昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

持病その二

2004-05-18 22:28:30 | 日々の雑記
私の持病(ふとした事で起る右腕の痛み)に付いては、先日もこの欄に書いた事だがその原因は未だに判らぬままに、週に二日さる公立病院のリハビリ科で両肩に電気治療を受けている。しかしそれが効いているのかどうかは今もって不明、只言える事は治療を受けている時の気持の良さったらない。毎回余りの心地よさに寝入って仕舞い何時も担当医に起される始末である。だが此処の病院での電気治療ももう三ヵ月になろうとしているが、症状の方は何の変化も無く以前と同じである。これまでに訪れた病院での診断の結果、心臓関係には何の異常も見られないからと言わの、現在のこの電気治療なのだが・・その上血圧で毎月一度通院し投薬を受けている、心療内科の医師もまたこれまでの各病院での検査結果から、この症状は神経的なものと判断して、それに関する薬(精神の不安・緊張と筋肉の緊張緩和)を処方してくれている。
 全くの素人考えなのだが最近になってどうも違うのではないかと思い始めている。何故なら右腕のこの痛みは、身体をあまり動かさずにさえしていれば、多少の動き(100メートル以内の歩行程度)起らない。また車の運転もどんなに長時間続けてもなんら支障を来たさない。長時間のテレビの観覧も、むろんパソコンも同じで、全く普通人と同じなのである。だからと言ってこのままで良い訳が無く、「何故急激に身体を動かしたら・・」心臓に異常(動悸・息苦しさなど)が無いのに、右腕だけが痛むのか?。ある人はそれは「狭心症痛」と言うのだと忠告してくれるが、これまでの多くの病院での検査では心臓には「兎の毛」ほどの異常さは見られなかったのだ。だが最近になって色々なことから自分自身、これはやはり心臓系統の疾患に因るものだろうという思いに至った。ごく最近の事、古い知人に出会う機会があって、全く別系統の病院を教えられた。「心臓血管外科」と言う初めて聞く科目である。それに強く惹かれた。早速く今日訪れてみたが、その科目は折り悪く休診日であった。次回の金曜日の午前を予約して帰宅したことは云うまでもない。
 今度こそは何かが判るという強い期待感を抱きながら・・。

ちしま桜

2004-05-16 22:10:30 | 日々の雑記
 朝刊及びテレビでの天気予報によれば、気温は道内で一番低く12℃とあった。他の地域では15℃以上で20℃を越える所も合った。いかし当地域の実際の気温は10℃にも満たなく、風が冷たく吹きとてもとても五月も半ば過ぎた季節とは到底思いない。庭の「ちしま桜」も満開を楽しみにしているのだが、やや八分咲きでストップ状態。今日の妻とのウォーキングを昨夜から予定して居たのだが、この気温では共に体調が今ひとつの70歳過ぎた老夫婦には諦めざるを得ない。仕方なく毎日曜日楽しみの「のど自慢」を見終えたら、後は特別に見たい番組も無く、何処の放送局も「バカの一つ覚え」宜しく、『年金未納・党首交代・イラク・警察の裏金問題etc]ばかりで全く食傷気味、昼寝にも飽きて以前録り貯めしていた時代劇(鬼平犯科帖~松本幸四郎=白鸚)と今年放映の(剣客商売)を見て過ごした。
 夕方になって風も少し落ち着いて来たようなので、桜の状態を見に行ったら気のせいか、花びらが若干色
づき開き加減に見えた。
            

えぞ山桜

2004-05-15 22:25:21 | 日々の雑記
今週は湿原道路を三度訪れて居たので、今日は別な場所を訪れて見た。ここのところ三・四日ほど温暖の日が続いていたので、街の公園も大分変化した事だろうと出かけてみたのである。市内に在る桜は公園内のも又一般住宅のもその殆どは「えぞ山桜」か「千島桜」で、開花宣言の対象になるのは「山桜」の方である。
 今日訪れた運河跡公園(東西約二キロが五区分されている)の、その一画の桜並木の内の只一本が、残念ながら満開とまでは行かないが九部咲き程度だが、他を圧して咲き誇っていた。その後他の区画の公園を見て廻ったが、何故かまだ堅い蕾ばかりの状態だった。単なる偶然の事なのか、はたまた周りの住宅の混み具合による、陽当たりと風当たりの度合いの所為だろうとも思ったのだが、それにしても只の一本というのも不思議なことだった。

やち(湿地帯)

2004-05-14 22:07:21 | 日々の雑記
「やち」湿原の中の行き所処の無い水溜りの事、、大小様々在ってここ湿原にも『底なし沼』なんて言われる「やち」も存在している。時にはそうした大きな「やち」が、枯れて倒れた葦に目隠しされている事が在って、鹿やら狐やらが時たまそこに落ちてしまうらしい。今は殆ど無くなったらしいが、昔は幻の魚「イトウ」釣りに行ったまま帰らぬ人も居たと言う。

やちぼうず

2004-05-13 22:16:40 | 日々の雑記
何時もの年に較べると今年の湿原はとても淋しく感じる。春の息吹があまり感じられない、枯れ芦原も何時もの活気さが無く倒れたままで、小鳥達の姿が極端に少ない。喧しいまで中空に溢れて居る筈の鳴き声は殆ど聴かれない。思えば今年は我が庭を訪れた小鳥達の極端に少なかった。昨年はインターネットの図鑑で調べて判ったのだが、つぐみ・えなが・四十雀などが随分と楽しませて呉れたものだった。
 三月頃だったと思うが、中国だか韓国で死んだ小鳥が数百羽も空から降って来たとかのニュースがあった。まさか鶏のインフルエンザの影響でも有るまいと少し心配になった。葦原が倒れている所為か、普段はあまり見ることの出来ない、「やち」や「やちぼうず」が身近に見られた。
「やち」(湿地帯)に現れた半球型の草むら(ぼうず)こんもりとした塊は、ワタスゲなどの地下茎が分かれて出来たもので、密生したスゲ植物の株が冬の地面凍結により持ちあがり、「やちぼうず」と云ってそのてっぺんに咲いたスゲの淡い緑や紫黒色の花穂は美しくやさしい・・北海道東部の自然に根を下ろし強くかつしなやかに生きる植物である。
写真「やちぼうず」は出来立てのまだ若いものだが、この広い釧路湿原の中には、気の遠くなる程の時を経て形成された何十何百という大群落も在るのです。
                     

湿原雑景(1)

2004-05-12 22:03:00 | 日々の雑記
湿原道路、正確には石炭産業華やかりし頃、石炭の積み出し軌道路線だったのが、閉山後その軌道跡が道庁に買い取られ、「サイクリングロード」として再生されたのである。市内より阿寒町まで全長約25キロと結構な距離が有り、国道筋からも離れその上湿原の一部を横切るので、サイクリングはもとよりウォーキングなどにも最高の環境に有る。毎年各実業団のマラソン部門の合宿練習にも良く使われていたようで、以前旭化成の選手の一団と偶然出会ったことがある。或る夏の午後のことで何気なく一人でウォーキングに出かけた時のことである。宋さん初め谷口さんに安倍朋絵さん千葉真子さんたち、その他多くの選手達とすれ違いとても感激した事を覚えている。
 今日快晴に誘われ今年初めて、この「サイクリングロード」通称湿原道路に出かけて見たのである。積雪は完全に消え去り、冬季間堅く閉ざされていた通用門はもう既に開かれ、休憩所の水道・トイレはもとより遊具なども完全に整備されていた。土日及び祝祭日ともなれば、サイクリングを楽しむ若者やハイキングを兼ねての親子連れなどで随分と賑わうのだが、ウイークデーともなれば老人の男女が数えるほどだけである。
 そんなことで誰にも気兼ねなく我が物顔で振舞う事が出来る。何時もなら眺めているだけのブランコも、今日だけは童心に帰りタップリと楽しむことが出来た。
  

ビデオチャット

2004-05-10 22:16:37 | 日々の雑記
 既に七十歳を過ぎた兄弟が関東と北海道とに離れて暮らし、作年ノート型からデスクトップ型に買い替えた折を機会にメールの交換を始めた。それまではお互い気には留めながらも余程の事のない限り電話などは滅多に掛ける事はなかった。しかしメールのやり取りは始めてからは殆ど毎夜のようである。先ずその日の天候のことに始まり、お互いの体調からその日に出来事や季節的なこと、例えば今朝こんな花が咲いたとか、野菜が取れたとか、それにお互いの孫の成長振りとかを写真に仕上げて添付したり、果ては晩御飯の献立までも事細かに披露し合うほどになってた。それが先月の中ごろにふとした事から「チャット」と言う、直接会話に依る交信の出来る事を知り、どうやら「ボイスチャット」と言うらしい・・、早速くスタンダードの「ヘッドセット」一式を取り揃えて 会話を始めた。試行錯誤しながら又電気店で訊ねたりして、方法にも次第に慣れ毎日の会話を楽しんだ。メールと違って時間の差が無く直接の会話が、電話と全く同じで楽しみが倍加した。今ではそれだけに留まらず、チャット専用のカメラ(イブカメラとかウェブカメラと呼ぶらしい)によるいわゆる「ビデオチャット」でお互い顔を見せ合いながらの会話も可能だと知った。兄弟二人揃って新らし物好きの上、好奇心旺盛 と来てるから直ぐに飛付いた。 五・六年ぶりに合わせた老け顔に先ず驚き、お互い労わり合うのも兄弟ならではの直接会話の良さだろう。また家族間の顔合わせなども今までに無い事で、離れ離れで居ながらのより以上の親密さは好もしくまた楽しいことである。今は夜の八時から約三十分と決めているが、毎日の顔合わせで判る相手の健康度合いなど観察が出来て、良い事づくめの「ビデオチャット」である。毎夜の定時交信がとかく待たれる此のご頃である。


DVD作成

2004-05-09 21:49:06 | 趣味
 昨日のあの暖かさはまるで嘘のような今日の天候、朝からどんよりと曇り見るからに寒そうである。その上この地域特有の海霧さえ出始めて来たようだ。こんな具合だとこの年齢にもなるとからっきし駄目で、戸外でのウォーキングはおろか、他に何か仕様などとの気構えも更々無くなる。
 家の中でただゴロゴロしているものだから、普段は出来るだけ控え気味の菓子類についつい手が伸びてしまう。昼寝ばかりでは夜が辛いので、暫らく放って置いた「N響」のビデオ録画分「ブレンデルのピアノ(協)皇帝・」「ブラームスの交響曲第一番ハ短調」「ドップラーのハンガリー田園幻想曲」の三曲をパソコンに
取り込む作業で時間を潰していた。実際にDVDソフトへの書き込みはには、約二倍程の時間を要するので、それは深夜を利用して追々実施して行こうと思う。今後の楽しみの一つでもある。
 そう云えば今夜も九時から「N響」放送が有る、「ツィンマーマン演奏の・ベートヴェントブラームスのヴァイオリン(協)」だそうだが、一応録画中だがどんな出来映えなのかこれも中々の楽しみである。

夏立ちぬ

2004-05-08 22:09:42 | 日々の雑記
暦の上ではもう夏とのことだが、かって夭折の歌人が「最の・・」と詠んだ、我が街は春さえも未だ遠くとかく枯れ色のみがの眼につく。今年一番の気温(16℃)に惹かれて、街を貫く運河跡公園に出掛けた。
公園はそれぞれ目的別に五地区に分けて造成されていて、其処には暖かい週末のこととてそれなりの人出が見られた。しかし噴水はシートで覆われたままだし、パークゴルフ場も閉ざされ、遊具も未整備状態である。多くの人たちはウォーキング、幼児の自転車の練習、犬の散歩が主体のようである。桜の木は蕾も無く硬い枝先ばかりで開花は何時のことやら・・タンポポさえも眼に付かない有様だ。そんな只淋しいだけの公園内の一ヵ所、一番日当たりの良い場所に、早咲きの「紫つつじ」を見つけた。たった一群れだが、その淡いピンクの花びらに、ホット救われた思いで帰ってきた。