昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

或る韓国少年

2004-09-19 17:27:40 | じゃこしか爺さんの想い出話
 極東ブログ:[書評]サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのかを拝見いたし、戦時中のひと時を共に過ごした韓国少年を想い出しております。

 私は樺太の国境近い西海岸の炭鉱町で生まれ育ちました。戦時中には家の近所にも多くの韓国の方が住んでいたし、又炭住街の外れには韓国人の独身寮もありました。

 確か小学四年頃だった筈です。体格の良い生徒が転校して来ました。名前は「大林舜勳」と云って、身体がクラス一番の大きさにもかかわらず、温和な性格の上正義感がとても強くて、いつも弱い者の見方でした。その彼が韓国の子どもだと知ったのはかなり後のことで、当時は子供心に意外に感じていたものでした。他の韓国の生徒とは違い、言葉も日本人と全く変わらず何にも益してその学力が抜群だったからです。

 その彼の口癖は「特攻隊に入って日本の為に命を捧げるのだ」と云う事で、これは多分に彼たち
韓国人の置かれた立場上での事でしょうが・・。しかし彼は「予科練」入隊はクラスの誰よりも可能だった。残念ながら彼は程なくして再び転校して行きましたからその後の事は知りません。

 その後何回か開かれた同期会では必ずと云って良いほど彼の事が噂に成りました。彼の体格の良さと成績の良さから、「北朝鮮あたりできっと政府高官にでも成って活躍してるだろう」・・と。

 韓国人は優先的に日本人よりも早く帰国したのだろう、子ども心にそう思っていたのでしたが、多くの方が帰還されずに或いは未だに現地でご苦労されているのかも・・と思うと一体全体彼「大林舜勳」君は、今は何処で如何していることか、果たして健在なのかと俄かに気にもなり、遠く樺太の少年時代を想い出している次第です。



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1 コメント

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興味ありました・・・ (h0621h)
2016-06-13 01:37:26
遠い過去の思い出は、貴重です。私は、大阪に住む66歳の男性。戦後生まれですが、平和とか、関心ありました。北方領土やサハリンなど、昔の皆さんは、大変な苦労をされておられたんですね。貴重な体験、思い出話を聞いたり、読んだりして、後世に伝えることも、大事なことだと思いました。戦後生まれの僕たちには、知らないことばかり、多すぎます。先人の苦労を、もっと知るべきだと思いました。これからも、サハリン時代の思い出など、教えてください。よろしく。
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