路は距離にして約3キロ在った。徒歩では速足でも優に40分は掛かる勘定だから、少なくとも始業時間の10分前頃までに着くには、5時には家を出なければならない。残業などはとても出来る訳が無かった。夜学に通うとの事で便宜を図って貰っては居たが、繁忙期には随分厭な思いをしたこともあった。
 又この通学方法には、炭砿鉄道便を利用する事も出来た。しかしこれには運行時刻からかなりの時間的ロスが在って、時間に余程の余裕が在る時以外は滅多に利用する事は無く、専ら時間ギリギリでの徒歩通学で通した。

 授業科目は主な物で「国語(甲と乙)・数学(解析と幾何)・社会(一般社会と日本史世界史)・理(科学と物理)・英語等々」があった。
  Ⅰ(国語)
 今なお強烈に記憶に残っているのが古文である。担当教師は本校(東高校)から来ていたのだが、かなりの長身で眼が大きくて何時もギョロギョロと生徒等を見回して、黒板に字を書きながらでも、生徒の動きが判り余所見をしている生徒に向っていきなりチョークを投げつけると的を得た早業を見せていた。そして一言「先生は後ろにも眼が在るんだ」付け加えるのが常であった。そんな事からこの教師に付けられたあだ名「トンボ」だった。これは本校でもそう呼ばれていたからでもあった。
 またこの教師で一番印象深いのは、「徒然草」に精通していた事で、その全段隈なく諳んじて居た事である。ある生徒が読み上げているのを聞きながら、「今読んだところは間違っている」訂正させたが、書いてある通りに呼んだ事を告げると改めて教科書を確認して「これは教科書が間違っているから、直して置くように・・・」その時限は終わった。後日生徒らが文献で調べたところ、教師が正しかった事が判った。それ以来この教師の評判は上々で、のちのクラス会などでも話題に上った。
  Ⅱ(数学)
 国語に対して数学の時間は大の苦手で、終わりのベルを待ちわびて腕時計ばかりを気にしていた。国語や社会の1時間に比べてやたらに長く感じられてならなかった。
何しろ「数学」などと云う科目は後にも先にも習った覚えが無く、過去に私が習ったものは、そんなややこしい物でなく初等科6年の時の「算数」である。それがいきなり数学となり、解析・幾何などと言われても頭が痛くなるばかりだった。特に「関数・三角関数」の「サイン・コサイン・タンジェントetc」に至っては、まさにチンプンカンプンでまるで異次元の話であった。
 これは私だけでなく、他の年配者は大体似たようなものだったらしい。
  Ⅲ (社会)~一般社会・世界史・日本史 
 一般社会は身近で日常的な内容が主だから、現役中卒者に比べて私らは年齢を経てる分、容易に 理解出来て有利だった。世界史・日本史も初めての教科だったが、興味あることだけに身が入った。また世界史はヨーロッパーの昔の物語りを聞くようで惹き付けられていた。
  Ⅳ (理科)
 理科も初めての教科だった。解析などのような理解に苦しむほどの計算が無いだけに、容易に溶け込めた。それまでまるで知らなかった化学的の蓄積妙に心地よく、恰も自分がとても賢い人間に成ったかの錯覚を覚え楽しかった。
  Ⅴ (英語)
 授業は「this is a pen」から始められた。文法上の決まりさえ理解すれば、初級英語だけにそれほど難しいもので無かった。要は初めの「食わず嫌い」的要素が大きかっただけであった。

 授業は数学を除いてクラスの中でも上位にあったので、何時しか兄貴分としてナにかにつけて頼りにされた。とにかく毎日の通学が楽しかった。それに同年輩の友人が出来た事は大きな収穫で、ともすれば単純に成り勝ちな生活に彩が加わり充実していった。

 ☆ 続く

日々の雑記

2005-03-20 20:42:51 | 日々の雑記
 ☆ こんな事で良いの・・・?
 今朝の北海度新聞のコラム欄を見て唖然とした。
 折りしも今日20日は10年前オウム真理教による、あの悲惨な「サリン事件」の起きた日である。

 それにしてもあれから10年もたつというのに、被害を受けられた多くの方々は、気の毒にもこれと言った保障支援なども無く、ご苦労の連続である事を知り唯々唖然とするばかりだった。「本当にこんな事があって良いの・・・?」コラムに依ると、アメリカで起きた「9・11テロ」の後米国政府は遺族に約2億円、被害者に約4千万円を支払ったとあった。日本の場合はサリンどころか、阪神大震災を初め昨年夏日本海側での台風に依る、豪雨高潮などの被害、また中越地震の被害者に対する支援などは、民間の善意のみにまかせっきりで国の施策はトンと見えて来ない。

 まことに失礼な事だが、あのブッシュ政権下に於いてでも斯くも手厚い対策が採られていると言う事は、国のトップがどうあれ周りの各担当者達(政治家)の心の問題でなかろうかと思う。

 言わせて貰えば、各省庁の無駄遣いや高級官僚公務員の高待遇、そうそう大阪市職員給与体系などを挙げれば全くキリが無い、何と無駄の多い事か。

 これも八つ当たりになるが、テレビ新聞などメデアもどうかしているのでは無いか。どうでも良いと思われる事はばかり知らせているようで、今国会での法案についてもさっぱりで、特に国民に直接関係するものは正に「口にチャック」である。

 世の中乱れに乱れているようで、こんな事では日本の国は壊れて仕舞うのでは無いかと、先の短い老人ながら先が思い遣られて仕方が無い。

 今更日本から逃げ出す訳にも行かず、また今の時代に生まれた事を恨み、また憎まれ口叩いても全く詮無い事であって、誰かを恨むよりはこんな時代に生を享けた事を「・・・ただこれ天にして、汝が性の拙なさを泣け」の如く、何事も己の拙い宿命と諦め、今の世の為政者する事を甘んじて受けようか。どうせ余生の短い老人なのだから・・・。