昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

この半年間を振り返って

2004-06-30 22:21:40 | 日々の雑記
時の経つのは全く速いもので今日で平成十六年度も半年が過ぎて仕舞った。誠に月並みな言葉だが、まさに「光陰矢の如し」の速さである。若い頃ならともかく、もう七十歳を過ぎれば時の流れは遅遅として退屈極まりない日の連続だろうと、勝手に考えて居たのだったが、それは大きな思い違いで時の流れは若い頃と少しも変わらず、むしろ速くて戸惑いさえ覚える此の頃である。

 晩飯を済ませてのひと時をパソコンの前に座り、何とは無しにこの半年を振り返ってみた。

 ※ 大晦日から雪の少ない割合い暖かくて本当に良い
   お正月った。
 ※ しかし月中には本道を襲った低気圧が発達して、日本で始   めて「爆弾低気圧」命名され、北見市未曾有の豪雪で市内   の交通機関が完全に麻痺する。
 ※ 鳥インフルエンザ発生
 ※ イラク人質事件発生=今井紀明さん、郡山総一郎さん、
   高遠菜穂子さん。
 ※ イラクカメラマン殺害事件発生=橋田信介さん、
   小川功太郎さん。
 ※ 長崎県佐世保市の御手洗怜美さん(十二歳)事件
   他に中三女子の誘拐事件や中三女子による五歳児突き落と   し事件。それに母親の娘殺害・乳幼児の虐待事件特に極く   最近では三ヶ月乳幼児の虐待による殺害など、一々数え揚   げたらキリが無い程である。

 終わりに自分の事で

 ※ 2月14日七十一歳にして始めて救急車で病院に運ばれ    る。
 ※ 4月2日ブログ開始    ※ 5月10日弟とウェブチ   ャット(ビデオチャット)開始

 この半年をざーっと振り返って見ました。   

テッセン(鉄線)

2004-06-29 22:07:50 | 日々の雑記
昨日に引き続き朝から曇り日、今日はそれの濃霧が立ち込めて時折りそれが霧雨となって、地上の家も道路もそして花や木々を濡らしてしまう。

 そうした庭の木々の中に健気にも細い蔓を這わせて、紫と白色のテッセンが大きく開いていた。

 あたかも朝露に含んでしっとりと色鮮やかに咲くその花に感動した。   


血液検査

2004-06-28 22:07:58 | 日々の雑記
 労災病院のリハビリを終えての帰り、毎月一回行って診察と血圧降下剤三十日分の投薬を受けるため家の近くの個人医院(Sクリニック)に寄った。午前の受付時間の終了間際ギリギリだった所為か、待っている患者はたった一人だけだった。直ぐに私の番が来て診察を受けた。診察と云っても毎回問診だけで終る。

 ついでに前回来院の折に受けた血液検査の結果を聞いた。「特に問題は無いですよ」と云う医師から次の項目について聞き取り手帳に記録した。
  
  ※ 総コレステロール=209 ※ 中性脂肪=76 ※HDL(善玉コレステロール)=76
  ※ GOT=34  ※ GPT=54 ※ γGTP=77   ※血糖値=99
  ※ Hb.A1C=4.8     ※BMI25.39

 以上主な項目についてだけですが、これを見る限り医師の云うとおり、余り心配する事も無いだろうとホッとする思いだった。

 この結果を家で待っている妻にイの一番に見せた言うまでも無い。
   

三年ぶりのラーメン

2004-06-27 21:47:18 | 日々の雑記
今日は久し振りに市内のY公園でウォーキングをした。予報に反して朝から晴れて意外に陽射しが強かったので、何時もの自転車道路に比べて木立が多い上に東屋も彼方此方に在って、休む時など何かと好都合と考えての事である。
実際に木陰の芝生を利用したグループや、東屋で早目の昼食をしている親子連れもいた。私達も適当に木陰のベンチ・東屋で休憩を取りながら、A地区からC地区(A~D)までを往復した。その結果歩数は何時もよりかなり多くなり、時間も長くなり気付いたら昼飯時を大きく過ぎていた。時計を見て時刻を意識した途端に強い空腹を感じた。これから家に戻っての食事は到底考えられず、幸いこの公園の近くに昔良く通ったラーメン屋を思い出して、急遽妻と相談し早々にそのラーメン屋に向った。

 ラーメンは医師からはっきりと止められて居る訳では無く、「なるべく食べない方が良いのでは・・」と云われて居るだけなのだが、私の方で勝手に禁止食品の中に加えているに過ぎない。
 
 今日はその禁を破り約三年ぶりのラーメンである。カウンターに陣取るや直ぐに醤油ラーメンを頼んだ。

 私の場合なんと云ってもラーメンは醤油が一番と信じて疑わない。昔からこれで通して来たし、これからもそれは決して変わらないと思う。

 食べ終えて久し振りの味覚に心から満足したのは言うまでも無く、その後の一日がとても幸せであった。

 カメラに収めブログに載せようと思ったが、誤解を招くのでは無いかと・・残念ながら断念した。

海開きに想う

2004-06-26 22:10:21 | じゃこしか爺さんの想い出話
今日の夕刊に小樽ドリームビーチの海開きの模様が出ていた。まだ七月前だと云うのに早々と海水浴の話である。今私が住んでいる所は道東でも代表的な港町で、海は直ぐ目の前に在りながら海水浴の出来るような環境ではない。これは恐らく海流の所為であって、真夏でも毛糸のセーターが必要な地域なのである。

 浜辺では遊ぶ子ども等の写真を見て、我が身の子ども時代を思い出していた。私が子ども時代を過ごした土地は、今はサハリンと呼ばれている元南樺太の国境(北緯50度)に近い西海岸の小さな港町である。
そんな北国で海水浴が出来たのはやはり海流によるものと思われる。しかし海水浴には絶対に焚き火が必要でそれは欠かせない存在であった。大きな事を言えば私は「間宮海峡」で海水浴を愉しんでいた事になる。

 この頃の私達の海水浴は水着などと言う洒落た物を持っている者は無く、みんな生まれたままのスッポンポンの丸裸である。それは男の子も女の子も全て一緒で、海の中でも焚き火の周りの砂浜でも入り混じって転げ回る。時には焚き火で焼いている獲物(貝類・えび・蟹など)の取り合いで、男女の区別無く取っ組み合いをすることもある。しかしこうした遊びにも限界が有って、大抵恥毛が生え始めて来ると自然と仲間から抜けて行く。

 余談だが・・この時期を境にやがて男の子のモノは凶暴性を孕んだ凶器として、また女の子のモノは隠微性富んだ隠し所として変貌を遂げて行く事になる。その予兆に慄き只ひたすらに恥ずかしさを覚え、お互いの性を意識し始める様になる。

エッチなサイト

2004-06-25 22:17:15 | 日々の雑記
 昨夜の事だった。インターネットのSANSPO・COMのスポーツ欄で、今日のプロ野球の試合結果を見ていた時である。野球を初め各スポーツ欄を見終わり、何気なくサイドの女性の水着姿の写真をクリック、次から次へと変化してゆく若い娘の大胆なポーズの中には、これ見よがしに巨乳をもろに出したのもあって、それらは更にエスカレートして行き見るのも気恥ずかしくなるような物まで出て来た。週刊誌の中にはアダルト専門のものが在る様だが、日頃からこうした週刊誌を見る機会の少ない私にとってはまさに絶好のチャンス、これ幸いとばかりに見入っていた。

 すっかり引きずり込まれて居た私は迂闊にも背後に娘が近付いたのに気付かなかった。娘は私のパソコンの師匠挌にあたりこれまでに何かと手解きを受けている。この娘無くしては私のパソコン人生は有り得ないほどの存在で、現にこのgoo・BLOGにしても娘が開いてくれたものであり、またパソコン歴の浅い私が曲がりなりにもHPを開設出来たのもみんな我が娘が居たればこそである。

 「おじいちゃん何見てるの・・そんなもの見てたら、後で大変な事になるよ!」と娘、「いやっ別に・・サンスポのスポーツ欄を開いたら出て来たんで見ていただけだよ」しどろもどろに答えるがその動揺は隠せない私。どうやら娘はこうしたサイトの危険性(高額請求など)を見越して事だと思う。しかし私にはこのサイ
トは大手新聞社の「産経スポーツ」だと頭から信じ込んでいるから、「産経新聞社だから別に心配する事無いのでは・・」「これは新聞社とは全然関係の無い只のCMなんだよ、だから危なの!」この娘の一言に私は言葉無く只シュンとうな垂れるばかりだだった。

 さらに強烈な一言「おじいちゃんたら・・本当にもう好きなんだから・・」(_ _ ;)・・・

リハビリ

2004-06-24 20:30:00 | 日々の雑記
労災病院のリハビリ科で週に二日の割りで、電気治療を受け始めてからもう丸四ヵ月が過ぎているのに、迂闊と云うか暢気というか未だにその治療名さえ知っていない。全く主体性のない事夥しい限りで我ながら呆れ果てている。今日初めてその名称を知った。
 
 両肩に電気を通すのが「緩衝低周波」だそうで、肩から腕にかけてピリピリととても気持ちが良く、約15分程だが大抵はまどろんで先生に起される始末である。首と顎に皮製の器具を取り付けての「頚椎牽引」だが、自分では分からないが他人のを見る限り余り格好の良いものではない。1分間の内約45秒ほど吊り上げ、残りの15秒間緩める、この繰り返しを15分ほど続けるのである。何時もこの格好からついつい縁起でも無い事を思い起すして仕舞う。

 この治療のお蔭で日頃から肩凝り症の上猫背の私にはまさしく打って付けの治療で、この日は身体が軽く
感じられウォーキングも捗り清々しい一日と成る。                  

台風が去って

2004-06-22 22:15:44 | 日々の雑記
 大雨・洪水・暴風・波浪など各種警報が出されていて、かなり緊張した一夜を過ごし明けて見ると、流石の大型台風六号も早々と温帯低気圧に変わり、この地方に出されていた各種警報は午前中にあっけなく解除された。しかし台風の名残の暗雲は低く垂れ込めて外歩きなど 到底叶わない雰囲気である。 午前中はインターネットでどうにか過ごし、昼からはイの一番にジャスコの火曜市に出かけた。買い物に掛ける時間も精々一時間程度である。空模様はやや明るくなったようだが今度は霧が出て来て、まだまだ雨の心配は大きく残り油断は出来ない。已むを得ないが家の中で時間を潰すより他に方法が無く、以前から気に掛けていたMDつくりを始めた。ラジオ番組の落語漫才をカセットに録音したのが大分貯まっていた。

 三時頃から空模様は突然変わり、先ほどまでの暗雲と霧が消えて仕舞い青空が広がった。暖かい陽射しでウォーキンギ日和となったが、退屈紛れに食べた間食で満腹状態、今更歩く気は全く起らずMD作りにも飽きた後は再びインターネットを続けた。夕方になって早速くテレビの野球観戦に入り、BS(阪神対広島・8対7で阪神の勝利)と民間(巨人対中日・4対2で中日の勝利)の二つの試合を交互に渡り観する。後は毎夜日課の弟とのビデオチャットを何時もより時間を掛けて終え、何とか身を持て余した一日を終える事が出来た。

 明日はどうやらすっかり天候回復の予報、この分ならウォーキングは不安なく出来そうである。
 

夏至の日に思う

2004-06-21 14:19:19 | 日々の雑記
速いもので今日が夏至で、後一週間余りで今年も半年が終ろうとしている。ところで夏至と云えば先日のテレビのクイズ番組での一場面を思い出す。その番組はお笑いタレント対象で最初の解答者として登場したのがお笑いの業界では結構名の知られたタレントで、彼に問題として出されたのが夏至に付いてだった。
 しかし全くお恥ずかしい事に彼は夏至と云う日の意味を、どんな日であるのかを知らなかったようで、照れ隠しに只訳も無い駄洒落めいた言葉で観客を笑わせてその場を取り繕っているばかりだった。小学生でさえ知っている事なのに、一応は名も売れ業界では上の方の立場に属する人間なのにこの様である。どうしてこのようなお粗末な芸人が出て来るのか不思議に思う。ポット出て来て少し目立つと直ぐに観客がチャヤホヤ迎合するからにすからだろう。単なる芸人に過ぎない者が、観客にチャヤホヤされてすっかり良い気に成り、あたかも自分が如何にも大人物に成ったかのように勘違いして、自らを師匠とか或いは芸術家・アーテストなどと特別な人間と思い込み、一般人を見下し勝手な振る舞いに及んで仕舞う。

 思うに芸人なる者そんな甘いものではない筈で、その発端は遠い昔の事で京都は加茂川の河原で起きた芝居芸人のことを指す。彼らは自らを卑しい者「河原乞食」と称し河原の掘っ立て小屋に寝起きして、芸の向上に血の滲むような研鑽と努力を重ねて来た結果が、現代に残る歌舞伎であり能やその他の芸能の姿であると思うのだが・・今の彼らにはその片鱗さえ窺がえない有様である。過激な発言で恨まれるかも知れないが、名の通った歌手にしたって単なる歌い手芸人でないかと私は思っている。

 嗚呼!それなのに彼らの中には、恥ずかしげも無く又その器でもないのに折からの参院選に打って出ようとさえしているのだ。政党の方も無責任に彼らを数の内の一つとして迎合している。芸人乃至それに似た業界の人間が幾ら当選したって日本は決して良くは成らず、むしろ悪くなる一方であろう。こんな事で良いのだろうか、果たして日本の将来は如何なるのだろうかと・・心配と悲しさで心が暗く滅入って来る。

 最後に数年前に中国の要人が言ったと云われる次の言葉「今世紀中頃までに、日本国は消滅するだろう」がとても気になって仕方が無い此の頃です。

運動会

2004-06-20 19:34:43 | 日々の雑記
今朝六時に上がった花火の音で近くの小学校での運動会を知った。昼前のウォーキング出かけたついでに一寸覘いて見た。丁度マスゲームの最中で、赤と白の帽子をかぶった生徒がグランド一杯に体操を繰り広げていた。昨年までは我が家の孫娘も小学生だったので、運動会と云えば見る楽しさも有ったが、何よりも昼食作りの手伝いなどでの忙しかった事を先ず思い出す。今年はそれらから開放されてホットとはしているものの、こうして余所の子の運動会を見ていて、何となく生ずる物足りなさと寂しさを覚えていた。