昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

今日一日をつれづれに・・・!

2004-10-30 22:35:35 | 趣味
 何時もの朝のように時間通りに起きては見たものの、特別な予定も無いままに漫然とテレビを見入る。何気なく回したチャンネルに出てきた画面は「ウエークアップ」の何時も見知った面々の討論、果たして何処まで本当の事なのか判断に苦しむばかりの、取って付けたようなコメント・・・そんな中でも救いは土石流の中から救い出された皆川優太ちゃんの救出場面と、現時点での症状発表である。

 食事も普通食に戻り体力も回復しつつあると聞いて安堵する。「本当に良かったね!」

 昼近くに気象予報士の「9月下旬の暖かさ」の言葉に誘われて、とかく寒い日には止めていたウォーキングに出掛けた。確かに予報士の言葉に嘘は無く、雲が多い割には予想以上に暖かく妻から借りたスカーフは直ぐに外した。
 歩数の方も思いのほかに捗り、その上夏並みにタップリと汗を掻いて歩き久しぶりの爽快感に満足した。

 日課の昼寝の後はテレビの午後のニュースを見る。イラクの邦人人質殺害か?に訳の判らぬ苛立ちを覚え、それに続く中越地震被災地情報に切なさと遣る瀬無い思いに駆られながらも、またまた優太ちゃんの言葉が切なく堪らなく辛い。知らず知らずの内に眼が潤んでいるのを知る。

     ※ 「また暗くなった・・!」 
     ※ 「お母さんは病院で死んじゃったの・・?」 
     ※ 「お母さんはいつくるの?」
     ※ 「車壊れて困った。なおして」

 一日も早く退院出来てお父さん方と一緒に暮らせるようになると良いですね!


それに付けても・・・

2004-10-28 20:44:56 | 日々の雑記
 それに付けても、先の連続台風と今回の中越地震の復旧最中にとんでもない事がイラクで起き上がった。

 台風と地震災害復旧に国を挙げて取り組まなければならない折も折に、何と云う事を仕出かしたのだろうか・・・? とんだ大ばか者が居たものである。

 ※ 此の大バカ者奴が!  

奇跡・・・!

2004-10-28 20:41:03 | 日々の雑記
 今回の中越地震で被災され避難所や車の中それに屋外でままならぬ生活を強いられ、昨日また本震に匹敵するほどの強震(6弱)に恐れ慄いて最中に、被災者の皆さんにとって一筋の光明とも云うべき奇跡!が起った。

 それは23日の地震直後から行方の分からなかった、皆川さん母子の2歳の長男優太ちゃんが無事に救出された。
 再三襲って来る強い余震のもと、重機も使えず殆ど素手同様の決死の救出作業を続けたレスキュー隊の皆さんの賜物と頭の下がる思いでした。

 数時間に及ぶ救出劇のテレビ中継には、被災者は勿論全国の人々が釘付けになって見守って居たと思います。そう云う私も隊員に抱かれた優太ちゃんを見た瞬間は我知らず、バンザイ拍手をしていました。

 しかし残念な事に、母親の貴子さんは折角救出されたにも係わらず搬送先で死亡が確認され、更に長女の真優ちゃんは徹夜の作業の甲斐なく車内でその死亡が確認された。

 それにしてもたった2歳の子どもがどのようにして車外に逃れ、丸4日間も生き延びる事が出来たのかは全く想像外に尽きるのだが、まさに奇跡と言う他はない。
 折角生き永らえた生命、キットお母さんとお姉ちゃんから命を託されたに違いありません。どうぞお二人の分もしっかりと生きて人生を全うして欲しいと思います。


心に残る酒

2004-10-26 21:10:39 | じゃこしか爺さんの想い出話
 夕方所用で外出帰り車の中で、聞くとも無しに耳にしながら何時の間にか聴き入っていた、NHK放送「今夜も一杯やりますか?」の副題は「心に残る酒」だった。
酒については元々付き合い酒が殆どで、特に毎夜の晩酌などの習慣も無く気が向けば風呂上りにビールを飲む程度、己自身では特に「酒飲み」とは思っていない。
 
 そんな程度の酒飲みながら、現役時代には市内のビール愛好会の役員を務め、更に遡れば三十代前半勤務していた酒類販売会社時代には、道内の有名ブランドの酒蔵を巡り歩いた事もある。又この時代「朝日ビール」の北海道進出の折には、毎夜拡売と称して街の酒場を飲み歩いた事もあった。 因みに今は、高血圧に脂肪肝それに糖尿病予備軍が加われば、酒類は完全なるドクターストップの身の上である。

 しかし酒について云えばやはり父と兄のことが一番心に残っている。どちらも酒豪として世間に通用していた。特に父は職場ではおろか地域一番と呼ばれていたほどである。 
その二人の酒のタイプは共に明るく、興にのれば歌い果てには踊り出すタイプだった。
  
    (Ⅰ) 父と酒
  
     ☆ 衣服のままで入浴・・!
 
 炭住街でも名立たる酒豪で通っている父の事だから、何か酒での出来事が起れば必ず父の名前がイの一番に取り沙汰された。
 或る夜のこと地域の詰め所(地域を管理統括する部署)の担当者から、「お宅のご主人が服を着たまま風呂(炭住街の共同浴場)に入っている」と知らせて来た。応対に出た母がそんな筈が無いと云っても聞き入れず、「白髪交じりの坊主頭の50年配と云うから間違いないと」・・・「そんな事を云ったって、内の父さんは今布団の中ですよ」の母の言葉に納得せず家に上がり込んで来て、床で眠り込んでいる父を確かめて大笑いしたとの事。
      
     ☆ 他人の家で夜を明かす・・!
 
 その頃の炭砿の住宅はいわゆる長屋と呼ばれるもので、6軒から8軒で構成され山の傾斜地を利用して建っていた。深酔いの父が夜遅くに帰宅して坂道を登りきった家に上がり込んで床に就いた。そこの家でも布団から出ている頭が白交じりの坊主頭だった為に朝まで全然気付かなかったという。家の造りも並びが全く同じだったのが間違いのもとだった。
      
     ☆ 酔いにまかせて盲腸を・・!
 
 宴会の席上で腹痛を起した父が勝手に盲腸炎と判断して「盲腸炎に間違いから自分で切り取る」と言い出して剃刀を持ち出したという。周りの人たちが驚いて止めたのだが、言い出したら他人の云う事など中々聞き入れない頑固者、実際に刃を当て出血に流石に酔いも覚め、結局は病院に担ぎ込まれる羽目となった。その結果は単なる腹痛と判り無事に帰宅した。良く云って豪放磊落・・悪く云いば無茶苦茶そのものの父であった。
  
     (Ⅱ) 長兄と酒
 
 兄は父と負けず劣らずの酒豪で、腰を据えて飲むとダルマ(ウイスキー)一本を空け更に日本酒を五合ほども空けて平然としていたという。普段でもビールなどを飲む場合幾ら飲んでも飲む片端から覚めて行くと云って、焼酎を半分ほど足して飲んでいた。
 また兄は手料理が得意で、材料などは自分で買って来てその料理を肴に酒を楽しみ、お正月やお盆には8歳年下の私達家族を呼んで、父親代わり宜しく手料理を振舞い、果ては飲んで酔いしれ歌って踊って飲み潰れれて寝てしまうのが常だった。
 その父は「人生僅かに50年」の譬え通り丁度五十歳で他界、兄は父よりも10年長く生きて還暦を目の前にして他界した。二人ともあの世とやらで、季節の折々に何かと理由付けて飲んでいるのだろう。
 傍には母が何時もの笑みを浮かべて座っている・・・!そんな昔の風景が浮かんでくる。




地震の予兆?

2004-10-24 20:41:52 | 日々の雑記
 今回の新潟県中越地方の大地震には本当に驚かされました。先ずは被災地域住民の皆さんに心からお見舞い申し上げます。

 昨夜の一連のテレビニュースで、その大きさに度肝を抜かれて視ておりましたが、今朝になり一夜明けてのニュースから、地震の桁外れの災害に言葉も無く凍り付く思いでした。先の台風の影響もきっと在ったのでしょう。豪雨に因る地盤の弛みが引き金となったのではと・・・今更ながら今年の連続上陸の台風を恨めしく思います。

 私が住む釧路も名立たる地震銀座と云われる土地柄ですが、山地と海岸の違いからか、その被害の度合いは全く異なるようです。何よりも余震(本震?)の規模の大きさと数の多さには驚かされました。

 今日早々に担当大臣が現地を訪れたとの事、次々と救援が続けられているようです。それにしても救出ヘリコプターに乗せられた、あどけない子どもの顔に涙が出そうになりました。どうぞ血の通った心有る支援(交通手段・ライフライン等)と施策をお願いしたいものです。

 さて久しぶりに晴れて湿原道路を歩いて来ましたが、何時に無く雌阿寒岳の噴煙が多く勢い付いているのがとても気に成りました。そして直ぐに脳裡をよぎるのは、昨年九月の釧路沖地震(15年9月26日午前4時50分・震度6弱)でした。やはり余震が続き衣服を着たままで床に就いたものの結局眠らずに朝を迎えた事を思い出しました。本当に地震は怖いし・・大嫌い! 
                

秋味(鮭)

2004-10-22 22:12:29 | 日々の雑記
          北海道で秋味と言えば一般的に秋鮭の事なのだが・・・!      
 
 昨夜10時過ぎに娘から電話があった。婿殿が出張先の根室のお得意さんから生の秋鮭を2匹貰って来たのだが、自分の手には余るのでこちらで捌いて欲しいということだった。

 程なくして届けられた鮭は2匹とも 70センチを超える大物だった。先ずは水洗いとシンクに入れたが、シンクいっぱいの大きさで改めてその大きさを実感した。

                        

                 

    他人にしかも2匹も呉れる物だから、初めは河川に溯上した「ブナ鮭=真水を飲むと皮が斑に黒く変色する」だろうと思っていたのっだったが、なんとそれは銀色に輝いていた。良く見ると確かにブナがかったところも見受けられたが、一瞥ではまして素人では見分けられないだろう。河川に上って直ぐに捕らえられたのだろう。

 それに妻がその穏やかな顔付きから判断したように、腹を割くと立派に成熟したタマゴがビッシリと詰まっているではないか・・・!
  
                 

 それから始まった妻の苦闘は約1時間、処理の全てが終った。魚卵はシッカリと醤油に漬け込まれた。明朝が食べ頃である。いよいよ朝食の「イクラ丼」が楽しみだ・・・!

23号台風

2004-10-21 22:24:04 | 日々の雑記
 今回日本を襲った台風23号は超大型・・・予想をはるかに超えた暴れ様だった。人的被害は死者56人・行方不明者32人・負傷者も300人以上と過去10年来最悪の事態となった。

中でも室戸市での高波により防波堤諸共に破壊された民家、堤防決壊で市内の殆どの家の一階が水没した兵庫県豊岡市方面、京都府舞鶴でのバスの水没被害、幸い全員無事に救助されたが・・、長野の電車脱線転覆、富山港の帆船海王丸、他に土砂災害など数え上げたらキリが無いほどである。

その被害は目を覆いたくなるばかりの凄さで、まさに言葉では言い尽くせない惨状である。なんでこれほどまでに日本ばかりに台風が襲ってくるのかと、天に向って恨み言の一つや二つ否!百篇だって言い足りないほどである。

 これらの被害惨状をただ単に天災だと片付けて良いのだろうか、半分以上は人災では無かろうかと思っている。毎年の台風襲来は判りきった日本の宿命の様なもの、何時も泥縄式の無策な治水治山の繰り返しえでは被害者も浮かばれまい。

 為政者の皆さんへ!
 願わくば今少し国民の方に目を向けて欲しい。このままでは山が・地が荒れ海・川が荒れ、ひいては人心までが荒れ放題なんて・・全くご免蒙りたい!。

 被災地の皆さんへ!
心からお見舞い申し上げ、併せて一日も速い復興を願ってやみません。



お袋のカレーライス!(追憶より)

2004-10-19 20:59:36 | じゃこしか爺さんの想い出話
  今晩は久しぶりに「チキンカレー」だった。辛さは中辛で薬味は何時も福神漬けと決まっている。如何にも老人向きメニューである。

 何時も話題にのぼるのが、「ライス」が先か「カレー」が先かの事だった。それには色々の説が在るようだが、最後にはどちらも正しいと云う事でケリが付く。
但しどちらも正しいのだろうが、私達の子どもの頃は確か「ライスカレー」と呼んでいた。

 私は此処で何時も想い出すのは、おふくろの「ライスカレー」である。とにかく我が家のカレーは変わっていた。子どもの頃はそれが普通と思っていた。

 お袋は肉類は勿論だが他の洋風の食品も一切食べない人だった。だから我が家のカレーは殆ど「蟹缶」でつくられていた。今風の「シーフードカレー」の先駆けである。その上お袋のは徹底していて、親父や兄達が食べるのには当り前にカレー粉を使い、自分や下の子ども達の分には只麦粉を溶いただけの白い物だった。作り方も至って簡単で、今なら便利な「即席ルー」が在って、それに果汁やコーヒを加えて味付けも豊富に試みられるが、当時はそんな便利な物が無いから、スープ状の中に水で溶いた麦粉を混ぜるだけである。

 それでも私たちにはハイカラなメニューだったし、兄達の黄色いカレーは気にもならず、その白いだけのカレー?に夢中になりお代わりして食べていた。

 私は時に触れ子どもの頃の二色カレー(黄色と白)を懐かしく想い出している。

 余談ながら、私の場合肉料理より魚料理派で、焼肉バイキングに行くなら断然回転寿司屋へ駆けつける。
 ちなみに私は今でもトリワサ・馬刺し・牛のタタキ・レバ刺しなどは論外で、時折り食べるステーキ焼き肉類は、カリカリになるまで焼かないと食べられない。


湿原道路で・・・

2004-10-16 20:56:39 | 日々の雑記
 今日のウォーキングのコースは思い切って、湿原の奥の路を選んで歩いて来た。湿原もこの辺に来ると別段危ない事は無いのだが、普段は人っ気が無くなり特に曇り日などは怖さを感じる。

今日は土曜日それに連日の秋晴れ、サイリングの親子やギョキングの若者、ウォーキングの老夫婦達で賑わっていた。

      ☆ 原野に広がる葦はすっかり黄色く色付き、吹く風にまるで波のよう!
               
               

        ☆ 真っ赤に熟れた「ハマナス」の実!

                

               
一休みしようと立ち止った足元に、大き目の虫が一匹飛んで来たが、昆虫には全く知識が無いので・・かろうじてバッタの種類である事は判るのだが・・・? 
       
                 ☆ バッタかな?

                   

              




四日ぶりに・・

2004-10-14 20:54:59 | 日々の雑記
  十一日の体育の日から雨模様のぐずついた日が続き、今日は四日ぶりの快晴で心地よい秋の一日となった。

 きのうの夕焼けが素晴らしかったから、きっと晴れるだろうと思って居たのだが、案の定朝から輝くばかりの秋晴れとなった。

 早速く四日ぶりにウォーキングに出掛けた。歩くコースは何時もの湿原道路である。先日は一部だけだった紅葉は全体が真っ赤に紅葉していた。

                 

  真っ青な空には軽飛行機が、湿原の遊覧飛行中のようで何度も旋廻していた。
またトンビがそれに負けじとばかりに、「ピーヒョロロ・・ピーヒョロロ」と青い空で旋廻を始める。

 音楽をとウォークマンを入れると、国会中継の真っ最中で喧々諤々・・・全く国民不在の茶番劇の真っ最中、七十余歳の身には「そんなもん知ったことかと・・」再び歩きに専念、秋晴れの自然を満喫して来た。