先日の秋彼岸の中日に、例年通り家の菩提寺と親戚筋のお寺二つのお参りを無事に済ませての帰りのことですが、久しぶりに気温が22度までにもなった陽気に誘われてお寺の周りでも少し散歩でもと思った。
秋の五連休の間にお参りを済ませた人が多かったせいなのか、駐車場は彼岸中日にしては珍しく空いていたから、少しぐらいなら停めたままでも良いだろうと勝手に決め込んで老妻と歩き始めた。
歩き始めたものの膝の悪い老妻の歩みに合わせた散歩だから、もともと歩くことよりもどちらかと云うと日光浴のつもりだった。
殆ど車が通らない裏通りをのんびりと進んでゆくと、街路樹に下に数組の老人が佇んでいて、お互いに木の上を指差しながら話しているのを目にした。
その様子を見ながら近づいてみると、老人たちは鈴生りのナナカマドの実を見ていたのだった。老人たちが立ち止って見入るだけのことがあった。
一人の老人が指差す先のナナカマドの実は、真紅に熟れて折からの初秋の青空に映えていた。
もとより絵のことなどにはまったく無知な私だったが、その見事さはまさに日本画そのものだった。さっそくカメラに納めたしだいです。
今年は天候不順からか、いったいにして野の花などの出来が悪いと思っていたのだったが、ことナナカマドの実だけは例外かもしれない。
現に市内のあちこちを走っている時にも見掛けるのだが、何処も見事な生り具合であったと思う。
なお以前にも似たようなことを書いたことがありますが、このナナカマドの謂れについて付け加えますと、
(1) とても硬くて燃えにくく七度も竈に入れても燃え尽きない。
(2) 庭木にすると七度も竈を返す(破産する)。
我が家の迷信?ですのでどうぞお忘れください。
秋空に映える真紅のナナカマドの実~私のカメラ技術で本当の良さが出せないのが残念です
同上
同上
秋の五連休の間にお参りを済ませた人が多かったせいなのか、駐車場は彼岸中日にしては珍しく空いていたから、少しぐらいなら停めたままでも良いだろうと勝手に決め込んで老妻と歩き始めた。
歩き始めたものの膝の悪い老妻の歩みに合わせた散歩だから、もともと歩くことよりもどちらかと云うと日光浴のつもりだった。
殆ど車が通らない裏通りをのんびりと進んでゆくと、街路樹に下に数組の老人が佇んでいて、お互いに木の上を指差しながら話しているのを目にした。
その様子を見ながら近づいてみると、老人たちは鈴生りのナナカマドの実を見ていたのだった。老人たちが立ち止って見入るだけのことがあった。
一人の老人が指差す先のナナカマドの実は、真紅に熟れて折からの初秋の青空に映えていた。
もとより絵のことなどにはまったく無知な私だったが、その見事さはまさに日本画そのものだった。さっそくカメラに納めたしだいです。
今年は天候不順からか、いったいにして野の花などの出来が悪いと思っていたのだったが、ことナナカマドの実だけは例外かもしれない。
現に市内のあちこちを走っている時にも見掛けるのだが、何処も見事な生り具合であったと思う。
なお以前にも似たようなことを書いたことがありますが、このナナカマドの謂れについて付け加えますと、
(1) とても硬くて燃えにくく七度も竈に入れても燃え尽きない。
(2) 庭木にすると七度も竈を返す(破産する)。
我が家の迷信?ですのでどうぞお忘れください。
秋空に映える真紅のナナカマドの実~私のカメラ技術で本当の良さが出せないのが残念です
同上
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