昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

亡妻の札幌での想い出

2012-01-25 16:52:54 | じゃこしか爺さんの想い出話
        ※ 吹き降りの 激しき夜の 札幌で
            妻と歩きし 街が懐かし 



 先日本州に住んで居る亡妻の兄弟と電話で話し合った時、札幌で会ったことが話題になりました。
 その時から私の胸の内に、生前の妻と過ごした札幌の街のそれぞれが、懐かしくまた切なく想い出されて来たのです。

 私たち家族が釧路市に引っ越して来たのは、約50年も昔のことですが、それまでは札幌市に近い空知管内の美唄の炭砿街に住んで居りましたから、いわば生活範囲の一部でもあったのです。
 例えば、学生時代のことですが、参考書を探しに富貴堂などの本屋さんには良く行ったものです。
 ですから結婚してからも、日曜には二人して良く出掛けたもので、街中で過ごした後、帰りの汽車時間まで、札幌駅前の五番館その後の西部デパートで過ごした。
今こそ札幌は遠い存在となりましたが、10年ほど前には孫たちを連れて、円山動物園や新札幌のサンピアザ水族館にも行きました。
その後は妻の足も衰え、また私も病いがちとなり、札幌は遠い遠い想い出の街、そして今はただただ辛い想い出の街となってしまったのです。


蔭膳

2012-01-17 16:49:50 | 日々の雑記
             ささやかに 陰膳供え 亡き妻と
              共に夕餉を 楽しんで居り

 
 蔭膳とは、先日亡妻の月命日の時に知ったのです。お経の後での雑談で和尚さん教えられたのですが、故人の生前の好物には色々とあり、その中には仏さまにはあげられない、いわゆる生臭い魚類や肉類などもあります。
 そうした故人の好物を供えるためにあるのが、蔭膳というものなのだと教えられました。
 それまでは、たとえば出征しているとか、旅行などで暫らく家から離れた家族などへ用意するのが、蔭膳の由来だと思っていたのです。
 もう間もなく亡妻の誕生日が来ますので、何とかして生前大好きだった物を供えたいと思案して矢先のことでした。本当に有難いことでした。
 そしてその当日、太巻きに稲荷寿司、特に好きだった握り鮨と焼穴子にショートケーキも加えました。
 これ等亡妻の好物は、即私の好物でもありますので、一緒に美味しく食べたのは云ううまでもありません。

 それ以来、夕餉の度に食卓に蔭膳を供え一緒に食べるのが、我が家のしきたりになりました。
 
  

大寒波と白鳥

2012-01-13 17:20:54 | Weblog
 今朝は今年一番の氷点下19度近くまで冷え込み・・・昨年も経験しなかったほどに凍れた朝でした。
朝方トイレに起きた後なかなか眠られず、重ね着して寝直したほどです。
 陽が出る時刻が一番凍れると言われますが、今朝の凍れはまさにその日が昇る時刻に当たりました。
 そんな日の朝8時に3ヶ月ごとに予約している川向こうの病院に出掛けた橋の上から、ふと見た氷が一面張り詰めた川中の一角に白鳥が群れているのを見掛けました。
 予想外に早く診療が終わったので、帰る途中で河畔に立ち寄ったのです。
今朝の凍れには、さしもの白鳥もかなり堪えたようで、幼鳥を中にしてうずくまっていました。
 そして昼近くに今度は買物帰りに再び河畔に出掛けました。その頃にはもう大分気温が回復しておりましたから、白鳥たちは頭を上げ動き回り、その中には藻でも探しているのか、水中に頭を入れて泳ぎ回るのも居るほどでした。
 
 妻の死亡以来河畔に来たのは今日で二度目ですが、家に閉じこもって居るよりは、時折りこうして以前のように出歩く私に、天国の妻もホットし喜んで呉れるでしょう。

 唯残念なのは、何時も一緒だった老妻が居ないことで、それでまたまた切なくなり急いで河畔を去ったしだいです。
 今日はたまたま車に合った予備のカメラで撮りましたが、今度は折を見て出歩くように努めるつもりです。 

朝8時頃の白鳥たち

お昼近い頃になって少し元気づいた白鳥たち


亡妻の願い

2012-01-08 17:22:24 | 日々の雑記
※ あゝもして こうもしてやれば 良かったと
         しみじみ想う 妻の亡き後


※ 在りし日の 妻を偲べば 悔い多し   
       涙ながらに 謝りて居り


 生前の妻の願いは・・・いったい何だったろうかと、あれこれと考えることがあります。色々考えた結果、それは姉さんに会いに行くことでした。
 妻より三歳年上で、埼玉に住んでいるのですが、5年ほど前に病気で倒れ、現在施設に入っております。
 妻が私も一緒でしたが、この姉さんと最後に会ったのは、やはり妻の妹さんの葬儀が名古屋で行われた時でした。
 それ以来九年にもなりますから、以前はけっこう会って居りましたから、今回の年月はきっと長く感じていたのでしょう。
 妻はもうかなり前から膝が悪くて一人旅は無理でしたから、どうしても私無しでは、飛行機はもとより汽車旅でも無理でした。
 しかしその私は未だ職に就いていたので、引退したらゆっくり会いに行くことにして、妻はそれを楽しみにしていたのです。
 いざ引退してこれからという時になって、私が大腸ガンに侵され、更に狭心症が見付かりました。
 それ以来安全を期しての生活の年月が、早くも二年も経ってしまい、ようやく自信が付いて来た今年の秋でもと、話していた矢先の妻の発病でした。
 こんな訳で、妻の一番の願いが適わなかったのです。妻が何気なく手帳に書いて居たのでしょうが、死後それを目にした時の、私の驚きと辛さ悲しさは例えようもありませんでした。 
 例え私が手術の後だったからと云っても、何か良い方法があったのでは無かったのかと、今は後悔するばかりです。 
本当に済まなかったと、ただただ遺影に涙して詫びるのみです。・・・ごめんね!

箱根駅伝

2012-01-03 17:43:24 | 日々の雑記
 今朝から待望の今年箱根駅伝が始りましたが、実は亡妻が大ファンで、これまでにも殆ど見逃したことはありませんでした。
正月だからゆっくり寝ていましょうと、自分から言い出して居ながら、翌朝はそんなことを誰が言ったの・・・と言うような顔をしていつもより早起きしてテレビを観ているのです。
亡妻はもともとマラソンとか駅伝競技が好きで、昨日のニューエヤーマラソンはもとより、各地で行われる競技の放送は各局とも正午からでしたから、その日の買物などの外出は大抵午前中に片付けて、放送開始待っていたほどです。
さて今回の箱根駅伝の往路は昨年同様に東洋大学が勝ちましたが、亡妻がいつも応援していたのは駒沢大学でした。その理由を聴いたことはありませんが、同じように私も駒沢の成績が気になってなりません。
今年の結果は、東洋大学が山の神様柏原選手などの力走により、これまでの最高記録を大幅に更新して総合優勝を果たしました。
駒沢は悲願の優勝はならなかったけれども、来年につながる記録を残して二位でした。天国の妻もキット残念がっていることでしょう。
こうして私は箱根駅伝を二日間観続け、さらに箱根駅伝各大学のゴールシーンの醍醐味を、天国の妻と共有したしだいです。