昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

雌阿寒岳の初冠雪

2013-10-31 16:29:32 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
  先の大型26号台風の所為で、道内各地では例年より一ヶ月近くも早い初雪に見舞われました。
 その予想だにしなかった突然の降雪で、道内の山間部で多くの方々が交通事故に合われ、悲惨な目に遭われた方もあったほどでした。
 その上伊豆大島での惨事は、昔スクーリングで東京に出た時に訪れていただけに、無念さが一入です。

 心からお見舞い申し上げますと共に、一日も早い復興をお祈り致します。

 しかしその憎らしいだけの台風だったのですが、思いもよらない物を残して呉れたのでした。
 その台風が去った日の午後のこと、買物帰りに何気なく通った仁々志別川通りで、雪の雌阿寒岳が見えたのでした。
 旭川の大雪山系に一月ほど早い初冠雪があったと報じておりましたが、やはり同様に阿寒連山にも早い初冠雪があったのです。
 その瞬間に方向転換して、私と亡妻だけの写真のスポット、住宅街の外れに向かっておりました。
 
 しかし残念ながら雄阿寒岳は雲に覆われていたので、雌阿寒岳だけを撮って家に戻り、亡妻に知らせました。








鶴居街道

2013-10-26 15:52:51 | 日々の雑記
 先日急な所用があって、隣村の鶴居村へ行って来ました。
 この鶴居村は釧路湿原公園に隣接するところで、天然記念物としてのタンチョウの給餌場が二箇所もあります。
 五年ほど前までは、タンチョウが餌を求めて里に集まる頃を見計らって、まだ元気だった妻と毎年欠かさずに訪れていた想い出の多い処です。
 
 この度拠所ない所要で鶴居村へ行って来たのですが、車を走らせながらも途中とちゅうでは、昔一緒だった亡妻が想い出されて、とても辛かったです。
 それでも釧路から片道40キロ程の道のりを、往きも帰り何事も無く、無事に所用を済ませて家に帰り着くことが出来ました。





丹頂の給餌場入り口

餌を探すタンチョウの番い

収穫後の畑で餌を啄むタンチョウの群れ



三回忌

2013-10-21 16:33:40 | 日々の雑記
 
         日が経てば 楽になれると 思いしが 
           日に日につのる 亡妻への想い

         春秋は 移ろい行けど 妻の亡き
           後の寂しさ 消ゆること無し


 先日亡妻の三回忌法要を執り行いました。一年前の一周忌には道内各地から、主に私のきょうだい達も来ましたが、今回は娘や孫たちの身内と地元釧路の親戚筋のみで行いました。
 妻が逝ってからもう丸二年が経ちましたが、情けないことに亡妻への想いはおさまることは無く、むしろ高まって行く思いです。
 昼間は同居している娘と一緒ですから、寂しさは余り感じないのですが、晩飯を済ませて娘が二階の自室に去った後が大変です。
 階下に一人残った時、特に寝室で独りになった時の寂しさと辛さは、恥ずかしながら言葉になりません。
 寝床での思いは何時も同じで、なんで俺を置いて一人で逝ったんだから始まって、色々なことに広がって行きます。
 しかし、若し私が先に逝ったならば、足が悪い上に病いがちの亡妻はおそらく大変な思いをするだろう、更にその上、今私が味わっているこの堪らない寂しさや辛さを味わうであろう。そんなことは断じて許されないことだ。
 やはり亡妻を先立たせて良かったのかも知れないと、夜毎に繰り返して思うこの頃の私なのです。
そして私なりに出した結論は、老夫婦が逝く時は一緒が、一番良いのだと・・・。
 とんだ泣き言を色々と並び立てて、本当に申し訳ありません。

 この度、亡妻の三回忌を無事に済ませることが出来ましたので、これまでの様に買物だけに留まらず、努めて外出する様に心掛けて、とかく身内が心配する引き篭りを避けようと思います。

 下の写真は今年の花撮り歩きで撮って来た物ですが、これまで載せる機会が無いままに時季が過ぎてしまいました。
 棄てるには忍びないので、亡妻への供花として載せることにしました。








旧友=級友

2013-10-17 15:53:14 | じゃこしか爺さんの想い出話
    
       久々に 八十路を 過ぎた 旧友と
         老い歎き合う 茶房のひと時
   

 先日のこと、約二年ぶりに旧友M君とは、家の近くの喫茶店で会いました。
 M君は、樺太の小学校時代の級友でもあるのです。
 彼M君と会うのは約二年ぶりのことで、家内の葬儀の折、病身を押して遠路わざわざ来てくれた依頼のことでした。
 以前は年に三度ほど先の喫茶店で会っていたのですが、その後お互いの病いのために、折を見て電話で話し合うだけで、会うまでには至らなかったのです。
 それが急に会うことに至ったのには、後で分かったことなのですが
 その時の話題は、やはりお互いの病の症状が主でしたが、樺太時代の級友に及び、特に親しかった札幌のA君とのことが話題なり、携帯を使って同じ級友稚内のN君とも話しました。
 私はN君とはこれまでにも年に何度か電話を掛け合っておりましたが、M君の場合は、かつて札幌でのクラス会以来の音信でした。
 
 そしてその翌日の朝新聞で、A君の訃報を知ったのでした。
 思うに、昨日三人でA君のことを話し合って居た時には、既に彼A君は黄泉へ旅立っていたのでした。
 
 お互い病気がちの私たちが、あの時二年ぶりに会えたのは、A君の友情のお蔭だね・・・数日後再び会った時のM君の言葉でした。
  
      A君!生前のご友情有難うございました。
         安らかなるご冥福をお祈りいたします。

 
  私たちが=緒に学んだ樺太塔路第一高等小学校=国民学校校舎


花撮り歩き~その12

2013-10-12 20:07:50 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
  二日ほどパットしない、しかも時折り霧雨や小雨が降るような始末の空模様だったから、買物にも出られなかった。
 しかしそれがその日は前日までの雨模様が、まるで嘘のような晴れ具合で、朝から眩しいほどに良く晴れた日となりました。
 そしていつもより早い時間に、3日ぶりの買物に出掛けたのです。そしてその買物帰り、いつもの帰りコースから外れて公園通りを通ることにしました。
 その公園の周りには、おそらく地域の住民達の手で造られたのでしょう、小さいながらも種々な花が植えられていて、私の花撮り歩きの目当ての一つでもあったのです。
 しかしその日はもう既に10月の半ば、花の季節はもう既に終わりのようで、
これぞと眼を惹く物は余り見当たりませんでした。

 もうそろそろ花に代わって紅葉撮りの時期なのでしょうね!

 そんな中で漸く撮れたのが下の花々です。

キンレンカ


ハマギク


秋彼岸詣で

2013-10-07 16:02:45 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 今年の秋彼岸のお寺参りは、初め彼岸の中日の二十三日に予定していたのですが、近くに住んでいる孫も一緒に行きたいと言うので、二十二日の日曜日の昼前に行って来ました。
 我が家の菩提寺の潮音寺は、その名のとおり郊外の漁港近くにあって、家からは車で一時間ほどの処です。
 お寺の周りは昆布の干し場が多く、その周りには場所柄雑草などが多い生えております。
 先日は行く時は、一部国道が混じる街中を走りましたが、帰りは海沿いの市道を通りました。
 ここは入江になっていて、打ち寄せる太平洋の波が見られるのです。
 なおこの通りは、亡妻がとても好きだった処です。

 その帰りの道で、一箇所に群がり咲いている黄色い花を見つけました。以前何度もブログにも載せた事のあるオオハンゴンソウでした。
 最近余り見掛けないことを口にすると、娘がこの花は外来種なので、駆除されているからなのだそうです。
 道理で、前には公園や自転車道路などで良く見られたのにと、納得しました

外来種のオオハンゴンソウ

同      上

キキョウ 

ハマギク


花撮り歩き~その11

2013-10-03 17:20:31 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 先月下旬市立病院の帰りのことです。
 いつもの帰り道は途中まで行って気付いたのですが、道路の補修工事中で通れませんでした。
 正規の通りに引き返すのも面倒なので、迂回路を走ることにしました。
 初めて通る道路で不安も多少ありましたが、住宅が建て込んで居ない所為か、
車や歩行者などが少ないので、とても安心して走れました。
 それぞれの住宅の間隔が広く空き地が多いのですが、その大半が町内会の人達の手によるのでしょう、それぞれが綺麗に整地されて畑や花壇などが造られているのです。
 きっとこれは、町内の人達それぞれの絆の深さと、人柄の良さの証なのでしょう。
 何だか言葉には表せないほのぼのした温かさを、快く深く感じさせて呉れました。

 その日の花撮りは、そうした人目の少ない処だけに、気兼ね無くのびのびと撮ることが出来て、突然の道路の工事中への不満など忘れさせて呉れました。


ちょっと時季外れの感じですが・・・